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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第二回  王矮虎 私闘を耀して挨雷し 清風三傑 梅花の下に義を交わすこと
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晴天に霹靂

耀(よう)

中国で「耀」の字は「ひけらかす」「見せびらかす」と言った意味を持つそうです。


挨雷(あいらい)

「(怒られて)雷を落とされる」。直訳では「雷に遭う」。

 清風鎮(せいふうちん)青州(せいしゅう)治所(ちしょ)(※1)・益都(えきと)県(※2)から南東に50~60kmの位置にある。


 青州は、古くは殷王朝打倒の功によって王として封ぜられた、太公望・呂尚を始祖とする、(せい)の領地として栄えた歴史ある地だ。


 山東半島の付け根には泰山や蒙山を初め、魯山、沂山(ぎざん)などの峰々が、外敵の侵入を阻むように(そび)え立つ。

 必然的に半島へは北から渤海(ぼっかい)沿いに侵入するか、南から黄海沿いに侵入する事になる。


 青州はその北の玄関口に置かれている。


 そんな地勢であるから古くから争乱が絶えず、また治安がなかなか安定しない土地柄でもある。


 漢代の混乱期には赤眉軍(せきびぐん)の根拠となり、また漢代末期には黄巾賊(こうきんぞく)が跋扈し、その討伐を果たした曹操が、賊徒の中から精鋭を選んで「青州軍」を形成したのは、あまりにも有名な話だ。


 魏晋南北朝期、青州はその地勢的な重要度から度々戦乱に巻き込まれ、目まぐるしく支配者が変わる激動の時代を迎える。


 隋・唐の安寧を経て、迎えた五代十国の争乱が宋の太祖・(ちょう)匡胤(きょういん)によって終止符を打たれると、戦乱は北辺や西辺に追いやられ、国境から遠い青州もようやく泰平を享受するようになった。


 とはいえ、それは国政レベルでの話、争いの火種が全て消え去った訳ではない。

 とりわけ今、ここ青州の首脳部を悩ませているのは南部の情勢である。


 いかに後の世で英傑、賢能と称えられる名君でも、その治世に生きる全ての人々が一片の不満も抱かないという事は、現実的にあり得ない。

「名君」とてそうなのであるから、その才に満たぬ者が人の上に立てば、下々の不満は溜まるに決まっている。


 太祖から数えて八代目の今上陛下は、言ってみれば「趣味の人」だ。

 道教への傾倒を初め、書画・骨董の収集、後宮の充実など、趣味に傾ける情熱は凄まじい。

 その情熱が国事に向けられていたら、一体、後世の人々から、どれだけ誉めそやされたか想像も付かないほどであろうが、当の陛下は(まつりごと)など一向に興味なく、最近もまた自らの芸術欲を満たすべく、巨額の国費を投じて宮廷の中に新たな庭園の造営を始める始末である。


 では、今上陛下に代わって国事を司る宰相・執政はどうかといえば、そこはお約束とでも言うべきか、清廉の士は悉く排除、粛清の憂き目に遭い、残るは金と権力の亡者ばかり。

 主上に(おもね)り、他者を貶め、保身に奔走し、裏ではひたすら賄賂を貪り、帝室を凌ぐ豪奢な生活を送っている有り様である。


 そうして国家の中枢にのみ富が集えば、当然その負担を強いられるのは民なのだから、そこに不満や怨嗟が溜まるのもまた当然の成り行きだ。


 青州は南北に長い領域を持ち、北は渤海に面し、南は魯山や沂山を境に兗州(えんしゅう)(※3)や沂州(ぎしゅう)(※4)と接する。


 それはつまり、青州南部にはそうして不満を溜め込み、真っ当に税を納める事に()んだ者、重税に喘いで食い詰めた者、或いは単に何かしらの罪を犯した者達が逃げ込み、身を潜める場所があるという事だ。

 そうした者達の中から、他の者達を纏め上げる器量を持った者が現れれば、(たちま)ち山賊勢力の出来上がり、という訳である。


 清風鎮は主だった三本の街道の分岐点に置かれ、そうした周囲の山々に睨みを利かせている。

 故に清風寨(せいふうさい)とも呼ばれているのだ。


 青州の中でも特に悪名高く、俗に「青州三山」などと称されているのが二龍山(にりゅうざん)桃花山(とうかざん)、そして清風鎮から宿場一つを挟んだだけの距離にある清風山(せいふうざん)である。

 この内、最も治所に近い清風山の賊徒は先頃、青州禁軍(きんぐん)(※5)による討伐を受け、一応の平定をみた。


 残る二山は未だ盛んな勢力を誇り、青州全体で見ればまだまだ頭の痛い問題ではある。

 しかし、清風鎮を初めとする清風山近隣の村鎮(そんちん)(※6)、とりわけ指呼の驚異に晒されていた、清風山に隣接する宿場にとってみれば、まずは一安心といったところだろう。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 その宿場の外れにある茅屋で、豪快に春眠を貪る一人の男。

 すでに日も高いというのに、一向に目覚める様子もなく高鼾をかいている。


 昨晩、鄭天寿と李柳蝉という、気の置けない付き合いができそうな二人に出会えた高揚感と、元宵節の喧騒も相俟って、有り金(はた)いて宿場の酒家(居酒屋)で飲み明かした王英である。

 泥酔し、前後不覚のままどうにか家には辿り着いたものの、帯を解く間もなく力尽き、腰掛けに座って卓に突っ伏したまま眠りこけていた。


 その時、勢いよく門戸を開け放って一人の男が家の中に入ってくるや、王英の顔近くに立ち、だらしのないその寝姿を見下ろした。


「うへへー、良いではないか、良いではないか…むにゃむにゃ」


 王英は誰に憚る事もなく、夢の中で無体な狼藉を働いている御様子。


 そんな王英の姿に、男は怒りに身体を震わせて高々と右手を振り上げると…



 ──ビターーンっ!!



 一切の躊躇なく振り抜いた。


「…っっ()っってええーー!何しやがる、チクショウめっ!!」


 突如、頭を襲った激痛によって御機嫌な夢を打ち切られた王英は、悪態をつきながら飛び起き、何が起きたのかと辺りを見回す。


「いつまで寝てやがんだ、テメエはっ!!いい加減起きやがれ!」


 男の大喝は、家の周囲で羽根を休めていた鳥達が一斉に逃げ出すほどの声量である。


「…あっ、何だ(えん)()((えん)のアニキ)か」


 後頭部を(さす)ったついでに寝惚け眼も擦りつつ、王英は声の主を認めた。


「『何だ、燕哥か』じゃねえわっ!!昨日、久しぶりに仕事から戻ってみりゃあ、何処をほっつき歩いてたんだか知らねえが、テメエはいつまで経っても帰って来やしねえし、そうかと思やぁいつの間に帰って来たのか、朝には酔っぱらって大鼾かいてやがる。挙げ句、こんな時間まで馬鹿みてえに爆睡しやがって!何で俺が疲れた身体に鞭打って、買い出しから何から家の雑事を(こな)さなきゃなんねえんだよっ!!」


 相当鬱憤が溜まっていたのか、「燕哥」と呼ばれた男は怒鳴りつけた勢いそのままに捲し立てる。

 しかし、当の王英はといえば呑気なものだ。


「はは、昨日ちょっといい事があってね。あとは俺がやっとくから、哥哥(あにき)も身体を休めなよ」

「もう粗方片付けちまったわ!」

「何だ…んじゃ、もうちょっと寝るか…な…」


 言葉も終えない内から王英は二度寝の体勢に入り、男の身体がワナワナと震える。



 ──バチーーンっ!!



「起きろっつってんだろうがっ!!寝んな、ボケっ!!」


 家の外では様子を見に戻っていた鳥達が、再び蜘蛛の子を散らすように飛び立った。


(いて)ててて…そうバシバシ頭を叩かねえでくれよ。久しぶりに会ったってのに」

「うるせえ!お前がもっとシャンとしてりゃあ、俺だってこんなイライラする必要はねえんだ!」

「これ以上背が伸びなくなったら、どうしてくれんだよ」

「その歳になってそもそも伸びるか!男らしくすっぱり諦めろ」

「それで女にモテなくなったら、責任取って誰か紹介してくれよな」

「何を涼しい顔して、しれっと厚かましい事()かしてやがる。お前なんざ紹介しちまったら、寧ろ相手に申し訳が立たねえわ!大体『女にモテなくなったら』なんてなぁ、普段から女に言い寄られてる奴が使う台詞だろうが。(はな)から好かれてる女もいなけりゃ、好かれる要素もねえクセに、一丁前の要らん心配してんじゃねえよ」

哥哥(あにき)だって弟がいつまでも独りモンじゃ恥ずかしいだろ?」

「恥ずかしいって感情があんなら、まずは女に見境がねえ、その性格からどうにかしやがれっ!!」


 王英の謎理論に呆れつつも聞き流す事なく付き合い、一つ一つ丁寧に叩き斬っていく(さま)に、男の面倒見の良さが表れる。


 男は名を順、即ち姓名を(えん)(じゅん)という。


 燕順と王英は先頃出会って意気投合した、というよりは出会ってすぐ、王英が一方的に燕順を慕ってこの青州までついて来た、と言った方がより正確であろうか。

 誰か世話になる宛てでもあるのかと思い、特に深くも考えず青州まで連れ立った燕順であるが、いざ青州に着いてみれば、他所者(よそもの)の王英にそんな宛てなどあるはずもなく、おまけにほとんど無一文ときた。

 そこで仕方なく、元々燕順が青州での商いに際して寝床とするつもりでいたこの茅屋に、根なし草の王英も住まわせているという訳だ。


「大体、夜通し飲み倒すほどの何があったってんだ?」

「そうそう、聞いてくれよ。哥哥(あにき)が前に言ってた『白面郎君』に、昨日出会ってさ」

「何っ!?それを早く言え。どんな男だった?」


 燕順が目を輝かせて王英の対面に腰を下ろし、前のめりで問い詰める。


「いやー、哥哥(あにき)の言ってた通り、なかなか気持ちのいい男だったね。俺もすっかり気に入ったよ」

「まあ、人の噂なんてのは宛てにならねえ事も多いが、俺も一遍会ってみてえと思ってたんだ。何しろ義に篤く、金に汚えって話も聞かねえし、棒を使わせりゃかなりの腕前、ついでにお前と違って、顔立ちが整ってんのに女癖も悪かねえ、ってトコがまたいいじゃねえか」

「…は!?」


 燕順の言う通り、人の噂とはあまり宛てにならないものなのだよ。

 或いは、いつの世もイケメンが得をするようにできているというか…


 気にしたら負けだ、王英どん。


「…で?それと、お前が朝まで呑んだくれてた事に、何の関係があんだよ?」

「そりゃあ江湖(こうこ)(※7)に名を知られた男と知り合えて、おまけに今後も親しく付き合えそうとくれば、浮わついた気分にもなるってもんさ。哥哥(あにき)だってそうだろ?」

「よくもまあ、いけしゃあしゃあと…ま、分からんでもないが」


 本人に他意はなくとも、まるで「哥哥(あにき)だって『矮脚虎』と呼ばれる俺と知り合えて嬉しかったろ?」とでも言わんばかりな王英の言葉に、燕順が苦笑いで応える。


「…で?俺の事は何て?」

「えっ?」

「だぁから…鄭天寿に会ったんだから、俺の事も伝えたんだろ?」

「えーっと…言っといた方が良かった?」

「…何ぃ?」

「特に伝えてはない…かな?スマン、哥哥(あにき)



 ──バチコーーンっ!!



「この、馬鹿野郎がっっ!!」


 もはや鳥達が飛び立つ事もない。

 慣れた訳ではない。そりゃあ鳥達だって、こう頻繁に罵声が響くような場所じゃ、戻ったところで落ち着いて羽根を休められない事くらいは学習する。


「ぃ()っった…哥哥(あにき)、これ以上叩かれたら、背が伸びねえどころか縮んじまうよっ!!」

「うるせえっ!!大体、普段からその話をしてたんだから、俺が会いたがってんのはお前だって知ってんだろうが!何で俺の事を伝えなかったんだよ!」

「いや、その内、直接会いに行くのかと思って…」

(やさ)(※8)が分かんねえんだから、行きようがねえだろうが!」

哥哥(あにき)、そう怒んなって。住まいならちゃんと聞いといたし、また顔を見せに行くって言っといたから」

「お?おぉ、まあそれならいいが…」


「全く…最後の一発は殴られ損だよ」などとブツブツ文句を垂れながら、王英が頭を摩る。


「で?(やさ)は何処だって?」

「え?ああ、鎮(清風鎮)の外れに道観(どうかん)があるだろ?その先の集落だってさ。明日にでも会いに行ってみる?」

「…いや、元宵節の間は向こうも何かと(せわ)しねえだろうからな。祭りが終わって落ち着いてからの方がいいだろ」

「あー、それもそっか。けど、俺も棒の腕には自信ある方だけどさ、アイツの腕前も噂通り見事なモンだったよ。哥哥(あにき)もきっと惚れ惚れすんじゃねえかな」


 その言葉に燕順は訝しむ。

 鄭天寿の棒の腕前は、噂になるくらいなのだから優れているのであろうし、それは王英にも伝えてある。

 しかし今、王英はまるで目の前で見てきたような口ぶりで鄭天寿の腕前を称えた。出会っただけのはずで、その上腕前を見る機会が早々訪れるとも思えない。


「でもまあ、俺の腕も捨てたモンじゃないね。油断して最初の一撃にはビビったけどさ、その後は余裕で(あしら)ってやったよ。聞くかい?一部始終を。んーっと…元宵の天穹を(まば)らな星空が覆い、晩霞は既に西方へ去りゆく──」

「お前の『なんちゃって講談』なんざ、どうでもいいんだよ!っていうか、ちょっと待て。何でお前と鄭天寿が打ち合う羽目になってんだ?」

「えっ?…えーっと…」


 それを語るにはまず鄭天寿を女性に見間違え、その後、李柳蝉に散々罵り倒されたところから話さなければならない。

 さすがの王英も、話の振り方を間違えた事に気付いて言い澱んだ。


「あっ…そういえばアイツ、許嫁と一緒にいたんだけどさ…」

「許嫁?そりゃ初耳だな」

「そうそう。で、その許嫁がまた可愛いの何のって」


 何とか話を逸らそうと王英は李柳蝉の話題を持ち出すのだが…


 そこいっちゃダメだろ、王英どん。ちょっとは自分の性格を弁えなさいよww


「それに思った事をずけずけと言い放つ気の強さがまた堪らないんだよ」

「お前の女の好みなんざ、尚更どうでもいいわ。鄭天寿と打ち合ったって話は何処いったんだよ!」

「えーっと…だからまあ、何て言うか…」


 どのみち相手は「思った事をずけずけと言い放つ」李柳蝉なのだから、ここで取り繕ったところで、会いに行けば一切合切がバレてしまうのは目に見えているのだが、口が滑ったと慌てる王英の頭はそこまで回らない。


「えーっと、だから…許嫁が可愛くてさ…で『白面郎君』の綽名(あだな)通り、鄭郎がまた色白でさ…」

「…ちょっと待て」


 付き合いはそれほど長くなくとも、王英の性格は骨身に沁みている燕順である。

 二人で連れ立って青州を目指している間も、清風鎮や宿場に買い出しに行った時も、女性と見れば手当たり次第に声を掛ける王英を、燕順は何度叱り飛ばしたか分からない。


 どうやら、その許嫁とやらは相当、王英の好みにハマったようだ。

 そんな女性を黙って見過ごす王英でない事くらいは、燕順にも分かる。


 卓の上に身を乗り出した燕順はにっこり笑って、がっしと王英の両肩を掴む。


「取りあえず昨日、鄭天寿に出会ったトコから別れたトコまで全部話せ」


 王英どん、万事休すww


 仕方なく王英は、鄭天寿を女性と見間違えて声を掛けたところから順を追って話し始める。


 最初の内は、時に笑みを浮かべて聞いていた燕順だが、李柳蝉とのやり取りを経た後、鄭天寿を挑発して派手な打ち合いを演じ、というところまで話が進んだ頃には、呆れるやら情けないやら腹立たしいやらで、顔を真っ赤にしていた。


 一通り喋り終えた王英は、ギリギリと掴まれる両肩の痛みに耐えつつ、両耳を塞いで待ち構える。


「何をやってんだ、テメエはーーっ!!」


 青州の雲一つない空に、今日、四度目の怒声が響き渡った。

※1「治所」

各行政区分ごとの役所が置かれ、その行政区分の中心となる地。本文中の「州の治所」は、日本での都道府県庁所在地に相当する。

※2「県」

「県」は府州の下位に位置する行政区分。日本での区や市に相当する。「益都」は県の名称。

※3「兗州」

現在の山東省済南市南西部から同泰安市、同済寧市東部に亘る一帯。

※4「沂州」

現在の山東省臨沂市一帯。

※5「禁軍」

宋の正規軍。公称80万人。半数が首都・開封府(かいほうふ)に、残る半数が宋全土に(主に国境・辺境の守備部隊として)駐屯している。

※6「村鎮」

(府州や県の規模にまで達していない)小規模な村や町。

※7「江湖」

渡世人の世界。巷間。世間。

※8「鞘」

住居。居所。

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