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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第八回  晁保正 東渓村に天王と成りて 宋時雨 行客の老叟に魅入らるること
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及時雨

 話は少し遡る。


 雷横が朱仝の頭をフルで引っ(ぱた)いた少し後の事。

 鄆城(うんじょう)県の衙門の前で店を構える茶店に、馬を曳く宋江の姿があった。


「五郎(給仕)、茶を一杯くれ」

「あ、宋押司。お勤め御苦労様でした」


 馬を繋いだ宋江が席に着くと、給仕はすぐに茶を運んできた。


「久方ぶりのお勤めは如何でしたか?」

「何、大した事件もなければ、面倒な訴え事もない。何て事はないさ」

「では、朝のアレさえなければ、至って平穏無事な一日でしたね」

「言うな、馬鹿。思い出しただけでも背筋が凍る」


 ケラケラと笑う給仕に宋江は恨みがましい視線を送る。

 と、給仕は何かを思い出したように、


「そういえば、朱都頭(朱仝)は朝方お出ましになったっきり戻られなかったようですね」

「ああ、東渓村に行ったからな。晁哥(晁蓋)と話し込んでるんだろう」

「じゃあ、もしかして昼頃お出ましになられた雷都頭(雷横)も?」

「ああ」

「そうですか。それは押司さんもお淋しい事でしょうねえ」

「分かってるなら言うなって」


 無論、給仕が宋江と晁蓋、そして朱・雷両都頭の親しい付き合いを知るからこその冷やかしだが、ズズッと茶を啜る宋江は、心の底から面白くないといった顔付きである。


 何も給仕の揶揄に腹を立てたという事ではなく、全くもって雷横の言った通り、東渓村へ顔を出す時間的な余裕がないのだ。

 せめて県城と宋家村の間に東渓村が在れば、帰り掛けに寄る事もできたろうに、生憎、宋家村と東渓村は、県城から見てほとんど真逆の方角に在る。


 だから「皆は楽しく()ってるのに、自分一人が蚊帳の外」とやさぐれているのだろうが、周りの言う事も聞かず、わざわざ宋家村から衙門へ通うと言い張っているのは、他でもない宋江自身である。

 つまりは爪弾きにされた訳でも何でもなく、単に自分が「蚊帳の外にいる」と駄々を捏ねているから、周りも気を遣って「そうですか。じゃあ、お好きにどうぞ」と、宋江のするに任せているという、ただそれだけの話だ。しかし、そんな自分の事は棚に上げ、不満を隠し切れない様子で宋江は茶を啜る。



「それで、宋押司は馬なんか曳かれて、これからどちらへ?」

「ああ、宋家村へな」

「今から御実家へ!?明日も勤めには出られるんでしょう?下宿を引き払ってしまったんですか?」

「いやいや、今、賢弟(花栄)が訪ねて来てるからその間だけだよ。五郎も一度会ったろ?」

「…?ああ、いつぞやの旅のお方!遠方から訪ねて来られたという」

「ああ。在所に戻っちまったら、次はいつ会えるか分からんからな」

「左様でしたか…しかし、御兄弟という割には押司さんとは似ても似つかな…あ、あーいえ、ゲフゲフ、何でもないです、ゴニョゴニョ」


 五郎よ。そういう事は思っても口にするんじゃない。

 いくら本当の事だからって、面と向かって言ったら可哀想…なんて気持ちが微塵も湧いてこないな、どうしよう…えっと、まあその、何だ…そう、相手が傷付いちゃうかもしれないだろうが。


「うるさい。悪かったな、似てなくて。俺と賢弟は義兄弟なんだよ」

「べ、別に『悪い』なんて言ってないじゃありませんか。そ、そうですよね、血の繋がりがないんでしたら、さほど似てなくても…」

「しつこいな!お前だって人の事をとやかく言えるような容姿でもなかろうに。大体、俺の容姿を云々するにしたって、あんなバカみたいに整い過ぎてる賢弟を引き合いに出す奴があるか。賢弟と比べたら、大抵の奴は見劣りするわ」

「いえ、別に『劣ってる』なんて事は一言も…ただ、似てらっしゃらないなぁ、と…」

「あー、うるさいうるさい。お前な、いい加減にしないと、いつか本当に適当な罪を見繕って、日の下を歩けない体にしてやるからな?」

「ごめんなさいっ!!」


 物凄い勢いで腰を直角に曲げた給仕に、宋江はくつくつと笑いを噛み殺す。

「えへへ…」と愛想笑いを浮かべて体を起こした給仕は、ふと表情を改め、ある一点で視線を止めた。


「あれは…どうしたんでしょう」

「ん?どうかしたか?」


 その視線を追って宋江が店の外へ視線を向けると、井戸の側に一人の男が座り込んでいる。

 やや俯き加減で、その表情は窺い知れない。


「あの…爺さん?かな??がどうかしたか?」

「いえ、ついたった今、フラフラと歩いてきて、あそこで崩れるように座り込んでしまわれたので…」

「…五郎、茶をもう一杯頼む」

「え?あ、ああ!畏まりました」


 飲み()しの茶をそのままに、宋江は往来を渡って井戸の側へと歩み寄る。


 道行く人々の中にもチラチラと井戸の方に目を向け、座り込んだ者を気にする者がいたのだが、それも宋江が側に寄り添ってからはなくなった。


 何と言っても寄り添っているのは誰知らぬ者のない「恵みの雨」であって、困っている者には手を差し伸べずにはいられない男なのだから、道行く人々が「自分が気に掛ける必要もなければ、手を差し伸べたところで物の数ではない」と思ったとしても仕方がないといえば仕方がないし、当然と言えば当然でもある。


「御老体、如何なさいましたか?体の具合が優れないので?」

「…え?ああ、これは御親切に…貴方様は?」

「いや何、あの茶店から表を眺めてたら、随分とお疲れの御様子でしたので、つい…この辺りでは見掛けない顔とお見受け致しますが?」

「…ええ、ようようここまで辿り着きましたがな…精も根も尽き果てまして…」

「ああ、それはいけません。こんな所では何ですから、まずはあの茶店まで参りましょう。手をお貸ししますから」

「…何と御親切な…手前のような者に、勿体ない事です…」

「何を言われるか。さあ」


 立ち上がる気力もないかのような老人の手を取り、肩を貸した宋江は、老人を(いざな)って茶店に入り、自分が座っていた席の向かいへ腰を掛けさせた。

 給仕も心得たもので、それを待ってすかさず茶を差し出す。


「…こんな施しを頂戴しても、手前にはお返し出来るものが何もございません…」

「何、そんな事はお気になさらず。遠慮なく召し上がって下さい」

「…手前のような者にまでお心遣いを賜り…何と礼を申し上げればよいものか…さぞや有徳の士として、天下に名を馳せられているお方ではありますまいか?」

「はは、手前など大した事はありません。姓は宋、名を江、(あざな)を公明と申す、しがない小役人でございますよ」


 こういうところがまた何というか…


 相手が顔馴染みでもあるまいに、そうやって手を差し伸べながら姓名を名乗るとどうなるかというと──


「…こちらは確か…鄆城県ではありませんでしたか…?」

「ええ。仰る通り、ここは鄆城県ですが?」

「お、おぉ…では、貴方様は…」


 宋江の言葉を聞くや否や、老人は崩れるかのように席から転げ落ち、まるで神仙の御前(みまえ)にでも在るかのように地にひれ伏した。

 その様子に驚いた宋江は立ち上がり、慌てて側に寄ると、


「ご、御老体!?突然どうなされた!?!?」

「よもや…この命果てる前に、山東の『及時雨』宋押司の御尊顔を拝する機会に恵まれようとは…老い先短いこの老体には、何とも無上の僥倖にて…」

「そ、そんな大仰な…と、とにかくお立ち下さい」


 と、まあこうなる訳だ。


 広く名を知られているのは本人だって重々分かっているはずで、持ち上げられれば「私など大した事は…」と謙遜し、平伏されれば「そんな大袈裟な…」と止めるくらいなんだから、あえて名乗らなくても「手前など名乗るほどの者ではありません」とでも言っとけば済む話だろうに…


 とにもかくにも、宋江は伏し拝む老人の身体を支え、手を取って席に着かせると、再び老人の向かいに腰を下ろす。


 老人は姓を「ほう」と名乗った。また、排行(はいこう)(兄弟の長幼順)が一番目のため、周囲からは「包大」と呼ばれていると語った。


「生まれはどちらで?」

両浙(りょうせつ)(※1)にございます」

「両浙!?何でまた両浙からこんな山東の片田舎へと…どなたかお知り合いでもいらっしゃるんですか?」


 出された茶を啜っていた老人は、僅かに顔を伏せて口籠る。その僅かの間だけ両の瞳に一瞬宿った、暗い情念のような光に宋江は気付かない。


 何事もなかったかのように再び顔を上げた老人は、


「知り合いはございません…食うや食わずで宛てもなくこの地まで…」

「それは…左様でしたか」

「…宋押司は『花石綱(かせきこう)』というものを御存知ですか?」

「え?あー…噂には」


 趣味に生きる今上陛下が京師・開封(かいほう)府に庭園の造営を始めると、その庭園を飾り、彩る奇石、花樹の類いを宋の全土から収集する事となった。


 いや、木石の類いばかりではない。

 庭園というのはその中に立って楽しむだけでなく、外から眺めて楽しむ事もできる訳で、そうなると今度はそこに東屋が建ち、或いはいっそ離宮が建ち、それらが建てば更にその中を飾り、彩る調度品が必要となってくる。


 そうして収集は際限なくエスカレートしていき、殊に太湖の湖岸から採取され、俗に「太湖石(たいこせき)」と呼ばれる奇石が珍重された事もあってか、その太湖を抱える両浙地方では念入りに、執拗に採取が行われる事になる。


 が、実は収集や採取という表現は、実態を正確に表していない。


 陛下の思し召しによって造成される庭を飾り、離宮の内を彩るのであるから、その品を献上するのは比類なき栄誉であって、またそれを所有する者の義務でもある。故に山川から切り出す際の費用や人工(にんく)はその地が負担し、人家から召し上がる際には、否応なしにその屋敷が負担しなければならない。


 つまり、収集なり採取なりと言えば聞こえはいいが、実態は収奪や徴発の類いであって、いっそ国家による搾取である。


 いよいよは蘇州(そしゅう)に「応奉局(おうほうきょく)」という、花石などの収集を司る衙門まで立ち上げる始末で、それにより収奪は更に猖獗(しょうけつ)を極め、両浙の民には怨嗟が渦巻いている、と遠地の事ではありながら宋江の耳にも届いていた。


「綱」とは元々前朝の唐代に創設された、荷の輸送を専らに扱う組織を指すが、そこから転じて実際に荷を運ぶ一行、或いは単に荷そのものを指しもする。

 つまり「花石綱」とは造園用に宋の各地から東京へ送られる荷の事だ。無論その名は、荷の主たるが花石である事に由来するが、何も花石のみに限らず、そうして収奪され、搾取された美術品なり調度品なり、あらゆる荷の総称である。


 しかし、その名は単に荷や、それを運搬する一行のみを表しているのではない。


 塗炭の苦しみに喘ぐ民の怨嗟。

 それを強いる朝廷の圧政。


「花石綱」とはそういった民の苦痛や辛酸、或いはいっそ朝廷に向けられた「敵意」とも呼べるような感情を象徴する言葉と言える。


「今、両浙は花石綱による官の横暴もさる事ながら、花石綱の名を借りた恐喝紛いの行為が横行し、ある者は他州に身寄りを頼って家を捨て、またある者は財を奪われて路頭に迷いと、一人として朝廷に怨みを抱かない者はおりません」

「なるほど…」


 例えばそれなりの土地屋敷を持っていたとする。そこに応奉局の役人が押し掛けてくる。

 それなりの土地屋敷であればそれなりの庭があり、庭があればそこには木々や庭石がある。


 役人はただ一言、家主にこう告げる。


 あの木石を朝廷に献上する、と。


 それは奇石でなくても、名木でなくてもいい。どれほどありふれた木石であろうと、役人がそう宣言し、木石に封を施せば、その時点でそれは歴とした帝室への献上品となる。


 家主は堪ったものではない。

 費用もさる事ながら、封を施されて以降に少しでも傷を付ければ不敬に問われ、運搬中に船が沈んでも、荷車が壊れても、全ての責を負わなければならない。


 つまり、役人の言葉が何を意味するのかといえば──


『封を施されたくなければ、代わりに銭を寄越せ』


 それがつまり、老人の語った「花石綱の名を借りた恐喝紛いの行為」という事なのだが、これも一部不正確で語弊がある。

「恐喝紛い」でも何でもない。純然たる「恐喝」だ。


 大抵の者はそこで金を渡す。それが嫌だからと、意地を張って本当に花石を東京に送り付けるような者はまずいない。

 実際に花石を送る苦労を思えば、金を渡した方が遥かに手っ取り早いからだ。


 ちなみに、賄賂を拒まれ、珍しくも何ともない花石が本当に献上されてしまったからといって、それで役人が困るような事はない。送られた荷が東京で受け取られようが、突っ撥ねられようが、そんな事は役人の知った事ではない。


 だが、一度は金を渡して追い払っても、それに味を占めた役人は遠からずまた現れる。或いは、それを聞き付けた別の役人が「我も我も」とやって来る。

 来る役人、来る役人に金を渡していてはキリがないので、ある程度の資産を持っている者は、応奉局の上役へと定期的に賄賂を送る。そうすれば、賄賂が効いている内は役人が来なくなる。


 それができている間はいい。

 問題は差し出す金がなくなった者、(はな)からそれができない者達で、あとは謂れのない罪に問われるか、それが嫌ならその地を逃げ出すくらいしか道が残されていない。そんな憂き目に遭わされて、怨みに思わない方がどうかしている。


 正に朝廷は怨みを買うべくして買っているのだ。


「空に民の怨嗟が響かぬ日はなく、地に民の血涙を吸わぬ日もなく、そうして日々、両浙の天地に満ち満ちていく報仇雪恨の念は、もはやいつ暴発しても不思議ではない。民草は待っているのです。その念を受け止め、己が積怨を晴らしてくれる者の出現を。あとはその器を持った者が、憤怒の象徴たる存在として彼らを統べ──」

「御老体」


 啜っていた茶を置き、宋江は静かに、しかし「それ以上は言葉を紡がせぬ」という確たる意思を露に割って入る。


「お気持ちは察するに余りある。手前には及びもつかないような御苦労もあったのでしょう。それでも…こんな誰が聞いてるかも分からぬ場で、そういった事を声高に話すべきではない」


 人は感情の生き物、とよく言われる。

 だから、理不尽を強いられ、不条理に虐げられれば、不満や怨嗟は溜まって当たり前だ。


 しかし、老人の言葉はすでに愚痴の域を超えている。いや、途中で遮ったのだから、ギリギリ超える寸前と言うべきかもしれないが、不満を溜め込んだ者達の上に立ち、その者達を統べて導けというのだから、それに続く言葉は決まっている。


 宋江だって心情的には老人の気持ちも分からないではないが、分かるからこそ、これまでの苦労の上に尚、軽はずみな言動で身を滅ぼすような真似をさせたくはなかった。


「はい。少し熱くなってしまいました。御忠告、痛み入ります」

「いや、何…ああ、そうそう。そういえば、先ほど『食うや食わずで旅を』と申されてましたな。良かったら何か軽く召し上がられるといい」

「しかし…手前は(ろく)に手持ちもなく…」

「ああ、それなら御心配には及びません。おーい、五郎」


 宋江は仕事に戻っていた給仕を呼ぶと「体に負担が少ないように」と、柔らかく煮込んだ饂飩を一つ頼んで老人に勧めた。

 それからしばらくは他愛のない事を話していたのだが、


「御老体、失礼を承知でお尋ねするが…今夜の宿は如何するおつもりで?」

「…宿を取る手持ちもございませんし、特に宛てなどもありません…雨露させ凌げればそれで十分ですから、どちらかの軒先でもお借り出来ればと…」

「あー、っと…県城(ここ)から少し距離はあるんですが、もしお嫌でなければ、我が家へお越しになられますか?」

「そんな…食事だけでも有り難いところへ、寝床まで世話になるなど滅相もない…」

「何、そんな事はお気になさらずに…あ」


 伏し目がちに遠慮する老人など意にも介さず話を進めていた宋江だが、何かを思い出したように僅かに口を(しか)めた。


「…如何なさいましたか?」

「あ、いやいや。今、大事な客が来てるんですが、少し体調を崩してましてね。客間から動かす訳にもいかないので、御老体には少し手狭の室しか御用意出来ないが、それでも構いませんか?」

「何を仰られるかと思えば…泊めていただけるだけでも有り難いというのに、室の大小などと贅沢を申したら天罰が下ります」


 話が纏まったところで、ゆっくり食事をするよう老人に促し、宋江は厠に立った。

 と、それを追い掛けた給仕が、老人の座る卓から見えないところで袖を引く。


「押司、あの御老人を家に招かれるんですか?」

「ん?そうだが、何か問題でもあるのか?」

「お心掛けは大層御立派ですが、あのお方は止められた方が…」

「何で?」


 チラと背後を気にして給仕は続ける。


「所々お二人の会話が洩れ聞こえてきましたが、あの御老人の言ってる事はどうも…」

「例えば?」

「あの方は両浙の生まれと言ってませんでしたか?」

「ああ、言ってたよ?」

「手前も詳しい訳じゃありませんが、少なくとも江南(長江の南)の訛りがある事くらいは聞けば分かるでしょう?それなのにあの方の言葉は、山東生まれの手前が聞いても、まるで違和感がありません」


 かつて燕順が建康府(けんこうふ)を訪れた際、たった一言で華北生まれと見破られたように、この広い宋の北と南では言葉がかなり違う。

 発音は無論の事、特定の地域でしか使われない独特の方言もあれば、同じ言葉でも地域によって全く違う使われ方がされる事もある。


「それなら若い頃、商いでこの山東に暮らしてた事があると言ってたぞ?」

「それに、初めの内は食うや食わずで話すのもやっとといった感じでしたのに、花石綱の話をしてる時だけは滔々と澱みなく話されて。その話が終わるや、また元の話し方に戻られたのも…」

「余程、腹に据え兼ねてるのさ。怒りで感情が昂れば、空腹なんて忘れちまうもんだよ」

「かもしれませんが…」

「まあ、一度申し出てしまったものを、今更引っ込める訳にもいかんしな。お前の言う事は頭に入れといて、あまり気を許さんようにするよ」

「ええ、それが宜しいかと…」


 用を済ませた宋江が卓に戻ると、老人は食事を終えたところだった。


 代金を支払った宋江に、老人は再び地に伏して礼を述べようと膝を折る。それを慌てて止めた宋江は、店を出て老人に馬を勧めると、宋家村へ向けて城門を潜った。


 東渓村で宋江への言伝を頼まれた従卒達が戻ったのは、丁度そんな頃である。

※1「両浙」

「山東」や「中原」のように地域を表す言葉。一義的には浙江(河川名)の西を「浙西」、東を「浙東」と称し、その総称として「両浙」が用いられると思われますが、それを単に「浙江流域」と表現するには、あまりに範囲が広いです。およそ現在の南京市を除く江蘇省の長江以南と浙江省一帯を指し、宋代にはほぼ同じ地域に「両浙路」が置かれていました(年代的にこの小説より以前、一時的に「両浙東路」「両浙西路」に分かれていた時期もありますが、それも厳密に浙江が境となっていた訳ではありません)。

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