仙女さまは御立腹
「あーっと、何処から話したモンかな…」
道士は右手で軽く頬を掻く。
「龍虎山の話だ」
「…何ぞ?その『コレ言っとけば分かるだろ』みたいな顔は??」
「マジか、おい…」
道士が右手で顔を覆った。
「いや、話の内容はともかく、龍虎山は分かるだろ…」
「馬鹿にするでないわ、龍虎山くらい知っておる。汝ら道士達が、寄ってたかって王母娘々(西王母)を筆頭に、吾らを崇め奉ってる場所じゃろ?」
「言い方…」
「何と言ったかの、あの湖は…あー…彭蠡湖(※1)、じゃったか?その南の、何もない辺鄙な田舎の──」
「だから言い方っ!!」
龍虎山といえば道教の拠点として重きを成す、言わずと知れた聖地だ。そして仙女は道教の神である。
「何を下らん事を…ここでどう言い繕うたところで、何が変わる訳でもあるまい」
「いや、そりゃそうだけどさ」
「っていうか、龍虎山の話など、聞いたところで吾の出る幕などないわ。弟子の話は何処へいったのじゃ?」
「アイツの話は…いや、まあ、するにはするが…順番があるだろ」
途端に仙女の目が輝いた。
「お?おぉー、何とも良い表情をするではないか。汝も意外と初じゃのぅ」
「…は?」
「何、照れんでも良いわ。まあ、汝は知らずとも当然じゃが、人間界にはその内…何と言ったか…あ、そうそう『びーえる』なる概念が生まれるのじゃ。その世界では師匠と弟子なぞ、珍しくも何ともないぞ?で、コレがまた、なかなかに奥深いらしいのじゃ。して、汝は『右』かの?『左』かの?」
「いや…娘娘?」
「ん?いや、別に吾がハマっておる訳ではないぞ?ハマってはおらんが…ここでいう『右』とか『左』とかいうのは、俗に言う『受け』とか『攻め』とかいう意味じゃな。あー、いやいや、何も直接的な行為だけを意味する訳ではないらしいのじゃ。そこは寧ろ、精神的な相互の信頼があってこそのナンチャラカンチャラ…」
仙女さま。その辺りの事は、いつかまた詳しくお聞きしますので、今日のところは割愛します…ね?
っていうか、全然人間界の事に興味なくない…ほら、もう何か道士さんが諦めて、遠い目をしてますよ?
「(ハッ!!)…ゲフン。いや、あの…すまんかった。して…えと、何の話じゃったか…の?」
「ん?ああ、お戻りになられましたか」
「汝があんな顔をするからいかんのじゃ。あー、思い出したら何かまた──」
「おい!龍虎山!」
「あっ、ああ、そうじゃった…まあ、話を聞くと言った以上、仕方あるまい。して?龍虎山が如何したのじゃ?」
道士は盛大に溜め息を一つ零すと、
「今から50年ほど前、龍虎山の上清宮に封じられてた妖魔が解き放たれただろ?その妖魔の──」
「じゃから…汝は何故、吾も知ってる体で話を進めるのじゃ。人間界の事になぞ興味はない、と何度言わせれば──」
「封じられてたのは人間界でも、元々の正体は天界の星々なんだから、全く知らねえって事ぁねえだろ?」
「何じゃ、汝の方が余程詳しいではないか。吾に尋ねるまでもあるまい」
「俺が聞いてるのはこの程度だよ」
「『聞いた』?誰にじゃ?」
「俺も若い頃に一時期、龍虎山で修行してた事があるからな」
道教の歴史は古い。
その聖地である龍虎山の歴史も相当に古く、漢代には初代天師が龍虎山に籠り、仙丹(仙薬)を練ったという伝承が伝わるほどだ。
龍虎山に建つ上清宮は、漢の末期に建立された後、災害などで幾度か損壊し、宋初に再建されたとされる今の宮でも、優に100年以上の歴史がある。
そして──
道士が若かりし日に龍虎山で修行を積んでいた頃には、すでに「伏魔之殿」は封印を施されており、こう伝えられていた。
「古に36の天罡、72の地煞、併せて108の星々(※2)が人界に落とされ妖魔と成り、開祖の張天師が封を施された『伏魔之殿』に封じられている」と。
それが真実であれば、優に1,000年近い歳月もの間、代々の嗣漢天師(※3)が封を守っていた事になる。
どうにも眉唾物の話であるし、道士も頭から信じていた訳ではないが、封じられた時期の真偽は今、問題ではない。
「で?汝も妖魔が解き放たれた場に居合わせた、と?」
「いや。龍虎山を出た後に風の噂で聞いた」
仙女は呆れたように溜め息を返す。
「何じゃ、それは…大層、深刻な顔付きでこれだけ話を広げておきながら、結論は噂か。汝もまた、下らん物を信じたもんじゃのぅ」
「信じるも何も、事実だ」
道士は真っ直ぐに仙女を見つめて断言した。
道士には確信がある。
そして、事実として妖魔が解き放たれたのだから、封じられた時期はともかく、封じられていたのは間違いない。
「左様か。しかし、そうか…最近、姿を見んと思うておったが、人間界に封じられておったのか」
「『最近』?」
「あー、単なる言葉の綾じゃ。汝らで言う100年も1,000年も、吾には大差ないわ」
「っていうか、やっぱ知ってたんじゃねえか」
「あ…き、汚ないぞ!汝、吾をハメおったな!?」
「はぁ!?俺は最初っから龍虎山の話だって言ってたじゃねえか。娘娘が勝手に惚けて、勝手にハマっただけだろ?」
「ハメるだけハメておきながら『いや、俺、カンケーねえし』か…汝、サイテーじゃな。男の風上にも置けんわ」
「何の話だよ!?!?」
「この期に及んでまだ『ナニの話』とか…まあ、確かにナニの話じゃが。どうした今日は?汝らしくもない。何かとナニが溜まっとるのか?」
「な・ん・の、話かって聞いたんだよっ!!『どうした今日は』は、こっちの台詞だ!」
ホント、何の話でしょうねww
「とにかく!吾が知っておるのは、天罡と地煞の星々を司る者達の姿を見掛けなくなったという事だけじゃ。天界を追われた後の事も、そ奴らが人間界で何をしていたのかも知らんぞ。もう久しく人間界も、つぶさに覗いておらんからの」
「何でまた天の星々が下界に落とされた挙げ句に『妖魔』なんぞと呼ばれる羽目になったんだよ」
「ハンッ!それこそ吾の知った事ではないわ。大方、何ぞ悪さでもして、玉帝(天帝)の怒りに触れたんじゃろ?どうでもいいわ」
心底、興味がないといった様子で横を向いた仙女は、しかし、礑と何かを思い出したようで、再び道士に視線を向けた。
「汝…『50年前に解き放たれた』と言ったの?」
「ああ」
「解き放たれてそれなりに時間も経つというに、未だ天に召し上げられたという話は…」
「…?どうし…た!?」
道士が見れば「すんっ」と音を立てる勢いでみるみる仙女の表情が消えいき、目の光も失われていく。
「…のう、もう帰っても良いか?」
「はぁ!?話はまだ──」
「いや、もう汝の言いたい事は大体、察しがついたわ。これ以上は時間の無駄じゃろ。全く、下らん話を持ち込みおって」
道士は苦虫を噛み潰したように眉根を寄せる。
仙女が察したというのだから察したのだろう。それはいい。
しかし、ここで疎通を切られては、道士にとって甚だ都合が悪い。
「大方、解き放たれて人界に居着いた妖魔どもを、再び天に帰す為に力を貸せ、とでも言うのであろう?そんな話を引き受ける訳がなかろうが」
図星ではある。仙女の助力を得られれば、これほど心強い事はない。
しかし、仙女を良く知る道士にしてみれば、そもそもそんな事には全く期待していない。
真に仙女に求めたい事は他にあるのだが、それを見透かされたのではなかった事に、道士は密かに胸を撫で下ろす。
だが仙女は仙女で、もはや道士との会話に全く興味をなくし、今にもこの精神世界から立ち去りそうである。
ここで引き留めるにはアレしかないか、と道士は渋々あの話題を振った。
「…弟子の話だがな」
「お?おぉ、そうじゃ!まだ、それを聞いとらんかったわ。何じゃ、どうした?ほれ、照れとらんで遠慮なく言ってみい!」
「照れてはねーよ、別に!その前に…娘娘は今の人界の有り様をどう見る?」
「は?何じゃ、それは??吾は汝と弟子との麗しき師弟愛について──」
「だぁから…話には順序ってモンがあんだよ!」
「ふぅん?」と軽く洩らして仙女は腕を組み、左手で顎の辺りを弄りながら、品定めをするような視線を道士に向けた。
「まあ、どうという事もないの。国が腐れば誰かが王を討ち、その誰かを王として平和が続けば、その内に王が腐り、国が腐り…人の世は絶えずその繰り返しじゃろ?汝の国も、建ってそれなりの時を経ているようじゃし、そろそろいい具合に腐ってきた頃合いかの。ま、極々順調ではないか?」
「まあ、確かにな…」
道士は苦笑を浮かべて仙女の言葉を肯定する。
「汝、まさか…腐った汝の国を、吾の力で救えなどと言うつもりではあるまいな?」
「いやいや、さすがにそんな事を言うつもりはねえよ」
仙女は組んだ腕をほどき、右手をヒラヒラさせながら、
「捨て置け、捨て置け。国の貧富も民の禍福も、その国の為政者と民が決めるのが人の世の理じゃろ?吾や、既に人の理から外れた汝が口を出す道理はないわ」
「俺はまあ、それで良いんだが…」
「…?何じゃ?」
「娘娘が人界に興味ねえのは知ってるが、それでも人間は娘娘を崇拝してるだろ?偶には霊験灼かなところを見せても──」
「ふっ、ふははははは!」
唐突な仙女の笑い声に、道士はハッと口をつぐむ。口を滑らせた事に気付いたのだ。
これではまるで──
「はは…面白い事を言う。まるで『これからも人間の尊崇を得たければ、まず吾が人間どもを救え』と言わんばかりじゃな?」
「いやっ、今のはそういう意味じゃねぇ!」
慌てて道士は否定するも時すでに遅く、仙女の顔には笑みこそ残っているものの、全身から迸る怒気が闇の中にキラキラと輝き、艶やかなその肢体を照らしている。
「フッ、まあ良い。今日は機嫌が良いでな。汝に幾つか問いを出そう。その全てで吾の納得する答えを返せるのであれば…まあ、汝の言う事を考えてやらんでもない」
「あ、ああ」
口ではそう返した道士であるが、実は真剣に答える気は全くない。
なまじ癇に障る答えを返せば、火に油を注ぐようなものだし、聞こえの良い綺麗事を並べたところで、それが本心でない事など、仙女には簡単に見透かされてしまう。
そもそも、そう簡単に答えを出せるような問いが来るとも、道士は思っていない。
「吾が人間を助けるとして、一体、誰を助けるのじゃ。貧しい者か?貧しくとも不幸を感じておらん者もいよう。では、不幸を感じておる者を助けるか?なるほど、それなら貧しかろうが、富んでいようが、幸を恵んでやれるかもしれん。では、差し当たって今、不幸を感じておらん者はどうする?己一人が吾の恵みを得られん事を、不幸と思わんかの?吾はその者まで助けるのか?では、最終的に吾は全ての人間を助けなければならんの。大体、一口に『幸を下す』と言って、どれほどの富と幸を恵んでやれば良いのじゃ?仮に等しく財を授けたとして、今、窮する者は、それでは格差が縮まらんと不平を覚えんか?窮する者には多くの財を、富める者には少しい財を分け与え、今、富める者は、それを不公平と感じんか?そんな文句が出ぬほど、全ての人間に巨万の富を授けたとして、昨日まで豊かだった者は、昨日までその日暮らし同然だった者と同様に満足するかの?それに人の世には、有り余る財を持ちながら尚、無意味に富を掻き集める者もいるであろう?そうした者は、昨日までその日暮らし同然だった者に恵んでやった財まで奪おうと考えんか?或いはそんな人間は、いや、そんな人間こそ、己の糧すら満足に自力では調達出来ず、他者から買って腹を満たしているのであろう?しかし売る側も、今は生業として苦労しながら大量の糧を育てていようが、いざ吾から富を授けられ、働かずとも暮らしていけるとなれば、果たして顔も知らぬ他者の為に、いつまでも土に塗れ、額に汗する生活を続けるものかの?それまで高慢ちきな面で買い叩いていた者が慌てて金を積んだところで、既に売る側は金などに見向きもせんじゃろうから、なればあとは己で土弄りを覚えるか、己が楽をする為に、覚えている者を力で捻じ伏せ、奴隷としてコキ使うか──といったところ…何じゃ、何処かで聞いた事のある話じゃと思うたら、今の人の世の始まりと大差ないではないか。下らん、もう見たわ。折角、吾が財を恵んでやったところで、力なき者は全てを奪われ再び窮し、奪った者は益々栄えて肥え太る、か。ハンッ!人間の欲というのは止まるところを知らんの!一体、いつになったら『満ち足りる』という感情を覚えるのか。ああ、いやいや、汝は吾に『霊験灼かなところを見せよ』と言うんじゃったな。どうせそうして虐げられる者は、自由を得る為に再び吾を頼るのであろう?どれだけ他者を従えても、従えた端から逃げられるとなれば、財を成すしか能のない者は、次に糧までも吾に求めるか?何ともまあ、人間というのは惰弱な存在じゃの。己の生すら他者を頼らねば全う出来んとは。いや、糧ばかりではない。衣服も住まいも、およそ暮らしに必要な全てを己で調達しておる者など、人の世には数えるほどしかおるまい。初めは自前でどうにかしようと試みたとて、それも吾から財も糧も労せず手に入ると知れ渡るまでじゃろ。結局は労を厭うて何から何まで吾を当て込み、蜜に群がる蟻の如くに、恵みを貪らんと蝟集(※4)してくる様が目に浮かぶわ。ハンッ!強欲、惰弱ときて、おまけに怠惰か。呆れるほどに救いようがないの、人間は」
まだ終わらない。
「いや、そもそも吾に財など望まん者もいよう。発端が横一線じゃから、己一人が抜きん出ようと他者と争い、奪い、蹴落とさんと考える。なれば財などなくとも、端から吾に願って王に即いてしまえば、余程手っ取り早いの。人の世では王となれば、富など勝手に寄ってくるんじゃろ?しかし、その王の民となった者はそれで納得するかの?たとえどれほどの富を得たとしても、王に楽をさせる為に納めたくもない財を納め、王を食わせる為に弄りたくもない土を弄って糧を納めるような生活を良しとするか?そんな生活に不幸を感じんか?それに甘んじるくらいなら、自らも王になりたいと望まんか?なるほど、それも良かろう。望む者がいるのなら、望むだけ王にしてやろう。が、果たしてそれで人の世は治まるかの?吾に望めば自らも王になれると分かっていながら、いつまでも民として搾取され続ける生活に甘んじる者が、人の世に果たしてどれほど存在するというのか。いずれ全ての人間が王を望んだらどうするのじゃ?その上、人の世の大地には限りがあり、また肥えた地もあれば、痩せた地もある。痩せた地を持った王は、肥えた地の王を妬まんか?では、そんな不満が起こらぬよう、地表の全てを平らかにし、全てを同程度の肥沃な地にするか。しかし、人の世に王しかいないのであれば、国に住まう民がおらんぞ?それで、どうやって王は国を保っていくのじゃ?王、自らが地を耕し、水を汲み、糧を育て、畜を養い、自給自足の生活をするのか?元々民であった者が一足飛びに王になったとして、その生活と今と、どれほど違うというのじゃ。元々王として何不自由なく暮らしていた者は、全ての臣民が王となって自らの下を去り、己がそんな生活を強いられる事に不満を覚えんかの?再び不自由のない生活を得る為に他の王を攻めんか?しかし、王一人では戦は出来ん。なれば、次は吾に兵を求めるか?その兵とて『他者の為に命を賭すくらいなら』と、やはり王を望まんか?ある国で兵を集っていると知れば、別の王も吾に兵を求めよう。が、感情を持ち、命を惜しみ、自らも王の座を求めるような兵など、はっきり言って無用の長物、理想は感情も何もない傀儡のような兵か、或いは生物でない自律兵器か…いずれにせよ、戦の勝敗を決するのは、戦略でも兵の多寡でもなく、ただ吾にどのような兵を求めたかという、王の発想力の違いだけじゃな。最早、王としての資質もへったくれもないわ。しかし、勝った者は王を保ち、負けた者はその民となるのであろうが、負けた者は再び王を望まんかの?ハンッ!結局、先の話と本質的には何ら変わらんな。ただ、言葉が『支配者と奴隷』から『王と民』に変わっただけじゃ。全ての人間の願いを一つ一つ叶えていったとして、一体いつになったら終わりを迎えるのじゃ。大体、二王が争い、互いに互いの死を願ったとして、吾にどちらの願いを叶えろと言うのじゃ?全く以て面倒じゃな。もういっそ、最後の一人となるまで好きに殺し合わせるか。これで万事解決じゃな。で、残った最後の王は、お決まりの不老不死を望むか?良かろう、それも叶えてやろうではないか。しかし、その国でまともなのは王ただ一人、己を食わせる為に働かせるのは、揃いも揃って生きた屍のような傀儡か、農作業に転用した自律兵器しかおらん。そんな世を永遠に治めて、何が楽しいというのか。それに飽きれば、次は異性か?汝の国でも、皇帝や王は数え切れぬ女を侍らせて悦に入っておるのじゃろう?別にくれてやるのは構わんがの。そこで生まれた命はどうするのじゃ?王が不老不死なら跡目を争う事はなかろうが、王に次ぐ権力を欲して骨肉が争わんか?まあ、跡目が不必要なら、王とて従順な者だけを生かし、騒ぎを起こす者は始末すれば良いだけの話か。これで漸く人の世は定まった訳じゃ。さて、聞くが…『人間如きの信心を得る為に力を揮え』とか何とか吐かしておったのぅ?その人間如きの望むがままに力を揮った結果がコレじゃ。汝はこんな世を望んどるのか?汝のように世を憚って生きる者は、確かに争いとは無縁の生活を送れるじゃろう。とはいえ汝、こんな世界に生きたいのか?もう一度聞いてやる。『力を揮えば、人間の信心を得られる』じゃと!?傀儡のような民が吾を尊ぶのか?生物ですらないモノが、吾を畏れ崇めると!?おお、なるほど、忘れとったわ。一人、王のみは吾を尊ぶか。当然じゃな。誰のお陰でその地位に即いたと思うておる。では、その王が民に命じて吾を祀るか?傑作じゃな!何の感情もなく、ただ命じられるがままに傀儡どもが吾を尊ぶ訳じゃ。それを吾に有り難がれと申すか!?ただ一人の王を名乗る人間如きの為だけに、汝は吾に力を揮えと申すんじゃなっ!!!?ふざけた事を吐かすでないわっっ!!!!」
全くもって道士の予想通りだった。
道士は返す言葉もなく、黙って仙女の言葉を聞いた。
そして、全くもって仙女の言う通りだ。
所詮、どれほどの力を持っていようと、全ての人間を救う事など決して出来はしない。
誰かが富めば、それを見た誰かは、貧しい己を嘆いて富める者を羨む。
誰かに幸あれば、それを見た誰かは、幸薄い己を呪って幸多き者を妬む。
仙女も時には人間界に関わる事もある。
しかし、恣意的に誰かを選ぶ事を止めた仙女が、力を揮う基準は一つしかない。
ただの気紛れ。
そこに恣意的な要素は全くない。関わる相手の地位も、名誉も、財産も、人の世での善悪も全く関係なく、気の向くままに幸運を授け、罰を下す。
力ある者はそうあるべきだ、と実は道士も思っている。
幸運を授けられ、或いは罰を下された者の周囲がどれほど妬もうと、羨もうと、嗤おうと、嘲ろうと、そんな事は力を揮う者の知った事ではない。たとえそれで力を揮った者自身が恨まれようと意に介すべきではないし、そもそも良きにつけ悪しきにつけ、他者の耳目を惹きたくないのであれば、端から力などひけらかさなければいい。
力ある者がどれほど上っ面の正義感を振りかざし、どれほど歯の浮くような綺麗事を並べ立てて力を揮おうと、そしてそれを人の世がどれほど誉めそやそうと、そんなものは単なるエゴであり、自己満足であり、嘘偽りのない偽善だ。
その証に、人の世で絶大な支持を得た英雄も、揺るぎない信仰を集めた聖人も、遂に人の世から争いを消す事はできなかった。そしてこの先、どれほど偉大な為政者が現れようと、どれほど崇高な指導者が現れようと、結末は同じであろう。
それはそうだ。富を与えれば与えるほど、安らぎを説けば説くほど、同時にそれを妬み、羨む者を生み出しているのだから。
いや、力ある者はまだいい。それを自覚しているのであれば。
道士が最も唾棄し、嫌悪するのは、まるでそれが力ある者の責務であるかのように「力ある者は弱き者を救うべきだ」と無責任に説く者だ。
富める者、力ある者にそれを説く時、救われる対象には、ほぼ間違いなく説いた者が入っている。或いは自分を除いてでも他の誰かを救えと説いたところで、それは説いた者が知る、狭い価値観の中での話だ。説いた本人の知らないところに、より不幸な者がいたとしても、そんな事には全く思い至っていない。
何の事はない、ただ自分が救われ、自分の軽薄な正義感が満たされれば、それで十分なのだ。
人が生物である以上、子を生し、種としての「ヒト」を後世に繋ぐのは、生物としての本能だろう。そして、親であれば誰もが「子を育む力」を持っている。
当然だ。育む力が備わるからこそ、子を生せるのだから。
人はその本能すらも容易に捨て去る。
僅かな金のために子を売り飛ばし、自らの自己満足のために子の進む道を決め、ほんの些細な理由でいとも容易く子を殺める。
そうして自らはその本能を、力を放棄しながら、片や力ある者に対しては、存分に力を揮って不幸な者を救え、自分を幸せにしろと我が物顔で主張する。
あまりにも醜く、自己中心的で、悍ましい。
人の世では、人以外の生物を「畜生」などと呼んで蔑む。だが、同じ「人」でありながら、道士から見れば生物としての「ヒト」など、そうして蔑んでいる、いかなる畜生にも遠く及ばない。
「俺の失言だった。許してくれ」
道士は一切の反論をする事なく、頭を下げた。
「ん。分かれば良い。だが、次は無いぞ?次にもし似たような事を吐かしおったら、二度と汝の前には現れんからな」
あの問いは、道士に対する警告でもある。
仙女や道士が人の世との関わりを断ち、それで人の世がどうなろうと仙女は全く気にしない。ただ、徒に他者を頼り、他者に縋る人の醜さを知る仙女が「無闇に力を揮うでないぞ?一度揮えば、さもそれが当然であるかのように、際限なく依存されるぞ?」と、こうして気脈を通ずる道士を慮っているのだ。
無論、それすらも仙女にとっては、単なる気紛れなのだが。
道士もそれは十分に分かっている。道士だって、立場は仙女とあまり変わらないのだ。
仙女の力には敵わずとも、長年の修行によって人智の及ばぬ能力を身に付けた道士は、すでに凡百の人間を遥かに超越した存在である。だからこそ、俗世から離れ、俗世と極力関わりを持たない生活を送っている。
分かっていながら、思わず口を滑らせただけの話だ。
「ああ、肝に銘じておく。いや、分かってんだけどな…俺は」
最後に、ぼそっと付け加えられた一言で、仙女は道士の言わんとしている事を察した。
それを待ち望んでいたはずでありながら、仙女に浮かれた様子はなく、いっそ呆れ顔だ。
「あぁ、そういう事か。確か…弟子の道術も相当な腕前という話じゃったの?」
「ん?ああ、俺にはまだまだ遠く及ばねえけどな」
「汝に並ぶ者など、今の人の世にはおるまい…って、別に汝の自慢なぞ、どうでも良いわ。人の世に出れば、弟子の力はだいぶ目立つんじゃろ?」
「まあ、軽く敬われる程度には、な」
はぁ、と一つ溜め息を零した仙女は、再び闇の中に肘を置き、左の拳で頬杖をついた。
「なるほどの。それは確かに師匠として頭の痛い話じゃな。しかし…青いのぅ。汝の弟子もそれなりにいい歳だと、以前聞いた記憶があるような…?」
「んー…確か…35、6くらいだったんじゃねえか、な?」
「その歳でまだそんな青臭い考えを持っておるのか。汝の教えが悪いのではないのか?」
「んー、そんな事はねえと思うんだが。てか、アレはアレで結構良いトコもあるんだよ…あっ!!」
…あ~あ、まーた口を滑らせちゃったね、道士さん。
ホラ、もう仙女さまが目を輝かせながら身を乗り出して…
「おぉ、そうかそうか。それではその良きところを、じっくり聞かせてもらおうかの」
「いや、だからそういう事じゃなく──」
「何を照れておるか。弟子の優れた点を語るに、照れる必要などないわ」
「だから、別に照れてねーよ!」
「分かった分かった。ほれ、遠慮なく言ってみい」
──仙女さまが落ち着き遊ばされるまで、今しばらくお待ち下さい──
「…いや、あの、すまんかった。その…何じゃ…まあ、頼み事は聞ける事と聞けん事があるがの。何ぞ、まだ吾に話があるようなら、遠慮なく話してくれて良いぞ?」
仙女は気まずそうに語った。
※1「彭蠡湖」
現在の鄱陽湖の当時の名称。単に「彭蠡」とも「彭蠡澤」とも。
※2「36の~星々」
『水滸伝』作中において、梁山泊に集う108人には1位~108位までの席次(順位)がつけられ、上位の36人が「天罡星」に属する星々の、下位の72人が「地煞星」に属する星々の生まれ変わりとされている。
※3「嗣漢天師」
道教の最高指導者。「天師」は尊称。道教の開祖・張道陵(または張道陵の八世祖とされる漢初の功臣・張良)から続く系譜を指して「嗣漢張天師」と称するようで、姓の「張」が抜けた表現だと思われます。『水滸伝』作中では「嗣漢天師」の他、単に「張天師」とも称されています。また、龍虎山で妖魔が解き放たれる場面で、龍虎山の道士が「当代の祖師(天師)は虚靖天師と称し~」と語っていますが、史実においては、それから後年代の天師(張継先)が皇帝・徽宗から「虚靖先生」の号を賜り、また「虚靖天師」とも称していたようで、この辺りは時代的な混同があるのかもしれません。
※4「蝟集」
群がり集まる事。「蝟」は「ハリネズミ」。その体毛が密集している様から。




