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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第九回  小将軍 神臂もて妖邪を排し 宋保義 宿魔の性を萌芽せしこと
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帰青

 取り急ぎ荷を纏めて花栄が客間を出たところへ、宋江が宋忠や宋清と共に駆け付けた。


「おお、大郎(花栄)。三郎(宋江)からおおよその事は聞いたが…怪我は無いか?」

「これは義父上(宋忠)、お早うございます。朝からお騒がせしてしまって…」


 花栄の拝礼に、宋忠は返礼もそこそこに、花栄の身体をペタペタと触って無事を確かめる。


「御心配には及びません。あんな流民風情を相手に遅れを取る事はありませんよ。寧ろ私の方こそ深く考えもせず大事にしてしまって、皆さんに御迷惑を──」

「大郎のお陰で事なきを得たというに、何を益体もない事を言っとる。迷惑と言うなら、余程こちらの方が迷惑を掛けた」

「そうだよ、大郎が気に病む事なんて何も無いよ」

「父上、立ち話もなんですから…賢弟(花栄)、あまりゆっくりとは出来んが、広間に席を設けた。出立前に少しでも話そう」


 四人揃って広間へ行くと、作男達が簡易ながらも宴席の支度を整え終えていた。

 主客分かれて席に着くと、まず話を切り出したのは宋江。


「賢弟、急な別れとなってしまったが、次に会う時まで必ず達者でな」

「はい、宋哥もお元気で」

「賢弟、一つ約束をしろ」

「はい。何でしょう?」

「青州に戻っても…いや、金輪際、今朝の事は口にするな」

「え?」

「今朝の件に賢弟は関っていない。見聞きもしていない。その為に屋敷(ここ)を発つんだろう?折角、私が朱・雷両都頭に根回しをし、上手く事が運んだとしても、迂闊に発した一言によって事が露見してしまえば、全てが水の泡となる。それでは今、こうして涙を呑んでまで別れる意味が無いではないか」


 そこへ、ほとほと呆れ果てたといった風な宋忠が割って入る。


「三郎、お前はまた何を恩着せがましい事を言っておるか。そもそも、素性の分からぬあの老人を軽々しく屋敷に招き入れ、騒動の種を蒔いたのは誰だ?挙げ句、質に取られ、何から何まで大郎に片を付けてもらっておきながら、偉そうに『自分が庇ってやるんだから、その苦労を無駄にするな』などと言うでないわ」

「父上。賢弟を巻き込んでしまった責任は重々感じていますが、だからこそ賢弟に罪を被らせるような真似は出来ないではありませんか。何処で誰が聞いているかも分からないんですから」

「兄さんの言う事も分かんなくはないけどさ。だからって、校尉(花毅)にまで話すな、って理屈は無いんじゃない?校尉だって大郎の事を気に掛けてるだろうし」

「今、言ったばかりだろうが。賢弟は今朝の件に関わってもいなければ、見聞きもしていないんだ。それを賢弟の口から語るのはおかしいだろう?確かに青州の義父上(花毅)も、今は遠く離れた賢弟の身を案じておられるだろうが、それが分かるからこそ、余計な御心労を掛ける訳にはいかん」

「そればかりではない。そもそも大郎が青州に戻る必要が何処にあると言うんだ。大郎は昨日まで臥せってたんだぞ?漸く体調が戻ったばかりで、何をまたわざわざ長旅を強いようというのか」


 宋忠や宋清の言葉はどれも正論でありながら、宋江はただ自分の考えを押し通し「とにかくもう決まった事だから」と繰り返すばかり。


 と、見兼ねた花栄が、


「義父上。義父上のお心遣いは有り難く頂戴致しますが、宋哥も私の事を思って帰郷を勧めてくれてる訳ですから。宋哥は衙門に勤め、顔も利きますし、県下の巡捕都頭お二方とも昵懇で、上手く取り計らっていただけるという事であれば…やはり私は宋哥の言葉に従って、青州に戻ろうと思います」

「大郎、無理して兄さんの言葉に従う必要ないんだよ?前にも言ったけどさ、断る時は遠慮なく断ってくれていいんだから」

「何も無理に従ってる訳じゃない。それに夜を日に継いで戻る訳でもないんだから、身体への負担もそうは掛からん。鄆城(ここ)から青州くらいの距離なら体調も問題ないよ」

「ん、んん、まあ大郎がそう言うのであれば、(わし)も無理に引き留めるような真似はせんが…」


 花栄の言葉に渋々ながらも父子(おやこ)は矛を収め、その後は互いの健勝を願って別れを惜しんだ。


 数杯、椀を空けると四人は席を立ち、揃って門へと進む。門にはすでに作男が花栄の愛馬を曳いて待っていた。


 門前まで進むと宋江は花栄の手を取り、


「賢弟。くどいようだが、今朝の事はもう口にするなよ?私も後始末がついて諸々が片付けば、二度と口にはしない。いいな?」

「はい。分かりました」

「私に言われるまでもなく、賢弟はそんな事をせんだろうが、(まか)り間違っても武勇伝として語るような真似などするなよ?」

「はい」


 そこまで念を押すと、宋江は両の瞳からさめざめと涙を流し、花栄の身体に腕を回す。


「賢弟、すまなかったな。私の所為で屋敷を追い出すような形になってしまって…」

「宋哥…宋哥の所為じゃありませんよ」

「賢弟に何事も無く、本当に良かった。向こうに着いたら、済州(こちら)に用向きのある者に文を託して届けてくれ。私も青州に用向きがある者に託すから」

「はい、必ず」


 そう応じる花栄の瞳からも、いつしか涙が溢れている。暫しの抱擁の後、花栄は涙を拭うと、


「義父上。短い間でしたが、下にも置かないもてなしを頂戴して…本当にお世話になりました」

「何を言っとる。三郎は無論、儂の息子だが、その弟となれば、大郎もまた儂の息子ではないか。遠く離れた地に暮らす息子が久方ぶりに顔を見せ、次はいつまた会えるか分からんというに、ぞんざいに扱う親が何処にいるというのか」


 慈愛に満ちた宋忠の叱責を浴び、花栄の瞳からは再び涙が零れ落ちる。それを拭うのを待って、


「大郎、また休みが取れたらいつでもおいでよ」

「ああ、四郎(宋清)にも世話になった」

「今度はちゃんと身体を拭いてあげるからね?」

「要らん、と言っただろうが!」

「何だ、お前達。私の知らないところで、そんな事をしていたのか?」

「する訳ないでしょう!?四郎に揶揄(からか)われてただけですよ!」

「そうか。四郎、後で話がある」

「えっと…俺の方は特に兄さんと話さなきゃなんない事はないかなー」


 別離の憂いを束の間忘れ、四人は互いに笑みを交わす。

 と、宋忠が懐から一通の手紙を取り出して花栄に託した。


「一別以来お会い出来ていないが、校尉にもよしな(・・・)に伝えておくれ」

「父上、それは…」

「心配するな。校尉に頂いた文の礼にしたためておいた物だ。大郎が体調を崩した事も、()して今朝の事など書いてはいない」

「必ず渡します。父も喜ぶ事でしょう。併せて義父上を初め、皆さんから多大な厚意を頂戴した事も必ず伝えます」

「当たり前の事をしただけだと言うておるに…ほんに大郎は生真面目だのぅ。何処ぞの三郎にも見習わせてやりたいわ」

「分かりました。衙門の張三郎(・・・)(※1)に、父上がそう言っていたと伝えておきます」


 再び四人は一頻(ひとしき)り笑みを交わすが、やがて誰からともなくその笑みも消え、


「では…名残惜しいですが、これで」

「ああ…いや、待て」


 宋江と、遅れて宋清も、懐をまさぐって花栄の手に銀子を握らせる。


「餞別だ。持っていけ」

「はいコレ、俺からもね」

「宋哥、四郎も…これから何かと入り用になるでしょう?俺は大丈夫ですから」

「馬鹿な事を言うな。旅に出る弟を手ぶらで送り出す兄が何処にいる」

「もぉ、こんな時まで…こういう時は四の五の言わないで、黙って受け取っとけばいいの!」

「しかし──」

「受け取らないなら、もう賢弟の事を弟とは思わないぞ?」


 最初の内はそれを微笑ましく眺めていた宋忠であったが、やいのやいのと、いつまで経っても銀子が三人の手を行ったり来たりする様子に堪らず見兼ね、


「大郎、受け取っておきなさい。二人の言う通りだ。こちらの事は気にしないでいいから」

「はあ…義父上にもそう仰っていただけるなら」


 と、ようやく銀子は花栄の懐に収まる事となった。


 出立を引き延ばし、引き止める口実も遂に潰え、四人はまた互いに手を取り、身体を抱いて一頻り別れを惜しむ。


「では、皆さん。本当にこれで…」

「ああ。万が一にも、県城からこちらへ向かう両都頭と出くわす訳にはいかんから、見送りに行けないのは心苦しいが…道中、気を付けてな」

「いえ、お気になさらず。義父上もどうかお身体にお気を付けて。御健勝をお祈り致します」

「ああ。いくら体調が戻ったとはいえ、病み上がりである事に変わりはないからの。くれぐれも無理をするでないぞ?」

「はい、肝に銘じて。四郎も次に会うまで元気でな」

「ん、大郎もね」

「ああ。では…」


 深々と拝礼した花栄が面を上げれば、離れ難く去り難く、しかし、いつまでも留まって衙門から両都頭が姿を見せれば、やはり宋江の配慮を無駄にする、と花栄は涙を呑んで馬に乗り、馬上から三人に向けて拱手を捧げると、青州を目指して馬を駆る。


 三人はその姿が砂塵に霞み、地平の彼方に消え行くまで門前で見送っていた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「全く…一体、お前はどれだけ大郎に迷惑を掛ければ気が済むのか」


 花栄を見送り、再び庭へと向かう宋江の背を追って宋忠はボヤく。


「兄弟なんですから、多少の苦労は掛け合ってこそ、ですよ。そう目くじらを立てないで下さい」

「何を偉そうに…大郎がお前に苦労を強いたなどと、聞いた事もなければ見た事もないわ」

「私だって別に、掛けたくて賢弟に迷惑を掛けている訳ではありません!」


 だから迷惑を──


「『だから好きなだけ迷惑を掛けてもいい』とはならんわ、馬鹿者が」


 あ、はい。仰る通りでございます。


「お前に付き合わせていたら、いつか大郎の人生が台無しにされてしまうのではないかと、気が気ではないわ」

「父上、分かりましたから。小言は後にして下さい。それより、四郎。お前──」

「兄さん。小言は後に、じゃなかったの?」

「う…」


 三人は今、死者を弔うために庭へ向かっている。

 無論、儀礼に則ったものではない。


 そもそも宋忠は、無論、宋清も老人の事は何ほども知らない。

 昨夜、僅かに話をして「両浙の生まれで、苛政に耐え切れず鄆城まで流れてきた」と聞いたくらいのものだ。あとは今朝になって宋江や宋清の口から聞いた話が全てで、その宋清とて(いさか)いの場を僅かに見た程度、宋江に至っては今朝の記憶などほとんどない。


 恩を仇で返されれば、誰しも怒りは抱いて当たり前だが、とはいえ宋忠が知り得た、その何ほどもない相手の身の上を思ってみれば、そこに同情の余地が無いでもない。


 食い詰め、追い詰められた者が、幸せだった頃の記憶に似た暮らしを目の当たりにすれば、それを手に入れたいと出来心を抱く事もあろう。

 他人の暮らしを勝手に覗き、勝手に魔が差し、勝手に欲して、勝手に押し入った、というのでは同情もへったくれもないが、少なくとも今回の件は、縁も所縁もない家の暮らしを、頼まれてもいないのに勝手に見せつけたのは、他ならぬ宋江である。


 だから義理も恩義も踏みにじっていい、という事では決してないにせよ、せめて板塀に打ち付けられた遺体を地に下ろし、成仏を祈るくらいは、と宋忠が思い立った。


「父上、本当に御覧になるんですか?あまり…どころか、とても気分のいいものではありませんよ?」


 庭を前にして宋江は念を押す。三人の位置からはまだ、折れて打ち捨てられた矢と、椚の背後から羽房が僅かに覗くのみ。


「構わん。儂はここの主だ。家人が招いた不始末に目を背けてどうする。寧ろお前がその不始末を招いた張本人であろうが。お前が率先して──」

「あー、分かりましたから!」


「別にこのまま衙門へ引き渡したところで、何の咎めを受ける訳でもないというのに…」とか何とかブツブツ愚痴を零しながら宋江が庭に出て、宋忠、宋清が後に続く。


 椚の側まで近寄れば、打ち捨てられた矢には人を貫いた証が赤々と残り、椚の根にもその周囲にも、鮮やかな血潮がくっきりと印されていた。


 逡巡したように宋江は立ち止まる。


「三郎…」

「別に何でもありません!」


 そう強がって、フッと一つ息を吐くと、宋江はじりじりと椚の背後に回り込んでいく。


「…?」


 じりじりと、じりじりと…


「…!?」


 花栄の放った二の矢がその姿を現す。


 (やじり)が板塀を射抜き、矢柄(やがら)(※2)が板塀に埋もれているところまではっきりと──


「馬鹿なっっ!!!?」


 そこには有って然るべき物が無かった。


 二の矢に有って然るべき証も、板塀に飛び散っていて然るべき印も。


 物言わぬ亡骸も。


「馬鹿な…そんな馬鹿なっ!!あの時、確かに大郎が…こんな筈はない、一体どういう事だコレはっ!?」


 尋常ならざる宋江の様子に、椚の裏を覗き込んだ宋忠と宋清の目にも、やはりただ板塀に突き刺さる一矢だけが映る。


「兄さん、どういう事?」

「…分からん」

「『分からん』とは何だ。何も無いではないか」

「私にも分からないんです!こんな筈は…」

「お前、まさか夢でも…ああ、いや、大郎までもが言うくらいなのだから、さすがにそんな事はなかろうが」


 尚も呆然と「おかしい、こんな筈は…」と繰り返す宋江を尻目に、宋忠が周囲を見渡せば、そこかしこの証から、ここに誰かが居た事は容易に察せられる。

 しかし、今ここに居ないのであれば──


「これでは、いよいよ大郎が青州に戻る必要など無かったな」

「…逃げた事にしましょう」

「…何?」


 思わず聞き返した宋忠の前で、宋江は一心に板塀の矢を見つめている。


「三郎、どういう意味だ?まさか大郎に罪を(なす)り付けようと言うのでは──」

「そうではありません!奴の亡骸が今ここに無いのですから、朝、起きた時には既に逃げてしまっていた事にすれば…大郎には念を押してありますし、今朝の事は二度と口にしないでしょうから、あとはこの矢さえ埋めるなり燃やすなりしてしまえば、最初から居なかった事に──」

「待て待て、三郎」


 まるでトンチンカンな理屈を、どこぞのヘッポコ策士と同じように、宋江は目を輝かせて語る。片や宋忠は、呆れるやら情けないやらといった感じで、開いた口が塞がらない。溜め息と共に、右手で顔を覆うと、


「何を言っとるんだ、お前は…」

「何故です?これ以上の良案はありませんよ?」

「あるわ。朝にはもうあの老人が姿を晦ませていたと言うのなら、この血痕は誰の物で、どうやって出来た?」

「こんな物は洗い流してしまえば分かりません」

「今朝この場に老人が居なかったという事は、つまり『あの老人は飯と寝床を施された我らに、礼も挨拶も無く人知れず屋敷を出た、厚顔無恥の恩知らずだった』という、ただそれだけの話になるではないか。お前が質に取られ、大郎が居なければ、あわや命まで取られようかという目に遭いながら、それに目を瞑り、口を閉ざすと言うのか?」

「あ…」


「あ…」じゃねえわ、このヘッポコめ。


「で、では、父上はどうされよと言うのですか?」

「どうもこうもないわ。有りのままを両都頭に話して相談に乗ってもらえば、それで済む話であろうが」

「しかし、有りのままを話せば、賢弟が奴を射殺したという事実が、事実として残ってしまう事に──」

「ならんわ。遺体も無いのに『射殺した』も何もあるか」


 嘘をつく、という行為はなかなかに難しい。

 いや、ただ嘘をつくだけなら誰でも、容易に、いくらでもつけるが、それを「つき通す」となると、これが難しい。


 事実を捻じ曲げた話には必ずどこかで齟齬が出て、その辻褄を合わせようと更に嘘をつけば、新たな嘘によってより大きな齟齬が生み出される。出発はほんの些細な嘘であったとしても、そうしてどんどん嘘を重ねていく度に、現実との乖離は際限なく進んでいくのだから、いずれ口先では取り繕えない、巨大な齟齬に成長してしまうのも時間の問題だ。


 笑い話や冗句として、最初からバレる前提の嘘ならともかく、つき通そうと思って嘘をつくのなら、まずはそうして現れる全ての齟齬を想定し、その齟齬に対する一片の矛盾もない言い訳を、最初の嘘をつく前から予め用意しておく必要がある。必要に迫られ、慌てて用意した言い訳など、大概は矛盾を孕んでいて使い物にならず、むしろそんな言い訳によって嘘がバレる事も多い。


 逆に「予め用意した言い訳を使わないのはもったいない」と、使わなくてもいい場面で使い、自ら墓穴を掘る事も往々にしてあるものだが、いずれにせよ、使うかどうかも分からない、ありとあらゆる言い訳を考えるのだから、途方もない労力を要する事に変わりはない。


 というか、そもそも後になって現れる、齟齬や矛盾の全てを予見できる人間からしてまずいない。少なくとも常人にとっては、ほとんど不可能と言ってもいい。

 その不可能を可能にしようと、途方もない労力を掛けるくらいなら、最初から嘘などつかない方が遥かにマシだ。


 ほんの些細な嘘が出発点でもそんな按排なのに、宋江は「花栄が射殺した老人」を「そんな老人は最初から居なかった」事にしようと言う。もはや「ほんの些細な嘘」どころの騒ぎではない。

 まして宋江自身が「両都頭に頼めば大概の事は何とかなる」と言い放つくらいなのだから、どう考えても宋忠の主張の方が正しい。


 では、それに対するヘッポコさんが、どれほどの労力を掛けて己の主張を紡ぎ出したのかといえば、


「うーん、兄さんの言う事も分からなくはないけど…」

「四郎、お前までまた何を言い出すのか!?」

「いや、ほら、こんな御時世でしょ?あんま得体の知れない術を使うような人を吊るし上げちゃったりすると、後でどんな言い掛かりを付けられるか分かったもんじゃないしさ」

「…!そ、そうですよ、父上!万が一、相手が高名な道士だったら、後でどんな面倒に巻き込まれるか…」


 …お前、小将軍に向かって、あんだけ偉そうにベラベラ語ってたクセに、忘れてやがったな?


「遺体が在るなら正直に言うのもアリだと思うけどさ、現に遺体が無いんだし…遺体も無いのに『大郎は確かに人一人を射殺した、その上でそれをなかった事にしてくれ』っていうのは、さすがにちょっと突飛が過ぎるかなー、って」

「…!!そ、そうです、父上!恩を仇で返された父上のお怒りも分かりますが、特にコレといった被害も無かった訳ですし、理屈は分からずとも、現にこうして亡骸が消え失せてしまっているのです。これを利用しない手はありません」


 労力もへったくれもねーな!?四郎におんぶにだっこじゃねーか!


「と、とにかく、これは天の幸いです。我々さえ怒りを呑み込めば、それで大郎の名誉は守られる訳ですから。私の言う通りにしましょう」

「ん、んん…」

「お前もそれでいいな、四郎」

「まあ、質に取られて危ない目に遭ったのは兄さんだしね。兄さんが良くて、大郎が巻き込まれなくて済むなら、俺は別にいいんだけど」

「よし!話は決まったな」


 だから「よし!」じゃねーわ…何が「私の言う通り」だ。さも自分の手柄みてえな顔しやがって。


「四郎。ちょっと県城まで使いに出て、今日は欠勤すると衙門に知らせてきてくれ」

「えぇ~…俺がぁ?」

「欠勤すると言っているのに、私が行く訳にはいかないだろうが。他に馬を操れる者もいないし」

「俺だって普段からそんなに馬に乗ってる訳じゃないよ?」

「お前が一番マシだよ。いいから行ってこいって」


 何で世の中の「おんぶに抱っこをさせる派」の方々は、揃いも揃って態度がデカいのか。もっとこう謙虚というか、下手に出ても良さそうなものだが。

 ああ、態度がデカいから平気な顔で他人におんぶに抱っこさせるのか。まあ何にせよ、させられる方は堪ったもんじゃない。


 可哀想に…


 渋々、衙門に向かった宋清を見送りもせず、後始末に取り掛かった宋江は、板塀から矢を引き抜き、折れて二つになった矢と共に、草木が繁った辺りに穴を掘って埋めてしまった。

 宋忠は作男らと手分けして椚や周囲を丁寧に水で洗い流し、血痕の付いた地面を軽く掘り返して隠れるように埋め直す。


 手早くそれらをこなし、まずまず格好がついたところで、宋忠は「やれやれ…」と腰を叩きながら身体を起こすと、思い出したように、


「ところで…結局その老人は、お前を質に取ってまで何をしようとしてたんだ?何か要求のようなものがあったんだろう?」

「…さあ?」

「『さあ』!?」

「ああ、いえ、朝廷に怨みを抱いてはいたようですが、それで何故、私を質に取ったのかと聞かれても…」


 その時、遠く馬蹄の響きが二人の耳に届く。


 みるみる近付くその響きは、丁度、屋敷の門前辺りに至ったところで、馬の嘶きと共に止まった。

※1「張三郎」

『水滸伝』に登場する宋江の同僚。名((いみな))は文遠。作中では「遊郭通いが好きな、粋で遊び人の色男」と紹介されている。

※2「矢柄」

矢の鏃を除いた部分。或いは鏃と羽房を除いた部分、つまり「棒」の部分のみを指す事も。ここでは後者。

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