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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第六回  李柳蝉 蒼翠の麓に泪を揮い 小将軍 鄆城に義兄を訪うこと
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道行き

 全くもって納得がいかない。


「大体、職務に忠実で、それの何が悪いのか…」


 ゆらりゆらりと馬の背に揺られながら、花栄はぶつくさと愚痴を零す。


 正知寨の捜索を命じられた花栄は、燃え落ちた正知寨の役宅を敷地の隅から隅まで隈なく捜し、東寨中の厩舎から納屋に至る隅々まで捜し、寨から逃げ出してやいないかと鎮(清風鎮)にまで手を広げて捜し、部下と手分けして東寨近隣の住民に聞き込みをし、いよいよ正知寨の所在が確認できないとなったところで、ようやく西寨に戻って正知寨の討死にを報告してみれば、花毅からは「だろうな…」の一言で済まされた。


「そりゃ俺だって分かってるよ、賊の目的が目的なんだから。庭にあんな遺体があれば、そういう事だろうって。しかし、万が一って事もあるんだから…」


 花栄の愚痴は止まるところを知らない。


 花栄が納得できない事はまだある。


 てっきり自分が上奏の使者に立てられると思っていた。

 ところが、寨に戻ってみれば樊虞候はすでに身支度を整え、いつでも出立できる状態である。「どういう事ですか!?」と花毅に詰め寄ってみれば、返事は「いや、戻って来るのが遅かったから」ときた。


「あれじゃまるで、俺を使者に立たせない為に正知寨の捜索をさせてたみたいじゃないか」


 使者に立てられたくらいで名誉と思う花栄ではないし、そもそも使者に立てられたところで、名誉でも何でもないのは確かだが、地位や職責からいえば、花栄が任命されて然るべきである。


「どうせ樊が使者に立てられるにしても、せめて俺が戻るのを待ってから決めてくれたって良さそうなもんだが…」


 命じられた職務を全うしてみれば、一人花栄は蚊帳の外、自分の知らないところでとっくに話が決まっていた。花毅であれ樊虞候であれ、理由を聞いても返ってくるのは適当な返事と苦笑いのみだ。


 そして、挙げ句の果てがこの現状である。


 花栄が清風鎮を発って早3日。

 無論、使者として青州治所の益都(えきと)県に向かっているのではない。むしろ方向は全く逆だ。


 清風鎮から南に向かい、谷を縫い、川を越え、丁度ぐるりと魯山の裾を右回りに回り込んで今、一人と一騎はすでに兗州(えんしゅう)領内に入っている。

 ようやく山あいの地を抜けたところで宿を取った莱蕪(らいぶ)県を昨日発ち、目指す地までの道程を1/3ほどこなした辺りであろうか。西へ目を向ければ、平野の彼方には東岳・泰山が(そび)え立つ。


「しかし、父上も何でまた急に休暇などと…せめてもう少し落ち着いてからでもいいものを。これじゃまるで──」


「俺は役立たずも同然じゃないか」と言い掛けて花栄は口をつぐむ。

 花毅が、そして樊虞候も、そんな事を微塵も思っていないと、花栄は知っているからだ。


 樊虞候が清風鎮を発ってすぐ、花栄は花毅から休暇を取るよう言い渡された。


 花栄が正知寨の捜索と並行して行った検分の結果、東寨の被害は事前の想定以下で済んだ。

 建物の被害はそのほぼ全てが居住区に集中し、またそのほぼ全てが知寨の役宅周辺に集中していた。文字通り、勾引(かどわ)かされたという女性の救出だけに狙いを定めた「一点突破」だったと言っていい。

 外縁の木柵や寨の櫓など、鎮の防衛を担う設備が、風に乗った火の粉で多少、焦げた程度の被害で済んだのも僥倖であった。


 とはいえ、正知寨の役宅は跡形もなく燃え落ちているし、その周囲には類焼による被害を受けた建屋もなくはない。

 後始末や復旧に多大な労力が掛かるのは目に見えているのだから、人の手は一本でも多い方がいいに決まっている。


 おまけに、今回の襲撃によって正知寨が討ち取られたと知れ渡れば、周辺の賊徒が機に乗じて押し寄せる可能性もある。動揺した民心の慰撫やら、賊に対する備えやらと、挙げれば喫緊の課題だけでもキリがない。


 その最中に花毅から「休暇をやるから旅に出ろ」と告げられたとあっては、確かに傍からは役立たずを追い払ったように見えるだろう。


 しかし、そうではないと花栄は知っている。


 花毅も、樊虞候も、花栄の身を案じているのだ。


 いかに花毅が州の査問を無事に乗り切る自信を持つといっても、結果は蓋を開けて見なければ分からない。顔見知りが多い武官の擁護は得られるだろうが、結局のところは慕容知州の機嫌次第だ。

 そして、花毅の行動が責任を問われるとなれば、それに追随した花栄にも責任が及ぶ可能性は十分にある。

 だから、今の内に清風鎮を離れておけというのだ。


 樊虞候にしてもそうだ。

 まだ若く、周囲から「小李広」と綽名(あだな)されるほど武の才に恵まれた花栄の未来は、無限の希望と可能性に満ちている。しかし、たかだか襲撃の被害を報せる使者とはいえ、高官の不興を買って経歴に傷が付く事もあれば、場合によってはそこで武官としての未来が潰えてしまう可能性だって無くはない。

 だから、花栄に代わって使者に立とうというのだ。


 傍からどう見えていようと、花栄はあまり気にしない。花栄自身がそう信じているのだから。


「それはまあそれとして、だ」


 そんな事をうだうだと考え続け、花栄の出した結論はといえば、


「やはり…どうにも納得出来ん」


 でしたとさ。

 ブレねーな、小将軍ww


 麗らかな日差しの中、花栄が周囲を見渡せば、ぽつぽつと農耕に精を出す民がいる。

 そして清風鎮を出てすぐ、通り掛かりに見た光景が脳裏をよぎった。


 住人が去り、多くの家屋が焼失した廃村。


 自分一人が気楽な旅に出る後ろめたさに、慌ただしく動き回る兵達には声も掛けず、遠目に眺めただけでその場を後にしたが、その光景が思い出される度に、花栄の胸には苦いものが込み上げる。


「正知寨の事がなければ、あの村の者達にも何気ない毎日が続いてたろうに…」


 ふと、その何気ない毎日を捨てた、顔も名も知らぬ賊の首領を思う。



【襲撃に賛同する訳じゃないが、指揮を執った者の手腕は見事としか言いようがない。


 届いた文に嘘がなければ、娘が勾引(かどわ)かされたのは襲撃の当日だ。それからすぐに策を練って手筈を整えるや、早くも夕刻には手勢を率いて寨に押し入り、賊側からは一人の犠牲も出さずに娘を救い出したんだから、正に『兵は拙速を聞く』(※1)とはこの事だ。


 それに、攫われた娘の奪還が目的の第一義であったにしろ、物のついでとばかりに略奪に走った様子もなし、戦果を誇示するために所構わず火を放ったという事もない。

 余程、率いた者達からの信頼厚く、統率も取れてたんだろうが、これとて兵法に言う『未だ巧みの久しきを()ず』(※2)を見事に体現したものだ。


 それだけに何とも惜しい。

 もし禁軍に在れば、将として一軍を率い、戦場で如何なくその能力を発揮出来る筈なんだが。


 しかし──


 たかが片田舎の農村に、それほどの者が名も知られずに埋もれてたとは…ああ、そういえば「白面郎君」と綽名(あだな)される男が、鎮の近隣にいるとかいないとか。或いはその男が…?】



 花栄は再び顔を曇らせる。

 しかし、それは先ほどまでと違い、朝廷に仕え、民の安寧を守る立場としてではない。



【もし、俺が賊の首領となって兵を率いたとして、捕らわれた娘を救い出せたか?


 いや、娘を見つけ、保護するところまでは出来た筈だ。

 寨の兵達の中に俺の槍捌きを受けられる者はいない。それに俺には弓の腕もある。奇襲をもって寨に押し入れば、娘を見つけ出すのはそれほど難しくはない。


 しかしその後、寨を出るまでに西寨の増援が駆け付ければ、包まれてそこで終わりだ。

 俺が一人でどれほど奮闘しようと、遠巻きに矢を射掛けられ続ければ、いつかは力尽きる。


 やはり、あの襲撃を予告する文だろう。

 父上の気質を見極め、東寨への増援を見送らせたあの文こそ、今回の襲撃を成功させる肝となった。


 悔しいが俺には真似出来ん。事前にどれだけ策を練ったとしても、到底そんな発想には至らなかった筈だ。


 とても俺の及ぶところではない…】



 自分では為し得なかったであろう事を為した者に対する羨望と嫉妬。

 それは花栄の胸の奥に突き刺さった小さな(いら)

 ほんの小さな、しかし確かにそこにあるそれは、己の浅慮と未熟さを花栄に自覚させる。


 そして、花栄にその思いをより強く抱かせる者がもう一人いる。



【対して、父上の判断もまた見事なものだった。賊を信頼して、というのもおかしな話だが、文の真意を酌み、殆ど賊の為すがままにさせたにも拘らず、被害は最小限に抑えられた。大きな被害が出ない事を見越して傍観を決め込まれ、何と思い切った命を下した事か。あれが世に知れたら、寧ろ父上が(そし)りを受けるというのに。


 …いや、だからこそのあの下知か。


 もし、俺が指揮を執っていたら、間違ってもあんな命は出せん】



 検分の最中、花栄は設備の損害もさる事ながら、人的な被害がそれに輪を掛けて少なかった事を知る。

 その数、僅か30人弱。賊が成し遂げた事を考えれば、その数は驚くほどに少ない。


 と同時に、襲撃の当日、自分の与り知らぬところで、いくつかの指示が東寨に出ていた事を花栄は知った。


『賊の襲来が予想される為、寨の防備を厳重にし、居住区の警備は最小限とする事』

『賊が居住区に侵入して騒ぎを起こしても惑わされる事なく、居住区の警備に当たる者は内外の呼応に備え、直ちに寨の警備へ回る事』

『居住区と寨を繋ぐ通用門は、大方の兵を寨へ収容した後に閉鎖する事』

『居住区に残った者は身の安全を第一に考え、無闇に賊と交戦しない事』

『通用門を閉門した後は、何人たりとも居住区から寨へ進入させぬ事』



【襲撃を傍観すると決めた以上、決死の覚悟で乗り込んで来る者に兵をあたらせ、無駄に犠牲を出す必要はない。それぐらいは俺にも分かる。


 だが、俺が指揮を執ったとして、果たして通用門の使用を禁じたか?


 兵達が警護の任で居住区に散ってれば、どうしても逃げ遅れる者が出る。だからこそ、居住区へ取り残された者に賊との交戦を禁じたのだろう。それも分かる。

 しかし、それでも命からがら門へ辿り着いた者の事を考えれば、俺なら通行までは禁止出来ん。


 聞けばあの下知は、相手を選んで伝えられたという。

 下知が伝えられなかった者達が全て命を落とした訳ではないが、命を落とした者達は皆、下知を伝えられなかった者達ばかり、詰まるところは父上に見殺しにされたようなものだ。そしてその者達は皆、正知寨の威を借り、裏で悪事を働いてたという事だった。しかし、いかに悪事を働いてたからといって…】



 花栄は今回の襲撃で命を落とした者の事を思う。

 中には張提轄さながら、賄賂か何かで正知寨に取り入って個人的に取り立てられたものか、(ろく)に話した事もないような者もあったが、付き合いが長かろうが短かろうが、清風鎮という一つの(まち)に勤めている以上、部下は部下である。無論、花毅にとっても、だ。

 その上その中には一人、部下でない者までもが混じっている。



【いや、見殺しなんて生温いもんじゃない。父上は正しく賊の手を借り、この機に正知寨を含めたその者達を除こうと考えたんだ。


 確かに正知寨の非道は目に余る。民の為にもあんな男は民の上に立つべきじゃない。いや、そもそも民からの信頼を失えば、国家など遠からず滅ぶに決まってるんだから、民は元より国家の為にも、あんな男は官職から除くに越した事はない。


 それが分かり切ってるとして、俺ならそれをどう為した?


 精々州や県に上奏するか、直接東寨に乗り込んで糺すくらいのもんだろう。しかし、そんな型に嵌まった手を使ったところで、一体何が変わるというんだ。

 青州に限らず、贓官汚吏(ぞうかんおり)の噂はいくらでも耳に届く。それはつまり、そんな官吏は除くべきだという声も同じだけ上がっている、という事だ。それでも尚、何も変わらないからこそ、あんな男が民の上にのさばってたんじゃないのか?


 いくら悪辣だからといって、俺に上官や部下を見捨てる策は取れん。だが、当たり障りのない手段を用い、結局何も変わらないと歯噛みしたところで、それで何が変わる訳でもない。


 結果的に正知寨は除かれ、娘は賊の下に返った。

 俺の信じる正義が間違ってるとは思わんが、時にはその正義に背き、己が忌むべき道を進まなければ、大事を誤るのもまた事実、という事か。


 今回の件は正にその「時」だった。そして、父上の慧眼はそれを見逃さなかった。

 万が一、戦の場で上官や部下を見捨てたなどと噂されれば、州の査問どころの話じゃない。だが、その危険を冒してまであの下知を出し、そして事態は父上の思惑通りに進んだ。

 俺のように大義に(かかずら)い、正論に囚われてばかりいては何も為し得なかっただろう。


 いや、待てよ…】



 花栄は再び花毅の下知を思い返す。

 花毅の思慮深さと同時に、己の未熟さを花栄が思い知らされたのは、やはり最後の命だ。



【賊の手で正知寨を討たせようというのなら、正知寨は居住区に閉じ込めておく必要がある。だから、もし俺が通用門の通行を禁止するにあたって指示を出すとすれば、間違いなく「正知寨を寨に入れるな」としてただろう。

 しかし、父上は「誰を」と言ってない。


 正知寨が娘を勾引(かどわ)かし、その奪還を目的とした襲撃なんだから、賊がまず居住区へ侵入してくるであろう事は容易に想像出来る。だが、娘の奪還が目的であるからこそ、その身柄を確保してしまえば、正知寨などには目もくれず、そこで引き揚げてしまう可能性もあった。


 結果的に正知寨は討たれたが、もしそうして正知寨が命を拾っていたら…?

 後になって、正知寨を賊に売り飛ばすような命が出てたと知られたら…?


 そうか、だから父上は「誰を」じゃなく「一切の者」の通行を禁じたのか!

 それなら仮に正知寨が生き残ったとしても、十分に抗弁の余地はある。


 清風鎮は要衝に築かれた(とりで)だ。賊が居住区の中だけで暴れ回る分には、たとえ正知寨の役宅が燃やされようと、兵の宿舎が壊されようと、(とりで)としての機能は保たれるんだから、鎮の防衛に支障はない。だが、寨にまで侵入され、甲仗庫(武器庫)や厩舎に被害が及ぶ事態だけは、周囲の賊に対する備えから見ても、絶対に避けなければならなかった。

 となれば、仮に閉じた門の裏で正知寨を名乗る者が開門を求めてきたとしても、賊が正知寨に成りすましている可能性を考えれば、拒んだところで大いに道理がある。


 それに現実問題として正知寨が討たれてる以上、狙って見殺しにするような命が出されてたとなれば、仮に父上の命であったとしても、唯々諾々と従った門衛もただじゃ済まないだろう。

 実際にあの夜、正知寨を騙って開門を求める者は現れなかったようだが、仮にあったとしても「何人たりとも」通行を禁じてたという事なら、それに従って開門を拒んだ門衛に累は及ばない。


 更に言えば、正知寨を名指しで陥れるような下知では、悪心を抱いた者がそれを強請(ゆすり)のネタに利用する可能性だって無くはない。そうなれば、下知を出した父上は身の破滅を迎える事になる。

 しかし、あの命ならばそんな心配もない。


 恐らく父上はこれらの事まで踏まえて、あのような形で命を下されたのだろう。


 しかし──


 一体、どれほど先々まで見据えて手を打たれているのか…】



 小将軍、長々の解説お疲れさまでしたww


 花毅と花栄の違いは、その目にある。


 花栄が何かを為そうと計画を立てた時、その計画に絶対の自信を持てるのなら、計画が失敗に終わった時の事は考えない。

 考える必要がないからだ。傍からどう見えるかはともかく、少なくとも花栄の中では、その計画が失敗に終わる事はないのだから。

 それはつまり、自らの信念を信じ、その信念に基づいた行動を取れば、必ずや道が開けると信じているという事だ。


 花毅は違う。絶対の確信を持って尚、失敗に終わった場合に備える。


 正に今がそうだ。

 花毅は別に、この後に待ち受ける査問を乗り切る自信が無い訳ではない。むしろ乗り切れると確信している。その確信があって尚、花栄をこうして旅に出している。

 自らの信念に沿って行動していながら、その信念すらも絶対ではないと見ているのだ。


 先の命にしても、失敗する前提で下知している訳ではない。むしろ与えられた条件の中で考え得る「必殺の策」と言っていい。その確信があって尚、想定外の事態に可能な限り対処できる形で命を下している。


 信念を持たない者は脆く、信ずるに値しない。そこに疑いの余地はない。

 しかし、自らの信念こそが正義であり、そこに一切の疑いを持たない者は自身を、そして時に他者をも破滅させる。


 戦に敗れ、敵に降るを良しとせずに命を散らすのも、それはそれで確かに美談として語られる事もあるのだろうが、信念を曲げて敵に降り、再起を成し遂げた例など挙げればキリがない。それを「自らの信念こそが全て」と民を率いる王が、或いは兵を率いる将が、己の率いる者達まで死出の道連れにしようものなら、美談どころかただの愚者の愚行である。


 信念を持つ事は大事だが、今がそれを貫く時か否かを判断できなければ、たとえそれがどれほど崇高で高邁なものであろうと、結局は宝の持ち腐れも同然だ。

 そのためには、世の事柄は元より自分自身さえも客観的に捉え、時に疑う目を持たなければどうにもならない。


 それが花毅の言う「物事の本質を見極める」という事である。


 しかし花栄とて、いつまでも「見える者」達に甘えてばかりはいられない。花毅はすでに齢50を超える。樊虞候もいつまで側に仕えているか分からない。


 馬の背に揺られながら花栄は心に誓う。


 もっと成長しなければ、と。

 より武を磨き、より世間を知り、より物事を捉える目を養わなければ、と。


 胸に刺さる(いら)を自戒とし、花栄は決意も新たに「兄」の住まう済州(さいしゅう)(※3)へと馬を進めた。

※1「兵は拙速を聞く」

『孫子(作戦篇)』。原文は『故兵聞拙速』。訓読は本文の通り。「『用兵は拙くとも素早い方が良い』と聞く」。原文の「故」は、この一節が前段の「(原文略)戦によって国力が疲弊し尽くしてしまうと、周囲の敵に付け入る隙を与え、攻め込まれる事になる。そうなれば、たとえ有能な者でも対処は難しい」を受けた句だからです。「故に(一度兵を興した以上は)多少指揮が拙くとも出来るだけ決着を急ぎ、(仮に敗れるにしても)余力のある内に兵を収める事が肝要であり、優れた用兵の道とされている」。「思い立ったら吉日」とか「猪突猛進」的なニュアンスとはちょっと違います。解釈は色々あると思いますが、前段と後段(※2)の文脈からこう意訳しました。

※2「未だ巧みの久しきを睹ず」

『孫子(作戦篇)』。原文は『未睹巧之久也』。訓読は本文の通り。「未だ、あえて戦を長引かせる用兵巧者(の例)など、目にした事がない」。前段(※1)の『故兵聞拙速』(用兵は拙くとも素早い方が良い)から続く。

※3「済州」

現在の山東省菏沢市北東部と同済寧市中西部一帯。

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