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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十二回  曹刀鬼 岱廟に鼠賊を遇い 董双鎗 旗亭に騙局を暴くこと
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険道神

【妙にザワついてると思ったら…あいつの所為か。

 まあ、あの図体じゃあなぁ】



 仁安門の側まで至った董平は、その奥に原因を見つけた。


 仁安殿の脇には、黒山の上に頭三つほど抜けた巨漢の姿がある。


 門を潜り、背後の少し離れた位置から董平は、


「郁四郎」


 と声を掛けるも、周囲のざわめきもあってか、郁四郎──即ち郁保四はその声に気付かない。


 もう一度、董平が声を掛けると、呼ばれた事には気付いた様子の郁保四であったが、軽く左右を見渡しただけで、やはり董平には気付かない。


「おい、そこの薄鈍(うすのろ)さんよ」


 それを耳にした郁保四の怒るまい事か。

 バリバリと歯を噛み鳴らし、勢いよく振り返るや、


「だ、誰だ!お、俺を今、う、薄鈍(うすのろ)と呼んだのは!」


 人間、誰しも地雷の一つや二つは持っている。

 それが傍目にはどれだけ些細で、どれだけ下らなく見えたとしても、所詮、地雷を踏まれた怒り、憤りは本人にしか分からないし、結果、踏まれた側がブチ切れてしまったとしても、他人がとやかく言う筋合いはない。

 それは確かにそうなのだが、たまたまその場に居合わせてしまった人にとっては、何とも迷惑この上ない話だ。


 何の前触れもなく、突如、見上げるほどの巨漢が目の前で猛り出したら、誰だって驚くに決まっている。

 まずは郁保四の手が届く場所にいた者達が慌てて離れ、それに驚いた周囲の者達も続いて駆け出し、早、郁保四の周りには誰もいない。


 いや──


「お、お前かっ!?」

「えっ!?い、いや、手前はそ、そんな事は一言も…」


 突然の事に身が(すく)んでしまったものか、初老の男が一人、取り残されていた。


 ガクブルと震える男を見下ろす郁保四は、握り潰さんばかりの勢いで男の首筋に右手を伸ばす。が、今しも男の肩に触れようかというところで、男の背後から現れた煙管(キセル)に動きを阻まれた。


「俺だよ。止めろ、馬鹿」

「そ、そうか、お、お前が──!」


 声の主を睨みつけた郁保四は、すぐにその正体を悟る。


「…と、董都監(董平)!?」

「ここを何処だと思ってる。畏れ多くも府君の御前だぞ?府君の定められた命数を、お前が勝手に刈り取るんじゃあないよ」


 郁保四を知る人々が、彼を称して曰く「険道神(けんどうしん)」。


 民間に数多(あまた)伝わる神々の一柱「険道神」は、一名を「阡陌(せんぱく)将軍」とも言い、野辺に向かう葬列の先頭で道を開き、死者を冥府へ導く役を担うとされる。

 故にまた「開路神」と呼ばれたりもするのだが、その背が常に葬列を率いているという事は、即ち「険道神」の在る所には洩れなく「人の死」が存在し、両者は切っても切り離せない関係であるから、間違ってもお目に掛かれて喜ばしいとか、めでたいとかという類いのお方ではない。


 そんな不吉を象徴する「険道神」に郁保四は(なぞら)えられている。それはつまり「郁保四(あいつ)に関わるな。なまじ怒りを買うと、立ち去るその背に自分の葬列が続く事になるぞ」という、郁保四に対る周囲の「恐れ」でもあり、また、ある種の戒めのようなものでもある訳だ。


 ただし「険道神」はあくまで死者(・・)を導くのであって、生者に「死」を撒き散らす存在ではない。


 人の生死を司るのは、正にこの岱廟に祀られている泰山府君であり、要するに董平が言っているのは「『険道神』如きが、事もあろうに岱廟の内で傍若無人な真似をするな、いい気になるな」という事なのだが…


 そもそもの切っ掛けを作られたのは、どちら様でしたでしょうか?


「誰が言うてんねんっ!!」という声なきツッコミの集中砲火も、董平は至って穏やかな表情のまま、早くこの場から離れるよう、優しく初老の男を促す。

 無論、微妙な顔で礼を述べた男から、去り際に向けられた冷ややかな視線にも董平はどこ吹く風だ。


 とにもかくにも、郁保四の機嫌が収まった事で、騒然としていた空気も、ゆるゆると平穏に還り、周囲の者達も再び思い思いに動き出す。


「と、都監は何で兗州に?て、転任ですか?」

「何、ちょっとした野暮用さ。そう言うお前は?」

「お、俺は別に…た、たまたま近くまで寄ったから、も、(もう)でてみようかと思い立っただけで」

「ふぅん…」


 董平は再び咥えた煙管(キセル)をピコピコと揺らす。


「相変わらず、人様の迷惑を顧みない暮らしをしてるんだろう?」

「……」


 郁保四は肯定も否定もせず、ただ沈黙を返した。


 曹正の見立て通り、郁保四は馬を扱っているが、商ってはいない。


 彼の生業を一言で表せば「馬泥棒」。


「まあ、俺は他人の生き方に口を挟むなんて無粋な真似をするつもりはないが。とはいえ、務め柄、目の前で悪事を働かれたら見逃せないからな。俺が兗州(ここ)に居る内は面倒を起こすなよ?」


 今、この国で馬の需要は(すこぶ)る高い。


 唐から宋への過渡期、中原(ちゅうげん)で興った五代の二・後唐(こうとう)(※1)に反旗を翻した(せき)敬瑭(けいとう)は、劣勢に際し、北方16州の割譲を条件として隣国・(りょう)(※2)の支援を取りつけた。


 後に石敬瑭が後唐を倒して次代・後晋(こうしん)(※3)の祖となると、16州は約定通り遼に進呈されるが、資源を産し、また長城以南にあたる16州は経済的、地勢的価値が高く、五代の末・後周(こうしゅう)は16州の奪還を目指して遼と争うようになる。


 後周を継いだ宋においても16州の奪還は悲願とされながら、精強な遼軍を相手に、状況はなかなか好転しなかった。


 迎えた真宗陛下の御世、遂に遼との大規模な衝突が起きる。が、互いに死力を尽くした戦は膠着状態となり、国力の疲弊を嫌った両国は、宋が16州のほぼ全てを放棄する形で和議を結び、国境問題は一応の決着を見た。

 以降、遼との国境近辺では散発的に小競り合いが起きる程度の小康状態が、現在に至るまで続いている。


 とはいえ、何も宋側だって好き好んでその条件を呑んだ訳じゃなし、まして「欲しけりゃくれてやるわ」とノシを付けてくれてやった訳でもないのだから、表向きは遼との友好関係を保ちつつ、水面下では策謀を巡らし、虎視眈々と失地回復の機を窺っている状態だ。


 経済的、地勢的な損失もさる事ながら、軍事的には何と言っても、16州と共に良馬の目ぼしい産地が失われてしまった影響が計り知れない。


 現状、宋の周囲をぐるりと見渡せば、キナ臭いのは圧倒的に南辺よりも北辺で、次のドンパチは北の遼か北西の西夏(せいか)(※4)あたりが相手だろうというのは衆目の一致するところだが、両国は共に精強な馬軍を抱えている。

 対して、宋禁軍公称80万に占める馬軍の割合は、半数にも大きく満たない。


 戦の備えを戦が始まってからするようでは話にならない訳で、戦が始まる時には準備万端、整え終えていなければ、勝利など期待するべくもない。

 遼にせよ西夏にせよ、潜在的な敵国ではあるけれど、外交上に言う「交戦国」ではなく、交易などで軍馬を仕入れる事はできるのだが、領内に産地を抱えている状態と比べれば、調達の非効率性は明らかである。


 だから郁保四が禁軍の御用達で、濡れ手に粟の如く儲かっている──という訳ではない。

 いくら軍用馬を掻き集めているからといって、さすがに盗人の力を宛てにするほど、禁軍も切羽詰まってはいない。


 しかし、馬を必要としているのは何もお上だけでなく、農家だって商家だって荷を運ぶために馬車を使うし、員外や将士と呼ばれる資産家達は、移動の手段として馬を欲する。或いは山野に賊がたむろするこの御時世では、賊が馬を漁る事もあれば、その賊に対抗するため、禁軍の駐留しない村鎮(そんちん)(小規模な村や(まち))などが武器を揃え、馬を買い集めたりもするのだが、盗人ではない真っ当な商人の扱う馬が、多く軍用馬として禁軍に流れてしまうとなると、必然的に市中への供給は薄くなる。


 16州の割譲は宋が興るより以前の話であるから、つまりこの宋という国は建国以来、軍農商のあらゆる用途で、慢性的に馬の需要過多が続いているのだ。


 故に郁保四が濡れ手に粟の如く稼いでいる相手は、面子や世間体を気にするお上ではなく、そんな事には全く価値を見出ださない市井の者達である。

 そもそもが馬を盗んで売り先に困る事はないのだが、いくつかの村鎮とは懇意にし、ある種の「お抱え」として仕事(・・)をこなしたりもしている。


「そういえば、さっき掏摸(すり)がどうのこうのと噂になってたが…もしかして──」

「い、いや、お、俺じゃないですよ」

「…本当だな?」

「ほ、本当ですよ。お、俺の生業は知ってるでしょ?」


 董平が郁保四と知り合ったのは数年ほど前、鄆州に配属となってすぐの頃の事だ。


 早朝、須城(すじょう)県のとある宿の前を通り掛かった董平は、巡捕都頭に数人掛かりで取り押さえられている郁保四を見掛けた。

 聞けば、宿に預けた馬を引き取った郁保四と、その馬の持ち主を名乗る年若い男が騒ぎを起こし、すったもんだの末に縄を打つところなのだと言う。

 男は男で「馬を盗まれた」と衙門に訴えようとでもしていたのだろう。そこを、たまたま宿の前で鉢合わせてしまった、という訳だ。


 それだけであれば董平の出番は特になかった。

 ところが、黙って見ていればいいものを、男が縄を打たれる郁保四に罵詈雑言を浴びせ始め、うっかりあの一言(・・・・)を放ってしまったから堪らない。


 身体を押さえていた巡捕都頭を、いとも容易く振りほどき、怒りに任せた郁保四が男に襲い掛かろうかというところで、咄嗟に董平が割って入ると、さすがは林冲と互角の勝負を繰り広げた董平の事、難なく郁保四を取り押さえてしまった。


 …そう、実は最初から董平は知っていたのだ。

薄鈍(それ)」が郁保四の地雷である事を。


 そう呼べば郁保四がブチ切れる事を分かっていて、あえて地雷を踏みにいったものだが、踏み抜いた董平はそれで良くても、巻き添え喰った人達にとっては、全くもって(とばっち)りもいいところである。

 呼び掛けを気付かれずムカついたのか、或いは単に軽い気持ちで揶揄(からか)ったのかは存じ上げないが、イタズラもするなら時と場合と、あと周りの迷惑を考えてほしいものだ。


 ともあれ、こうして董平と郁保四は面識を得たのだが、その後、郁保四が衙門に突き出されるような事にはならなかった。


 郁保四が董平に気に入られた──という事ではない。


 馬の持ち主はひたすら郁保四を裁きに掛ける事を求め、その気持ちは董平にも分からなくはないのだが、一般論として「盗みを働いた」と聞けば、動機の相場は大抵「金に困ったから」と決まっている。

 それを杓子定規に衙門へ突き出してやるのも可哀想か、と董平が情けを掛けてやったものだが、後に郁保四から「盗人は本業のようなもので、特に切羽詰まってた訳でもない」と聞き、わざわざ情けを掛けてやる必要などなかったと知ったのはさておきとして、ともかくその場は董平が機転を利かせ、それなりの身銭を切って郁保四から馬を買い上げ、それを無償で男に譲り渡す事とした。


 両者に損をさせないよう、自腹を切ってまで取り計らってやるとはさすが「風流将軍」、粋ですなぁ。


 まあ、散々罵るだけ罵った割に、地雷を踏まれた郁保四が暴れ出すとすぐに巡捕都頭を盾にし、董平が郁保四を取り押さえるとまた強気に出るという、いかにも卑怯極まる男の言動が董平の癇に障った、という事もあるのだが。


 ただ、大きなお世話だったとはいえ、董平に掛けられた情けのお陰で、郁保四が余計な面倒を避けられたのは確かであって、以来、郁保四は一つ年下の董平に対して頭が上がらない。


「まあ、そのゴツい腕を懐に突っ込まれて気付けないんじゃあ、気付けない方にも問題はあるがな」

「い、いや、だ、だから、お、俺はそんなケチ臭い仕事(・・)はしませんよ」

「何を偉そうに…馬盗人だって大差は無いだろ」


 片や董平の方に、年長だからと郁保四を敬うような様子はない。


 礼節を備える董平は、言葉遣いも態度もTPOを弁えて使いこなし、相手が誰であろうと殊更に(へりくだ)りも見下したりもしないが、郁保四に対してはどうもその生業がチラついて、ついつい横柄な態度が出てしまう。


 盗人だからダメなのではなく、馬の(・・)盗人だから親しく付き合おうとは思えないのだ。


 武官にとって──とりわけ、董平のように兵を率いる立場の者にとっては尚の事、命を預ける馬には強い拘りを持つもので、コレと決めた相性のいい乗騎は何物にも代え難い存在となる。


 馬に関しては建国以来の売り手市場であるから、生業として儲かるのは確かなのだろうが、盗まれる側の憤懣、落胆が分かるからこそ、董平が郁保四に忌避感情を抱いてしまうのは致し方ない。


「とにかく、あまり人様に迷惑を掛けるなよ?お上の世話になったからって、兗州(ここ)じゃあ俺がしてやれる事なんて、たかが知れてるからな」

「わ、分かりました。じ、じゃあ、俺はこれで」


 拝礼し、立ち去る郁保四の背を、董平は暫し見送る。と、その背後から、


「知り合いかね?」

「…ええ。以前ちょっと」


 視線も返さず、董平は短く答える。

 すでに声音だけでその主の正体を察したようだ。


「そうか。それはそうと…都監が私の悪巧みに手を貸してくれて助かったよ」


「悪巧み」という自虐的な言葉に、董平は苦笑を浮かべて振り返る。

 そこには中年、書生風情の男が、柔らかな笑みを湛えて立っていた。


「意外でしたか?」

「まあな。話を持ち掛けた時には『所詮、他人事(ひとごと)』と断られる覚悟もしていたんだが」

「他人事ですよ。ですから最初は断ったじゃあないですか」


 董平の軽口に、今度は書生風の男が苦笑を返す。


「その割には、こうして成就の願掛けにも付き合ってくれるんだな?」

「『やる』と決めた以上、やれるだけの事はやりますよ。そういう性分なんです。それとも『カッコだけはイキがって、中身は使えない役立たずの穀潰し』の方が御希望に(かな)いましたか?」

「はは、そんな事はないさ。頼りにしているよ」


 ポンポンと董平の肩を叩く男の面には、やはり人受けの良さそうな柔らかな笑み。



【何ともいい顔をする人だねぇ、ホント】



 初めて目にした時から、董平はその笑みにずっと惹かれ続けている。


「ところで、供の者は?」

「ああ、もう仁安殿の中で待たせてある」

「…もしかして、俺を待ってました?お一人で?」

「もしかしなくてもそうだよ。他に何があると言うんだ?」

「あぁ、それは申し訳ない事を…というか、御自身でお待ちいただかなくても、誰か供の者を待たせておけば良かったでしょうに」

「無理を言って頼みを聞いてもらったんだ。私が待つのが筋だろう?」


 こういうところもまた、董平にとっては心地が好い。


「遠目に都監があの男と話し込んでいる姿を見つけた時は、私との約束など何処かへ消し飛んでしまったのかと心配になったがね」

「お待たせしたのはお詫びしたばかりじゃあないですか…」

「待たせた自覚があるのなら、愚痴の一つや二つに付き合ってくれても(ばち)は当たらんだろう?」

「じゃあ、いい報せと引き換えに、お許しいただく事にしましょうかねぇ」

「ん?」


 董平は煙管(キセル)を咥えた口元をニヤリと綻ばせる。


「既に下調べも済み、もう『悪巧み』の成就は閣下(・・)の掌中ですよ。御心配には及びません」

「そうか、それは頼もしいな」

「人為のみで事を為せるんですから、府君と娘娘(にゃんにゃん)の御加護は又の機会に取っておかれては?」

「ここまできて参詣しない手も無かろう。油断大敵という事もある。念には念を、というヤツだよ。都監に万一の事があっても困る」

「お気遣い有り難く。じゃあ、参りましょうか」


 落日は遠く西の方、今しも宵闇が迫る中を、董平は「閣下」と呼ぶ男と共に仁安殿へ消えた。

※1「後唐」

五代の初・後梁(こうりょう)を倒して建てられた王朝。統一王朝ではない。初代・荘宗(()存勗(そんきょく))の祖父が、内乱鎮圧の功によって(統一王朝の)唐から国姓(君主の姓)の「李」姓を賜っていたため、正式な国号は唐の正当継承を謳った「唐」だが、一般に統一王朝の唐と区別するため「後唐」と呼ばれる。初出の第十回「東京」は後書きが多かったのでこちらで。923~936年。

※2「遼」

およそ現在の中国北東部からモンゴルに掛けて領有していた王朝。本文の頃はすでに国号が遼となっていたため、記述は「遼」で統一しているが、後晋(※3)が16州を割譲した時点での国号は「契丹(きったん)(916~947年、983~1066年)」。916~1125年。

※3「後晋」

後唐(※1)を倒して建てられた五代の三。統一王朝ではない。正式な国号は単に「晋」だが、春秋期や三国後の晋などと区別するため、一般に「後晋」と呼ばれる。初代・高宗(石敬瑭)は後唐の二代・明宗の女婿。厳密には石敬瑭が皇帝を僭称した936年時点で後唐はまだ存続しており、同年中に遼(※2。ただし、当時の国号は「契丹」)の助力を得て後唐を滅ぼした。こちらも第十回「東京」で既出。936~946年。

※4「西夏」

中国北西部に建てられた王朝。正式な国号は「夏(又は大夏)」だが、中国古代王朝の「夏」などと区別するため、一般に「西夏」と呼ばれる。1038~1227年。

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