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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
58/59

桂男

「君が、青島君かな」

ガラス張りの学食には、秋の陽光が差し込んでいる。今年は金木犀がだいぶ遅れているな⋯などと呑気に考えながら日替わりランチのAセットをゆっくり食べていると、一人の男が俺の机に手をついた。

「えっ⋯⋯と」

「教務課の村田です。少し時間いいかな」

俺の返事を待つことなく、村田と名乗る白髪混じりの男は俺の前に座った。周囲がざわめき始める。この展開の多さよ。俺はいい加減、ゲンナリしていた。

「⋯⋯教務課に目をつけられるような悪いことをした覚えはないんですが」

強いていえば勝手に持ち込まれる厄介事を解決して、いくばくかの収入を得ている。この学食の利用頻度も少しだけ増え、今日も今週3回目の日替わりランチだ。

「いやいや、物騒な話じゃないよ。君、最近引っ越したでしょ」

指を軽く組んで、村田氏がにこりと笑った。

「転居先の届けを出して貰っていいかな?」

「あ」

忘れていた。俺への郵便物を実家に郵送されても二度手間だ。

「すみませんでした。あとで教務課に寄ります」

「助かるよ。3時に教務課で待ってるからね」

笑顔を崩さないまま、村田氏は席を離れた。あー忘れてた、四限の授業出席したら帰りに寄るか⋯とAセットをかきこみながら、ふと違和感が頭をよぎる。


⋯助かる?待ってる?


パッと見、主任以上の地位じゃないか。そんな人がパパっと書いて仕舞いの転居届如きのために時間指定までして一学生の俺を待つだろうか。更に言えば転居は転居だが、実家を出て学校近くの屋敷に居を移しただけだ。俺が転居届を書かなくとも、最悪実家には郵送物は届く。教務課がわざわざ気にする程の事か?

「⋯どの道、寄るしなぁ⋯」

考えても仕方ない。セットの味噌汁を飲み干すと、席を立った。



教務課の窓口に転居届を提出していると、村田氏が早足で近づいてきた。

「待ってたよ、青島くん」

「⋯⋯どうも」


―――なぜ来る。


転居届だぞ。提出したら仕舞いの簡単なお仕事だろう。主任クラスが出張ってくるような案件じゃない。そんな疑念が顔に出てしまっていたのだろうか、村田氏はちらり、と周囲を見渡すと俺に顔を寄せて小声で囁いた。

「個室をとってあるから、そちらに移動を」



村田氏に連れて来られたのは、奥の応接室だった。

―――やはり、教務課に目をつけられたか。

背筋が強ばった。無理もない。電車内で猿を抱えて爆走したり、彼女のビキニを毟り取ったり、拝み屋を起業したりと、俺の素行は目に余る⋯と解釈されてもおかしくない噂が流れている。草間の死に関わっているとの噂まで。ここで下手に言い逃れをしても益々心証が悪くなるだけだ。一先ず話を聞こう。そして停学なり謹慎なり、言い渡されてから考えよう。

「よく来てくれたね、待ってたよ。座って」

そう言ってニコリと笑うが、目は笑っていない。

「呼ばれた理由をお伺いしても?」

腰掛けながら話を振る。事務員らしきお姉さんが、プラスチックカップのコーヒーを置いて一礼⋯するタイミングで俺をまじまじと見た。目が合うと慌てたように笑顔を浮かべてそそくさと去っていった。

「すまないね、こんな呼び方をして。他の生徒に聞かれたくなくてね」

「えぇ⋯物騒な話、なんですね」

退学⋯まで行くだろうか。行かないよな。我知らず、汗が背中を伝った。

「物騒な話をするよ。⋯実は、仕事をお願いしたい」


「そっちかよ!!」


ソファからずり落ちそうになった。

「勘弁して下さいよ⋯何も言わずに応接なんかに通されるから停学とか退学の話をされるのかと⋯」

「ははは、ごめんごめん、怖い思いさせてしまったんだね」

そう言ってまた笑った。だがやはり目が笑っていない。こういう難しい年頃の青年相手の仕事をしていると、基本笑顔になるのだろうか。そしてこの人は、目が笑っていない笑顔の大人を俺らがどれだけ警戒するか気がついてないのだろうか。

「⋯最近、女生徒の失踪が相次いでいることは聞いているかい」

俺は首を振った。ぼっちの俺は学内の噂に疎い。後で今泉に聞いてみるか。

「ははは⋯心配した程は広まっていないんだね」

「俺がぼっちだからです」

「ははは⋯」

目が笑っていない。

「⋯もう5人になる。この一週間でね。まぁ大学だからね、突然バックパッカーになるとか言って日本を飛び出して一月くらい消息不明になってひょっこり帰ってくるなんてのは日常茶飯事なんだけど、そういう事するのは普通、男子なんだよ。立て続けに女子ばかりが消息を断つというのは珍しい。しかも予告もなし。活動的なタイプの子達でもない。どちらかというと大人しめな⋯そう、君の彼女のような」

知らない大人に自分の彼女に関する情報が知れ渡っている怖さよ。

「あぁ、そんな余所者警戒中の猫みたいな顔しないでくれよ。悪かったよ。こういう仕事してると生徒の情報が色々入ってくるんだよ」

―――猫派。

「親御さん達からも連絡が入っている。五人も消息不明になって、学校で何かあったのではと疑われるのは仕方がない。ただ」


うちだけじゃないんだよ。と村田氏はため息をついた。


「花菱女子で8人、伊丹大学で4人⋯多いトコでそんな感じかな」

「消息不明は全員、大学生なんですか?」

「短大や専門学校の子もいる。唯一の共通点は20歳くらいの女子ってところかな」

「全部で何人くらい、居なくなってるんですか」

「僕が聞いている限りでは20人近くだね。お願い出来るかな」

「⋯まだ起業までしてる訳じゃなくて、知り合いにゴリ押しされて仕方なく受けている所なんですが⋯」

村田氏が、ふふ⋯と笑って視線を上の方にさ迷わせた。何かを思い出しているようだ。

「じゃ、その知り合いかな。花菱女子に知り合いがいるでしょう」

ふるふると首を振った。そんなお嬢様大学に知り合いなどいない。

「えー?居るでしょ。巷で噂の、ゴスロリ占い師」


―――あいつ、花菱の生徒だったのか!!


「金城さん、花菱だったんですね⋯」

「青島君の噂は僕も聞いてたけど、半信半疑だったんだ。でも花菱に失踪案件のヒアリングに行った時、金城さんに君を推薦された。『彼は本物。私は2回助けられた』ってね」

「えぇ⋯」

「勿論、警察にも通報しているけれど手がかりなしだ。⋯一応、全員成人だからね。まだ報道はされていないけれど、それも時間の問題」

「それは⋯大変ですね」

「大変だよ。そろそろ高三が志望校を確定する頃だろう。学内で5人も消息を絶っているとなれば、うちのせいかどうかは置いておいて志望者は大幅に減るよ」

大人の事情を聞かされた。

「就活にも響くかも」

「それは大変だ!」

俺のまともな就職が更に遠のくじゃないか。

「警察で無理なら、これは君らのジャンルじゃないかと思ってね。お願い出来るかい?」

安請け合いはしたくない⋯が、どうせこれからも俺の妙な噂は湧いては消えるのだ。教務課の心証を良くしておくに越したことはない。

「お役に立てるかは分かりませんが、一応動いてみます⋯他人事じゃないので」

「助かるよ。ありがとう」

村田氏はにこりと、目も含めて笑った。




「それ、私も心当たり、あるかも」

五限の授業を終えて学食に来た静流が、ふと呟いた。

「やっぱり」

大人しい女子、と聞いてピンと来た。静流なら何か、失踪に関わるアクシデントに遭遇しているかもしれない。

「今年の中秋の名月、すごく綺麗だったね」

「⋯⋯そうだった?」

俺は見ていない。

「あんまり綺麗だったから、外に出てみたんだ。夜の散歩」

一面のススキをガードレール越しに見下ろせる絶好の月見スポットを見つけ、ぼんやりと月を見上げていると、後ろから柔らかい声がした。



「月を見過ぎてはいけない」



振り返ると、男が立っていた。

「⋯桂男に、呼ばれますよ」

月光を受けて静かに輝く白い肌と、濡れたような黒髪が印象的な、綺麗な男だったという。

「⋯⋯で、どうしたの」

内心穏やかではなかったが、平静を装って尋ねてみた。

「うん⋯⋯」

顔を赤らめて言い淀む。内心穏やかではないどころではないが、辛抱強く返事を待つ。



「爆速で⋯⋯逃げた」



「爆速で!?」

「ああぁ⋯やっぱりそういう顔する!だから言いたくなかったのに⋯!」

「静流が爆速なんてコトある!?」

「最近、自転車うまくなったの。いっぱい練習したんだから」

⋯⋯可愛い。

「逃げた⋯ってことは」

「背筋が凍るかと思った。あの人は、絶対に関わっちゃいけない。凄く綺麗だったけど⋯」

関わったら多分、私はここには居なかった。そう言って静流はホットココアを一口飲んだ。

「⋯⋯関わってしまった子は?」

「⋯⋯苦しまなかったと、思う」

喉に大きな異物がつかえたような息苦しさに、一瞬息を止めた。つまり、ここから先の俺の仕事は。


死体探しだ。


「追ってまでは来ないし、男の人は大丈夫⋯多分」

「うん⋯ありがとう」

「これから、どうするの」

「一番犠牲者が多いのは花菱らしいから⋯金城さんに話を聞いてみるよ」

「そか⋯あの、私も行っていい⋯かな」

「もちろんいいよ。ついでだからタロットで鑑てもらおうか?」

そう言って手を取ると、静流が何故かホッとしたように微笑んだ。




「あっ、ようやく来たわね下僕!自ら足を運ぶ姿勢は感心だわ、ようやく己の立場を弁えたようね?」

夕方のエキセントリックゾーンに長蛇の列。売れっ子ゴスロリ占い師が、占いブースを大仰に覆う天幕をまくって現れた。そしてセピア色?のレースのスカートをひらめかせて、何やら厳かな雰囲気を醸しながら近付いてきた。

「わ、わぁ⋯素敵な⋯レイヤードスカート⋯」

なんか音羽が豪奢になり過ぎていて呆然とする俺の隣で、静流がおどおどと俺と音羽を交互に見る。

「ふふ、ありがと」

「綺麗になって⋯その⋯びっくりした⋯」

どんどん声が小さくなっていく。⋯苦手意識が抜けないのは分かるが、なら付いてこなくても良かったのに。俺もちょっと苦手意識が抜けきっていないが、最近は頻繁に学校に出没され過ぎて慣れてはきている。

「もう、言うじゃない。ふふふ⋯アナタも私の従者にしてあげる♪」

静流が従者で俺は下僕か。

「金城さん」

「OTOHAとお呼び」

「はいはい⋯音羽さん。俺ら、後ろに並びます。ちょっと相談あって」

「いい心がけだわ⋯褒めて遣わす!」

そう叫ぶように言うと踵を返して優雅に歩み去った。⋯キャラが迷走して殿様になっている。



一時間近く並んだだろうか。漸く俺たちの順番が回ってきた。金⋯いや音羽は、すっと足を組んで俺を斜めの角度で見下ろした。⋯音羽側の床が微妙に高い。謁見の間になっている。

「で、何が聞きたいのかしら?」

念の為、辺りを見回した。一応天鵞絨の天幕で覆われていて、外からは俺たちの様子は伺えない⋯と思う。

「大学から、失踪者の捜索を依頼されている」

「⋯ふぅん」

音羽がすい、と視線を逸らした。

「恐らく全員、亡くなっている」

「―――馬鹿な!」

ガタリ、と音を立てて音羽が立ち上がった。

「ならば何故、8人の誰一人として『御霊』が彷徨っていないの!?」

「ちょっと声でかい、一応機密事項⋯!」

俺も思わず立ち上がりそうになった。

「そ、そうね⋯小声で言うわ。私の学校でも8人失踪している⋯っていうのは知っているでしょう、どうせ」

頷くと、音羽は憮然とした顔で腰を下ろした。

「突然命を奪われた御霊は一定数、生前過ごした場所を彷徨う。勿論全部ではないわ。でも8人全員が亡くなっていて、誰一人見かけないというのは⋯ありえないでしょう?」

そう言って俺の顔を覗き込む。『同じ視える者として』という意味が含まれているのだろう。⋯俺は失踪した彼女をよくは知らないが、彷徨う御霊とやらに新顔はない⋯気がする。

「⋯あのね、多分⋯だけど。魂は囚われてる」

今まで押し黙っていた静流が顔を上げた。音羽が訝しげに眉を上げた。

「どうしてそう思ったの」

「静流は多分、彼女らの命を奪った相手にエンカウントしているんだ」

隣の静流と目を合わせると、小さく頷いた。意を決したように、彼女が口を開く。

「綺麗な男の人だよ、その人は。一瞬、目を合わせただけ。でも魂を吸い込まれるような感覚があった。怖くて⋯私は逃げきれた。他の子達は逃げきれなかったんだと思うよ、きっと」

「⋯⋯⋯へぇ」

音羽の目が煌めいた。⋯おい、何をときめいているんだ。

「可憐な乙女の命を吸い上げて糧にする美しい男⋯!」

ずい、と身を乗り出して、音羽は顔を近づけてきた。

「私は!?私には危険があるのかしら!?」

⋯⋯ああ。メンヘラが好きそうな設定だと思った。

「ない⋯」

音羽をじっと見返して、静流が呟いた。

「⋯はっきり言うじゃない」

音羽の頬がひくり、と動いた。あ、やばいメンヘラに火がついた。

「私程度の乙女には、滋養はないと?」

静流は、ふるふると力無く首を振った。

「滋養とかじゃなくて⋯弱い人が、狙われる。それに寂しい人。少なくとも」

天幕の隙間から長蛇の列を覗いて静流は目を伏せた。

「こんなに多くの人を魅了する金城さんには、あの人が付け入る隙はないよ⋯ね」

そう呟いて、再び顔を上げる。音羽は少し顔を紅潮させて、ぐっと目を伏せた。

「⋯そ、そりゃそうね。当たり前ね。分かってた。知ってる。⋯で、知りたいのは⋯彼女らの行方?それを私に占えと?正気?」

この人、照れるのか。少し可愛いな⋯そう思った刹那、隣に座っていた静流から、少し⋯少しだけ闇が噴き出した。

「えっと⋯いや、今日は実は、音羽さんの学校の失踪者について知っている事を聞こうと思ってたんだ。あと、その⋯もう神頼みというか、少しでも占いがヒントにならないかな~、と」

何でだろう。隣が怖い。

「ふん、私の占いは遊びじゃないんだけど⋯まぁいいわ。大アルカナの方だけでいいでしょ」

頬杖をついて、音羽は低いカードの山を指し示した。

「大アルカナ⋯?」

「皆がよく知ってる方のカード。マジシャンだとかタワーだとかデスだとか、聞いた事あるでしょう。小アルカナは⋯トランプの元ネタみたいなものね。絵柄以外はほぼ同じカードだから、トランプでも代用出来る⋯私なら」

「どう違うのかな」

「大アルカナは問題の元凶を抽象的に突き止める。小アルカナは突き止めた問題を具体的に占う。⋯前は小アルカナもやってたけど」

天幕の外を伺って、声を潜めた。

「外で列を成している『下僕』達は、そんなものを求めていない。前から通ってくれている、真の支持者とか⋯本当にヤバい問題を抱えている下僕には小アルカナを使ってやることもあるけどね」

黒いテーブルの上に、カードを散りばめる。そして流麗な手つきで混ぜ始め、素早く纏めると音もなくカードを並べた。

「⋯⋯シンプルに2枚カードを引くだけのツーオラクルでも彼らは満足するんだろうけど、それは占い師としてのプライドがゆるさないわ。だからここを天幕で覆い、質問に応じて相応しいスプレッドを用いることにしている」

ツーオラクルもスプレッドも分からんが、とりあえず頷いておく。

「キミの場合、問題解決に適したスプレッド⋯ホースシューにしておくわ」

「あ⋯うん」

もう何も分からないので軽く頷く。静流はなにやら熱心にメモを取っている。

「まずは過去。⋯フールの正位置。⋯これはね、多分だけど彼女達の行動を示しているわ。無邪気で軽率な冒険心。何かに心惹かれて、普段ならやらないような事をしてしまったのかもね」

「⋯⋯⋯あ」

静流が口元に手を当てた。

「普段なら用もないのに夜中に一人で外に出たりしないのに⋯なんか、月が綺麗で」

「誘い出された。そういうことね。⋯現在は」

タロットカードを捲った音羽の手が止まった。

「⋯⋯⋯死神。あーあ、そうだよねぇ」

分かってたけどね⋯と呟いて、その隣のカードを捲った

「近い未来⋯あぁ、もう何も起こらないみたい。世界は元の秩序を取り戻す」

『TEMPERANCE』と記された、杯から水を注いでいる女のカード。⋯勿論知らない。

「この後、どうするべきか⋯」

3枚のカードを同時に捲る。

「隠者の正位置、恋人の正位置、悪魔の逆位置⋯ねぇ。まず、キミがすべきことは⋯解決の鍵は、もう手の内にある」

「手の内に⋯?」

静流が真剣な表情で身を乗り出した。⋯女子は占いが好きで、それは静流も例外ではない。

「だから新たな場所を歩き回って探すんじゃなくて、今まで探した場所やキミが聞いた話の中に、もう答えがあるわ。あとはね⋯周りの状況⋯で、『恋人』のカードが出ている。鍵を握っているのは」

ふと顔を上げると、すっと静流を指差した。

「静流。アンタよ。遭ったんでしょ、その美青年に」

「⋯遭った、けど⋯私、何も出来なくて」

「でも逃げきれた。生きて帰れた。それでいい。静流が覚えていることを、余さず聞き出して。むしろそれ以外の事をする必要はない。⋯と、悪魔の逆位置が示している」

「そのカードは、どういう意味。悪魔って⋯」

「誤解しないで、悪魔の逆位置は悪いカードではないの。回復、束縛からの解放、リセットなんかの意味があるわ。ただ⋯『障害』の位置にこのカードが出ているのが引っかかる⋯」

静流は相変わらず、熱心にメモをとっている。

「⋯⋯そうか!『近い未来』の位置に『節制』が出ていたのが、ここのリーディングに活きてくるのね。事態は既に収束している。だからもう『解決』は出来ないんだわ。犯人は捕まらない」

ふと思い出した。俺達がする事は問題解決ではなく、死体探しなのだ。

「で、最終局面⋯最後のカードよ」

音羽が捲った最後のカードは、『MOON』と記された不気味なものだった。

「月の、逆位置⋯」

顎に手を当て、音羽は黙り込んでしまった。

「⋯⋯音羽さん?」

静流が声を掛けても眉ひとつ動かさず、カードを凝視している。

「悪いカード⋯なのか」

「⋯⋯⋯いや」

逆位置は悪いカードじゃない、と呟いて彼女は目を閉じた。

「月ならむしろ正位置のほうが、悪い。不安や迷い、見通せない未来。そんな意味になるわ。逆位置なら不安の解消、問題の解決⋯今回の相談ならむしろいいカード。ただ」


―――静流は、月を見ているのでしょう。


「え、えぇ⋯綺麗な月で⋯」

「このリーディングで鍵になるカードが、よりによって最終判断で顔を出した。⋯逆位置で。これには何か意味がある。決まり通りの読み方をしてはいけない⋯と、私の勘が言っているのよ」

暫くカードを凝視していたが、音羽は意を決したようにカードを纏めはじめた。

「これは読み解いてはいけない⋯と思う。これ以上は⋯一つだけ、本気にするもしないも、君の自由だけど」



―――恋人が月を見た場所を、探してみなさい。恐らく、秘密は暴かれる。



「⋯⋯月を見た場所」

静流が月を見た、ススキの群生地のことか。

「私は途中でリーディングを放棄した。だからお代は要らないわ。それと一つだけ警告。彼女達の遺体は恐らく、見つかるわ。その後は⋯どんなに頼まれても、この件には関わっちゃ駄目。特に静流。アンタは暫く、あの場所には近づかない方がいい⋯と思う」




静流を見送って、そして⋯そのまま、奉を呼び出した。そして俺達は今、ススキが生い茂る山腹に居る。

「桂男、と言ったんだよねぇ、その色男は」

月の光を照り返して青く光るススキの海を眺めて、奉が呟いた。

「あぁ⋯何だろうな、桂男って」

「月に住むと言われる、美しい男の妖だ。月を見すぎると、この男に手招きされる。そして命を削られ⋯死に至る、といわれているねぇ」

「20人の女の子を攫ったのは、その⋯桂男なのか」

「攫ってはいないよ⋯その、金城?が言った通りだ。彼女達はここにいる」

秋風が一面のススキを一斉に揺らした。

「探してみろよ」

「⋯⋯え」

「揺れないススキをよ」

薄青いススキの海に目を凝らす。風に揺らめくススキの中に、確かに微動だにしないススキが数本。⋯いや、あれは。

「――――――おい」

ススキの海に垣間見えるそれは、ススキのように手首を垂れさせた、枯れた腕だ⋯!

「正体見たり枯尾花⋯くくく⋯」

「冗談言ってる場合か!⋯一本二本じゃない、なんか⋯なんだこれ⋯!!」

揺れないススキ⋯いや、女の手首はススキの草原のあちらこちらに点在していた。20や40ですらない、数多の細く枯れた手首が、風に揺れることもなく⋯ススキに紛れている。

「⋯今回の犠牲者だけじゃない⋯いつからだ、いつからここはこんな事に!?」

奉はすっと眼鏡を直すと、蓬髪をかきあげて俺の方を見た。

「ずうぅっと昔から」

「は!?」

「桂男ってな、追放された神よ」



世界各地の民話にて、月は流刑の地とされた。仕事をさぼった子供、桂の木を切ってしまった男、過ちによって人々に死の運命を与えてしまった蛇、仕事をし損じた兎。月に召し上げられるのは、後暗い背景を持つ者が多い。

「待て、桂の木を切った男⋯」

「桂男の発祥は中国だが、中国と日本では桂男の『在り方』が異なるようだねぇ。中国では罪人、日本では美男子だ。⋯在原業平が月に住む佳人に例えられたことから、いつしか美男ってことになったようだが、まぁ、そんな話はどうでもいい。要は月には、追放された神性が坐すということだ」

「罪を犯して?」

「それか、争いに敗れたのかもしれないねぇ。⋯お前も知っている通り、神性はその地に住まう者達の命を吸いあげて永らえている。それは信仰心であったり、ただその地に住まうこと自体であったり、契約であったり、様々だ」


―――月に住まう神性が得られるものは、何も無いんだよ。


「月を信仰の対象にしている人だって⋯」

「世界の各地で、月神は信仰されているよ。ただ彼らが信仰しているのは、月そのものではなく『概念』としての月だ。⋯彼らには、一切届かない」

そう言って奉は、空を見上げた。

「だから彼らは取りに来るんだよ、百年か二百年毎、月が綺麗な夜に。土地神の目を盗んで、命を吸い上げる。誰にも気づかれないように、月に魅せられやすい夢見がちな女を誘い出し、一滴残らず吸い尽くす」

乾いて白骨と化した少女達の腕は虚しく宙へ伸ばされ⋯魅せられた月に触れることは叶わず、命を散らしたのだろう。

「彼らは特定の場所を狩場にしていた。俺も、他の土地神も、見ない振りをするんだよ。彼らが飢えて月で狂うと、その光が地上を狂わせるから。⋯神性は飢えても死ねないんだよ」

「じゃあ、このススキ原はずっと彼らの狩場になるのか」

「⋯もう来ないよ。きっと」

青白い横顔を月が照らしあげている。⋯静流が見た桂男とは、こういう感じだったのだろうか。

「ここは間もなく、暴かれる。そうなるとここの土地神も、黙認出来なくなるだろう。⋯だから次の狩場はここじゃない。予定調和のいたちごっこ、だねぇ」

くっくっく、と笑って奉は俺に向き直った。

「金城とやらの警告は、的を射ている。ここを暴くのは構わないが、月の神性について語るなかれ、だ。彼らの狩りが人間の中に流布していない、ということは⋯彼らに気付いた者は、口封じに狩られたんだろうよ」

「⋯⋯⋯俺達は」

「気付いちゃったねぇ。だから⋯喋るなよ、誰にも」

俺が出来る限り話を通すが、お前が口を滑らせたら庇い切れんからねぇ⋯と呟きながら、奉はぶらぶらと歩き始めた。俺は⋯村田氏の携帯に依頼終了の連絡を入れた。




女子大生20人の変死は地方都市を揺るがす猟奇殺人事件として、大きく報道された。

教務課には取材が殺到したが、さすがに遺体の異様さや他大学でも死者が出ている関係上、責任を追求される事はなかった。村田氏の配慮で俺の名前が浮上することは無かった⋯はずなのだが、人の口には戸は立てられない。俺が依頼を受け、死体を発見した件は学内で広がりまくり、すれ違う学生達は、俺を薄気味悪いものを見るような目でチラ見するようになった。



俺のマトモな就職は、拝み屋の名声と引き換えに遠のいていくようだ。


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