入寨
杜遷に誘われた宋万は、共に酒家の裏手へ向かった。
店の奥へ抜けると湖面に向かって石段が置かれ、その先に水亭(※1)が建てられている。
辺りは益々暗くなり、酒と肴を運び入れた張栄らが建屋に戻れば、聞こえてくるのは蘆原が風にそよぐ音と、穏やかに寄せては返す波の音ばかり。
点された灯りに照らされる中、二人は改めて再開の喜びを分かち合った。
「いやぁ、ホントによく訪ねてくれたなぁ。俺が梁山に居るってのは誰から聞いた?」
「おいらもぉちょっと前までぇ滄州に身を寄せてたんだよぉ~」
「おお、柴大官人(※2)からか!」
宋万と杜遷の付き合いは、かれこれ10年以上になる。
互いが20歳になるかならないかの頃に出会い、すぐに意気投合した二人は義兄弟の契りを交わした。
それからしばらくは行動を共にしていたのだが、ある時、杜遷はちょっとした事から人を殺め、罪を得てしまう。
まあ、図抜けた体格を誇る杜遷の事であるから、本人は加減したつもりであっても、常人がその「殴る蹴る」を喰らってしまうと──という、言ってみれば「傷害致死」なのだが、何にせよ人を殺めた事には変わりなく、捕り方から逃れるため、杜遷は宋万に別れを告げて江湖に身を潜める事となった。
だが、一口に「身を潜める」と言っても、そう簡単な話ではない。人目を惹き過ぎるほど惹いてしまう、特徴的な体躯を持った杜遷のような者なら尚の事だ。
金が尽きれば追剥ぎで糊口を凌ぎ、根無し草に嫌気が差して住みかを求めれば、また官憲から逃れて流浪する。そんな生活が数年ほど続いた。
杜遷が「滄州の大官人」──つまり、柴進に身を寄せようと思い立ったのは、そんな暮らしの折、河北に立ち寄った時の事。
杜遷と柴進には縁も所縁も全くなく、全くの思い付きで訪ねたものだが、そこは江湖に名だたる柴進と言うべきか、嫌な顔を見せられる事もなく、二つ返事で受け入れられた杜遷は、久方ぶりに平穏な生活を取り戻す事となった。
ほどなくして、杜遷は今の梁山の主と出会う。
「大官人がぁ『杜弟(杜遷)に宜しく』って言ってたぞぉ~」
「全く、あの人には何から何まで世話ンなりっ放しだ。こうして今、身を落ち着けられてんのも、大官人の口添えがあったお陰だし…って、哥哥(宋万)はまた何で滄州に?」
対して、宋万が浪々の生活に足を踏み入れたのは、それほど古い話ではない。
当時、住んでいた地の成金が悪辣な役人と結託し、あこぎな手段で財を掻き集めて住人と揉めた際、住人側に立って成金の用心棒と闘った宋万であったが、杜遷と並ぶ体格の宋万であるから、結果も以下同文──という事で、宋万も各地をさすらい滄州に至った。
すでに杜遷は柴進の下を辞しており、柴進から行き先を聞いて後を追った宋万であったが…
「ここへ来る途中ぅ道に迷っちゃってさぁ~。来るまでぇ凄い時間掛かっちゃったよぉ~」
「…いや、滄州から来たんだろ!?どうやったら迷うんだよ?」
滄州から見て梁山泊は真南からやや西にずれた位置に在り、それは宋万も知っていた。とはいえ、滄州から梁山泊まで、まっすぐ一直線に街道が引かれている訳では当然ないから、最短ルートで目指すのであれば、どの府州を通るとか、どこで曲がるとか、ある程度の知識は欲しい。が──
杜遷の言う通り、多少の遠回りにはなっても、滄州からなら絶対に迷わず、たった二つの事だけ覚えていれば、梁山泊に辿り着けるルートがある。
『海岸に沿って済水にぶつかるまで東へ向かう』
↓
『済水の東岸を遡る』
↓
『オハリ』
梁山泊から海までの間に湖沼のようなものはない。
という事は、海から済水を遡って湖に行き当たれば、それは梁山泊以外にあり得ない。あとはそのまま湖畔を東へ向かえばこの酒家が見えてくる。
柴進から路銀の援助を受け、杜遷らに宛てた手紙を託され、意気揚々と滄州を発った宋万は、言われた通りに済水を目指し、東岸に渡って遡った。
ところが、長白山の裾まで至った辺りで、淄州の治所・淄川県に住む知り合いを思い出し、しばらく会う機会もなくなりそうだから、と済水を離れてしまう。
それ自体は大した問題ではないのだが、そこで面倒臭がらず、再び済水まで戻れば良かったものを、宋万は「ここまで来ればあとは分かる。わざわざ済水まで戻らなくても、このまま南に向かって歩いてさえいれば、いつか汶水に突き当たる」とばかりに、緑深き山々へ踏み入ってしまった。
「何をやってんだよ…」
「あははぁ~」
「笑いごっちゃねえよ、全く。何事も無かったから良かったようなもんを」
あとの顛末は言わずもがなだが、宋万もまた随分と盛大な遠回りをしたものである。
普通に歩けば5日も掛からない距離を、気付けば滄州を出てから半年近く経っていた。
「しかし、その曹って野郎(曹正の事)は、腹も据わって腕も立って、商売人の割にゃあなかなか男っぷりの良さそうな奴じゃねえか。元手を掻っ払われて往生してたんだろ?一緒に来りゃあ良かったのに」
「う~ん、それもぉちょっと考えたんだけどなぁ~。小哥(曹正)が望めばぁそれも良かったんだけどぉ、故郷の期待もあってぇ、また一から商いを頑張ろうってぇ考えてたみたいだったからぁ、邪魔しちゃ悪いと思ってぇ~」
「ああ、まあ確かに堅気で生きてこうとしてる奴を、無理くりこっちの世界に連れ込んじまったら申し訳ねえ、ってのはあるわな」
「それにぃ…言ったら悪いけどぉ、梁山の主は真っ当な相手にぃ『世話になってみたらぁ?』ってぇ勧めるには江湖の評判が悪すぎるぞぉ~」
うん?宋万さん、確か崔道成を…ああ!真っ当な相手じゃありませんもんねww
「それが無ければぁ──」
そこへ再び酒と肴を足しに張栄が顔を出した。
「それ、誰から…あ!おい、小乙(張栄)、お前だろ!?まぁた見境も無くグチり散らしやがって。みっともねえから止めろっつってんだろうが」
「いや、別に俺がわざわざ言わんでも、ウチの大王サンの器の狭さは有名じゃないっすか。てか、今、旦那(宋万)がここに来る前の話をしてたんじゃなかったんすか?」
「あ、そういやそうだ。すまん、お前じゃなかったか」
「は?ここぞとばかりに貶し倒してやりましたよ。決まってんじゃねえっすか」
「決まってねーし、グチってんじゃねーか!止めろっつってんだよ!」
「やれやれ」と張栄が頭を掻きながら戻ると、
「ただまあ、確かに『もうちょっとしっかりしてくれよ』ってのはあるんだが…」
「一緒に梁山へ来たんだろぉ~?杜弟が頭になればぁ良かったじゃないかぁ~」
「俺は『人を使う』より『人に使われる』方が向いてるよ」
散々な噂の主──即ち、この梁山の主は姓を王、名を倫という。
王倫が柴進を頼ったのは科挙(官僚の登用試験)に落第した時の事で、人生プランが崩れて途方に暮れていたところへ、たまたま柴進の噂を耳にしたのが切っ掛けだった。
だが、そうして滄州に押し掛けておきながら、生来、人の下風に甘んじるのを嫌う性格で、すぐに柴家の作男らとも折り合いが悪くなり、どこか他にいい場所はないかと相談して、柴進から紹介されたのがこの梁山である。
丁度その頃、杜遷も延々と柴家でタダ飯を食らい続けている事に心苦しさを覚え始めていたところで、王倫の誘いを契機に柴進の下を辞した。
「俺らが来た時にゃ、もう世を拗ねたモンが数百人ばかし暮らしてて、それを爺さんが一人で束ねてたんだがよ…あ、つっても今みてえにきっちり『頭と手下』って分かれてる感じじゃなくて、似たような境遇のモンが好き勝手に暮らしてる中で、爺さんが一番、年喰ってたから、一応の纏め役をさせられてた、って感じだったかな」
「もしかしてぇ寨を乗っ取ったのかぁ~?」
「人聞きが悪ぃな」
苦笑と共に杜遷は酒を呷る。
「俺らが来た時、爺さんが『もう歳も歳だから頭を誰かに譲る』って言い出したんだよ。他に腕の立つ奴もいなかったし、最初は俺が推されたんだが、メンドくせえから王哥(王倫)を推したら、本人も乗り気でさ。周りも王哥でいいって事だったから」
「張小乙もかぁ~?」
「いや、あいつが来たのは俺らより後だ。その場に居たら、確かに反対してたかもしんねえな」
「なるほどなぁ~」
「ただ、小乙の言ってる事が間違ってるって訳でもねえんだよなぁ。それを手当たり次第に吹き散らすから始末が悪ぃ、ってだけでさ。王哥の綽名、知ってるか?」
「ん~、聞いた事あるようなぁ、ないようなぁ…」
「『白衣秀士』だぜ?誰が名付けたんだか知らねえけど、今じゃすっかり定着しちまって…みっともねえったらねえわ」
その綽名を額面通りに受け取れば「白衣を着た秀才」である。
が、無論そのままの意味ではない。
古代、庶民の平服は「白」と決まっていた。そこから「白衣」は官に対する民、即ち「在野」の意を持つようになったと言われる。
そう考えれば「白衣秀士」とは「在野の秀才」であって、これも特にみっともないという事はない。
王倫が科挙に挑んでいなければ──
官職などには目もくれず、ひたすら野に隠れて生きてきた者が「在野の秀才」と呼ばれるのであれば、それは確かに誇らしい事かもしれない。
しかし、官僚を志し、科挙まで受けた者が「在野の秀才」と綽名されているのだから、その意味するところは明々白々である。
『秀才を気取っているだけで、科挙にも受からぬ落ちこぼれ』
「呼んでる方だって別に『官僚だから御立派、庶民だから碌でなし』なんて事ぁ思っちゃいねえんだろうけどさ。相手が官僚だろうが賊の主だろうが、義に篤く仁に厚いのを知ってりゃ、そんな嫌味ったらしい綽名で呼んだりゃしねえっての」
「注意とかしてるのかぁ~?」
「まぁな。言ってはみたって馬耳東風、全く効果はねえ」
「それも困った話だなぁ~」
難しい顔をして二人は酒を呷る。
『忠言は行いに利あり』(※3)と古人の言葉にある通り、とかく人は自らの短所や欠点に気付きにくく、或いは気付いていながら目を瞑ってしまうものだが、殊に組織の中で重きを成すような者ともなれば、たった一つの悪癖が己一人だけでなく、その組織と組織に属する多くの人々の命運を左右する事にもなり兼ねないのだから、尚の事、自らの過ちを直言してくれる者は得難い存在と言える。
しかし、人を統べる資質を持たない者ほど──いや、資質を持たないからこそと言うべきかもしれないが──権力の座に就いた途端、賢しら顔で『奸も大なれば忠に似る』(※4)などとほざいて、自らの意に沿わぬ者を遠ざける。あまつさえ、甘言を繰る者だけを側に置いて、悦に入ったりもする。
全くもって矛盾極まりない(※5)。
大体、その訓戒を引き合いに出すのであれば、己の意見に同調するだけの能なしこそ、真っ先に切り捨てていなければ嘘である。
分かっていて「どうせバレないだろう」と周りを見下しているのか、或いはどこかで聞き齧った一言を「これ幸い」と、よく調べもせずに何となく使っているのか知らないが、いずれにせよ、自ら「人の上に立つ器も資質もない」と喧伝しているも同然であって、何ともお粗末と言う他ない。
結局のところ、人を統べる者に求められるのは、人の本性を見抜く「目」なのだ。
己を批判する者がいたとして、それが「忠」なるか「奸」なるか、己の意に沿う意見をする者がいたとして、それが「信」なるか「佞」なるか、それを見抜けなければ人は使えない。
そして、残念ながら杜遷の「忠」を見抜けない王倫は、正しく「白衣秀士」の綽名に相応しいと言わざるを得ない。
「あんまり下らねえ事言うようなら、その都度、釘を刺すつもりじゃあいるんだが、どこまで効き目があんのやら…」
「でもぉ、見捨てないんだろぉ~?」
「まあ一回、担いじまったしなぁ。よっぽどの事がねえ限りは、な」
「そっかぁ~」
「あーっと…ところで哥哥はこれからどうすんだ?」
「んん~?」
問い掛ける杜遷は期待に満ちたような、それでいて申し訳なさそうな眼差しを宋万に向ける。
「ああ、いや、追い返してえ訳じゃねえよ?哥哥が寨に加わってくれりゃあこんなに頼もしい事ぁねえし、誘いてえのも山々なんだが…上がああだと嫌な思いさせちまうかもしんねえからさ。哥哥の言う通り、正直ちょっと誘いづれえんだわ」
「ん~…」と一応は考える素振りを見せるも、宋万の顔に逡巡や困惑の色はない。
嘘が下手な性分なのだろう。すでに腹は固まっているようだ。
「ここがダメだとぉ、おいら行くトコ無いんだけどなぁ~」
「じゃあ…!」
「寨主の噂は散々聞いたからなぁ~。嫌な事ぉ言われても気にしなぁ…くはないかもだけどぉ、杜弟もいるからぁたぶん大丈夫だよぉ~」
「そっか。よっしゃ、王哥の説得は任せとけ。グズグズ吐かすようなら、ブン殴ってでも哥哥の入山を認めさせてやる!」
「止めとけぇ~。杜弟が本気出したらぁ、相手がタダじゃ済まないぞぉ~」
「はは、それもそうだな」
二人は弾けるように笑い合い、湿っぽくなった空気を吹き飛ばすよう、大いに飲み、大いに食べ、大いに語らって、その日は揃って酒家で休んだ。
翌日、日の出の頃合いに目を覚ました宋万は、顔を洗うと杜遷から「水亭で朝食を摂ろう」と誘われて湖畔に出た。
見上げた空には雲一つ無く、湖畔の景色も夜とはまた違った趣で、正に清々しい初夏の朝、といったところ。知らない人が見れば、よもやここが賊徒のお膝元とは思うまい。
酒は程々に朝食を済ませ、杜遷が合図の鏑矢を放つと、すぐに梁山の麓から一艘の小舟が漕ぎ寄せてきた。
杜遷と二人して舟に乗り込み、湖を渡された先は金沙灘と呼ばれる入り江。
岸へ下り立って宋万が見渡せば、波打ち際は一面の蘆原と、水に浸かって立ち枯れた大樹の成れの果てが顔を出し、陸地側には何本もの大樹が、青々とした枝を風にそよがせている。
「さて、じゃあ行くか」
「んん~」
杜遷に促され、歩き出した二人の巨体は、見る間に梁山の木々の只中へと消えていった。
王倫と対面した宋万は、表向き歓迎されはしたものの、杜遷に勝るとも劣らないその巨躯で、大いに王倫に恐れを抱かせる事になる。
案の定、王倫からは愚にもつかない屁理屈を捏ね回され、体よく追い返されそうになったものの、杜遷の強硬な後押しもあり、入寨については認められた。
ところが、席次を決める段となり、杜遷は「宋万が兄だから」と二席を譲るつもりでいたところを、王倫は頑なに宋万を三席に据えようとして譲らない。
いくら杜遷が先に入寨していたとはいえ、兄が弟の下位に甘んじる姿というのは、傍目にあまり見栄えがよろしくないものだ。
寨の者達には邪推の余地を与え、謂れのない中傷を浴びる可能性もあるし、事情を知らない寨外の目を通せば、尚の事、奇異に映っても仕方がない。
何の事はない、王倫の悪あがきというか、要するに「居心地が悪いだろ?嫌ならいつでも出てってくれて構わないんだぞ?」という嫌がらせのようなものなのだが、何ともみみっちいと言おうか、せせこましいと言おうか…
そもそも宋万は地位や権力などに拘る男ではない。
或いは、あるかどうかも分からない王倫の高名に惹かれて遥々やって来た、というのであれば、その処遇に幻滅し、嫌気が差して梁山を後にする事もあるのだろうが、王倫の狭量っぷりについては予め聞いていた上、梁山に来た理由もただただ杜遷を慕い、旧交を頼っただけの事であるから、宋万にとっては席次の高低など、心の底からどうでもいい話であって、何なら初めから杜遷を立てて、末席を望もうかと思っていたくらいである。
それを見抜けないところがまた「白衣秀士」の「白衣秀士」たる所以、というところなのだが、杜遷の抗議も虚しく、最終的に杜遷が二席、宋万が三席という事で落ち着き、恥をかかせる事になったと落ち込む杜遷を却って宥めつつ、宋万は梁山で新たな生活を始めるに至った。
※1「水亭」
水上(本文の場合は湖上)に張り出して建てられた東屋。
※2「大官人」
資産や名声などが極めて優れた人に対する敬称。
※3「忠言は行いに利あり」
『孔子家語(六本)』。原文は『忠言逆於耳、而利於行』。訓読は『忠言は耳に(於いては)逆らえど、而して行いに(於いては)利あり』。意味は読んで字の如し。『良藥苦於口、而利於病(良薬は口に苦けれど、而して病に利あり)』(第七回「べ、別にビビッてなんかっ…」後書き参照)から続く。
※4「奸も大なれば忠に似る」
『宋史(呂誨伝)』。原文は『大奸似忠、大佞似信』。訓読は『奸も大なれば忠に似て、佞も大なれば信に似る』。「あまりに腹黒い者は、一見すると忠義が篤いように見え、人に媚びへつらってばかりいる者は、一見すると信用出来そうに見えるものだ」。呂誨が政敵の王安石を評した言葉。
※5「全くもって矛盾極まりない」
上(※4)にある通り「奸臣が忠義に篤い面をする」と「佞臣が信頼に足る面をする」はセットの言葉なので、硬骨漢を排除してイエスマンばかりを側に置く理由として前者を持ち出すのは、全く筋が通っていない。