閑話休題「異次元の岡(1)」
『水滸伝』では有名な黄泥崗のお話です。この小説で舞台となる予定は、今のところありませんが。
曹正さんの居候先を語る上で避けては通れない場所なので、チクチクと重箱の隅をほじくって検証してみました。『水滸伝』の原文は参考までに。
曹正(以下「曹」):はぁ、何だかしんねえけど、予想外の展開で落ち着き先が決まっちまったなぁ。
鄧仁(以下「鄧」):ああ、哥兒(曹正)。
曹:よぉ、お前も呼ばれたのか。
鄧:ええ、まあ。しかし、上手い事やりましたねぇ。
曹:「上手い事」?
鄧:だって、そうでしょ?哥兒だって賊に襲われて大変だったのに、敢えて父さんが盗まれた路銀をそのまま返して、結果的に酒家まで手に入れちゃったんですから。おまけに、あの様子じゃ姉さんも哥兒にベタ惚れみたいだし…あ!もしかして、最初っからそっちがホントの狙い──
──ゴスッ!!
鄧:痛ぁ!!
曹:発想がゲスいんだよ!何、お前の性格ってそんな設定だったの!?
鄧:そうですよ?気付きませんでした?
曹:気付くも何も、お前、本編じゃ誰かの後ろで「そうだそうだ」ってガヤ入れてただけじゃねえか。
鄧:ふふふ、本性は隠しとくもんでしょ?
曹:あっそう。チェンジで。
鄧:そんなシステムじゃないっす。
【智取生辰綱】
曹:はぁ、何かすっげーやる気なくしたわ。てか、何だこの「智取生辰綱」って。
鄧:今回の閑話休題は、簡単に言うと我が家の場所を説明しようって事なんですけど──
曹:はあ?もう本編で粗方、説明したじゃねえか。
鄧:最後まで聞いて下さいよ。我が家は『水滸伝』にも登場しまして──といっても、登場するのは酒家ですけど、第13回…第12回かな?ま、ともかく、その辺りが発端となってる長いエピソードの途中、第17回になります。
曹:で?
鄧:『水滸伝』は主要な登場人物のエピソードを繋げて、一本の長編小説として仕上げられてます。個々のエピソードの中には、正直「有っても無くても変わらない、物語の本筋にも殆ど影響しない」みたいなのも、いくつかはあるんですけど、この第13回(第12回)から第20回に掛けてのエピソードは、欠けたら「『水滸伝』そのものが成立しない」って言っても過言じゃないほど、物語序盤の重要なエピソードになってます。
曹:ふーん。
鄧:興味ナシ!?!?
曹:あるよ、ちゃんと聞いてるだろ。
鄧:ゲフン、えーっと、このエピソードを『水滸伝』では「智取生辰綱」って呼んでまして、本編にもありましたが「綱」は「荷物」の意で「生辰」が「誕生日」、頭の「智取」は武──つまり力で無理やり奪うんじゃなくて「智(知恵)を使って(生辰綱を)奪う」って意味です。以前の閑話休題に「とある府の高官が開封府に住む舅(妻の父)に10万貫の誕生祝いを贈った」ってあるのは、この「智取生辰綱」を指してますね。ちなみに「とある府」っていうのは北京・大名府の事です。
曹:けど、結局は奪われちまうんだろ?
鄧:まあ、それは『水滸伝』の方を読んでいただいた時のお楽しみ、って事で。
【黄泥岡】
鄧:さて、我が家と、ついでに言うと「智取生辰綱」を語る上で外せないのが黄泥岡です。
曹:「智取生辰綱」の方がついでかよ。
鄧:何と言っても運搬中に荷を奪われたのが黄泥岡ですからね。
曹:ほぉん、酒家の目と鼻の先でなぁ。
鄧:本編で我が家の場所が「黄泥岡から南に半日ほど歩いた辺り」ってなってるのは『水滸伝』の内容に沿った形です。尤も、正確には『黄泥岡から南に向かって半日ほど経ち、夜中まで歩いて(中略)、夜が明けてから(中略)更に20里ほど歩いた(離黄泥岡望南行了半日、看看又走半夜(中略)漸漸天明亮(中略)又走了二十餘里)』場所ですけどね。
曹:いや、いいよ、別に「半日ほど」で…ん?大名府から見ると、開封府は南南西ぐらいにあたるよな?
鄧:あ、気付きました?
曹:大名府から開封府へ向かう途中、黄泥岡で荷を奪われて、そっから南に向かうとウチなんだろ?それで、何でウチの場所が安利軍領内になんだよ。ウチですら大名府と開封府を結んだルートの西に外れちまってるが、そっから北に半日も行った黄泥岡なんてもう、大名府の殆ど真西あたりだぞ?
鄧:ええ。何しろ我が家の場所は、こっちの作者の創作ですから。
曹:…はあ!?
鄧:しょうがないんですよ。『水滸伝』の地名に後年代の呼称が使われてたり、府州の位置関係が不正確だったりってのは有名な話ですけど、特にこの「智取生辰綱」に関しては、前後の辻褄が合わない記述や、地理的な矛盾が目白押しでしてね。なんで一応、黄泥岡と我が家の位置関係は『水滸伝』の通り「北に黄泥岡、南に我が家、距離は歩いて半日」になりましたけど、じゃあ「具体的な黄泥岡や我が家の場所は何処なのか」ってなると、全ての記述に該当する場所なんて、現実の地図上には存在しません。
曹:あぁ、それでこのサブタイなのか…
鄧:ただ、そうは言っても、この小説での場所を決めとかないと、話が進みませんからね。哥兒だって父さんから「具体的な場所は言えないけど、我が家までついてきてくれ」なんて頼まれてたら、断ってたでしょ?
曹:当たり前じゃねえか。そんな得体の知れねえ話、ホイホイ引き受ける方がどうかしてるわ。
鄧:話の都合上「我が家はこの辺り、そうなると自動的に黄泥岡はあの辺り」って勝手に決めちゃいましたけど、全く根拠もへったくれも無く決めた訳でもないんで、この際「智取生辰綱」を紹介しがてら、言い訳させてもらいます、って事ですね。
曹:言い方が身も蓋もねえよ。
【時系列】
鄧:「智取生辰綱」は長いエピソードなんで、とても全部は紹介出来ませんし、ネタバレにもなっちゃうんで、主だった事柄と、我が家と黄泥岡に関係する部分を時系列で挙げてみたいと思います。
曹:なあ、最初から気になってたんだけどよ、サブタイの「…(1)」って──
鄧:お父っつぁん、それは言わない約束でしょ?
曹:誰が「お父っつぁん」か!
鄧:『水滸伝』を読まれた事がある人にとっては殆ど無意味なんですけど、まだ読まれた事がない読者さんもいるかもしれないので、ネタバレを避ける意味で個人名は伏せて紹介します。ただ、哥兒と白勝さんだけは実名です。
曹:白勝?誰だソレ??
鄧:…さあ、誰でしょうか。
曹:は?
鄧:黄泥岡を語る上で「安楽村」という村は外せないんですが、既に白勝さんは「安楽村の住人」としてこの小説に登場してるので、実名を伏せる意味が薄いかなー、って事らしいです。
曹:おい、俺の質問は?
鄧:「生辰綱を奪う側」を「賊」としてます。賊は八人組でその内の一人が白勝さん、首領と白勝さん以外はアルファベットを振ってありますが、個人の区別がつくよう、物語に登場した順にAから振ってあるだけなので、大した意味はありません。
曹:…なあ、俺、要らねえ?要らねえなら帰りてえんだけど。
鄧:要りますよ!ツッコミ担当じゃないですか!
曹:誰が「ツッコミ担当」か!
鄧:○数字を振ってあるのは、内容の矛盾点をいちいち指摘してると、いつまで経っても話が先に進まないので、後で纏めて挙げる為のものです。いいですね?いちいちツッコミ入れないで下さいよ??ツッコミさん。
曹:誰が「ツッコミさん」か!
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5/5
・大名府の留守(※1)が、開封府の舅に生辰綱を贈る予定がある事を妻に語る(第13回)。
5月初め(↑と前後不明)
・賊Aが鄆城県に住む首領に生辰綱の強奪計画を持ち掛ける(第14回)。
・賊Aが賊Bと知り合う(同)。
(↑の翌日)
・賊Bが賊C、D、Eに仲間入りを持ち掛け、三人が快諾する(第15回)。
(↑の2日後)
・六人(首領、賊A~E)が首領の家に集まっていると、賊Fが生辰綱の強奪計画を持ち掛けに現れる(第15回)。
・賊Fが生辰綱の輸送路について『既に黄泥岡を通ると調べた(已打聽知他來的路數了、只是黄泥岡大路上來)』と告げる(第16回)。
・首領が『黄泥岡の東10里にある安楽村に(中略)白日鼠と呼ばれる白勝という者がいて(黄泥岡東十里路、地名安樂村(中略)叫做白日鼠白勝)』と語り、賊Bが仲間に引き入れるよう首領に勧める(同)。①
・賊Aが『鄆城から黄泥岡は割と遠い(此處黄泥岡較遠)』と心配し、賊Bが「その為にも白勝を仲間に入れ、実行の際は安楽村に身を隠そう」と提案する(同)。②
(↑と前後不明、↓の前々日)
・大名府留守麾下の武官が生辰綱運搬の責任者に任じられる。その際、武官が運搬経路として『紫金山、二龍山、桃花山、傘蓋山、黄泥岡、白沙塢、野雲渡、赤松林(原文同)』を挙げる(第16回)。③
5月半ば(↑の2日後)④
・武官が輸送隊を率いて大名府を出立する(第16回)。
6/4(↑の14~22日後)⑤
・宿から20里余り歩き、正午頃、輸送隊が黄泥岡に差し掛かる。その際、地形の険しい黄泥岡を指して『須く知るべし、此れは是、太行山(須知此是太行山)』と描写している(第16回)。⑥
・輸送隊が賊の計略に嵌まり、生辰綱を奪われる(同)。
・武官が黄泥岡から単身で逃亡(第17回)。
6/5(↑の翌日)
・武官が黄泥岡から南に向かって半日と20里ほど歩いた曹正の酒家に着く(原文前述、第17回)。⑦
・武官の逃亡先として青州三山の一つを勧める曹正のセリフに『ここからそう遠くない青州の地に(不若小人此間離不遠、却是青州地面)』とある(同)。⑧
6/6(↑の翌日)
・朝に曹正の酒家を発った武官が『1日歩いて日が暮れた頃(行了一日、看看漸晩)』に目的の山の麓まで至り、同じ山を目指していた僧侶と出会う(第17回)。⑨
6/7(↑の翌日)
・武官と僧侶が連れ立って曹正の酒家に向かう(第17回)。
(↑から経過日数不明。酒家に到着した日の翌日)
・早朝、武官と僧侶らが曹正の酒家を発ち、目指す山の麓へ『正午すぎ(晌午後)』に到着する(第17回)。⑩
(↑と前後不明)
・武官を除く輸送隊が大名府に戻り、留守に経緯を説明する。その際、賊に襲われた場所を『大名府を離れて6、7日後に至った黄泥岡(自離了此間五七日後、行得到黄泥岡)』と語る(第17回)。⑪
・輸送隊から話を聞いた留守は、賊の捕縛を厳命する手配書を済州の衙門へ送る(同)。⑫
(↑から経過日数不明)
・知済州(済州知州)が観察(職名。この場面では捕り方の責任者を意味している)に賊の捕縛を厳命する(第17回)。
・観察が帰宅後、妻に事情を話していると、観察の弟が訪ねてくる。妻が弟に生辰綱の一件を説明する中で『この地(=済州)の黄泥岡で(為這黄泥岡上)』と語る(同)。⑬
・弟が賊の情報を語る。
『(済州城の)北門から15里に在る安楽村へ行き(引兄弟去北門十五里、地名安樂村)』、宿の仕事を手伝っていた。⑭
『6月3日、七人の棗売りが(中略)客として現れ(當日是六月初三日、有七個販棗子的客人(中略)來歇)』、その頭に見覚えがあった。⑮
翌日(6/4)、宿の主人と出掛けると、村を出ようとする白勝に出会った。その後『黄泥岡で棗売り達が(中略)生辰綱を奪った(黄泥岡上一夥販棗子的客人(中略)劫了生辰綱去)』と聞いた(第18回)。⑯
・弟の情報を元に、その日の内に白勝が捕縛される(同)。
(↑の翌日)
・白勝が自白し、当日の内に観察らが鄆城県へ首領の捕縛に向かう(第18回)。
(↑の翌日)
・観察が鄆城県の役人に来訪の目的を伝える。その中で生辰綱が奪われた場所を『当州領内の黄泥岡(敝府管下黄泥岡)』と語る(第18回)。
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鄧:その後、白勝さんを除く七人は無事に逃げ切る訳ですが──
曹:…いや、ちょっと待ってくれ。
鄧:ね?色々としっちゃかめっちゃかでしょ?
曹:黄泥岡の場所が異次元すぎんだろ…
鄧:さぁさ、こっから重箱の隅をつついてきますよ~♪
曹:何で嬉しそうなんだよ…
【矛盾点】
曹:「矛盾点」なんて、挙げたらキリがねえじゃねえか!
鄧:まあまあ、そう言わずに。折角ここまで書いたんですから。さて──
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・⑭で安楽村の場所を「済州城から北に15里(約8km)」としているが、当時、済州城から北へ約8kmの地点は、ほぼ確実に「梁山泊の真っ只中」と思われるので、村として存在し得ない。よって②、⑭、⑮、⑯が成立しない。
・大名府から見て南南西の開封府に荷を運ぶはずが、何故か③では遥か東に向かって青州三山(二龍山と桃花山)の麓を通ってから黄泥岡を通過する事になっている。
・記述が曖昧で日数がはっきりしないものの、⑤の時点で大名府を出立してから最低でも14日間は歩き続けていながら、直線で180kmほどの距離にある開封府にまだ到着していない。
・①では黄泥岡の位置を「安楽村から西へ10里(約5.5km)」としていて、⑭と併せて「済州城から北へ約8km、西へ約5.5km」となり、仮にその地点が梁山泊の湖面から外れていたとしても、大名府から見て南東の梁山泊西岸にあたるはずが、何故か⑥では黄泥岡が大名府から見て西の太行山に存在している事になっている。
・黄泥岡が太行山麓と仮定すると、⑦で武官が辿り着いた曹正の酒家から青州までの距離は350kmほど、梁山泊西岸と仮定しても250kmほど離れている事になり、いずれにしても⑧の曹正の言葉とは合わない。また、⑨のように徒歩で1日の移動や、まして⑩のように半日で辿り着ける距離ではない。
・輸送隊が黄泥岡に至った⑤の時点で、大名府を発ってから14日以上経過しているはずが、何故か⑪では6、7日後に差し掛かった事になっている。④の大名府出立は「5月半ば」と記述があるため、6、7日後では6/4より遥か以前に黄泥岡へ到達した事になるが、⑤、⑮、⑯では生辰綱の強奪を6/4としているため、時間的な辻褄が合っていない。
・⑥で黄泥岡が太行山にある事を示唆していながら、⑫以降は「済州領内の黄泥岡」で事件が起きた事になっている。
・黄泥岡が済州領内(梁山泊の西岸)とするのであれば、鄆城県からは10kmほどしか離れていない事になる。それを②で「割と遠い」としていながら、⑧では250km以上離れた場所を「そう遠くない」としており、整合性がない。
・黄泥岡が済州領内であれ太行山麓であれ、大名府と開封府を結ぶ最短ルートからは大きく外れている。
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鄧:ざっと挙げてもこのくらいはありますかねぇ。
曹:てか、俺ヤベえな。俺の頭ン中で「遠い」の定義はどうなってんだよ。
鄧:ちなみに、⑤と⑪に関しての補足ですが、第16回には輸送隊が黄泥岡に至るまでの経緯として『北京を発ってから6、7日の間は五更(午前3~5時頃)に起床し、(朝の)涼しい内に先へ進み(自離了這北京五七日、端的只是起五更、趁早凉便行)』とあり、その後『こうして14、5日経った頃には(似此行了十四五日)』とあります。最初の「6、7日」が後の「14、5日」に含まれるか否か(「出立から6、7日は涼しい時間を狙って歩き、それから更に14、5日経過した頃」の意か、或いは「ここまでの14、5日の内、最初の6、7日は涼しい時間を狙って歩き」の意か)はどちらにも取れるため、⑤ではその分の幅を持たせてあります。それが⑪で「6、7日」になってるのは、単に『水滸伝』の作者が、後の「14、5日」を失念しただけの単純なミスなんじゃないか──と、こっちの作者は勝手に想像してるようです。
曹:単なる見落としだろうが、何かの意図があろうが、焼け石に水だろ。他にこんだけ矛盾があんだから。
鄧:まあ、結局のところ、黄泥岡の場所を何処に設定しようと『水滸伝』の記述のどれかとは必ず矛盾しちゃいますからね。なので、この小説では⑥を採用して「黄泥岡は太行山東麓の相州(現在の河南省安陽市)領内」「我が家はそこから南に下った安利軍領内」って事にしたようです。
曹:んーでも、見た感じ済州領内の方が、まだ分がいいんじゃねえか?手配書だって済州に回してんだし。
鄧:こっちの作者も色々と考えたらしいんですけどねぇ。仮に今後こっちの作者が『水滸伝』を書いたとして、この「智取生辰綱」をどう表現するか考えた時に、大名府から一旦、西に向かってから南下するルートが、捏ねくり回した屁理屈をこじつけ易かったみたいですよ?
曹:てか、バカじゃねえか?この小説だってまだ終わりが見えてねえのに『水滸伝』の中での屁理屈考えるとか。
鄧:この小説と『水滸伝』は繋がってますからね。こっちで具体的な場所を設定する以上は『水滸伝』の方でも辻褄を合わせないと、って事なんじゃないですか?…あ!
曹:何だ?
鄧:さっき、サブタイが「…(1)」の理由、聞いてましたよね?
曹:ギクリ。
鄧:でわ、続きはまた次回で~。
曹:やっぱりか…
※1「留守」
軍権を付された官職。北宋代は北京の他、南京・応天府、西京・河南府に置かれ、基本的に知府を兼任していた。ただし『水滸伝』第63回などでは、北京留守とは別に知大名府(大名府知府)が登場している。
ストック切れにつき、最新話の投稿はひとまず今話までとなります。できるだけ週一投稿を維持できるよう、ある程度のストックが溜まってから最新話の投稿を再開したいと思いますので、暫くお待ちいただけたら幸いです。
再開の際は活動報告の他、この文章を削除して139話目に改稿マークをつける事でもお知らせしたいと思います。