閑話休題「開封府(2)」
前回の閑話休題の続きです。なので「前書き」も基本的に前回と同じという事で一つ。
林冲(以下「林」):うへぇ、マジかよ…てか、俺、この回は登場すらしてないんですけどー。
王進(以下「王」):それは私のセリフだ。
林:あ、良かった。
王:何がいいって!?
林:あ、ああ、いえ、全然見ず知らずの人と一緒だったらどうしようかと…
王:別に構わんだろう、それくらい。子供じゃあるまいし。
林:そ、そうですよね。師匠(王進)なら相手が俺じゃなくても、立派に務まりますもんね?じゃ、誰かこの回に出てきた人と代わってもらってきますから、あとは宜しくおねしゃす。
王:却下だ。呼ばれた以上、最後まで付き合え。
林:えぇ~…
【運河】
王:さて、本編でも触れられてたが、当時、開封城内にはめぼしいもので四本の運河が引き込まれてた。
林:汴河と広済河は紹介されてましたね。
王:他に蔡河と金水河だな。蔡河は別名、恵民河とも呼ばれるが。
林:おおよその流路は──
「広済河」
・新城北面(中央やや西)→外城を南東へ流れ下る→新城東面(中央やや北)へ
「汴河」
・新城西面(ほぼ中央)→旧城西面(中央やや南)→内城を南東へ貫いて旧城東面(南端付近)→新城東面(中央やや南)へ
「蔡河」
・新城南面(中央やや西)→北流し、外城内で東へほぼ直角にターン→外城内で今度は南東へターン→新城南面(東端やや西)へ
「金水河」
・新城西面(北端やや南)→南東へ→旧城西面(北端やや南)→南東へ→宮城西面(中央やや北)→大内へ
…って感じですね。
王:本編では広済河と汴河が直接、繋がれてるような書き方をされてたが、実際には開封府城のすぐ西で、金水河を介して接続してたようだ。
林:…もしかして、最初から俺達に説明させる気だったとかじゃありませんよね?
王:さぁな。金水河を除く三本は「漕運四河(渠)」に数えられ、開封と各地を繋ぐ重要な水運路となっていた。そこに金水河を含むとする資料もあったが、金水河は大内に引かれてる事からも分かるように、水運用の運河というより、大内の生活用水や池泉の水源、或いは水運に使うとしても、専ら大内の建築や修繕資材の運搬用として活用されてたようだ。
林:何かこっちの作者はずいぶん四河に拘ってアレコレ書いてますけど、そんなに『水滸伝』に出てくるんですか?
王:汴河が名前だけチラっと出てくるくらいだな。尤も『水滸伝』では「汴水」と呼ばれたりもしてるが。
林:…もう終わりで良くないっすか?
王:但し、運河に架かる橋ならそれなりに出てくるぞ。
林:ああ、橋も結構、架かってますもんね。
王:『水滸伝』に登場するのは金梁橋と太平橋、それから州橋と天漢橋だ。
林:ん?州橋と天漢橋って…
王:ああ、同じ橋だ。
林:ですよねぇ。天漢橋が正式名称ですけど、何で使い分けたんですかね。別の橋と勘違いしてたとか?
王:いや、同じ橋だと認識はしてたようだな。『水滸伝』での初出は第6回に「州橋」とあり、第72回では「天漢橋」となってるが、第12回に「天漢州橋」と「州橋」という、二つの表記が混在してる。
林:って事は、これもやっぱり、元々あったエピソードをそのまま取り入れた、って事ですかね?
王:恐らくな。天漢橋は汴河に架かる橋だが、他の橋と比べても一際、豪奢な装飾が施されてたと『東京夢華録』にはある。ちなみに、金梁橋も汴河の橋だが、太平橋は蔡河に架かる橋だ。
林:そりゃまあ、天漢橋は御街が汴河を渡る橋ですからね。陛下が通御なされるかもしれないのに、ショボい見た目じゃ仕方ないでしょ?
王:その通りだが、賢弟(林冲)に言われると何か釈然としないな。
林:理不尽!?
王:っていうか、ムカつくな…もぐか。
林:師匠、コンプライアンス的に問題ありまくりですよ!?
【樊楼】
林:ああ、そういえば前回「街並み」のところで名前が出てこなかったから、気にはなってたんですよね。
王:開封の酒呑みに、この酒楼の名を知らぬ者はいないと言っても過言じゃない、言わずと知れた超有名店だな。「潘楼」と違って、こちらは何度か『水滸伝』の舞台として登場している。
林:俺も何度が行った事ありますよ。いい酒、出しますよねー。
王:そうか…何よりだな。
林:…師匠、この前から思わせ振りなその間は何ですか。
王:賢弟。一度、知ってしまったら、知らなかったあの頃にはもう戻れないんだぞ?
林:えぇ~…俺『水滸伝』で、どんなドイヒーな目に遭わされんのぉ…
王:当時、開封城内には数え切れないほどの酒家、酒楼が在り、その中で72の酒楼が名店として数えられてた。そこに挙げられるだけでも店主としては名誉な事だろうが、樊楼は更にその中でも随一と謳われてる。
林:あぁ、また俺の不安は無視…
王:この小説での表記は『水滸伝』に倣って「樊楼」だが、後書きにある通り正式な名称は「礬楼」のようだ。但し『東京夢華録』には『白礬楼』とあり、後に年代は不明だが『豊楽楼』へ改称したとある。また、宣和年間(1119~1125年)に改修された事にも触れられており、改修前の様子については書かれてないが、改修後の概観として『五つの楼閣は三階建てで相高く、互いに向き合い、欄干を持った空中回廊で繋がれている』と描写されてる。
林:へぇ~、そりゃまた豪勢な。ところで、後書きにあった「誤刻」って何ですか?
王:後書きにあるが「樊」は店主の姓で、しかも「礬」と同じ発音だから、誤って後世に伝わり『水滸伝』で「樊楼」となった、という説がある。ただ、そうではなく、本としての『水滸伝』を制作する過程でのミスという可能性もある。
林:…?「誤字」や「誤植」じゃなくて??
王:誤字といえば誤字だが、誤植とは呼べんな。本来、誤植とは「植字の誤り」、つまり活字印刷に対して使用する言葉だ。対して、成立当初の『水滸伝』は全て木版印刷と考えられてる。
林:木版印刷は版木に一葉、現代での「2ページ」にあたる文字を全て彫り、そこに墨を塗って紙を押し当てる印刷手法ですよね?
王:「礬」が「樊」と伝わって──つまり、初めから「樊」と彫るつもりで版木に文字を刻んだのなら、誤刻と言えるかどうか微妙なところだが、字面だけなら「礬」と「樊」は、下に「石」が付くか付かないかくらいの違いでしかない。下書きなり何なりを目にした彫師が、いざ版木に写す際「礬」と「樊」を誤って刻んでしまったとなれば、表現はやはり「誤刻」だろう。
林:まあ、活字と違い、木版は間違えちゃうと、たとえ一文字でも直すのが容易じゃないですからね。上手く間違った文字だけをくり抜いて、そこに正しい文字を嵌め込む手法もあるんでしょうが、下手すると版木一枚丸々彫り直し、って事にもなり兼ねませんし。「発音も同じで見た目も殆ど同じなんだから、『石』の一つや二つが無かったぐらいで、ガタガタ騒ぐんじゃないよ」なぁんて彫師が考えても不思議はないか。
王:いや、私は彫師も一生懸命、丹念に彫ってくれたんだと思うぞ?仮に誤刻だったとしても、たまたまだろう。それを「石の一つや二つが無かったぐらい」なんて、さも適当な仕事をしたような物言いをされて…彫師も報われんな。
林:うーわぁ、師匠きったねぇ…
王:「汚ない」とは何だ!?
林:師匠だけ好感度、爆上がりじゃないですか。
王:私が上げたんじゃない、お前が勝手に下がってったんだろうが。
林:彫師の皆さん、一生懸命『水滸伝』を彫っていただいて御苦労さまですありがとうございます。文句なんてコレっぽっちもありません。
王:全く、調子のいい…さて、かくも有名な樊楼だが、実は開封城内のどの辺りに店を構えてたのか、正確な位置は分かってない。『東京夢華録』には建屋から禁中(大内)が見えるとあって、宮城に近い場所に店を構えてたらしい事は分かるんだが。
林:いや、師匠、さすがにそれは…
王:何だ?
林:だって…俺もう「何度か行った事ある」って言っちゃいましたよ?
王:何処に在った?
林:えっと、御街の北の方ですけど…
王:そうか、御街か…樊楼の位置については「御街(宮城の南)」説と「宮城の東」説があり、この小説での設定上、どっちの説を採用しようか作者もまだ迷ってたらしいんだが、賢弟がそう言うなら、御街に店を構えてる設定にするしかなさそうだな。
林:えっ!?いやいやいや…え?マジですか??マジでこの小説での樊楼の位置、さっきの俺の言葉で決まっちゃったの??
王:マジじゃない。こっちの小説じゃ、最初から樊楼の位置は御街の設定だ。
林:師匠…
王:『水滸伝』には直接的な表現こそないものの、樊楼が御街に店を構えてると読めるような記述があるからな。現代の開封市でも、復元された樊楼(名称は「礬楼」)は「宋都御街」──呼んで字の如く、宋代に御街とされていた通りの北端付近に建てられてるようだ。
林:ホッ…
王:ただ、実際のところ御街説は旗色が悪いらしい。こちらも直接的な記述はないものの『東京夢華録』の記述からは、樊楼の立地が宮城の東から北東界隈と推察できるし、また『東京夢華録』だけでなく、他にもいくつか「宮城の東」説を補強する資料もあったりで、ピンポイントな所在地は不明ながら、現在は「宮城の東」説が有力となってるようだ。
林:それが何で御街に再建されたんでしょうね?
王:さぁな。こればかりは最終的に決定した人に聞いてみない事には。まさか『水滸伝』で御街にあったように書かれてるから、なんて事はないと思うが。
【大相国寺】
林:開封随一の古刹ですね。
王:『水滸伝』の第6回に登場する名刹だな。さっき運河の項で「第6回に州橋という名称が出てくる」と紹介したのは、この大相国寺の場所を説明するシーンの事だ。とある旅の僧から道を聞かれた開封の住人が『前面州橋便是(州橋の前にあるのがそう=大相国寺です)』と答えてる。
林:「前」と言えば前ですけど「天漢橋の北東の斜向かい」くらいがより正確ですかね。
王:大相国寺の建立は555年とされてるから、本編の頃でも550年以上の歴史を持ってる事になるな。建立時の名称は「建国寺」だったそうだ。
林:とはいえ、宋代の頃でも建立当初の姿をそのまま伝えてた訳じゃなく、火災や水害などの影響で、既に何度も再建されてたみたいです。
王:現在の大相国寺も宋代以降に再建されたものだが、位置的には本編の頃とほぼ同じ場所に建てられてるようだ。ああ、そうだ。さっきの「大相国寺の場所を尋ねた僧侶」は、林提轄と顔見知りらしいぞ?
林:親父と!?
王:『水滸伝』の第7回で僧侶が自らそう語ってるからな。林提轄自身は『水滸伝』に登場せず、この小説で言う「兵馬提轄」である事がそこで語られてるだけだが。
林:まあ、親父の出番が無かったところで、どうって事はありませんけど…でも、大相国寺を訪ねるんですから当然、仏僧ですよね?その僧侶って有名な方ですか?
王:有名…んん、まあ『水滸伝』の中じゃ「超」の付く有名人だな。
林:僧侶で超有名人…親父にそんな高僧の知り合いなんていたかな…?
【上清宮】
林:ん!?上清宮って──
王:違う。
林:…まだ途中でしたけど?
王:最後まで聞かなくても分かるが、最後まで言ってみるか?
林:上清宮って楔子(プロローグ)に出てきた──
王:違う。
林:冗談ですよ。開封の説明してるんだから、分かってますって。てか、師匠も知ってたんですね、そーゆートコ♡
王:名前だけだが『水滸伝』に出てくるからな。
林:ホントですかぁ?
王:そう言うお前は詳しそうだな?
林:えっ!?えーっと、詳しいってほどじゃ…男の嗜みと申しましょうか、何と申しましょうか…ゲフゲフ。
王:嗜みがあるなら説明してくれ。
林:ずっちぃなぁ…えと、上清宮ってのは朝陽門を入ってすぐのトコにある妓館です。
王:ずいぶん、あっさりだな。詳しいんじゃなかったのか?
林:ですから、詳しいなんて一言も言ってないじゃないですか。
王:朝陽門は新宋門とも呼ばれる、新城東面の正門だな。東面に二つ置かれた人流用の門の内、南側の門だ。本編でも説明されてたが。
林:妓館ってのは、本編の言葉を借りれば「接待を伴う飲食店」と申しましょうか、何なら「接触を伴う飲食店」と申しましょうか、まあざっくり言うと「大人なお店」ですね。
王:ほお、接触を伴うのか。詳しいじゃないか。さすが、嗜んでるだけの事はある。
林:いやいや、これくらいは別に一般常識の範囲内でしょ?てか、何でここで紹介してるんですか?
王:開封が舞台となってる『水滸伝』の第72回に、上清宮に行ってきたというお方が登場するからな。
林:Oh、それはそれは…お楽しみでしたね?
王:こっちの作者も最初は『水滸伝』の第1回、この小説の楔子に登場する道教の総本山、信州・龍虎山の上清宮だと勝手に思い込んでようだが、よくよく考えれば、開封と信州・龍虎山は800km近く離れてるからな。
林:現代の話じゃないんですから、さすがに1日でその距離を移動するのは…風の噂に聞く「神行太保」でさえ日に800里、500kmに満たない距離しか移動出来ませんからねぇ。
王:そこで「宮」が道観の名称によく使われる事から「開封の近場に『上清宮』という道観が在って、そこに行ってきたんだろう」と解釈して、勝手に納得してたらしいんだが、この小説を書くにあたって『東京夢華録』を読み、勘違いに気付いたという訳だ。
林:『東京夢華録』ヤバいっすね。そんな事まで書いてあるんですか?
王:まあ、簡単にだがな。当該部分を要約すると『上清宮は新宋門(朝陽門)から続く通りの北に在り(中略)醴泉観(中略)観音院(中略)景德寺(中略)これらは全て妓館だ』とある。
林:Oh、これまた色々と…もしかして『東京夢華録』の作者もお楽しみでしたか?
王:『東京夢華録』には他にも妓館がいくつか挙げられてるが、仏寺や道観を思わせる名称が多い。これは作者の推測だが、恐らくこの小説の第十回で紹介した「三姑六婆」に関係してると思われる。
林:「三姑六婆」の「三姑」は「尼姑(女性の仏僧)」「道姑(女性の道士)」「卦姑(女性の占い師)」を表しますが、当時の「接待を伴う飲食店」や「接触を伴う飲食店」で働いている女性は三姑が多かったみたいですからね。
王:誤解の無いよう付け加えておくと「三姑の多くがそういう店で働いてた」という事じゃなく、あくまで「そういう店で働いてる女性は、三姑のいずれかを名乗る事が多かった」という事らしい。いっそ「三姑を騙ってた」と言った方が正確かもしれんが。
林:現代風に言うと「コスプレパブ兼オプションのプラスαでムフフ♡」的な感じですかねぇ。従業員が尼僧(女性の仏僧)や坤道(女性の道士)の格好してる訳ですから、そりゃ店の名前は仏寺や道観風にもなりますよ。
王:何だ、やっぱり詳しいじゃないか。
林:だって、師匠が説明しろって言うから…
王:という訳で、この小説では本物…と言うべきか、仏僧や道士を本職にしている女性を「尼僧」「坤道」、仏僧や道士をただ名乗っているだけの女性を「尼姑」「道姑」と使い分けるそうだ。この先、使われる機会があるかどうかは知らないが。
林:で、さっきの話に戻りますけど、上清宮に行ってきたって人物が、実はもっと前から実際に信州へ行ってて、たまたまその第72回?に帰ってきたって可能性は無いんですか?
王:無い。『水滸伝』第72回には、前日もそのお方が開封に御座されていた事は描かれてる。その上で『今日幸上清宮方回(今日、上清宮に行って丁度帰ってきた)』と仰られてるからな。
林:ああ、それなら…てか、あの「御座されてたお方」が…『幸上清宮』?「幸」って「行幸」って意味ですよね??
王:徽宗陛下だ。賢弟がずいぶん馴れ馴れしい事を言うからヒヤヒヤしたぞ?
林:最初っから言ってくれればいいでしょ!?
王:だから、わざわざ最初から二人称を「お方」としてただろうが。畏れ多くも陛下に対して「お楽しみでしたね?」か…度胸があるというより、そこまでいくと不敬もいいところだな。
林:違いますって、不可抗力ですよ!てか、後宮があるのに陛下は何をなさってるんですか!?
王:陛下の御心は我々凡百の人間には推し量れん。そうか「お楽しみでしたね?」か…
林:あの、師匠、黙っててくれますよね…?
王:さて、開封の説明も一通り出来た事だし、この辺りで終わりにするか。私は行くぞ?
林:いや、ちょっと師匠…師匠ってば!