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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第九回  小将軍 神臂もて妖邪を排し 宋保義 宿魔の性を萌芽せしこと
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呼保義

 半月ほど後。


 早朝の鄆城県城の通りを並んで歩く二人の男。


 宋江と雷横である。


「はぁ…小哥(雷横)に付き合っていたら、身体がいくつあっても足りん」

「何言ってる。あれでも哥兒(宋江)が辛そうだったから、最後の方は遠慮してやったんだぜ?大体、(たま)の事だから気が済むまで付き合ってやる、って言い出したのは哥兒の方じゃねえか」

「ああ。今は言わなければ良かったと、本気で後悔しているよ」


 呵呵と笑う雷横に、宋江はじっとりとした視線を投げ掛ける。


 あれから宋江は「花栄が帰ってしまったのなら用は無い」とばかりに、上奏のため県城に向かう三人と共に屋敷を出て、そのまま下宿に戻ってしまった。

 今はその宋江と一晩中、飲み明かした雷横と共に、仲良く衙門に向かっている最中である。


「しかしまあ、何事もなくて良かったじゃねえか」

「おい、小哥。私の顔を見ろ。これが何事もないような顔に見えるのか?」

「哥兒が酒に(よえ)えのは知らねえよ。別に俺の所為じゃねーし。何なら今日からでも毎晩付き合って鍛えてやろうか?」

「止めろ、殺す気か!?」


 辟易とする宋江に、雷横はくつくつと笑いを噛み殺す。


「いや、そういう事じゃなくってよ。何だかんだ大騒ぎしたって、結局はあの髯面(朱仝)の思い過ごしだったなって話さ」

「ああ、この前の…」

「アイツ、その内マジで『天が降ってくる(※1)から備えをしとけ』なんて言い出し兼ねねえぞ?」

「私や家の事を案じてくれていたんだ。それを悪し様に言うのは止めろ」

「あー、いや…俺だってちゃんと哥兒の事ぁ心配してたぜ?」

「分かっているよ」


 あの日、朱仝と雷横が宋家村を巡回しても、特段、怪しい痕跡はなく、結果、宋江の屋敷に泊まった老人については、捜索するにも至らなかった。


 西渓村に現れた道士風情の男達については、上奏はしたものの、対応は州と協議の上で決めるという事で、今は知県が預かる形となっている。


 だが、それで宋江は満足だった。

 西渓村の件は最初から予想されていた事だ。今後も知県に働き掛けるつもりではいるが、州にまで話が上がってしまっては、それ以上、一介の押司にできる事は少ない。


 何よりも、花栄の関与を隠し通せたというだけで十分だった。


 遺体が消えるという摩訶不思議な現象には確かに驚かされたし、もう一方の当事者である花栄は、事情を聞く前に追い出してしまい、と今さら宋江に老人の真意は知りようもないが、結果的に何事もなく済んだ事もあり、宋江の中ではもはや過去の出来事になりつつある。今さら騒いで事を大きくしても仕方がない

 老人の顔も、聞いたはずの姓名も、すでに思い出せないほどあやふやだ。


「まあ、確かに何事もなく済んでくれたのは幸いだった。東西両村の事故も、今のところは落ち着いているようだしな」

「保正(晁蓋)が石塔一つ動かすだけでも、あの髯面はあーでもねえこーでもねえと散々ゴネたらしいが…ヘッ、何の事ぁねえ、蓋を開けてみりゃ何も起きゃしねえじゃねえか」

「世の中、勢いだけでは片付かない事だってある。朱小哥(朱仝)のように、慎重に事を運ぶ者もいなくてはな」

「慎重ってか、あそこまでいくともう臆病だろ」

「だから止めろって…お?」


 てくてくと歩を進め、気付けば早、二人は衙門の近くまで来ていた。

 衙門の側には井戸がある。そして、その井戸には今日もあの人の姿が──


「ん?…うぇっ!?」

「何だ小哥、変な声を出して」

「いやっ、べ、別に何でもねーし」


 雷都頭。

 朱都頭を臆病呼ばわりされる前に、是非とも今の御自身の姿を鏡に映して、とっくりと御覧になっていただきたい。


「って、哥兒。何するつもりだよ?」

「何って…見掛けたんだから、挨拶しないでどうするんだ?」

「はあっ!?向こうが気付いてねえんだから、いいって別に!」

「いい訳がないだろう」


 つかつかと井戸へ歩み寄る宋江に、渋々ながらも雷横が付き従う。


「お早うございます」

「ええ、お早う…あら、押司(宋江)、と、これはこれはウチのバカ息子までお揃いで。お早うございます、押司」


 互いに拝礼を済ませると、顔を合わせてすぐに林明智は何かに気付いた。


「押司、随分と息が…昨日はそこのバカ息子とお楽しみでしたか?」

「はは、いやいや、御心配なく。昨日はちゃんと雷小哥に酒代を持ってもらいましたから」

「…そうですか?それなら、まあ…というか、アンタまた一晩中ほっつき歩いて。まさか──」

「博打はしてねえって!昨日は勤めが終わってから、ずっと哥兒と一緒だったよ」

「…本当ですね、押司?」


 雷都頭の信用のなさよww

 疑うように宋江へ視線を向ける林明智に、宋江はにっこり微笑むと、


「ええ、本当に」

「そうですか。まあ、真っ当なお勤めにも就いた事ですし、普通に暮らす分には困らないだけの給金は貰ってる訳ですから、そこの博打バカをあまり甘やかさないで下さいね?」

「ええ、それも御心配なく。あれから一銭たりとも(※2)渡してはおりませんから。いつぞやの御母堂様の諌言は、確と胸に留めております」

「御母…はい!?」

「…?何でしょう?」


 変わらず笑みを浮かべ、僅かに戸惑ったように小首を傾げる宋江を、林明智はまじまじと見つめる。チラと視線を移せば、隣では雷横が盛大な生欠伸を一つ。


「…いえ。押司、どうされました…?」

「…?どうもしておりませんが??」

「いきなり『御母堂様』だなんて…いつもはそんな畏まった呼び方なんてしないじゃありませんか。というか、止めて下さいよ、面映ゆい」

「他人の御母堂様を敬うのは、人として当然の事でしょう?」

「いや、押司、ですから──」

「寧ろこれまでの私の振舞いこそ、余程、礼を欠いたものでした。さぞやお腹立ちの事だったでしょう?今までの事はどれほど詫びても『詫び足りる』という事はありませんが、せめて今からでも改めるべきは改めなければ、という事です」

「は、はあ…」


 宋江は尚も笑みを崩さない。


 宋江の言には大いに道理がある。それがまた林明智の心を掻き立てた。

 彼女にはそんな正論を宋江の口から、それもこれほど堂々と、いっそひけらかされるように聞いた記憶が絶えてない。


 それ以上に、そこに何の疑問も抱いていないような雷横が不可解極まりなかった。


「それより、雷小哥。御母堂様の繊手(せんしゅ)で桶二つを運ぶのは、さぞや御苦労な事だろう。点呼まではまだ少し間があるし、家まで運んで差し上げたらどうだ?」

「…は!?」

「はあ!?」


 母子は揃って声を上げる。


 胡散臭い。

 いや、いっそ気色が悪い、と言うべきか。


 ここまでいくと、もはや親切の押し売りだ。

 こんな宋江の姿も、林明智はこれまで見た事がない。


 元々、宋江は女性との交流をあまり得意としていない。

 男性であれば、義兄弟の契りを結ぶ花栄や晁蓋は言うに及ばず、朱仝なり雷横なり、極めて親しいと呼べる相手は何人もいる。ところが、親しい女性となるとこれが皆無と言ってよく、これまでに浮いた話の一つや二つもなかった。


 早くに母を亡くし、姉妹もおらず、実家を出るまで女性と接する機会が少なかった、という事情もあるのかもしれないが、とりわけ「女性から怒られる」事に、宋江は全くと言っていいほど免疫がない。

 おまけに、意固地で強情っ()りでありながら、気が強いというほどでもないその性格も相俟って、とかく物腰のキツい女性、強い物言いをする女性に対しては、どうもアレルギーというか、萎縮してしまうようなところがあった。


 早い話、気の強い女性が苦手なのだ。


 無論、楚々として萎らしく男性に従ってこそ「女性らしい女性」とされる御時世であるから、そういう女性を好んだところで、それが悪い訳でも不自然な訳でもない。


 宋江が自分を苦手としている事は、林明智も知っていた。

 誰に聞いた訳でもない。宋江の態度にはっきり表れていたからだ。


 怯える、とまでは言わずとも、林明智の前に立つ宋江は、どこか顔色を窺うというか、腫れ物に触れるというか…


 それを林明智が嘲っていた、というのではない。むしろ「もっとシャンとして下さいな」と、ある種の親心にも似た感情を持って、微笑ましく見ていた。


 それが──


 今の宋江には、そんな素振りが微塵もない。


 空々しいまでに泰然で、白々しいまでに慇懃で。


 同時に声を上げた雷横も、ようやくその不自然さに気付いたか、と林明智が思ったのも束の間、


「何言ってんだ、たかだか桶二つぐれえの事で。おふk…母ちゃんが本気になりゃあ三つや四つ、いや、その気になりゃあ天秤棒でも借り受けて、10でも20でも平気で──」



 ──バチーンっ!!



「ぃ()っったぁ…何だよ、急にっ!!!?」

「アンタはちょっと黙ってな!」


 空気の読めない雷横を右手の一撃で黙らせ、林明智は再び宋江を見る。


 前回──つまり、雷横が博打でスッテンテンにヤられた翌日、この場所で会った宋江は、確かにいつもの宋江だった。


 今の宋江が他の目を通してどう見えるのか、林明智には分からない。

 しかし、少なくとも林明智には、今までの宋江とは違って見えた。


 まるで、宋江の根元的な何かが、ナニモノかに塗り替えられてしまったかのように。

 まるで、目に見えないナニモノかに憑かれてしまったかのように。


「小哥、お前はまた…御母堂様に向かって失礼が過ぎるぞ」

「いえ、押司それよりも…本当にどうしたんです?」

「…?何がですか??」

「押司が周囲から『及時雨』と呼ばれ、敬われてる事は知ってますが、さすがに今のは恩着せがましいにもほどがあります」

「ああ、これは…私はただ御母堂様の身を案じたまでの事。癇に触れてしまったのでしたら何卒、御容赦下さい」

「押司、いい加減お止め──」

「それと──」


 得も言われぬ笑みを浮かべながら、宋江は力強く林明智の言葉を制した。


「『及時雨』などというのは、卑小な私にとってあまりにも過ぎた綽名(あだな)です。これからは…まあ『呼保義』とでも呼んで下さい」

「…は!?」


 林明智が驚くのも無理はない。全くもって意味不明である。

 いや、さすがに「呼保義」と聞けば、それが「『保義』と呼ばれる男」の意である事くらいは分かる。

 分からないのは、なぜ宋江が「保義」と呼ばれるのか、という事だ。


 一般に「保義」と言えば武官の「保義郎(ほうぎろう)」を指し、保義郎はまた位階を持った歴とした朝臣でもある。

 という事は、つまり「呼保義」とは「俺はいつか保義郎の官職を賜り、晴れて朝臣になる身だぞ」と宣言しているに等しい。


 そんな馬鹿な話はない。


 宋江の務める押司は胥吏であって、胥吏とは言わば事務方である。

 辺境に配属となった武官であれば、他国との戦で名を上げる事もあろうし、或いは内地に在っても、賊の討伐などに功あって取り立てられる事もあるのだろうが、事務方が武官として朝臣に取り立てられる事などあるはずがない。


 そもそも保義郎というのは、歴とした朝臣ではあるものの、その官品は正九品であって、下には従九品を残すのみである。序列的には下っ端も下っ端で、確かに無位無官よりはマシであろうが、仮に宋江が立身出世に目覚めたのだとしても、だからといって任官を願う職でもなければ、任じられて殊更に誇れる職でもない。少なくとも「そこを目指します」と公言するような官職では決してない。


 或いは「売官(ばいかん)」を利用し、市井の富豪が金に飽かして保義郎の位を買ったり名乗ったりするので、そう考えれば「保義と呼ばれる」とは「いつか保義郎の位を買えるほどの資産家になる」、つまり「『金持ちの旦那』と呼ばれる」という意味にも取れる。


 それも林明智の知る宋江の姿とは全く結び付かない。


 宋江の金離れの良さを知らぬ者はいない。

 あまりに無節操が過ぎて「時と場合を弁えろ」と林明智にドヤしつけられはしたが、諌めた林明智だって、何も金離れの良さ自体を「否」とした訳ではないし、百歩譲ってその説教で宋江に思うところがあったのだとしても、だからといって途端に「今後は蓄財に励んで金持ちを目指します」は、いくら何でも不自然だ。


 ちなみに「売官」というのは、国庫に金銭を寄付した民間人に対し、恩賞として官職を下賜する制度で、文字通り官職を売り飛ばしているように見えるところから、そう名付けられている。


 売官制度は遥か昔から存在し、そもそもの切っ掛けは戦役や天災の復旧など、国費調達の要を迫られた末に、苦肉の策か何かとして生み出されたのだろうが、時代が下るにつれ、歳入の一助を見込まれて定着していった。


 古くは三公(さんこう)(※3)の位が売りに出され、また実際に買う者がいたりもしたのだが、さすがにこの宋においては、そこまで露骨な売官は行われていない。

 また、当然の事ながら正規の叙任と違い、売官によって与えられた官職には職掌も権限もなく、ある意味、名誉職のような扱いなのだが、どこの世界にもそうした見せ掛けの権威なり肩書きなりでもありがたがる者はいて、需要があって国庫の足しにもなるのならという事で、制度自体は存続している。


 売官そのものには功罪があり、賛否も人それぞれに分かれるので、一概に悪とは決めつけられない。

 しかし、今この国では「曲がりなりにも歳入の一助として存在している」という前提を根底から無視した、国庫に全く資さない形の売官が横行している。


 寄付された金銭が国庫ではなく、朝廷の高官の懐に入ってしまう事がある──それも往々にしてあるからだ。

 もはや寄付でも何でもない。ただの賄賂だ。そして、それがまた平然とまかり通ってしまうのだから余計に始末が悪い。


 理由は至ってシンプルです。

 国庫に寄付するくらいなら、朝廷の高官に寄付した方が、何かとウマみがあるからです、はい。


 今上・徽宗陛下の御即位以降、対外的には国境を挟んだ小競り合いはあっても、国家の存亡に関わるような大戦はなく、国内に目を向けても、小規模な賊は散見されるものの、朝廷を揺るがすような騒乱は起きていない。


 それはそれで、もちろん喜ばしい。喜ばしくはあるのだが、同時にその泰平の世は、本質的に「趣味の人」であらせられる徽宗陛下の御心から、(まつりごと)への興味まで綺麗さっぱり消し去ってしまった。


 とはいえ、それで直ちに国政が滞ってしまうという訳でも当然なく、陛下に代わって宰執達が政治を取り仕切る事になるのだが、古人に曰く『臣を知るは君に()くは()し』(※4)とは正に言い得て妙で、陛下がそんな有り様では、側に仕える者達とて何をか言わんや、である。


 そもそも陛下は、御自身が趣味に没頭されるため、(まつりごと)を宰執に委ねようというのだ。そこで「天下のために、万民のために」と口うるさく陛下を諌め、正そうとする直言の士を選ばれるはずがない。

 必然的に宰執達はその対極に位置した、保身と蓄財に生きる出世原理主義者のような輩で固められ、宰執がそんな有り様なのだから、その下につく官僚達についてはもう皆まで言うまい。以下同文である。


 そうしてある程度、権力の基盤が整い、保身の目途がついた出世原理主義者達は、お約束通りと言おうか芸がないと言おうか、揃いも揃って心置きなく蓄財へ走り、贅に浸る。

 が、贅沢というものは、しようと思えばいくらでもできるものであって際限がない。片や、それなりの禄を食み、放っておいても権力にすり寄る者からの(まいない)が贈られてくるとはいえ、財産は有限だ。


 そこで売官に目が付けられる事になる。

 当然の事ながら、正規に任用される朝臣には定員があるのだが、売官によって下賜される官職には定員がない。寄付する者さえいれば無限に官職が下賜されるため、俗に「員外官」などと呼ばれたりするのだが、員外官には職権が付されていないから、どれだけ増えようと正規の朝臣が地位を脅かされる心配もなければ、利権を奪われる心配もない。

 金に目がない者達からすれば、こんな都合のいい話はない。


 ある者は自らの権限で官を売って私腹を肥やし、またある者はその権限を持つ者への仲介をして手数料を取り、国庫に入るべき寄付が賄賂へと様変わりしてしまう訳だ。


 売官を利用する側からしても、国庫へ寄付すれば官職を得てそれで終わりだが、権力者への賄賂となれば顔と姓名(なまえ)を売れるし、額によってはその後の見返りを得られる可能性もあるのだから断然「お得」である。


 資産家や富豪を指して「員外」と呼ぶのは、この売官制度に由来している。

 売官は名目上、誰でも利用できるものだが、利用には必ず寄付が伴うので、実質的に利用するのはそれなりに資産を持った者に限られる。資産家が売官で官を得て「員外官」になるという事は、つまり「員外」とは「官の無い(・・・・)員外()」、売官で官を得ていない単なる資産家、という言葉遊びのようなものだ。


 それが広く定着するくらいなのだから、よほど資産家や富豪と呼ばれる者達は誰も彼もが、そうした名だけで実のない権威であっても欲せずにはいられない人種なのだろうが、売官のくだくだしい説明はさておきとして、本来は栄えあるはずの官職があからさまに売り買いされるこの制度が、朝廷の堕落を示す恰好の例である事には違いない。


 或いはまた、中身が伴わない者ほど、見せ掛けの権威を殊更に振りかざしたりするものだから、そうした手合を、比較的売官によく利用される「保義」をもって呼んだりもする。平たく言うと「嫌なヤツ」とか「成金のオッサン」とかそんな感じで、ここまでいくともはや敬称でも何でもなく、単なる悪口に近い。


 しかし、誰かをそう呼ぶのならともかく、自称するとなると全くおかしな話だ。

 そして、仮にそうなのだとしても、これもまた林明智の知る宋江の姿とは結び付かない。


 宋江は相手が誰であれ、尊大な態度を見せる事はまずなく、知らない人からすれば、いっそ嫌味に見えるほどに遜る嫌いがある。それはそれで宋江が親しまれる所以でもあるのだが、遜りはしても、自らを卑下し、貶めるような言動はしない。少なくとも、林明智はそんな宋江を見たことがない。


 結局のところ──


「保義」をどう解釈してみたところで、宋江が「呼保義」を名乗る理由として、しっくりくるものにはならないのだ。


「押司、それはどういう…?」

「あー…いえ、思い付きのようなものです。大した意味はありません」

「……」


 言葉もない林明智が見遣(みや)る先には、得体の知れないナニモノかが、薄ら寒いまでにあどけない笑みを浮かべていた。


「…押司、そろそろ点呼の刻限が迫ってるんじゃありませんか?」


 そのナニモノかを、とにかくこの場から立ち去らせたい一心で、林明智はようやく声を絞り出す。


「はは、御心配に及ばずとも、御自宅との往復くらい、小哥の足なら十分に間に合いますよ」

「…そうですね。じゃあお言葉に甘えて、バカ息子をちょっとお借りします」

「はあ!?マジかよ…!?」

「マジよ。何か文句あんの?」

「いや、ねえけどさ…」


 深々と拝礼し、林明智の返礼を受けたナニモノかは一人、衙門へと入っていった。


 それを見送り、雷横は溜め息と共に両袖をまくる。そのまま桶を持とうと腰を屈める寸前、林明智は息子の肩に手を置いて、それを制した。


「…?何だよ?」

「アンタ、押司は何かあったのかい?」

「…??いや、別に何もありゃしねえけど?」

「あの押司を見て何も感じないのかい!?いつもの押司と全然違うじゃないのさ」

「…そうか?てか、哥兒もさっき言ってたじゃねえか。理由は知らねえけど、母ちゃんへの態度を改めようと思い立ったんだろ?」

「あ…」


 そういう事ではない。

 そんな表層的な事を林明智は聞いた訳ではないのだが、そう言われると返す言葉がない。


「いや、でも『呼保義』なんて意味の分からない事を言い出したりもして…」

「んー…別に意味なんてねえんじゃねえの?哥兒も思い付きだって言ってたし。んーな事より、水は家の前まで持ってきゃいいだろ?甕に移すのは母ちゃんが──」

「…いいよ」

「はいよ」

「そうじゃない。水はあたしが持ってくからいい、って言ってんの。アンタはお勤めに行きな」

「はあ!?じゃ、何で哥兒の言葉に一回乗ったんだよ」

「うるさいね、このコは全く…」


 振り上げられた林明智の右手に得も言われぬ声を発し、思わず持ち上げ掛けていた両手の桶を落として雷横は首を(すく)める。が、その右手が雷横に向けて振り下ろされる事はなかった。


「何なんだよ、一体!」

「いいから、アンタはとっとと行きな」

「てか…大丈夫かよ?母ちゃんこそ何か浮かねえ顔してっけど」


 不安気な息子の顔に、林明智は幾分、心の平穏を取り戻す。


 何も変わらない、いつもの雷横がそこにはいた。


「何でもないよ。あたしの所為で点呼に遅れたなんて言われちゃ堪らないってだけさね。ほら、早く行った行った」


 努めて明るく、林明智は振り上げたままの右手で、雷横をシッシッと追い払う。


「チッ、人が折角、心配してるっつーのに…」

「アンタ、性懲りもなく…親に向かって舌打ちするなんて、いい度胸──」

「ヤベッ!!」


 逃げるように井戸を離れるも、二、三度様子を窺うように振り返ってから衙門に入る雷横を、両手を腰にあてた林明智は溜め息と、そして湧き上がる漠然とした不安と共に見送った。


 得体の知れないナニモノかに変わってしまったかのような宋江を、何の疑いもなく受け入れている自分の息子が、いつかその魔性に惹かれ、呑まれ、歩む必要のない数奇な生涯を歩む事になるのではないか、そんな漠然とした不安。


 それを打ち消すかのように、ふっ、と一つ息を吐き、両手に桶を持った林明智は朝の雑踏に消えた。


 林明智の懸念が的を射ていたか否か。

 今の彼女にはそれを知る由もない。


 いや──


 後年、林明智は雷横と共に梁山泊の北ほど、湖面に(そび)え立つ梁山に上る事となる。

 そこには、その本性(・・)によって「とある共通点」を持つ者を異常なまでに惹き付ける宋江の姿があった。


 だが、そうして集った107人に推される形で梁山の主に就く宋江の姿も、その107人に名を連ねた雷横が、その後どのような人生を歩むのかも、宋江を戴いた者達がどのような命運を辿るのかも、林明智が見届ける事はない。


 結局、梁山に上ってほどなく天寿を全うした林明智は、確たる答えを得られぬままに九泉(あの世、黄泉の国)の下へ旅立つ事となる。


 無論、今の彼女にはそれも知る由はない。

※1「天が降ってくる」

『列子(天瑞)』。原文は『杞國有人憂天地崩墜、身亡所寄、廢寢食者』。訓読は『杞國(きこく)(国)の(ひと)に、天地(てんち)崩墜(ほうつい)し、()()する(ところ)()きを(うれ)いて寢食(しんしょく)(寝食)を(はい)(廃)する(もの)()り』。「杞の国に『いつか天地が崩れ、住む場所がなくなるんじゃないか』と、睡眠や食事もままならないほど真剣に悩む者がいた」の意。取り越し苦労。つまり「朱仝も似たようなもんだ」と揶揄からかっている。「杞憂」の語源。

※2「一銭たりとも」

当時の貨幣は銅銭。現代日本語のような比喩ではなく、文字通り「銅銭一枚たりとも」。ただし、正式な単位は「(もん)」。「銭」は通称(旧称)。第七回閑話休題「銭や、銭ぃ~」参照。

※3「三公」

各王朝で最高位に位置する三つの官職の総称。三公の概念自体は殷代に誕生したとされ、当時は官職の総称というより、最高位に就いた三人を指して三公と称していたらしい。官職の総称としての三公は周代に始まったようだが、三公とされる官職は王朝によって様々。後漢の頃にはすでに実権を失い、三公は名誉職のような扱いとなった。本文中の頃の三公は「太尉(たいい)」「司徒(しと)」「司空(しくう)」。また同じ頃、三公同様、名誉職のような官職として「太師(たいし)」「太傅(たいふ)」「太保(たいほ)」があり「三師」と総称されていた。

※4「臣を知るは君に若くは莫し」

『春秋左氏伝(僖公七年)』。原文は『知臣莫若君』。訓読は本文の通り。「臣下の能力を最もよく把握しているのは主君である」の意。臣下は主君に見込まれて用いられるのだから、臣下の顔ぶれを見れば主君の器もおおよそ知れる。主君としての資質に欠けた者が賢者を見出せるはずもないのだから、主君を見れば臣下の質もおおよそ知れる。この主君(臣下)にして、この臣下(主君)あり。

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