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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十二回  曹刀鬼 岱廟に鼠賊を遇い 董双鎗 旗亭に騙局を暴くこと
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出会いと別れ

「董双鎗(そうそう)

登場人物の姓と綽名(あだな)を組み合わせた造語。


旗亭(きてい)

宿屋。古代、中国では宿屋の目印として「酒旗(しゅき)」と呼ばれる旗が立てられていた事から。


騙局(へんきょく)

イカサマ。ペテン。

 世の中、上には上がいる。

 そんな使い古された言葉は、曹正だって百も承知だ。


 この先、どれほど鎗棒(そうぼう)の腕を磨こうと、遂に己は王進や林冲を超えられまい。

 この先、どれほど商いに励み、財を成そうと、己の名声は生涯、董博の足元にも及ぶまい。


 ただ、それは裏を返せば、未だ曹正が出会えていないだけで、そして、そう簡単に出会えるものでもなかろうが、この広い大宋国土のどこかには、王進や林冲の武を超え、董博の名声を凌ぐ者がいても全く不思議ではない、と考える事もできる。


 そして──


 出会いというものは、得てして唐突に訪れるものだ。


 別れを惜しむ曹正と宋万は、酒家(しゅか)(居酒屋)で酒と軽めの肴を頼み、しんみりと酒を酌み交わす。


 開封(かいほう)を発った時のように、曹正としては時間の許す限りこうしていたいのは山々なのだが、あまり長々と引き留め、出立を遅らせてしまっては、却って宋万に道中の苦労を強いる事にもなり兼ねない。


「哥兒(宋万)には世話になりっ放しだったなぁ」

「そんな事ないよぉ~。おいらこそぉ寨を抜けてからは小哥(曹正)に助けられたしぃ~」

「…俺、何か助けたっけ?」

「ここまで来れたのは、小哥が路銀の都合をつけてくれたお陰だぞぉ~」

「…ああ!あんなのは別にどうって事ねえけど」


 などと話している間にも器の酒は干されていき、曹正が代金を払って店を出た。


「せめて城門までは送るから」と、二人で肩を並べて西門へ向かう。

 城内を南北に貫く川を渡り、前方には西の城壁が近付いてきた。


 会話のために宋万を見上げていた視線を前に戻した瞬間──



【……!?!?】



 あり得ない光景に曹正は気付いた。


 街外れとなり、人の往来はそれほどない。

 そのどれほどもない内の一人、丁度、城壁側から曹正の真正面に向かってくる男の顔が、曹正の目線と同じ高さにあるのだが、なぜかその上にもう一つの顔がある。


 少し歩き、その男とすれ違ったところで、曹正はその理由に気付いた。

 と同時に、曹正の叫び声が周囲に響き渡る。


「…デカぁっ!!」


 曹正が声を上げてしまったのも無理はない。


 通りで曹正とすれ違った男の、少し後方からやってきた男。


 他ならぬ曹正自身が「世の中、上には上がいる」事を痛感している。

 十分すぎるほど十分に非常識な宋万の体躯にしても、この広い国土を隈なく捜せば、どこかには更に上をいく巨躯の持ち主だっているのだろう、と理屈では分かってもいる。


 しかし、頭でそう思ってはいても、まさか今の今、遭遇するとは夢にも思っていなかった。


 立ち止まり、悠然と歩く男の姿を呆然と眺める曹正が、ふと同じように立ち止まった宋万を見上げれば、やはり唖然とした面持ちで、道行く男を眺めている。


「な、何だ、お、俺の顔に何か付いてるのか?」


 掛けられた声で曹正が我に返った時、すでに男はすぐ側まで来ていた。


「あ…こ、これは失礼致しました。あまりに見事な帥哥(すいか)の体躯に思わず見入ってしまいまして…どうかお許し下さい」

「そ、そうか」


 二人が慌てて拝礼すると、男も鷹揚に礼を返す。


「手前は商いを志して開封から参った曹と申しますが、宜しければ帥哥の御芳名をお伺いしても…?」

「お、俺は姓を(いく)、は、排行(はいこう)(兄弟姉妹の長幼順)が四番目で、な、名は保四(ほうし)。せ、青州(せいしゅう)の生まれだが、ガ、ガキの頃から各地をさすらい、い、今は河北で…う、馬を扱っている」

「…ああ、商売人仲間でしたか。手前は一字名で正と申します」

「おいらは姓を宋、名は一字名で万だぞぉ~。お見知りおきを~」


 改めて曹正が並んだ二人を見比べてみれば、自分より頭二つほど抜きん出た宋万の、更に拳一つ二つほど郁保四は上をいく。

 これから暑い盛りに向かう時期であるからか、はたまた生地を節約しているのか、或いはそもそも見た目をあまり気にしないタチなのか、宋万の上下が七分袖、七分丈であるのに対し、郁保四の上下は正しく半袖、半褲(はんこ)(短パン、半ズボン)といった趣である。


「でもぉ驚いたなぁ~。おいらと同じくらいの背格好ならぁ知り合いに一人いるけどぉ、明らかにおいらよりぃ背が高いって分かる人に出会ったのは初めてだよぉ~」

「マジで!?」

「…?ホントに初めてだけどぉ~?」

「いや、そっちじゃなくて!哥兒くらいのタッパの人って、そんなゴロゴロいるもんなの!?…え、何?もしかして、俺が知らないだけで、俺って実は背ぇ低い…?」


 そんな事はない。

 曹正さんの背が「低い」となったら、どこぞの押司や、更に背の低いどこぞのドスケベなドチビを、どう表現しろと言うのかね?


「ゴロゴロはいないよぉ~。小哥より背の高い人は珍しくないかもしれないけどぉ、だからって小哥の背が低いって事にはならないぞぉ~」

「た、確かにな。た、単に俺達が人並外れてデカいだけだ」

「そうですよねぇ…」

「し、しかし、な、長らく宋の各地を渡り歩いてきたが、こ、ここまで俺に迫る体躯の持ち主には、お、俺も初めて会った。か、風の噂に、お、俺と並ぶ背格好の者がいると、き、聞いた事はあるが」

「へぇ~。世の中ぁ捜せば上には上がいるんだなぁ~」

「いや…それ、哥兒の噂じゃね?ああ、それか哥兒の…知り合い?の事かもだけど」

「せ、姓名は…わ、忘れた。だ、だが、確かに宋帥哥か、し、知り合いの事かもしれない。そ、そう何人も、お、俺や宋帥哥に並ぶ者がいるとも思えない」

「まあ~、噂は尾鰭が付くとぉ、どんどんデカくなってっちゃうからなぁ~」


 背が高い者同士で惹かれ合ったものか、或いは別に惹かれ合う「何か」があるのか、すぐに意気投合した宋万と郁保四は、暫しその場で語り合う。

 無論、そこで曹正が爪弾きにされたという事ではないのだが、遠目には親世代の会話に首を突っ込む、こまっしゃくれた子供の図──のように見えなくもないところは御愛嬌と言おうか、何と言おうか…


「郁帥哥もぉ商いの無事を願って岱廟にお参りかぁ~?」

「ん、んん。そ、そんなところだ」

「聞いたかぁ、小哥ぁ~。この辺りでぇ府君(東岳大帝)や娘娘(にゃんにゃん)(碧霞元君)を蔑ろにする不届き者なんてぇ小哥くらいのもんだぞぉ~」

「だから!人聞きが悪すぎるっての。さっき、ちゃんとお参りしてきたじゃんよ」


 下から見上げて口を尖らせる曹正と、優しい笑みを浮かべて上から宥める宋万の様はもう、完全に駄々を捏ねる子供と、それをあやす父親そのものだ。もはや遠目がどうとかのレベルじゃない。

 何とも微笑ましい光景に、それまで無愛想だった郁保四も思わず頬を緩めた。


「もう少し帥哥と早く会えてたらぁ、一緒にお参り出来たんだけどなぁ~。おいら達はもう済ませてきちゃったからぁ~」

「もう一回すればいいじゃん。別に『一回じゃなきゃダメ』なんて決まりは無いんだろ?」

「そろそろ発たないとなぁ~。あんまり遅くなってぇ、明るい内に次の宿場まで辿り着けないと困るしぃ~」

「い、いや、いい。よ、予定があるのを無理に引き留めては、か、却って申し訳ない。き、気持ちだけ受け取っておく。え、縁があれば、ま、また何処かで会う事もあるだろう」


 そう言って拝礼する郁保四に二人も礼を返す。

 そのまま人波に呑まれ、姿が見えなくなるまで見送…るつもりの二人であったが、なにぶんまっすぐな通りの事、郁保四がどこまで行っても、道行く人影から頭が飛び出ていてキリがない。

 ある程度まで見送って、二人はまた西門に向かって歩き出した。


「小哥ぁ、良かったのかぁ~?」

「ん?何が?」

「あの人ならぁ助っ人を頼めたかもしれないぞぉ~?」

「折角、諦めたトコで思い出させるような事を言うかね…『奪われちまったモンは諦めて、商いに精を出せ』って言いたかったんじゃなかったの?」

「そうだけどぉ、小哥だって『千載一遇の機会があったら考える』って言ってたろぉ~?小哥が言わないのにぃ、おいらから言い出すのもどうかと思ってぇ黙ってたんだけどぉ~」

「てか、寨へ乗り込むにしたって、あいつはダメだな」

「まあ、生業があるのにぃわざわざ危険な橋は渡らないかぁ~」

「そうじゃねえって」


 苦笑と共に曹正は、人の好い隣の男を見上げる。

 どうやら郁保四の言葉を額面通りに受け取っているようだ。


「んん~?」

「やっぱ気付いてなかったか。あいつ、堅気なんかじゃねえよ?」

「でもぉ、馬を『商ってる』って言ってたぞぉ~」


 はぁ、と曹正は溜め息を一つ。


「『商ってる』じゃなくて『扱ってる』って言ったんだよ」

「同じだろぉ~?」

「全然、違うって。何かを正当な手段で仕入れて売るのが『商い』。『扱う』だけなら、他人から騙し取ろうが()(ぱら)おうが、仕入れる手段は何だっていいの。あいつ、生業を言おうとした時、一瞬、言葉に詰まったろ?まあ、馬には関わっちゃいるのかもしれねえけど、何か(ろく)でもねえシノギで飯を食ってるいい証拠だよ。それを正直に言ったら体裁(わり)ぃし、つって丸っきりの嘘を()くのも気が引けるから、咄嗟にそれっぽい言葉を捻り出した、ってトコじゃねえか?」

「勘繰り過ぎじゃないかぁ~」

「それだけじゃなくてさ。普通、商いに携わってる人間は、もうちょっと外見に気ぃ遣うもんだよ。別に衣服がどんなだからって、それで人としての価値が変わったりはしねえけどさ、世の中そう綺麗事ばっかも言ってられねえのよ。そこに銭が絡むと尚更ね。商売の相手に選ぶか否かの判断基準として『見た目』は大事だから」

「そういうもんかぁ~」

「いや、堅気が良かったとか、アコギな生業だからダメだとか、そういう事を言ってんじゃねえよ?役人だろうが堅気だろうが私商(ししょう)(闇商人)だろうが、信用出来ねえ奴は生業が何だって信用出来ねえんだからさ。ただなぁ…」


 纏っている衣服が、それを纏う人の価値を決めたりはしないように、生業は何であれ、それだけが人としての信用を決める訳では決してない。


 もし、就いている生業だけでしか、信ずるに値する人間か否かを決められないのであれば、いくら危ういところを助けてくれたからといって、賊の一味であった宋万を信じた曹正は救いようのない愚か者、という事になる。

 商いの元手を失い、今は無職の曹正は、故郷に戻ったところで王進や林冲、董博らは言うに及ばず、家族すらも全く相手にしてもらえない、という事にもなる。


 元より道端で出会い、僅かに言葉を交わしただけの相手であるから、それだけで本性を見抜こうというのが土台、無理な話ではあるのだが、その得られた数少ない情報から曹正が二の足を踏んだ最大の理由も、当然、郁保四の生業ではない。


「生業は何でもいいから、はっきり言ってくれりゃ良かったんだよ。そしたら俺も少しは考えたかもしんねえけどさ。『何で初対面の相手にそこまで言う必要があるんだ』って言われりゃ、確かにそうなんだろうけど、面と向かってああいうバレバレの嘘っつーか、見え見えの小細工っつーか、小賢しい真似されちゃうと、命を預ける相手としてはちょっとねぇ…」

「なるほどなぁ~」

「ま、こればっかりはしょうがねえよ」


 未練を断ち切るように、曹正は呵呵と笑う。


 ほどなく二人は城門を潜った。


「小哥ぁ、見送りはここまででいいぞぉ~」

「んん…」


 人の一生には星の数ほどの出会いと別れがある。

 中には何の感慨も抱けない別れもあり、人生に何も益するところがない出会いももちろんある。


 感傷に浸る別れというのは辛いものだが、その別れはまた、人生を彩る貴重な経験でもある。

「別れ難い」と思えるほど、気の合う相手に出会えたという事なのだから。


 まだ30年にも満たない曹正の人生に、後ろ髪を引かれるような別れの経験は、正にこの旅の嚆矢(こうし)、開封を発ったあの日のただ一度しかない。


 そして今、二度目の(とき)は目前に…


 名残を惜しむよう、二人は互いに顔を見合わせると、


「時間が取れたらぁまた会いに来るよぉ~」

「まだ、奉符(ほうふ)で仕事が見つかるかは分かんねえけどね」

「ああ~、そっかぁ~」

「それより、落ち着き先が決まったら俺から会いに…行けるかどうかは雇い主次第だけど、誰か鄆州(うんしゅう)に立ち寄る予定の人間がいたら文を届けてもらうよ」

「んん~、おいら読み書きはあんまり得意じゃないんだけどなぁ~」

「はは、簡単な言葉で書くさ。その哥兒の知り合いって、鄆州のどの辺りに住んでんの?」

「小哥は李家道(りかどう)って知ってるかぁ~?」

「『李家道』?んー、どっかで聞いたような、聞かなかったような…」


 曹正は小首を傾げ、腕を組んでこれまでの道程を頭でなぞる。


 開封を出て広済河(こうさいが)に沿って、済州(さいしゅう)へ。

 そこから、巨大な湖沼の東岸を北へ向かって鄆州(うんしゅう)へ。

 更にそこから、鄆州を縦断するように北へ──


「…あ!そういや確か、あのナントカって湖の東を通ってる時、そんなような地名を聞いたっけかな?」

「そうそう~、その梁山泊(りょうざんぱく)って湖の東岸にぃ李家道ってトコがあってぇ、湖の畔に酒家があるからぁ、文ならそこに届けてくれればいいよぉ~」

「ん?何、酒家で働くの?」

「どうかなぁ~。知り合いがその酒家にいるから訪ねてみるけどぉ、そこで働く事になるかもしれないしぃ、別の仕事をするかもしれないしぃ~」

「ああ、そういう事か。分かった、李家道の酒家ね」


 いよいよ別れが迫り、曹正の胸には万感の思いがこみ上げる。

 一度目の時のように、曹正が宋万の身体を抱きしめると、


「…!?小哥ぁ、どうしたぁ~!?」


 と、目を白黒させつつも、宋万は暫し曹正のするに任せていた。


 ややあって、曹正は抱擁を解いて表情を改める。


「哥兒は命の恩人だ。もし何か困った事があったら、いつでも頼ってくれよ。力になるからさ」

「ああ~、そうさせてもらうよぉ~」

「人が好いのも結構なんだけどさ、あんまり他人(ひと)の言う事、真に受けんなよ?」

「ええ~、おいらそんなに騙され易いように見えるかぁ~?」

「いや、見えるってかさ…」


 差し当たっては鄧虎のベタなヤツとか、郁保四の口から出任せなヤツとかね。


 まあ、郁保四の方は曹正の想像で、まだ口から出任せと決まった訳ではないが。


 それを曹正からくどくど説明された宋万は口を尖らせ、


「んん~、そうかもしれないけどぉ、なかなか難しいなぁ~」

「難しくてもやるの!世の中、口が上手い奴なんて腐るほどいるんだから」


 傍目には宋万と親子ほど背の離れた曹正であるが、いざ別れを迎えるにあたり、下から見上げて小言を並べるその様は、正に旅立つ我が子を案ずる()親と見紛うばかりである。

 さすが林冲は長年、曹正と親交を持っていただけの事はある。その見立ても、あながち間違いではなかったようだ。


 それを「お節介が過ぎる」と煙たがる向きもあるだろうし、人によっては「ウゼえ」と敬遠する事もあるのだろうが、そう思われるほどに世話焼きな曹正の性格は、お人好しと見えるほどに義理堅い宋万と同様、やはり長所と言って然るべきだろう。


 ひとくさり曹正の小言が終わると、やがて二人は姿勢を正し、どちらからともなく深々と礼を交わした。

 身体を戻し、互いに顔を見合わせ、清々しくも諦念を秘めた微かな笑みを、ふっと零す。


「じゃあ~、行くよぉ~」

「ああ、元気でな」

「小哥もぉ商いに励むんだぞぉ~」

「分かってるよ。気を付けて行きなよ」


 短く言葉を交わし、宋万は(きびす)を返した。


 しばらく進んでは振り返り、互いに手を振り合ってはまた振り返り、そんな事を何度も繰り返しつつ、宋万は徐々に傾く日を追って行く。


 その巨体が視界から完全に消え去るまでその場で見送り、寂寥の溜め息を一つ零した曹正は、また雑踏(かまびす)しい城内へ戻っていった。

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