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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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隠れ里

挿絵(By みてみん)


連なる山肌に穿たれたアスファルトの道路。そこから俺が住む町は一望できる。

新興住宅地っぽいが、古い家も半々くらい混ざっている。町の端には港が見える。…遥か向こうには、水平線が見える。



―――ここは、どこだ。



俺の住む町…などと云いはしたが、俺はそもそもこの町に住んではいない。…否、俺が住んでいる町にこんな場所はない。だがここは紛れもなく『俺が住む町』としか云いようがないのだ。

そして俺はさほど混乱していない。あぁ、またこの感覚か。そう思うだけだ。

「あ、兄ちゃん!」

弟の    が、俺を一段下の道路から見上げていた。山道が多いこの町の道路は部分的に山を巻くように蛇行している。

「約束だったじゃん!今日はあの紙飛行機の折り方、教えてくれるんでしょ」

「…ああ、そうだったか」

そうだったか。葛の根を掘るのを手伝ったら、秘伝のよく飛ぶ紙飛行機を教えてやると約束していた。だが。

「なぁ、   は、どこだ」

妹の    は、弟よりも3つも年下だ。放っておいたら△△△に取られる。一人にさせたら△△△に。一番下の妹は、去年取られたばかりだ。△△△に取られた子供は、どうなってしまうのか。

「     は、まだ浜にいるよ。貝を拾ってる」

「1人で?」

「友達と。…もう大丈夫だよ。あいつもう7歳になるんだよ。△△△だって、そんな大きい子は」

「そうだったな…」

俺は     が持ってきたチラシを膝に置いて半分に折った。一つ一つ、手順を説明しながら折っていく。そしてガードレールから乗り出して紙飛行機を風に乗せた。それはとてもよく飛んだ。

「あー………」

見よう見まねで   が作った紙飛行機は、変な回転をして崖下へ消えた。

「なんでー?」

「なんか折り方飛ばしてないか。見てやるから折ってみな」

そう云って腰をかがめた瞬間、俺は背後に人の気配を感じてのろりと振り返った。



「珍しい所にいるではないか、結貴」



古い羽織を肩に掛けた男が、俺と    を見下ろしていた。    は怯えたように縮こまり、男が手を伸ばすと脱兎のごとく逃げ出した。男は険しい顔をして、弟の背中を凝視し続けた。

「何で、俺の名前を知っているのですか」

俺の問いに、男は目を丸くした。

「ほぅ、そういう感じなんだねぇ…」

答えになっていない。だが俺は答え自体に、大して興味を持っていなかった。心のどこかで、この問いの答えが出ている。今は自覚できないだけ。この感覚もいつものやつだ。



―――飛ばした紙飛行機が、ひらりと手元に戻っていた。



「…面妖だねぇ」

さっきからこいつは。紙飛行機が戻って来たからなんだというのか。俺は改めて男を観察してみる。ぼさぼさの髪に、妖しい色の汚れた眼鏡。…どうせろくなやつじゃない。俺は何も返事をしなかった。

「…では」

軽く会釈して踵を返した。今頃    が怯えている。行って、安心させてやらないと。

「最後に」

男が呼び止めるように声を張った。

「さっき走って行った子、あれは君の子供かい?」

「いえ、弟です」

「名前は?」



―――名前?



「いえ、あの、ちょっと」

名前、名前、名前……おかしいな、生まれた時からずっといたあの子の名前が分からない。分からない。さっき浜辺で貝を拾っていた妹の名前、△△△に連れていかれた妹の名前……。何で!?何で何も思い出せない!?

男は…くっくっくと低く笑ってガードレールから身を乗り出した。

「…そうきたか。面白いな…」

「ちょ…あんた危ない…!!」

「君があの子供達の名を思い出せない、その理由を教えてやろう」

止める暇すらなく、男はさっき    の紙飛行機が落ちて行った崖に吸い込まれるように落ちて行った。崖の暗がりから、男の低い声が響き渡った。



「名前がないのだよ、その子たちには」





酷い寝汗で目が覚めた。

そして目が覚めた瞬間思い出した。奉だあれ。何で夢の中では気が付かなかったんだ!?名前がない弟やら妹やら…は、まぁ夢あるあるだが、厭な夢を見たものだ。とても不吉な…風光明美な海辺の町だったというのに、なにか重たいものが無数にまとわりついてくるような、厭な後味が残る夢。…寝直す気にはなれなかった。あの『俺の住む町』には戻りたくない。




「昨日は、お邪魔したな」

出会い頭に、奉がそう云って笑った。

今日も着替えを届けに、本殿の裏の洞を訪ねた。普段なら起きて5分で消し飛ぶような悪い夢が、午後までまとわりついて離れなくて何故か無性に、奉にこの夢の話をしたかったのだ。いつものように傍らで湯を沸かすきじとらさんは、今日も少し首を傾げて俺を凝視する。やはり、慣れない。彼女の凝視は。

「お前絡みか」

「そうとも云えるし、そうではないとも云える」

差し入れに持ってきた水ようかんを、奉は茶が入るのも待たずに食い始めた。一口がデカいので、小さな水ようかんは4掬い程で消えた。完全に俺の分も狙っているので、俺も茶が入る前に一つ確保する。右の背後から白い手が、すっと香りのよい茶を差し出してきた。

「新茶が、入ったのですよ」

「あっ…ありがとう、ございます…」

慌てて受け取ったので茶が波打った。少し手に零したが、大して熱くない。彼女の茶は、いつもぬるめだ。

「―――落ち着かないんだよ、あの夢。妙に感覚がリアルで、正夢みたいなのに誰の名前も思い出せない」

「夢ではないねぇ、あれ」

奉は書に目を走らせながら、二つ目の水ようかんの蓋を剥いた。

「くっそ…開けづらいなこれ。大体、お前は昔から気が利かない。俺の片手は常に塞がっていることは知っているだろうに。片手で食える物を持ってこいよ。ようかんとか、きんつばとか大福とか」

「うるさい。旨いものが食いたいなら、食うか読むかどっちかにしろ」

物心ついてからこっち、この台詞を何度くちにしたか分からない。いや、今日はそれより。

「で、夢じゃないなら何だというのだ」



「――――隠れ里、かねぇ」



ひどく歯切れの悪い様子で、奉が呟いた。

「隠れ里?」

あれか、とっぷりと日が暮れた山中で偶然見つけ、歓待されるも山を出ると二度とたどり着けないという。

「人ならぬ者が、人から身を隠すための集落よ。体を持たない存在であれば、里そのものも、幻で構わないだろう」

「…何、云ってんだ?」

奉は言葉を止め、きじとらさんのような目で俺を凝視した。…やめろ、その目つき二人がかりでされると落ち着かない。



「住みつかれたねぇ、お前」



俺の胸元辺りを指でトンと指し、尚も凝視を続ける。

「ここに」

「なんかの比喩か」

「……いや」

茶を一口啜って、奉は顔の前で指を組んだ。こういう時に限って、煙色の眼鏡はこいつの表情を読ませない。




「あいつらは、本家で俺を待ち構えるのはやめたらしい」




眼鏡の奥にほんの一瞬だけ、奉の本当の貌が見えた。…あの梅雨の日、年に一度、生まれるはずだった子供に体を明け渡すあの日に見せる、罪悪感や憐憫がない交ぜになった…その奥にほんの少しだけ宿る、嗜虐の貌。

俺は知っている。

「―――俺に住み着いたのは」

名前を持たない、あの憐れな子供達なのか?そう問い詰めたいのを、俺はぐっと堪えた。巧妙に隠してはいるものの、奉はこのような自分の在り方に『罪悪感』を抱いている。最初からそうなのか、少しずつそうなっていったのかは俺には分からないけれど。

ならば夢だと思わせておけば良かった。なのに奉は踏み込んだ。



奉は俺に云いたい事、否、云わなければならないことがあるんだ。



俺は静かに、奉の言葉を待つことにした。

……奉はふいに書を閉じて、のろりと顔を上げた。

「―――先に、謝っておく。場合によっては」




俺かお前、どちらかが死ぬ。




きじとらさんが、そっと奉の背後に寄り添った。…もし俺が飛縁魔を受け入れていたら、彼女はこんな風に俺に寄り添ってくれたのだろうか。自分でも不思議だが、死そのものは全然リアルじゃなくて、そんな下らない事ばかりが頭をよぎった。

「ピンと来ないな、死んだことないし。それより茶がもう少し欲しい」

声に出してみたら、俺は自分が少し無理をしていることに気が付いた。語尾がかすれた。

「――俺の記憶がない、名前が無い子供達、物理法則を無視したものの動きを当然のように受け入れる…隠れ里は、微妙にお前の『中身』をいじるようだねぇ、隠れ里の在りように合わせて」

奉が顎に手をあてて、再び視線を下げた。

「夢だからだと思っていた」

「違和感を消して、理想の居場所をこしらえたいのだろう。だから」




隠れ里で感じた違和感は、逐一俺に報告しろ




無駄だろうけどねぇ、と呟いて、奉は再び書に目を落とした。

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