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水滸前伝  作者: 橋邑 鴻
第十回  李柳蝉 金梁橋に暴虎を打ち 曹刀鬼 山東への壮途に就くこと
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閑話休題「開封府(1)」

宋(北宋)の首都・開封府についてのお話です。引用が多いため、一部、具体的な参考資料名を記載しましたが、作者は中国語を全く話せないので、日本語訳については誤っている可能性があります。この小説での開封府の描写は、その「誤っているかもしれない訳」に基づいていますので、なにとぞ御了承下さいませ。

 王進(以下「王」):はぁ、困ったな…


 林冲(以下「林」):師匠(王進)、どうかしました?


 王:ん?ああ、ちょっと鈴を失くしてな。


 林:鈴?俺も一緒に探しましょうか?


 王:お、そうか。曹小哥(曹正)という、賢弟(林冲)の減らず口を諌めてくれる貴重な鈴が旅に出てしまって、途方に暮れてたところ──


 林:……(すい~)



 ──がっしっ!!



 王:何処へ行く?


 林:いや、ちょっと用事が…


 王:ここで私を手伝うのと、鍛練で手足をもがれるのと、好きな方を選んでいいぞ?


 林:怖っっ!!師匠が言うとシャレになんないですよ!てか、もがれる方を選ぶ訳なくないっすか!?


 王:ん、だから好きな方を選んでいいぞ?


 林:分かりましたよ、手伝えばいいんでしょ…



【史跡】


 王:さて、今回は開封府について話せという事だが──


 林:あれ?鈴を探すんじゃなかったんですか?


 王:付けたいのか?


 林:なるほど、開封についてっすねっ!!まず、何から話しやしょうか、旦那?


 王:何だ、そのザコAみたいな喋り方は…まあ、いい。開封府はもちろん実在の都市で、現在も河南省に開封市として名前を残してるが、現在の開封市にある宋代の史跡や遺構は、ほぼ全てが復元されたもののようだ。


 林:まあ、900年近く前の話ですからねぇ。


 王:それもあるが、それだけじゃない。開封は度々黄河の氾濫に見舞われ、現在の都市の下には明代の遺構が、宋代の遺構は更にその下に眠ってるらしい。


 林:へぇ~、くわばらくわばら。


 王:無論、宋代以前から都市自体は存在してたから、宋代の遺構の下には更に古い遺構が埋まってる。発掘調査によると全部で6層の遺構が積み重なってるようだ。



【城壁】


 王:次に開封府の城壁についてだが──


 林:後書き含め、本編でそれなりに描写されてましたよね?


 王:だから本編の補足という事らしい。


 林:…それは後々必要になったら、本編ですればいいんじゃないですか?


 王:ふぅ、いざ探すとなると、そう簡単に適当な鈴は見つかりそうにないな。仕方ない、これからは私が──


 林:よっ、博識の旦那っ!!どんなお話を聞かせてもらえるんで?


 王:うるさいぞ、ザコB…と、その前に、後書きにもあったが、用語についてもう一度、書いておくか。いちいち確認してもらうのも申し訳ないからな。本編の頃、開封府は三重の城壁で囲まれてた。それを踏まえた上で──


宮城(きゅうじょう)

・三重城壁の最も内側の城壁。皇宮を守る。「宮城(みやぎ)」ではない。


『旧城』

・三重城壁の中央の城壁。元々城壁が二重だった時期の外側の城壁。


『新城』

・三重城壁の最も外側の城壁。宋建国と同時期に、旧城を囲うよう新たに建造された城壁。


 林:何ですか、最初の但し書きみたいなのは…?ま、いっか。んで、城内の呼称も、どの城壁に囲まれてるかによって、大まかに次の三つに分けられますよ、っと。


大内(だいない)

・宮城に囲まれた区画。皇宮や宮殿が建ち並ぶ。皇帝の御座所。


『内城』

・旧城から宮城までの区画(=旧城に囲まれた区域の内、大内を除いた部分)。「裏城(りじょう)」とも言う。


『外城』

・新城から旧城までの区画(=新城に囲まれた区域の内、大内と内城を除いた部分)。新城が建造され、新たに城内となった区画。「羅城(らじょう)」とも言う。


 王:付け加えておくと、元々「城」とは「城壁()その城壁に囲まれた領域」の事だ。つまり、双方の意味を併せ持っているから、大内はまだしも、本来は上のように「城壁」と「領域」を区別したりはしない。例えば「新城(外城、羅城も同様)」と言えば、それは城壁の事でもあり、内城を除いた城内の事でもある。


 林:あくまで、この小説の中じゃ「便宜的に分けて呼んでる」って事ですよね。


 王:そういう事だ。さて本題だが、本編に「30km近く」とある新城の周囲については、特に『水滸伝』には記述が無いから、これは史書に基づいた設定だな。『宋史』と『宋會要輯稿』という二つの資料に、新城の周囲について具体的な記述がある。といっても、数値はどちらも全く同じだがな。


 林:オレサマ、オマエ、マルウツシ…?


 王:まあ、その可能性も無くはない、といったところだろう。


 林:でも、珍しいっすね。


 王:何がだ?


 林:具体的な資料名を出すなんて。


 王:賢弟と同じで、誰かさんが「ええカッコしい」なんだろ。


 林:手厳しい!


 王:『宋史』の方で紹介すると『新城周回五十里百六十五歩。大中祥符九年增築、元豐元年重修(中略)舊城週四十八里二百三十三歩、周顯德三年築』とある。ここに言う『舊(旧)城』は、上に書いた旧城の事じゃなく、956(後周・顕徳三)年に建築した当初の新城を指す。簡単に言うと「建築当初の新城は周囲が48里+233歩、増築後の周囲が50里+165歩」という事だな。


 林:この小説じゃ「一里=550m」でしたっけね?


 王:ああ。「歩」は身体尺の一種で、元々は「両足を揃えた状態から右足なり左足を前に出し、更に反対の足を前に出した長さ」が「1歩」とされていた。要するに、現代の感覚で言う「2歩」の事だ。


 林:ただ、人によって1歩の長さは全然違いますからねぇ。そこで正式な単位として「歩」を採用するにあたり、1歩を何尺とするか定められましたよ、と。


 王:一尺の長さが時代によってまちまちだから、必然的に1歩の長さも時代によって違うが、宋代については「1歩=1.6m」というのが通説のようだ。この小説でもそれを採用してる。


 林:それで計算すると、当初の城壁が周囲27km弱、増築後で28km弱ってトコか。まあ「30km近く」と言えば近くですかね。


 王:『宋會要輯稿』でも周囲長については『宋史』と全く同じ数値だから割愛するが、こちらはもう少し具体的な記述がある。改築後の新城は『高四丈、広五丈九尺』とあるから、高さが約12m、幅(厚さ)が約18mという事だな。


 林:ほうほう。


 王:また、改築の竣工が1078(元豊元)年だった事は『宋史』にも書かれてるが、『宋會要輯稿』によると、改築は1075(熙寧八)年9月に起工し、竣工が1078(元豊元)年10月とあるから、丸3年に亘る事業だった事が分かる。


 林:まあ、周囲長が元から1km近く伸びたって事は、単純計算で一辺を250m伸ばしてる訳ですからね。それくらいは掛かりますか。


 王:まあな。宋代には何度も新城の改修がなされたようだが、1078(元豊元)年以降は目立った改修の記録が見られなくなるから、そこで一区切りつけたようだ。次に宮城と旧城だが、こちらも『宋史』と『宋會要輯稿』は全く同じ記述だ。


 林:じゃあ、やっぱりオレサマ──


 王:それはもういい。宮城は『周回五里』で周囲が3km弱、旧城は『周回二十里一百五十五歩』で周囲11kmちょっと、ってところだな。


 林:城壁はいずれも正方形じゃなく、僅かに南北方向が長い長方形をしてますよね?


 王:本編で語られるか分からんが、その辺りを踏まえた上で、この小説では──


『宮城』東西約650m、南北約750m。


『旧城』東西約2.5km、南北約3km。


『新城』東西約6.5km、南北約7.5km。


 …ほどを想定して書かれてるようだ。ちなみに、現代の開封市で発掘調査が行われた結果、各城壁の周囲長については、およそ両書の数字通りだったらしい。


 林:まあ、どっちも史書ですからねぇ。そうそう適当な事も書かれてないでしょ。


 王:ああ、言い忘れた。新城には100歩毎に「馬面(ばめん)」が設けられていたと、する資料もあったな。


 林:「馬面」ってのは城壁に取り付いた敵兵を横から攻撃出来るよう、城壁の一部を外側に突出させた構造の事ですが…


 王:残念ながら『宋史』にも『宋會要輯稿』にも具体的な記述が無く、サイズ感は不明だ。


 林:あの…いいですか?


 王:良くない。が、何だ?


 林:さっきから「ようだ」とか「らしい」って表現がしょっちゅう出てくるんですけど、俺も師匠も開封の住人なんですよね?「不明」なら測れば済む話じゃなかろうかと…


 王:私がそれに気付いてないとでも!?文句があるなら今から調べに行って、正確な数字を書いてみろ。


 林:(ヤベっ)師匠、次いきましょう、次!



【城門】


 王:城門についても上の両書に詳細な記述があり、この小説では大体それに沿った名称を使ってる。


 林:なるほど。


 王:『水滸伝』の作中には、開封が舞台となる場面で城門の固有名詞が出てくる事があり、史書に載ってる名称ももちろん出てくるが、架空と言うか何と言うか、謂れのよく分からない名称もいくつか出てきてな。宋代に関する全ての史書を読み漁った訳じゃないから、何かの史書には名前が載ってるのかもしれんが。


 林:宋(北宋)より後年代に使われた名称とかですかね?


 王:その可能性が最も高いだろう。他にも『水滸伝』の元になった講談や、雑劇なんかで使われてた名称をそのまま取り入れたか、或いは全くの創作か…理由は色々と考えられるが、今となってはな。あとは通称という可能性もある。


 林:ああ、城門は結構、通称が付いてますよね。酸棗門(さんそうもん)とか。新城がまだ築かれてなかった時代には旧城北面の元化門、今の景龍門が酸棗門と呼ばれてたみたいですけど、今は新城北面の通天門が新酸棗門、景龍門は旧酸棗門なんて呼ばれたりしてますもんね。


 王:さすが、詳しいな。


 林:…?そりゃ生粋の開封っ子ですから。


 王:んん、まあ…そうだな。


 林:…??


 王:『水滸伝』にも酸棗門の名は出てくるが、記述は単に「酸棗門」とだけある。ただ、読む限り、門外の描写が城外のような印象を受けるから、この酸棗門は新城の通天門、つまり新酸棗門と考えるのが妥当だろう。というか、そもそも『水滸伝』では内城と外城の区別がなされてないような印象があるんだが。


 林:んー…つまり、城壁が二重の設定で書かれてる、と。


 王:あくまで、こっちの作者が読んだ印象としては、な。


 林:それはそうと、師匠。何ですか?さっきの変な間は…?


 王:世の中には知らん方がいい事もある。


 林:ソレ絶対、(ろく)な目に遭わない感じのヤァツ!


 王:宋代の開封府を描写した貴重な資料に、もう一つ『東京夢華録』という書物があってな。


 林:ああ、俺の不安が華麗にスルーされた…


 王:『東京夢華録』は史書じゃなく、随筆のようなもので、開封城内の詳細な描写がある他、当時の慣習や節句など、民俗風習が事細かに記載された宋(北宋)代の一級資料だ。その中でもほぼ全ての城門について触れられてるんだが、史書にある名称と通称がごちゃ混ぜでな。少なくとも『水滸伝』の謂れ不明な城門の名は載ってないが、載ってないというだけで、その名称が通称として使われてた可能性も無い訳じゃない。


 林:開封には人流用だけでも20以上の門がありますからね。現代まで伝わってない通称があったとしてもおかしくはない、って事ですか。


 王:もう一つ、甕城(おうじょう)という可能性も無くはない。『東京夢華録』の中には「外城の城門」、つまり新城の門について『城門皆甕城三層(全ての城門には三層の甕城があり)』という記述がある。


 林:「甕城」の説明は本編の後書きにお任せとして、ただの壁で城門を囲っちゃうと門が使えなくなるから、当然、甕城にも門が…ああ、その甕門(甕城の門)の名前が後世に伝わって『水滸伝』に登場したって事ですか?


 王:可能性は限りなく低いがな。そもそも各甕門に名が付いてたとする資料すら見当たらん。


 林:じゃあ、何で紹介したんですか…


 王:ここは城門について紹介するコーナーだが!?


 林:(ヤベっ)いっけね、そうですよね。いやぁ、うっかりうっかり。


 王:本編では一度、李小姐(李柳蝉)が含輝門を通る描写があるが、そこでも甕城が描かれていたな。『東京夢華録』に『甕城三層』とあるのは、恐らく「甕城だけで三層」、つまり入城の際には「新城の含輝門を含めて都合、四つの門を潜る」という意味だろう。


 林:…あの、師匠?


 王:見てくるか?


 林:いえ…


 王:幾つかの甕城は発掘調査の結果、およそのサイズが判明しているようだが、正門と側門で違いがある。


 林:本編の後書きにあった通り、開封新城の四面には正門が一対(「対」は門を数える単位。一つ)ずつあり、陛下が京師を出行(しゅっこう)される際は、正門を通御(つうぎょ)なされるのがしきたりです。で、それ以外の門が「側門(副門)」って事ですね。


 王:南面・南薫門の他に、東面・朝陽門、北面・景陽門、西面・順天門が各面の正門だな。本編では出行に際し、あたかも御街と南薫門しか使われないような書き方だったが。


 林:さっきの話じゃないですけど、新城の周囲は30km弱もありますからね。さすがに北方へ行幸なされるのに、わざわざ一旦南に出て、宸襟(しんきん)を煩わせるような事はしません。


 王:さて、甕城についてだが、細かな数値はさておきとして、正門の甕城は幅(新城南北面の甕城で東西長、新城東西面の甕城で南北長)が100m超、大きいものになると150m以上にもなり、奥行き(甕城の突端から新城の城門までの距離)が100mほどにもなったらしい。一方、側門の甕城は幅で100mほど、奥行きで50m前後の造りだったようだ。


 林:本編の後書きに「城門と甕門を同一線上に配置する事はない」とあるのは、衝車なんかの攻城兵器に対する備えとしてです。一方「正門の城門と甕門が一直線に配置されている」理由は、さっきも言ったように、陛下の通御に利用されるからです。


 王:まあ、防衛上の観点からは褒められた事じゃないかもしれんが、いざ陛下の御出行に際し、その進路を遮るような造りには出来んさ。これは『東京夢華録』にも『城門皆甕城三層、屈曲開門、唯南薰門、新鄭門、新宋門、封丘門皆直門両重、蓋此系四正門、皆留御路故也』と記載がある。


 林:ざっくり訳すと「全ての城門は三層の甕城を持ち、開門しても(門と門を繋ぐ経路が)屈曲するようになっている。ただ、南薫門、新鄭門(順天門)、新宋門(朝陽門)、封丘門(景陽門)だけは、直線的(に重なるよう)な門(城門と甕門)の配置となっているが、これはこの四つの正門が(陛下が通御なされる)御路だからだ」って感じですかね?


 王:恐らくな。発掘調査でも『東京夢華録』の記述に沿った結果が出たようだ。さて、最後に余談だが…『水滸伝』の第2回に、私が自宅を出た後「西華門を通って城外に出た」という描写がある。しかし、これは明らかな誤りだ。


林:えっ!?師匠、スッゲぇww『水滸伝』の中じゃ大内に(・・・)住んでるんですね。


王:そんな訳がなかろうが。実際、当時の開封府には「西華門」という名称の門があって、これは『宋史』『宋會要輯稿』『東京夢華録』のいずれにも記述があるが、いずれも「宮城の(・・・)西門」となっている。それをそのまま『水滸伝』の第2回に当て嵌めると…


林:自宅を出て宮城の西華門を通って城外に出るには、師匠の自宅が大内にないと不可能ですもんねww


王:『水滸伝』の中では開封府の城壁を「二重以上」と想定してるのは間違いないが、そう考えると第2回の西華門は、明らかに「外周の(西)城門」を意図して描かれてる。それだけなら単に事実関係の誤りという事で話は終わりなんだが、西華門は物語の後半にも何度か登場し、そちらは「宮城の城門」「外周の城門」の、どちらとも取れるような描かれ方がされてる。


林:…ん?第2回が「外周の城門」で、それ以外が「どちらとも取れる」んですよね?なら、結局「外周の城門」って認識なんじゃないんですか?


王:宮城の東に「東華門」があるだろ?


林:ありますね。


王:東華門も『水滸伝』に登場するんだがな。こちらは何処からどう読んでも「宮城の東門」としか読めん。


林:Oh…東華門が使われてる以上、適当な名前を付けたって事もないでしょうし、名称的に西華門は東華門と対になる門ですからねぇ。片や「宮城の東門」、片や「外周の(西)城門」ってのは、さすがに不自然ですか。


王:恐らくだが、作者の中でも西華門が「宮城の城門」なのか「外周の城門」なのか、認識が曖昧だったんだろうな。それで後半に登場させる時は、どちらにも取れるような描写にして「良し」としたんじゃないか。



【街並み】


 王:城門の名称については採用されなかったが、この小説での開封城内の描写は、殆どが『東京夢華録』の内容に沿ったものになってる。


 林:結構、固有名詞が出てきましたね。


 王:『水滸伝』にも登場するところだと、金梁橋や桑家瓦市、御街、潘楼といったところか。まあ、潘楼は名前が出てくるだけだが。


 林:橋の名前まで『東京夢華録』に載ってるんですか?


 王:かなり詳細にな。『東京夢華録』を著した(もう)元老(げんろう)という人は、丁度、本編の頃、開封に住んでたようだ。(きん)(国名)の侵攻によって南へ移り住んだ後、開封での生活を懐かしんで書かれたのが、この『東京夢華録』と言われてる。言ってみれば回顧録のような物かもしれないな。ちなみに、家は金梁橋の程近くだったそうだ。


 林:へぇー、何か急に親近感が…


 王:実際に暮らしてた(とされる)者が記した書だからな。現代で一級資料として扱われるのも納得だ。翻って『水滸伝』は、小説としての評価は極めて高いが、個別の固有名詞なんかは史実に沿ってない事も多い。「山東や中原を主要な舞台としていながら、府州や県の位置関係がデタラメ」というのは、よく指摘されるところだ。


 林:それでも小説としての評価は高いんですから、細かい事に拘ってこんなトコで講釈垂れてる、どっかの作者にも見習ってほしいモンですねぇ。


 王:世の中には願ったところで、どうにもならん事もある。


 林:ww


 王:『水滸伝』は講談や雑劇なんかで伝わってたエピソードを取り入れた部分も多いようだが、内容を深く考えずにそのまま取り入れたり、訂正を忘れた為に矛盾してしまった、というところだろうな。しかし、開封城内の描写に限ってみれば…まあ、謂れの分からない名称も出てくるには出てくるが、信憑性が高いと言われる『東京夢華録』と整合性のある描写も多い。


 林:…あれ?もしかしてこっちも、オレサマ──


 王:それはもういい、と言ったろう。ただまあ、年代的には『東京夢華録』の方が遥かに早く完成してた訳だし、丸写しかどうかはともかくとして、内容を参考にした可能性が全く無いとも言い切れんのは確かだが。


 林:ま、それこそ今となっちゃ検証のしようもありませんけどね。


 王:さて、今回はこのくらいにするか。


 林:…『今回は』?


 王:こんなトコで講釈垂れてるどっかの作者が、まだ喋り足りないらしい。


 林:ああ、それは…御苦労さまです。


 王:何で「自分の役目は終わった」みたいな顔してるんだ。賢弟は次回も呼ばれるらしいぞ?


 林:またまたぁ…え?冗談ですよね??


 王:冗談に聞こえたか?


 林:謹んで御辞退申し上げます。


 王:却下だ。さっき「どっかの作者」をディスったろう。カチンときたらしい。


 林:いや、どっちかって言ったら師匠の方が──


 王:私はお役御免かもしれんがな。


 林:おぉおい、ずっちぃなぁ!

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