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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十一回  曹刀鬼 道程を迷いて財貨を失し 宋金剛 勇を奮いて同道すること
110/139

山をナメちゃダメ

 須城を発ってからも曹正の運気は一向に上向かなかった。


「ツイてない」のか「必然」なのかはともかくとして──


 済水沿いに出てからも、いちいち挙げればキリがないほど、フラストレーションの溜まる出来事が続いている。


 唯一の救いは城や鎮同士が近く、本当に宿の心配が要らなかったという事くらいか。


 それはそれで曹正にとってありがたくはあったものの、宿の心配をするという事はまだ旅が続いているという事であり、つまりは未だに落ち着き先が見つかっていないという事に他ならない。


 鄆州から斉州へ抜けた曹正は、治所の歴城(れきじょう)県から更に東進し、淄州との境に近い章丘(しょうきゅう)県にまで至った。


 ここまではずっと済水の南岸に沿って旅を続けてきたのだが、曹正はここで済水から離れ、南東に向かう。


 単に海を目指すだけであれば、斉州と淄州を隔てる長白山(ちょうはくざん)の北を抜け、今まで通り済水に沿って歩けばいい。しかし、この先の淄州も青州も、治所は済水から遥か南に置かれている。

 曹正が宿なり酒家(しゅか)(居酒屋)なりで話を聞いてみた限り、済水沿いにもこの先、県や鎮はあるという事だったが、商いの向き不向きを考えれば、やはり治所は外せない。


 長白山、鶴伴山(かくばんざん)を左手に見つつ、更に東進すれば、曹正はどれほどの間もなく淄州の治所・淄川(しせん)県に入る。


「案の定」と言うのも変な話だが、淄川(ここ)も曹正の眼鏡に(かな)う事はなかった。


 一度、権力を得た者が、周囲からチヤホヤされる生活に慣れてしまうと、落ち目になっても他人の耳目を惹かずには生きていけない、承認欲求の塊みたいな存在に成り果ててしまう事が往々にしてある。

 それだけ人間の適応力というか「慣れ」というものは、凄いと同時に罪深くもある訳だが、この頃はもう曹正も慣れたもので、いっそ「不運がナンボのモンじゃい!どっからでも掛かって来いや、オラァ!」的なアンラッキーハイよろしく、すっかり受け入れるようになってしまっていた。


 未だ路銀の不安は全くなく、情報収集も兼ねて酒家で存分に酒を(あお)った曹正は、早目に宿へ入って床に就く。


 翌日は朝から空一面に厚い雲が垂れこめる生憎の天気だったが、曹正もそんな感じであるから「雨なんか降られたところで屁でもねえわ、ペッ!」とばかりに宿を発った。



【…?】



 ふと、曹正の脳裏に何かがよぎり掛けた。


 淄川県から見て、青州の治所・益都(えきと)県がほぼ真東にあたる事は、前日に聞いた記憶がある。というか、長旅で疲れていたところへ、調子に乗って酒を飲み過ぎたせいもあってか、昨夜、酒を飲み始めてからの記憶がそれしかない。


 何か他にも言われたような気がしたのだが…



【…ま、大事な事なら覚えてる筈だしな。思い出せねえくらいじゃ、大したこっちゃねえか】



 と、曹正はそれ以上、深く考える事もなく東門を出た。

 視線の先には、右手の背後から続く山々が立ち塞がるよう、南北に横たわっている。


 二日酔いのすっきりしない頭をポリポリと掻きながら、曹正は緑深い山へと分け入っていった。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 山中の岩に腰を掛け、曹正は一人、頭を抱えていた。

 一息ついて瓢箪を呷ったところで、不意に昨夜の事が思い出されたのだ。


『山越えはしない方がいい』


 そう勧められていた事を。


 山東半島の付け根に(そび)える山々は、北を上にして俯瞰すると、およそ「㐧」の字のような形に連なっている。


 横の書き始め、つまり西の端が須城県から北に向かって曹正が通った辺りで、その少し東に泰山、東端のハネ(・・)の辺りに沂山が立つ。

 縦のハネ(・・)には蒙山が聳え、南西へのハライ(・・・)の先に徂徕山(そらいざん)、そして北西のテン(・・)が長白山や鶴伴山、といった按排だ。


 縦と横が交わる辺りが魯山になるが、淄川県はテン(・・)と魯山に挟まれた位置に置かれていて、青州・益都県は、魯山の北東になる。

 ちなみに、花栄や李柳蝉達が宿を取った莱蕪県は、ハライ(・・・)の付け根付近だ。


 つまり淄川県と益都県は、横棒の上に突き出ている部分を挟んで西と東の位置関係にあり、距離はと言えば、直線で40kmほどしか離れていない。

 平地でなら旅に慣れた大人の足で1日あればお釣りがくる。山越えにしても、よほど険しい道のりでなければ、早朝に出立して夜の閉門には十分間に合う距離だ。


 その山越えの道が、端から端までしっかり頭に入ってさえいれば。


 確かに益都県は淄川県の真東に在る。淄川からまっすぐ東へ向かってさえいれば、いずれ辿り着く。

 しかし、その「さえいれば」というところがクセ者だ。


 山道というのは、たとえ山の両裾にある都市を繋ぐ程度であっても、一直線に引かれる事などまずない。まして、それが数十kmにもなる山地を越える道ともなれば、絶対にないと言い切ってしまってもいい。

 仮にその距離を一直線に繋ごうと思ったら、ほぼ確実に山肌をくり抜くなり、抉るなり、谷を埋めるなり、橋を架けるなり、とにかく多大な労力と費用を掛ける羽目になり、そんな事をするぐらいなら、そんな事をしなくても歩けるところを道とした方が、遥かに効率的で経済的だからだ。


 当たり前と言えば当たり前の話だが、最初から最後まで一度も山道を使わない山越えなど、現実的に考えてあり得ない事を踏まえれば、一直線の山越えも現実的に考えてあり得ない──というか、事実上不可能という事になる。

 たとえ今、歩いている道が、視界の中でどれだけまっすぐ延びていようと、視界の外では必ず右へ左へとうねっていて、道なき道をひたすら進みでもしない限り、まっすぐ歩いて「さえいれば」という仮定自体が成立しないのだから。


 その当たり前を知らず、右へ左へうねる山道をまっすぐ進んでいるつもりでいれば、意識の中での身体の向きと現実の身体の向きは、どんどんズレていくに決まっている。せめて裸山であれば、下界の眺めでズレた方向感覚を修正できる可能性も無いではないが、平原の中にポツンと(そそ)り立つ山ならいざ知らず、数十kmも連なった山々では、それも外縁部だけでの話だ。

 その状態で分かれ道に遭遇し、己の感覚と視覚だけを頼りに進む道を選んでしまったら、もはや目も当てられない。むしろ、誤った自分の感性で選んだ道こそ進むべきでない、と言ってもいいくらいだ。


 だからこそ山越えに際しては、どの道がどこへ通じているのか、端から端までしっかり頭に叩き入れておく必要がある。


 その上で尚、曹正にとっては「不運」が重なった。

 今日に限って雲が厚すぎたのだ。


 言わずもがな、太陽は東から昇って西に沈む。木々深い山の中では直接、太陽の位置を確認できない事も多々あるが、木漏れ日に伸びる木々の影を見れば、およその太陽の位置は分かる。それと己の腹時計を基にすれば、およその方角も掴む事はできる。

 ところが、今日は朝からずっと厚い雲が垂れこめ、一度も日の光を拝めていない。


 土地勘のない山中で迷わない方法もいくつかあるにはある。

 確実と言えるのは、最初の分かれ道が現れた時点で引き返す事だ。そこまで歩いた時間と労力は無駄になるが、それなら絶対に迷う事はない。

 或いは分かれ道の先に進むのであれば、分かれ道を過ぎる都度、どの道からそこに至ったのか印を付けておくのもいい。


 だが、それより何より、まずもって山に入らなければいいのだ。


 淄川県と益都県を隔てる山地は、南に行くほど背が高く、北はどれほどの距離もなく大地に消える。山地の北端──「㐧」の字で例えれば、縦棒の上端まで迂回したところで、距離は倍にも伸びない。

 迂回路を使って1日で益都県まで辿り着けるかとなると距離的に微妙なところだが、途次には城も在って宿の心配もなく、そもそも急ぐ旅ではないのだから、1日で益都県に辿り着かなければならない理由からしてない。

 山中で迷うリスクと秤に掛ければ、どちらを選ぶべきかは火を見るより明らかである。


 昨夜、曹正は酒を飲みながら、居合わせた男に青州への道のりを尋ねた。話の経緯は思い出せないが、ともかくそこで互いの生い立ちの話になり、曹正が「開封育ちで山道など(ろく)に歩いた事もない」と知って案じた相手から、確かにそう勧められた。


 それを完全に忘れてしまっていた、というのも確かにある。しかし「東に向かって歩き続ければ、その内、山を越えられるだろう」と安直に考えた曹正は、何の知識も持たないまま山に踏み入り、道中の分かれ道も勘と勢いに任せ、東に向かうと思しき(・・・・)道へどんどん進んでしまった。

 結果、いつまで経っても山を抜けられず、山中で一人、途方に暮れる今になって、ようやく昨夜の忠告を思い出した、という訳だ。


「ったく…いくらツイてねえにしたって、限度ってモンがあんだろうが」


 天を仰いで、曹正はぽつりと(ひと)()つ。


 当人にしてみれば「不運もここに極まれり」という事なのだろうし、選んだ道が悉く山に分け入ってしまう道だった、というツキの無さも確かにあるのだろうが、さすがに今回の件に関しては自業自得である。それに、今さら愚痴ってみたところで、何が解決する訳でもない。

 腹の具合から察するに、日暮れまでにはまだ間があるか、といったところ。


「とにかく、歩けるだけ歩いてみっか。じっとしてても助けが来る訳じゃなし、運良く山を抜けてくれりゃあ儲けモンだ」


 山中で遭難した際の鉄則は「動かない」事だ。体力を温存する意味合いもあり、また焦って注意力が散漫な状態で移動していると、斜面などで滑落し、いよいよ進退が窮まってしまう事もある。


 しかし、それは助けが来てくれる前提があってこその話だ。

 体力を消耗した状態で尚、歩き回るのは得策でないにせよ、自力で山を下りなければならない状況なのだから、動ける間は動くしかない。


 下ろしていた荷を背負い、哨棒(しょうぼう)(旅人が持つ護身用の棒)を手に曹正は立ち上がる。


 その後も曹正は勘に任せて山中を彷徨ったのだが、(よう)として山を抜けそうな気配は訪れなかった。

 下る道を選んで進んでみれば、どれほどもなくまた上る羽目になったり、谷間に沿って歩けば、途中で道が潰えて道なき道を進む羽目になったり、沢伝いに歩いてみれば、途中で滝となって引き返す羽目になったり…


 そうこうする内に辺りも暗くなり、結局この日は山中で一夜を明かす事となった。

 幸い、乾糧(ほしいい)(乾燥させた米。携帯食)や干し肉はそれなりに残っていて、何度か沢に行き会ったおかげで水も十分、すぐにすぐ干上がってしまうような心配はない。



【せめて明日は晴れてくれりゃあいいんだが…】



 干し肉を齧りつつ、曹正は恨めしげに空を見上げるのだが──


「不運なんかナンボでも掛かって来いやー」みたいな啖呵を切っといて、今さらそれはちょっと虫が好すぎるんでないかい?曹正さんよ。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



『明明たる上天、下土(かど)を照らして臨み、(なんじ)()ずるものは(なんじ)(かえ)す。

 上帝板板(はんはん)(まさ)(けっ)するや、(しか)るに泄泄(えいえい)なく、下民の(ことごと)くは(たん)ぜり』(※1)。


 古人の言葉を引き合いに出すまでもなく、天に向かって唾すれば、すぐに己に返ってくる。

「自業自得」と「天罰覿面(てきめん)」という概念は、よほど古くから存在したようだが、それはつまり、天に唾する身の程知らずはいつの時代にもいる、という証でもある。


 なぜ今、そんな話をするのかと言うと…


 地に腰を下ろし、大木に背を預けて微睡(まどろ)んでいた曹正は、白々とした気配と、頬に吹き付ける何かを察して目を開けた。


 荷の中には旅の命綱である「金」と「糧」が入っている。

 賊なり獣なり、万が一にも奪われないよう、膝の下に敷いていた荷が無事だった事に安堵する間もあればこそ、


「おいおい、マジかよ…」


 曹正は辟易として顔を(しか)めた。


 辺り一面、霧に覆われ、昨日の日暮れ前に見ていた、周囲に木々が密集する景色はただの一夜で見る影もなく、どちらを向いても数本先の樹木でさえ霧の中に消え入っている。

 慌てて天を仰いでみれば、太陽どころか、丈の高い木々の枝葉を見る事すら覚束ない。


 それはまだいい。

 見上げた曹正の顔には、額と言わず頬と言わず、ポツポツと雫が降り注いでくる。


 雨だ。


 ね?だから言ったでしょう?

 怒らせちゃいけない存在を怒らせちゃダメなんだって。調子に乗ってると、こういう事になっちゃうからね。悪態をつくにしたって、相手を見てつかなきゃ。


 泥濘(ぬかる)む山道の移動は、木樵や猟師のような山の玄人でさえ難儀する。碌に山道を歩いた事がない曹正なら尚の事だ。それくらいは曹正にだって分かる。


 慌ただしく笠と蓑を身に纏い、曹正は追い立てられるように、雨宿りできる場所を求めて濃霧の中を歩き出した。


 景色も満足に見えないような霧の中をしばらく進んでいると、やがて道の右手には、すぐ側まで山肌が迫る場所が現れる。その山肌に、下が大きく抉れて(くき)(※2)のようになった所を見つけた曹正は、とにもかくにもと飛び込んだ。


「はぁ~、助かった…」


 雨は土砂降りとまでは至らずも、シトシトと降り続く。

 (くき)といっても奥行はあまりなく、ただ頭上が庇のように突き出ている程度のものだが、それでも霧が出て風のない朝の事であるから、雨を凌ぐだけなら十分に事足りた。


 ひとまず濡れた笠と蓑を外し、曹正は干し肉を齧りつつ雨が上がるのを待つ。が、願いも虚しく、なかなか雨は止まなかった。


 ま、曹正さんがこの言葉を知ってるかどうかは知りませんが、これぞ正しく『上帝、板板とせば、下民、卒く癉ぜり』(※1参照)といったところでしょうな。


 しかし、曹正さんよ。

『板板たる上帝』のお怒りがこの程度だと思ってたら大間違いだぞ?


 丁度、南中の頃合いだろうか、霧が薄まると同時に、ようやく雨が上がる。

 季節は初夏。雲間からでも日が差せば、多少の泥濘(ぬかるみ)くらいはあっという間に乾いてしまうものだが、上空は変わらず一面の曇り空、山道の至る所に水が溜まり、流れを作っている状況では、曹正もなかなか(くき)から足を踏み出す気にはなれなかった。


 更にしばらく待ってみたものの、雲は一向に晴れる気配がない。

 足下が水浸し、とは言えないまでも、このまま日が暮れてしまえば、さすがに一夜を明かせる場所ではなく、曹正は仕方なく(くき)を出る覚悟を決めた。


「戻っても仕方ねえしな…」


 霧の中を歩き、今朝、起きた場所からここまでの道中に見えた景色などたかが知れているが、そのたかが知れた範囲の中に、分かれ道のようなものはなかった。

 溜め息を一つ零し、歩いて来た方向に背を向けて曹正は歩き出す。


 多少、乾いてきてはいるものの、足下は未だ柔らかい。なだらかな上りの勾配を、曹正は時折、足を取られつつ、グチグチと愚痴を零しつつ進んでいった。


 うねうねと一本道を進んでいると、周囲の緑は徐々に姿を消していき、代わって道の両側にはゴツゴツとした岩肌が目立ち始める。いつしか曹正は、自分の背丈よりも深い谷底のような、荒涼とした景色の中を歩いていた。


「…ん?」


 一瞬、視界の片隅、左の崖上に何かが動く影を感じ、曹正は足を止めた。が、すぐに視界から消え失せた気配は、しばらく様子を窺ってみてもそれきり現れない。

 獣か何かだったか、と曹正がまた歩き始めると、進むほどに益々勾配は緩やかとなり、代わって谷幅がゆるゆると広がっていく。


 道が殆ど平坦となり、幅が数尋(※3)ほどになったところで、曹正は一息をついた。


 瓢箪の水を(あお)りつつ、道の先に視線を送ってみれば、左の岩肌は徐々に背を増し、霧に霞む辺りが一際高くなっていて、そこで大きく左に折れているようだった。



【あの先から真っ直ぐ山を下れりゃあいいんだが…】



 この山地に入ってから幾度となく抱いたそんな思いを胸に、曹正はまた歩き出す。


 この旅、最大の不運が「あの先」に待っている事など、知る由もないままに。

※1「明明たる上天~」

『詩経(小雅 小明)』『孟子(梁惠王下)』『詩経(大雅 板)』『詩経(大雅 板)』の、別々の句を繋ぎ合わせたものです。原文は前から『明明上天、下土照臨』『出乎爾者、反乎爾者也』『上帝板板、下民卒癉』『天之方蹶、無然泄泄』。四句目を三句目の中に組み入れてしまってありますが、訓読はほぼ本文の通り。「上天」「上帝」「天」は同義。「板板」「癉」「蹶」「泄泄」はそれぞれ「怒る」「苦労」「動く」「遅れる」。「明らかなる天は人間界を(あまね)く眺め、人の言動に報いを受けさせる。天(上帝)の怒りに触れた者は、誰であろうと(たちま)ち罰を下される」。本文にある通り、掻い摘んで言えば僅か八字で表せる事を、随分と畏まって書いてしまいました。

※2「岫」

洞窟。洞穴。

※3「尋」

左右に開いた両手の指先から指先までを表す身体尺。

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