雨の日
宋万から半日余り遅れて奉符を発った曹正の姿は、連れ立った鄧家の一家と共に、滑州(※1)の治所・白馬県に在った。
奉符から見た安利軍(「軍」は府州と並ぶ行政区分)は西南西の方角にあたり、最短距離を進むと、およそ鄆州、濮州、開徳府(※2)と治所を伝って歩く事になる。
曹正が気ままな一人旅であったなら、それも良かったろう。
或いは須城に寄ったところで、物のついでと李家道の酒家を訪ねて宋万の姓名を告げれば、感動的な別れから僅か数日で、感動的になったかどうか定かでない再会があったかもしれない。
しかし、曹正は一家からも勧められたそのルートを使わなかった。
奉符から須城、そして須城から濮州の治所・鄄城県に向かうルートは、梁山泊と近接している。
単に同道するだけでなく、曹正の双肩には護衛として一家の無事が託されているのだ。ただ「近い」という理由だけで、わざわざ賊の巣窟と知られた梁山泊の近傍を通り、避けられるはずの危険を招いては目も当てられない。
曹正には宋万が梁山の一員となった事など知る由もないのだから尚更である。
そこで、奉符を出た一行はまず西進し、曹正が須城から北に向かった際にも通った平陰県、そこで済水を渡って南西に向かった陽穀県と、梁山泊を避けるよう、鄆州の北辺に沿って大きく迂回し、開徳府を経て滑州に至った。
「さすがに今日は無理か…」
「ですねぇ…」
腕を組み、曹正が窓から見遣るその先は、通りを挟んだ向かいの建屋でさえ、うっすら白く霞んで見えるような土砂降りの雨。
諦念の溜め息と共に洩れた曹正の愚痴に、その隣で一家の息子・鄧仁も、諦念の溜め息と共に相槌を打った。
何が「無理」なのかと言うと、黄河の渡河(※3)である。
宿の主人によると、上流の大雨によるものか、ただでさえここ数日はいつも以上に流れが早かったところへ、夜半からの猛烈な雨が重なり、夜が明けると早々に川止め(渡河の禁止)のお触れが出たのだという。
この国で物心の付いた者が「白馬」と聞けば、まずは『三國』で曹袁両軍が激突した「白馬津(※4)の攻防」が思い起こされるところで、曹正も開封の勾欄(演芸場)で飽きるほど聞いた「白馬」の講談では、顔良を一刀の下に斬り捨てる関公(関羽)の活躍に胸を踊らせたクチだが、それはさておきとして、その舞台となっているこの白馬津は、黄河に数ある津の中で最も安利軍に近い。
どのくらい近いかと言うと、何しろ黄河を渡った北岸はもう安利軍領なのだから、正しく「あとは黄河を渡るだけ」という距離で、おまけに安利軍は領地自体が狭く、黄河を渡ってしまえば、一家の家まで1日で十分に辿り着けるという事も、曹正は一家の主・鄧謙から聞いていた。
ここまで何事もなく、あと1日──つまりは「今日」を何事もなく終えれば、無事に依頼をこなし、ようやく肩の荷を下ろせると、まずは胸を撫で下ろして宿に入った昨夜の曹正であったが、どれほど立派な津を備え、どれだけ目的地に近くとも、いかんせん肝心の津を使わせてもらえないのでは仕方がない。
「食事の支度ができた」と呼びにきた鄧仁からそれを聞き、一頻り恨めしげに表を眺めていた曹正は、揃って一家の室へ向かい、皆と朝食を済ませた。
食事の後、曹正が自室に戻っても、ここは旅先で外は雨。
何か予定のあるはずもなし、土砂降りの中、街中を散策するのも億劫だし、と窓から外を眺めてみたり、卓で酒を呷ってみたり、寝台で横になってみたり、とにかくあり過ぎる時間を「これでもか」と持て余していると、
「小哥(曹正の事)、少し宜しいですか?」
戸の外から鄧謙の声が掛かる。
「……?どうぞ…?」
「失礼します」
丁度、卓で酒を呷っていた曹正が招き入れると、鄧謙が娘の鄧春霞と共に入ってきた。
立ち上がって迎えた曹正が席に着くよう促すと、鄧謙はそれを断り、
「いえ、その前に…実は、娘が『小哥にお詫びしたい事がある』と言い出しまして」
「…『お詫び』?」
曹正は思わず怪訝な顔と声で聞き返してしまった。が、それも当然と言える。
何しろ、この旅のどこをどう振り返ってみても、改まって謝罪を受けるような出来事が全く思い当たらない。
「ほら、御覧。小哥も困ってるじゃないか。気にしてたのはお前だけだぞ?」
「でも…!」
窘める鄧謙を横から見上げた鄧春霞の瞳には、固い決意のようなものが窺え、嘘や冗談を言っているようには見えないのだが…
「皆が揃っている場で頭を下げるのも体裁が悪く、なかなか機会が無いままこの白馬まで至ってしまいましたが、川止めのお陰…と言うのも変ですが、こうして時間も出来ましたので、少し娘の我儘にお付き合いいただければ、と思いまして」
「そうですか…」
曹正の声が少し沈んでいるのは、本当に思い当たる節がないからで、別に「いくら室に俺一人だからって、親父を連れてこなくてもよくね?一緒に旅して、それなりに打ち解けたと思ってたのに、俺ってそんなに信用ねえの?」なんて事を思ってヘコんでいる訳ではない。
ないったらない。
奉符を出てからしばらくは「恩人様」の大合唱だった曹正の呼称も、大袈裟だし恥ずかしいし、という曹正の希望で、夫妻からは「小哥」、どちらも曹正より年下の子供達からは「哥兒」と、親しみを込めて呼ばれるようになってはいるが、どれだけ親しみを感じ、どれだけ信用していようと、所詮、曹正は赤の他人である。
嫁入り前の年若い鄧春霞が一人で来るはずがない事も、話を聞いた鄧謙が鄧春霞一人で来させる訳がない事も、そのくらいは曹正だって分かっている。
仮に家族の見ている前で謝罪するのは恥ずかしいから、と鄧春霞が誰にも言わずにこの室に来ても、娘の姿が見えなくなって、まず家族が向かうのはこの室に決まっているのだから、そもそも黙って来る意味がない。
「ん~、何を気に病んでるのか分かんないけどさ、小姐(鄧春霞)に謝ってもらう心当たりが無いし、謝ってもらいたいとも思ってないし、別にいいんじゃないか?」
「いえ、それでは私の気が済みません。それに、あの時は哥兒も気分を悪くされたような様子でしたし」
鄧春霞の中には、具体的な「あの時」の記憶があるのだろうが、曹正にはやはり思い当たる節がない。
「ん~…小姐からはそう見えたかもしんないけど、俺も覚えてないし、正直『あの時』ってのがいつの事なのかも、さ」
「岱廟で初めてお会いした時の事です」
「…あ!」
ピンときた。
というか──
「もしかして…『あの時、俺の事を疑ってごめんなさい』って事?」
「本当にすみませんでした」
本当に謝ってもらうような事じゃなかったww
曹正にしてみれば、頼まれてもいないのに奪われた路銀を奪い返し、それをそのまま返したのだから、何か魂胆があるんじゃないかと疑われるのが当たり前で、むしろ疑いもせずに「路銀が返ってきた」と無邪気に喜んでいた、他の三人に呆れていたほどだ。
鄧春霞に続き、鄧謙も深々と首を垂れるが、
「いやいや、そんな目ぇ一杯、謝られても」
「でも…哥兒が本当に私心無く、義に篤いお方という事は、道々でお人柄に触れた今ならよく分かります。その哥兒を疑うなんて…」
「あの時はホラ、初対面だった訳だしさ…」
「いえ、娘の言う事にも一理あります。縁も所縁も無い私達に、親切で手を差し伸べていただいた小哥を疑うのは、正に『眼が有れど泰山を識らず』(※5)というものです。本当にお恥ずかしい限りで…」
そう言うパパさんは、あの時、顔面が裏返るかどうかの瀬戸際だったので、パパさんこそもっと猜疑心と言うか、警戒心のようなものを培った方がいいと思われ。
「ただ、小哥が気にされてる様子はありませんでしたし、全てはこの娘の胸の内の事、殊更に蒸し返さずとも、自身で深く反省し、態度を改めて、今は心から小哥を敬ってるんだからそれでいい、と言ったんですが…」
「あー…まあ、とにかく一旦お座り下さい」
ひとまず二人を座らせ、酒を注いで勧めると、よほど思い詰めていたものか、軽く口を付けた鄧春霞は、大きく息を吐く。
「てかさ、俺あの時、そんなに顔に出てた?」
「いえ、あの…私とチラっと目が合って、少し呆れたような顔をされてましたから」
「ああ、そりゃ小姐の勘違いだよ」
「…そうなんですか?」
「そうそう。寧ろ、よく気が付く娘だなぁ、って感心してたぐらいだし」
「い、いえ、そんな、私なんて…」
照れて俯く鄧春霞の姿に曹正は思わず頬を緩めるが、不意に、なぜこの家族と岱廟で出会ったのかが分かった。
より正確に言えば、なぜこの家族が岱廟を訪れていたかが分かった。
【奉符でメシを食わしてもらった時から思ってたけど…何かにつけて「過ぎる」んだよな、この娘は】
想像力が過ぎるから、岱廟では善意に発した曹正の行為に悪意を疑う。
理解力が過ぎるから、その後の酒家では、ちょっとした曹正の一言に矛盾を感じ取る。
真面目が過ぎるから、曹正が忘れてしまったような事を、いつまでも気に病んでいる。
そして、素直が過ぎるから、周囲に気付かれるほどには顔や態度にそれが出る。
それがダメだと曹正は言うのではない。
想像力も理解力も、ないよりはあった方がいいに決まっているし、不真面目よりは真面目な方が、よほど人として信用できるに決まっている。
特に曹正は父と共に家業を切り盛りする母を見て育ってきたから、頭の回転が早く、しっかり者でよく気の利く鄧春霞のような女性に対し、忌避や嫌悪といった類いの感情を覚えた事はなく、むしろ好ましく思っているぐらいだ。
だが、曹正はそうであっても、周囲は違う。それも大多数の男にとっては違う。
鄧春霞の境遇が何よりもそれを物語っている。
まだ20歳を過ぎたばかりとはいえ、未婚。
今の時代、鄧春霞の結婚を「遅い」と見るかは人にもよるが、仮に今、誰かと結ばれたとしても、決して「早い」とは見られない。
容姿の美醜は見る者の「好み」によって評価が分かれるものだから、一概に「良し悪し」は決められないが、開封に暮らし、それなりに目の肥えた曹正から見た鄧春霞の容姿は、ズバ抜けた美貌とは言えなくとも、殊更に劣っているとも思えない。となれば──
『女性とは目立たず、でしゃばらず、男に従い、男を立てる存在』
そんな風潮が広く浸透している世の男達に、男の言葉の裏を読み、男の放つ屁理屈に矛盾を感じ、男の嘘を平気で見破り、それが態度に出てしまう「過ぎる性格」の鄧春霞は、さぞ煙たく見えた事だろう。
だから、人の営みに関して大抵の事に御利益があるとされる、碧霞元君が祀られた岱廟で、曹正はこの家族と出会った。
『鄧春霞の良縁祈願』
曹正から「俺の事は気にせず、皆さんはお参りを」と勧められて鄧春霞が答えに窮したのも、鄧謙が話題をすり変えようとしたのも、願掛けの内容を思えば辻褄が合う。
結婚に女性の意志が反映される余地など微塵もない御時世であるから、参詣の目的を明かせば「ああ、この娘は神仏の力に縋らなきゃならないくらい、誰からも相手にしてもらえないのか」と受け取られても、全くおかしくはない。
とても嫁に出すような歳ではない、幼い娘に「将来、良縁がありますように」と願うのなら分かる。
百歩譲って、娘の嫁入り先を狙いすましている、どこぞの元通判のような親であれば、まだ「アタリを祈願する」という事もあるのだろうが、市井に生き、それなりの歳となった娘の父たる鄧謙は、そんな言い訳も使えない。
父の立場ですらそうなのだ。
況んや娘の立場においてをや、である。
【何を願ってようと、他人の俺がずけずけ聞く事じゃねえし、そもそも興味もなかったから聞いてもねえが、たぶん間違いねえな】
「まあ、ホラ、俺も覚えてなかったぐらいだし、小姐がどうしてもって言うなら謝罪は受けるけどさ。全然、気にしてないから、小姐ももう気にしなくていいよ」
「はい、有り難うございます」
鄧春霞はホッと表情を緩め、その後、曹正は鄧謙も交えてしばらく会話を交わす。
ところが、室を訪れた用が済んだはずの父娘には、席を立ちそうな気配がまるでない。
曹正の方から「まだ何か…?」と尋ねようと思った矢先、
「それでですな」
「……?はい…?」
僅かに緊張した様子の鄧謙に若干の疑念を感じつつ、曹正は努めて冷静に返す。
「小哥はこれから、どうなさるおつもりですか?」
「『これから』?…といっても、外は雨ですし、今日は一日ここでゆっくり──」
「あー、いやいや、そういう意味ではなく…私達を送り届けていただいた後はどうなされるのかと」
「ああ…」
川止めがいつ解かれるかは定かでないが、解かれてしまえば、その日でこの仕事は終わる。
曹正も道中に考えてはいたけれど、そろそろ結論を出すべき頃合いだ。
元々、曹正がこの話を引き受けた理由は、同情心と勢いによるところが大きいので、具体的な事はあまり深く考えておらず、仕事をこなしたらまた奉符に戻って職を探すか、くらいの軽い気持ちでいたのだが、いざ歩いてみると奉符から安利軍は遥か遠く、曹正が敬遠した最短ルートを通ったとしても、優に250km近くは離れている。
金に釣られて受けた話ではないから、よほど値切られない限り、報酬は相手の言い値で納得するつもりでいるし、まさか帰路の路銀に事欠くような額を提示される事もあるまいが、そもそも奉符は「雇ってもらえる可能性が高そうだから」訪れていただけで、特に「奉符で雇われる」事に拘りがある訳ではない。
雇ってもらえるのであれば、何も奉符である必要がないのだから──
「そうですね…ここから奉符に戻るのも一苦労ですし、何処か近場で仕事を探してみようかと思います」
「奉符でなくても宜しいんですか?」
「ええ、別に宛てがある訳でも、伝なんかがあった訳でもありませんから」
「あの、でしたら…あ!すみません、出すぎた真似を…」
【えぇ~…今、この娘は「何処で」「何を」「どのくらい」出しちゃったの?全然、分かんなかったから、いきなり謝られても困るぅ。頭の回転が速いのも結構なんだけどさぁ、俺みたいな凡人が戸惑っちゃうから、脳内だけで自己完結させないでほしい…】
「コラ、お前はまた…さっき、それで頭を下げたばかりだろう?私から話をする、と言ったじゃないか」
「う、うん、ごめんなさい」
「いや、申し訳ない。女だてらに利発な方だとは思うんですが、どうもそれが過ぎる嫌いがあって…」
「ああ、いや、別に…」
【まあ、頭が回らないよりは、よっぽどいいと思うが。てか、さっき「いきなり謝られても困る」って言ったばっかじゃん?何に対しての「申し訳ない」なのか、太公(鄧謙)こそ早いトコ気ぃ利かして説明してくれよ…んん?いや、待てよ…!?】
言ってもいないクセに、理不尽極まる屁理屈を脳内で繰り広げながらも、大人な対応を見せた曹正であったが、ふと、再びピンときた。
鄧春霞にはこれまで男性との縁がなかった。
故に、それなりの歳でありながら、未婚。
少なくとも今、鄧春霞に「良い仲」と呼べるような相手はいない。
故に、岱廟で良縁を願った。
家族も鄧春霞の良縁を願っている。
故に、一家揃って遠路遥々、岱廟を詣でた。
鄧春霞は曹正を心から敬い、憎からぬ想いを抱いている。
故に、曹正から褒められて頬を赤らめる。
だが、たとえ男女に縁があっても、今はそこに女性の意志が反映される御時世ではない。
故に、その縁を認めるか否か、最大限の決定権を持った家長の鄧謙がこの場に…
無論それは、曹正の「たぶん」が正しければ、という大前提があっての推論ではある。
あるのだが、果たして──
「いや、実は小哥に提案、と申しましょうか、是非にお聞き入れいただきたい話がございまして──……」
※1「滑州」
現在の河南省安陽市南東部一帯。開封府の北隣。安利軍とは黄河を挟んで(※3参照)南隣。
※2「開徳府」
現在の河南省濮陽市中西部と同安陽市東部一帯。安利軍の東隣。滑州(※1)の北東隣。濮州の北西隣。また、鄆州の西部とも僅かに府州境が接していた模様。
※3「黄河の渡河」
現在の黄河は平陰県(現在の山東省済南市南西部)と陽穀県(現在の山東省聊城市南部)の境界を流れているため、陸路で両県を往来すると必ず黄河を渡る事になるが、本文での後述と第十二回「なるようになれ」後書きでも触れているように、作中当時の黄河は両県から見ると現在よりも遥かに西方、安利軍と滑州(※1)の境界付近(現在の河南省鶴壁市南東部が同安陽市と接している付近)を北東へ流れ下り、開徳府(※2)の治所・濮陽県(現在の河南省濮陽市南部)の西で向きを変え、そこからほぼ真北に向かって流れていたと思われる。従って、東から黄河南岸の白馬に至った曹正達は、まだ黄河を渡っていない。
※4「(白馬)津」
「津」は「渡河点」「渡し場」を表す。古代、川幅が広すぎて橋を架けられなかった黄河には多くの「津」が設けられており、白馬津もその一つ。「延津」や「孟津」などは、黄河の渡河点が置かれていた事が地名の由来。また「天津」も、明の永楽帝が現在の天津市付近で運河を渡った事にちなんで名付けられている。
※5「眼があれど泰山を識らず」
中国の成語、諺。「人や物などを見る目がない」の意。第三回「活閃婆」後書き参照。