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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第六回  李柳蝉 蒼翠の麓に泪を揮い 小将軍 鄆城に義兄を訪うこと
62/139

妹にだって言い分はある

 突然、花栄の拝礼を受けた宋江は、目を白黒させてその場で固まってしまった。

 事態が飲み込めず、しばらくの間考えていたのだが、やがて…


「宋哥、どうしました?」

「賢弟?賢弟じゃないか!?」

「良かった。あまりに御無沙汰してたので、顔を忘れられたのかと…わっ!?」


 花栄の顔を認めた宋江は、そこが往来である事も忘れ、花栄の手を取ると思い切り身体に抱きついた。


 時に「その器は海より広く、その徳は天より高い」とも讃えられる宋江なのだが、ではその外見はいかがなものかとなると、何と言うか「人は見掛けによらぬ」という言葉を見事に体現したような風体である。


 顔はまあ可もなく不可もなく、といったところであろうか。見る人によってはイケてるように見えなくもない。

 風の噂に聞く「鬼臉児(きれんじ)(鬼の顔)」などと綽名(あだな)される顔の持ち主を思えば、よほど造りは整っているのだろうが、さすがに目の前の花栄と比べてやっては酷である。


 肌は浅黒く、一見すると「健康的な小麦色の肌」を持つ。

 農夫や漁師のように、日頃から炎天下で汗水を流しているのならそれも道理だが、日のある内の大半を衙門で過ごす宋江の肌が日に焼けるはずもなく、単に生まれつき地の肌が浅黒いだけである。

 要するに、健康体ではあるが健康的でも何でもない。


 それが物珍しいのか、周囲には宋江の排行が三番目である事と合わせて「黒三郎(こくさんろう)」(※1)などと呼ぶ者もいる。

 そこまで気になるというほどの事もなく、それが悪いという訳でもないのだが、どこぞの女っ(たら)しな公子とまでは言わずとも、兵の調練など、軍務で遥かに宋江より日に当たっているはずの割に肌の白い花栄と並ぶと、宋江の肌の黒さはちょっと目立つ。


 背はお世辞にも高いとは言えない。


 いや、低い。


 どこぞのドスケベなドチビほどではないにせよ、抱きついた花栄とは大体、頭一つほどの差があって、花栄がちょっと頑張れば、宋江の頭に顎が乗るほどだ。

 宋江の方が花栄より5つは年長でありながら、遠目に見ればどちらが弟か分からない。


 体型は「中肉」と表現するのも烏滸がましいほどには小太りである。その上に背が低い宋江は、出張(でば)った腹が余計に目立つ。

 筋肉質でスラリと背の高い、所謂(いわゆる)「細マッチョ」な花栄と比較するとか、可哀想なので是非ともお止めいただきたい。


 いや、久しぶりに花栄の顔が見れて嬉しかったのか何なのかは知らないが、そもそも抱きつく方が悪い。


 抱きつかれた弟の方は「容姿端麗」やら「眉目秀麗」やらと形容される顔面に細マッチョなボディを完備し、普段から世の女性達に、惜しげもなく尊み成分を振り撒いている男だ。

 離れていればそこまで気にならないものを、わざわざそんな何もかもが整い過ぎたハイスペックガイの隣に立ったら、嫌でも比べちゃうに決まってるだろうが。


 そのくせ人望だけはべらぼうに高いおかげで、どれだけ見た目でナメられても、一言「手前は宋江です」と名乗れば、(たちま)ち相手がひれ伏してしまう特殊能力を持っているとか…世の中ナメてるのはどっちですか?


 宋江というのは、かようなまでに「眼が有れど泰山を()らず(※2)」を地で行く、何とも不思議な男なのだ。

 今後、もし一人旅をする時は、名乗る間もなく賊に命を取られぬよう、迷わず首から名札をぶら下げて行く事をお薦めしたい。


「思い掛けずここで賢弟に会えるとは。まさかこれは夢じゃあるまいな」

「はは、夢じゃありませんよ。こうして宋哥に会う為に、遥々青州からやって来ました」

「本当に暫くぶりだな。達者だったか?」

「ええ。宋哥もお変わりなさそうで何よりです」

「青州の義父上(ちちうえ)(花毅)も?」

「ええ、宋哥に宜しくと言ってましたよ。鄆城県(こちら)の義父上もお変わりありませんか?」

「ああ。父上も四郎も変わりないよ」


 宋江は県下の宋家村という農村に生まれた。

 衙門に勤めるにあたって「通うに便利だから」と城内に家を借りているのだが、生家には父と弟が残って田畑を守っている。

「四郎」とはその弟・(そう)(せい)の事だ。


 そこへ──


「お客さん、いきなり店を飛び出さないで下さいよ!」


 荷物もそのままに店を出た花栄を追って、茶店の給仕が声を掛けた。


「あ…ああ、すまん!まだ茶の代金を払ってなかったな。踏み倒そうとした訳じゃないんだ。許してくれ」

「びっくりしましたよ、全く…おや?宋押司じゃありませんか」

「お、李五じゃないか。どうだ、店は繁盛してるか?」

「ええ、お陰さまで」

「何だ、賢弟。お前、金も払わず店を出たのか?」

「いや、お恥ずかしい。宋哥の顔を見掛けたら、思わず身体が動いてしまって…」

「ああ、もしかして旅のお方の知り合いというのは、宋押司の事だったんですか?」


 恐縮(しき)りの花栄に対し、李五と呼ばれた給仕は抱擁を解いた二人の顔を見るや、呆れたように笑みを零す。


「相手が宋押司なら、尚の事わざわざ店で待ってないで、衙門をお訪ねになられれば宜しかったものを」

「ん?賢弟がどうかしたか?」

「ああ、いえいえ、大した事じゃないんです。こちらのお方が、約束もなしに訪ねて仕事の手を止めてしまっては迷惑が掛かるからと、押司さんが衙門から出てくるのをお待ちになってらしたので…」

「賢弟、何を水臭い事を言ってる!約束してようがしてなかろうが、遠慮なく訪ねてくれていいに決まってるだろ!俺の事をそんな薄情モンだと思ってたのか!?」

「ほらぁ…」

「い、いやいや、決してそんな風には思ってませんよ」


 二人に責められ更に恐縮する花栄であったが、とにもかくにも一旦揃って店に戻り、花栄と宋江は昼食を摂る事にした。

 二人で奥の個室に移ると宋江は、


「五郎(給仕。李()の事)、酒と肴を頼めるか?」

「押司さん、ウチは茶店ですよ?まあ、多少ならありますが…」

「じゃあ、取りあえずあるだけ頼む。その間に買ってきといてくれ。金は賢弟の茶代と併せて俺が払うから」

「いや、宋哥。俺が突然訪ねてきたんですから、宋哥ばかりに散財させる訳には──」

「だから…水臭い事を言うなって!逆だよ。折角、訪ねてくれた賢弟に金を使わせる訳ないだろ?」


 やいのやいのと、どちらが代金を引き受けるか仲良くやり合う二人。

 給仕はそれをしばらくの間、微笑ましく眺めていたのだが、埒が明かないと一旦帳場に戻り、酒と肴を手に再び個室に戻ってみれば、二人は飽きもせずにまだやり合っていた。


「はいはい、分かりました。どちらがお支払いいただくかは、お帰りまでに決めていただければ結構ですから。押司さん、酒と肴はどのくらい買ってきますか?」

「ん?そうだな…まあ、お前に任せる。ああ、遠慮は要らないからな。何なら今、酒家(居酒屋)にある分、全部買ってきてもいいぞ?」

「宋哥、いくら何でも言い過ぎですよ…すまんな、適当に見繕ってきてくれ」

「別に余ったらここの亭主にくれてやればいいだけの話だろ」

「何がどういいんですか!?」

「五郎、ほら行った行った。この程度の酒じゃ、すぐに飲み切ってしまうぞ?」


 右手でシッシッと給仕を追いやると、宋江は思い出したようにその背に声を掛ける。


「後で足りなくなって、何度も買い足しに行くような買い方をしてくるなよ!」

「分かりましたーっ」

「もしそんな事になったら、衙門(ウチ)の連中に『二度とこの店を使うな』って言いふらすからなぁ!」

「止めて下さい!店を潰す気ですかっ!?」


 からからと上機嫌に笑う宋江と共に、花栄は苦笑混じりに給仕を見送った。


「よしっ、酒と肴の目処は付いた。思う存分飲もう、賢弟」

「ええ、()りましょう」


 椀に注いだ酒を二人は一気に喉へ流し込み、大きく息をついて一頻り笑い合う。


「あ、いやしかし、宋哥。仕事の方はどうなんですか?」

「ん?どうもこうも最近は平穏そのもので、衙門の連中は皆、気楽なもんさ」

「いえ、そういう事じゃなく…午後も仕事があるんでしょう?あまり飲み過ぎると仕事に障りますよ?」

「おいおい…相変わらず真面目だな、賢弟は。こんな日に仕事なんかしてられる訳ないだろ?早退だよ、早退」

「いや、ダメでしょ…宋哥は頃合いを見て一度、仕事に戻って下さいよ。もう酒も肴も頼んでしまった以上、店を変える訳にはいかないでしょうから、俺はここで適当に()りながら、宋哥の仕事が終わるまで待ってますよ」

「賢弟、暫く見ない間に随分つれない事を言うようになったな…よし、そこまで言うなら、ちょっと待っててくれ」


 椀に残った二杯目の酒を一気に飲み干し、宋江は店を出て衙門に戻っていった。


 仕事を早く切り上げるために今の内から午後の仕事に取り掛かるのかと、宋江の心遣いに感じ入っていた花栄であったが、なけなしの肴をつまみに一人ちびちびと酒を()っていると、宋江は満面の笑みですぐに戻ってきた。


「宋哥、どうしました?」

「ああ。体調が悪くなったからと、知県に早退の許可を貰ってきた」

「…ええっ!?」

「いやー、丁度知県が昼メシ食いに行こうとしてたトコに行き会えて助かったわー。あそこで会えなかったら、後でまた衙門に行かなきゃなんないトコだった」

「宋哥、気持ちは嬉しいですけど大丈夫なんですか?」


 花栄の向かいに、どっかと腰を下ろした宋江は大仰に手を振ると、


「大丈夫だって!さっき言ったろ?ここのところは大した事件もなく、衙門は平穏そのものなんだよ。俺一人くらい居なくなったって誰も困りゃしないさ。そもそも居なくなった事にすら気付かないんじゃないか?」

「そんな訳ないでしょ!?」

「とにかく!もう話は済んだんだから、賢弟もあんまり堅苦しい事言ってないで、心置きなく飲め。どうでも仕事に戻れって言うなら戻らん事もないが…俺に恥を掻かせるなよ?」

「はぁ…」


 確かにそうだ。

 一度「早退する」と衙門を出ていながら「いや、やっぱり体調が良くなったから…」と戻るのは、何とも体裁が悪い。

 正式に知県の許可を得ているのなら尚更である。


 諦念の溜め息を一つ零し、花栄は吹っ切れたように椀を持ち上げた。


「分かりました。今日はもう、とことん()りましょうか」

「よっし、そうこなくっちゃ!」


 弾けるような笑顔を交わし、二人は数年ぶりの積もる話を語り合う。

 そうこうする内に給仕が新たな酒と肴を手に顔を出した。


「お待たせしましたぁ」

「おっ、いいトコに来たな。丁度、酒が切れたトコだ。ちゃんと酒家丸ごと買い占めてきたか?」

「そんな訳なくないですか?取りあえず手に持てるだけ買ってきました」

「おいおい、それじゃまた買いに行かなきゃならんぞ?今日で店を閉めるつもりか?」

「止めて下さいよ!?後で酒家の亭主が持ってきてくれますから」

「すまんな、手間を掛けて」

「あー、いえいえ、お気になさらずに」

「…俺への応対と随分違うな」

「馴染みの押司さんと同じ態度だったら寧ろ失礼でしょ?気分良く散財していただく為には、まず気持ちのいい接客から、ですよ。それで万が一お代を頂けずに逃げられたとしても、押司さんのお連れ様なら、後でいくらでも押司さんから取り立てられますしね。これほど安心なお客さんはいらっしゃいませんよ」

「それはさっき謝ったろう…」

「五郎よ、あんまり賢弟を苛めてくれるな。過ぎた事をいつまでも言ってると、お前のある事ない事、訴状に書き連ねて知県に上奏するぞ?」

「止めて下さいってば!店だけじゃ飽き足らず、人の一生まで滅茶苦茶にする気ですか!?」


「では、ごゆっくり」と李五が個室を退けば、酒と肴が揃い、互いに懐かしい顔を前に軽口を叩き合い、正に宴もたけなわといったところである。


「そういえば、賢弟には妹がいたな。そろそろ嫁に行ったか?」

「いやいや、まだ家に居座ってますよ。何しろ気が強い上に口が悪くて…アレじゃあ、いつになったら貰い手が現れるのか。以前、宋哥もお会いになったでしょう?」

「ああ、覚えてる覚えてる。そうか、相変わらずか。あの負けん気で男に生まれてたら、さぞかし一廉(ひとかど)の将になってたろうになぁ」

「何なら宋哥か四郎の相手にどうですか?父もお二人なら喜ぶと思いますが…」

「おいおい、勘弁してくれ」


 宋江は苦笑を浮かべて大仰に手を振る。椀に飲み()しの酒を一気に喉へ流し込むと、


「もう会ったのは何年も前になるが、俺が見た目を散々にイジり倒されて、暫く凹んでたのを覚えてるだろ?あの()がまだ年端もいかん内からアレなんだから、磨きが掛かった今になって貰ったら、3日と経たずに泣かされちまうよ」

「いやぁ、その節はホントに…」

「まあ、普段から見慣れてる賢弟の顔を基準にされたら、そりゃあ俺なんか歯牙にも掛からんさ」

「いや、そんな事はないと思いますが。アレは持って生まれたモンでしょう」

「ま、あの性格じゃ、余程気の強い男でなければ相手は務まらんな」

「ホント、そんな婿が現れてくれればいいんですけどね」


 呵呵と笑う宋江に対し、花栄は心底諦め顔だ。


「ところで、こっちはまずまず平穏だが、青州の方はどうだ?」

「あ…」

「ん?何かあったか?」


 何かあったどころではない。清風鎮での一件からは、まだどれほども経っていない。

「推測も多分に入っているんですが…」と断った上で、花栄は清風鎮での出来事を事細かに語った。


「そりゃあまた…その村の連中にとっては、何とも災難な話だったな」

「全くです。あんな男が正知寨として権力を握ってたばかりに…今頃は、さぞや苦しい生活を送ってる事でしょう」

「ウチの知県はそこまで酷い事をするお方じゃないが…次はどうなる事やら」


 宋江らのような胥吏には任地の異動がない。一度、胥吏として採用されれば、定年まで同じ地で勤め上げるのだが、対して朝廷の任命によって各地に派遣される知府州(知府や知州)や知県などの官僚には、数年おきの異動がある。


 中には延々と同じ地に留まっている官僚もいるにはいるが、そういった者達は押し並べて朝廷にコネを持っている。それも触れれば切れるような蜘蛛の糸ではない。ブッといブッとい、アレのようなコネだ。


 ちなみに、アレというのは綱だ。

 いや、大樹かな?まあ、この際どっちでもいい。

 どっかのドスケベなドチビじゃあるまいし…。


 青州の慕容知州がいい例である。彼以上に極太のアレを持つ者はそうそういない。

 何しろそのアレが繋がる先は、朝廷どころか帝室である。そのアレを最大限に利用し、その上で尚、朝廷の高官に(まいない)をバラ蒔いて、長年、知青州として権力と富を貪り続けている。


 ちなみに、ここで言うアレはコネだ。

 慕容知州のアレがナニして極太な訳ではない。


 稀な例としては領民に慕われ、請われて同地に留まる者もいる。しかし、その数は極めて少ない。


 そもそも、朝廷の高官が民の請願を聞いてやる必要からしてない。そんなものを聞き入れたところで、自らの出世には毛ほどの役にも立たないし、一銭の得にもならないのだから。


 それはつまり「目に見える得さえあれば」という事だ。


 とはいえ、民がどれほど力を合わせようと、朝廷の高官を出世させられる訳がないのだから──後は言わずもがな、である。


 領民の立場で見れば、詰まるところは「誰のために金を使うのか」という話だ。


 清廉、有能な者が民の上に立てば、例えば灌漑が進んで農地が潤う事もあるだろうし、或いは治安が安定して商いが盛んになる事もある。

 その治世を長く望むためには、出せる者が出し合って、決して少なくはない金を然るべき相手へ納める必要があるのかもしれないが、それでその地が栄え、()いては民の暮らしが豊かになるのであれば、その金はそこに住む領民のために使った事になる。


 しかし、清廉、有能な者が去り、代わりに悪辣な者が民の上に立てば、暮らしは一向に上向かず、ただ徒に財を(むし)り取られるだけである。そこでどれだけ絞り取られようと、自らに返ってくる余地は微塵もない。


 結局のところ「先に差し出すか」「後で差し出すか」というだけの違いであって、どうせ差し出すのなら自分達に返ってくる方を選ぶに決まっている。


 それは、ともあれ──


 コネもなく、領民に慕われてもいない大半の官僚達には異動がある。異動があれば、当然今より栄えある職に任ぜられる者がいて、朝廷の覚え悪く、今より僻地に飛ばされる者もいる。


 保身に汲々とする地方の官僚達が、どちらを望んでいるかは言うまでもない。だから彼らは、こぞって朝廷の高官に(おもね)り、日々売れるだけの媚びを売りつけ、絞れるだけの財を民から絞り取っては高官に送りつけている。

 そんな者達が、戴く者を選べない民達にとって「ハズレ」である事もまた言うまでもない。


 宋江が言う「次」というのは、そういう事だ。


「しかし、廃村となったその村の者達には悪いが、そんな正知寨を除いてくれたとなれば、今頃清風鎮の住人達は、さぞ喜んでるだろうな」

「そうかも知れませんね。『賊が東寨に押し入って騒ぎを起こしてる』と知らせてきた住人はいましたが『正知寨を助けてくれ』という住人は一人もいませんでしたから」

「だろうな。散々悪事を働いてたんだろ?寧ろ口には出さずとも『どうかこの機に討ってくれ』と、賊に願ってた奴の方が多かったんじゃないか?」

「まあ、今までの悪評を思えば、それも自業自得と言えますが」

「次が決まるまでの代理とはいえ、青州の義父上が政務も取り仕切るとなれば、当面の間は鎮の住人も穏やかに過ごせるだろ」

「だといいんですが…」

「ん?…ああ、そうか。その前に査問を乗り切らなきゃならないんだったな」


 査問の結果が出たら鄆城(ここ)へ知らせるように頼んで、花栄は清風鎮を出た。

 その報せはまだ来ない。


 花毅には「大丈夫だから」と念を押されて送り出された。

 しかし、世の中に「絶対」はない。


 今の花栄に為せる事はない。

 ただ、父の自信と言葉を信じるのみである。


「大丈夫さ。賢弟の話を聞いた限りじゃ、義父上だってちゃんと弁明が出来るよう、計算した上で命を出したんだろ?」

「俺の推測ですけどね」

「賢弟がそう思うならきっとそうだよ。心配しなくても義父上が職を追われるような事にはならないさ。さすがは青州三山に囲まれた清風鎮を、長年、賊徒の手から守り通してきたお人だ」

「…そうですね」


 口ではそう返し、努めて明るく振る舞った花栄であるが、先ほどまでの弾けるような笑顔とは違い、その表情には宋江に心配を掛けまいとする心の内が、ありありと映し出されていた。

 その様子に宋江は、ふっと一つ溜め息を零すと、


「よし、そろそろ行くか」

「え?あ、はい…えっ!?何処にですか??」

「何処って…(ウチ)だよ、(ウチ)!ちょっと湿っぽくなっちまったからな。気分転換に場所を変えて飲み直そう。父上や四郎にも会ってくんだろ?」

「え、ええ、それは勿論ですが、何も今日じゃなくても…だいぶ日も傾いてきたみたいですし、今から宋家村に向かっても日の入りに間に合いますか?」

「そんな事は気にすんなって。昼だろうと夜だろうと、二人も賢弟の顔を見れば喜ぶよ。昔から『兵は拙速を聞く』(※3)って言うだろ?思い立ったらすぐに動けばいいんだよ」

「宋哥、それ使い方が違──」

「あーーっ!!こういうのは雰囲気なんだよ、雰・囲・気!相変わらず細かいなぁ、お前は。おーい、五郎!」

「…はーい」


 ホロ酔いの宋江が花栄の講釈を強引に打ち切り、帳場の方からほどなく給仕が顔を出した。


「おーい、五郎やーい!」

「はいはい、聞こえてますから!どうされました?お代わりですか?」

「勘定、計算してくれ」

「もうお帰りですか?まだ酒も肴も残ってますけど」

「お前でも亭主でも好きに飲み食いしてくれればいいさ。店で出したいなら売ればいいし。何なら今いる客に振る舞ってやれよ」

「…そうですか?じゃあ、遠慮なく。いつも有り難うございます」


 そこで再び「宋哥、やはり俺も少しは払うから…」「いや、賢弟には絶対に払わせん!」と、先ほどの「どちらが支払うか」バトルが再燃し、給仕の冷ややかな視線を浴びつつも、結局は宋江に軍配が上がった。


 偶然、店に居合わせたためにタダ酒にありついた客達の礼賛を浴びながら、宋江と花栄は店を出て、宋家村へと連れ立っていった。

※1「排行~黒三郎」

単純に読めば「黒三郎」とは「色黒の三男坊」の意ですが、『水滸伝』作中には宋江を「排行が三番目である(排行第三)」と説明する場面(第18回)こそあるものの、「三郎」という呼称の他に三男を思わせるような記述がありません。それだけならこちらの第三回に名前のみ登場した石秀と同様なのですが、同じ『水滸伝』の第18回には「()()母を早くに亡くし、父は健在で、下には弟が一人~」という、宋江の上には兄(姉)がいないかのような記述があって、三男どころか一家の長男として描かれている節があります(ただし、これも「長男である」とはっきり説明してる箇所などがある訳ではありません)。

矛盾してるようにも見えますが、以前の後書き(第三回「三人目と四人目」)にも書いたように、厳密に言うと「三郎」とは「兄弟や同姓の従兄弟の中で三番目の年長者」の意であって、日本で言うところの「三男(両親から見た三人目の男子)」に限定されている訳ではないようなので、そう考えれば一応の辻褄は合います。或いは「宋江が生まれる以前に離婚した父と前妻との間に二人の男子がいる」と考える事もできますが(第二回の閑話休題「(いみな)と愛称」参照)。

これらを踏まえた上で、この「水滸前伝」においては宋江の家族構成を「宋江は一家の長男で、宋江よりも年配の従兄が二人いる」という設定で描いています。

※2「眼が有れど泰山を識らず」

中国の諺。「人や物などを見る目がない」の意。第三回「活閃婆」後書き参照。

※3「兵は拙速を聞く」

『孫子(作戦篇)』。「用兵は拙くとも素早い方が良い(とされる)」。第六回「道行き」後書き参照。

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