塩
燕順が扱っている品は、人が生きていく上で絶対に欠かせない物だ。
趣味や道楽、信仰などといった、人によって個人の嗜好が反映されたり、必要な人間だけが嗜めばいいという物ではない。
まして鄭天寿が道観で楽しんでいる例のアレのように、有ればあったで楽しいが無ければないで一向に構わない、といった類いの物では決してない。
それは社会生活の中で必要不可欠──というよりも、生物としての「ヒト」が生存していくために無くてはならぬ物である。
いや、そもそもの前提として「国家」という社会統治機構が民をもって形成されている以上、その民が「ヒト」として生きるために必要であるという事は、やはりその集合体である国家にとっても、その規模を維持、発展させていくために必要不可欠であると言っていい。
それは「塩」である。
人間の体重に占める割合からすれば、ほんの微々たる量でしかないこの塩という物質は、社会や文化といった概念が存在しない太古の時代から人類の命を繋ぎ、その血脈を後世に伝える役割を果たしてきた。そして時代が下り、社会や文化が発展していくと、それまで知られていなかった新たな特性により、生活の中でも重宝がられる事となる。
「ヒト」が塩を欲するように、人類が飼い慣らし始めた家畜にも塩は必須であるが、そういった生物の生存本能による摂取という本来の用途だけではなく、単なる味付けは元より、食物の保存用や吸湿剤としてなど、人々の暮らしの様々な場面で利用されるようになり、人間社会に溶け込んでいった。
塩だけに。HAHAHAHAHA!
…ゲフン。
それが何を意味するか。
「つまらんダジャレに意味などないわ、ペッ!」とか、そういう事ではない。
ないったらない。
民をなくして国は存続し得ないのであるから、それはつまり「国が在り、そこに民が住まい、社会の営みがあれば、必ず塩の需要がある」という事だ。
人類の生活様式が狩猟や小規模な集団による農耕だった頃──未だ国家という概念すら存在せず、物資の調達手段が自力、或いは物々交換であった時代においても、塩の重要性に些かも変わりはないのだが、それは個人として、或いは小規模な生活共同体として「いかに塩を確保し、摂取するか」という問題であった。
しかし、やがて人間社会が成熟し「国家」という概念が形成されると、そういった「個」が抱える問題とはまた別次元の、塩の生産から消費までの一連の流通という問題は、極めて重要な意味合いを持つようになる。
民をもって国が成立するのであるから、その国に住まう民の「いかに塩を確保し、摂取するか」という「個」の問題は、即ち国が解決すべき問題でもある。
領内に塩の産地があれば、そこで産出した塩を領内に暮らす全ての民に行き届かせなければならないし、産地がないのなら、他領から買うなり奪うなりしてでも塩を入手しなければならない。そうでなければいつかは民の離反を招き、結局は国が滅ぶ。
いや、実は国家がそこまでお膳立てをしなくとも、その民が全く塩を摂取できないという事は、現実的に見てあり得ない。人類が生存していくためには何も塩だけでなく、当然、水分や食事も摂らなくてはならない訳で、となれば水はともかく、食材となる動植物には、多寡はあっても確実に塩分が含まれているのだから、生きるために食事を摂れば、必然的に塩分も摂取する事にはなる。
しかし、片や海や塩湖など、塩の生産地が程近く、十分な量の塩を安全に摂取できる民がおり、片や命を賭して狩った獣の肉から塩を摂る、或いはどれだけ含まれているかも分からない植物から塩を摂る民がいる、というのではやはりその国家は立ち行かない。
「個」の問題を「個」の問題だからと放置すれば、命を繋ぐために命の危険を冒す必要など、無いに越した事はないのだから、民だって塩の産地に近い場所に居を求める。それではどれだけ人口が増えようと、その国家の領域は塩の産地に縛られたままだ。
土地だけがあったところで、住まう民がいなければ生産性など無に等しい。「精々、樹木などが得られる程度」では、その地を領有し、維持する意味がない。
だが、その土地へ民が自発的に入植するにせよ、国家が強制的に入植させるにせよ、結局は「いかに塩を確保し、摂取するか」という「個」の問題が立ち塞がる。その問題が民の力では解決できないからこそ、民が塩の産地に束縛されるのだから、それを解き放ち得る存在は国家しかない。
こうして塩の流通は単なる「個」の問題から「いかに国家が塩を確保し、民に摂取させるか」という、国家が国家として安定して存続するための至上命題として、国家の一大事業となっていった。
更にまた、文明社会の発展と共に塩の価値が高まった要因として「貨幣」の存在がある。
貨幣がまだ存在しない時代、物々交換を主とした取引には相場など有って無いも同然だった。
物々交換では双方が納得すればその取引は成立する訳で、取引を持ち掛けた側は納得するに決まってるのだから、強いて言葉で表すのなら「取引を持ち掛けられた側の意思」が「相場」という事になる。傍からはどちらにどれだけ有利、不利があるように見えようと、そこに客観性の入り込む余地はない。
そんな原始的な取引の場に登場し、物品の統一的な価値を決定付けた貨幣は、物流に革命的な進歩を齎した人類の一大発明であるが、貨幣のくだくだしい説明はさておきとして、その誕生によって派生した「経済」という概念は、塩の確保と流通という国家事業に、人口の維持、増加による国力の増強とはまた毛色の違う、新たな重責を担わせる事となった。
国家財政、殊に歳入における貢献である。
何しろ作れば必ず売れるのだ。
生産から流通、消費に至るまでを民間に任せ、及ばない一部にだけは国が手を貸して「税」という形で収入を得る方法ももちろんある。しかし、そもそも国が全てを一元的に管理してしまえば、売値は自在に決められる上、その利益は全て国庫に入る訳であるから、歳入増加の手段としては、後者の方が遥かに効率的で手っ取り早い。
それが国による専売の始まりである。
国による専売、中でも塩の専売の歴史は古く、統一王朝ではないものの、ここ青州を当時領有していた春秋期の斉がその先駆とされる。
以降、時代が下り、王朝が変わっても、塩の生産・流通・販売は度々国家事業として専売制の下に置かれ、財政収入の一翼を担った。
だが「作れば売れる」という事は、言い方を換えれば「買わずにはいられない」という事だ。
塩に限った話ではないが、一概に国家、或いはそれに準ずる組織によって行われる専売が悪である、とは言い難い。
塩で例えれば、長大な海岸線を持つこの国では、それこそ海に面した地域は全て塩の産地と言っても過言ではないし、内陸部であっても、例えば解州(※1)には塩湖があり、塩の一大産地となっている。
が、それらが全て産地で消費されたり、産地の豪商などの利を貪る者達の寡占によって値が吊り上げられたり、あまつさえそれに不満を唱えた事によって供給を絶たれでもすれば、産地から離れた地は忽ち困窮してしまう。
そういった極端な暴利主義を排除し、この国に住まう全ての民が等しく塩の恩恵に与れるよう、国家やそれに準ずる公権力によって安価で一定の品質を維持し、安定的に供給させる──平たく言えば「いかに塩を確保し、民に摂取させるか」という趣旨の下に行われる専売であれば、民のため、延いては国家の繁栄のため、十分に利があると言える。
しかし、生活必需品などという次元を超え、生命を維持するために必要不可欠である塩が、たかだか国家の財政難のために、更に言えばそれを引き起こした無能な為政者の尻拭いのために、専売の名の下で値を吊り上げられたのでは「買わずにはいられない」民としては堪ったものではない。
それでは民業が暴利を貪るのと、何ら変わりがないからだ。
だが現実的に見て、少なくともここ数百年に亘って行われているこの国の専売は後者、つまり公益ではなく、国益のための専売である。
そうして「官」が利を貪れば、当然「民」も黙ってはいない。
専売であるはずの塩を密かに商う私商、俗に言う「塩賊」の台頭である。
前王朝の唐代(※2)以降、塩の専売は竃戸や亭戸などと呼ばれる塩の生産者から国家が買い上げ、それを塩商と呼ばれる商人を通じて民間に払い下げられていた。
問題はその売価で、例えば唐代では平時でも買価の10倍以上の値が付けられていながら、財政収入の悪化や他国との戦時における戦費調達に際しては、更に価格が吊り上げられた。
この巨額の利鞘が塩賊に付け入る隙を与える。
仮に塩賊が竃戸から官の倍の値で塩を買い取り、それを専売塩の2割引で売ったとしても、単純に買い取り額の3倍以上は利益が出る計算である。
となれば、生産する側としても不純物が少なく品質の良い物は、より高値で買い取ってくれる塩賊に売った方が儲かるし、消費する側だってより高品質で安価な物を好むに決まっている。
そうして塩賊が儲かる商売だと知れ渡れば新たな塩賊が続々と勃興し、専ら損をするのは国家のみ、という構図が出来上がっていく。
塩賊が跋扈すれば専売塩による収入が減少し、それは詰まるところ国家財政の危機に繋がるのであるから、唐代においても、またこの宋代においても、塩賊に対しては厳罰をもって、時には死罪をもって取り締まってはいる。
しかし、生産者も消費者も塩賊の味方なのだし、特に唐代においては、塩賊の暗躍によって減少した歳入を「専売塩の値上げ」という、救いようもない愚策で乗り切ろうとした時点で、塩賊の根絶など土台無理な話なのだ。
専売塩の値上げによって塩賊が蔓延り、その結果、更に専売塩の収益は減少し、その減少分を補うために更に専売塩の値を上げて、新たな塩賊が次々と跋扈する。
一体、どれほどの愚者を国家の中枢に集めれば、これほどの悪循環を起こし得るのかという話なのだが、しかし現実にそれは起き、そして──
唐は滅んだ。
唐朝末期、民の支持を得た塩賊出身の黄巣・王仙芝は、朝廷に対して決起した。
すでに退勢著しかったとはいえ、唐朝廷には瞬く間に全土に広がった騒乱を鎮圧する術がなく、首都・長安は反乱軍によって陥落。時の皇帝は長安を脱し、辛うじて唐の社稷(王朝、国家)を保ちはした。
しかし、その乱によって受けたダメージはあまりに致命的で、結局、唐王朝は再起の気配すらないままに、その命脈を断ち切られる事となる。
それからすでに200年ほど経つ。
驚くべき事に、この宋代においても塩の専売に関しては、唐代の制度がほぼそのまま踏襲されている。
それが唯一の要因であるとは言えないまでも、一つの王朝が終焉を迎える、いくつかの遠因の一つとなった事は疑いようがないにも拘らず、だ。
それだけ塩の専売は、無能な為政者達にとって是が非でも手放せない、麻薬じみた引力を持っている、という事なのだろう。
それは売価を見れば分かる。
時代が変わり、唐代との直接的な比較は意味を為さないが、この宋においても買価の10倍以上の売値が付けられた専売塩は、愚者達の拠り所として国家財政において重きを成し、同時に民の生活を苦しめてもいる。
当然、今の時代においても塩賊の需要は頗る高い。
燕順も、燕順が出会った石仲も、そんな引く手数多の塩賊である。
無論、二人だけではない。
宋の各地を旅する燕順が最近よく耳にするようになったのは、江州(※3)は潯陽江(※4)を縄張りとする張兄弟の名だが、以前から江湖で声望を集めているのは、やはり何と言っても同じく潯陽江の李俊という男だろう。義に篤く、財を惜しまないと噂に名高い。
ではその燕順が、私商によって李俊や張兄弟のような声望を集めたいと望んでいるかといえば、決してそんな事はない。
一言で言えば、ムカついたのだ。
「どうせ買わなければ生きていけないのだから、どんなに高かろうが買うに決まっている」という、民の足許を見るような官の手口に。
この国はすでに腐っている。
各地を巡って抱いた、燕順の偽らざる心証である。
政務を一顧だにせず、道楽に明け暮れる皇帝。
その皇帝の下、権力闘争に明け暮れて私利私欲を貪る高官達。
無論、そんな『逐鹿』(※5)の輩とは一線を画す清廉の士もいるだろう。国境や辺境で、この国のために身命を賭している将兵も確かにいる。
国境や辺境の地だけではない。
内地に在って賊徒騒乱の報に接すれば、将兵達は天下万民のためにと、命を懸けて賊徒との戦いに臨む。
そんな者達の風聞が掻き消えてしまうほど、燕順の耳に届くのは堕落した文官、財を貪る武官の醜態ばかりだ。
贓官達の蓄財のために金を巻き上げられるのも、それを拒んで痛い目を見るのも、そもそも本を正せば、その俸給を負担しているのも全て民である。
なぜ、そんな腐った輩をのさばらせるために、民が苦労しなければならないのか。是非とも一泡吹かせてやりたいではないか。
義のためにだとか、世直しのためにだとか、そんな大仰な事を言うつもりは、燕順には毛頭ない。まして唐末の黄巣らのように、国家に対して叛乱を企てる気など更々ない。
民の払った税で禄を食む者達が、その上で尚、民の財を漁り、貪り、蓄えと好き勝手やっているのだ。
ならばそんな輩を生き長らえさせてやっている自分達が、自分達の命を繋ぐために塩を商い、安く塩を手に入れて何が悪いと言うのか。
燕順が私商に手を染めた心情は大体こんなところだ。
燕順に他の塩賊との関わりも無いではないが、あまり興味がない。
義のためだろうが、蓄財のためだろうが、その金で朝廷に対する叛乱を企てようがどうでもいい。
潯陽江の男達などは、なかなか大胆な商売をしていると噂には聞いている。機会があれば一度会ってみたいと思ってはいるが、それとて「人となり」に興味があるのであって、商いの事に口を挟む気など全くない。
好きなようにやればいいのだ。
清風鎮近隣で他の塩賊の噂を聞かなかったのは、燕順にとって勿怪の幸いだった。
競合する同業者がいれば、結局は価格の争いになってしまう。こちらが他の塩賊に興味がなくとも、相手にしてみれば突然現れて縄張りを荒らす立派な商売敵だ。
これから商売をしようという時に、無用な揉め事は無いに越した事はない。
とはいえ、では鄭家村はどこから塩を入手しているのか、という話になる。
専売塩を購入しているのならどうという事はないが、私塩(※6)を商うのは何も名の知れた塩賊ばかりと決まっている訳ではないのだから、本職でない商家が細々と扱う私塩を買っているとなれば、その商家との親密さと価格との兼ね合いになるだろう。
それはそれでまた悩ましい問題もある。
どの程度の売値を付けるか、だ。
今、鄭家村が仕入れている値よりも高いのでは話にならないが、かといって近隣の相場を崩してしまうような、あまりに安い値を付けるのもよろしくない。
というか、燕順がまだ近隣の詳しい相場を把握し切れていない。
私塩の商いは重罪である。それが周知の事実でありながら、他所者の燕順がそう易々と詳しい話を聞ける訳もないが、相場よりも法外な安値で売ってしまうと、元々鄭家村と取引をしていた私商との間に要らぬ諍いを招くばかりか、鄭家村にも迷惑を強いる可能性がある。
万が一、相手が鄭家村の日用品なども一手に賄っている商家で、燕順の横槍によって付き合いが断絶してしまったなんて事態になれば、もはや迷惑どころの騒ぎではない。
残念ながら行商の片手間に私塩を売り捌いていた燕順は、繊細な値付けの経験に乏しい。が、それも仕方がない話であって、そもそもこれまではその地の相場がどうのこうのなど、深く考える必要がなかったのだ。
私塩など、持ち歩いているだけでお上の詮議を受ける。当然、持ち歩く時間が長ければ長いほど、その可能性も上がっていく。故に、優先されるのはとにかく売り払ってしまう事であるが、仮にそれで他の私商と揉めそうなら、とっととずらかってしまえば済んでいたのだから。
しかし、一ヶ所に留まって商いをすると決めた以上、そうも言ってはいられない。それに、今さらそれを云々してみたところで後の祭りである。
こればかりは経験が大いに物を言う分野だが、経験がなければこれから積んでいくしかないのだから、考え過ぎても答えは出ない。
成るようにしかならない、というところだろう。
「なかなか難しいものだ」と独り言ち、燕順は身支度を終えた。
朱色の絹で髪を纏め、淡い朱の紵の上衣を羽織り、玉の帯に革の靴。
言うなれば燕順の勝負服である。
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「哥哥、ホントに一人で行くのか?」
家の外で暇を潰していた王英が声を掛ける。
「だから何度もそう言ってんだろうが。大体、お前が居たら纏まる話も纏まんねえわ」
鬱陶しげに燕順は応じた。
今日、いよいよ鄭延恵に私塩の商いを持ち掛けに行く。
清風鎮での大々的な商いは勧められない、と鄭天寿から忠告を受けている。
その上、鄭家村での商いまで仕損じるような事になれば、近くの宿場以外に商いの相手となるような村鎮を一から探さなければならない。
そんな重要な交渉の場を、空気の読めない王英のせいで台無しにされる訳にはいかないのだ。
「いやいや、俺だって居れば居たで役に立つよ?」
「…期待はしちゃいねえが言ってみな。どんな時だ?」
「えっ!?…んーっと、だから…気まずくなった時に気の利いた冗談で場を和ましたり…痛っ!!」
「それが要らねえって言ってんだよ!どうせお前はあの嬢ちゃんに会いてえだけだろうが」
もはや条件反射のようにツッコミを入れる燕順と、それを受け入れる王英であるが、いつになく真剣な面持ちに改めた王英は、燕順の手を取ってジッとその顔を見据えた。
「哥哥、頼んだよ?」
「ん?お、おお…」
「来るなって言うなら行かないけど…ちゃんと上手くいくよう願ってるから」
「お前…ああ、任せとけ──」
「これから先もあの小姐さんと付き合っていけるかは哥哥の腕に懸かって…痛っ…ちょっ…痛て…哥哥…ごめんっ、ごめんて!」
何事も経験ではある。
そして、人は成功も失敗も糧にして成長していく事も分かってはいる。
しかし、その最初の経験で失敗して失う物は大きい。
あの村の者達との縁が切れてしまうのは、あまりにも惜しい。
考えている事は大して差がないのに、なぜかツッコむ側とツッコまれる側に分かれてしまった仲の良い二人の戯れ合いは、青州の青空の下、しばらく続きましたとさww
※1「解州」
現在の山西省運城市の中央部一帯。
※2「前王朝の唐」
水滸前伝の舞台は宋(北宋)。中国全土の統一王朝としては、李氏が打ち立てた唐朝が宋の前王朝となる。その後、50年ほど小国が乱立する五代十国時代を経て、宋朝が建国された。
※3「江州」
現在の江西省九江市一帯。
※4「潯陽江」
長江の異名。江州(※3)近郊の流域を指す。
※5「逐鹿」
『史記(淮陰侯伝)』。原文は『秦失其鹿 天下共逐之』。訓読は『秦は其の鹿を失し、天下共に之を逐う』。「鹿」は同音の「禄」を表す比喩。「禄」は「役人の俸給」を表し、つまり「鹿(=禄)を失う」とは「俸給(を支払う者=皇帝)を失う」という事で「鹿」を皇帝や国家の権力に例えている。
直訳すれば「秦(国名)から鹿が逃げ、天下の者が揃ってこれ(逃げた鹿)を追(逐)う」となるが、実際の意味としては「皇帝(秦の始皇帝)を失い秦が衰退したため、天下(の諸侯)が次の帝位(禄=鹿)を巡って争った」となる。つまりは「覇権を巡って争う」、或いは「より強大な権力を得るために争う」といった権力闘争を表す言葉。
※6「私塩」
専売塩に対し、正規のルートを経ていない密売塩。