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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第八回  晁保正 東渓村に天王と成りて 宋時雨 行客の老叟に魅入らるること
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四戯大火

「四戯大火」

造語。「戯」は「ふざける」「揶揄(からか)う」、「火」は「怒る」。それを踏まえた上で本文をお読みいただければ、あえてここで意味を書く必要もないかと思いますが、いくら造語といっても、文法的な事やら何やら含め、果たしてこれで言葉として成立してるのかどうかは定かではありません。中国語を話せないなりに調べてはみたんですが。

 宋江と老人が宋家村に入ったのは、とっぷりと日も暮れてからの事だ。


 就寝間際だった宋忠に老人を引き合わせて事情を説明すると、宋江は宋清に食事の支度を頼み、老人と共に遅い食事を摂った。


 食事の支度が一段落つくと、宋清は湯を持って客間へ向かう。


大郎(たいろう)、入るよ?」


 一声掛け、返事も待たずに宋清が戸を開ければ、寝台に腰を掛けた花栄が呆れ顔を浮かべている。


「お前なぁ、せめて返事を待ってから戸を開けたらどうだ?」

「俺と大郎の仲じゃない。気にすんなって」

「『気にすんな』は俺の台詞だろ」

「そう?じゃ、次からは遠慮なく──」

「『そう?』じゃない、気にしろよ」

「えぇ~、どっちだよ…」

「気にしてヘコんでるお前に、俺が『いいよ、気にすんな』って声を掛けるのが普通だろ?って意味だよ」


 その言葉を聞いた宋清は、花栄の面前に湯桶を置いて胡坐を掛くと、すっと顔を曇らせて花栄の顔を見上げた。


「…大郎」

「何だよ?」

「俺は悲しいよ…」

「…何が?」

「そんな噛んで含めるような言い方しなくたってさ、俺だってもう子供じゃないんだから、それくらい分かるよ?」

「あ、いやスマン、分かってるなら…」


 小将軍…そんな屁理屈に丸め込まれて謝っちゃいかん。


「…ん?いや、分かってるなら気にしろよ!」

「分かってて言ってるのにさ、まさかそんなマジ口調の解説が返ってくるとは思わなかったよ。はぁ、嘆かわしい」

「コイツ…」


 反省の色もなく、じっとりと向けられる花栄の視線など、それこそ気にする様子もない宋清は、ケラケラと笑いながら桶に浸けた手拭いを絞る。

 それを()手繰(たく)るように奪い取った花栄であったが、


「あっ、何だよもぉ~。折角、俺が大郎の身体を隅から隅まで拭いてやろうと思ってたのにぃ~…」

「要るか。身体を拭くくらい一人で出来る」

「ええ~、つまんないなぁ」

「止めろ、馬鹿。お前が拗ねたところで可愛さの欠片もない」


 相も変わらずケラケラと笑う宋清に、花栄も僅かに口元を緩めて身体を拭く。


 小将軍。

 仲がよろしいのは大変結構な事ですが、どこぞの仙女サマの目に留まると、無駄に興味を惹いてしまうかもしれないので、是非ともその分別を忘れないでいて下さいね?


「けど、良かったね。だいぶ体調も戻ってさ。もう何日かゆっくりすれば、すっかり元通りじゃない?」

「ああ、義父上(ちちうえ)(宋忠)と宋哥(宋江)の手厚い心遣いのお陰だ。感謝の言葉も見つからないよ」

「えぇ~?俺は~??」

「だから拗ねるな。お前はただ俺を揶揄って、楽しんでただけじゃないか。大体、そういう事を自分から聞くか、普通?」

「いやいや、俺だって何かとお世話したじゃない。今だってこうして湯を持ってきたんだしさぁ」

「分かった分かった…感謝してるよ、四郎(宋清)にも」


 一瞬、満足気に相好を崩した宋清であったが、花栄から受け取った手拭いを桶で洗いながら「キュピーン!」と目を輝かせる。

 さすがに花栄もすぐに気付いた。絞った手拭いを手に、爛々と目を輝かせながらにじり寄ってくる宋清に顔を引き攣らせていると、


「もぉ~、素直じゃないなぁ、大郎は」

「うるさい、感謝してやっただけ有り難いと思え。っていうか、お前、何か(ろく)でもない事を言おうとしてるな!?」

「いや、大郎が素直に感謝出来るようにさ、今からでも全身余す所なく、徹底的に拭いてやろうかと──」

「要らん、とさっき言ったばっかだろうが!」

「ホントにぃ~?嫌がってるフリして、実は強引に拭かれるの、ちょっとぐらいは期待して──」

「ないわ!おい、四郎。お前もう二・度・と湯を持ってくるなよ!?俺もだいぶ身体が動くようになった。明日からは自分で借りに行くからな!」


『うむ、ジミ男×イケメンか。ベタと言えばベタじゃが、まあ、これはこれでなかなか…』


 ハッ!?どこからともなく声が…??


 ま、仲良き事は善き事哉、とか言いますしね。仲が悪いよりはよっぽどいいと思いますが。


「それより、何か慌ただしい気配がしたが…こんな頃合いに客か?」

「ん?ああ、兄さんのいつものアレだよ」

「いつものアレ?…ああ!」

「別にダメとは言わないけどさぁ。大郎がいる間くらいは控えればいいのにね」


 まあ、奴のアレは見境がないからな。


 っていうか、四郎さんよ。

 そうやって甘やかしてるから、あんな風に仕上がっちゃったんじゃないのかね?ダメな時はダメって、はっきり言わなきゃ。


「宋哥の仁恵はちょっと度が過ぎてるからな。まあ、そこが宋哥の長所でもあるんだが」


 小将軍も!


「で?顔馴染みか?」

「んーん。全然知らない人」

「じゃあ、宋哥の顔馴染みか…」

「兄さんも全然知らないみたいよ?」

「おいおい…」

「しょうがないじゃん、俺が連れて来た訳じゃないんだから。もう家に入れちゃったんだし、今更追い出せないでしょ?」


 そんな事もないと思うが…


「別にそんな事はないだろう。もし、相手が賊の一味か何かで、この屋敷を狙って宋哥に取り入ったとかだったら大変な事だぞ?」

「それはないんじゃないかな」

「何で?」

「両浙の生まれなんだってさ」

「両浙!?両浙の生まれが何でまたこんなトコに…?」

「大郎。『こんなトコ』って事はないんじゃない?こんなトコでも俺の故郷──」

「そういう話をしてるんじゃないだろ…」

「違う違う」

「…んん?」


 苦笑を浮かべ、宋清は立てた右手の人差し指を顔の前で二、三度揺らす。

 その意図が分からず、花栄は怪訝な表情を浮かべるが、


「今のは『お前だってこんなトコって言ってるじゃないか!』が正解♪」

「何を下らん事言ってんだ、お前は。真面目な話をしてるんだぞ?」

「あはは、ごめんごめん。俺も食事の支度の合間に、ちょこっと挨拶を交わした程度で、ちゃんと話を聞いた訳じゃないんだけどさ、何か『花石綱の所為で故郷に居られなくなった』みたいな事言ってたよ?大郎、花石綱って詳しく知ってる?俺、名前をチラっと聞いた事がある程度なんだよね」

「ああ、まあ俺も噂に聞いた程度だが」


 花栄や宋江のような官に仕える身であれば、例えば現職の異動によって各地の官僚が着任してきたり、或いは自身が公務で任地外へ出る事もあり、長らく同地に留まっていたとしても、各地の情報は比較的、耳に入り易い。


 一方、旅人を相手にしている宿や、宋国中を股に掛ける行商人のような生業ならともかくとして、宋清のような市井の者が、官に仕える身よりも遠地の噂に暗いのは必然といえば必然である。

 そして今、将に遅ればせながら、花栄を通じて宋清の耳に届いたという訳だ。


「ふーん、そりゃ酷いね」

「俺も直接この目で見た訳じゃないから、真偽のほどは定かじゃないがな」

「ホントならお気の毒さまだけどさ、いくら故郷を追われたからって、わざわざ両浙からこんなトコまで足を延ばして()()したりはしないでしょ」

「お前って奴は…」


 軽く溜め息を零した花栄は右手で顔を覆う。

 寝台から降り、宋清に額を近付けて声を潜めると、


「そんなものは口先一つでどうとでも言えるじゃないか。それが信用の担保になるか」

「…あー、ビックリしたぁ」

「何が?」

「すっごい真面目な顔して迫ってきたから、そのまま『チュッ♡』ってされちゃうんじゃないかと──」

「するか!」

「ってゆーか、別に俺その人の事、信用してる訳じゃないよ?いくら何でも碌に話してもない相手を、いきなり信用したりなんかしないよ。まあ、兄さんはどう思ってるか知らないけどさ、なーんか俺は胡散臭いような気がするんだよねぇ」

「それを宋哥に言えば──」

「思わないね」


 相変わらず切れ味鋭い全否定をカマした宋清であるが、不安気な花栄を余所に、宋清の表情にそんな様子は微塵もない。


「大した根拠もないのに、ただ『何となく胡散臭い』ってだけじゃ、招いた手前、兄さんだって『出てけ』とは言えないよ」

「その割にお前は随分と落ち着き払ってるじゃないか?」

「まあ、兄さんだって会った途端、有無を言わさず連れてきたって訳でもないんだろうし、話を聞いた上で家に入れても大丈夫だと思ったんだから大丈夫でしょ」

「それはまあ、そうかもしれんが…」

「それに今は大郎がいるじゃない」

「ん?」

「大郎なら賊の10人、20人を相手にするくらい余裕でしょ?」

「あのなぁ…」


 何ともまた清々しいまでの丸投げだ。

 さすがの花栄も、これには危うく「もう腰の鉄扇など手放してしまえ」と言い掛けて、ギリギリのところで何とか踏み止まった。


 確かに屋敷には花栄が身に帯びてきた弓も矢もある。宋江が手慰みに振っている鎗棒(そうぼう)もある。


 賊が10人20人と徒党を組んで押し寄せてきたとしても、門を固く閉じ、花栄が迎撃の前面に立てば、寄せ集めの賊など何ほどの事もなく撃退できるはずだ。

 塀を乗り越えてくる者は射抜き、仮に侵入を許したとしても、花栄の鎗に敵う者などそうそういない。


 それは確かにそうなのだが、だからといって、こうも迷いなく丸投げされては、花栄だって苦い思いを禁じ得ない。


 嫌だと言うのではないし、むしろ事が起きれば、言われなくても先頭に立って死力を尽くすつもりではあるのだが、花栄がどうこうの前に、自分の家が危機に瀕するかどうかの瀬戸際でありながら、あまりに覇気の感じられない宋清の言葉が花栄には歯痒くもあり、また情けなくもあった。


「せめて『俺も一緒に迎え撃つ』くらいは言えないのか?」

「何言ってんの。俺みたいなのが斬り合いの場に居たら、却って大郎の足を引っ張っちゃうよ」

「そこまで卑屈になる事はないだろ」

「卑屈じゃなくて実力を弁えてんの!自分の力を過信して分不相応な事を考える奴は、碌な末路を辿らないよ。大郎だって分かってるだろ?」


 もし、禁軍に籍を置く者が宋清と同じようなセリフを吐こうものなら、それこそ花栄は「武官など辞めてしまえ」と言い放っていた事だろう。しかし、それは武に生きる者の理屈だ。


 家を守り、土を弄って生きると決めた宋清にその選択肢はない。


 他に頼る者がなければ、宋清だって家屋敷を守るために賊と対峙する覚悟も持てよう。だが、自分よりも遥かに腕が立つ花栄が側にいるからと、いい気になって面白半分に武官の真似事をしたとて、そこにはリスクしかない。

 一生残る傷でも負えば悔やんでも悔やみ切れず、まかり間違って命を落としでもすれば、いっそ物笑いの種として永劫語り継がれる事になる。


 分不相応な行動を取る者は碌な末路を迎えない。少なくとも宋清は固くそう信じている。

 その信念に基づいた言動が傍から賢明に見えるか、慎重に見えるか、或いは臆病に見えるかは知らないが、そんな事は宋清の知った事ではない。


 だから頼れる者を頼る事に、宋清は全く恥じ入るところがない。自分にとってそれが分相応であると信じているからこそ、たとえ花栄に小言の一つや二つもらったところで改める気もない。


 驕らず、自惚れずに生きる事が分相応であると自戒するために、周囲から「役立たず」と陰口を叩かれるのを承知で鉄扇を持ち歩いているのだ。

 花栄にしてみれば「そんな意気地のない事を言うのなら鉄扇など捨ててしまえ」という事なのだろうが、宋清が自らの意思で鉄扇を手放すとすれば、それは賊と対峙する花栄の横に、進んで並び立とうと決意を固めた時にこそである。


「まあ、どっちにしろ今日一晩だけの事みたいだから。そんなに心配する必要もないでしょ」

「…?何で『今日一晩だけ』だって分かる?」

「顔を合わせた時に『今日一晩だけお世話になります』って言ってたからね。明日、兄さんが勤めに出るのに合わせて屋敷(ここ)を発つんじゃない?」

「お前…」


 がくっと脱力し、のそのそと寝台に戻って腰を掛けた花栄は、宋清に恨みがましい視線を送る。


「先に言えよ、それを!お前と話してると疲れる。一人で(いき)り立ってた俺が馬鹿みたいじゃないか…」

「あれ?らしくないなぁ…」

「何が!?」

「大郎なら『一晩だからって油断するな』とか言うと思ってたのに…」


 はぁ、と溜め息を一つ零すと、花栄は再び右手で顔を覆い、両のこめかみの辺りを指でほぐす。手を下ろすと幾分すっきりした様子で、


「なあ、四郎」

「ん?何??」

「お前、俺を安心させたいのか?それとも一晩中、気を張り詰めさせてたいのか?」

()だな、大郎。さっきから言ってるじゃん」

「…何を?」

「相手が賊であろうとなかろうと、大郎が気にするほどの事じゃないから、ゆっくり休みなよって」

「いつ言った、そんな事!?」

「言ったよ?最初っから思い出してみ?」

「……??」


 口元に手を当て、宋清が部屋に入ってからの言葉を頭でなぞっていく花栄であったが、一向に思い当たる節がない御様子。


 そりゃそうだ。何となく似たような事なら言ってたけど、そんな事言ってないもんww


「いや、言ってないだろ!?」

「あ、そうだ」


 パンッと一つ手を打った宋清が再び目を輝かせる。


「おい、聞けよ。いつ言ったって?」

「大郎がゆっくり休めるように、今日は俺が添い寝して、ずっと頭を撫でてあげよっか?」

「分かった。お前は安心でも緊張でもなく、ただ俺を疲れさせる為に来たって訳だな?そうなんだな??」

「違うってば。大体、何で頭を撫でられてる大郎が疲れるのさ。疲れるなら寧ろ俺の方だろ?」

「何で一緒に寝るのはもう決まってるんだよ!?」

「でも、そうか。いくら病み上がりだからって、一緒に寝てて大郎がその気になっちゃったら、非力な俺なんて抵抗のしようがないんだよね…」

「『その気』って何だ、おい!?」

「大郎もずっと寝てて体力が有り余ってる訳だし、俺はそれを発散する為の道具みたいに扱われちゃうんだろうなぁ。で、俺はもう足腰立たなくなるくらい疲れ果ててんのに、大郎ってば全然許してくんなくってさ。欲望の赴くままに、我を忘れて延々と俺を──ああ、可哀想な俺…」

「そうか、良し。じゃあ、お前を可哀想じゃなくしてやる」

「えっ!?じゃあ…優しくしてね?」

「出てけっ!!」


 室を追い出される羽目になってもまだ宋清に悪びれた様子は更々なく、ケラケラと笑いながら桶を持って廊下に出ると、


「大郎、一人が淋しくなったら、いつでも呼んでくれていいんだよ?」

「誰が呼ぶか!」

「あはは、照れちゃってぇ。じゃ、お大事に~」


 と、最後まで存分に花栄を揶揄って去っていった。


「全く、あいつは…」


 深い溜め息をつくと、花栄は思い立ったように寝台に腰を掛けたまま腕を伸ばし、身体を捻る。


「もう明日には元通り動けそうだな…っていうか、これ以上、四郎の悪ふざけに付き合ってられん」


 そう独りち「少し早いが…」と室の灯りを落として、眠りに就いた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 不意に花栄は目を覚ます。

 室は暗い。


 別に夜中に目を覚ますくらいなら誰しも経験がある。

 が、何故か花栄の胸中に得も言われぬ不安が沸き上がった。


 外では庭の(くぬぎ)がざわざわと枝を鳴らしている。

 それが妙に気になり、うっすらと室に差し込む月明かりの中、花栄は寝台を下り、室を出て庭を眺めた。


「風か…」


 庭にも、そして屋敷の中にも、人の動く気配はない。


「四郎があんな事を言うから…」


 そう零して花栄は再び室に戻り、寝台に上がる。


 微睡みの中、不意にとある事が思い出された。



【そういえば、客の風体を…聞きそびれたか…】



 それを得体の知れぬ不安の答えとして、花栄は再び意識を手放した。


 結論から言えば、それ()正解である。その上で、武に生きる花栄は自らの直感にもっと注意を払うべきだった。


 そして、今こそ花毅の言葉を思い出すべきだった。


『物事の本質をしっかり見極めろ』


 即ち、花栄の身を案じて頑なに下宿に戻る事を拒んだ宋江が、この夜、遂に顔を見せなかったという事実の本質を──

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