表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第三回  燕錦虎 金陵に鬱々と愉しまず 李柳蝉 丘陵に怙恃を祀ること
25/139

金陵

「燕錦虎」

燕順の綽名(あだな)「錦毛虎」と姓を組み合わせた造語。


怙恃(こじ)

『詩経(小雅 蓼莪)』。原文は『無父何怙 無母何恃』。訓読は「(ちち)()くば(なに)(たの)み、(はは)()くば(なに)(たの)まん」。「父母がいなければ子は何を頼れば良いのか=子にとって父母は拠り所であり、大切な存在である」の意。この一節から「怙」は父を、「恃」は母を表すようになり、つまり「怙恃」とは父母(両親)の事。


今回ちょっと※印が多く、後書きが長くなってしまいました。

 青州(せいしゅう)を出た燕順は、暮れては泊まり、明けては発ってを重ね、一路建康府(けんこうふ)を目指す。


 行商人としては旅路の中で各地の特産品を仕入れて次の地で売り、その金でまた仕入れては売ってを繰り返し、というのが本来のあるべき姿なのであろうが、青州を出てからも燕順の胸の内はどうにも優れず、なぜか気ばかりが急いていて、まるで商いに精を出そうという気がおきずにいた。

 そもそも遥々青州から建康府を目指そうというのに、売荷すらほとんど持っていない。幸い鄭延恵が私塩を引き取ってくれたおかげで商売の元手にも路銀にも不安はないが、石仲への手土産を除けば、申し訳程度に青州の特産品を持っているのみで、連れている馬も二頭だけだ。



【建康府に入り、商いが纏まれば寄り道をせずに青州に戻る。根拠もねえ不安の為だけに早く戻ったと知ったら、王弟(アイツ)(王英)は笑うだろうか。

 だが、こんな心持ちで商いを行ったところで、どうせ満足のいく結果なんざ得られやしねえしな。


 やはり青州を発つのは、もう少し遅らせりゃ良かったか…


 ったく…そもそも何だって俺ぁ、あんなにも追い立てられるように青州を出たんだ?

 胸に湧いてくる不安の事もそうだし、石仲との再会が楽しみなのも間違いはねえが、特にコレといった約束をしてる訳でもなけりゃあ、食うに困るほど金に切羽詰まってる訳でもねえ。

 それでいて「青州を出なければ」と急き立てられるような感情は…いや、別に引き返そうと思やあ、今からだって引き返しゃ良いだけの話だが、それが分かってて尚、引き返そうって気が起きねえ、この「建康府に向かわなければ」って焦りみてえな感覚は一体、何処から来てやがんだ。


 まあ、とにかく早く戻るに限る。

 誰に笑われようが、何事もなく三人にまた会えればそれで良い。そうすりゃこんな憂いなんか、後で笑い話になって終いだ】



 何かに導かれるように、(いざな)われるように青州を出た燕順は、何とか自分の胸中に折り合いを付けながら旅を続ける。


 真州(しんしゅう)(※1)に入った燕順はそこで一晩宿を取った。

 夜が明け、いよいよ長江を渡ろうかと宿を出てみれば、生憎の雨模様である。


 どんよりと低く垂れ込めた雨雲は、まるで燕順の心を映しているかのようだ。

「こんな気分の時は、せめて空ぐらいすっきり晴れてて欲しいもんだが」と、恨めしげに天を見上げて愚痴の一つも零しつつ、渡し船に揺られて長江を渡れば、そこはもう建康府である。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 青州に劣らず、建康府も歴史ある都市だ。


 古くは春秋時代にはすでに城が築かれて──いや、そんな記録に残っているような片時の話ではなく、それこそ有史以前から長江の恵みを得て、人類の始祖達が生活を営んでいた地である。


 そうして文明や社会といった概念がない時代から、ある意味生物としての本能に従って人々はこの肥沃の地に集い、歴史を紡いできた訳であるから、必然的に都市は栄え、都市が栄えれば人が集い、人が集えば更に都市は栄え、と江南(長江の南)随一の発展を遂げていく。


『三國』呉の孫権がこの地に石頭城を築き「覇()()てる地」、即ち「建業(けんぎょう)」と名付けて都としたのも、そんな特有の地勢あっての事であろう。

 その後も孫呉を滅ぼした西晋を継いだ東晋や、後の南北朝時代に江南に興った四王朝が都を置くなど、時代が下っても華南・江南の中心地であり続けた。

金陵(きんりょう)は帝王州』(※2)と言われる所以である。


「金陵」とはこの地の礎となった春秋期の姫呉(きご)(※3)を(えつ)が討ち、更にその越を()が討ち果たした際に付けられた名称だ。

 後には秦の始皇帝により秣陵(まつりょう)と改称させられ、建業・建康・江寧(こうねい)(※4)・昇州(しょうしゅう)などと呼称は変遷していくものの、やはり歴史ある「金陵」の名は度々使用され、故にこの地はまた「金陵建康府」とも称されている。


 長江を渡っても、相変わらず燕順の心は曇ったままだ。

 前回、建康府を訪れた際は青州に残した王英の事が気掛かりで、取るものも取りあえず荷を仕入れて青州に舞い戻ったような具合で、この地の好漢達と友誼を結ぶ暇もなかった。

 再びこの地を訪ねようと思い立った時には、今回こそはと期待に胸を膨らませていたというのにだ。


 ツイてない事に、いよいよ雨まで降ってきた。

 馬の背に揺られながら毛氈(もうせん)(※5)の笠の下、左手には遠く紫金山(しきんざん)が雨に霞み、その麓には広大な田畑が広がっている。


 燕順の耳にはこの地の四人の好漢の名が届いている。

 といっても、その内の一人は医者であるため、好漢と呼ぶに相応しいか否かといえば微妙ではあるのだが。


 一人については出会う宛てがある。

 医者についても、この建康府の府城(※6)に居を構えている事が分かっているので会える可能性が高い。

 残る二人については「建康府にいるらしい」という事が分かっているのみで、城内に住んでいるのか、城外に住んでいるのかも定かではない。


 燕順としてもせっかく来たのであるから、こんな心境でなければ人伝に話を聞いて捜し当てる事も(やぶさ)かではないのだが、今は到底、時間を掛けてまで捜そうという気にはなれそうもない。

 偶然出会いでもしなければ、今回は諦める事になるだろう。


 泥濘(ぬかる)む地に注意を払いながら乗騎を操って城へと急いだ燕順は、城門前で馬を降り、衛兵に手形を示して城内に入った。


 燕順が石仲から聞いた話によると、ほんの30年ほど前、この地に着任した(おう)安石(あんせき)という知府(ちふ)(※7)が上奏した「廃湖還田(はいこかんでん)」という政策が容れられ、この城と紫金山の間に在った玄武湖(げんぶこ)(※8)という()()し、()畑に()してしまったのだという。


 それがこの府城へ入る前に燕順が見た田畑だ。


 それで食料事情にどれほどの改善が見られたのかは燕順の知るところではない。が、石仲の話によれば、少なくとも今、建康府の住人は苦労しているそうだ。


 食料に、ではない。


 地に水を垂らせば低地に向けて流れる。だからこそ低地に向かって川は成し、集った水が湖沼を成すのだ。子供だってそんな事はいちいち説明されるまでもなく知っている。


 その湖沼を埋め立ててしまえば、行き場を失った水はどうなるか。

 考えるまでもない。


 雨足がやや強まってきたとはいえ、降り始めからまだどれほども時間が経っていないというのに、城内の小川や水路は水位が高く、流れが鈍い。

 この調子ではその内、溢れる所も出てくるだろう。


「天下国家の大計も良いが、こうして足元を気にしてる俺らの事なんざ何も考えちゃいねえな…」


 じわじわと嵩を増していく水面を眺めながら愚痴を零していても仕方がない、と燕順は雨で人気の少ない通りを歩き出す。


 丁度、昼時であろうか。

 朝早く宿を発った燕順の瓢箪はすでに空だ。喉の渇きを癒すため、燕順は手近な酒家(居酒屋)を覗いた。

 それほど広くない店内だが、埋まっている席は半分ほど。繁盛している、とは言い難い。


「いらっしゃい。何になさいますか?」

「その前に馬を預けたいんだが良いかい?」

「ええ。裏に繋げられますから、どうぞ」


 声を掛けてきた若い女性の給仕に代わって、奥から出てきた男の給仕に馬達を預けると、燕順は毛氈の笠と雨避けの簑を脱いで席に着く。


「御注文は?」

「そうだな、まず酒を一角(約五合)と…肴は何がある?」

「煮込んだ肉でも魚でも野菜でも、何でもありますよ!」

「じゃあ、魚と野菜を一皿ずつ貰おうか。それと、この瓢箪にも酒を注いどいてくれ」

「はい。じゃあ、ちょっとお待ち下さいね」

「ああ、あと馬達に(まぐさ)をやっといてくれないか?金は纏めて払うから」

「はーい」


 注文を聞きに来た若い女性の給仕は、愛想があって元気も良い。


「比べるのも失礼な話だが…容姿は小蝉(李柳蝉)に遠く及ばんな。まあ、詮無い事だが」


 頼んだ品を待つ間、辺りを気にしつつ、誰の耳にも入らぬよう燕順は(ひと)()つ。

 いや、出された酒と肴を口に入れていても、燕順の頭をよぎるのは「王英が騒動を起こしてはいまいか」だの「小蝉が給仕をしていれば、この店ももっと繁盛したろうに」だのと、青州に残した弟妹達の事ばかりである。


 だが、今は旅の途中ではない。ここは旅の目的地なのだ。

 さすがにここまで来ておきながら手ぶらで青州に戻る訳にもいかないし、それならさっさと目的を果たしてしまうに限る、と燕順は気持ちを切り替えた。


小姐(ねえ)さん、一つ聞きたいんだが…」

「はい?お酒のおかわりですか?それなら今すぐ──」

「あー、いや、そうじゃあないんだ。この城内に(あん)という姓の医伯(せんせい)(※9)が居ると聞いたんだが、小姐(ねえ)さん住まいを知らねえかな?」

「ああ、安医伯(せんせい)ならそこの角を左に曲がって暫く行った先の、槐橋(かいきょう)という橋の袂で商売してますよ」

「お、そうか。助かったよ、ありがとな」


 場所が分かれば話は早い。直接行って顔を繋いでおけば、次に訪れた時に落ち着いて話もできるだろう。


「ちなみに『鉄笛仙(てってきせん)』と呼ばれる()(りん)という男と、『活閃婆(かっせんば)』と呼ばれる(おう)定六(ていろく)という男の事は…?」

「『鉄笛仙』?『活閃婆』??」

「ああ、いや、そういう綽名(あだな)だ」


 燕順は思わず苦笑を浮かべた。

 長らく江湖(世間、渡世)に身を置く燕順にとって、世に名高い好漢に「綽名(あだな)はあって当たり前」といった感覚だが、市井に身を置く人々の中には、当然そういった世界と縁遠い生活を送る者もいる。


「んー…その『馬』という人かどうかは分かりませんけど、二本の笛を持った遊び人風の人なら、何度か見掛けた事がありますよ?」

「遊び人?」

「いつも腰に二本の笛を差して、何をするでもなく城内をぶらぶらしてるんですよね。噂では何処かの妓楼の花魁さんと良い仲だとか何とか…でも、私が見掛けた時は一人でしたから、ホントかどうかは知りませんけど」

「ほお」

「お客さんが捜してる人かどうかは分かりませんが、私が知ってるのはその程度です。ですから、住まいまではちょっと…でも、その人もそんな感じですから、家に行ったところで会えないかもしれませんね」

「そうか…」

「もう一人の『王』という人は…ちょっと分かりませんね」

「ん。いや、いいさ。安医伯(せんせい)の住まいを教えてくれただけでも助かったよ」


 出された肴を平らげたところで燕順が外を見遣(みや)れば、丁度雨も小降りになってきた。


「御馳走さん。小姐(ねえ)さん、ありがとな」


 代金を払って再び笠と簑を身に纏い、預けた馬達を引き取ると、燕順は言われた通りに槐橋へと向かう。

 女性の給仕が言った通り、居酒屋から槐橋まではそれほど離れていなかった。


 槐橋の袂に着けば、それらしい家はあったものの、門は固く閉ざされ、鍵も掛かっている。

 雨の中、どうしたものかと途方に暮れる燕順であったが、折好く若い男がこちらに向かって来るのが見えた。


「ちょっと聞きたいんだが」

「…アンタ、北の人間か?」


 中国は広い。

 北と南では文化も風習も食生活も違う。当然、言葉も違う。

 商いに関わる相手でもなし、と何気なく山東(※10)訛りで話しかけた燕順であったが、その身なりもあってか一発で他所者(よそもの)とバレた。


「ああ、旅の商人だが…ここは安医伯(せんせい)のお宅か?」

「ああ、まあそうだが…」


 だいぶ警戒されているようだ。

 男はまるで品定めでもするかのように、(いぶか)しげな視線を燕順に向ける。


 建康府は長江に面し、地理的には江南諸州の中で東の潤州(じゅんしゅう)(※11)と共に最も中原(ちゅうげん)(※12)に近い。そして、その潤州とは比ぶべくもないほどに栄えている。


 言わば江南の「北の玄関口」とも呼べる地であるから、当然、人の往来も盛んであって、燕順のような旅の商人が城内に居たところで、取り立てて違和感を覚える理由はない。現に燕順は先ほど立ち寄った酒家で、何の違和感もなく給仕を相手に言葉を交わしている。

 単に他所物だと気付かれなかっただけか、或いは客を相手にそれと分かって面に出さなかったのかは定かでないが、何にせよこの男のアタりは「他所者だから」というだけの理由にしては少々キツい。


 とはいえ、ここでそれに腹を立てて喧嘩になっても仕方がないと、燕順はぐっと堪える。


「安医伯(せんせい)に用があって来たんだが、この時間はいつも居ないのか?」

「俺に聞かれてもな…門が開いてないんなら往診にでも行ってんだろ?」


 それだけ告げて、男は足早に去っていった。


 ツイていない時はこういうものだろう。

 家だけ分かっても、居ないのであれば仕方がない。往診となれば帰りもいつになるか分からないし、この雨の中、待っているのも骨の折れる話だ。


「今日は諦めるか…」


 そう零して燕順は(きびす)を返す。


 馬麟は所在不明、王定六については捜す宛てもないとくれば、残るは商いを済ませるしかない。


 槐橋を離れ城内を東へ向かった燕順であるが、シトシトと降り続く雨の中、足取りは重い。


 前回、一度訪れて目的の場所は分かっている。だが、その場所が問題だ。


 玄武湖は元々、府城の北東に在った。それはつまり、この城の水路は大半が北東側へ向けて流れている、という事だ。


「クソっ…」


 先ほどまでやや強めに降っていたとはいえ、叩きつけるような雨足ではなかった。降り始めてそれほど時間が経っている訳でもない。

 にも拘らず、どこかで水路が溢れたのか、すでに燕順の足下は水浸しとなっている。


「たったこれしきの雨でコレかよ…」


 玄武湖を埋め立てるに当たり、当然その後の治水についても考えられてはいたはずだ。

 しかし、そもそも埋め立て始めたのが30年ほど前の話である。それに伴い玄武湖に注いでいた水路や河川の流路を移してはいるのだろうが、主だった物はともかく、まだ全てにまで手が回っていないのだろう。


 今は小降りだが、これでまた雨足が強まれば、それこそただ歩くだけでも難儀しそうな気配である。


「全く(ろく)でもねぇ…」

「何だぁ!?華北訛りの若造が偉そうに…って、まあ気持ちは分かるがな。所詮、人間様の浅はかな思い付きなんぞ、自然の力にゃ到底敵わねえって事さ」


 目指す家まであと僅か、というところで不意に背後から声を掛けられた燕順は、聞き覚えのあるその声に振り返る。


「久しぶりだな、小哥…ん?そうでもなかったか?」

「大伯!」


 声の主は燕順が青州を発った理由の第一、つまり今、将に訪ねようとしている相手、その人だった。

※1「真州」

現在の江蘇省南京市六合区(南京市の長江以北地域の東部)一帯。

※2「金陵は帝王州」

『古文真宝(五言古風短篇 謝玄暉「鼓吹曲」)』。原文は『江南佳麗地 金陵帝王州』。訓読は「江南(こうなん)佳麗(かれい)()金陵(きんりょう)帝王州(ていおうしゅう)」。「江南は景観に優れ、金陵は帝王が住まう地である」の意。

※3「姫呉」

春秋期に長江下流域に興った国の一つ。通常は単に「呉」。紀元前585年(584年とも)~紀元前473年。また紀元前11世紀を起源とする説も。建国当初の国号は「句呉」。国姓(君主の姓)が「姫」であるため、同じく姓を用いた「孫呉」に合わせて便宜的に使用しました。

※4「江寧」

史実において『水滸伝』や「水滸前伝」の舞台となっている時期(北宋後期)の呼称。「江寧府」。第二回「錦毛虎」後書き参照。

※5「毛氈」

主に獣毛を絡み合わせて布状にした織物。フェルト。

※6「府城」

当時の中国では、一般的にそれぞれの「府、州」や「県」ごとに城を持っていました。また、その城内に行政機関や駐留する兵の指揮所など、文武全ての機能が入っていたためか、中国の小説などで地名が登場した場合、基本的にその地の「城そのもの」を指している事が圧倒的に多いのですが、この小説ではあえてこんな書き方をしています。詳しくは第三回の閑話休題「城」を御参照下さい。

※7「知府」

当時の行政区分である「府」の長官。現代日本の都道府県知事に相当する。

※8「玄武湖」

南京市に現存する湖ですが、隋代に一度埋め立てられ、その後(この小説よりも時代的には前にあたる)南唐代に入って復元されたようです。単に埋め立てるのではなく、一度埋め立てられて農地となっていた時期があるために「還田(田に戻す、或いは田に返す)」と称したと思われます。現代の玄武湖は元代以降に再度復元された姿のようです。

※9「医伯」

医師に対する敬称。原文では同じ人物を「太醫(太医。「醫」は「医」の旧字)」と尊称していますが、日本で「太医」とは皇帝や王公などの極めて身分が高い人物に近侍する医師を表すため、この「水滸前伝」では日本語での敬称である「医伯」を用い、意訳として一般的に医師への敬称として用いられる「せんせい」とルビを振っています。

※10「山東」

およそ現在の山東省一帯を指す言葉。第一回「白面郎君」後書き参照。

※11「潤州」

現在の江蘇省鎮江市(句容県級市を除く)と同常州市金壇区一帯。

※12「中原」

「山東」(※10)と同様に特定の府州や都市を指す言葉ではなく、古代中国で所謂(いわゆる)「漢文化」が発祥した黄河中流域を表す言葉。およそ現在の河南省北中部、河北省や山西省南部、山東省西部一帯などを指す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ