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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第一回  鄭郎君 元宵節に夢幻を伽し 王矮虎 小路に想錯を詰らるること
11/139

矮脚虎

修正前は「大別山脈が北東に連なっている」としていましたが、正しくは「北西」ですので訂正致しました。

 王英は淮水(わいすい)(※1)の畔にある貧しい農家に生まれた。


 淮水は切っ先のように北西へ伸びる大別たいべつ(※2)の峰々が、南陽(なんよう)をぐるりと囲むように鉤状となるその屈折点、桐柏山(とうはくざん)に源流を発する。

 宋のほぼ中央を西から東へ流れ、洪澤湖(こうたくこ)の北を掠めて黄海に注ぐ淮水は、古くから華北と華南を隔てる、地勢的に重要な役割を担ってきた。


 王英の語った「両淮」の「淮」とは、この淮水を指す。

 淮水の北を淮北、南を淮南と呼ぶが、両淮とはこの淮北、淮南を併せた地域の呼称で、要するに淮水の近傍という事である。

 淮水の下流域にあたる洪澤湖周辺には、楚州(そしゅう)(※3)などの古くから栄えた地域もあったが、中流、上流域には貧しい土地も多く、王英もそんな地域に生まれた一人だった。


 王英の人生を一言で表せば「忍耐の日々」といったところか。


 貧困と、嘲笑と、偏見と、何よりも暴力と裏切りに耐える日々だった。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 王英は15歳の時に身一つで故郷を出た後、車夫(しゃふ)(※4)を生業として、細々と食い扶持を稼いでいた。


 一度、魔が差して積み荷の財貨を持ち逃げし、お上の世話になったりもしたのだが、運良くと言うべきか、すぐに脱獄してこの青州に流れ着いた。

 そして、今も変わらず車夫を生業とし、その日暮らしを続けている。


 だが、今の王英にとってはそんな貧しい生活も苦ではない。


 強がりではない。

 ないったらない。


 何しろかれこれ二十年来の付き合いである。

 それだけ耐え続ければ、否応なしに耐性も身に付こうというものだ。


 おかげで、今や王英が貧しさを理由に苦痛や不幸を感じる事はほとんどない。

 強いて言えば、犯した罪に端を発しない、単純に「貧しい」というその一点だけを理由に、他者から蔑みや同情の視線を浴びる事がムカつく、というぐらいか。


 富裕であるか貧困であるかは客観的な部分もあろうが、それが幸福であるか不幸であるかなど、個人の主観なのだから放っておけ──と、王英は言いたい。


 大体、財産の多寡のみが人の幸、不幸を決めるというのであれば、この国の大多数の人間は不幸だという事になる。

 無論、貧困に苦痛や不幸を感じる人も多くいようが、その一方で、多くの人々が貧しくとも幸せな日々を送っているのもまた、厳然たる事実としてある。


 持てる者がいれば、持たざる者もいるのが世の常なのだ。


 貧困であれば貧困であるなりの幸と不幸がある。貧者であるという一義的な理由だけで禍福を論ずるのは、単なる偏見でしかない。

 それはつまり、裕福であれば裕福であるが故の禍福もあるという事だ。前者を偏見とするのなら、富裕のみをもって幸、不幸を論ずるのは、ただの(ひが)みというものだろう。


 貧富のいずれかが正邪ではなく、豊かであれば豊かであるなりに、貧しければ貧しいなりに楽しめばいい。

 それが長いこと貧しさに耐えてきた、王英なりの結論である。


 まるで高僧の口から出てきたかのような御高説だが、他人の財産に目が眩み、積み荷を()(ぱら)った過去を持つ王英の持論では、まるで説得力がないところは残念で仕方がないが。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 王英が自らの背の低さを自覚したのは、故郷を出てからだ。


 王英の生家は淮水に程近い村から少し外れた荒れ地に、ポツンと建っていた。

 村の住人との交流もそれなりにあったが、同世代との比較でも、成長の早い遅いは当然あるだろうし、元より王英が少年時代の話であるから、大人達の方が背は高くて当たり前である。

 そして、いつかは自分も周りの大人達と同じくらいの背丈になる、と当然のように王英は思っていた。


 だが、現実はそうはならなかった。

 故郷を出る頃にはもう、王英の成長は止まってしまっていて、今までに出会った中で自分より背が低かった相手は女子供くらい、という有り様だ。

 というか、王英より背の高い子供など掃いて捨てるほどいるし、女性に背が及ばない事も珍しくない。


 当然、職を求めても敬遠される。

 仕事が捗らないからだ。


 足が短いから他人(ひと)より歩くのが遅く、手が短いから他人(ひと)より小さな物、少ない量しか運べない。それはつまり、他人と同じ仕事をこなすには、他人より余計に時間と労力を要するという事だ。

 雇う側からすれば、同じ給金を払うのなら、より仕事が捗る人間を雇うに決まっている。


 どうにか頼み込み、幾度か雇われて仕事をした事もあるのだが、どれも長続きせず、結局は身一つでできる車夫を生業とするに至った。


 人や物を運ぶのだから、最低限の自衛手段は必須である。そこで王英が選んだ得物が棒だ。

 剣などの短い得物では身長の不利を覆せない。といって、鎗は金銭的に手が出ない。その点、棒なら安価だし、いざという時には道端の木の枝などでも代用できる。

 もちろん師に習う余裕などなく、正真正銘の我流ではあるのだが、今では一端(いっぱし)の棒使いを自負する腕前である。


 そんな王英に、世間はこんな綽名(あだな)を付けた。


矮脚虎(わいきゃくこ)


「矮」とは「丈が低い、短い」などを表す。

 つまり「矮脚虎」とは、読んで字の如く「短足の虎」の意だ。


 綽名(あだな)を付けられるという事は、それなりに実力を認められた証でもあるが、さすがに「矮脚虎」などという綽名(あだな)を付けられた王英の心中は推して知るべしだろう。


 王英は背が低くて良かったと思った事が一度もない。

 周囲からは「()(たん)(しん)(ざい)」(※5)などと揶揄(からか)われ、満足に職にもありつけず、微妙な綽名(あだな)まで付けられる始末だ。

 おまけに、女にはまるでモテない。


 だが、身長の事となると、貧富の話以上に王英自身がどうこうできる問題ではない。

 20歳を過ぎて、今さら急激な成長を期待するのも馬鹿馬鹿しい話だ。


 だから、王英は受け入れる事にした。


「矮脚」上等、いかに「矮脚」と言えど「虎」である。

「矮脚」は自分の意思でどうにもならないが、牙を研ぎ「虎」としての価値を上げる事は自らの意思でできる。

 そうして王英は暇を見つけては棒を振り、背の低さに対するコンプレックスを克服した。


 強がりではない。

 ないったらない。


 大事な事なので二回言いました。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 王英は女性に対して節操がない。その上、だいぶ(こじ)らせている。

 そんな王英の拗れた女性観に最も影響を与えたのは、間違いなく彼の母親である。


 王英の心に残る父は、常に誰かを殴っていた。

 といっても、王英の家に作男を雇うような余裕などは当然なく、家族は王英と両親のみ。となれば、必然的に殴られるのは母か王英しかいない。


 母はよく王英を庇ってくれた。

 農作業に出ては殴られ、家に帰っては殴られ、そして王英を庇っては殴られた。


 当時の王英にとっては、ごく有り触れた日常の光景であり、そして家族とはそういうものだった。どの家庭でも父とは暴力を振るう存在であり、母や子はその暴力に怯える存在だと思っていた。

 村から外れた荒れ地に構えられた居で、他の家庭を垣間見る機会もなく、極めて狭い世界しか知らなかったからだ。


 王英は物心が付くとすぐに家の仕事を手伝うようになる。

 そこで自分の知る「普通」が、世の中の「普通」ではない事を初めて知った。


 自分達が食べる分を残し、近くの村へ作物を売りに行くのは母と王英の仕事だったが、そこで出会った人々には青痣も生傷も無く、笑顔に満ち溢れていたのだ。

 そして、なぜ父が村に出向かないのか、なぜ自分達の家が荒れ地の中にポツンと建っているのか、何となくではあるが幼心に理解した。


 王英の父が暴力を振るう理由は王英の知るところではないが、おそらく真っ当な理由などない。強いて理由を付けるとすれば、殴りたいから殴っていたのだろう。

「社会」という協調と共存が求められる世界に、そんな暴力を介してしか他者とコミュニケーションを取れない者の居場所など、あるはずがない。


 そうして王英が14歳となった頃、唐突に、全く唐突にその日は訪れた。


 ある朝、王英が目覚めると父母が何やら話していた。

 そして挨拶を交わす間もなく始まった、いつにも増して苛烈な父の暴力。




 母は庇わなかった。

 ただひたすら見ていた。




 どのくらいの時間続いたのか、王英はよく覚えていない。

 随分と長い時間だったような気もする。あっという間だったような気もする。


 無抵抗のまま殴られ、蹴られ、理不尽な痛みに耐えながら、しかし、王英の理性は冷静に働いていた。


 王英の頭にまず浮かんだのは、母に対する畏敬と感謝の念。

 よくこれほどの暴力に耐え続けたものだ。そして、全てとは言わないまでも、今まで自分をこの暴力から守ってくれていた事に対して素直に感謝した。


 それを最後に、王英にとって母は母でなくなった。

 父と──いや、それこそ父など、遥か以前から「ただ暴力を振るう男」程度の認識でしかなかったが、その男と同居する女という存在になった。


 暴力の嵐を王英が必死に耐えている最中、王英の視界の片隅に映るその女は、何を言うでもなく、ただその嵐を見ていた。

 畏れのような、憎しみのような、憤りのような面持ちを浮かべて。


 一体、何だというのか。


 前日までは、いや、前日の夜までは確かに母と子であったはずなのに、夜が明けてみれば、女からはまるで得体の知れぬモノでも見るかような眼差し向けられたのだから、王英の当惑ももっともな話ではある。


 王英には思い当たる節が全くなかった。


 単に暴力を受ける事に耐えられなくなったのか。

 王英を庇って暴力を受ける理不尽に疲れたのか。

 暴力を受ける側から、行使する側に付いた方が利があると悟ったのか。


 そのどれもが、女が見せた表情の理由ではない気がした。




 嵐が止んだ。




 終始無言で暴虐を尽くした男は、肩で息をしながら王英を見下ろす。


 畏れのような、憎しみのような、憤りのような面持ちを浮かべて。


 その瞬間、王英は理解した。

 あの女はこの男に(そそのか)されたのだ、と。

 目覚めた時に二人は言葉を交わしていた。内容こそ聞き取れなかったものの、しかし、この女はその時に、それまで持っていた自己の尊厳も、母としての矜持も、そして腹を痛めて産んだ我が子をも捨て、この男と異体同心となったのだ。そうでなければ、二人の表情がここまで似るはずがない、と。


 と同時に、王英の中に驚くべき感情が芽生える。


「女性」という生き物に興味を持ったのだ。


 普通、これだけの体験をすれば、女性に対して嫌悪や憎悪を抱いても、何ら不思議ではない。

 だが、李柳蝉をして「厄介な思考回路の持ち主」と言わしめた王英は違った。


 一体、どんな言葉で唆されれば、こんなにも無慈悲に実の子を見捨てる事ができるのか。

 女性にとって「子」とは、そんなにも無価値な存在なのか。

 或いは、この女だけが特別なのか。


 少なくとも王英には理解できなかった。理解できないが故に、強く興味を惹かれた。


 今にして思えば、よくもまあそんな理由で、あの暴力の嵐が吹き荒ぶ環境を1年近く耐えたものだ、と王英は振り返る。


 その問いの一端が答えを得たのは、王英が故郷を捨てる間際だった。


 そんな生活に見切りをつけ、いよいよ明日、家を出ようと決意を固めた日の夜。


 これまでの生活への憤懣、明日からの生活への期待と不安。

 床に就いたものの様々な感情が胸に去来し、なかなか寝付けずにいた王英の耳に、声を潜めて話す男と女の会話が届く。


 断片的に聞こえた内容を纏めると「あの日、夢に見たお告げの通り、王英に憑いている妖魔を力ずくで追い出す」とかナントカ。


 衝撃的だった。

 衝撃的ではあったのだが、暗闇の中、目を瞑る王英が男に対して抱いた感情は「無」である。


 心底どうでもいい。


 男が言う「あの日」がいつを指すのか、王英には分からない。女が自分を見捨てた前日かもしれないし、それ以前かもしれない。そもそも、そんな夢を見たという証拠からしてない。

 要するに、自分の暴力を正当化するための詭弁、虚言の類いだろう。

 大体、これから寝て、次に起きれば縁も所縁もなくなるのだ。言いたい事を言わせておけばいい。


 王英が衝撃を受けたのは、女に対してである。


 男の夢の話が本当か否かはともかくとして、女がそれを聞いたのは、おそらく女が王英を庇わなくなった日の朝、王英が見た二人の会話の時だろう。


 この女が自分を見捨てたのは、こんな下らない話を真に受けたからだったのか、と。


 そしてまた、新たな疑問が王英の心に芽生える。


 女性とは、なかんずく妻とは、これほどまでに男性に、夫に従わなければならないのか、と。


 そんな問いが脳裏をグルグルと巡り、ほとんど眠れずに朝を迎えた王英は、まだ日も昇らぬ暗い内に、寝静まる二人を残して予定通り故郷を捨てた。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 それからというもの、王英は女性の生態を探るべく、各地を流浪しつつ、積極的に女性に声を掛けた。ほとんど手当たり次第と言っていい。


 故郷を出るまで、女性との交流がほとんどなかった王英にとって、女性とは母親の事であり、つまり理解の及ばぬ「奇っ怪な存在」だった。

 その「奇っ怪な存在」を社会は当たり前のように受け入れている。だから、女性とはどんな生き物であるのかを知りたかったのだ。


 女性と肌も合わせた。


 常に貧しさと共にあった王英だが、一度だけ豪遊と呼べる経験をした事がある。言うまでもなく、積み荷を持ち逃げした時だ。

 その豪遊の中で、それを商売とする女性を相手に経験を持った。


 そして早、王英が故郷を出て5年。

 世間を渡り歩きながら女性を観察し続け、そう多くないとはいえ、女性と身体を交わして分かった事。


 それは、女性とは「意思ある物」という事だ。


 この国で女性は「物」だ。そして、大多数の女性達が「物」である事を受け入れている。


「物」であるから所有者がいる。


 商売女達は妓楼の主や元締め達の所有物なのだから、対価と引き換えにその身を売られる。

 王英の母親は王英の父親、つまり夫の所有物だ。だから夫に言われるがままに王英を見捨てる。

 商家の子女だって、文武高官の家の子女だって、()いては帝室の公主だって、そこに大差はない。

 国家や家のため、家長から命じられるがままに、政略として他国や他家に嫁ぎ、そして嫁ぎ先の所有物となる。


 だが、一方で「意思」も持っている。


 商売女達は会いに来る度になけなしの金を(はた)き、次がいつになるかも分からない、来るかどうかも定かでない、王英のような客よりも、頻繁に訪れる員外(いんがい)(※6)のような客を当然好む。金を使わせれば自分の稼ぎにもなるし、運良く身請けでもされれば、誰彼構わず身体を売る境遇から抜け出せるからだ。

 王英の母親だって、少なくとも夫に唆されるまでは自分の意思で王英を庇っていたはずだ。

 家長に命じられ、自分の意思とは無関係に他家へ嫁がされる女性達だって、相手の好き嫌いはあるだろうし、何より「女性達の意思とは無関係」なのであって、決して女性達に意志がない訳ではない。


 ただ、その意思が貫けない、貫く事が許されていないだけなのだ。


 王英の考察はおよそ間違ってはいない。

 ところが、そこから王英の女性観は、徐々に明後日の方向へ拗れていった。



【全く馬鹿馬鹿しい。

 別に女だって意思を、感情を露にしたっていいじゃねえか。

 女達だって、もっと自分の意思を表に出してえ筈だ。少なくとも、俺は故郷のあの男みてえに、女を力で従わせて、自分の意思を押し付けたりゃしねえ。

 俺の側に居りゃあ、女だってもっと自由に生きられる。俺だったらもっと女を幸せに出来る】



 ──と。


 はい、お薬出しときますねー。


 だいぶヤバい。拗らせるにもほどがある。ちょっと洒落にならないレベルだ。

 その内、通りすがりに見掛けた女性を「俺が幸せにしてやる」的なノリで、無理やり()(さら)ったりしないよう祈るばかりだ。


 大体、理論が破綻している。


 王英の理屈は「人はなぜ、日々の睡眠を当たり前のように受け入れるのか」と言っているのと同じだ。

 無論、長年の修行や肉体の鍛練によってそれを拒絶しようとする人達もいる。しかし、それは仙人や道師などと呼ばれる、極々少数の者達の話であって、それ以外のほぼ全ての人達は、疲れれば睡眠を取り、目覚めて再び活動するというサイクルを、当然の事として受け入れている。そこには疑念を抱く必要も、異論を挟む余地も無い。


 なぜなら、人とはそういう生物(もの)なのだから。

 睡眠を取らず、無限に活動できればいいに決まっているが、それを言っても仕方がないのだ。


 女性という存在も同じである。


 王英の言う通り、女性達は自分達が「物」である事を受け入れている。

 であるのに、同時に王英はそれを不幸な事だとしている。もっと自我を持ち、言いたい事を言った方が幸せである、と。


 大きなお世話極まりない。

 そんな事は王英に言われなくたって、女性達は分かっている。しかし、それを言っても仕方がないのだ。


 今の世で女性とはそういう存在(もの)なのだから。


 それを不幸とするのであれば、王英を含めたほぼ全ての人間は、生まれ落ちた瞬間から睡眠を取らなければ生きてはいけない不幸な存在、という事になってしまう。


 自分達の置かれている境遇を受け入れた女性達は、受け入れた上で各々の人生を送っている。

 睡眠を取る事を定められた人々が、そこに特段の不幸を感じる事なく人生を楽しむように。


 史上唯一の女帝として君臨した唐の武則天(※7)を見るまでもなく、女性としての境遇を受け入れられない者達は、他人に言われるまでもなく、むしろ周囲の声などには耳も貸さず、その境遇に抗って生きる。

 修行や鍛練によって睡眠を拒絶しようとする仙人や道師のように。


 王英の考察はおよそ(・・・)間違っていない。


 確かに今の時代、女性とは「意思ある物」であって、その意思を表に出す事は許されず、それでも尚、自らの意思を主張すれば、周囲からは白い眼で見られ、時に激しい非難を受ける。

 けれども、そこには「その境遇を受け入れるか否かを決めるのもまた、紛れもなく女性の意思である」という視点が、完全に抜け落ちてしまっている。

 その欠落に気付かぬままに押し付けられる「女性とはこうあるべきだ」という王英の独り善がりな主張など、押し付けられた側からすれば、言われるまでもなく、言われる筋合いのない戯言以外の何物でもない。


 言うまでもなく、王英が最も深く関わった女性は母親である。母親との時間の長さ、関係の深さと比べれば、故郷を出てから出会った女性達など行きずりに等しい。

 しかし、長過ぎた。人間が成長し、人格が形成されるにあたって最も重要な時期に、狭く特殊な環境に長く身を置き過ぎてしまった。

 だから、王英の女性観には常に母親が付き纏う。母親こそがこの国の女性を象徴する存在となってしまっている。


 王英が理想とする女性は自我を強く持った、有り体に言えば気の強い、母親とは真逆の性格だ。

 王英の目指す夫婦像はお互いに思った事を言い合う、両親とは真逆の関係だ。

 女性達は母親のように生きる必要はないと思い、母親のように生きる全ての女性は、抑圧され、不自由な生活を強いられていると思い込んでいる。


 極めて狭く、特異で、(いびつ)な環境に15年も置かれ、こんな「厄介な思考回路」を持つに至った王英には、つくづく「お気の毒さま」としか言いようがない。



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 王英も20歳を過ぎ、妻を娶っていてもおかしくない歳になった。

 しかし、出会う女性に片っ端から声を掛けまくっていながら、王英にそんな気配は露ほどもない。


 だがそんな現実も、実は他ならぬ王英自身が「無理からぬ話だ」と、ある種の割り切りをもって受け入れている。

 王英を伴侶として選ぶか否かを決めるのは相手ではない。相手の家長なのだ。

 どこの馬の骨とも知れぬ、大した稼ぎもない、風采も上がらぬ、おまけに態度だけは一丁前の王英に、娘や妹を進んで差し出すはずがない。荒唐無稽もいいところだ。


 だからこそ、王英は貪欲に女性との交流を求める。

 どこの馬の骨とも知れぬ者でも、せめて予め女性との交流があれば、家長への印象も多少は違うだろう。


 理想を言えば気の強い女性が好みなのだが、王英は全く拘らない。

 傍からは楚々と(しお)らしく男性に従っているように見える女性だって、内面はどうか分からない。

 それはそうだ。「余所行き」ってモンがある。そうして慎ましく男性に従う事こそ、女性の美徳とされているのだから。

 というか、声を掛ける前から相手の内面を見抜く眼力など、(はな)から王英は持ち合わせていないのだから、声を掛ける前に拘っても仕方がない。


 ところが、そうしていざ声を掛けたところで「お前は今、自分が気付いてないだけで不幸な生活を送ってんだから、俺が幸せにしてやるぜ!」ってなノリで、マウントを取りたがるもんだから…


 まあ、言われた方は「はあっ!?!?」ってなるよね。

 分かる分かるww


 王英に結婚の話どころか、そもそも女性との縁がないのも、当然といえば当然の成り行きだった。


 そんな中、王英が出会った目の前の女性。


 許婚はおろか、初対面の王英に対してまで、全く物言いに遠慮がない。

 あまりに毒舌の斬れ味が鋭すぎて、ちょっと傷ついてしまった事と、傍目にはただ許婚とイチャコラしているだけに見えて、微笑ましいを通り越して羨ましい、どころか恨めしいくらいのアレな感じが癇に障るが、むしろその自己主張の強さは、王英にとって極めて魅力的に思えた。

 正に理想の女性像であり、理想の男女の関係である。


 そんな高揚感は、女の放った一言に呆気なく吹き飛ばされた。

※1「淮水」

現在の淮河。

※2「大別」

大別山脈。現在の安徽省、湖北省、河南省に跨がる。

※3「楚州」

現在の江蘇省淮安市と同塩城市一帯。

※4「車夫」

職業。荷車引き。

※5「五短身材」

「身長が低い」「小柄な体格」などの意。『水滸伝』で王英の体格を形容する際に用いられている言葉。

※6「員外」

資産家を指す呼称。金持ちの旦那。

※7「唐の武則天」

唐の第3代皇帝・高宗の皇后。正確には唐の帝位に就いたのではなく、第5代皇帝・睿宗を廃位させて武周(正式な国号は単に「周」)を興し、帝位についた。最晩年に退位すると、睿宗の兄・中宗(唐の第4代皇帝)が復位し、唐が復活する。中宗、睿宗の実母。在位690年~705年。


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