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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第七回  宋時雨 雷母の心火に狼狽し 妖道士 術もて東渓村に仇なすこと
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美髯公

前回のあらすじ

DA・I・NA・SHIッッ!!

 鄆城県の東に位置する梁山泊という湖沼は、定期的にその大きさを変える。

 無論、湖沼が自らの意思で大地を浸食する訳もなく、自然の営みによってという意味だが。


 梁山泊がまだ大野澤(だいやたく)、或いは巨野澤(きょやたく)などと呼ばれていた時代、湖面は鄆城県の遥か南西から東に掛けて在った。

 しかし、度々起こる黄河の氾濫は遠くこの地にまで汚泥と濁流を(もたら)し、その度に湖底が埋められては陸となり、大地が削られては湖となり、湖面は鄆城県を取り囲むよう徐々に北へと拡大していく。


 湖沼が今の位置に腰を据えたのは、およそ160年前の黄河の氾濫、つまり大野澤なり巨野澤なりが梁山泊と呼ばれる切っ掛けとなった大洪水による。

 鄆城県でも城内全域が浸水し、多大な被害が出たと今に伝わるが、いざ水が引いてみたら、城のすぐ目と鼻の先に水面が揺らめく事となった。


 さすがに「城門を出て数歩も歩けば…」とまではいかないものの、とはいえ大宋国土のあまりに広大なるを思えば、鄆城県と梁山泊の距離など指呼の(うち)、或いはそれを「鄆城県は梁山泊の湖畔に在る」と表現したところで、それほど大袈裟な事ではない。


 その、どれほどの距離もない鄆城県と梁山泊の間、小高い山の麓に東渓・西渓の両村は在る。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 県城の東門を出た朱仝は(かち)の配下に合わせてのんびりと、まずは西渓村を目指した。


 歴とした公務ではあるものの、川べりでの事故などそもそもがあって当たり前、噂の真偽を確かめるだけなのだから取り立てて急ぐ話でもない。

 僅かに気になるといえば、その事故が東渓村の住人にのみ起こるというところだが、それも偶然と言われればそれまでである。


 ほどなく朱仝は西渓村に入った。と、その姿を目にし、近くで遊んでいた数人の子供達が駆け寄って来る。

 屈託のない笑顔を浮かべて乗騎を取り囲み、まるで我先にと餌を強請(ねだ)る燕の雛か何かのような、順番も何もなく思い思いに言葉を浴びせてくるその様に、朱仝は思わず相好を崩した。


 世の中には子供が好きでいながら、その風貌のせいか、或いは醸し出される雰囲気のせいか、なぜか子供達から嫌われてしまう者がいる。逆に子供の相手が苦手でありながら、なぜか子供達に懐かれる者もいる。

 朱仝はそのどちらでもない。子供が好きで、子供からは好かれ、言ってみれば相思相愛の関係だ。


 それ自体は珍しくも何ともないのだが、朱仝が子供から好かれるのは、単に朱仝の子供好きな性格だけが理由ではない。


『堂々たる体躯に熟れた(なつめ)の如き顔色、腹まで届く長い髭髯(しぜん)(※1)』と聞けば、この国の誰もが真っ先に『三國』の関雲長を思い浮かべる。


 親が子に「何かお話を聞かせて」とせがまれれば、自身の知る『三國』の逸話を見てきたように話し、子が長じれば、勾欄(こうらん)(演芸場)で見てきたように語られる講釈師の話芸に心を躍らせ、そしてその子が親となれば、自分もまた見てきたように子に話す。


 そんな何世代にも亘って語り継がれている物語の中で、関雲長は単なる一登場人物などという枠を遥かに超え、今や神として崇め奉られようかというほどの存在だ。

 好き嫌いは好みの問題もあるだろうが、およそ文字の読み書きなどはできずとも、言葉を解せる者で関雲長を「知らない」という者はまずいない。


 その関雲長の異名である「美髯公」と綽名(あだな)される朱仝は、周囲の者達がその風貌をこう表現する。


『堂々たる体躯に熟れた棗の如き顔色、腹まで届く長い髭髯』


 何も見た目だけではない。朱仝には確とした武の腕がある。


 関雲長のように青龍偃月刀を得物とする訳ではないが、朱仝は武芸全般に精通し、とりわけ剣と弓の腕前は秀逸で、巡捕都頭に採用される際に披露した演武は、そのあまりの見事さに見る者全ての溜め息を誘った。

 以来、朱仝の武はこう称されている。


『その剣は一振りで龍を討ち、その弓は一射で虎を穿つ』


 巷に溢れ、語り継がれる講談や伝承は、語られる期間が長ければ長いほど、往々にしてそこに虚実が織り交ぜられていく。しかし、それが分かっている大人達をして、朱仝を「美髯公」と綽名(あだな)せしめているのは、決して外見が酷似しているからというだけではなく、世に語られる虚実の入り交じった関雲長の武勇譚にも引けを取らないであろう、朱仝の武があっての事だ。


 そんな朱仝の姿を、純真で好奇心に溢れた子供達の目を通して見れば、後はもう言わずもがなである。


 講談などで語られる関雲長との違いを強いて探せば、朱仝の方が若干背丈が低いというくらいなものだが、とはいえ朱仝だって2mに手が届こうかという大柄な体躯であるし、それこそ子供達にとっては見上げるほどの巨漢である事に変わりはなく、その程度は誤差の範囲──というか、僅かな差など有ろうが無かろうが、はっきり言ってどうでもいいのだ。


 ディロリロリーン♪


『子供達の前に関雲長(クリソツ)が現れた!


 あまりにクリソツ過ぎて、純真な子供達は混乱してしまった!


 関雲長(クリソツ)はニッコリ微笑んでいる!


 関雲長(クリソツ)は仲良くなりたそうに子供達を見ている!


 子供達は関雲長(クリソツ)に懐いてしまった!』


 そりゃあ、こうなるに決まってますわな。


「これは朱都頭、御苦労様です。今日はこちらへ巡察ですか?」

「こんにちは」


 子供達を追って、その面倒を見ていたであろう若い女性が現れ、馬を下りた朱仝と互いに礼を交わす。


「まあ、巡察と言いましょうか、何と言いましょうか…」

「…??」


 奥歯に物が挟まったような返事を返した朱仝は、熱心に裾を掴んでくる一番小さな女の子を胸に抱き上げてあやし始めると、


「ちょっとした噂について話を伺えればと思いまして」

「噂?」

「ええ。何でもそこの沢で度々事故が起こり、しかも怪我をするのは決まって東渓村の住人だとか…」

「え?東渓村でもですか!?」

「…『でも』?」

「事故が続いてたのは西渓村(こちら)の住人ですよ?」

「ええ?」


「これだから人の噂というものは…」と朱仝は渋い顔を浮かべる。



【これでまた手間が増えた。


 大方「西」が「東」に変わったのは、伝える者が言い間違えたか、或いは伝え聞いた者が聞き間違えて別の者に伝えたかだろうが、いずれにしろよくよく話を聞くべきは、寧ろ西渓村(こちら)の住人の方かもしれんな。


 とはいえ、東渓村(むこう)東渓村(むこう)で話を聞かない訳にもいかないが…】



 と──


「あっ、いえ、そういえば…ここのところは収まってたかしら?」

「それはいつ頃からですか?」

「そうですね、かれこれ10日…もうちょっとかしら?でも、ひと月なんて全然経ってないと思いますけど」

「それまでは、()たた…ち、ちょっと待って下さい」


 あ~あ~、御自慢の髯をそんなに玩具にされてww


「コ、コラっ、ダメでしょ!?そんな事したら!」

「いえいえ、子供のする事ですから」


 朱仝は周囲でケタケタと冷やかす子供達の声に苦笑いを浮かべながら、尚もキャッキャとはしゃぐ女の子を女性に預けると、


「それで…それまでは西渓村(こちら)の住人ばかりが事故に遭ってた、と?」

「ええ。今は東渓村の住人がよく怪我をされてるんですか?」

「ええ、噂では」

「どう、なんでしょうね。少し前まで西渓村(こちら)で事故が続いてたのは確かですけど…もしそうだとしても、偶然じゃありませんか?周りの人達も『偶然が続いた』くらいの感じでしたよ?」

西渓村(こちら)の方で、どなたか怪我をされた人とは話しましたか?」

「ええ、お一人だけですけど。その方も『偶然、川べりで足を滑らせた』と」

「ああ、それで…」



【噂に西渓村の名が伝わってこなかったのは、要するに「事故に対する住人の捉え方の違い」か。


 偶然の事故を殊更に吹聴しても仕方がない。

 特に川べりでの事故など、そもそもがあって当たり前なんだから、それを話したところで、聞かされた方は「ああ、そう…お大事に」くらいしか反応のしようがない。


 それはつまり、東渓村の方は「偶然じゃない何か」の所為によって事故が起きたと考えてる、という事か。何か根拠があるのか、或いは単なる勘か…】



「…朱都頭?」

「いや、失礼。東渓村の住人と話をされたり、西渓村(こちら)で東渓村の噂を聞いたりはしてませんか?」

「いいえ、私は。というか、東渓村(むこう)の方はあまり西渓村(こちら)に見えられませんから」

「そうなんですか?隣村なのに…」


 意外そうな朱仝に、女性はクスクスと笑みを零す。


「…?」

「あ、ごめんなさい。そこまで不思議そうな顔をするとは思わなかったので。ほら、西渓村(こちら)は街道から少し外れてますでしょう?東渓村(むこう)は街道沿いに在る訳ですし、 県城に向かうにしろ何にしろ、特に用が無ければ、わざわざ西渓村(こちら)に寄る必要はありませんからね」

「ああ、なるほど。言われてみれば確かに…」

「ふふ。えっと…あ、そうそう、なので西渓村(こちら)の事故が収まってからの事はよく分からないんです。最近まで事故が続いてた事ですし、こうして近所の子供達を預かってる時なんかは特にですけど、出来るだけ谷川には近付かないようにしてたので。東渓村(むこう)の方が怪我をしたところを見たという事もありませんし」

「それが賢明かもしれませんね。少し話を伺いたいので、良ければ怪我をされた人を教えていただきたいんですが」

「ええ、構いませんよ。御案内しますね」


 こうして朱仝は子供達に纏わり付かれながら馬を曳き、村の中心部へと向かった。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 朱仝は鄆城県に代々続く資産家の家に生まれた。

 父母は未だ健在で、手広くというよりは堅実な商いを行っている。

 世に強欲な商人は数あれど、朱仝の父はそんな類いの輩とは全くの無縁であって、鄆城県では知らぬ者のない名士である。


 無論、親が名士というだけで子も名士足り得ると断じるなど、馬鹿馬鹿しいを通り越して愚かしい事この上ない。そんな事は多くを語らずとも、この国の有り様を見れば分かる。

 名士の親に名士足り得る子しか生まれてこないのであれば、歴史の浅い国ならいざ知らず、悠久の年月を経て今があるこの国に、名士以外の者など存在し得ないのだから。


「由緒正しい家柄」だの「卑賤の身」だの、とっくに絶滅していなければおかしいはずの概念が、今に至るまで残っている時点で何をか言わんやである。仮に親が名士足り、子も名士足り得たとしても、それは単に子の資質の問題であり、親の名声が子の何をどれほど変えた訳でも何でもない。


 ただ、無垢の状態でこの世に生を受けた赤子が成長し、ある程度の人格が決定付けられるまでの環境が、その資質に多大な影響を与えるのもまた事実である。


 どこぞのドスケベなドチビのように…。


 しかし、それだって環境だけで全てが決定付けられる訳では決してない。


 余人には想像し得ないほどの苦しい生活を経て大成した人物は無数にいる。

 親の得た財力と権力の恩恵を欲しいままにし、それを継いでいながら、その恩恵に群がる有象無象に(そそのか)され、破滅した者も無数にいる。


 大成も破滅も、結局のところは個人の資質次第だ。成長する環境も大事だし、中でもとりわけ家と親の影響は大きいけれども、何よりも人の一生を左右するのは、その置かれた環境の中で「何を見、何を学び、何を志すか」という事なのであろう。

『この親にしてこの子あり』『鶏の巣から鳳凰が飛び立つ』(※2)という相反する諺の存在が、それを如実に物語っている。


 朱仝は堅実な商いを続ける父の背を見て育った。

 そして、単に「商い」という狭い枠だけに止まらず、社会の一員として生きていく上で「他人からの信頼」というものがいかに得難く、いかに大切であるかを学んだ。


 ただ、一口に「他人を信頼し、また他人の信頼を得る」と言っても、言うのは簡単だが、それをいざ為し得るとなるとなかなか難しい。

 他人を信用するのであれば、長い年月を掛けて深く付き合い、相手の本質を見極めてこそであるし、逆もまた然りである。


 とはいえ、相手を深く知ろうにも、まずもって自分の第一印象が悪く、相手から敬遠されてしまえば、それもままならない。そして、多く「人の第一印象」とは外見として目から入ってくるのではない。


『どこどこの誰それは素晴らしい人物らしい』

『どこどこの誰それは(ろく)でもない性格らしい』


 風聞として。伝聞として。つまり、耳に届く。


 切っ掛けは些細な事であっても、いっそ本人が切っ掛けと自覚すらしていなくても、そういった類いの噂は容易に広まり、或いは自らに敵意を持つ者によって広められ、広がる時は容易に広まっていながら、そうして根付いた「第一印象」を消すとなると、これは容易な事ではない。


 どれだけ真っ当な商いをしていても、時に失敗する事もあれば、時に商売敵から故なく難癖を付けられる事だってある。

 しかし、常に自分の行いが正しければ──正しいと信じた行動を取っていれば、一人では容易に消し止められない故なき悪評も、普段からそれを見知っている周囲の者達が挙って火消しに努め、思いの外広まらずに済むものだ。

(あやま)ち、(しこう)して改めざる、(これ)を過ちと()う』(※3)と古人の言葉にもあるように、失敗は誰にでもあるが、それを認めない姿勢こそが過ちであり、そこに周囲は非難の目を向ける。


 自分の過ちに気付いたのなら素直に認め、それを謝罪し、改めればいい。その姿を見れば、周囲の者達だって殊更に非を責め立てたりはしないもので、それでも尚、口さがなく非をあげつらってくるような者は、無理をして付き合ってみたところで益を被る事はほとんどない。むしろ切れるものならキッパリ縁を切ってしまった方が、よほどその後の人生のためになる。


 父の仕事ぶりによって朱仝はそれも学んだ。だから、自らを律して生きる道を志す。

 それは何も他人の目を気にしながら生きるという事ではなく、自分が正しいと思う道を選ぶという、ただそれだけの事だ。


 そんな朱仝の目に、雷横は(すこぶ)る歯痒く映る。典型的な「改めざる者」だからだ。


 雷横の人生を否定するつもりはないし、自分の価値観を押し付けようというのでもないのだが、それでも折に触れて小言が口を衝いてしまうのは、やはり「改めるべきは改めるべし」という朱仝の性格によるところが大きい。

 雷横と付き合いが長く、その「改めざる部分」を補って余りある長所を知り尽くしているだけに「改めるべきを改めさえすれば、この男はもっと評価されてもいいのだが…」という親心のようなものもある。


 もっとも肝心の新任歩兵巡捕都頭サマが、そんな親心も「余計なお世話」程度にしか思っていないところは残念でならないのだが。


 ともあれ、かくて朱仝は父の名声に依らず、一個の好漢としてこの鄆城県で知らぬ者のない男となり、その武を買われて巡捕都頭となった。そして、朱仝の声望はこういった時にも、いかんなくその威力を発揮する。

 西渓村に入った朱仝には誰も彼もが好意的で、事情を知る者が進んで協力してくれる。


 雷横ではここまでスムーズに捗ったかどうか甚だ疑わしい。

 雷横が嫌われているというのではない。朱仝が好かれているのだ。


 何より巡捕都頭として朱仝に一日の長があり、すでに西渓村の面々と顔馴染みである事を差し引いても、朱仝と雷横では耳に届く第一印象が違い過ぎる。

 住人の側からしてみれば、どちらをより信頼し、協力したいと思えるかは言うまでもない。


 それに雷横の、良く言えば気風(きっぷ)のいい、悪く言えば粗野で、すぐに声を荒げるような性格を苦手とする者もいる。

 お上の役目として来れば拒絶される事はなかろうが、朱仝のように進んで協力を得られる場合と比べれば、作業の効率と成果に雲泥の差が出る事も言うまでもない。


 ところが──


 女性に案内された者に話を聞き、それから更に渓谷で怪我をした幾人かにも話を聞いた朱仝は、何とも言えない微妙な表情を浮かべて切り株に腰を下ろしていた。


 成果が全く上がらない。


 予想はしていたとはいえ、話を聞いた住人達からは揃いも揃って同じ言葉が返ってきた。


「偶然ではありませんか?」と。

※1「髭髯」

「髭」は口ひげ。「髯」は頬ひげ。イメージ的には「顔の下半分で口以外は全部ひげ」くらいの感じでしょうか。

※2「鶏の巣から鳳凰が飛び立つ」

中国の諺。日本語で言うところの「鳶が鷹を生む」。中国では「鶏窩里飛出金鳳凰」と書くそうです(「里」はもしかしたら「裏」の簡体字かもしれません)。ちなみに直前の言葉も、中国には似たような「有其父必有其子(そんな父がいれば、必ずそんな(父親のような)子供がいる=蛙の子は蛙)」という諺があるようです。

※3「過ち、而して改めざる、是を過ちと謂う」

『論語(衛靈公)』。原文は『過而不改、是謂過矣』。訓読、意味は本文の通り。

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