官吏=官と吏
城門を出た宋江は、老人を乗せた馬を曳きながら鬱々と歩を進めた。
いかに胥吏が国家の禄を食んでいないとはいえ、顔馴染みからは「押司」と肩書きをもって呼ばれ、そうでなくとも衙門に勤めてる事が知れれば「お役人」と呼ばれる身である。
朝廷の施策によってどれだけ民に不満が溜まろうと、どれだけ民が困窮しようと、所詮、一介の押司が口を挟む事など出来はしない。まして陛下の詔ともなれば、それに異を唱えるなど、畏れ多いを通り越して僭越極まりない。
それは確かにそうなのだが、そして山東で生まれ育った宋江には、縁も所縁もない地の話ではあるのだが、それでもやはり官と民のどちらかで言えば、紛れもなく「官」の立場である宋江は、虐げられた両浙の民の話を耳にし、複雑な思いを禁じ得ないでいる。
【一体、主上(今上帝・徽宗)は何を考えておられるのか。
古人の言葉にも『民は国の本。本、固くして国は寧し』(※1)とあり、また『民を貴しと為し、社稷これに次ぐ』(※2)ともある。
風聞を頭から鵜呑みには出来まいが、といって現にこの老人のように故郷を捨てる者が出てる以上、両浙の話を「ただの噂」と笑って済ます事も出来まい。
民心の離反は、即ち亡国の兆し──わざわざ古人の言葉を引き合いに出さずとも、そんな事は明々白々だというのに、何故、主上は民の苦難を顧みられないのか。これでは遠からず乱が興ってしまうぞ。
そしてまた、主上の側近くに仕える宰執達は何をやってるんだ。いかに主上の思し召しとはいえ、御心が正道を外れた時は、それをお諌め申し上げるのが真の忠臣というものではないか。
何故、唯々諾々と主上の思うがままにさせてるのか。
一体、朝廷の中枢はどうなってしまったんだ…】
「如何なさいましたか?」
「ん?ああ、いや、少し考え事を…」
ぽつぽつと会話を交わし、交わす度に宋江の胸に苦いものが沸き上がる。
【何ともキツい目だ…】
老人の言葉遣いは仰々しいまでに慇懃で、態度も空々しいまでに謙虚でありながら、眼差しにはそれらが微塵もない。
精気だけは異常に宿しながら、まるで感情が欠落してしまったかのようでもあり、睨み付けるようでもなく、射竦めるようでもなく、それでいて、ふとした瞬間に、覆い隠した心の奥底にある敵意や悪意のようなものが現れ、すぐにまた消える。
それが腹立たしいというのではない。
その目の理由が、宋江には何となく理解できる。
衙門に勤め、住民から「お役人」と呼ばれはするものの、正規の役人ではない胥吏は、言ってみれば「官」と「民」を繋ぐ存在である。民から訴え事があれば胥吏を通って官に伝わり、官からの布告があれば胥吏の手によって民に伝えられる。
しかし、それでいながら大抵の胥吏達は民に目を向ける事がない。
目を向ける必要がないからだ。
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朝廷の命によって宋の各地に赴任する官僚──知府州(知府や知州)や知県などは、過去に任用された地に再び赴くとか、縁故のある地に赴任するといったような場合でもなければ、赴任先の事については何ほども知らない。
理由はいくつかあるのだが、まず、そもそもの問題としてこの国は広すぎる。
当然、その広大すぎる国土は、多大な生活習慣の違いを齎す。
仮にこの国に縁も所縁もない異国の者が、地図も持たず、何の予備知識もないまま国中を見聞すれば、知らぬ間にどこかで国境を越え、いくつかの国を旅したのだと勘違いするのではあるまいか(※3)。
そんな例えもあながち大袈裟でないほどには、この国には多種多様な風習が存在する。
北の端と南の端、東の端と西の端に至っては、言葉は元より冠婚葬祭や商いの慣習、気候や産物、住民の気風などなど、生活のありとあらゆる面が違う。
その膨大な風土の違いを予め頭に入れておく事など、はっきり言って不可能である。そしてまた、はっきり言って時間の無駄である。
所詮、生涯で赴任する地などたかが知れているのだから、多大な労力を費やして知識を得たところで、その圧倒的大多数と、何より費やした時間の大半はドブに捨てたも同然だ。
そもそもの話をした上で、更に身も蓋もない話をすると、官僚というのは為政者でありながら、民のためにある存在ではない。より正確に言うと、民のためにあるべき存在ではありながら、民のために官僚を目指す者などまずいない。
ほぼ全ての官僚と、ついでに言えば、現に官僚を志している、ほぼ全ての者達の志望動機ははっきりしていて、第一には自身の富と名声があり、第二にその富と名声を当て込んだ一族の期待がある。第三以下はない。
それを臆面もなく言い放つ者もいれば、世間体を気にしたものか、そんな輩に眉を顰めつつ、清廉を気取って「天下国家のため」やら「天下万民のため」やらと、聞こえのいい建前を吹聴する者もいるのだが、正直どっちでもいい。
どれだけ綺麗事で言い繕おうと、どれだけ耳触りのいい言葉を並べようと、建前の耳触りなどいいに決まっているのだから、それならいっそ遠慮なく本音を言い放つ者の方が、耳には障るがよほど潔い。
官僚になるためには「科挙」と呼ばれる登用試験を避けては通れないが、その倍率は甚だ高く、一族の期待を背負って幼い頃から勉学に励んでいながら、何年も、時には十数年も、或いは何十年にも亘って落第を続ける者もいる。
それでも尚、官僚を目指す者は後を絶たないのだから、官僚という職が、いかに人間の虚栄心や権勢欲をくすぐる存在であるかが窺い知れようというものだ。
そんな按排であるから、官僚にとって何よりも優先されるのは出世──かと思いきや、実は保身である。
一口に「官僚」と言ってもその地位にはピンからキリまであり、当然、官僚人生はキリから始まる訳だが、キリであろうが、出世を果たしてピンになろうが、本質的にはあまり変わりがない。
官僚の世界に飛び込めば、もちろん周囲には官僚しかいない。
そして、飛び込んだ本人がそうであるように、周囲もまた自身の富と名声を求め、一族の期待を背負っているのだ。
そんな金と権力の亡者達の前で露骨に野心を曝け出せば、どんな言い掛かりを付けられて足を引っ張られるか分かったものではない。
だから、苦労して官僚となった暁に何よりもまず優先されるのは、自分より権力を持つ者に媚び、その時点で得られる富を全て差し出してでも、自分の座る椅子を守るための盾を手に入れる事だ。後ろ盾もないまま、馬鹿みたいに誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けるような真似をしている場合ではない。
首尾よく庇護者を得られたところで、いよいよ出世に打って出るのかといえば、それも違う。
嵐の中で傘を持っていても、差した傘の下にいなければ意味がない。出る杭は打たれると言うが、調子に乗って魑魅魍魎が蠢く嵐の只中へ飛び出せば、吹き荒ぶ嵐によってズブ濡れになるのは自分だ。
一度、濡れネズミとなった者を、その雫で自分達の身体を濡らしてまで拾おうとする物好きはいない。元々入っていた傘へ戻るなど論外である。
青州の慕容知州がいい例で、そこら辺の有象無象などとは比べ物にならないほどのドデカい傘を持つ彼は、その傘の力のおかげで、すでに自身が傘となって縋ってくる者を守れるほどの権力を得てはいるものの、しかし、決して自分が入っている傘を蔑ろにするような真似はしない。
同じ傘の下に入る者と共に、そして傘としての自分を頼ってくる者と共に、必死で自分の入る傘を支え、その傘をより強固な天幕とするべく力を尽くし、何よりもまず手に入れた地位と権力を守る事を第一としている。
野心を曝け出す心意気は潔いかもしれないが、それが許されのは、もはや自分が収まる傘がないほどの権力を得た者か、ヤるかヤられるかの瀬戸際──つまり、すでに他から喧嘩を売られ、雨に濡れてでも相手を倒さなければ座して死を待つばかり、といった事態にまで追い詰められた者ぐらいである。
徒に胸の内を曝け出すのは、よほど自分の才覚に自信を持つ秀才か、さもなくば「馬鹿みたい」ならぬ、正真正銘の馬鹿だ。
ちなみに、ここで言う傘は庇護者の事で、慕容知州の傘とは今上陛下の愛妾・慕容貴妃の事だ。
慕容知州のアレがナニしてドデカい傘になっちゃう訳でも、その傘がドデカい天幕を張っちゃう訳でもない。
ともあれ──
故に彼らは待つ。
自らよりも強大な権勢を誇る者の「敵失」を。
キリとして権力の傘の端にいる者は、より傘の中心に近く、権力の恩恵に与っている者が──
ピンとして権力の傘となっている者は、他人の傘と成るほどに権力を得ている者が──
何かの拍子に躓いて見せる隙を、或いは自らが矢面に立たないよう、陰で仕組んだ罠に掛かった相手が見せる隙を虎視眈々と窺う。野心を晒すのなら、躓いた相手を仕留められるという確信を得、襲い掛かる時を迎えてからだ。
機を見て一気呵成に相手を攻め立て、そして首尾良く相手を葬り去れば、再び人畜無害な顔をして次の獲物を待ち構える。
そうして常に権力者の顔色を窺い、競争相手の粗を探し、保身と出世の事しか頭にない大多数の官僚達が、民の都合など考える訳がない。考える余地もない。考える必要もない。
考える理由も、余地も、必要もないのに、民の都合を慮った政を為す者は、よほど毛色が変わった珍しいタイプの官僚であって、例えば済州のお隣、鄆州の陳文昭知州は公明正大、清廉潔白、忠孝の志は篤く、仁愛の精神は深く、その博識は李白や杜甫に並び、品行は龔遂や黄覇に勝る(※4)と民の声望を集めている。
しかし、考えてみればこれもおかしな話だ。
陳知州の人柄と才能を否定しようというのではないが、本来、彼の美点として語られている部分は、民の上に立って政を為す者なら、誰もが備えていて然るべきものである。
誰しもが備えていて然るべきものを備えているという、ただそれだけの話なのに、それをもって陳知州が民の声望を集めるというのだから、これほどおかしな話はない。
同時に今、この国の圧倒的大多数の官僚がいかに民を顧みず、民に寄り添っていないかを示す恰好の証とも言えるだろう。
では、民の上に立つ圧倒的大多数の官僚が民を顧みず、特に地域によって慣習に著しい差のある地方官が、任地の特性を知らずしてその地を治められるのかと言えば、何の問題もなく治まるのである。
官僚が知らなくても、生涯を同地で勤め上げ、それらを知り尽くす胥吏達がいるのだから。
「何の問題もない」はさすがに言い過ぎだろうが、強いて言うのなら、例えば祭祀や商習慣など、それを蔑ろにして自分の主義や手法を押し付けてしまうと、たちどころに住民の怨みを買ってしまうような分野でだけ、必要最低限の知識を持ってさえいればいい。そして、それすらも別に民のためではない。
あまりに反感を買い過ぎて、住民の叛乱を招きでもすれば自分の出世に響くから、任期の間だけ大人しくしててもらわなければ困るというだけの話だ。
なのでそれ以外は特に覚える理由がない。それで多少、住民の不満が溜まったからといって何ほどの事もない。
というか、知ろうと思ったところで、そういった類いの事柄を幅広く、細部に亘って把握しようと思えば、とても一朝一夕に為し得るものではなく、ようやくおおよそを把握する頃には次の任地に異動となるのだから、いよいよもって覚える必要がない。
権力と金の亡者たる官僚が、最終的に目指すところは朝廷中枢での活躍なのであって、そんな事に時間を費やすくらいなら、いかに決定的な不満を溜めずに民から財を毟り取り、次の異動で左遷の憂き目に遭わぬよう、自分の入る「傘」を含めて、あちこちに賂をバラ撒いておく方が、よほど彼らにとってはためになる。
結局のところ、地方の事など興味の欠片もなく、知る気もなく、知る必要もない官僚は、その地の胥吏の力を借りなければ、何も仕事が捗らない。故に地方の官僚達が目を向ける先はまず朝廷であって、次が自分の足を引っ張りそうな周囲の官僚達であって、あとは自分の評判が下がらないよう、任地の胥吏達に目を配っておけば事足りる。
とはいえ、官僚が胥吏達の行動に全く口を出せないのなら、そもそも官僚など、いてもいなくても同じという事になってしまい、胥吏だけに権力が集まってしまう。それを防ぐため、官僚には各々が所管する範囲内で、胥吏に対する懲戒権が与えられている。
平たく言えば、自分の部下にあたる胥吏の行動があまりにも目に余るようならクビにできる、という事だ。
胥吏達はそうした、地方の事など知る必要もなければ知る気もなく、むしろいかに民の財を毟るかという事にしか興味がなく、胥吏がいなければ何一つ仕事はこなせず、それでいて胥吏達の首に落とせるギロチンの紐を握る、官僚という生き物を上に戴いて仕事をする。
そんな胥吏達が民達に目を向ける必要など、あるはずがない。
異動で赴任してくる官僚は、ほとんどが右も左も分からない者ばかりであって、その任期中に配下の胥吏がクビを切られる心配はまずない。ギロチンの紐を離した結果、困るのは右も左も分からない官僚の方なのだから。
故に胥吏達は自分に都合のいい事を吹き込んで官僚を意のままに操るも良し、その官僚が気に入らないのなら、相手にしなければそれでもいい。それこそ困るのは官僚であって胥吏ではない。
しかし、胥吏と違って官僚には異動がある。普段からあまり無下に扱い過ぎてしまうと、腹に据え兼ねた官僚に「異動のついで」とばかりに、気兼ねも後腐れもなく、ギロチンの紐を離されてしまっては元も子もない。
だから、胥吏達の目は常に官僚の方を向いている。より端的に言えば、自分達の首に落ちるギロチンを握る手に向いている。そのギロチンを落とされない程度に遇ってさえいれば彼らは安泰なのであって、操る時は操り、媚びる時は媚び、その加減を見極める事こそが胥吏の処世術なのだ。
官が世間知らずである事をいい事に、吏はその地の政を壟断し、官を笠に着て住人から金を巻き上げ、それを咎められそうになれば賂の力で丸め込む。それで済むのかとなれば、済むのである。
仮にそうして差し出された賂が、到底、一介の吏が出せるような額でなかったとしても、官には関係ない。大抵の官は保身のために、俸給ではとても賄えないような額を、あちこちにバラ撒かなければならないのだから、金はいくらあっても足りない。自分が直接、民から毟った訳でもなし、そもそも原資などどうでもいい。
一方で吏の方は俸給がないから、民から搾り取れるだけ搾り取っているのだが、賄賂が通じるのだから、賂として差し出した分まで更に民から搾り取る。
今、この国の政は、こうした官吏達によって行われている。
宋江は押司──つまり「吏」だ。
確かに宋江は陳知州と同じように、世に溢れる胥吏達とは違うのかもしれない。困っている人に手を差し伸べずにはいられない性格は、世に誉めそやされているのかもしれない。「及時雨」の綽名は広く天下に知られ、現に同道する老人もその名を聞いた事があるのかもしれない。
しかし、宋江が老人の話を鵜呑みにはできないと思ったように、老人が「及時雨」の噂を頭から信じていなかったとしても、それをとやかく言う筋合いは宋江にない。
【要するにもう、この爺さんにとって官吏は全て敵なんだ。多少なりとも知られた俺の名と、多少の施しによって感謝をされはしたが、所詮は同じ穴の狢と見られてるという事なんだろう。あからさまな視線はなくとも、そこに敵意や悪意のようなものが見え隠れしたとしても致し方あるまい。五郎(給仕)の言った事も、あながち間違いではなかったのかもしれんな…】
宋江は鬱々と歩を進める。
老人との会話も途切れ途切れとなり、しばらくするとそれもなくなり、ぼんやりと考え事をしながら馬を曳く。
民を虐げる朝廷、自己保身と私利私欲に走る官吏達、民は故郷を捨て、山野に潜み、やがてその怨嗟は大きなうねりとなり、この国を揺るがす大乱となり、その先頭には象徴として民達を導く自分の姿が──
【…?俺は今、何を考えていた?何を馬鹿な事を考えてるんだ。馬鹿な事を…】
暮れなずむ長閑な田舎道を、二人と一騎は声もなく歩く。
※1「民は国の本。本、固くして国は寧し」
『書経(五子之歌)』。原文は『民惟邦本。本固邦寧』。訓読は本文の通り。「その地に住まう民こそが国家の礎であり、その礎を固くしてこそ国家は安らかに治まる(=民心が乱れれば国家は治まらない)」の意。
※2「民を貴しと為し、社稷これに次ぐ」
『孟子(盡心下)』。原文は『民為貴、社稷次之』。訓読は本文の通り。「国家(社稷)はそこに住まう民がいなければ成り立たないのだから、まず重んずるべきは民であって、国家の運営は民心を安定させて後の事である」の意。
※3「この国に~」
後年、元代に入ってから中国を訪れ『東方見聞録』を記したとされるマルコ・ポーロは、風習の違いから華北と華南を別の国と認識していたという説がある。
※4「李白や杜甫~」
李白は詩仙、杜甫は詩聖と称される、いずれも唐代の詩人。龔遂と黄覇は共に前漢時代の地方官で、善政を布いて領民から慕われた。『水滸伝』の第27回では、陳文昭の人柄を紹介する場面でこの四人の名を挙げている。




