ガチ勢
前回のあらすじ
王英「…ら、らめぇ~っ!!」
数日後。
燕順は仕事で朝早くから家を空けている。
王英はといえば、何かもう朝からギンギンだった。昨日からほとんど寝てないのだ。
鄭天寿の予想通り、元宵節からひと月を機に謹慎は解かれた。
そして、翌日には王英に会いに行くと偽って清風鎮に向かい、馴染みの女性達と約束を取り付けたのだから、さすがは「閨閣公子」(※1)、仕事が早い。
その約束の日が今日だ。
性格はそう簡単に直るものではないが、女性と会うのだから身なりだけでもきちんと整えて来るよう、王英は鄭天寿から口酸っぱく念を押されていた。
しかし、普段から身嗜みに頓着のない王英は、小洒落た衣服など端から持っていない。
といって今日のために服を買おうにも、そこは節約や倹約などといった概念すら持ち合わせていない王英の事。毎日毎食、鄭天寿に集る訳にもいかず、燕順の居ない日に一人で飯を食えば、王英の日々の稼ぎなどすぐに消えてしまう。
それでもどうにか燕順を説得し、この日のために衣服を宛てがってもらった。
西方の商人から買ったという、藍色の刺繍を施した駱駝皮の上衣に、金糸の刺繍が入った布の頭巾。
上衣は一般的な成人なら腰が隠れる程度のサイズなのだが、王英が着るとまるで外套を羽織ったように、地面スレスレまで裾が届いてしまうところは御愛嬌だろう。
傍から見てそれがイケてるか否かはさておき、一張羅に身を包んだ王英は気合い十分である。
「ぜってー今日はキメてやんよ」状態で鼻息も荒く家を出た。
ところが、街道をてくてくと清風鎮へ向かい、そのまま真っ直ぐ鎮を抜けて道観を目指せばいいものを、王英はいつもの癖で道行く女性達に声を掛けまくる。
鄭天寿が立てた今日のプランはこうだ。
昼前に道観に集まった後、一頻り会話を楽しんだら清風鎮に向かい、女性達に銀細工を売って懐に余裕のある鄭天寿が昼食を振舞う。
その後は瓦市(※2)へと繰り出し、気の合った者同士、勾欄(演芸場)で楽しむも良し、酒楼でしっぽりと酒を酌み交わすも良し、そのまま更にムフフな時間を楽しむも良し、といった具合である。
そのために、特にコレといった祭りのない日を選んだ。
節句などが重なれば、道観前の広場には多くの露店が立ち並ぶ。潤いに飢えた今の鄭天寿では、財布の紐など有って無きが如し、求められるままに際限なく散財してしまうだろう。王英の財布が宛てにならないのであるから、それではそのまま解散を待つのみとなってしまう。
祭りのない日に露店が出ないでもないが、出ていたところでほんの数店、アレもコレもと買わされて無一文になってしまうような事はない。それはこれまでの経験で分かっている。
ただ会うだけではなく、その後の事まで考えられた「閨閣公子」渾身のプランニング。
だというのに、だ。
王英が我に返った頃にはすでに日も高く、約束の時間には到底間に合いそうにない。
案の定、急いで鎮を出て道観に向かうも、到着したのはとうに南中を過ぎた頃合いだった。
気の急くままに王英が参道を進めば、早くも広場の入口が見える頃には、風に乗って嬉々とした女性達の声が聞こえてくる。
普段からデリカシーの欠片もない王英ではあるが、遅れて到着した事もあってさすがに気まずく、取りあえず参道の木陰から広場の様子を窺ってみると──
心置きなく無双をキメる鄭天寿がいた。
昼時もあってか参拝者は疎ら、鄭天寿の予想通り露店もほとんど出ていない。そんな中、参道からやや離れた一角で輪を成すように、女性達が鄭天寿に群がっている。
その数、六人。
王英が何より驚いたのは、その六人の女性達が一様にその状況を満喫している事だ。
ある者は弾けるように笑い、ある者はうっとりと見蕩れ、ある者は恥じらい頬を染め、一人として不満気な者はいない。
「あいつヤベーな。マジモンじゃねえか…」
故郷を出て、そういった人種が存在するという噂は、王英もチラホラと聞いた事がある。が、まさかこんな身近にいようとは。
【なるほど、な。そりゃあ鄭郎だって浮気な感じに仕上がっちまう訳だ。こんだけ女を惹き付ける引力を持ってりゃ、女遊びは楽しいに決まってらぁな】
大体、巷間で語られる噂話は語り手の嫉妬や羨望も相俟って、タラシが身を滅ぼす結末も多いが、広場で繰り広げられている光景を見る限り、そんな気配は露ほどもない。
鄭天寿がその気になれば、清風鎮の年頃の女性は全員タラシ込まれてしまうのではないか、とさえ王英が思い始めたところで、ふと自らの言葉を思い出す。
『お前みてえな奴がいるから、俺が女に溢れちまうんだよ!』
冗談半分に毒突いたつもりが、意外に真を突いていたのではないか。
自分が遅れて来たからこそ、あの輪の中に入れていない事などすっかり忘れ、王英の胸中に沸々と鄭天寿への対抗心が芽生える。
まあ、鄭天寿のお零れに与ろうなどと思っている人間が何を一丁前に、という話ではあるのだがww
【ここは一発、ド派手な登場であの娘達の度肝を抜いてやっか。見て呉れじゃ到底、鄭郎にゃ敵わねえが、男の価値は外見だけじゃねえって事を──】
「一人でブツブツ言ってないで、とっとと行きなさいよ」
「うるせえな。今、行くトコだった…んだ…よ?」
王英がバッと振り返れば、そこには鬼が立っていた。
李柳蝉という名の鬼が。
参道の鬼、アゲインww
「小姐さんっ!?!?いつからそこに…」
「『あいつ、マジモンじゃねえか』って、アンタが劣等感に苛まれてる辺りかしらね」
「俺が着いてすぐじゃねえか!何処に隠れてたんだよ!?」
「隠れてなんかないわよ!ちょっと遠かったけど、チビッ子が急ぎ足で参道に入ってくトコから普通に見てたわよ。気付かなかったの?」
後悔先に立たず、とは正にこの事だ。
清風鎮での行いに端を発し、全てが悪い方へと進んでいる。
「大体『男は外見だけじゃない』っていうなら、中身もダメなアンタなんて、いよいよ救いようがないじゃない」
「容赦ねえな!?てか、そもそも小姐さんは何で道観に来たんだよ?まさか、たまたま見掛けた俺の事が気になって…」
李柳蝉は呆れたように大きな溜め息を零す。
「謹慎が解けた途端にウキウキと村を出てけば、鄭郎が何か企んでる事くらい分かるわよ。今日だって朝からずっとソワソワしてるし。そんな時は道観に遊びに来るって決まってんの!あんまりふざけた事言ってると、次はその口の中に棒を突っ込んで黙らせるわよ?」
「俺は咥えるよりも咥えられる方が好きなんだがなぁ」と言い掛けて、王英はそれを飲み込んだ。
いくら「虎」の異名を持っていようと相手は「鬼」である。王英もまだ命は惜しい。
「ほら、早く行ったら?あの女性達から冷たく遇われるトコ見ててあげるから」
「俺の撃沈はもう決まってんのかよ!?…いや、待てよ?小姐さんに見られながら醜態を晒すってのも、ソレはソレで…」
「…手頃な棒がないから、そこら辺に転がってる腐った枝とかで良いかしら?」
「冗談だ、冗談!いや、俺はちゃんと止めたんだぜ?お前にはもう小姐さんがいるんだから、悪さなんかすんじゃねえ、って」
突如、鄭天寿を売り飛ばす王英だが、
「は?大方、鄭郎から話を聞いて自分も連れてけって泣きついたんでしょ?で、いざとなったらあたしの事ダシにして、鄭郎から自分に乗り換えさせるつもりで。立派な共犯のクセに、何一人だけ良いカッコしようとしてんの?それでよく『男は外見だけじゃない』なんて言えたわね」
バレてーら。
「で?この後は銀細工を売ったお金で、鎮にでも繰り出すつもりだったのかしら?」
「いや、まあ…そう、なんかな?」
「そう…売っちゃったのね、アレ」
李柳蝉の表情が、すっと曇る。
普段の勝気な李柳蝉しか知らない王英は、初めて目にした気落ちする李柳蝉の姿に慌てて取り繕った。
「いやいや、アレは売らんだろ。いくら鄭郎でも、さすがにそんな真似はしねえよ」
「アレ」とは、鄭天寿が丹精込めて作り込んでいる釵の事だ。李柳蝉が側で見ている時は決まってその釵に手を加えていたのだが、とすれば当然、その釵を「誰のために作っているのか」という話もしているはずである。
自分のために作っていると聞いていた釵が、他の女性と遊ぶ金欲しさに売られたと思って嘆く李柳蝉を励まし、同時に鄭天寿も弁護したつもりの王英であったが、当の李柳蝉からは全く予想外の問いが返ってきた。
「ふーん…アレは売らないのね?」
「…うん?」
「元宵節の時に『持ってた細工は全部売った』って聞いたんだけど…アレを売らないなら、あたしの目を盗んで他にも銀細工を作ってたって事よね?」
「あー、いや、そりゃあどうかなー。ちょっと俺には分かんねーなー」
「殆ど毎日、村へ来てたクセに?」
何と答えたものかと王英が狼狽えていたその時、一際大きな女性達の歓声が響いた。
李柳蝉と王英が木陰からそっと広場を覗けば、女性陣は揃いも揃って満面の笑みだ。中でも鄭天寿の腹辺りまでしかない背丈の少女は、鄭天寿に抱きついて思う存分甘えている。そして当の鄭天寿はといえば、満更でもない様子でその少女の頭を撫でていた。
対照的に、それを見つめる二人の顔からは、みるみると表情が消えていく。
「小姐さんの前で言うのも何だけどよぉ…」
「…何?」
「こっちは冷や汗かいてるっつーのに…アレ見てたら何か腹立ってきたわ」
「帥哥(王英)の冷や汗は自業自得でしょ?でも、珍しく意見が合ったわね。あたしもよ」
「そうかい、そりゃ奇遇だな」
「…ねえ」
「何だ?」
「今日の事、大伯さまと燕哥兒(燕順)に言って良い?」
「ダメに決まってんだろ。コレでまた一悶着起きて俺が絡んでるってなりゃあ、いよいよ村への出入りを止められちまうわ」
「じゃあさ…お願いがあるんだけど」
互いに蝋で固めたような「無」の表情を浮かべ、死んだ魚のような目でぼんやりと広場を眺めつつ言葉を交わしていた二人であったが、突然投げ掛けられた予想外の言葉に、忽ち生気を取り戻した王英の視線は声の主に向いた。
「そりゃまた珍しいな」
「あたしだって帥哥になんて頼みたくないわよ。でも、他に頼める人がいないから…仕方なくよ」
「てかよ…頼みっつーか、殆ど脅迫じゃねえか?」
「さあ、どうかしらね。良いの?ダメなの?」
王英の視線には構わず、李柳蝉は変わらず広場を見つめている。
「どうせ俺に拒否権はないんだろ?良いよ、言ってみな」
ふぅ、と一つ溜め息を零した王英に李柳蝉が要望を告げた時、広場の七人が参道に向かって動き出した。
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「遅いなぁ、王哥兒。あんなに楽しみにしてたのに…」
約束の時間はとうに過ぎていながら、一向に姿を現さない王英に鄭天寿も困惑気味である。
「何か急用でも出来たんじゃないですか?」
「そうそう。来れないなら仕方ないですよ」
「っていうか、今更来られてもねぇ…」
「そうね。別に居なくたって全然構わないし」
女性達の目当ては鄭天寿ただ一人。
その鄭天寿がこうして目の前に居るのだから、他の男などはっきり言ってどうでもいい──どころか、むしろ居ない方がありがたい女性達は言いたい放題である。
姓名は知らずとも、年頃の女性と見れば手当たり次第に声を掛けまくる小男は、清風鎮でもちょっとした有名人になりつつあった。ここにいる女性達の中にも、すでに王英に声を掛けられた者がいる。
それを知る鄭天寿は、せめてと予め王英の人相を女性達に伝えなかった。この場に来さえすれば、汚名を晴らすために擁護の一つもしてやろうかと思っていたのだが。
「ねえ、鄭阿哥(鄭お兄ちゃん)。私お腹空いちゃった」
商家の妹ちゃんは鄭天寿の左手に縋り、指を絡めて甘えている。
天然か養殖かはともかく、あざとい甘え方の習得には日々余念がないようだ。
「んー…そうだね。じゃあ、鎮で何か食べようか。今日は俺がご馳走するよ」
「ホント!?嬉しいっ!!」
女性陣は口々に歓声を上げ、笑顔が弾ける。「アレが食べたい」やら「ドコが美味しい」やらと会話に花を咲かせる中、妹ちゃんはここぞとばかりに鄭天寿に抱きつき、上目遣いで構ってアピール。
たかが昼食一つでコレはどうかと思いつつ、鄭天寿が左手で頭を優しく愛撫すれば、妹ちゃんの顔は天にも昇らんばかりに蕩けていく。
「じゃあ、こっちは私が…♡」
と、今日も首から胸元にかけて裂織りと襟をはだけた妖艶なお姉さんが、ここぞとばかりに空いている鄭天寿の右腕に寄り縋る。
「あっ!!ちょっと、ズルいわよ」
「そーよ、そーよ」
「別に良いじゃない。早い者勝ちよ」
「ま、まあまあ。皆で交替しながら、ね?」
妖艶なお姉さんは残る女性陣からのブーイングなどどこ吹く風だ。左手はすでに指を絡めて鄭天寿の右手と繋がれ、右手で二の腕を抱きしめると自慢の胸を押し付けるようにしなだれ掛かる。
「ふふ、行きましょ♪」
【哥兒(王英)が家からこの道観へ向かってるなら、わざわざ街道を外れて歩かない限り清風鎮を通ってくる筈だから、こっちから鎮へ向かえばその内行き合うよな。
ま、今更合流したところで、女性陣とお近づきになれる可能性は殆どないと思うけどね。どんな理由か知んないけど、待ち合わせに遅れちゃったらもう「勝負あり」でしょ。さすがに俺も、そこまでは責任持てないっす。
けど、最後にちょっと顔を出すだけでもいいから、居てくんないと困るんだよなー。何てったって、今日は「哥兒にせがまれて」「哥兒のために」お膳立てした会なんだからさぁ。
最初から最後まで男が俺一人じゃ、万が一、伯父さんや柳蝉の耳に入った時に、言い訳のしようがない──】
「あらー…」
そんな事を考えながら参道に向かっていた鄭天寿は、妖艶なお姉さんの一声で我に返った。いつの間にか両手は空き、鄭天寿が先頭に押し出される形になっている。
「兄長(お兄様)、今日の商いも盛況だったようで。お喜び申し上げますわ」
「り、柳蝉!?てか、何で王哥兒まで一緒に!?!?」
せっかくの建前は永遠に使う機会がなかったな。
「あー、スマン…いや、俺が連れてきた訳じゃねえぞ?参道に入ったところで鉢合わせちまったんだわ」
「元宵節の折、大層な真面目面をぶら下げて、確か…気持ちがどうのこうのと恥ずかしげもなく仰ってた方がいらっしゃいましたが、何処のどちら様でしたでしょうか?」
ココのコチラ様ですww
「いや、えーっと、コレはホラ、違くて…ちょっと手持ちが心細くなってきちゃったから、この女性達に御協力いただこうかなーって──」
「そういえば、その同じ日に手持ちの銀細工は全て売ったと聞いたような記憶もございますが、私の聞き違いでしたか?それとも今日は、ただただそちらの方達との逢瀬を楽しまれたとか…」
「い、いやいや、違うよ!?ほら、柳蝉が見てない時に手慰みでちょっと作ってたんだよ。哥兒も知ってますよね!?ねっ!?!?」
鄭天寿が頻りに目で訴える。
「ん?あ、ああ…」
「ほ、ホラ、ねっ!?折角作ったのに、そのまま日の目を見ないのは勿体ないかなー、なんて…」
「で、今から皆さんで鎮へ向かわれると?」
「あー、いや、どうしようかなーって考えてたところで…」
「あら?良いんですよ、別に。折角、謹慎も解けた事ですし、ゆっくり楽しんでいらして」
「えっ!?」
思わぬ言葉に鄭天寿はパッと表情を綻ばせるのだが…
素直かっ!!真に受けて期待してんじゃねーよ!
「大伯さまには理由と一緒に『兄長は遅くなるそうです』と伝えておきますから」
「ぐっ…」
当たり前だろ、このポンコツめ。
「では、私は王帥哥と村に戻りますから。後はお好きになさって下さい」
「ええっ!?哥兒と一緒に…?」
「ええ。お忙しい兄長に代わって、帥哥に頼み事を聞いていただきましたので」
「…ん!?今からか?」
「ええ。村に戻っても今日は特に用事もなく、手が空いてるんです。何か不都合でもございますか?それとも、帥哥も一緒に鎮へ行きたいとか?それなら燕哥兒に──」
「あーっ、分かった分かった!戻るよ、戻りゃあいいんだろ!?」
「有り難うございます。では、お先に失礼します」
終始慇懃な言葉遣いは、李柳蝉の怒りの大きさを表している。そのまま一度も顧みる事もなく、李柳蝉は参道を引き返していった。
「あーっと…何かスマン。今度また説明すっから。じゃあな、鄭郎」
去り際にススっと鄭天寿にすり寄った王英は、それだけ言い残して先を行く李柳蝉を追っていく。
女遊びが是か非かの前に、李柳蝉が鄭延恵の前で「傷心の許嫁」を演じれば、それだけで鄭天寿は悪者である。
次は一体どれほどの謹慎が待ち受けている事か。
昼食後の「お楽しみ」に心弾ませていた鄭天寿は、がっくりと肩を落とす。事ここに至っては諦めるしかない。
結局、グズる女性達をどうにか宥め、先を行く李柳蝉に口止めをするため、鄭天寿も渋々家路に就いたのであった。
※1「閨閣公子」
ハーレム王子。第1回「元宵節」後書き参照。
※2「瓦市」
勾欄や酒楼、妓楼などが集まった盛り場、繁華街。