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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第八回  晁保正 東渓村に天王と成りて 宋時雨 行客の老叟に魅入らるること
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「伝える」って難しい

「最近、宋弟(宋江)も顔を見せに来ないんだが、元気にやってるか?」


 晁蓋は従卒二人を表の間でもてなすよう作男に言いつけ、朱仝一人を奥の間へと招いた。


「ええ…あ、いや、ここ10日ほど体調を崩したとかで勤めを休んでましたがね」

「何!?」


 主客分かれて席に着き、料理が運ばれてくるまで取りあえず、と二人で酒を酌み交わす中、晁蓋は朱仝の言葉に顔色を変えた。


「それは初耳だな。メシを食い終わったら、ちょっと様子を見に行ってみるか…」

「いやいや、それには及びませんよ」

「何でだ?10日も勤めを休むなんて余程の事だろ?」

「今日からまた勤めに戻ってますからね。それに…」


 朱仝は笑みを浮かべて椀を(あお)る。似た者同士とは、正にこの兄弟の事だ。


「今朝方、県城を発つ前に会いましたが、体調が悪そうな様子なんて全く感じませんでしたから。恐らく、誰か大事な客人でももてなしてたんじゃないですか?いつものヤツです」

「あ…あーあー、そういう事か。それならいいんだが…」

「心配要りませんよ。翅虎(雷横)の話じゃ、体調が悪いと勤めを早退した日も、その足で衙門(役所)の前の茶屋で酒盛りをしてたとか何とか…」


 バレてーらww

 噂ってのはこうやってどんどん広がってくんだな。これでよく知県の耳に入ってクビにならないもんだ。


「それなら間違いないか。そういえば雷小哥(雷横)も最近、顔を見せないな。どうせアイツだって暇してるんだろうから、連れて来れば良かったじゃないか」

「おや?保正は御存知ないんですか?」

「…?何を?」

「翅虎は今日から宮仕えですよ」

「お?おお、そういや巡捕都頭に推されてたんだったか!そうかそうか、今日から…って、小哥(朱仝)よ。小哥だって務めでここに来たんだろ?尚の事、一緒に来れば良かったじゃないか」

「まあ、今日は初日ですからね。色々と覚える事もありますし、それで役目をおざなりにされても困りますから。置いてきました」

「相変わらず雷小哥には厳しいな」

「そうですか?これでもだいぶ甘いくらいだと思いますが。寧ろ──」


 丁度その時、作男が煮込んだ牛肉や野菜が盛られた大皿を運び込んできた。

 晁蓋に促され、二人揃ってそれをつつきながら、朱仝は作男の退室を待って続ける。


「保正の方こそ、あまり翅虎を甘やかさないで下さいよ?最近はお会いになってないようですが…」

「ん?」

「全く、翅虎(アイツ)の博打好きときたら…今日も朝からこっ(ぴど)く御母堂にやり込められてたみたいですが」

「あー、そういやそんな話を聞いた事もあるな」

「今朝は宋哥兒(宋江)にまで(とばっち)りを喰らわせる始末でしてね」

「お、おぉ、そりゃまた宋弟も気の毒な…しかし、それと俺と何の関係が──」

「哥兒」


 朱仝はあえて「保正」ではなく「哥兒」と呼んだ。

 これは仕事としてではなく、雷横を思う一人の友人として、友人の晁蓋に対する忠告であり、また願いでもある。


「知ってますよ。翅虎が金に困ると、その度にいくらか渡してるんでしょう?」

「…何だ雷小哥の奴、喋っちまったのか。黙ってろって言ったのに」

「はぁ…」

「っていうかな、金を渡してるのは別に俺だけじゃないぞ?宋弟だって──」

「ですから。それを御母堂にこっ(ぴど)く咎められてました」

「あ、ああ、そうか。しかしなぁ、困った時はお互い様だろ?博打なんてモンは勝つ時もあれば、負ける時だってあるさ。人間、誰しも趣味の一つや二つくらいはあるんだから、そう目くじらを立てんでも…」

翅虎(アイツ)の博打は度が過ぎてるんですよ。宮仕えの身にもなった事ですし、足を洗えるようなら洗うに越した事はないんでしょうけど、それが無理でも、せめて節度は持ってくれないと」


 おっと残念、朱都頭。雷都頭はとっくに節度をお持ちですよ?

 まあ、自称ですがww


「御母堂はこの際、きっぱり足を洗わせたいようでしたけどね」

「あー、分かった分かった、気を付けるよ。まあ、御母堂の話は宋弟からも聞いた事があるしな。確か…『雷鳴鷙』と呼ばれてるんだったか?綽名(あだな)さながらの勢いでここに乗り込んで来られても(かな)わん」

「…本当ですね?」

「おいおい、俺はまた随分と信用がないんだな」

「そういう訳じゃありませんけど…もし気を付けていただけないようだと、御母堂の前でうっかり口を滑らせ、哥兒の事を話してしまうかもしれませんよ?」

「それは冗談抜きで止めろ。俺を県城へ立ち入れなくさせたいのか?」


 辟易とした様子で苦笑を浮かべる晁蓋に、朱仝は呵呵と笑う。

 が、二人はその中にもぎこちなさを隠し切れていない。そして、その理由も二人は分かっている。


 朱仝がこの村に晁蓋を訪ねたのは、こんな当たり障りのない会話を交わすためではない。

 晁蓋が人を払ったこの室に朱仝を招いたのは、こんな当たり障りのない会話を交わすためではない。


 どちらからともなく表情を改め、先に切り出したのは晁蓋。


「さて…じゃあ、本題に入るか」

「はい」

「一応、聞いとくが、俺の話と小哥の話は──」

「たぶん同じです。渓谷での件でしょう?」

「ん、なら話は早い。何処まで知ってる?」

「噂に聞いた程度です」

「いや、それでよく公務として来てくれたな。この村を預かる身として礼を言うよ」

「止めて下さいよ。私と哥兒の仲じゃありませんか。それで…実際のところどうなんです?」


 晁蓋は苦々しげに山と盛られた牛肉の一切れを箸で口へ運ぶ。それを酒で一気に流し込むと、


「死人が出てないのは幸いだが、ここ10日ほどでもう五人だ。別にこれまでだって、あの川っぺりで怪我をした奴がいない訳じゃないが、それにしたって1年に一人か二人だぞ?いくら何でも異常だ」

「西渓村の話は聞いてますか?」

「西の?いや、聞いてないが…向こうでも似たような事が起きてるのか?」

「正確に言えば『起きて()』ではなく『起きて()』ですけどね。ここへ来る前、念の為にと思って西渓村でも話を聞いてきましたが──」


 朱仝は西渓村で聞いた話の中から、あえて核心部分を除いて伝えた。


 まだ迷っているからだ。

 伝えるか否かではなく、どのように伝えるか、を。


 姿を消した男達の話は必ずしなければならない。それを伝えなければ、今回の件はどうあっても説明がつかないのだから、この件に触れてそこを誤魔化すくらいなら、最初から「偶然というのは本当に恐ろしいものですね」と無知を装った方がよほどマシだ。


 だが、事の顛末を有りのままに話せば、やはり西渓村が事故を収めるために、東渓村の住人を犠牲にしたようにしか聞こえない。

 いや、したようにしか聞こえないのではなく、おそらくしている。ただ、それが西渓村の保正の意図ではなかった、という事だ。


 とはいえ、犠牲にされた方は堪ったもんじゃない。


「そんなつもりじゃなかったんだから仕方ないですよね」と言われて許容できるだろうか。

「我々の被害が収まったんだから別に構いませんよね」と言われて納得できるだろうか。



【西渓村の保正に「つもり」があろうがなかろうが、そんな事は今、将に被害を受けてる東渓村(こちら)には関係ない。その怒りが西渓村の保正に向いたとしても、気持ちは十分に分かる。


 しかし、真にその矛先を向けるべきは消えた男達の方だ。西渓村の保正に全く咎がない、とは言えなくても、全ての責を負わせるのはさすがに無理がある。落ち着いて考えれば、哥兒だってそれくらいはすぐに分かる筈だが、その為にはまず、落ち着いて話を聞いてもらえなければ仕方がない。


 どう伝えれば哥兒を激高させずに済むか。或いは、どんな伝え方をしても哥兒の激高は避けられないのかもしれないが、それをどう鎮めるか。


 身を挺してでもまずは落ち着かせないと、下手をしたら流血沙汰になる可能性もある…】



「そうか、西渓村でも事故が続いてたのか。しかし、また随分と不思議な話だな。向こうの事故がぱったり止んで、それと入れ替わるようにこっちで事故が起き始めるとは…」

「ええ…」

「で?向こうはどうやって事故を鎮めたんだ?」


 話はどうしたってそこへ行き着く。そして、朱仝はまだ答えを導き出せていない。


「それは…」

「ん?どした?」

「あ、いえ…」

「向こうの事故が収まったんなら、こっちでも試してみる価値はあるだろ?あの川を鎮めるなら清源王(※1)を祀ったか、生贄を捧げたかってトコだろうが…おいおい、まさか肝心な事を聞いてこなかったんじゃないだろうな?」

「…哥兒」

「あー、いやいや、今のは言い方が悪かった。別に小哥を責めてる訳じゃないんだ。人間、急いでれば、誰だってうっかりする事もあるわな。すまんすまん」

「いえ、そういう事じゃないんです。あの…落ち着いて聞いていただきたいんですが…」

「ん?」


 結局、朱仝は答えを得られぬままに、事の核心を告げた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「あの野郎、ふざけやがってっ!!!!」


 全くもって朱仝の危惧した通りだった。


 朱仝にしてみれば相当に言葉を選び、相当の注意を払って事の全容を告げたつもりではあったのだが、経緯はともかく、結果的に西渓村の保正が今回の件を引き起こしたのだと理解するや否や、晁蓋の怒りは易々と沸点を突き抜けた。


 両手を卓に叩き付け、酒の入った椀を倒し、椅子を後ろに弾き飛ばして立ち上がった晁蓋は、放っておけばそのまま西渓村へと乗り込まんばかりの勢いであったが、正にそれこそを危惧していた朱仝もまた、怒り心頭に発した晁蓋の様子を見るや否や、すぐさま立ち上がってその身体を背後から羽交い締めにした。


「放せ、小哥っ!!」

「落ち着いて下さい、哥兒っ!!」

「そんな話を聞かされて落ち着いてられるか!ナメた真似しやがってっ!!」


 ただでさえガタイのいいところへ、常日頃から身体を鍛え、おまけに頭に血が上り切って力加減の(たが)が外れてしまった晁蓋の膂力は凄まじく、彼に勝る体躯を持つ朱仝をして、その場に押さえつけているのがやっとという按排である。

 このまま怒りに任せた晁蓋を解き放ってしまえば、どう楽観的に見積もっても流血沙汰どころの騒ぎではない。


「哥兒、とにかく落ち着いて!話を最後まで聞いて下さい!」

「この期に及んでこれ以上、何を聞く必要がある!?あの野郎の言い分なんて知った事か!どうでもアイツの屁理屈を聞けってんなら、俺が直接聞きに行ってやるっ!!」

「いいから話を聞け、晁保正っ!!」


 人の上に立つ者が理性を捨て、感情に任せた行動を取れば、それでどんな結末を迎えようと当人は自業自得であろうが、巻き込まれる者達は堪らない。そして、そんな事は常日頃から、いや、つい今しがた、怒りで我を忘れるその瞬間まで、他ならぬ晁蓋自身が一番よく分かっていたはずだ。


 だから、朱仝はあえて「保正」と呼ぶ。晁蓋に自分の置かれている立場を思い起こさせるために。


 しかし、朱仝の一喝が意味するところはそれだけではない。


 罪を犯せば裁かれなければならない。そして、朱仝の就く巡捕都頭はその咎人を捕らえ、裁きの場へと送る。


「だから、俺にそんな事をさせてくれるな」と言うのではない。

 相手が普段から凶行を重ねているような悪党ならいざ知らず、或いは身元を隠すために各地を流れ歩いて悪事を繰り返す小悪党ならいざ知らず、たとえそこにどんな理由があったとしても、朱仝は長年の付き合いを持ち、兄弟同然の間柄である晁蓋を捕らえて衙門に突き出したりはしない。彼はそんな義に(もと)るような男ではない。


 仮に今がもう、晁蓋が西渓村の保正に危害を加えた後であったとしても、朱仝はあらゆる手段を尽くして晁蓋を救おうと奔走し、それが叶わぬとなれば、たとえどんな非難を受けようとも、後に自分が責めを負う事になってでも、晁蓋の逃亡を助けてその身を守る。


 それは確かにそうなのだが、だからといって「安心して罪を犯して下さいね」という理屈はない。そして幸いにも、まだ晁蓋は罪を犯していない。


 巡捕都頭は職掌として「罪を犯した者の捕縛」を担うが、同時にまた「管轄下の治安維持」も担っている。

 平たく言えば「事件が起きそうなら、それを未然に防ぐのも朱仝の仕事」という事だ。


 すでに起きた事をなかった事にはできないのだし、現に怪我を負った者もいるのだから、保正たる晁蓋にとっては「それだけで怒りの動機として十分」という事なのだろうが、朱仝の主観で見れば、西渓村の保正には不可抗力として酌むべき余地も少なからずあって、何より怒っている者も、その矛先を向けている相手も、朱仝が治安の維持を担う鄆城(うんじょう)県下の者である。


 そもそも、今回の件は分かっていない事の方が圧倒的に多い。

 調べを尽くし、あらゆる手を尽くし、それでも事態が改善せずに、死者が出るなり恐れをなした住人が村を捨てるなりで、いよいよはこの村の存続すらも危ぶまれるような状態にまで至ったがために、それを招いた西渓村の保正に対して「殺しても飽き足らぬ」ほどの怨みを抱く、というのならまだ分からないでもないが、今はまだ到底そんな段階ではない。


 どんな理屈によってこれまでの事故が起こされたかは分からずとも、今後については何も道侶(道士や仏僧)などを頼らずとも、朱仝達の力だけで解決できる可能性も十分あるというのに、それが分かった時にはもう、一時の短慮で罪を得てしまっていたというのでは、あまりに悔やんでも悔やみ切れない話だ。


 だからこそ、朱仝はあえて「保正」と呼んだ。

 晁蓋の立場だけではなく、巡捕都頭として今この場に来ている、朱仝の立場も改めて知らしめるために。

 そして、負う必要のない罪を今、将に負おうとしている晁蓋を決して行かせはしない、という決意を伝えるために。


「…分かったよ、聞くだけは聞いてやる。放せ」

「本当ですね?」

「おい、何ださっきから。お前、普段から俺とは気心知れたような面してやがるクセに、腹ン中じゃ俺の言う事なんざ何一つ信じてねえのか?」


 首を回して向けられた晁蓋の一瞥に、朱仝は大きく一つ、ふーっと溜め息を零して力を緩める。と、晁蓋はすぐに朱仝の腕を払い除け、倒れた椅子を起こすと、どっかと腰を下ろし、仏頂面のまま腕を組んだ。

 晁蓋のあまりの怒声に、恐る恐る様子を見に来た作男を(あしら)い、朱仝も再び卓の向かいに腰を下ろす。


「…で?」

「とにかく、西渓村(むこう)の保正をどうにかしたところで、こちらの事故が収まる訳じゃありません」

「だからってウチの住人がバタバタ怪我してくのを、このまま指を咥えて見てろってのか?少なくともこれまでの事故についちゃあ、西渓村(むこう)に責任があんだろうが。そこだけでもきっちり償わせねえ事には、俺も怪我した張本人達も、その家族だって納得出来やしねえよ」

「それは後でいくらでも出来ます。今、哥兒も言ったように、優先すべきはこちらの住人を守る為、一刻も早く事故を収める事でしょう?」


 ふーっと大きく息を吐き、晁蓋は瞑目して天を仰ぐ。


「経緯については宋哥兒も交えて上奏をしたため、必ず知県閣下に通しますし、それは西渓村(むこう)の保正にも伝えてあります。その後、閣下がどんな裁定を下されるかは分かりませんが、何にせよ上奏を通すのなら、まずは消えた男達がどんな術を用いたのか、或いは全くの無関係だったのか、とにかく調べられる事を調べておかないと」

「それで閣下が『西渓村(むこう)の保正の責任は問えん』と裁定を下されたら、俺らは泣き寝入りか?」

西渓村(あちら)の保正に全ての責を負わせる事にはならないでしょうが、宋哥兒の口添えがあれば、全くのお咎めなしなんて事にもなりませんよ。その辺りは宋哥兒が上手く取り計らってくれる筈です」

「『筈』…ね」

「哥兒。私には『俺の事が信用出来ないのか』と言いながら、貴方は私の事も宋哥兒の事も、全く信用してないんですか?」


 さすがに自分の言葉を引き合いに出されては晁蓋も返す言葉がない。

 朱仝の一言に鼻白んだ様子で視線を逸らし、一つ舌を鳴らした晁蓋は、渋々ながらもようやく矛を収める事となった。

※1「清源王」

四涜の内、済水を司る神。四涜信仰の起源は紀元前にまで遡り、歴代王朝においても祭祀が営まれていたが、宋においては第4代皇帝・仁宗が、唐代に封じられていた「清源公」を「清源王」に封じている。

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