鉄扇子
前回のあらすじ
慕容知州のアレはブッとい。
花栄が茶店で預けた馬を引き取る間、宋江は密かに衙門の厩舎に出向いた。
無論、馬を拝借するためである。
しかし、昼に仕事を切り上げたはずの宋江が、夕に馬を借りたと知れ渡っては何かと都合が悪い。
そこで宋江は馬丁にいくらかの金を握らせ、一頭の馬を連れ出すと、すぐに裏門から出て花栄と合流し、一目散に県城を出た。
轡を並べて宋家村へと向かう道すがらも、二人の会話が絶える事はない。
暮れ掛けた空の下、天下の情勢や名だたる好漢の噂などを話す内、気付けば早、二人と二騎は宋家村の入り口を過ぎた。
「ああ、懐かしいですねー」
「賢弟が以前ここに来てから、かれこれ4、5年は経つが、何も変わってないだろ?」
「長閑でいい所じゃないですか。俺は好きですよ」
そんな他愛のない事を話しながら、二人が宋江の屋敷の門前まで馬を進めると、
「兄さん!?家の方に、それもこんな頃合いに顔を出すなんて珍しいね。今日はどしたの?明日も勤めがあるんでしょ?」
一人の若い男が声を掛けた。
「いいだろ、別に来たって。俺の家なんだから」
「別に悪いなんて言ってないでしょ?ああ、お客さ、ん…んん?もしかして──」
右手の畳まれた鉄扇をポンポンと首筋に当てながら、その男は花栄の顔を覗き込むよう馬に歩み寄る。その様子を、笑みを堪えて眺めていた花栄は、男が間近に迫ったところで馬を下り、恭しく拝礼した。
「四郎、久しぶりだな」
「大郎(花栄を指す。※1)?大郎じゃない!?まさかここで会えるなんて!これは夢じゃないよね!?」
「ははは、さすがに血は争えないな。驚き方が宋哥とそっくりだ」
男が慌てて礼を返すと、花栄はその手を取り、肩を抱いて再会の喜びを分かち合う。
相手は言うまでもなく宋江の弟・宋清である。
「おい、四郎。あんまり馴れ馴れしい口の利き方をするなよ?今や賢弟は青州禁軍の提轄閣下だ。機嫌を損ねたらお前なんてイチコロだぞ?」
「宋哥、止めて下さいよ。他人行儀な態度をされたら却って傷付きます。四郎、前と同じように、気楽に喋ってくれ」
「そうだよ、兄さん。いくら出世したからって…歳だって俺と大郎は同い歳なんだしさ」
「はは、冗談だ、冗談」
笑いながら馬を下りた宋江は、花栄の馬も併せて引き連れ、作男へ預けに向かった。
「けど大郎、今日はまた何で鄆城県に…何かのお役目?」
「いや、そういう訳じゃないんだが。それより四郎、その鉄扇は…」
「ん?勿論あの時のだよ?」
「まだ持ってたのか」
「当たり前じゃん、俺の宝物なんだから。最近じゃ周りから『鉄扇子』なんて呼ばれてるくらいだよ」
その鉄扇に花栄は見覚えがある。
以前、花毅に連れられ、妹と共にこの宋家村を訪れた時の事。
県城で宋江と宋清の出迎えを受け、揃って宋家村に向かう道すがら、一行は数人の集団に襲われた。
とはいえ、花毅はすでに青州禁軍士官として勇名を馳せていたし、花栄は花栄で名こそ今ほど知られていなかったものの、青州に戻ればいよいよ禁軍に身を投じようかといった時期で、当時から弓の腕前は一級品であったから、たかが破落戸風情の数人に囲まれたくらいでは何ほどの事もない。
花毅が下馬して賊と対峙する間もあればこそ、花栄が馬上で弓を取って矢をつがえ、膂力をもって満月の如くに引き絞れば、それで勝負は決したも同然である。
首領と思しき男は片手に鉄扇を弄びつつ、押し出した手下の陰で余裕の笑みを浮かべていたが、それも束の間、花栄が男に狙いを定めて弦を弾けば、剄木から解き放たれた矢は寸分違わず手下達の間隙を縫い、鉄扇を弄ぶ男の腕を射抜いた。
仰天する賊達を尻目に花栄が二の矢をつがえるや、まずは射抜かれた男が恐れをなし、落とした鉄扇を顧みもせず逃げ出すと、残された賊達も蜘蛛の子を散らすように四散した。
無論、その時に賊が打ち捨てていった鉄扇こそ、今、宋清が携帯してる物である。
さて、その鉄扇を宋清が所有したいと言い出して、真意を図り兼ねた花栄は眉を顰めた。
いや、花栄だけではない。花毅も、宋江も、花栄の妹までもが、おそらくは花栄と似たような感情を抱いて、一様に微妙な表情を浮かべていた。
鉄扇も持っていれば何かと使いようが無いでもない。
青州ほどではないにせよ、鄆城県下にだって野盗の類いは出没するのだから、たとえ鉄扇といえども身に帯びていれば、いざという時の備えにならなくもない。
多少なりとも鎗棒が使える宋江と違い、全く武を嗜まない宋清のような男には、尚更護身の術が必要だ。
そこまで物騒でなくとも、重い鉄扇は持っているだけで腕力や握力の鍛練にもなる。かの有名な仙人も、修行の一環と称して弟子の二人に亀の甲羅を背負わせたという、その手のアレだ。
それに亀の甲羅と違い、鉄扇を腰に挿したところで、さして見栄えの悪い事もなし、ついでに言えばそれが「賊除け」になる可能性だって多少はある。
一方で当然と言えば当然だが、普通の扇にあって当然の、ある意味「扇」としての存在意義と言っていい「涼を得る」という機能が鉄扇にはない。
それはまあそうだ。鉄でできてるんだから。
むしろ涼を取りたいと思うほどクソ暑い中、わざわざそんなクソ重たい扇子を使うくらいなら、黙って座っていた方がよほど疲れもせず、汗もかかずに済んでマシである。
それをどう判断するかは人それぞれに違う。
「確かに欠点はあるけども、それを上回る利点がある」と見る人もいれば、逆に「どれだけ使い道があっても、本来の目的に使えないんじゃ仕方がない」と捉える人もいる。
だから皆はたまたま後者派で、揃いも揃って難しい顔を浮かべていた──という話ではない。
彼らは皆、はっきりと「宋清に鉄扇を持たせるべきではない」という意図を持っていたのだ。
そんな周囲の空気を余所に、普段は唯々として周りの意見を受け入れる宋清が、その時ばかりは我を通して譲らなかった。
いよいよは破落戸との小競り合いを「戦」に準え「未だ禁軍に仕えていない花栄にとっては初陣も同然だから、この鉄扇を戦勝の記念にする」とまで言い出す始末で、結局その鉄扇をせしめてしまった。
以来、宋清はその鉄扇を肌身離さず、ずっと持ち歩いている。
故に「鉄扇子」。読んで字の如く「鉄の扇を持つ者」である。
花栄の心中は今、複雑だ。
それを誇るかのような、宋清の振る舞いに対する叱咤。
それを知っていながら止められなかった、自らに対する慙愧。
「鉄扇子」は「鉄の扇を持つ者」という意味ではあるが、また「鉄扇」そのものを表してもいる。
『涼を取りたいと思うほどの暑い盛りに、わざわざ重い鉄扇を使うくらいなら、黙って座っていた方がよほどマシ』
確かに鉄扇には多くの用途があるだろう。しかし、どれだけ言葉を尽くして飾り立てても、鉄扇はあくまで「扇」であって、そこに扇本来の「涼を得る」という用途が含まれない以上、扇としての価値はない。
だから鉄扇には──即ち「鉄扇子」という言葉には、スラングとしてもう一つの用途がある。
『側に在って用はなく、無くて皆目困りもせず、毒にも薬にもならない役立たず』
確かに宋江は一見すると風采の上がらぬ地味な男だが、義気に満ち、財を軽んじる男として江湖(世間、渡世)に広く名を知られ、周囲には自然と人が集まり、何かと話題には事欠かない。
翻って宋清は見た目もさる事ながら、その内面までもが良く言えば極々普通、悪く言えば地味な上に凡庸であって、およそ世間の耳目を集めるような行いとは無縁の暮らしをしている。
血を分けた兄弟でありながら、巷間の評判が対照的な二人は、ただでさえ何かと比較されがちだというのに、鴨がネギを背負うように宋清が鉄扇を持ち歩けば、周囲からはどんな目で見られる事か。
皆、最初から分かっていたのだ。
そして今、正しく皆が危惧した通りになっている。
花栄は宋清に思う。
なぜ、使いもしない鉄扇をひけらかすように持ち歩いているのか。
「花栄の初陣を記念して」と言うのなら、それはそれで構わない。その気持ちも素直に嬉しい。しかし、それをわざわざ見せびらかすような真似をするから「鉄扇子」などと綽名されるのだ。
そんな輩はその鉄扇で叩きのめしてやれ、とまでは言わずとも、せめて憤慨し、発奮し、周囲を見返してやろうとする気概くらいは見せてくれ──と。
そしてまた花栄は己に思う。
なぜ、あの時もっと強く止めなかったのか。
説得すれば今からでも宋清に鉄扇を手放させる事はできよう。しかし、気に入らないのは宋清が「鉄扇子」などと揶揄されるからこそであって、鉄扇を手放すか否かが問題なのではない。
それに、その綽名が広く定着してしまった今、たとえ鉄扇を手放したとしても、綽名まで消し去るには途方もない時間を要する。というか、宋江の存在と宋清の性格を考えれば、事実上不可能である。
だからこそあの時、鉄扇を諦めさせるべきだった──と。
「…大郎?どうかした?」
「いや…かれこれもう4、5年は経つのに、殆ど傷んでないみたいだな」
「そりゃそうだよ、ただ持ち歩いてるだけなんだから。勿体なくて使えないよ」
「…そうか」
「おーい、お前達いつまでそこに居るつもりだ?四郎もいつまでも喋ってないで、早く賢弟を案内しろよ。夜になっちまうぞ」
「あ…はは、それもそうだ。ほら大郎、早く父さんに顔を見せてやってよ」
「…ああ、そうだな」
戻った宋江に窘められ、宋清は精一杯の笑みを見せる花栄の腰に手を当てて屋敷へと促す。
宋清は知っている。
どこか影のある笑みを浮かべ、自分の前を行く花栄が今、何を思っているのかを。
更に言えば、あの時なぜ、皆が口を揃えて鉄扇を持つ事に異を唱えていたのかも知っている。
つまり、宋清は自分が鉄扇を持つという行為の意味も、それによって周囲から「鉄扇子」などと綽名されるであろう事も、その意味も、全て理解した上で鉄扇を持ち歩いている。
それは自分への「戒め」のようなものだ。
宋清はずっと家業の農作業に専念してきた。
宋江のように役人になろうと思った事もなければ、進んで天下の好漢と友誼を深める事もない。
宋江は鎗棒を嗜む。
「花栄と並び立つ腕前」などとは口が裂けても言えないが、それなりに形にはなっているし、何より腕前を身に付けようとする意思がある。
宋清にはそれもない。
ひたすら土に塗れ、畑仕事に精を出す。
それが父の望みであり、そしてそれ以上に宋清自身の望みでもあるからだ。
人には持って生まれた「分」がある、と宋清は思っている。
劉邦は一介の小役人から皇帝にまで昇り詰め、400年の長きに亘る漢の礎を築いた。
劉備もまた一介の莚売りから、領地は巴蜀に止まるとはいえ、皇帝を名乗るまでに至った。
かと思えば、秦末の陳勝や呉広、唐末の黄巣や王仙芝のように、卑賤の身から一度は民の期待を負う立場にまで昇りながら、僅かの期間でその座を追われ、無残な最期を遂げた者もいる。
彼らの何が違うのか。
何も出自が低い者達に限った話ではない。
歴史に名を残す帝王将相(※2)の中には、名家に生まれ落ちたが故に将来を嘱望され、見事その期待に応えた傑物として伝わる者もいれば、似たような生い立ちでありながら、期待に背いて国を滅した愚者として伝わる者もいる。
それの何が違うのか。
天の時、地の利、人の和。
評する者によって理由は様々であろうし、実際にそういった要因もあったのだろうが、その人の持って生まれた分こそが最も大きな要因であろう、と宋清は考える。
貴きも賤きも、尊きも卑しきも、人には持って生まれた分があって、その分を弁えた者達は身を立し、外れた者達が身を滅ぼしたのだ、と。
だから、宋清はその分を外れる事を恐れる。
宋清の家は先祖代々、宋家村で田畑を守って暮らしており、宋清が父の後を継ぐ事になっている。
本来であれば宋江が継いで然るべきだが、当の宋江は役人になるため父の反対を押し切って家を出てしまい、そのお鉢が宋清に回ってきたという訳だ。
宋清は兄の生き方を否定しない。そして父の望む通り、家を継ぐと決めた。
望外に土地屋敷が手に入る事になったからとか、そういった類いの話ではない。
父には父の、兄には兄の分がある。しかし、自分の選んだ道が、まして他人の選んだ道が分に沿っているか否かなど、選んだ時点では知りようがない。精々分かるとすれば、人が今際に際して過去を振り返り、そこで初めて自分の生が分相応であったとか不相応であったと知れる程度だ。それならば、その時々で各々が望み、信じた道を進むしかない。
兄が信じた道を進み、父が家を継ぐよう望むのであれば、それを受け入れる事こそが自分の分であろう、と宋清は信じた。
ところが──
家を出た宋江が持ち前の性分で周囲の信望を集め、その名が世に広まっていくに連れ、弟の宋清にまで世間の耳目が注がれるようになった。
いよいよは宋江を斉の田文や漢の蕭何(※3)に、宋清を周の姫旦(※4)に準える者まで出始めたりもする。
宋清にしてみれば、迷惑な事この上ない。
国の政道が乱れて民に不満が溜まると、当然その矛先は官に向けられる事となるが、改善を願う気持ちが向けられる事はあまりない。徒労に終わる可能性が極めて高いからだ。
どんな政策を立てようと全ての民が満足する事はあり得ないが、それでも国家が健全であれば、多くの民が不満を溜め込む前に国を統べる者達が自ら襟を正し、民心を安定させてしまうものだ。そこに至らず、政の乱れが民に遍く噂されるという事は、すでにそうした自浄作用が機能不全に陥っている訳で、そんな不健全な国家とそれを招いた為政者達に、何かを求めてみたところで話は始まらない。
それを知るからこそ、民は自らの窮状を救う英雄を野に求め、或いは他領の主に求める。
劉邦も劉備も、或いは陳勝も黄巣もそうであるし、古くは周の武王や秦の始皇帝がそうであって、極論をすれば新たに国を興した者達は、押し並べてそんな民の希求に応じて頭角を表したと言っていい。
何もこの国に限った話ではない。およそ人類は、そして国家という社会形態の歴史はそうして紡がれてきた。
それは確かにそうなのだが、宋清はそうして他者を推す者達をあまり好ましく思っていない。
一言で言えば無責任なのだ。
推す側の圧倒的多数は推される側の何を知っている訳でもなく、都合を考えている訳でもなく、ただ自分と自分に近しい者の都合だけで容易に他者を頼る。真に国を想い、民を想い、その上で尚、他者を戴くというのは、その声に応える者に直接仕える極少数だけだ。
推される者がその声に応える時は人生が懸かっている。周囲の声に応えて立ち上がり、武運拙く戦に敗れれば、その後に天寿を全うできる可能性は皆無に等しいと言っていい。
しかし、それでもまだ推される方はいい。宋清の言を借りれば、結果的に分を持っていた者が身を立て、持たざる者が身を滅ぼすという事になろうが、身を立てようが滅ぼそうが、自分の分を信じてその道を進んだのだから。
だが、他人の分が見えた訳でもなかろうに、散々持ち上げるだけ持ち上げて、それで推した者が天下を取れば誉めそやす割には、自分が思った通りの人物でなかったと思えばすぐに見限り、自分の窮状が改善されなければ口を極めて非難し、相手が途中で命を落としたところで精々哀悼の意を捧げるくらいなのだから、いくら何でも推す方の無責任は目に余る。
そんな無責任な声が、再びこの国には満ち始めている。
役人達はこぞって財を貪り、その皺寄せを負って塗炭の苦しみに喘ぐ民の中には、世を捨て、山野に潜み、公然と朝廷に反旗を翻そうという者も少なくない。
当然、民達の視線はいやが上にも野に向かい、その視線が無遠慮に向かう幾人かの中に宋江はいる。と同時に、その宋江と血を分けた宋清に期待する声もある一方で、社交的な宋江とは対照的に、内向的で家を守る事に汲々とする宋清を無責任に非難する声もある。
そうして無責任にあげられた声と、それに応えた者達があってこの国は在る。それは紛れもない。
全ての人々が宋清のように人の上に立つ事を拒んでいたら、そもそも国家など成り立ちようがない。成り立った国家が時を経て不健全な形に歪んでしまっても、代わって立つ者がいなければ、その国に暮らす民は子々孫々に至るまで虐げられたままだ。それくらいは宋清にだって分かる。
分かった上で尚、宋清はそれに応えようとは微塵も思わない。
誰がどんな分を持つのかなど誰にも分からない。分からないから、周囲は「人の上に立つ分を持っているかもしれない」と都合よく解釈して宋江に期待する。
宋江はそれを望まないだろうし、宋清も勧めはしない。しかし、血を分けた弟の目から見て、やはり人の上に立つのは兄のような男であろうとも思う。だから勧めはしないが、もし宋江が自らの意思で、或いは周囲の思いに抗えず、人々を統べる立場に就こうというのなら、それも宋清は否定しない。
自分ではないのだ、と宋清は思う。
自分にその分はない、と。
人々を統べるという行為は、統べられる人がいなければ成立しない。
人の下に付くのなら、まず上に立つ者がいなければ始まらない。
統べる者と統べられる者の、どちらも組織に必要不可欠だというのなら、宋清は下に付く方を選ぶ。それが自分の分であると信じているからだ。
そんな宋清の信念などお構いなしに掛けてくる周囲の無責任な期待など、迷惑千万に決まっている。
だが、期待が集まり続け、非難を浴び続ければ、いつしかその信念が揺らぐ事もある。
元より周囲の声に増長し、身を滅ぼした者の例など枚挙に遑がない。
だからこそ、宋清は鉄扇を持つ。
自分は何者でもないのだと自戒するために。
人々から嘲られ、嗤われる事で、自らが思い上がらぬために。
宋清の理屈は正に「下々の思考」であって、なかなか周囲には理解されがたい。殊に将として兵を率いる立場の花栄には難解であろう。
折に触れ、花栄からは鉄扇を手放すよう忠告を受ける事になるであろうが、それだけは宋清も譲る気はない。代々続いた家を継ぐと心に決めた以上、そしてそれこそが自分の分だと信じた以上、無責任な周囲の言葉に惑わされて調子に乗っている場合ではないのだから。
自分を案ずる気遣いに対する嬉しさと、それを無下にしなければならない心苦しさを抱きながら、宋清は花栄と共に屋敷に入った。
※1「大郎」
排行が一番目(長男)の者に対する呼称。花栄の兄弟姉妹について『水滸伝』作中では妹が一人いる事しか触れられておらず、二人兄妹なのか、他にも兄弟姉妹がいるのか、はっきりとした記述はありません。「水滸前伝」では二人兄妹の設定です。
※2「帝王将相」
皇帝、王侯、将軍、宰相。
※3「斉の田文や漢の蕭何」
「田文」は戦国・斉の宰相。戦国四君の一人、孟嘗君。「蕭何」は漢初の功臣。『水滸伝』では宋江が初めて登場する場面で、この二人を引き合いに出している。
※4「周の姫旦」
周の武王の実弟。日本では『封神演義』での「周公旦」の方が通りがいいかも。当然『水滸伝』の作者から「鉄扇子」なんて綽名を付けられている宋清が、その『水滸伝』の中で姫旦に準えられているなんて事実はありませんww




