表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第五回  北辺の道士 宿魔の士を憂い 黒衣の仙女 恣意もて此を扶くこと
50/139

仙女さまは呆れ気味

娘娘(にゃんにゃん)、一ついいか?」

「…何じゃ?」


 真剣な表情で問い掛ける道士に、仙女は居住まいを正す。


「そいつ、今はもう若者じゃねえよ?歳は俺より、ちょい若いくらい──」

「分かっとるわ、そんな事はっ!!おちょくっとるのかっ!!!!」


 からからと笑いながら宥める道士に対し、仙女は伝家の宝刀を抜いた。


「良かろう。(なんじ)がそのつもりなら、(われ)は戻るでの。もう二度と(われ)に声を掛けるでないぞ?」

「悪かった悪かった。今のはホンの冗句だよ。ちょっと調子に乗っただけだ。可愛いモンだろ?」

「何処がじゃ!っていうか、調子に乗った自覚があるなら控えんか、白痴(たわけ)が!」


 暗闇から立ち上がり、道士の精神世界から抜け出そうとしていた仙女は僅かに気を取り直し、しかし、不機嫌そのものといった表情で再び闇の中に腰を下ろす。


「…で?」

「ん?ああ…これから、ちょっと旅をしようと思ってな」

「…旅!?」


 予想外の答えだったのか、仙女は不機嫌そのものだった表情を一瞬で怪訝に満ちたものに変えた。


「そいつ…あーっと、何つったっけかな。確か…姓は(ほう)だったと思うが、名は…んーっと」

「何じゃ、思い出せんのか。歳じゃの?」

「違うわ!60年も前に数ヶ月関わっただけの奴だぞ?寧ろ姓を覚えてるだけでも(すげ)えだろうが!」

「ハンッ!当時、覚えておった事が思い出せんのじゃろ?歳以外の何物でもないわ」


 ニヤニヤと冷やかしの視線を浴びせる仙女を苦々しく思いながら、弟弟子の名を思い出そうと一人悶絶する道士。


「んーっと…確か…あー…」

「あー!名なぞどうでも良いわ。今は『そいつ』とでも何でも呼んでおけ!」


 鬱陶しいとばかりに右手をヒラヒラと払い、仙女は再び左の拳で頬杖をつく。


「で?『旅』とは何じゃ?」

「ああ。そいつを探しに行く」


 道士は澱む事なく、きっぱりと言い放った。


「何の為に」

「俺が妖魔の件に関わったとするか否かは、見る人間によって判断が分かれるだろう。俺自身は間接的にではあっても、結果として関わったと思ってるが…そいつは恐らく、直接的に関わってる」

「ほう…」


 さして驚いた風でもなく、仙女は続けた。


「それも確信がある、と?」

「いや、こっちは勘だ」

「勘か…(なんじ)らしくもない」

「だが、たぶん当たってる」

「根拠は?」

「俺は当時、別の山に籠ってて、一緒に修行してた道士が何処かから仕入れてきたネタなんだが──」

「待て!また長くなるのではあるまいな!?」

「いや、今回のはそうでもない」

「本当じゃな?」

「…と思う」

「何をわざわざ付け加えとるか!」


 仙女は拳に預けた顔を起こすと、闇に置いた右の人差し指で、そこにないはずの肘掛けをポンポンとテンポ良く叩く。

 道士の話を聞くかどうか迷っているのが手に取るように分かる。


「簡潔に、の!」

「大丈夫だって」


 道士は苦笑とともに語り始めた。


 妖魔が解放された当時、宋は全土で稀に見る疫病の大流行に悩まされていた。

 都の開封府(かいほうふ)でも知府(ちふ)(※1)の(ほう)(じょう)(※2)などが、あらゆる薬剤を試したり、府内の道侶(どうりょ)(※3)に疫病鎮静の祈祷を行わせたりと手は尽くしたものの、どうしても疫病を鎮められなかった。


 そこで朝廷は、龍虎山の嗣漢天師に疫病を鎮めるための祈祷を執り行わせる事とし、わざわざ信州から都へ招いたのだ。


 嗣漢天師が都を訪れ祈祷を行うと、疫病は(たちま)ち鎮まった。

 道士が妖魔解放の噂を聞いたのは、それからしばらく後の事だ。


 語り終えた道士は、僅かに口元を綻ばせる。


「ほれ、簡潔だったろ?」

「まあ、これくらいなら合格としてやらん事もない…で?」

「そりゃどうも。困り果てて嗣漢天師を招致するくらいだから、まさか紙切れ一枚送りつけて終わりって訳にもいかず、上清宮には正式に勅使が遣わされた。その後に妖魔の噂が広まったって事は…」

「その勅使が怖いモノ見たさに妖魔の封を解いた、と?」

「龍虎山の道士達がそんな馬鹿げた事をする筈ねえからな」


 仙女は再び首を傾げ、左の人差し指と中指をこめかみに宛てがって頭を預けると、


「その勅使が妖魔を解き放ったというのなら、一応話の筋は通っておるが…それが弟弟子の話と、どう繋がるのじゃ。まさか弟弟子が立身出世を図り、見事勅使に任ぜられたなどというオチではあるまいの?」

「そりゃ確かに『まさか』だ。勅使はどっかのお偉いさんだったらしい」

「では、(なんじ)の弟弟子が関わる余地はないではないか。(われ)が言った通り、勅使が戯れに封を解いただけかもしれんじゃろ?」

「聞いた話じゃ、その勅使は相当イカれてたらしい」

「それを先に言わんか!いや、しかしイカれとったんなら尚の事、その勅使がトチ狂って封を解いただけ、という事もあろうに」

「イカれてる奴は、そもそも最初から勅使に選ばれないさ。それに、封を解いた後は別人のように大人しくなった、って話だ」

「じゃから、それを先に言わんか!要するに、龍虎山に向かった勅使が、道中でトチ狂って封を解いた、と言いたい訳か」

「いくら勅使とはいえ、ただ接触するだけならそんなに難しい事じゃない。龍虎山からの出迎えを装って、とかな。んで…」


 道士は微かに笑みを洩らし、仙女に向かって人差し指をクルクルと回す。


「ああ…才に優れた者なら、凡人一人を傀儡(くぐつ)と化すくらい造作もないか。それに金も掛からず、手っ取り早いの」

「まあ、そこでどんな手段を使ってようが、今更どうでもいいんだが」

「まあの。で?(なんじ)はその弟弟子の動機をどう見ておるのじゃ?」

「…『俺は』?」

「当たり前じゃろうが!(われ)に言わせれば、今の世に妖魔が目覚めるのが天命ならば──」

「あーっ、待った待った!聞き返した俺が悪かったよ」


 道士は慌てて仙女の言葉を遮った。その話が始まれば、長くなるのは目に見えている。


「ただなぁ、そこがどうも俺にもなぁ。単なる嫌がらせか、当て付けか…」

「嫌がらせ!?(なんじ)にか?大体、妖魔を解き放ったからといって、それが(なんじ)に対して何の嫌がらせになると言うのじゃ」


 道士は少し考えてから頬を緩める。


「さあ?」

「『さあ』!?『さあ』ときたか!」

「直接、聞いてみねえ事には何とも言えねえよ…ああそれと、そいつが龍虎山を下りてから宗旨替えしたらしい、って噂も聞いたな」

「宗旨替え?では、弟弟子は今、仏僧か?」

「…『魔教』だ」


 仙女の問いに、道士は僅かに躊躇って答えた。

 世俗に疎い道士がその宗教の正式な名称を知らない、という事もあるのだが、それだけではない。

「魔教」という呼称が、道士はどうにも気に入らないのだ。


 その教団については、道士がまだ宋の各地を流浪していた頃、噂程度に聞いた事がある。しかし、知っているのは根拠地が江南(長江の南)であろうという事くらいで、その根拠でさえ「江南で噂をよく耳にしたから」という程度のものだ。

 実際に教義に触れた訳でもなく、その実態が「魔教」と呼ぶに相応しいかどうか、道士には分からない。


 だが、そもそも宗教を興すにあたり、自ら「魔教」などと名乗る訳がない。

 仮にその教義が邪悪に満ち、真に「魔教」と呼ぶべき内容だったとしても、それをもって自ら「魔教」などと名乗れば、時の権力者から目の敵にされる事など分かり切っている。


 無論、信者を得るために、外には博愛や融和を声高に説きながら、内では破壊や殺戮を推奨し、強要するような教義であれば、それを「魔教」と呼ぶ事に道士も抵抗はない。実際、道士が各地で聞いた噂も、大半はそういった「怪しげな教義を説く、怪しげな教団」というものだった。


 しかし道士が危惧し、従って「魔教」という呼称を使う事に抵抗を覚えるのは、それが実態を反映していない可能性がある、それも大いにあり得るからだ。


 新たに勃興した宗教が支持を集め、その勢力が時の権力者へ拡大するのを最も恐れるのは、その権力者がそれまで信仰していた既存の宗教に携わる者達だ。

 権力者が信じる神を変えるという事は、即ちそれまでの神を勧めた者達の衰退と迫害の危機を意味する。


 そうした、権力に取り入り、その側に侍る事で恩恵を受けている者達にとっては、新たに興り、勢力を拡大していく宗教の教義がいかなる物であろうと全く関係ない。自分達の立場を脅かすものは、等しく「悪」であり「邪」であり、つまり「敵」なのだ。となれば、やる事は決まっている。

「敵」を貶めるため権力者に讒言し、民に悪評をバラまき、気付けばあっという間に「魔教」の出来上がり、という訳だ。


 そうして権力や既存の宗教からの弾圧や迫害を被れば、元は穏やかであった教義が過激化、先鋭化し、結果「魔教」と呼ぶに相応しい教義へ変質していく事もある。

 もし、そうした経緯を辿った末に「魔教」と蔑まれ、迫害されているのであれば、それこそ仙女が人間界の争いを「下らない」と断じた、典型的な例に他ならない。


「魔教」がそう呼ばれるに至った経緯は道士の知るところではない。すでにその名称が定着し、他に呼びようもないので道士も使いはする。


 しかし、また知ってもいる。

 権力の中枢に侍り、権力に(すが)る者達がいる事を。そしてそれが、道士が信仰し、道を極めようとしている道教に関わる、ごく一部の堕落した者達である事を。そしてまた、そもそも道教と関わりすらなく、単に「道士」を騙っている者達である事を。


 それを知るからこそ、自分の目で確かめもせず、ただ噂のみをもって「魔教」と呼ぶ事に、人の醜さを見る気がして、自らの醜さを思い知らされる気がして、道士は躊躇いを禁じ得ないのだ。


「『魔教』とはまた、穏やかでない名じゃな」

「中身は知らん。周囲がそう呼んでるってだけさ。ま、文字通り国を乱し、天下の混沌を狙うような集団かもしれねえけどな」

「仮にそうだとするなら、妖魔を解き放ったのもそれが狙いではないのか?」

「…かもしれねえな」

「『さあ』だの『かもしれねえ』だの…」

「本人に直接聞いてみねえ事にはな。意外と何でも良かったんじゃねえか?俺が巻き込まれて慌ててるところを、高みの見物するつもりだったのかもしれねえし、何なら『お前の力で鎮めてみろ』って事かもしれねえし…」

「なるほどの。それならまあ、嫌がらせと言えなくもない。しかし…感心せんな」


 道士は驚く。

 人間界の覇権争いにも、民の幸福にも困窮にもまるで興味がない仙女が、それらを案ずるような言葉を口にするのは、初めてと言っていいほどだったからだ。


「…珍しいな」

「何がじゃ?」

「いや、今『天下を乱すとは、感心せんな』って…」

「アホか…その『魔教』とやらが何を狙っていようと、それで(なんじ)の国が乱れようと、(われ)の知った事ではないわ。そこに(なんじ)が関わろうというのが感心せん、と言ったのじゃ!」

「ああ、そういう…」


 道士は苦笑を浮かべつつ、仙女の心中を推し量る。


 それは「力を持つ者は、無闇にその力を揮うべきでない」という仙女の哲学と、道士に対する警告。


 そしてまた感謝もする。


「そんな事に関われば、(ろく)な目に遭わんぞ」という気遣いに。


 しかし、今回ばかりは道士に退くつもりはない。


「何、別に国や民の事を思ってどうこうしようって訳じゃない。それくらいは俺だって弁えてるさ」

「左様か。分かっておるのならまあ良いが。しかし、その弟弟子も哀れというか何というか…妖魔を解き放った挙げ句、目覚めるまでに50年も待たされるとはの」

「伝承じゃそんな事には触れられてなかったからな」


 二人は互いに皮肉めいた笑みを交わす。


「ん?しかし、妖魔の件は(なんじ)が龍虎山を去ってからの話ではなかったか?」

「その勅使が妖魔の封を解いたってんなら、俺が龍虎山を下りてから10年…は経ってねえかな?8年か9年か…」

「その弟弟子は(なんじ)より前に龍虎山を去ったんじゃったな?」

「ああ。そっちが丁度、妖魔の件の10年くらい前だったと思うが」


 仙女は今日、何度目かとなる溜め息を零す。


「まあ、ここは(なんじ)に合わせて話してやるがの。(なんじ)の推測が全て正しかったとして、じゃ…(なんじ)、修行中その弟弟子に一体、何をしたのじゃ!?人間界で10年と言えば、なかなかの年月じゃろ?それだけの間、恨みを買い続けたのなら、それなりの事をしておろう」

「別に何もしちゃいねえよ。強いて言えば、俺の存在そのものが気に入らなかったんじゃねえか?そいつが龍虎山を去った理由も、たぶん俺だし…」

「ハンッ!下らんな。全く以て下らん!もしそうだとすれば、自らの非才を棚に上げた弟弟子の、単なる逆恨みではないか。よくもまあそんなもので、長々と恨みを抱き続けたもんじゃ。人間が愚かである事は知っておったが、そこまでいくと救いようがないのぅ」

「人間、全部がそんなんじゃねえよ。それに傍から見れば下らなくても、本人にとっちゃそれほどの事だったんだろ。何せ人生の計画が狂ったんだから」

「狂ったのは己が無能だった所為じゃろうが」

「『無能』って事はさすがにねえと思うけどな」


 仙女の辛口に道士は苦笑を返す。


「妖魔が解き放たれた件は、ひとまず(なんじ)の推測で納得するとしての。それこそ既に50年も経っとるんじゃから、その弟弟子も寿命を迎えとるんではないのか?」

「いや、たぶん生きてる」

「ほう?」

「天文に、妖魔の胎動とは別に、江南から山東(さんとう)に二つの妖星が移ったと出てる。恐らく、そいつも妖魔の覚醒に気付き、何かしらの目的を持って山東に入ったんだろうな」

「二つ?」


 道士は静かに頷く。


「そいつ本人と、後はそいつの弟子か同志か…そこまでは分からんが」

「であれば、(なんじ)が関わるのは益々感心せんな。(なんじ)が弟弟子を捜し出し、何を為さんとしているのか…まあ、言わんでも想像はつくが、相手に供がいるとなれば、その『魔教』とやらが組織だって動いてる可能性もあるんじゃろ?そうなれば(なんじ)が望むと望まざるとに関わらず、結局は『魔教』全体を相手にする事になる」

「そりゃまた、益々珍しいな。まさか娘娘(にゃんにゃん)に俺の身を案じてもらえるとは」


 さすがにそんな意図でない事くらいは、道士も重々承知している。


「白痴が、そんな訳があるか!(われ)は──」

「あー、分かってる分かってる」


 仙女のような存在を相手にするのでない限り、相手が二人だろうと「魔教」が総力を結集しようと、道士が本気を出せば、簡単に捻り潰せるのだ。身を案じるどころの話ではない。


「俺の目的はそいつだけだ。身を守る為に力を使う事はあるかもしれねえが、別に『魔教』そのものを潰してやろうなんて思っちゃいないよ」

「じゃから、(なんじ)が思ってなくとも、向こうが付け狙ってくれば、結局は話が大事になるではないか」

「それでも、どうしても行きてえんだよ」


 道士は真剣な視線を仙女に投げ掛ける。


 これこそ、道士が精神世界を通じて仙女に呼び掛けた目的の第一だった。


 いかに道士が神仙の域に達しようかという実力の持ち主でも、仙女が強硬に反対すれば、それに抗う術はない。

 また、仙女が道士を見限り、こうした交流が途絶えてしまうのも道士の本意ではない。


 まさか仙女が「魔教」側について、敵対するような事態には至らないだろうと道士は踏んでいるが、助力は得られないまでも、せめて仙女には傍観し、中立であってもらわなければ、道士の目的は達せられない。


「心して答えよ」


 その心中を察してか、仙女が道士に問い掛ける。


「国の乱れを憂うでもなく、国を乱そうとする『魔教』に憤るでもなく、ただ(なんじ)が恨まれておるから、それに腹を立てて弟弟子を討つと言うのなら、それは『私怨』というものじゃぞ?」


 仙女は刺すような視線で語った。

※1「都の~知府」

「開封府」は宋の首都。「知府」は「府の長官」で、ここでは「開封府の長官(知開封府)」の事。現代の日本では東京都知事に相当する。

※2「包拯」

(あざな)は希仁。中国の歴史上、最も有名で最も人気のある人物の一人。『水滸伝』でも名前のみだが引首(物語の冒頭部分。『水滸伝』では本編から独立し、物語以前の歴史や当時の時代背景などが短く語られている)に登場する。

※3「道侶」

「道」は道教の僧。「侶」は仏教の僧。道士と僧侶。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ