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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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ひだる神

挿絵(By みてみん)


―――腹が減った。



書の洞を、更に分け入った先にこんな空間があるとは思わなかった。こんな状況下だというのに、俺は少し感心していた。



大空洞だ。



溶けた書が垂れて鍾乳石のように不安定な柱を作り出す空洞。それは俺を収納して余りある広さだ。何だかんだで6畳くらいはあるのではないか。

そして奉の居場所に繋がっていると思しきくびれた洞には、鉄柵がはめ込まれていた。

「暫くここに居ろ」

そう言い捨てて奉が出て行ってから、もう半日くらいになるだろうか。退屈しのぎにと奴が置いて行ったのは大量の本と、携帯ゲーム機。本つまんねぇし、ゲームはRPGだ。レベルだけ上げておけ、イベント進めるなとか身勝手なことを云われている。…誰がやるかそんなもん。

 大空洞(?)には地底湖もある。玉群神社の一帯は不思議と、水だけは旨い。



つまり俺はこの半日、水しか与えられていない。



事の始まりは、奴を久しぶりに大学に引きずっていった一昨日の午後だった。

「―――安定のまずさだなぁ」

ぶつくさ呟きながら、奉はB定食をつついていた。学食に来ると奉はいつも、B定食を頼む。

「まずいなら他のを食べたらいいだろう」

「他のやつはまずさが不安定だ」

奉曰く、B定食に使われる業務用のカニクリームコロッケと牛肉コロッケは、常に、いつ食べても、何が何でも全く同じ味なのだそうだ。

「まずさにサプライズがない。だがA定食の生姜焼きは、まずさにブレがあるのだ。のけぞる程にまずい日もあり、ときに旨かったりする日すらあり、頼むたびに心がざわざわする」

……ちょっと何云っているのか分からん。

「要はA定食は旨い場合もあるのだろう」

「俺は食事にそういうギャンブル性を求めていない。安寧だ。低~いとこで結構、安寧を求めているんだなぁ」

いつも通り、半地下の学食で無駄口を叩きながら駄弁っていると、右隣に妙な圧力を感じた。圧力というか熱気というか蒸気というか。とにかくムシッとした何かが、俺の横を占めたのだ。

「うす、青島。そっちは玉群か」

……俺?……てか、誰?

「お、D定食」

奉が呟いた。…お前、話しかけられているのに、真っ先に反応するのが他人の昼飯か。…横に座ったのは、確実に見覚えのない巨漢。とはいえ、筋肉太りした筋骨隆々たる巨漢ではない。ただ吸い込み、肥えた。そんな巨漢だった。失礼かとは思いつつ、俺は男を凝視した。

「………信田!?」

「忘れてたのか、失礼な」

「いや、だって……」



―――面影があるのは、窪んだ眼だけなのだ。



「……どうしたんだ、それ」

重ね重ね失礼とは思いつつ、問わずにはいられない。どうした。この2か月あまり、どうして学校に姿を見せなかった。そしてどうした、どうやって、そこまで肥えた?

「わかんねぇ。…喰っていた」

それだけ呟くと、奴はD定食を貪り始めた。ここの学食で『D定食』といえば即ち『フライのドカ盛り』である。ありとあらゆるフライを適当にぶっ込んで申し訳程度に添えられた千切りキャベツとポテトサラダで野菜を食った気にさせてくれる、云わば腹を満たすだけの定食。しかも米は大盛…。どうしてしまったのだ、信田。

「喰っていた…って、2か月も?」

信田は答えない。頷きすらしない。



大人しい男だった。



同じ授業を選択していることが多かったので、偶に言葉を交わすようになった。そういう知り合いは数多くいる。信田はその中の一人だ。あまり自分から話しかけてくるタイプではなく、誰にも話しかけられなければ窪んだ眼でじっと机を眺めている、そういう男だ。正直、今なんでツレが居る状態の俺の横に座ったのか分かりかねる。

「Dいったか。信田」

奉…お前はお前で何でさっきからD定食にこだわる!?

「腹が減って…どうにもならないんだ…」



―――箸が。



俺の皿に伸び、食いかけのハンバーグを掠めた。あり?と思った刹那、ハンバーグは信田の巨躯に吸い込まれて消えた。

「……え?」

突如理不尽にメインのおかずを奪われた怒りよりも何よりも、俺は。

「……次は、青島か」

残念そうな、憐れむような口調で信田が呟いた。何故か、そろりと何かに背筋を撫でられたような悪寒が走った。向かいでB定食を食っている奉が、咀嚼しながらじっと俺たちを見比べている。…煙色の眼鏡が光を弾くや否や、奴は急速な勢いで飯を掻きこみ始めた。…あ、こいつ取られることを警戒し始めたな。

「な、なぁ信田…体に、悪いぞ」

そう声を掛けた瞬間、奉が立ち上がった。完食したらしい。トイレにでも行くのだろうか。無言で大盛の飯を掻きこむ信田に不吉なものを感じてもう一度声を掛けようとした時、奉が俺の肘を掴みあげた。物凄い力だ。

「痛い、何だよ」

「まずいねぇ、こりゃ」

「まずさに納得して食ってんじゃないのかよ」

「B定食の話じゃない。…もう行くぞ」

「いや見ろよ、俺まだ食ってる」

「信田に呉れてやれ」

「いや何云ってんだ、これ以上食ったら」

俺の言葉が終わるのを待たず、奴は古い羽織を翻して席を立った。俺の肘を引きずりながら。何がなんだか分からぬまま、俺も席を立つ。

「え、あのな、信田!!体に悪いぞ、もうそれ以上食うな!!」

最後にそれだけ叫んで、走る羽目になった。信田の口がもぞもぞと動いたが、何を云ったのかは分からなかった。

「おい、お前も何だよ!俺まだ食べてただろ!?」

何だか分からないが俺の平穏な午後はぶち壊しだ。学食の入口を出た辺りで、不満が爆発した。

「忘れろ」

「何を!?」

「あいつはもう助からない」

「は!?」

「まずいねぇ、ほんと、まずいことになったねぇ」



だが、お前はまだ助かる。



それっきり、奉は何も云わなかった。

俺に何かが起こったのだな。それだけは理解した。で、俺は洞の奥の牢屋っぽい場所に放り込まれている。時折きじとらさんがふらりと現れては様子を見るようなそぶりをする。そして若干心配を滲ませた表情で首を傾げた。肩口で揃えられた黒髪がさらりと揺れる。退屈だと訴えると、猫じゃらしを鉄柵の隙間に差し込んでゆらゆらさせてくれる。…くそ、一体俺に何を求めているのだ、この人は。

「あの…きじとらさん」

「はい、なんでしょう」

「何か食べちゃ駄目ですか」

「駄目です」

食べることが呼び水になると、奉様が。きじとらさんは言葉少なに云うと、再び猫じゃらしを揺らし始めた。

「猫じゃらしは、いいです」

「そう。いいものですね」

「いや違う。要りません、という意味です」

「…そうですか」

きじとらさんの感覚は、少しずれている。普段はそんなには気にならないが、こうして二人きりになるともう、俺はどうしていいのか分からない。

「では、私はこれで」

「いや、ちょっ…ちょっと!!」

待て待ていくらなんでも猫じゃらし振るだけ振って放置は酷いんじゃないか!?

「何か情報、下さいよ!俺何も聞いてない状態でここに放り込まれて!!」

「何を、聞きたいのですか?」

そう云って小首をかしげ、大きな瞳で俺を凝視する。

「あの…俺はどうしてここに居るんですか、そしていつまでここに居ればいいんですか!?」

きじとらさんは困ったような顔で反対側に首を傾げ、そのまま少し固まる。

「今は知らない方がいい、と」

「……分かりました。じゃ、いつまで居ればいいのかだけでも!」

困った顔は消えない。…まさか。決まっていないのか…!?

「どうして教えてくれないんですか!?」

「今は知らない方がいい、と」

「教えてください!!」

「開けませんよ」

「いいから!」



「信田、という男が、死ぬまでです」



―――信田!!!!

きじとらさんは俺が何か言い返す前に鉄柵の前を離れた。

ちょっと待て、信田が死ぬってどういうことだ、何も聞いてない、その前に俺がここに居る理由は何だ。

俺は敬語も忘れて色々な事を叫んだ気がする。壊れる筈のない鉄柵を何度も叩いた。奉を呼んだ。

きじとらさんは姿を現す事はなかった。





―――奉が俺を迎えに来たのは明け方近くだった。





「信田が、死んだのか」

鉄柵の前に現れた奉は、何も云わなかった。ただ、鉄柵の錠を外した。…それが、全てを語っていた。不承不承だが俺は立ち上がった。くらりと眩暈がして、手探りで鉄柵を掴む。

「…何か、食いたい」

自分でも意外な言葉が出た。淡い燭台の光を背にした奉の表情は、見えない。押し殺したような声が、洞を満たした。

「声が、聞こえてはいないか?」

「声?…お前の声か?」

奉が軽く息を吐く音が聞こえた。




10分後、俺たちはチェーン店のうどん屋にいた。席を見つけて腰をおろした瞬間から俺の両頬を包む出汁の香りに箸を割る時間ももどかしく、温かいうどんをすする。俺が食っている間、奉はしげしげと俺の様子を伺っている…ように見えた。

「…ふぁう」

人心地ついたら変な声が出た。大盛の丼は空になり、一緒に頼んだ鶏天ぷらと稲荷寿司はもてあまし気味だ。腹が減り過ぎていたせいで余計に頼み過ぎた。

「まだ、腹は減っているのか」

奉が探るような目をして聞いてきた。…ああそうか、残った鶏天を狙っているのだな。

「鶏天一個やる」

「…もらうが」

奴は鶏天をひょいとつまんで、自分の丼に落とした。

「信田は『ひだる神』に憑かれた」

「ひだる神?」

「知らんか?」

「聞いた事はある」

餓鬼憑きみたいなものだろう?山道とかで急に腹が減って動けなくなるという。現象も有名なら対処法も有名だ。何でもいいから、口に入れたらいい。その程度の妖だと聞いているが…。

「そういう『ひだる神』はそれでいい。飢えて死んだ者達の怨霊が凝って顕れたものだから」

満たしてやれば離れる。だが…そう呟いて、奉は口を引き結んだ。

「あれは、質の悪い方のやつだ」

「餓死者の怨霊よりも!?」

餓死って相当悲惨な死に方だぞ!?もっと酷い死に方した奴がいるのか!?

「まず、元々が人ではない」

山の神が、怨霊となって顕れたものだからねぇ…と呟き、眼鏡を曇らせてうどんを啜った。

「それも、祀られず朽ちた山の神。昔は祀られていたらしいがねぇ…よくある事よ。比叡山の台頭に廃仏毀釈。人は時の移り変わりで変幻自在に信仰を替える」

「…へぇ」

「だが、かつて祀られていたものが消えるわけじゃないんだなぁ。かつて在ったもの達は己を祀る人々を喪い、飢えながらもさらに在る。…そりゃ、地獄だ。餓死のレベルじゃない」

飢えて飢えて仕方ない…そう云って、十分ふやけた鶏天を掬いあげ、齧る。

「思うに信田は、そんな神の怨霊の逆鱗に触れるような事を、何かしてしまったんだろうねぇ。だから、強引に依代にされた。使い捨てのな」

信田はそんな奴では…と言いかけて口をつぐむ。…教室で会うだけだった信田の事を、俺は深く知らない。

「飢えた山の神は依代を得て『供物』を強引に取り込む。何千年、もしくは何万年もの空白を埋めるように、がむしゃらに。だが足りない。いくら喰っても満たされない。そのうち使い捨ての依代は、綻び始める…」

そこで新しい依代を探す。信田がお前の『供物』を奪った時点で、お前が次の『依代』としてロックオンされたんだよ…などと厭な事を云って出汁を啜った。

「何でだ?俺はその神とやらに呪われるようなことはしていないよな」

「あのな、お前な」

二つめの鶏天も勝手に丼に放り込んで、奴は大きく息をついた。

「勘違いしてないか?相手は神だぞ。恨みがあるかどうかで律儀に餌場を替えるかよ」

単に、味を占めたんだよ依代を得ることに。そう云って奴は俺からせしめた鶏天を旨そうに齧った。

「それとも何か?牧場主は邪悪な牛しか屠殺しちゃいけないのかねぇ」

……何だ邪悪な牛って。この玉群神社の奉神といい、信田に憑いた神といい…。

「俺のことは餌としかみなしていなかったのか。神ってのはろくでもないのばっかりだな…」

「はん。お前は今まで食ったパンの数を覚えているのか?」

そう云ってにやりと笑った。うわ、こいつ多分これを云いたかっただけだ。…しかし。

「…お前は、その『神』に話をつけてくれたんだな」

「話なんぞ通じるものか。祟り神なんてレベルじゃない、飢えて狂った神だぞ。そんなのに触手を伸ばされたらもう、逃れようがないんだよ、本来な」

「えっじゃあ俺は!?」

「逃れる手段はただ一つ。『使えない』と思わせることだ。水以外口に出来ない状況を、信田が死ぬまで続ける。すると『どうやらこの依代からは供物が得られない』とみなされ『神渡り』は為されない。もっと長丁場になるかと思ったんだけど、意外に早めにカタがついたねぇ」

カタがついた…厭な云い方をするな。食欲は完全に失せた。間違いなく、俺は『依代』からは逃れられたのだろう。



―――信田亡き後、狂った神とやらはどうなるのだろうか。



「知らんねぇ」

人を見透かしたように、奉が勝手に答えた。

「信田が死ぬ前に、早々にお前を見限って他の依代を探したかも知れないし、腹を空かせたまま何処ぞに消えたかも知れないし…それか」

案外、俺みたいになってたりしてなぁ。そう云って、やると云ってないのに勝手に稲荷寿司の皿を手前に寄せてかぶりついた。



―――あれ?俺…元々、ひだる神に憑かれてないか?

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