閑話休題「禁軍(3)兵馬都監と団練使」
『水滸伝』ではお馴染みの武官である兵馬都監と団練使についてのお話です。この小説での位置付けはすでに本編で触れていますので、読み飛ばしていただいても問題ないっちゃあ問題ありませんが…御一読いただければ幸いです。
董平(以下「董」):ああ、やっぱり…
陳文昭(以下「陳」):都監(董平)、そう不貞腐れた顔をするな。
董:今回は俺だと思ってましたよ。ええ、思ってましたとも。
陳:はは、そうか。
董:大体、ここで働かせる気だったんなら、端から「休暇をやる」なんて閣下(陳文昭)に言わせるんじゃあないよ。
陳:うん、都監。そこまでいくとちょっとメタが過ぎるな。作者にも色々と考えがあるんだろう。
董:「考え」ねぇ…てか、こんなコーナーあの二人でも十分に務まるでしょう?
陳:「こんな」とか言うんじゃない。それに仕方あるまいよ。その二人は今、檻の中だ。何かと忙しい。
董:って事は、あの二人との会話を無駄に引き延ばして、劉知州の登場を次回まで遅らせてれば、俺が呼ばれる事もなかったのか…
陳:あそこでいきなりお気楽な世間話が始まったらおかしいだろう…
董:まあ、呼ばれた以上、やれるだけの事はやりますがね。
【兵馬都監】
陳:さて、兵馬都監についてだが、軍職として記録に登場し始めるのは、宋(北宋)建国の少し前、五代十国時代と言われる頃のようだ。
董:で、それが宋代にも受け継がれましたよ、と。
陳:兵馬都監の職責は大体、本編にある通りで、平時においては任地で禁軍の監督や調練にあたり、辺境などでは国境の警備や防衛、出征に際しては主に副帥を務め、小規模な部隊であれば主帥を務める事もあったようだ。資料によっては「兵馬」を略して単に「都監」と呼ばれたりもしている。宋初の頃によく見られたのは「行営兵馬都監」だな。
董:まあ、行営職は兵馬都監に限りませんが。
陳:「行営」というのは、敵地への侵攻なり、敵の侵攻に対する迎撃なりで出陣する際、従軍する将官に与えられる肩書きで、意味合いとしては「限定的な」とか「一時的な」といった感じか。
董:「行営兵馬都監」という、ひと繋がりの職名じゃあなく「行営の兵馬都監」と表現した方がニュアンス的には近いでしょ。
陳:そうだな。つまり、従軍に際して行営の付された職に任じられれば、それは「出撃した軍勢が一連の軍事行動を終えるまで」という条件付きで、一時的にその職に任じられた、という事だ。
董:行営職はその後、廃止されましたね。
陳:3代・真宗陛下の御世に廃された、と資料にある。兵馬都監に限っての話か、行営制度そのものを一斉に廃止したのかまでは分からんが。
董:国内的には2代・太宗陛下の御世に最後の十国・北漢が滅ぼされ、宋による全土の統一が為されましたし、外交的にも北の遼(983年~1066年までの国号は「契丹」)との和平が成立しましたからね。
陳:一般に唐末~宋初の混乱期を五代十国時代と呼ぶのは、中原を本拠とした短命王朝が五代に亘って続いた(唐滅亡→後梁→後唐→後晋→後漢→後周→宋建国)事と、それとは別に10の小国が乱立した事が由来となっている。しかし、概ね新王朝樹立と前王朝滅亡の時期が重なる五代と違い、十国の方は興国も亡国も、五代の王朝移行そのものとは直接的な関係がない。
董:で、宋が建った時点で十国の内のいくつかがまだ各地に存在してましたよ、と…まあ、五代はいずれも統一王朝じゃあないんですから、当たり前と言えば当たり前ですが。
陳:宋が禅譲を受けた五代の末・後周は、残存する十国に勝る国勢を誇ってはいたが、勢力圏は尚、中原や河北の一部に留まっていたからな。その後、太祖・太宗両陛下によって統一が推し進められ、979(太平興国四)年、最後に残った北漢を倒し、唐滅亡以来となる国内の再統一が為された。
董:五代十国時代の終焉を、宋建国の960年ではなく、北漢滅亡の979年とする説も有るとか無いとか…
陳:いずれにせよ、国内の主な敵対勢力はこの時点で一掃された。一方、本編でも触れられていたように、この頃はまだ遼との対立が続いていたが、それも真宗陛下の御世となって和睦が成立した。資料に行営職が廃止されたとあるのは、その翌年の事だ。
董:そりゃあ内にも外にも目立った敵がいなくなれば、戦場限定の行営職はお役御免にもなりますか。
陳:当時、北西部では、後に西夏を興すタングート族に造反の兆しが見え始めていたものの、朝廷との決定的な対決姿勢までは見せていなかったようだしな。行営職の廃止は、泰平の世の到来を広く天下に知らしめる狙いもあったのかもしれん。
董:といって、それから本編の頃までには、いくつかの叛乱もありましたがねぇ。
陳:まあ、事なきを得たんだから今それは良かろう。さて、史実における本編の頃には、宋の各地に兵馬都監が配置されていたようだ。ただ、所管する対象や兵の分類によって、呼称に多少の違いがあったと思われる。
董:「兵の分類」ってのは侍衛馬軍とか侍衛歩軍とかじゃあなくて、統率・監督する部隊が「駐泊(または「屯駐」)禁軍」か「就糧禁軍」か、って事でしょ?
陳:駐泊禁軍の指揮、監督官として配属された兵馬都監を「駐泊兵馬都監」、同様の目的で就糧禁軍に配属された兵馬都監を「本城兵馬都監」と呼称して区別していたようだ。「駐泊」「就糧」の違いは都監の方が詳しいだろ?
董:別の府州から任地へ赴任し、任期を終えたらまた別の府州に転属となる部隊が「駐泊禁軍」、主に現地で募集された兵で編成され、異動の無い部隊が「就糧禁軍」ですね。基本的に就糧禁軍は国境、辺境地域で編成されたようですが、内地にも就糧禁軍が存在してたかどうかは、まあ不明って事で。
陳:内地にも一定数の就糧禁軍が配備されていた方が、将兵の運用に柔軟性は出ると思うがな。辺境での実務経験が豊富な将兵を、むざむざ駐泊禁軍として内地に留め置くのは戦力の持ち腐れだ。
董:確かに。
陳:ただ、本編の30年ほど前に更戍法(※1)が廃止されているだろ?
董:ああ、定期的な将兵の異動は無くなりましたねぇ。
陳:本編の頃の正確な禁軍の運用実態は不明だが、一度、配属となったら、定年までずっと同じ任地で勤め上げる、なんて事はなかった筈で、将兵の異動自体はあったろうが、そのスパンが更戍法下よりも伸びていたようだと、制度導入当初よりも駐泊と就糧の区別が曖昧になっていたかもしれんな。
董:もう一方の「所管する対象」ってのは、要するに「何処へ」配属となったか、って事ですね。
陳:兵馬都監は各行政区分(路、府・州・軍・監、県など)や拠点(城や寨、関など)ごとに配置されたようだ。その中で路に配属された兵馬都監は、特に「路分(兵馬)都監」と称されていたと資料にある。
董:実際の職名は「任地+駐泊or本城+兵馬都監」って形になりますか。
陳:都監で例えると「鄆州駐泊兵馬都監」だな。武官としての位置付けは、行政区分に配される兵馬都監は中級武官クラス、拠点配備の兵馬都監は下級武官クラスから任命されたようだ。
董:ちなみに、行営兵馬都監に任じられるのは、上級武官や陛下の側近などですね。
陳:宋初に行営兵馬都監を拝命した顔触れは、見る人が見れば分かる名将、功臣が目白押しだな。さて、漸く史実についての概説が終わったか。
董:…前フリが長すぎなんじゃないですかねぇ?
陳:知らん、文句は作者に言ってくれ。『水滸伝』の作中には兵馬都監が何人も登場するが、呼称は殆どが「任地+兵馬都監」だ。
董:「殆ど」?
陳:一人だけ、孟州の兵馬都監が『孟州守禦兵馬都監』となっている。謂われは不明だが、字面だけ見れば「孟州守備の任に就いている兵馬都監」という事になるな。
董:内地の孟州で?『水滸伝』の孟州はそんなに治安が悪いんです?
陳:読む限り、わざわざ「守禦」と名付けた兵馬都監を置かなければならないほど、治安が悪いようには思えんが。
董:あぁ、いつものアレですか…
陳:その部分の元となったエピソードがそうなっていたんだろう。或いは「消し忘れ」という可能性もあるが。
董:「消し忘れ」?
陳:以前の閑話休題でも触れていたが、古い『水滸伝』は全て木版印刷によって製作されたもので、当然、版木に文字を彫る際は見本と言うか、原稿的な物を見ながら彫った筈だ。原稿の段階で「守禦」やら何やら付いていた兵馬都監を、版木に写す段階で「兵馬都監」に統一するつもりだったのが、その一ヶ所だけ、うっかりそのまま彫ってしまったという可能性もある。もちろん、敢えて「守禦」の二文字を入れた可能性も当然ある。まあ、今となっては推測の域を出ないな。
董:なるほど。仮に彫り終わった後で気付いたとしても、直すのは容易じゃないでしょうし。
陳:見栄えに拘らないなら、物理的に版木の文字を削ってしまえば済む話だが、その部分に二文字分の空白が出来してしまうからなぁ。それを埋めるとなると、最低でもその版木一枚は丸々彫り直しだ。たかだか二文字で、さすがにそれは面倒が過ぎるだろ。
董:物語の本筋には全く関係が無いし、読んでる方だって、そんな細かい事まで気にしないでしょうから、そこまで手間は掛けませんか。
陳:最後にこの小説での兵馬都監だが、大体、本編と後書きにあった通りだ。いつぞやの閑話休題にあったように、扱いとしては各禁軍駐留地に配属される正副の将の「正将」に相当するが、序列的にはそれほど高くないな。
董:まあ、指揮司の序列で見ても「真ん中よりちょい上」ぐらいの設定みたいですからねぇ。現代で言う中間管理職みたいなモンでしょ。
陳:基本的にこの小説の地方禁軍は、全て史実に言う駐泊禁軍の扱いだから、当然、兵馬都監にも駐泊、本城の区別は無い。
董:で、余った駐泊、本城の肩書きを、兵馬都監以外の武官にも流用する事にしましたよ、と。
陳:「本城」を「武官が配属された府州の治所」の意味で用い、任地を「駐泊+本城or治所以外の県や拠点」と表す事で、府州だけでなく、県や拠点単位まで表す形の「所属府州+任地(または所属部署)+職名」としたようだ
董:「所属部署」ってのは何です?
陳:任地の部分が本城や地名などの場合、その府州の指揮司に所属している設定だが、東京のような大都市には、指揮司以外にも兵権を持った部署があり、そちらに所属している場合はその部署名が入る。これまでに出てきたところでは、開封の王師範(王進)がそれにあたるな。
董:ああ、あの変態の…
陳:「変態」!?
董:ああ、いえ…
陳:…?この小説での王師範の肩書きは「在東京禁軍殿前諸班直軍鎗棒師範」となっている。「殿前諸班直軍」はつまり「殿前軍全体」という意味だが、東京の殿前軍を司っているのは、指揮司ではなく殿前司だからな。
【団練使】
陳:次に団練使だが、こちらも武官としての沿革は、ほぼ本編に書かれていた通りだ。
董:そりゃあ一話の半分くらい使ったんですから、他に書く事なんてそうそう無いでしょ。
陳:唐代には「団練守捉使」と呼ばれた時期もあったようだ。
董:少なくとも宋初の頃までは、兵を率いて戦場に赴いたりもしてたようですがね。
陳:一般論としてだが、大体どんな組織においても…まあ、例外はもちろんあるだろうが、基本的に役職の権限が強くなればなるほど、定員の数は少なくなっていくものだ。ところが、宋朝廷において全位階のほぼ真ん中に位置する従五品を与えられていながら、団練使には定員が無かった。この事からも、いかに団練使が影響力を持たない職だったかが分かるな。
董:「定員無し」って事は、文字通り「無限」「0人」どっちでもいい、って事ですからね。唐代の名残で宋初に位階は与えられたものの、職権は徐々に剥奪されてきながら、位階だけが残されたって事でしょ。
陳:本編にある通り、実際に失脚した文官が、武官である筈の団練使に左遷させられていて、有名なところでは徽宗陛下即位時の宰相・章惇が政争に破れて後、各地を転々と異動させられる中、いくつかの地で団練使に任じられた事があったようだ。
董:確かつい先頃、亡くなったと聞いたような…
陳:資料に1105(崇寧四)年の11月末(旧歴。西暦では1106年1月初)とあるから、本編の3年ほど前だな。一応、最期の時まで官職に就いてはいたが、資料には「団練副使」とある。
董:いてもいなくても変わらない団練使の、更に補佐ですか。
陳:官位は従八品、閑職も閑職だな。
董:数年前まで宰相を務めてた身としては哀れなもんですねぇ。
陳:地位もそうだが、その今際もなかなか悲惨だったようだ。「(章惇が)亡くなったその日の内から、遺産の取り分を巡って妾達が争い始め、遺体は寄り添う者も無いまま数日に亘って捨て置かれた。この為、(気付いた時には)遺体の指(の一部)がネズミに食われていた」と、その死に様を記している資料もある。
董:Oh…
陳:そんな団練使だが、後書きにあるように『水滸伝』ではそれなりの権力を持った職のように描かれている。
董:まあ、官位だけは一丁前ですからね。
陳:部隊の指揮官として活躍していた宋初の姿に影響を受けているのかもしれんな。『水滸伝』の中でも副将として賊の討伐に向かったり、二名の団練使を主帥として、やはり賊と戦ったりしている。
董:ほぉ~、それはそれは。
陳:但し後者の場面では、その二人を主帥に推挙する上奏が採用されると、居合わせた群臣が密かに嘲笑った、という描写もある。
董:その二人が正真正銘の無能だったとか?
陳:いや、その二人はそれが初登場の場面でな。せめてそれより以前に、一度でもそうした噂の的として姓名が出ていたとか、何かしらの伏線的なエピソードがあれば、分からなくもないんだが、そういう事もない。唐突に登場したと思ったら、何故か周りからは見下されている状態で、この部分は読んでいて少し違和感がある。
董:こっちの作者が、って事でしょ?
陳:まあ、そうなんだが。しかし、団練使の実情が本編で描かれている通りだったと考えれば、群臣の反応は寧ろ自然と見るべきかもしれん。
董:その部分だけは史実の影響を受けているんじゃないか、と?
陳:──と、こっちの作者が勝手に思っているというだけの話だ。もう一つ『水滸伝』のエピソードを紹介すると、第90回には戦から戻った武官が、論功行賞で行営団錬使に任じられる場面がある。
董:行営団錬使?戦から戻ってきたのに??
陳:その場面は戦功を挙げた武官を妬んだ朝廷の高官が横槍を入れ、体裁的には出征前より昇進する形だが、敢えて低い職を与えた、という話の筋になっている。
董:まあ、団錬使なんて実権は殆ど無い上に、史実の行営職は戦場でしか権限を持たない肩書ですからねぇ。
陳:『水滸伝』の作者が特に意図も無く、適当にその職を持ち出してきたのか、行営も団錬使も、実情を分かった上で、敢えてその肩書にしたのかは想像するしかないが、話の流れ的には後者の方がしっくりくるところだろう。本編を読む限り、この小説も史実に沿った設定になっているようだから、こちらの団錬使にも活躍の場は無いかもしれんな。一応さっき話に挙がった、各禁軍駐留地に配属される正副の将の「副将」という位置付けではあるんだが。
董:中間管理職の補佐なんてそんなモンでしょ。
陳:ちなみに、章惇殿と縁の深い人物がこの小説にも登場する予定らしいぞ?
董:そりゃあ、つい最近まで朝廷の中枢にいたんですから、今の朝廷の高官は大体、縁があるでしょう?
陳:いや、そういう事ではなく…まあ、ずっと後になるらしいが。
董:そんな先の話をされても…作者の筆が遅すぎて、この小説もいよいよ休載の瀬戸際じゃあないですか。そこまで辿り着くのはいつになる事やら。
陳:だから、都監。本当の事をそうズケズケと言うんじゃない…
※1「更戍法」
宋(北宋)前期の兵制。数年ごとに任地の異動がある。第五回の閑話休題「禁軍(2)更戍法と将兵法」参照。