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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十三回  董双鎗 奇縁あるも機は熟せず 曹刀鬼 奇縁に依りて寓すること
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銅牆鉄壁

銅牆鉄壁(どうしょうてっぺき)

中国の成語。直訳すると「銅の(へい)と鉄の壁」。「防御が固く、難攻不落の城」や「極めて堅牢な物」を表す言葉。

「い、いや、そんな!滅相もないっ!!」


 王文徳の正体を知った程万里は、慌てて顔色を変えた。


「継父」と「義父」の違いはあれど、董平の問いに「是」と応じれば、それは「お前なんぞに娘をくれたら、命がいくつあっても足りない」と言っているに等しく、つまりは董平を「義も仁も孝も持ち合わせていない人でなし」と面罵しているも同然である。


「安心致しました。あんな男と同類に見られようとは、手前の不徳の致すところとはいえ、想像するだに虫酸が走るというもの」


 もはや「逆恨み(・・・)されたら」どころの騒ぎではない。それこそ命がいくつあっても足りない。


 が、程万里は(はた)と気付いた。


 それに「否」で応じたという事は──


「では、太公(程万里)の御懸念も解消されたましたな?」



【この男…!?ただ腕に覚えがあるだけの猪武者ではないのか。迂闊だった。上手く言い(くる)めるつもりが、こうもあっさり論破されるとは】



 というより、董平が「武官」ってだけで、見くびりみが強みと言うか、偏見みの強みが過ぎたんじゃないですかね?

 ナメプするにしても、せめて相手のステを見破ってからでないと。


「ああ、手前とした事が…太公にお認めいただきたい気持ちが逸り、太公への処し方を述べるばかりで、御令愛への想いを伝え忘れていました」


 董平は居住まいを正し、一際、真剣な眼差しで程万里を見据えた。

 しかし、それは当然その隣に座る、程玉玲に向けた言葉でもある。


「太公のお許しをいただいた暁には、必ず御令愛(程玉玲)を幸せにすると、固くお誓い申し上げます。親であれば、娘の幸せを願うのが人情の自然というもの。その決意を表すのが遅くなってしまった事は、率直にお詫び致します。さぞや気掛かりだったでしょう?」


 本人が「無い」と言うのだから、程玉玲には縁談の場に居合わせた経験もなければ、男性からここまでドストレートに想いを告げられた経験もないのだろう。もはや董平の顔を直視できず、俯いて顔色こそは隠しているものの、隠しきれない両の耳は、あっという間に真っ赤っ赤。

 程万里の前でなければ、今頃は「もう!」と100回くらい連呼しながら、手首がもげるほどの勢いで顔をあおいでいたはずだ。


 真摯な姿勢は真に素晴らしいと思いますが…いけませんなぁ、都監。

 こんないたいけな少女を父親の前でアレしては。


 だが、その真摯な姿勢も、



【「(これ)の幸せ」だと?ハッ、下らん!「幸せ」と言うなら、それは(わし)を引き立てる家に嫁ぎ、首尾良く儂をのし上がらせる事以外にないわ。いくら儂が無位無官の身とはいえ、兵馬都監にくれてやって何になる!?儂への恩恵など、たかが知れとるではないか!】



 程万里の心には全く響いていない。



【とにかく、ここは何とか追い返して時間を稼ぐしかあるまい。方々に仕掛けた工作も、今少しで実を結ぶ筈…通判か、上手く知府州辺りに収まる事が出来れば、これまで縁談を申し込むのも憚られていた大物相手とも、多少は家柄の釣り合いも取れよう。それまで精々、儂の機嫌を取ってるが良いわ!】



 と、何を思ったのか、程万里は突然「あぁ…」と一声発し、右手で眉間を押さえて俯いてしまった。


「…如何なされました」

「いや、何、まだまだ気持ちは若いつもりですが、寄る年波には勝てませんな。長旅の疲れが出たのか、昨日から体調が優れませんで…閣下(董平)のお気持ちは確と承りましたから、今日のところはこれまでとさせていただけませんか?」

「…左様で」


 まあ、都監も話を盛られた訳ですし…これは「おあいこ」というヤツですな。


 とはいえ、あまりに突然、体調を崩した(・・・・・・)程万里の「大根」ぶりがツボに入ったのか、董平は社交辞令の「お大事に」と共に洩れ出そうな失笑を堪えるのに必死だ。


 いけませんよ、都監。本人は至って真剣なんですからww


 ふと、視線が合ってみれば、程玉玲の顔からは先ほどまでの恥じらいが消え、心の底から申し訳なさそうな面持ちで軽く首を垂れると、父親の側に寄り添った。


 ええコや…


 程玉玲の手を貸り、程万里が寝台に上がったところで、何とか表情を整えた董平は、寝台の側まで歩み寄る。


「では、太公。今日はこれで失礼致します。また近々お答えを伺いに参りますので、良い返事をお聞かせ下さい」


 深々と首を垂れる董平に、苦虫を噛み潰したような顔の程万里は、返事もそこそこに身体を捻って壁の方を向いてしまった。


 拝礼から直った董平は、呆れたように小さく溜め息を零し、


「さて…御令愛を暫しお借り致します」

「何!?」


 まるで息をするようにホラを吹いておきながら、その舌の根も乾かぬ内から慌てて振り返った程万里の、何とまあ機敏な事ww


「いや、何、ちょっと門前まで送ってもらうだけです」

「でしたら、私が──」

「いえいえ、それには及びません。調子が悪い時に御無理はいけませんよ」


 自分から言い出した体調不良を、今さら「嘘でした」とは言えないし、末は知府州か宰執か、と息巻いてはいても、今は無位無官の身であるから、結局のところ長い物に巻かれる性根が骨の髄まで沁みている程万里には、娘を出し惜しみする事はできても、兵馬都監の気遣いを無下にするまでの気概は欠片もない。


「では、お大事になさって下さい」


 噛んだ虫が思っていたより100倍苦かったような顔を晒しつつ、改めて董平から拝礼と社交辞令を受けた程万里は、董平に促されて共に室を出る程玉玲の背に向け、


「門前までだぞ!」


 と、釘を刺すのが精一杯であった。


「驚かせてしまったかぃ?」


 時間を惜しむかのように、董平は室を出てすぐ、優しく程玉玲に問い掛ける。


「はい、少し…ではなく、本当に驚きました。員…都監閣下も仰って下されば宜しいじゃ…あ!い、いえ、申し訳ございません。私なんかが生意気な口を…!」

「はは、別に生意気な事はないよ。結果的に身分を偽った形になってしまったからね。誰だって愚痴の一つも言いたくなるさ」

「かもしれませんけど…」

「何なら『おい、ふざけんなよ、このクソ都監が!ペッ』とか、口汚く罵られちゃったりする覚悟も──」

「ち、ちゃったりしませんよ!?!?そんな覚悟、決めないで下さい!」


 くつくつと笑いを堪える董平に、揶揄(からか)われたと気付いた程玉玲は、上目遣いで抗議の意を表しつつ頬を軽く膨らます。


 ホラ、玉玲ちゃん。見てごらん?

 隣にいるのが、言葉でアレした玉玲ちゃんのリアクションなら、何でもペロペロいけちゃうクソ都監閣下だよ?


 御本人さまも覚悟を決めてるみたいですし、ここは一つ、存分に罵って差し上げたら?


「もう…閣下は私の事を何だと思ってらっしゃるんですか?」

「そうだねぇ…『未来の奥さん』かな?」

「お…!?!?」


 さらりとクサいセリフを吐いたところで門前に至り、クソ都…ゲフン、董平は程玉玲へ身体を向ける。


「これは冗句でも何でもないよ。本当にそうなればいいと思ってる」

「あ…」

「しかし、太公はいろんな意味で手強そうだ」


 辟易と苦笑を浮かべる董平に、何と返したものかと顔を曇らせる程玉玲には言葉がない。


「こうなるのが分かってて、この前は止めてくれたんだろう?折角、気を遣ってくれたのに申し訳なかったね」

「いえ、そんな『申し訳ない』だなんて。こちらこそ、父が数々の非礼な振る舞いを…父になり代わり、この場を借りて閣下にお詫び──」

「ああ、謝罪は要らないよ」


 拝礼しようと身体の前で組まれた程玉玲の両手に右手を添えて、董平は優しく制した。


「『来るな』と言われてたのに無視して押し掛けたんだから。太公の反応も、ある程度は予想してたしね。小姐が頭を下げる事じゃあないよ。それと…」

「…?何でしょう?」

「『閣下』って呼ぶのを止めてもらえると嬉しいかな。何か堅苦しいっていうか、他人行儀っていうか、ね」


 董平は淋しげにはにかむ。


 元々、生粋の箱入り娘で「男耐性」が「紙」なところへ、ドストレートに想いを告げられて浮わついちゃってたもんだから、至近距離でそんな顔を見せられたぐらいで「トゥンク♡」しちゃっても、別に玉玲ちゃんは悪くない。何せ「紙」だから。


「あ、ぁあの、でも、それでは、お、お呼びするのに、困ってしまいます…」

「別に何でもいいよ?『員外さん』が呼び易いならそれでもいいし。さっきも言い掛けてただろう?」

「そ、それは、ずっと何処かの員外さんだとばかり思っていたので…」

「何ならいっそ『クソ都監』でも──」

「呼びませんよ!?!?」


 それをまた董平が楽しげに眺め、呆れたように吹き出した程玉玲も、口を袖で隠してクスクスと笑みを返す。


「まあ、無理強いはしないけどね。どうしても『都監閣下』がいいなら、それもしょうがないし」

「はい、そうさせて下さい。あまり馴れ馴れしく話しているところを見られてしまったら、父にも怒られてしまいますし」

「ああ、それは確かに」


 耳目が気になるのは程万里だけではない。


 歴とした禁軍指揮官の董平に対し、市井に生きる程玉玲がぞんざいな口を利いていれば、本人達はそれで良くても、傍目の見栄えは甚だよろしくない。


 董平の方にはまだ「生意気な小娘の無礼な言葉遣いを、笑って聞き流せる器のデカい男」と、評価を上げる可能性もあるにはあるが、片や「口の利き方も知らない生意気な小娘」のレッテルを貼られる程玉玲には、益するところが全くない。


「まだ暫くは奉符(ここ)に滞在する予定かな?」

「えっと、たぶんですけど、最低でもあと数日はいると思います。父もまだ疲れが抜けてないみたいですし」

「ああ、長旅の(・・・)、ね?」

「いけませんよ、閣下」


 程万里の「大根」ぶりにツボっていたのは、董平だけではなかったようで、董平の皮肉を窘める程玉玲の顔にも、堪えきれない笑みが零れている。


「ああ見えて父は真剣だったんですから。あまり面と向かって茶化すような事を仰られると、益々、父を意固地にさせてしまいますよ?」


 だが、そちらに気を取られたものか、程玉玲の偽らざる想いが、思わず言葉の内に洩れた。


「嬉しい事を言ってくれるねぇ」

「…え?」

「今の『俺との結婚を認めてもらえなくなるから、あんまり太公を怒らせないで』って事だろう?」

「…え!?あ、あのっ、それはその…」


 どれほど「女性はむやみに自分の意見を言わないもの」とガチガチに叩き込まれていても、人形ではないのだから女性にも心はあって、心があればこそ、時にはうっかりもする。


 うっかり洩らしちゃった事に当人が気付いてなかったんだから、気付かなかったフリをして差し上げればいいものを、わざわざ冷やかすような真似をされて…大好物なんでしょうけど、何度も「恥ずか死ぬ」思いをさせられる玉玲ちゃんの事も、少しはお考えになられて下さいね?クソ都監閣下。


「それを聞けただけでも、ここに来た甲斐があったよ」

「あのっ…今のはその…父には内緒にしていただけませんか?父に知られたら怒られてしまいます」

「心配しなくていいよ。それぐらいは弁えてるさ」


 安堵の吐息を零しつつ、程玉玲の表情には、素直すぎて隠しきれない「本当ですね?お願いしますよ??」という不安が入り交じり、董平は思わず苦笑を返す。


 まあねぇ。酒家でキャッキャウフフしてた時も、ちゃんと「父親に知られたら怒られちゃう」って釘を刺しといたのに、しれっとバラされちゃったしねぇ。


「大丈夫だよ。約束する」

「はい、有り難うございます」

「じゃあ、今日はこれで。また近い内にお邪魔するよ」

「…はい」


「来ないで下さい」とは欠片も思っていないし、さりとて「来て下さい」と言えば、自分から「早く嫁にしてくれ」とせがんでいるようだし、と世に蔓延(はびこ)る「良識」に染められてしまった女性にとっては、何とも息の詰まる御時世であるが、ともあれ、短く応じた程玉玲は、未だ火照る顔を隠すよう深々と首を垂れて拝礼し、優雅な所作で礼を返した董平は(きびす)を返す。


 と、董平の足は禁軍詰め所に向かい、預けていた馬を引き取ってから宿へ戻った。


 門前に馬を繋ぎ、纏めた荷物を手に宿の主人のところへ行くと、翌日までの宿代を払い、


「今晩一晩空けるが明日には戻るから、部屋を取っておいてもらいたい。もし、都合が悪くなって戻れなかったら、部屋を空けていい」


 と頼んで宿を出る。


 馬を曳き、西門を出た董平はその背に跨がると、そのまま西へ向かって馬を駆らせた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「おお、都監。戻ったか」


 奉符を発ち、その日の内に須城に戻った董平の姿は、明くる朝、衙門(がもん)(役所)にあった。


 平服に長衫、口には煙管(キセル)、右手は懐に、と普段の気安い格好で執務室を訪れた董平を、にこやかに迎えたのは室の主・陳文昭。


「今のところ、特に都監の手を借りなければならない案件があるでもなし、迎えの使者を出すのをもう少し遅らせて、ゆっくり身体を休めてもらおうと思っていたんだがな」

「ええ、俺もそれをお願い致したく戻ってきました」

「…ん?」


 陳文昭の前まで進み出た董平は懐から右手を抜き、


「今暫く奉符に滞在するお許しを頂きたい」


 拝礼と共に首を垂れた。


「ああ、元々都監の気が済むまでのつもりでいたから、それは構わんが…向こうで何かあったのかね?」


 筆を置いた陳文昭は、拝礼から直る董平をまじまじと見据える。


「まあ、野暮用と申しましょうか」

「『野暮用』か…それなら敢えて皆まで聞いたりはせんが。しかし、随分と生き生きした顔をしているな?」


 進言は必要最低限、聞かれた事にだけ答え、言われた事だけをやる。

 己の武を高める事以外に関しては、良く言えば飄々と接し、悪く言えば無関心。


 見た目はいつも通りの姿ながらも、陳文昭の目に、どこか世の物事を一段高い場所から冷ややかに眺めているように見えていた、普段の董平はそこにない。


「…そうですか?」

「余程、向こうには、都監の心惹かれる何かがあったと見える」


 まるで全てを見通されているかのような言葉に、董平は苦笑を返しつつ、


「まあ、御想像にお任せしますよ」

「そうか。では、勝手に想像して楽しませてもらおう。宿は以前と変えていないんだろう?」

「ええ」

「なら、構わんよ。急ぎの用が出来ても連絡がつかないようでは困るが、所在がはっきりしているなら問題無い」


 過去の言を翻さず、言葉を濁しているところを根掘り葉掘り聞かず、こういうところがまた董平にとっては心地が好い。


 董平は改めて礼と共に垂れた首を戻すと、


「ああ、そういえば──……」


 と、奉符で聞いた劉知州に対する讒言の噂を告げた。


「まあ、閣下(陳文昭)の事ですから、こうなる可能性も承知の上で手を貸されたんでしょうが」

「…まあな」


 軽い溜め息と共に陳文昭は背(もた)れに身体を預け、


「不正を暴けば、知州の椅子を狙う者達に付け入る隙を与える事は、最初から分かっていた。劉知州も承知の上だよ」

「御自身の椅子を懸けてあの二人を排斥した、という事ですか?」

「いくら与り知らなかったとはいえ、不正の場に居合わせながら見過ごしてきた、というのは動かしようのない事実だからな。その責任を負う覚悟はおありのようだった」


 人の上に立つ以上、部下の不始末に対する責任を被るのは、当然と言えば当然と言える。

 董平とて兵馬都監として兵を率いる立場であるから、戦に赴き、仮に敗れたとして「負けたのは兵の所為であって、自分は何も悪くない」などという言い訳が通らない事ぐらいは百も承知であるのだが、とはいえ、不正を正そうとする者が貶められ、貶めようとした者がそこに取って代わるといった行為が、平然とまかり通ろうとしているこの国の現状には、やはり暗澹たる思いを禁じ得ない。


 それを察したか否か、陳文昭はあえて顔と声音を明るくし、


「本人が覚悟を決められての事だったんだ。都監が気にする必要はないよ」

「いや、何、別に気にしちゃあいませんがね。そんな噂を聞いたんで、閣下にはお伝えしといた方がいいかと思いまして」

「…ん?まさか『野暮用』というのは、劉知州を案じて助力したいからとか、そういう事か?」

「まさか」


 董平は再び苦笑を洩らす。


「俺はそこまでお人好しじゃあありませんよ。『助力』も何も、他州(よそ)の都監が口を挟む問題でもなければ、手を貸そうにも出来る事なんて殆ど無いでしょう?」

「確かにな…しかし、そうか、ハズレか。俄然『野暮用』の中身が気になってきたな」

「『皆まで聞かない』んじゃあなかったんですか?」

「『聞かない』と『興味が無い』は同じじゃないだろう?」

「…まあ、機会があれば、またお話します」


 そそくさと話題を打ち切り、二言三言交わして董平は陳文昭の下を室を辞した。


 衙門の門衛に預けていた馬を引き取ると、董平は北門を出る。

 山間を抜ければ、右手の奥には泰山の雄姿。



【生き生き、ねぇ…】



 陳文昭の見立ては、あながち間違っていない。


 職務に勤しんでも報われぬ己の現状に、ある種の絶望感を抱く董平の姿は、日々を無気力に過ごしているよう、傍目には見える。その上で、多様な才に恵まれ、大した努力をせずとも大抵の事をそつなくこなす董平は、尚の事、不精な性格に映る。


 そんな董平の目に生気が宿るのは、己の内に巣食った王進を超えようと、武の鍛練に励んでいる時くらいなものだが、それはその先に報われる瞬間が待っているからだ。


 単なる幻影に打ち勝ったからといって、そんなものは単なる自己満足だ、と言われれば、それは確かにそうなのだろうが、少なくとも「長年に亘って越えられなかった壁を越えた」という達成感は得られる。


 遠く右手に(そび)える泰山の裾に現れた新たな壁は、奥に待つ可憐な少女の姿を隠す。


 大した努力もなく大抵の壁を破れる董平が、破った暁には努力が報われると分かっている壁に挑もうというのだから、知らずその意気込みが目に現れていたとしても、何も不思議な事ではない。



【俺って顔にはそんな出ない方だと思ってたけど…何とも不思議な魅力を持ったお嬢ちゃんだねぇ】



 笑い、恥じらい、窘め、剥れる、少女の姿を思い浮かべて、自然と緩んだ頬を引き締め、董平は少女の待つ奉符へ向けて馬を走らせる。


「一直撞」の異名の如く、造作もなく打ち破れると思っている壁が、この先、長きに亘って立ちはだかる事になろうとは、董平は夢にも思っていない。

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