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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第七回  宋時雨 雷母の心火に狼狽し 妖道士 術もて東渓村に仇なすこと
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迸り

(とばっち)り」

サブタイにルビが振れないので、こちらで。

 林明智の名である「明智」には、当然「明るく聡明な女性に」という父母の願いが込められている。


 文字というものは、文字そのものに意味があるのだが、意思を疎通する手段として文字そのもの()()を用いるとなると、これは不便極まりない。

 自分の意思を伝えたい相手が、たとえ面と向かって目の前にいたとしても、伝えるためにはその文字を形として表さなければならないからだ。


 そこで文字が生み出される際、それ以前から使われていた意思疎通の手段である「声」、つまり音を文字に宛てがうという作業が行われた。

 簡単に言えば、その文字を「どう読むか」という事だ。


 文字が生み出される以前、人類の口から発せられる音、つまり声には極めて重要な意味があった。

 何しろ他に意思を伝える手段がないのだから。仲間に危険を知らせるにせよ、愛しい者と愛を語らうにせよ、ハンドサインやボディランゲージでは、伝えられる情報量はたかが知れている。


 しかし、文字が生まれ、その文字に声=音が割り当てられると、音そのものの重要度は、それ以前と比ぶべくもないほどに下がった。

 音は単に文字を表現するための手段となり、その音がどの文字と結び付いているのか、聞き手が理解して初めて意味を持つ。その過程を経ない音には、ほとんど意味らしい意味はなく、それでもまだ意味を持つものを挙げるとすれば、それは悲鳴や嗚咽、歓声や嬌声といった、感情がそのまま表に洩れ出たような、ある意味、人類が原初から本能的に備えたものくらいであろう。


 ところが、人類が繁栄し、社会が発展し、文明が進歩していくと、それに伴って表現すべき事象や概念は際限なく増え続け、そのために新たな文字は際限なく生み出されながらも、その文字を表現する音が圧倒的に足りなくなった。


 いや、()()()というのは語弊がある。

 そもそも人類の発せられる音に限りがある事など、最初から分かり切っているのだから、それを超えて文字を生み出してしまえば、音が足りなくなるのも最初から分かり切っている。


 とはいえ、音が足りないから「では、新たに生み出した文字には音を割り振りません」ともいかない訳だし、そうして頭を悩ませている間にも、表現したい事柄はどんどん増えていく訳で、例えばすでに文字に割り当てられている音のイントネーションを変えて別の文字に割り振ったり、或いは別々の意味を持つ複数の文字を繋げて「熟語」という概念を生み出したりと、人類の始祖達の悪戦苦闘には頭が下がるばかりだが、結局はそれも焼け石に水で、遂には諦めてしまったようだ。


 詰まるところ──


 形も字義も全く違う文字でありながら、全く同じ音が割り振られてしまう「同音異義」という概念が生まれた。


 文字は意思を表現する手段であり、音は文字を表現する手段であり、音は文字と結び付いてこそ意味があり、そして話し手の意図がどうであれ、聞き手は聞き手で音と文字を結び付ける。

 だから、たとえ日常的な会話の中に同音異義語が紛れていたとしても、それで困る事はあまりない。

 前後の文脈から聞き手が勝手に、正しくその言葉を文字に結び付けてくれるからだ。そして大抵の場合、聞き手が作り上げた文章は、話し手の意図と合致したものになる。


 それは確かにそうなのだが、一方で同音異義語には非日常的な使い方もある。

 隠語として、或いは揶揄として。要するに「言葉遊び」の類いだ。


「明」は「鳴」と同じ音であって「智」は「鷙」と同じ音である。

 つまり、林明智の名を文字で表せば「明智」以外にあり得ないが、口で発すればそれは「明智」でもあり「鳴鷙」でもある訳だ。


「鷙」は「(鷹や鷲のような)性格の荒々しい猛禽」の事だが、単に「荒々しい性格」を形容する言葉でもある。

 人目も憚らずに激しく雷横を叱り飛ばす林明智を見て、誰かが「ああ、今日もまたmíng-zhì(※1)が…」と呟いたとして、それを聞いた何人が「明智」の文字を思い浮かべ、何人が「鳴鷙」を連想するか。


 更に都合の悪い事に、かどうかはともかくとして、林明智は雷横の父──つまり、雷家に嫁いだ。

 それで林明智の姓が変わる訳ではない。しかし、雷家の一員である事にも変わりはない。


 それを「言葉遊び」の恰好のネタとして、鄆城県の住人の中には林明智をこう呼ぶ者がいる。


雷鳴鷙(らいめいし)」(※2)。

 荒ぶる性格は猛禽の如く、発する声は雷鳴の如し──といったところか。男性の性格を揶揄したものならまだしも、女性を指すにはあまりにもあんまりな綽名(あだな)だ。


 どこぞのドスケベなドチビのように、気の強い女性が好きな者ももちろんいようが、それはあくまで個人の嗜好であって、世間一般の「大人しく、萎らしく、楚々として男性を立てるのが、分を弁えた良い女性」という確固たる価値観がある以上、やはりそこを外れてしまうと周囲からは白い眼で見られ、またこうした異名をもって呼ばれたりもする。


 しかし、林明智にはそんな事を気にする素振りなど微塵もない。そもそも周りの目を気にするような性格なら、初めから人前で雷横を叱り飛ばしたりはしない。


 かくて鄆城県には、今日も特大の()()が轟く。


「こン……の、バカタレがぁっ!!!!」

「………っっ!!」


 事情聴取も滞りなく終わり、()発目を喰らった頭を、火が出るほどの勢いで擦る雷横の前で、両手を腰に当て、フンスと鼻息も荒く仁王立ちする林明智。


「博打に夢中になって有り金(はた)くなんて、どういう神経してんだぃアンタは!!!?大体、博打を止めると大見得を切ってたのは、ついこの間の話じゃないかっ!!」

()つつつつぅ…」

「それを押司(宋江)と口裏を合わせてまで…よくぞ『ちょっと飲んだけ』なんて言いやがったわね!?舌の根も乾かない内から、しっかり手ぇ出してんじゃないのさっ!!」

「いえ、あの…大媽(おば)さん?何も口裏を合わせた訳では──」

「(ギロリ)」

「いえ、すいません何でもないですごめんなさい」


 舌の根も乾かない内から博打に(うつつ)を抜かし、それをまたうっかり口を滑らせてしまった雷横は自業自得としても、別に宋江がそうなるように仕向けた訳でもなし、特に口裏を合わせてもいないのだから、宋江が謝る必要はどこにもないのだが…どうやら宋江の身体にも染み付いてしまってるらしい。


 ところが、話はここから宋江にとって思いもよらぬ方向に進んでいく。


 ずい、と一歩踏み出した林明智は、未だ頭に両手を当てたまま無防備となっていた雷横の懐に手を突っ込み、ガサゴソとまさぐると、


「いや、あの、ちょっと母ちゃん…?」

「やっぱり…」

「あっ!!いや、えーっと、それはホラ、さ…」

「アンタ、さっき『昨夜の博打でスッカラカンになるまで負けた』って言ってたわよね。何だぃ、この銀子は?」

「いや、だからホラ、あーっと…」


 何とか屁理屈を捻り出そうとする雷横であったが…御母堂様は聞いちゃいねぇww

 林明智は静かに、そして鋭い視線を宋江へと投げ掛ける。


「押司、貴方ですね?」

「えっ!?あ、あーっと、それはですね──」

「宋・押・司!貴方ですねっ!?」

「えーっと…はい。あ、いや、しかし──」

「何でこういう事をするんですかっっ!!!!」

「はいっ、すいませんごめんなさいっ!!」


 ほとほと染み付いてるらしいwwww


 雲一つない青空に今日イチの怒声が響き渡り、これぞ正に「晴天()霹靂」というヤツだ。


「前々から押司がこのバカ息子に金を渡してるのは、薄々気付いてはいましたがね!それでも、渡す時と場くらいは弁えてくれてると思ってたからこそ黙ってましたが、今日という今日は──」

「ちょ、ちょっと待って下さい。何もその金でまた博打に行ってこいと渡した訳じゃありませんし、巡捕都頭として配下を連れて巡察に出れば、何かと金が入り用になる事もあります。その時に無一文では小哥(雷横)の面目にも関わる事ですから…」

「掻かせればいいんですよ、恥なんかいくらでも!金が無くて食うに困ったところで、外で恥を掻いたところで、そんなものは全部自業自得でしょうがっ!!自分の行いが自分に降り掛かり、そこで苦労をした時に初めて知るんですよ、自分がどれだけ愚かだったかを!それをその度に押司が肩代わりしてたら、一体このバカ息子は、いつ自分の行いを省みればいいんですかっ!!!?」

「う…」

「母ちゃん、もういい加減に──」

「うるさいっ、アンタは黙ってな!」


 親しいから迷惑を掛けないのではなく、自分が困った時は遠慮なく相手に迷惑を掛け、また困った相手からは遠慮なく迷惑を掛けられてこそ無二の親友。


 そういった考え方は確かにこの国にある。いや、他人を蹴落としてでも自らと自らに近しい者だけの栄達を貪る、一部の文武の高官を除けば、およそ全ての者が大なり小なりそれに似た感情を持っている。

 その最たる位置にあるのが、婚姻に依らず、互いに信と義を交わして結ばれる「義兄弟」の間柄だ。


 それは、今は清風山に上がった三人を見ればよく分かる。

 理不尽に捕らわれた末妹のために三人の兄は、そして末妹の許婚である末弟のために二人の兄は、これまでの生活やこれからの人生は言うに及ばず、この世にただ一つしかない自身の命までをも平然と懸けた。


 そこで後の暮らしがどうのとか、金の事が云々だとか言うようであれば「義兄弟」を名乗るべきではないし、そもそもそんな事が頭に浮かぶような相手なら「義兄弟」の関係を結ぶべきではない。

 だからこそ燕順は王英と鄭天寿を殴り飛ばし、王英は鄭天寿に対して怒りを覚え、それを為した王英と鄭天寿は自分自身が理解できず、そしてまた許せなかった。


 宋江と雷横は正式に「義兄弟」の契りを結んでいる訳ではないが、()()()結んでいないというだけの事であって、それが直ちに関係の浅薄さに繋がる訳では決してない。それこそ宋江の言う通り、二人の親密な関係はもはや兄弟同然である。


 だから、そんな二人には林明智の言葉があまりピンと来ていない。

 殊に、他人に手を差し伸べる事に喜びを覚え、故に周囲から「及時雨」とまで持て囃される宋江は、口では条件反射のように謝りはしたものの、腹の中では「困ってるところに手を差し伸べたからといって、そこまで目くじらを立てなくても…」と、何とも釈然としない思いが拭えずにいる。


 片や林明智が言っているのは、詰まるところ宋忠と同じだ。

 手を差し伸べるという行為は一見美しく見えるが、差し伸べるべき時、差し伸べるべき相手を考えなければ、差し伸べた相手を駄目にする。


孔懐(こうかい)の情』(※3)という言葉があって、簡単に言えば「兄弟が互いを思い合う気持ち」の事だが、林明智だって何も出世と蓄財に生きる性格ではないのだから、その気持ちは十分に分かるし、その大切さも理解している。

 しかし、宋江と雷横が「兄と弟」であるのに対し、林明智と雷横は「親と子」である。兄が弟を想う気持ちと、親が子を想う気持ちが同じである訳がない。それが我が子のために腹を痛めた母親であるなら尚の事だ。


 幼い我が子が腹を空かせれば昼夜を問わず乳を与え、理由も分からず駄々を捏ねれば疲れた体に鞭打ってあやし、長じてからも自分の食事を減らしてまで子に分け与える。


 兄弟の関係が互いに迷惑を掛け、掛けられる「相互の愛」だとすれば、母が子に注ぐ愛情は、言うまでもなく「無償の愛」である。

 年端もゆかぬ我が子から迷惑は掛けられて当たり前だが、だからといって親が子に迷惑を掛けて当たり前などという理屈はない。老いて身体がいう事を聞かなくなれば、()()()()子を頼るのも道理であろうが、まだ子が幼い内から「成人した暁にはアレもコレも頼ろうか」と期待して、まるで成人を待ち構えていたかのように見返りを求めるようでは、何とも浅ましいと言う他ない。


 まして自分が散々そうして親に迷惑を掛けて育てられながら、いざ子の親となって、腹が減ったからと我が子の食事を奪い、疲れているからと育児を放棄し、自分の都合だけを考えて我が子に()()を強いるようでは、いよいよもって救いようがない。もはや、一片の憚りなく「毒親」と(そし)られて然るべき所業だ。


 だが、子を育むにしても、身体と同時に心も育まねば意味がない。身体だけが成長したところで、心が未熟なままでは、世間の荒波を生き抜いていく事など到底出来はしない。


 自らの不甲斐なさによって子に苦労を掛けたいと思う親はいないであろう。

 しかし、時に苦労をしなければ得られない事もある。因果応報や自業自得によって感じる自責、自戒の念は、自分でその苦労を味わってみなければ身に沁みる事はない。


「押司、銀子(これ)はお返しします」

「…いや、しかし──」

「押司」


 怒りを抑え、息を整え、林明智は有無を言わさず宋江の手に銀子を握らせる。


「博識な押司の事ですから『孔懐の情』という言葉を御存知でしょう?押司がバカなこのコを見捨てず、何かと気に掛けてくれている事には本当に感謝しています」

「いえ、そんな…」

「もし、万が一にもこのコが人の道に外れて罪を得るような事があった時には、どうかその情を思い起こし、このコを助けてやって下さい。私の事が気に入らないとなれば、私は押司の気の済むまで、いくらでも足元にひれ伏して首を垂れますから、どうかこのコの事だけは見捨てないでやって下さい」

大媽(おば)さん、止めて下さい。『気に入らない』なんて…そんな事、思う訳ないでしょう?」

「『普段、散々威張り散らしておきながら、何を図々しい事を…』と思われるでしょうね。それは承知の上です。何と言われようと、何と思われようと、私はこのコの親ですから」


 一瞬、ふっと笑みを零した林明智は、しかしすぐに真顔に戻り、銀子と共に宋江の手を握る両手に強く強く力を込めた。


「でも…()()()()()でしょう?」


 普通に考えれば、死出の旅には子よりも親が先に出る。だから、命の危険に冒された時に、人生の岐路に立たされた時に、心の底から案じてくれるのも、そして本当に頼れるのも「兄弟」だ。


 しかし、だからといって老いた今、林明智の役割が終わった訳ではない。


 古人は言う。

『子を養いて教えざるは父の過ち』(※4)であると。


 雷横の父はすでに亡い。だから、母である林明智が教えてやらなければならないのだ。

 自分の行いを省みる事が、いかに有益であるかを。

 自分の行いによって得た苦労が、いかに貴重であるかを。


 正に『愛した者に苦労を教えずにはいられようか、想う者を(おし)え諭して導かずにはいられようか』(※5)と古人が遺した言葉の通りである。


「分かりました。出過ぎた真似を致しました」

「いいえ。私こそ数々の非礼を伏してお詫び致します」


 文字通り地に伏そうと膝を曲げたところで、慌てて宋江に止められた林明智は、宋江の手が離れるのを待って深々と拝礼し、宋江の返礼を受けると、ふいと雷横に視線を向ける。


「アンタ、さっきは自分から『博打は金輪際しない』と宣言したんだからね?」

「…分かってるよ」

「宋押司も一緒に聞いてたんだからね?」

「分かってるってば!」

「それならまあ…今日のところはこれくらいにしといてやろうかね」


 ようやく嵐が過ぎ去りそうな気配を察し、雷横はフッと安堵の溜め息を一つ零すが、


「それと…今日は金を持たずにお勤めに励みな」

「……」


 雷横は言葉もなく、ただ不満げな顔を浮かべる。と──



 ──ペチーン。



「痛っ!!」

「何だぃ、その顔は。大体アンタ、人の話を聞いてなかったのかぃ?笑われようと恥を掻こうと、全部アンタの自業自得なんだから、それに腹を立てたってしょうがないじゃないか。もういい大人なんだから、少しはそういうのに慣れるなり我慢するなりを覚えな」


 それはこれまでと違い「愛の鞭」などとは到底呼べないような、慈愛に満ちた優しい優しい一撃。

 そして、両手を腰に当て、呆れたように我が子の顔を見上げる林明智の表情にも、我が子を案ずる優しい母の顔が覗いていた。


「チッ…分かったよ」

「(怒)……!!」

「あっ…」


 あっ…



 ──ズビッシーっ!!



()っってぇーーっ!!」

「親に向かって舌打ちするなんて、いい度胸してんじゃないのさ!アンタ──……」

「お、大媽(おば)さん、ホントにもうその辺で──……」


 過ぎ去ろうとしていた嵐を、舌打ち一発で呼び戻してしまった雷横であったが、宋江のとりなしもあって、どうにか五発目は喰らわずに済みましたとさ。


 雷都頭。アンタ、ホントお母様の仰る通り、いい加減「自業自得」ってモンを学習しなさいよ…

※1「míng-zhì」

中国語での「明智(鳴鷙)」の発音(ピンイン)。「míng」の「í」と「zhì」の「ì」が通常の「i」と違うのは、イントネーションを表す記号を兼ねているからです。またピンインにはイントネーションを数字で表す方法があり、それによれば「ming2- zhi4」となります。

※2「雷鳴鷙」

全くの造語です。紆余曲折を経て「雷鳴鷙」に辿り着きましたが、綽名(あだな)として成立しているかどうかは定かじゃありません。成立してるといいなぁ。「智」と「鷙」は中国語(ピンイン)では同音ですが、日本語としての「鷙」の音は「シ」のようです。なのでルビは「らいめいし」としました。

※3「孔懐の情」

『詩経(小雅 常棣)』。原文は『死喪之威 兄弟孔懐』。訓読は『死喪(しそう)()(おそ)れあらば 兄弟(きょうだい)(はなは)(おも)う』。「生命の危機のような困難に直面した際、心を寄せてくれるのは兄弟である」の意。この句から、兄弟が互いを思いやる事、兄弟間の仲が良い事を「孔懐の情」と言います。

※4「子を養いて教えざるは父の過ち」

『古文真宝(勧学文 司馬温公勧学文)』。原文は『養子不教父之過』。訓読は本文の通り。意味は読んで字の如し。『勧学文』項からの引用で分かるように、この句の本来の意図は学問を勧めるもので、人倫や道理に対して述べた言葉ではないようです。「司馬温公」とは宋(北宋)の宰相・司馬光の事で、本文の舞台はまだ没後二十数年しか経っておらず「古人」と呼ぶにはちょっと微妙なのですが…

※5「愛した者に~」

『論語(憲問)』。原文は『愛之能勿勞乎、忠焉能勿誨乎』(「勞」は「労」の旧字)。訓読は『(これ)(あい)しては()(ろう)せしむこと()からんや、(ちゅう)なれば(いずく)んぞ()(おし)うること()からんや』。「之」は人を指し「忠」は「之(人)」に対する真心の意で、意訳ではありますが、意味はほぼ本文の通りです。

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