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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十二回  曹刀鬼 岱廟に鼠賊を遇い 董双鎗 旗亭に騙局を暴くこと
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蝉と螳螂と雀

「螳螂」

カマキリ。

「まだそんなに腹も減っちゃいねえし、宿に入るのも早すぎるし…」と、思案顔の曹正は通りを行く。


 いかにありとあらゆる種類の商家がこの奉符に群れ集ってるとはいえ、当然の事ながら「雇ってくれるなら何処でもいい」という訳にはいかない。

 それでは、なけなしの路銀を削ってまで調達した包丁は、宝の持ち腐れも同然だ。


 肉屋であれば申し分ない。

 曹正の作った料理が「金を取れるレベルか」となると、食べる側の好みもあって、一概には言えなかろうが、何も捌くだけなら牛や豚でなくても、鳥でも魚でも捌けるから、客に飯を食わせるような酒家でも宿でも妓楼でも、厨房で下拵えを任される分には戦力になれる。

 まずはその辺りからアタックしてみて、包丁の出番がない業種で働く事を考えるのはそれからだろう。


 そんな事を思いつつ、通りの左右に建ち並ぶ店々に目星をつけながら歩いていた曹正は、再び草参亭に程近い場所までやってきた。

 暑い盛りを避けたものか、夕暮れ迫る頃合いとなって、人の出は曹正らが(もう)でた先ほどの比ではない。


 亭で香を焚く者もいれば、岱廟の中へ進む者、中から出てくる者もいて、草参亭の付近が人でごった返す中──



【…ん?】



 人混みでの立ち居振る舞いというのは、まずもって人混みに慣れなければ、なかなか身に付くものではない。

 それで言えば、開封で生まれ育った曹正など、物心が付いてこの方、かれこれ20年以上は慣れ親しんだ「人混みのベテラン」である。


 人の性格は千差万別ながらも、大抵の人は「善良な人」と形容してまず間違いなかろうが、残りの「大抵でない方々」を何と表現するかはさておきとして、いかに絶対数は少なくとも、人が多く集まれば集まるほど、そんな輩がその中に紛れ込んでいる可能性は上がっていく。当然、紛れている可能性が上がれば、エンカウント率だって上がっていく。


 だから「人混みでは周囲の人間を全て疑って掛かれ」と言うのではない。それでは一生涯、人混みなどには出向けない。

 しかし、全ての人を疑うのは度が過ぎるにしても、人混みにはそういう輩が「居るかも」と思っているのと、(はな)から「居ない」と決めつけているのとでは、エンカウントした時の心構えが全然違う。更にはエンカウントの前に相手を発見してしまえば、当たり判定を躱せる可能性もあるし、最悪、発見した時には手遅れで、どう足掻いてもエンカウントは避けられないとなっても、せめて身構えておく事くらいはできる。


 さて──


 この地の盛況ぶりはなかなかのものだが、開封で鍛えられた曹正の目には何ほどの事もない。

 一国の首都と比べてはさすがに酷だろうが、それこそ折々の祭りや節句、とりわけ元宵節の佳節(本祭)ともなれば、開封城内は通りという通りに人がひしめき、そんなキュッキュウの状況に慣れていない人では、人いきれ(・・・・)だけで体調を崩してしまうほどであるから、その混雑ぶりを知る曹正にとって、いっそこの程度の人出なら快適の部類に入るくらいだ。


 そんな適度な人出の中から「大抵でない者」を見つけ出す事など、曹正には造作もない。


 草参亭の側で大きな柏に(もた)れ、不自然なまでに自然を装って辺りを気にする男。

 パッと見、曹正と同じくらいの歳の頃、背は曹正よりもやや低く、細身で細面、粗末な衣服を纏っている。


 男の方に曹正から目を付けられたと気付いた節はない。

 そのまま周囲を物色し、ふと、とある方向で顔を止めると、しばらくの間ジッと何かに見入っていた。


 人波も利用して男の視界から徐々に外れ、曹正は男の様子を窺う。

 男の視線を辿ってみれば、その先には家族と思しき四人連れ。



掏摸(すり)か…】



 人混みで良からぬ事を企む人間が、物欲しげな顔で狙いを定めていれば、大体「良からぬ事」の相場は決まっている。

 どうやら男はターゲットを見つけたらしい。そして曹正の見る限り、四人連れは揃いも揃って人混みに慣れ親しんでいない──つまりは「(はな)から居ないと決めつけている」側のようだ。


「細身だから」「小柄だから」という理由だけで、曹正は相手を侮ったりはしない。

 同様に、そんな理由で、相手が残忍、酷薄な性格を持ち合わせていない、などとも思ったりはしない。


 とはいえ、である。

 これが人目の少ない荒野のド真ん中や、例えば開封府城の北には野猪林(やちょりん)という、追剝ぎのメッカと知られた鬱蒼極まる林が在り、そういった場所であれば、男が脅しや見せしめとして「殺」を用いたり、更に手っ取り早く「(おう)」(皆殺し)という手段を取る事も考えられなくはない。


 ここは城の中で、周囲には多くの人目もあれば、捕り方だって居る。

「鏖」どころか「殺」を用いて金を奪ったところで、使う間もなくお縄を頂戴するのは、火を見るよりも明らかだ。


 或いはあの男が開封の牛二や、噂に聞いた李二郎のような性格であれば、自分の要求を相手に押し付け、従わなければ「鏖」、野次馬だろうが捕り方だろうが、逃げる際に立ち塞がった者は手当たり次第に「鏖」、同じ「命を落とす」にしても、取っ捕まって首を刎ねられるくらいなら、暴れ回って死ねればそれで本望、という身も蓋もない道を選ぶ事もあるだろう。


 しかし、いくら人は見掛けによらぬといっても、さすがにあの男が、そこまで手が付けられない荒くれ者には、曹正の目に映らない。

 というか、そもそもそんな物騒な事を考えているなら、わざわざ相手を選りすぐる必要からしてない。



【さて、どうしたもんかな…】



 旅先で手元不如意となる辛さは、曹正が誰よりも身に沁みているところだ。

 無論、どう贔屓目に見ても、あの家族の手持ちは曹正の5,000貫などと比ぶべくもあるまいが、路銀を失ったと知った時の衝撃や惨めさは、額の多寡で決まるものではない。


「所詮、自分とは縁も所縁もない四人連れ」と、見なかった事にする事もできなくはないのだが…



【見掛けちまったもんはしょうがねえか。見捨てるのも寝覚めが(わり)ぃし】



 そう曹正が自分に言い聞かせたところで男が動いた。見れば四人連れが焼香を済ませ、廟の中へと入っていくところ。

 背後について付かず離れず、曹正は男を追う。


 男を()けつつ、曹正が改めて男を観察すると、武の心得が全くないという事はなさそうであったが、さりとて何かしらの達人というほどの事でもない。


 男は徒手、対して曹正の手には哨棒(しょうぼう)(旅人が持つ護身用の棒)がある。

 いざという時、心置きなく棒を振り回せるほど、周囲の人混みは薄くないが、万が一その「いざ」を迎えて騒ぎとなれば、野次馬というのは放っておいても遠巻きになるものだから問題はない。勝算は十分にある。


 男が懐に短刀か何かを潜ませている可能性もあるから油断は大敵だが、得物の間合いは圧倒的に曹正が有利だ。それに、いよいよは曹正の懐にも、鞘に入れて忍ばせたアレがある。



【折角の新品を、仕事で使う前から汚したくはねえんだがなぁ】



 曹正さんも随分と物騒な事をお考えになりますな。

 修羅場を経て肝が据わったのか、はたまた最初からそんな性格だったのか…


 身を守るだけなら「汚す」必要なくない?



【つって、いくら新品のヤッパを汚すのが嫌だからって、今、出来んのは、精々奴に悟られねえよう、遠目から四人連れを見守ってやるくらいしかねえか。

 ああして四人連れを()け回しちゃいても、ただ「()け回してる」ってだけじゃあな。それ自体が罪になるような法でもねえ限り、今、問い詰めたところで白を切られて終わりだ】



 今、声を掛けるのは確かに得策ではない。

「白を切られれば終わり」というのはその通りだし、それで男が仕事(・・)を諦めれば、四人連れを助ける事にもなるのだろうが、まかり間違って機転を利かせた男に騒がれでもすれば、懐に刃物を忍ばせた曹正の方が、却って追剥ぎに仕立て上げられないとも限らない。


 目の肥えた曹正に、男の挙動は十中の十「真っ黒」だ。とはいえ、可能性の話をすれば、その見立てがいい方に外れ、このまま何事も起きない可能性もあるにはある。更に期待できない展開を言えば、男と四人連れが知り合いという可能性だって無くはない。


 その辺りを踏まえ、数ある脳内の選択肢から、最も無難と思える「様子を見る」を選んだ曹正であったが──



【まあ、こちとら時間はたっぷりある訳だし?とりま、どんな展開になるか、見るだけは見てみるか。仕事探しは明日からでもいいが、こっち(・・・)は明日って訳には…お】



 西陽門を潜った辺りで、景色に惹かれた四人連れが立ち止まった。釣られて止まった男は、そのまま少し離れた場所から、周囲の宮や殿、楼を見物している風を装い、四人連れの動向を窺っている。



【あの様子じゃ知り合いの線は消えたな。しかし、(あいつ)もまた、出来心で思い立ったズブの素人って訳でもねえだろうに】



 普通、掏摸(すり)()手繰(たく)りの類いを取っ捕まえるのは、事に及んだ後と相場が決まっている。

 それはまあそうだ。事に及ぶ前では相手がいくらでも白を切れるのだから。

 現行犯なら言うに及ばず、仮に犯行の瞬間を目撃していなくても、行為の後であれば、大抵は金の入った財布なり小袋なり、動かぬ証を身に付けていて、言い逃れを許す余地はない。


 まあ、金に姓名を記してある訳じゃなし、掠めたブツが裸銭となると、それはそれでまた話が変わってきてしまうのだが。


 取っ捕まる側もそんな事は分かり切っているから、獲物の挙動は無論の事「いかに素早く動かぬ証を捨てるか」「いかに素早くその場所へ辿り着くか」と、事に及ぼうとする場所の周囲を、事に及ぶ前から周到に観察しておくものだが、同時に「実は周囲に捕り方が潜んでいて、事が起きるのを今や遅しと、手ぐすね引いて待ち構えているんじゃないか」「今はまだ手出しができないから泳がされているだけなんじゃないか」と、場所だけでなく、人に対しても細心の注意を払うものだ。


 男にはそんな素振りがまるでない。

 視線をあちこちに飛ばしているのも、おそらくは周囲を確認しているのではなく、単なる四人連れへのカモフラージュで、いっそ四人連れの事しか見えていないかのようでさえある。



【尾行の感じはそれなりに様になってるように見えたんだがなぁ。


『蝉を捕る螳螂の背に雀ちゃん』(※1)とはよく言ったもんだが、あの螳螂(・・)はよっぽど切羽詰まってんのか何なのか…】



 まさか背後の「スズメちゃん」から、半ば同情のようなものを寄せられているとは知る由もないカマキリであったが、同様にカマキリから狙われているとは露ほども思っていない四匹のセミが先に動いた。


 まず、古碑に見入る父親と思しき年配の男性から、母親と思しき年配の女性と、娘か息子の嫁か、歳若い女性が揃って離れ、五岳楼の方へと歩いていく。

 次に息子か娘の婿か、歳若い男性がやはり年配の男性から離れ、他の古碑を見に行った。


 他人からどう見えるかは分からない。しかし、曹正の目にははっきりと、男が目に見えない鎌を(もた)げる様が見えた。


 人波に揉まれるように歩き出した男は、年配の男性の背後を一旦、素通りして廟の奥へ向かう。



【ま、正解だな。手前からより、奥からすれ違い様に()ってくれた方が、こっちも追い掛けなくて済むから楽だし。


 てか、あのままいっそ諦めてくれりゃあ、これほど楽な話はねえんだが】



 人の混み具合は、廟内のどこであってもそれほど変わりはない。だが、流れ方が違う。


 奥へ向かう人の流れは、廟内を観光しつつ進むので、それほど早くはない。片や、手前に向かう人の流れは、すでに見るべき物を見終えた者が多いので、比較的早い。

 廟の中で動かぬ証を処分するにせよ、外で処分するために一刻も早く廟から立ち去るにせよ、とにかく仕事場(・・・)から一目散に離れる事に違いはないのだから、その歩みがどちらの人波に紛れ込み、目立ちにくいかは考えるまでもない。


 見失わないよう、曹正が遠目に注意深く観察していると、男は特に何も無いところで立ち止まり、衣服を直してみたり、足元を気にしてみたり…



【まあ、呑気に樹の蜜すすってる蝉を前に、鎌を振り上げてから諦める螳螂もいねえか】



 溜め息を一つ零し、曹正は人波を縫って、男と年配の男性を結んだ延長線上に向けて歩き出す。

 曹正がその線上に至って見遣(みや)れば、チラチラと機を窺っていたカマキリも、丁度、擡げた鎌を振り下ろす決意を固めたようだ。


 軽く肩を回したりなんかして素知らぬ風を装い、景色に目を奪われる風を装い、男は古碑に止まるセミに向かう。

 それに合わせて更に曹正も動いた。


 男が獲物と接触するタイミング、獲物を仕留めた後で男がどう動くか、その男と自分がどこで接触するか、そこで男をどう引き留めるか、男が抵抗したらどうするか、などなど。


 考え得る事を考えながら、早すぎず遅すぎず、最良のタイミングで男と鉢合わせるよう、曹正もセミに近付いていく。


 すでに男の視界には、曹正の姿がはっきり映り込んでいるはずだ。その気配を察して男が仕事を断念してくれれば儲けもの──というところで、曹正は遅ればせながら(はた)と気付いた。



【…あ!あの野郎を付かず離れず見張っとくんじゃなくて、四人の方に付かず離れずくっついてりゃあ良かったのか。んで、奴の視界ン中で意味ありげにウロチョロしてりゃあ、今頃はとっくに諦めてたかもしれねえのに。しまったー】



 大体だね。

 世の中、往々にして何かの解決策を探している(カマキリ)は、たとえ次善手以下の手であっても、一旦それが「最善手(セミ)」に見えちゃうと、もう他の手については検討もしなくなっちゃって、思考の外にある「真の最善手(スズメ)」に気付けなくなるものなのだよ。

 だって、もうその人の中じゃ最善の(・・・)一手が見つかっちゃってるからね。


 分かったかね?最も無難な策を選んだと思い込んでいたスズメちゃんよww


 残念ながらセミに夢中のカマキリには、今に至ってスズメの姿が見えていないようだ。

 そして、残念ながら曹正は気付くのが遅すぎた。


 振り上げた鎌は今、将にセミへ向けて振り下ろされ──


 不注意を装った男が年配の男にぶつかり、二人はもつれ合って倒れ込む。

 謝りながら先に立った男は、年配の男に手を貸して立たせると、また懇切丁寧に詫びた。


 年配の男の許しを得ると、男は曹正の方へ向かって歩き出す。



【もうちょいよく考えてりゃ、わざわざこんな面倒な事しなくて済んだのに…馬鹿だな、俺も】



 すでに男は仕事を終えた後だ。二人が倒れ込んだ瞬間、男が年配の男の懐から何かを抜き取るところを、曹正は確かに見た。


 避けられたはずのエンカウントを、自分の短慮で招き寄せたと嘆く曹正の顔は、正に苦虫を嚙み潰したかのようである。とはいえ、事ここに至って男を見過ごすという手はさすがにない。

 そもそもが「このまま見過ごしたら寝覚めが悪い」と思ったからこそ、曹正は今ここに居るのだから。


 してやったりと口元を軽く緩める男の当たり判定は、もはや避けようがないほど、曹正の超至近距離にまで迫っている。


 だが、実は──


 曹正は知る由もない。

 人生の双六で起きるイベントは全て必然で、そこに「はず」という概念はない。


 ひとマス進んでは回避不可能のイベントをこなし、そしてまたひとマス進む。


 だから今、曹正が男や家族と関わったのも、決して曹正の短慮が原因ではない。

 この「泰山の麓」というマスには、曹正の身に起こるイベントが、最初からちゃんと書いてあったのだ。


『岱廟で掏摸(すり)に狙われた家族を助ける』と。

※1「蝉を捕る螳螂の背に雀ちゃん」

中国の成語、諺。ですが、いくら語呂を合わせるにしても「雀ちゃん」はちょっとやり過ぎな気がしますww中国語では「螳螂捕蝉、黄雀在後」と書き、直訳すると「蝉を捕る螳螂の後ろにいる雀」。これに類する最も古い記述は『庄子』という書物にあるそうですが、有名なのは『説苑(正諫)』にある一節です。該当する部分の原文は長いので省略しますが、周囲に敵がひしめく中、楚に攻め入ろうとする呉の王を、息子が諌める際に用いた例えとして記されています。「他者(蝉)の隙を窺おうと躍起になる者(螳螂)こそ隙だらけで、その隙を背後から第三者(雀)に狙われている(事に気付けない)」。平たく言うと「視野が(両方の掌を広げて両目の前で向かい合わせにし、前に突き出しながら)こう(・・)なっちゃってっからぁ。気を付けないとぉ」って感じでしょうかね。

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