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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第五回  北辺の道士 宿魔の士を憂い 黒衣の仙女 恣意もて此を扶くこと
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仙女さまはお見通し

前回のあらすじ

仙女「良いではないか、良いではないかー」

道士「……」

「そ、それにしても、(なんじ)はまた随分と確信を持って、妖魔が解き放たれたと言い切ったな」

「ん?ああ、それなら──」

「天文にでも出ておったか?」


 天文を観て物事の吉凶を判じ、世情の動静を占うくらい、道士にはお手のものだ。


「あー…まぁ、そんなトコだ」

「…?しかし、そうなるとその妖魔どもも、随分とまあのんびりしておったもんじゃ。人の世で50年といえば、結構な時間なんじゃろ?その間、何もせずに身を潜めておったとは」

「…目眩ましじゃねえか?」

「目眩まし?」


 眉を(ひそ)めて尋ねる仙女に、道士は軽く頷いて続ける。


「理由はともかく、元々封じられてた存在だからな。追手の目を嫌ったんじゃねえか?人界で50年は確かに長い。仮に妖魔が解き放たれた噂が広まったとしても、それだけ経てば自然に収まるし、何なら世代が変わってるからな」

「なるほどの、一理ある。あるにはあるが…どうも腑に落ちんのぅ」

「何、俺の勝手な想像さ。いくら俺でも妖魔の考えてる事までは分からん。それに…」


 道士は両手を腰に当て、軽く伸ばしたり捻ったりと身体をほぐす。


「おっ!?そうかそうか、(なんじ)もいい歳じゃからの。そろそろ身体がキツくなってきたんじゃろ?ま、あまり無理をせず、身体を労るが良いぞ。では、(われ)はこの辺で──」

「待て待て待て!今のは別にそういうんじゃねえ。ここぞとばかりに帰ろうとすんじゃねーよ!」

「む…そうか。チッ!(全く、この腐れ道士め…大体、瞑想の世界で身体が凝り固まるもへったくれもないわ。大人しく座っとれば良いものを、これ見よがしに身体を動かすから、有り難くも(われ)が気遣ってやったというに。挙げ句、当然の如く無下にしおって!ほんに素直じゃないのぅ。どんな修行をすれば、ここまで性格がねじ曲がるのか…)」

「舌打ち!あと愚痴もっ!!全部聞こえてんぞ!」

「ん?気の所為ではないか?修行のし過ぎじゃろ」


 ニッコリ微笑んで空とぼける仙女に対し、道士が深い溜め息を一つ。


「まぁ、いいや。えー…あぁ、そうそう。それに妖魔にしてみりゃ、別に50年なんて大した時間でもねえんだろ?」

「まぁの。しかし、(なんじ)は目眩ましと言うが、仮にも元は天におった者が、たかが人間如きの目を恐れるとも思えん」

「だが、その『たかが人間如き』でも、動きを封じる事くらいは出来るじゃねえか。現に龍虎山で封じられてた訳だし」

「むぅ…」


 仙女は再び腕を組み、左手を顎に当てて一点を見つめた。


 暗闇の中、真剣な表情で物思いに耽るその姿は、さすが神仙たる存在ともあって、ひたすら様になっている。

 どれほど才能に溢れた者が今の瞬間を切り取って絵画に収め、或いは彫像に顕したとしても、この神々しさはおそらく欠片も表現できないだろう。


 でも、きっとこれはアレだ。


 それほど間を置かず、仙女は組んだ腕をほどき、両腕を闇の中に置いて道士を見据える。


「ん、分からん!」


 言うと思ったww


「言うと思った…」

「それを今、考えたところで、どうなる訳でもあるまい。妖魔達を封じる術が伝わっておるなら、伝えられた者が何とかするじゃろ」

「何とかしようとしてる、って話は聞かねえな」

「…ん?何じゃ、もしや(なんじ)が世の為、人の為に、妖魔どもを退治してやるなどと言い出すつもりではあるまいな?」

「んー、そういう事でもねえんだけど…」


 煮え切らない道士の態度に、仙女さまは徐々に苛立ってきた御様子。


「何じゃ、はっきり申せ!」

「何で妖魔(やつ)らが50年も身を潜めてたのかは、まあ今となっちゃ別にどうでもいい。俺が気にしてんのは目覚めた妖魔(やつ)らの目的さ」

「それこそ(われ)が知る訳なかろう。妖魔の行動原理なんぞに興味はないわ。大体、妖魔どもが活動を始めたとはいえ、それが目障りに思えるほど近場に現れた訳でもあるまい?」

「今、活発なのは山東の青州(せいしゅう)辺りだと思うが、それ──」

「青州?むー…良く知らんが、(なんじ)の国で確か東の端ではなかったか?」

「『端』ではねえが、まあ東の方だな」

(なんじ)の住まう地とは…」

「相当離れてるな」


 仙女は再び鼻で嗤う。


「ハンッ!そんなものを気にして、どうするというのじゃ」

「今、目立って活発なのが青州ってだけだ。同時に解き放たれたんだから、他の妖魔(やつ)らだって時間の問題だろ?これからあちこちで眠りから目覚めてくさ。それに、108の妖魔が全て山東に潜んでる、って訳でもなさそうだからな。現──」

「だとしても、じゃ。俗世から距離を置く(なんじ)には関係なかろう。まぁ、相手が『人ならざるモノ』となれば、人間界で(なんじ)以外に対処出来る輩は、そうそうおらんだろうが…」

「いや、『人』だ」


 道士は真っ直ぐに仙女を見つめる。


「…どういう事じゃ?」

妖魔(やつ)らは人に憑いてる。『身体を乗っ取る』ってのとは、恐らくちょっと違う。『依り代』と言った方が近いかもしれん。単に手当たり次第で誰でも良かったのか、それとも妖魔と相性が良かったから憑かれたのかは知らんが、とにかく妖魔は人を隠れ蓑にして人界に留まってる」

「それはまたおかしな話じゃの。解き放たれたのは50年も前なんじゃろ?その時点で人に憑いたところで、今頃は(なんじ)の言う通り、大概の者は寿命が尽きておろう。それとも何か?当時憑かれたのは赤子のみで、今は皆、50を過ぎた老齢の者ばかりとでも言うつもりか?」

「だからこその『目眩まし』だろ?」

「…?」


 怪訝そうな仙女に対し、道士は表情を崩さず続ける。


「恐らく父母や…今、憑いてる者の歳によっては祖父母の可能性もあるかもしれんが、ともかく妖魔(やつ)らが最初に憑いたのは、今、憑いてる本人じゃない」

「…それが『目眩まし』か?益々、辻褄が合わんの」


 仙女は呆れたように道士を見遣(みや)って溜め息を零す。


「確かに人に憑いて50年も息を殺していれば、追っ手の目は誤魔化せるかもしれんが…(なんじ)が天文を観るに、今の世に108の妖魔は全て揃ってるんじゃろ?目眩ましであろうが、手当たり次第であろうが、50年も前に人に憑いたところで、その人間が子なり孫なりを残せずに死ねば、元も子もないではないか」


 それを「偶然」の一言で片付ける事もできる。しかし、それは「人」の理屈だ。


「…要するにアレじゃな」

「…?どれだよ?」

(なんじ)が嫌うアレじゃ」

「あー…それはちょっとなー。それ言われると身も蓋もねえんだよなー」

(われ)は最初から腑に落ちんと言っておったじゃろうが。事情を知らんから(なんじ)の言うに任せておったが、結局は人の理屈をどれほど捏ねくり回したところで、納得のいく説明が出来んではないか」

「で、『天命』やら『宿命』やらって話になるんだろ?」

(なんじ)の話を聞く限り、今、妖魔に憑かれておる者は、予め憑かれる事が宿命として定められていた、と考えるしかないの。大体、妖魔どもが覚醒する時点で憑いとる者との相性の良し悪しなど、その父母や祖父母を見たからといって分かるもんでもあるまい。それを分かって先祖に憑いたというのなら、それこそ人の理屈などとっくに超越しておる」

「はぁ…勘弁してもらいてえよ」

「…?」


 道士は溜め息を零し、軽く項垂れる。


 それは因果律の完全なる否定。


 諺に『風あらざれば木は揺れず、船動かざれば水は濁らず』(※1)とあるのは正に言い得て妙で、どれだけ小難しい言葉を並べ立てたところで、因果律の説明としてこの諺に勝るものはないのだが、強いて畏まった言い方をすれば「全ての現象は直接、間接を問わず、必ず原因や要因が先にあり、それらに基づいた結果としての現象が後で生じる」といった感じになろうか。

 無論、人類が編み出した人の世の理屈である。


 しかし、仙女の理屈は全く逆だ。

「今の世に妖魔を宿す108人が健在である」という結果は、今から50年前、妖魔が解放された時にはすでに決まっていたのであって、その結果に基づいて妖魔達は各人の先祖に取り憑き、結果に対する原因となった、という事である。

 それはもはや、人智の及ばぬ天の差配とも呼ぶべきものだ。


「ま、結局のところ、妖魔が身を潜めてから50年を経て目覚めたのも宿命じゃな。まさか妖魔どもが前々から時期を申し合わせていた訳でもあるまい」

「宿命…ね」

「それはそうと(なんじ)、よく妖魔どもが人に憑いてると分かったの?いくら(なんじ)でも天文を観たくらいでは、離れた地の事をそこまで詳しく知り得まい?」

「ん?ああ、それは…って、さっきからずっと言い掛けたんだがな」

「…?そうじゃったか?」

「要するに、天文を観て妖魔が目覚め始めてるのを知ったんじゃなく、人に憑いてるのを見たから天文を観て、妖魔達があちこちで目覚め始めてるのを知った、って事だよ」


 人里を離れ、修行に明け暮れる道士は、人と接する機会が極端に少ない事を仙女は知っている。

 そして、その道士には溺愛と言っていいほど愛して止まない弟子がいる事も、仙女は知っている。


「そういう事か…一つ言っていいかの?」

「何だ?」

「回りくどいんじゃ!最初っから言わんかっ!!」

「アイツの話をする度に話が脱線するからだろうが!」

「何じゃ!?お?(われ)の所為か?おお??」

「他に誰がいんだよ…」

「いーや、違うの!断じて違うっ!!アレじゃ…ホラ、だから…(なんじ)が…そうじゃ!元はと言えば、(なんじ)が弟子の話をする度にあんな顔をするからいかんのじゃ!」

「俺の所為かよっ!?」

「他に誰がおるのじゃ!」

「えぇ~…マジかぁ、俺の所為だったのかぁ、ってならねーわっ!!」


 不毛な論争はさておき──


 道士が弟子を側に置いてから、かれこれ20年ほどになる。


 龍虎山を出て以降、修行を重ねながら各地を渡り歩いていた道士は、たまたま今、住まう地を訪れた際、一人の若者と出会った。

 若者は母と二人暮らしで鎗棒(そうぼう)を好み、気性の荒さも相俟ってか、度々騒動を起こしては母を困らせていたのだが、その若者を見た道士が武芸の才ではなく、道士としての素質を見抜き、弟子として手元に置く事にしたのだ。


 少なくとも、その時点で弟子に『人ならざるモノ』が憑いている気配など微塵もなく、無論、それ以降に取り憑かれたような気配も道士は全く感じていない。


 そもそも妖魔が世に出たのは、弟子が生まれる前の話だ。

 という事は、やはり妖魔は弟子の父か母のいずれかに取り憑き、母体を通じて弟子に乗り移った後、今の今まで気配を消していた、という可能性が最も高い。


 もちろん、道士に全く気付かれないまま人間界に居座り、最近になって弟子の身体に取り憑いた、という可能性も十分ある。しかし、今となっては妖魔が弟子に取り憑いた経緯など、はっきり言って道士にはどうでもいい。


「ぜぇ、ぜぇ…で、どうするのじゃ?」

「…何がだ?」

「じゃから!愛しい愛しい弟子が──」

「しつけーな!いちいち強調すんじゃねえよ!」

「ハンッ!馬鹿めが。目の前にイジって下さいと言わんばかりに、ネタをぶら下げられとるんじゃぞ!?イジってやるのが礼儀ってモンじゃろうが!」

「ぶら下げてねーし、何処の礼儀だソレ!?」

「徹底的にイジり倒してくれるわ!」


 呆れ返る道士を前に、仙女は呵呵と笑うが…


 お二人さん、そろそろ本題に戻りましょう?


「それで?妖魔に憑かれた愛しい愛しい弟子を、どうしようと言うんじゃ?」

「(怒)…どうもこうもねえよ。憑かれてんのは間違いねえが、だからって放り出す訳にもいかねえし」

「(チッ、つまらん)…本人に変わった様子はないのか?」

「ないな。至っていつも通りだ。変化を見せないようにしてる、って感じでもねえ。たぶん憑かれてる自覚すらねえんじゃねえか?」

「左様か。まあ、自覚があったところで、どうなる訳でもないと思うがの」

「せめて妖魔が何の為に人に憑いてるのかだけでも分かればな…」


 道士はチラと仙女を見遣る。


「お?何じゃ、その目は?(われ)の所為だとでも言いたげじゃな?おお??」

「いや、言ってねーし…」

「言わずとも思っとろうが!」

「だぁーっ、もー!話が進まねえからっ!!」

「チッ…目に見えて弟子に変化はないんじゃろ?それなら放っておくしかあるまい」

「…どうにか祓う事は出来ねえのか?」


 道士が今回、仙女との対話を試みた目的の一つだ。

 妖魔を祓う方法があるのなら、更にはそれを道士の力で為せるのであれば尚、申し分ない。祓った妖魔が天に還ろうが、そのまま人界に留まろうが、そんな事はどうでもいい。

 最悪、再び弟子に取り憑いたところで、祓える事が分かっていれば気に病む必要もない。


「無理じゃな」


 しかし、仙女は即答した。


(なんじ)が人として並外れた力を有するのは認めるがの。妖魔が単に相性なり、手当たり次第なりで憑く者を選んだというのなら、或いは(なんじ)ほどの力を以てすれば、祓う事が出来たのやもしれん。しかしじゃ。憑かれた者の持って生まれた宿命によって妖魔が引き寄せられたとあっては、いかに(なんじ)といえど…いや、最早、人の力でどうこう出来る話ではなかろうな」

「…どうあっても、か?」

「では、いっそ首でも()ねてみるが良い」

「あぁ!?」


 唐突な仙女の言葉に道士は怒りを込めて仙女を睨む。が、仙女は至って真剣な表情だ。


「そんな事──」

「出来んのじゃろ?」

「当たり前だろうがっ!!」

「では、念など押すでないわ。(われ)が出来んと言ったら出来んのじゃ!折角、(われ)が親身になって話を聞いてやろうというに、いちいち疑って掛かるでないわ、煩わしい」

「…ああ、すまん」


 ふぅ、と一つ溜め息を零し、仙女は再び左の拳に頬を預けた。


「国の有り様に、弟子が不満を持っとると言っとったの?」

「ああ…いや、それは別に今に始まった事じゃない。昔からだ。窘めてはいるんだがな」

「左様か。まあ、封じられておった妖魔どもが、わざわざ封じていた側の人間界を直そうと考えるとも思えんが…それも憑いた妖魔の本性次第、といったところかの。気性も荒いんじゃったか?」

「昔は、な。最近はだいぶ落ち着いて母御も一安心、といったところだと思うが…」

「いっそ首に縄でも掛けておいたらどうじゃ?」

「はぁ!?」

「弟子が生まれながらに…いや、生まれながらであろうが、生まれて以降に憑かれたんであろうが、確かに今、妖魔を宿しているというのなら、生ある限りその(さが)を背負って生きていくしかない。それを見るに堪えんというのであれば、後は首を刎ねるくらいしか…と、さっき言ったじゃろ?」

「それが出来ねえなら、せめて首に縄でもつけて見張ってろ、ってか?」


 道士は再び怒りを込めた視線を仙女に送るが、やはり仙女は至って真剣な表情を崩していない。


「…そんな訳にもいかねえだろ」

「まあ、の。結局は…」

「…?何だよ?」

「チッ、(なんじ)が嫌うから気を遣って言葉を選んでやっとるというに…結局は成るようにしか成らん、という事じゃ。強いて勿体振った言い方をすれば、天命の定むるままに、といったところじゃの!」

「……」

「本人の望むと望まざるとに拘らず、それこそこの世に生を受ける前から妖魔に魅入られる事が決まっておったのだから、それを天命と言わずして──」

「止めてくれよ。下らねえ」

「…?」


 道士は天命や宿命、運命といった類いの言葉が嫌いだ。

 その存在を否定はしない。

 仙女に言わせれば、道士にだって道士の天命がある。それも道士は分かっている。

 分かった上で、自分には「無いもの」として生きてきた。


 道士に限らず、人が生きていく上で一度も迷わず、一度も選ばないなどという事はあり得ない。

 しかし、どれだけ悩もうが、どちらを選ぼうが、天命や運命などというモノで予め行き着く先が決められているのなら、選択や葛藤、それはつまり人の一生はあまりにも虚しく、あまりにも無意味だ。


 過去ですらそうなのだ。

 (いわ)んや未来をや、である。


 仙女は戯れに人間界に関わる。

 戯れに罰を下し、戯れに福を授ける。


 明日、罰を下されて命が尽きると知った者は、明日を迎えるために今日の生を全うするか。

 明日、福を授けられて富を得ると知った者は、昨日までの恩を忘れ、今日にも恨みを買わないか。


 可能性のある未来だからこそ、人はそれを生きる活力にするのであって、確実である未来など、知らない方が良いに決まっているのだ。


 明日が分からないからこそ、今日を生きられる。

 今、乗り越えられない壁も、明日は乗り越えられるかもしれないから今日、努力できる。


 しかし仙女は今、妖魔を宿す宿命と、宿した妖魔の宿命によって、すでに弟子の未来は定まっている、と言う。

 仙女が言う以上、それは真理だ。それが道士には耐えられなかった。


「…ま、妖魔を宿した弟子がこの先どのような人生を送り、どのような今際(いまわ)を迎えたところで、それを(なんじ)が気に病む必要はない、と(われ)は思うがの」

「…それで俗世に首を突っ込む事になっても、それで命を落とす事になっても、か?」

「仕方あるまい。それも天命じゃ…って、さっきから何を言っとるんじゃ、(なんじ)は?」


 心の底から理解できない、といった表情で仙女は問い掛ける。


「弟子の為に憑いた妖魔を祓ってやりたい、というのはまだ分かる。それを妖魔の正体だの目的だのと…まあ、愛しい愛しい弟子の身を案じずにはいられんのが、(なんじ)の天命なんじゃろうが」

「だから、止めてくれって。俺の意思だよ」


 冷やかすような仙女の言葉を、道士はさらりと受け流し、僅かに鼻白んだ面持ちで顔を逸らした。


 仙女から見れば、行動や結果のみならず、そこに至る葛藤や苦悩までをも含めた全てが天命だ。

 しかし何かを為す事が天命で、それに抗って為す事を止めれば、実は抗う事がすでに天命で決まっていて、為そうが為すまいが、いずれの結末を迎えたところで、その結末こそが天命だったのだというのなら、もはや人にとって天命など有って無いに等しい。


 仙女のように、人間の一生を左右できるような存在だけが人間の天命を知ればいい。そして、そんな存在によって罰を下された者、或いは福を授けられた者を見て、周囲の者が「アイツはそういう運命だったのだ」と語るように、人間にとってはそういった人智の及ばない存在こそが天命そのものなのだ。


 道士がいかに神仙の域に足を踏み入れようとしていても、未だ神仙ではなく「人」である。

 だから道士が今、弟子の身を案じるのも、これから何を為そうとも、それは紛う事なく人としての道士の意思である。


「大体、弟子が妖魔に憑かれたのは、(なんじ)と出会う遥か以前の話じゃろうが。今更、憑かれなかった事には出来んのだから、憑かれた運命を受け入れるしかなかろうが」

「そう簡単に割り切れないんだよ、()()は」

「左様か。難儀な事じゃの。そう思うのなら後は好きに致せ。ま、(なんじ)から見て、まだまだ弟子が未熟じゃと思うのなら、せめて今は妖魔の事を伏せておくんじゃな。(なんじ)のように、自分の行動は自分の意思で決めている、と思わせておくが良かろう」

「…相変わらず、嫌な言い方をしやがんな」


 突き放すような仙女の物言いに道士は顔を(しか)めるが、しかし、仙女の言う事も大いに理解している。


 元より、道士にそれを告げる気は毛頭ない。


 要するに、妖魔も天命や宿命といったモノと同じなのだ。

「人ならざるモノ」「目に見えぬモノ」の力で、自分の思考や行動が左右されている事など、知らずにいればこそ自分の行いに責任を持つ。それはつまり、妖魔と関わりのない者と、何ら変わりのない人生を送れるという事だ。


 道士が気に掛かったのは、それだけではない。

「今は」という仙女の言葉だ。


 いつかそれを知る日が弟子にも来るのだろう。弟子が修行を積み、道士がそれを伝えてもいいと思えるほど精神的に成長した時か、或いは道士の口を経ずに伝わる日が来るのか、それは道士にも分からない。しかし「今は」伝える必要はない、と仙女は言っているのだ。


 戯れであろうが、気紛れであろうが、仙女の言葉は重い。

 人はそれを「天啓」と呼ぶのだ。


「ハンッ!(われ)の金言が聞けただけでも有り難く思わんか」

「そりゃあどうも」

「全く…助言のしがいがない奴じゃの。まあ、良いわ。さて、では(なんじ)が隠している事について聞こうかの?」

「…別に何にも隠しちゃいねえけど?」


 仙女は呆れたように右手で一つ闇を叩く。


白痴(たわけ)が。(われ)にそんな戯れ言が通用すると思うのか!?隠しておらんと言うのなら、言い方を変えてやる。(なんじ)が敢えて後に回し、触れようとしていない話じゃ。今回の本題はそれなんじゃろ?」

「ああ、バレてたのね…」

「当たり前じゃろうが!あれだけ思わせ振りな態度を取っておれば、誰でも気付くわ。ひたすら愛する弟子の話ばかりしおって。どれだけ弟子が好きなんじゃ、(なんじ)は!」

「…全く、しつけえな」

「ハンッ!思い知ったか。(ざま)を見よ、じゃ!」


 仙女は言う。

 今、妖魔を宿している者は、生まれながらに妖魔を宿す天命なのだ、と。


 そして、また言う。

 50年の眠りを経て、解き放たれた妖魔が今の世に目覚めたのもまた天命である、と。


 それはつまり、妖魔達が50年前に解き放たれるのもまた天命だった、という事だ。

 当然である。妖魔が今から100年の後に解き放たれたところで「その50年後に」「宿魔の天命を持つ者に憑いて」「今の世で」目覚める事はできないのだから。


 道士には人生の全てを自分の意思で選び、歩み、進んできたという自負がある。人として悩み、自らの意思で修行の地に龍虎山を選んだ、という自負が。

 だが妖魔が解き放たれ、弟子の身に宿る事が天命だと言うのなら、或いはそれも──


「で?詰まるところ、妖魔が解き放たれた件に、(なんじ)がどう関わっておると言うのじゃ?傍からどう見えるかはさておき、少なくとも(なんじ)に『関わった』という自覚があるからこそ、弟子が妖魔を宿した事に気を病んでおるんじゃろ?」


 仙女は試すような視線で語った。

※1「風あらざれば木は揺れず、船動かざれば水濁らず」

中国の諺。「風不来、樹不動、船不揺、水不渾」と書くそうです。「渾」は「濁る」の意。『水滸伝』でも第21回で使われています。

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