表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霊群の杜  作者: 柘植 芳年
54/58

マヨイガ

薄暗いピロティーから灰色の通路が交差する校舎を見上げる。

大学の、この隔離された校舎裏を訪れるのは久しぶりだ。

「ねぇ、なんか知ってるよね」

「青島も最近学校来てなかったんでしょ」

「家族も分からないって心配してる」

「これ立派な失踪事件だよ」

「何か隠してない?」

「正直に言ってよ」

俺は更に上空を見上げた。⋯鳶が、遙か上の気流に乗って羽を広げていた。


今泉は何処に。そんなの俺が知りたい。


異界駅の件から数日間、俺と静流は書の洞に閉じ込められていた。その後ひと月近く、玉群家の長男の子供が見つかった件で俺も労働力として駆り出され、大学には⋯大変申し訳ないとは思いつつ、必要最低限の講義には出席して、更に静流のノートをあてにさせてもらっている。今泉とも連絡を取っていなかった。ひと月も連絡しなかった⋯というか連絡する暇がなかったし、そもそも友人が多い今泉のことだ、俺が暫く連絡を取らなくても楽しくやっているだろう⋯と高を括っていた。

まさか、失踪していたとは。

「⋯⋯どのくらい、居なくなっているの」

「アンタが知ってるよね!?」

白いサマーセーターを着た浅黒い女子が、金切り声をあげた。


俺は今、陽キャ7~8人に校舎裏に呼び出され、取り囲まれて詰問されている。


「まってまって、聞くだけって言っただろ」

「でも!絶対こいつじゃん!!」

「コイツとつるむようになってから、今ちゃん変になったんだよ!!」

「先走り過ぎだよ⋯みんな落ち着きな」

俺を囲んだあとの方針は定まっていなかったらしく、内輪揉めが始まった。

「青島いた!!」

ピロティー上の連絡通路から、聞いた事がある声が響いた。同じ授業を選択している田島と羽生だ。大して親しくないが、今泉を通して世間話をするようになった二人だ。

「お前ら何だ!!青島に何の用だ!!」

「他校のヤツらだろ、何でウチに入り込んでるんだよ!」

「なに、こいつを庇うの!?」

「お前らに何が出来るんだ!青島なら今泉を探してくれるんだよ!!」

「そうだ、拝み屋コンビの実力を知らないだろ!!」


―――拝み屋コンビ。


そこにまた別の一団が駆けつけた。

「青島ー、やっと見つけた!」

中学時代の同級生、小宮山その他5人が駆けつけた。

「久しぶり⋯まさか」

「今泉探してるんだよ、お前ら何とかできない?」

「玉群なら出来るんだろ?千里眼⋯みたいな?」


―――千里眼。


LINEが鳴りっぱなしだ。絶対に今泉関連だ。見るのも面倒くさい。今しがた現れた5人の同窓生に陽キャの群れが激突して揉め始める。彼らが揉めながら口々に怒鳴る内容を頭の中でまとめると、集団をそっと離れた。

今日の授業は諦めることにした。



「あいつの人脈、どうなってるんだろうねぇ」

ほうほうの体で逃げ込んだ書の洞の奥。

奉は珍しく白シャツと黒いジーンズだけの軽装で文机に頬杖をついていた。近くには紙と鉛筆と子供の落書き。百の目を持つ塊の横に『おとおさん』と記されている。⋯長男の子供、由彦が来ていたのだろう。

「結局30人位で揉め散らかしてたよ」

性格も性質も全く異なる連中がこぞって今泉を探している。

「で。お前なんかやったのかい?」

「やるわけないだろ」

大学内で怪しい事件が起こると俺のせいになる。⋯いや、俺たちか。

「⋯奉も、今は大学に行くなよ。面倒なことになる」

「行くわけないだろ」

知ってた。

「で、状況は」

奉も少しは気にしているようだ。

「失踪した⋯というか友達の一人が最後に連絡を取ったのは1週間前。家族もそれくらい、姿を確認していない」

「直前に様子がおかしかったという証言は」

「⋯⋯⋯ないよ」


俺とつるむようになってから変になった、と陽キャの一人が言っていた。


直前ではないし、ただの傾向だ。

「⋯最後に『居た』場所は」

「最後に遊んだ子達はやっぱり1週間前くらいか⋯轟山キャンプ場でBBQやって夜まで遊んで解散」

「それが一番怪しいじゃねぇか」

「⋯⋯だよなぁ⋯⋯」

胃の中に食った覚えのない硬い餅が入ったような嫌な胸焼けが押し寄せてきた。

BBQで遊んだのは俺を7~8人で取り囲んで詰問したグループだ。

「とはいえ⋯車持ってる友人が全員を駅まで送り届けている。酒は入ってたらしいが、あいつは泥酔する程飲まない」

「山で迷子のセンはなしか」

「駅で現地解散で⋯までしか情報が得られてない⋯ということは」


「そいつらに話聞いてこい」


がくり、と肩を落とした。



BBQ集団は、すぐに捕まった。

というより俺が捕まった。翌日再び大学へ出向いて『目立つように』歩いていると、奴らは俺を取り囲んだ。昨日より人数は減っている。

「今日こそ逃げんな!」

「ごめん、話だけ聞かせて!」

だが俺は不敵な笑みを浮かべて奴らに向き直った。今日の俺は秘密兵器を抱えているのだ。

「アンタさ!今ちゃんを⋯え⋯」

「紗理奈、日和っちゃだめ!⋯あ⋯」


「なに?ゆうきくんの、ともだち?」


長い髪を三つ編みのお団子にした姫系5歳児、小梅が飛び出した。

「こうめ、がくしょくにいく!きゃんぱすぷりきゅあで、がくしょくがでてきた!」

「がくしょくって、どういうの?」

ばあばが選んだレインボーカラーのTシャツと猫耳帽子を被った異界系5歳児、由彦が俺の膝あたりから顔を出した。

「学食はね、学生さんがお昼ご飯を食べる所だよ」

「おいしいの、ある?」

「⋯パンもうどんもあるよ」

由彦はまだ『食べた』経験が少ない。添加物を食べたことがない野生児にハムを食べさせたら中毒死したという話を聞いた事があるので、こちらの食べ物には慎重に慣れさせている。外食に連れて行っても精々蕎麦屋くらいだ。

「おれ、うどんすき」

俺と二人の5歳児を呆然と眺めていた陽キャ集団が「今日はこれで⋯」と立ち去ろうとした所を、俺が肩を掴んで止めた。

「⋯学食、行こうか」



「っくそ、罠に嵌った」

由彦がきつねうどんをすすり、小梅がイチゴスペシャルフレンチトースト学食のオバチャンからのオマケ付き(苺増量)を頬張っている正面で陽キャの一人、志賀がため息を吐いた。

「最後に今泉に会ったんだろ」

俺は居住まいを正して志賀に向き直った。

『ダブル5歳児爆弾』の威力は絶大だった。4人の陽キャはすっかり毒気を抜かれてバツが悪そうに頬杖をついている。女子3人は時折小梅に「おくちふいて!」と命令されて、ウェットティッシュを取り出して口の周りをぽんぽん拭いたりしている。⋯主導権は俺にあった。唯一の男は観念したように、頬杖をついたまま答えた。

「俺はさ、こいつらの暴走を止めるためについてきたんだ」

「知ってる」

昨日から『話を聞くだけ!』と、興奮気味の集団を制していたのはこの男だ。話をするなら彼しか居ない、と俺はふんでいた。奴らが小梅達の面倒を見ているうちに俺と志賀が買ってきた適当なペットボトルの茶と自販機の袋菓子を開ける。「おいしいの?」と聞いてくる由彦に「ヨルはまだこっちね」と言って無添加たまごボーロを開ける。由彦は大人しくボーロを頬張った。⋯皆と同じものを食べられないのに慣れているのだ。彼らにはアレルギー体質と説明しておいた。

「最後に今泉を見たのは、その、山の近くの駅?」

「轟駅だね。」

「電車一緒だった子とか、いない?」

「それがさ」

志賀は眉をしかめて顔を寄せてきた。陽キャは距離が近い。

「単線だし、皆同じ方向だったと思うんだけど⋯誰も一緒に帰った覚えがないんだよ」

「車持ってた子は?」

「その子の地元なんだよ、轟山」

「じゃ今泉だけ特別に送るはずないか」

「いちご、おれもたべていいの?」

「いちごはだめ!ぜったいだめ!!それはね、しつれいだよ!!」

「そうか、いちごはだめなやつか⋯」

「小梅、さっきオマケしてもらったんだから、一つだけあげて⋯」

「えー?じゃあボーロもらうから!」

「あげる」

「7つぶもらう!ぷりきゅあは7にんだから!」

「じゃあ今泉は電車に乗ってなかった?」

「乗ったはずなんだよ、俺は別の車両のドアから今泉が入るのを見た」

「しんかんこんぱ!かもくせんたく!きゃんぱすぷりきゅあ~♪」

「隣の車両?」

「あかて~ん、かいひ~♪かこもんげっと~♪」

「おれぷりきゅあより、あんぱんまんがいい」

「こっちガラガラじゃん!って乗り込んだんよ。俺も連結部のドアから今泉が乗った方の車両見たんだけど、俺の車両と変わらないくらい人がいたし、まぁ酔ってて見誤ったんだろって」

「あんぱんまんは!そつぎょう!あれきもい!!じぶんのかお、ちぎるな!!」

「小梅、小さい声で⋯」

「で、全員酔ってるから三々五々、帰って行ったはず⋯そうそう、その後俺たちグループLINEでオツカレって挨拶してるんだよ。今ちゃんも」

「それ何時くらい?」

「多分⋯電車乗ってから1時間位?皆、家に着いた頃に送り合うから⋯11時にはなってなかった」

そう言ってスマホを取り出すと、俺の方に画面を向けた。


今泉:オツカレ(スタンプ)

本人:オツカレ 家ついた?

今泉:草間んちについたかな

本人:なにそれw

今泉:こんど話すわ


草間⋯苦い記憶が俺の中に溢れた。今年の冬、寒中水泳に参加した際に『水虎』に魅入られ、魂ごと死んだ知り合いである。⋯今泉の友達だった。何故、草間の家に?

「草間を知ってるか?」

「いや?知らない。誰?もしかして犯人こいつ?」

「違うよ⋯半年前に死んでる」

「じゃ違うか。自宅を通りかかったとか⋯かな」

「いちご、おいしいな」

「いちごはおいしいの⋯でも、はるのいちごのおいしさはね⋯だんち!!」

「おいしいの分かったから静かに。⋯ありがとう。うるさくしてごめん」

「俺たちこそごめん。⋯なんか君、ものすごく普通だな」

定期的に小梅の口を拭っていた女子が顔を上げた。

「悪かったけどさ!しょうがないじゃん⋯この人の噂すごいやばいんだもん!」

「そうだよ!怪異を切って祓うとか、彼女のビキニ毟って投げるとか、地元の中学生に崇拝されてるとか、彼女が残響岬に拉致られて報復として怨霊を使役して相手を殺したとか」

「バッカお前らそんなの信じたのかよ!」

志賀が声を放って笑い、俺も軽い苦笑いを浮かべつつ⋯冷や汗が止まらなかった。7割がた嘘じゃない。彼らが今泉の思い出話を始めて盛り上がり始めた頃、小梅がフレンチトーストを食べ終わったので口を拭いて立ち上がった。

「今日はありがとう。他の人にも話を聞いてみるよ」

「俺も何か分かったら連絡するわ」

俺は志賀とLINE交換して学食をあとにした。


人気のないピロティで静流と落ちあい、5歳児二人を託した。

「これから、どうするの?」

「草間の家を探してみる」

「⋯⋯あのね、一緒に連れて行って欲しい人がいる」

小梅にバシバシ叩かれながらも、彼女は『二人』の名前を挙げた。

「⋯結構、やばいことになってる?」

「分からないけど⋯一人で行けば、多分」


結貴君は、戻れない。そう言って静流は、俺と目を合わせた。


「力になれないから、私は行かない。⋯今泉くんを、よろしく」

そう言って静流は、ぎこちない微笑を浮かべた。俺は力強く頷いて『二人』に連絡をとった。


「すまん、急に」

鴫崎が運転する車の助手席に乗り込み、頭を下げた。鴫崎は首を振った。

「今泉が消えたんだろ、仕方ない。今日は保育園のお迎えしか用事ないから大丈夫だ」

鴫崎も今泉とは同窓だ。小学生の頃、偶に一緒にサッカーをしていたらしい。

「俺も付き合いますよ、18時まで!」

そう言って後部座席の蓮が左手を得意げに掲げた。今日も白いミサンガが光っている。

「⋯うん、付き合ってくれ、18時まで」

「19時から塾なので、なんかメシ食わせて下さい!」

「⋯うん、なんか食わせる」

『うざい後輩』の権化みたいな男だ。

「草間の葬儀は、この近辺の斎場だった。多分自宅もこの辺だと思うんだが」

「草間⋯草間ねぇ」

鴫崎が目を彷徨わせながら顎に手を添えた。

「配送エリアに草間は2軒ある。そのうちの1軒は若夫婦、もう1軒は⋯最近、Amazonの注文が途絶えているな」

「そっちだ」

Amazonを使っていたのは息子なのだろう。

「篭目町の方だぞ」

「斎場はその辺だった。間違いない」

鴫崎が速度を落とすと、少し先の十字路を右に曲がった。




「⋯ここ、だが」

悪いとは思いつつ垣根の前に路駐して、車を降りた。

「誰も居ませんね」

先程まで雲ひとつ無いほど晴れていたはずが、車を降りる頃には曇天が広がっていた。雲は圧迫感を覚えるほど厚く、低い。秋の雲とは思えない⋯うっすら、緑色の気配を感じる。

「なんか、この雲⋯」

「⋯ああ、似ているな」

蓮と顔を見合わせた。⋯異界に足を踏み入れた時、俺達はこれと似た色の空気に包まれていた。

「⋯⋯また?」

「かもしれないが、もっと薄い。大丈夫だ」

そうは言ったが、内心焦燥感が広がっていた。浅層とはいえ、俺はまた『異界』へ近づいてしまっている。奉へ連絡は取れるだろうか。試しに携帯を取り出し、奉を呼び出す。


『⋯⋯お前、また迷い込んだのか』


直ぐに繋がった。やはりここは異界の浅層なのだろう。

「今回は電車じゃない」

『車か。手段を選ばないねぇ』

くっくっく⋯と奉が電話の向こうで笑った。

『所謂【異界行き】ってのは、向こうの遊び心が多少感じられる事が多い。異界駅もそう、異界エレベーターもそうだねぇ。手順が複雑怪奇で、迷い込んだ輩を悩ませる謎かけも満載だ。だがどうもこの神隠しは⋯』


―――仕掛けた側の余裕を、感じないねぇ。


「余裕?」

『車で公道を走っているお前らを強引に引き込んだり、電車に乗ろうとしていた今泉を瞬で拉致したり、あまりにも必死ではないか。そうやって必死で引き込んだのが現世と異界のあわいのような中途半端な場所。異界というより、マヨイガだねぇ』

「マヨイガ」

『遠野物語なんかで語られるだろう。偶然迷い込む、幻の屋敷よ。家主が居る場合もあれば居ない場合もある。その屋敷の物を持ち出すと、富を得られる⋯と。所謂『異界』と違い、殆どの場合は自分の意思で脱出出来る』

「じゃあ、何で今泉は帰ってこない?」

『マヨイガの家主は大抵、善意の存在だが⋯これがもし、悪しき目的を持っていたら?』


マヨイガに迷い込んだ今泉は、囚われた⋯?


「マヨイガに今泉を引き込んだ悪しき者ってのは⋯草間の」

『関係者だろうよ』

奉の声が一段低くなった。

『術は大したことないねぇ。只のヒトだろう。だがマヨイガを張るには、どうしても欠かせない要素がある』

「要素?」

『土地と、血筋だよ』

現世と異界の境界は非常に曖昧で、山道を歩いているだけでも半歩、異界に足を踏み入れる事がある。マヨイガはそういった曖昧な境界上に屋敷を建てた結果、発生する。それは現世の人間の場合もあれば、異界の住人の場合もある。

『草間の家は最近まで、先祖代々マヨイガを守っていたんだろう。だが周辺の宅地開発などでマヨイガはその力を弱め、近年になってマヨイガを守り続けることをやめたんだろうねぇ』

「でも草間が死んだことで、マヨイガをまた結んだのか⋯どうして⋯」

『母親が今泉に生霊を飛ばすほど、無意識に恨んでいただろう。⋯そういう力の強い家系だ。今泉を誘い込んだのは憂さ晴らしか、それにしては妙だが⋯』

「⋯行ってみるしかないか。切って大丈夫か」

『問題ない。恐らく繋がるよ。異界のごく浅層だ』

俺は携帯を切ってポケットにしまうと、二人を促して草間の古びた木造の門を開けた。


チャイムを鳴らすと、和装の美しい女が顔を出した。草間の姉だろうか。似てはいないが⋯和装に似つかわしくない、亜麻色の巻き毛が会釈と共に肩から零れた。俺も釣られて会釈を返す。どう言ったものか、草間に線香をあげにきた⋯?などと考えていると、彼女は口だけで微笑を浮かべた。

「⋯今泉くん?は奥でお待ちですわ」

全てを察しているようだ。俺達は一礼だけすると、靴を揃えて家にあがった。⋯背後から、重い錠がかかる音がした。


長い廊下を、ひたすら進む。外側からはこんな長さを想像していなかった⋯前を歩いていた彼女が、ふと足を止めて襖を開けた。そして、すっと一礼して「お茶をお持ちしますわ」と呟いて何処かへ去っていった。


「来たか」


嗄れた老人の声が、襖の奥から聞こえた。

「おじいちゃん、的な?」

「しっ⋯」

蓮を黙らせると一礼して部屋に入った。二人も後に続く。部屋の奥には祭壇が設けられ⋯草間の遺影、そして手前には今泉が横たわっていた。⋯眠っているようだ。今泉の脇に控えるように、薄墨色の袷を着た長身の老人が立っていた。

「今泉を、迎えにきました」

状況が分からないので敵意をむき出すべきかどうかが分からない。食ってかかろうとする鴫崎を制して、老人と目を合わせた。

「―――孫の遺体の周りに、灰の結界を張ったのは、貴様か」

「⋯⋯⋯」

水虎に襲われた遺体を放置すると、水虎が遺体に残った魂をも喰らうという。水虎を退け、魂だけでも成仏させるには草庵を結び、遺体が腐るまで放置するよりない。奉は『気休め』と前置きして、草を炭にした粉で結界を張った。そして俺の覚悟を問うた。

『この遺体を守るために犯罪者になる覚悟はあるか』


俺は彼の為に、犯罪者にはなれなかった。


「沈黙が答えか。⋯あの異様な臭気と、娘が駆け寄って結界を蹴散らした跡⋯今泉という子供かと考えたが」

祭壇で眠りに落ちる今泉を見下ろして、老人は片頬を上げた。

「中途半端な同情心で一時的な結界を張ったのは拙かったな。娘は聞いてしまったよ、魂が齧られる嫌な音を」

俺たちが病室を後にしたあとに響いた慟哭は草間の死だけではなく、魂にとどめの一撃を入れてしまった絶望⋯母親は『話が通じる』人だったのか。だとしたら俺達は、我が身可愛さになんという惨い事をしてしまったのだ。冷や汗が背中を伝った。今泉に執拗に飛ばされた生霊は、俺たちが思う数倍の恨みを抱えていたのか。

「信じないと思ったんだ。草間の母さんに『力』がある事を知っていれば⋯!」

「娘は何の力もない。ただ、私が口伝で語り伝えただけのことよ。私は」


怪異を、マヨイガに呼び寄せる。


言葉が終わるや否や、空気がずしりと圧を生じ、生臭さが部屋を満たした。⋯奥歯を、ぐっと噛み締めた。

「水虎を呼んだのか⋯あんた、『術者』なのか?」

老人がニヤリと笑った。

「マヨイガは、現世と常世のあわいに結ぶ庵⋯ああいう奴らはこういう『綻び』をくぐって現世に現れる。⋯私は大した術者ではないよ。ただ、この『場所』が奴らを呼び寄せるに適しているのだよ」

「気配が一つじゃない⋯」

背中を嫌な汗が伝った。気配の元を辿ろうにも、腐肉のような悪臭に頭がクラクラして辿れない。

「ここいらには3体の水虎がいる!孫を喰らった奴も居るだろうねぇ⋯だが関係ない、孫を死なせ、娘を壊したお前も、この青年も同じように魂も水虎に喰われたらいい⋯」

襖に手をかけたが、びくともしない。

「くっ、逃げられないか⋯」

鴫崎が祭壇の今泉に飛びつき、抱えた。

「水虎ってのは何処にいるんだ!?」

「見えないんだよ⋯水虎は」

思わず歯噛みした。大体の気配を察することは出来るかもしれない、しかし遅かれ早かれ捕まる。

「こっちじゃありません、祭壇の裏側に抜け道があります!」

蓮の白いミサンガが光っていた。⋯もう帰り道を見つけたのか。老人が軽く顔をしかめ、蓮に歩み寄ろうとしたが。

「その子供は関係ない、出してやってくれ」

一瞬目を見開いたが、老人はゆっくり頷いた。蓮を促して祭壇の裏側に追いやる。

「何ですか!?一緒に逃げましょうよ!!」

「大丈夫だ。⋯俺らに何かあれば奉を呼んで欲しい。お前なら直ぐに辿り着けるから」

一瞬戸惑った後、蓮は素早く祭壇の裏に逃げ込んだ。

「⋯逃げんのか?」

逃げたいが、今泉を抱えて見えない敵から逃げ切れるとは思えない。

そして俺には、切り札があった。俺はポケットから干菓子を取り出し、今泉を抱える鴫崎の前に置いた。


「島津殿!!お願い申す!!」


今泉が足元に転がされ、その両手に両刃の剣が現出した。ぐっと呻き声をあげて薄目を開ける今泉に構わず、島津が呟いた。

「悪しき異形が3体⋯」

鴫崎に宿る『島津』は、目をすっと閉じると剣を水平に構えた。二の腕にぐっと力が漲った瞬間、踊るように円形に繰り出された刃。その軌道に水飛沫が迸った。生臭い臭気がぶわっと立ち上り、鱗に覆われた人⋯にも見える青い怪異が転がった。老人が、萎びた双眸をカッと見開いた。

「貴様⋯何故視える!?」

「視えはせぬ」

刃を水平に構え、『島津』は正面を睨んだ。


「何千年にも渡り、某は暗闇で果てしない斬り合いを続けた。視ずとも、斬れる」


両刃の剣が、再び奇妙な軌跡を描いた。中空から迸る水飛沫と共に、ぐしゃりと嫌な音をたてて青黒い首が転がった。返す刀が弧を描くとギャリ⋯と刃が何かに阻まれた。腕に血管を漲らせるが、刀は震えるばかりで動かない。⋯水虎が、島津の刀を捉えた。

「おのれ⋯!!」

島津が刀の先を睨みつけ、歯を剥いた。かつ、かつ、かつ⋯と、何者かが島津の刃を伝って島津の腕に迫る⋯俺は、背中に全集中して呟いた。


「―――鎌鼬!!」


三条の竜巻が背後でぶわりと広がり、狂ったように島津の刃先に殺到した。水飛沫と共に絶叫と悪臭が部屋を満たし、青い異形がどさりと仰向けに放り出された。裂けた腹から、臓物がどろりと溢れるのを目の当たりにして目を背けかけたが、その奥に光る青白いゆらめきから、何故か目が離せなくなった。

「⋯⋯これは」

先程落下の衝撃で目を覚ました今泉が、青白く揺らめく気配に目を丸くした。

「―――草間?」

水虎の腹から立ち昇った気配は、しばらく戸惑うように水虎の上で揺らめいたが、やがて水虎から我が身を引き剥がすようにぐいと上昇して、俺たちを見下ろすようにしばらく留まった。⋯老人が、がくりと膝をついた。

「和也よう、和也⋯!」

老人が相好を崩して叫んだ。気配は老人の傍をじりじりと、何かを訴えるように動き回ったが、やがて諦めたように少しづつ上昇し⋯やがて希釈されるように消えた。

「⋯⋯まだ、腹の中で消化されていなかったのだな⋯魂だけは、救われたのだな⋯」

草間老人は、惚けたように宙を見つめて呟いた。⋯そして、ふと思い出したように俺と目を合わせた。

「⋯⋯礼を言うよ、⋯何といったか」

「⋯⋯青島」


「おじい様」


襖がすらりと開き、先程の女性が盆に茶をのせて入ってきた。

「和也を助けようと灰の結界を撒いた青島様を恨むのが筋違いでしてよ」

「お、おう⋯」

彼女は緩い巻き毛を揺らして宛然と微笑んだ。⋯なんだろうか、少し嫌な予感がしている。いや、予感とはちがう。既視感か?これは。

「ちゃんと形として、お礼をなさる事を提案いたします」

そう言って彼女はすい、と草間老人の斜め後ろ辺りに擦り寄り、囁いた。⋯孫娘か、愛人か?この距離感はおかしくはないか?戸惑っていると、彼女は俺をちらりと流し見て、ふふ、と笑った。


「このお屋敷、青島様にご自由に使っていただきましょう?」


「は!?」

この場にいた美女以外の全員が叫んだ。

「だって私たち、和也が亡くなってから、このお屋敷使ってませんのよ?」

「え!?ここ草間ん家じゃないの!?」

つい叫んだ。

「和也が居た頃は部屋数が多いから住んでたけど⋯不便なんですもの。偶に私や家政婦がお掃除に通ってますけど、普段は私たち、駅近のマンションで過ごしてますの。子供達はもうお家をでてますし、こんな広くて不便な場所で暮らす必要ありませんもの」

―――俺たち普段使ってない屋敷にわざわざ呼ばれたの!?

「そうだな、丁度いい。どうか住むなり、事務所にするなりして使ってほしい。電気と水道は負担させて頂く」

「え、ガスは⋯」

「うちはオール電化だ。⋯迷惑をかけて悪かったね、私は失礼する」

それだけ言うと、つい数分前に俺たちを殺す予定だった老人は踵を返して部屋を出てしまった。

「ちょっと待⋯」

あんたのやった事は誘拐だし殺人未遂だし何故俺たちが赦す前提でコトが運んでいるんだ。あの孫だか愛人だか分からない女の持ちかけでココをタダで使えることになったせいで俺も迂闊に何も言えない。というか。


俺の人生にとうとう、マヨイガが実装された。


マヨイガで米が無限湧きする茶碗とか金の盃を手に入れるという話は聞くが、屋敷そのものを手に入れるなんて話は聞いたことがない。ていうかマヨイガGETしちゃダメだろう。呆然としている俺の背後で、鴫崎が今泉にペットボトルの水を飲ませていた。今泉は一気に水を飲み干すと、一つ息をついた。

「⋯いやー、酷い目に遭ったわー。青島、鴫崎、ありがと」

痩せてはいるが、身奇麗だ。案外丁重に扱われていたようだ。

「痩せたな、飯は食わされてたのか?」

「一応な⋯灰の結界がどうとか聞かれたけど俺は知らないって言ったらさ、俺を拉致れば、結界を張った者をおびき寄せる事が出来るって言われて、ここに閉じ込められたわ⋯あれ、その子は?」

祭壇の裏側から、蓮がひょっこり顔を出していた。

「ビキ兄ィ⋯さっきのかっこいいやつ、なんですか!?」

目をキラキラさせてこっちを見ている。

「『かまいたち』ってなんですか!?」


―――しまった。また無駄に崇拝されてしまう。


「⋯⋯色々あったんだよ」

「かっけぇ!配達の人もかっけぇ!!ビキ兄ィの周り、異能者だらけ!?」

⋯⋯普通の人が、友達になってくれないんだよ。

「もしかしてそっちの茶髪の兄貴も!?」

今泉はふふん、と意味ありげに笑って親指を立てた。

「俺の異能はねぇ⋯そっちの二人みたいな脳筋系じゃないんだ」

「あぁ!?今バカって言ったか!?」

鴫崎が凄んでみせる。今泉が更に笑った。

「ふふ⋯例えばねぇ。そっちのお姉さん」

今泉の表情が、すっと消えた。


「あの爺さんの知り合いでも何でもないね。⋯人間ですらない」


⋯⋯そうだ、思い出した。何故忘れていたんだ俺は。あの女は⋯!!

「飛縁魔!!」

弾かれたように振り返り、思わず叫んだ。

今泉の異能⋯と言っていいのかは分からないが、今泉は所謂『共感覚』の持ち主だ。その声を聞くことで人の嘘を見抜き、隠された本性を暴く。⋯今泉には、飛縁魔の幻術が通じない。

「もう、野暮なお友達。女の嘘は気付かないフリするものよ?」

和装の美女⋯飛縁魔は、巻き髪を揺らしてクスクスと笑った。⋯何処にでも入り込む妖だ。

「すげぇ!そっちのエロいお姉さんは何ですか!?敵!?」

「⋯いや、玉群家の居候だよ」

敵ではない。なんなら何度か助けられてすらいる。彼女が居なければ、俺の鎌鼬に切り刻まれた奉は命を落としていた。

「結貴君がこのマヨイガに乗り込もうとしてたんですもの。あまり良い評判を聞かないし、何かあったらお爺さんをたぶらかして止めようと思ってたのよ?」

「そ、そう⋯」

有難いが⋯誑かす?

「そしたら何かうまいことコトが運んだみたいだし、ついでだからイイ感じに誑かして使ってない物件を頂いといたわ。事務所に使ったら?」

「だから何だよ事務所って。一介の大学生が事務所開いて何するんだよ」


「あっ!!やっべぇそろそろ保育園のお迎えの時間だ!!延長料金かかっちまう!!」


鴫崎が急に叫んでそわそわしだした。⋯先程の格好良さは帳消しとなった。

「わり、そろそろ帰るわ。お前ら駅まで送っていくか?」

「あー、頼むわ。俺まだちゃんと歩けない」

「そうか、なら家まで送るわ。保育園お前ん家の近くだ」

「あ、俺とビキ兄ィは大丈夫っす。自分の『異能』で送ります!」

お前の異能ビキニリングじゃねぇか。

「だってもう18時ですよ。これから飯食って塾に行くなら塾の近くの『てんや』で天丼食べたいんです!」

ガッツリ食うじゃないか。

「あらそう?ここにも飽きたし、私も相乗りさせてくれる?」

「いいっすよ!」

お前も来るんかい。

「じゃ行きますよ!目標は駅前の『てんや』!!」

蓮が祭壇裏の引き戸に意気揚々と手をかけた瞬間、飛縁魔が宛然と微笑んで呟いた。

「『てんや』の天丼、縁ちゃんも好きなのよねぇ⋯」


引き戸が開いた先には、お気に入りのカワイイソファに寝そべって胸元がはだけた黒いワンピース風の部屋着でチョコバッキー食いながらスマホ見ている縁ちゃんが、ゆっくりとこちらを振り向いた。


「⋯⋯おい、何してくれてんだ」

もう3回目の『何してくれてんだ』である。

「ち、ちが⋯このお姉さんが縁ちゃんとか言うから!!座標がズレたじゃないですかぁ!!」

蓮が顔を紅潮させながら、笑い死ぬ程高笑いする飛縁魔をバシバシ叩いている横で俺は⋯⋯

しめやかに、今年2回目の土下座を繰り出していた。



「へぇ、やったねぇ、事務所」

洞の隅に無造作に置かれたソファに体を投げ出している。奉は微妙に上機嫌だ。

あのバカに天丼食わせて塾に送り届けて洞にたどり着いた頃の俺はもう疲れ果てていた。一日のうちに様々な事象が凝縮して俺に降りかかった。もう限界だ。石段を登りながら何度も気を失いそうになった。

「何がやったんだよ⋯なんかもう頭がパンクしそうだよ⋯事務所なんかいらねぇよ」

くっくっく⋯と笑いながら、奉が俺の横に腰を下ろした。

「5歳児コンビ使って外野を躱して情報GET、静流の未来視でメンバー揃えて、鴫崎で住所特定、島津で水虎を斬り、鎌鼬でトドメをさし、飛縁魔の幻術で事務所をせしめ、今泉の共感覚で飛縁魔を見破り、蓮のビキニミサンガで無事に帰還、見事な土下座で通報回避⋯フルメンバー駆使して事件解決じゃねぇか。いいスタートを切ったな、結貴」

「何のだよ」

「玉群探偵事務所、開設のだよ」

「⋯⋯嫌に決まってんだろ。俺は真っ当な勤め人になるんだ⋯⋯」

眠い。もう疲れた。こんなしんどい事、二度とやりたくない。

「くっくっく⋯雇ってくれる企業があるかねぇ、悪名高い『拝み屋コンビ』の片割れを」

嫌なことを言われたが⋯あながち的外れでもない。トラブルを解決する度に『名声』は上がっていく。反面、マトモな企業であれば採用しないだろう。拝み屋稼業の学生なんて⋯。

「おまけにマヨイガを手に入れた。事務所⋯ってのもあるが、怪異を呼べるねぇ」

「⋯わざわざ厄介の種を?」

「例えばだよ、結貴」

奉の声が高くなった。今日はずっと上機嫌だ。

「お前の鎌鼬は『鎌・鎌・鎌』だろう。『薬・薬・薬』を呼べるんじゃないか」

あ、それは少し嬉しい。あの薬は劇的に効く。

「⋯⋯いやダメだ。益々人外に近づいていく気がする。死ぬ程の怪我を瞬で治しちゃダメなんだよ。俺はやはり人でいたい。真っ当な会社に入って平穏に過ごしたい⋯⋯」

「まだそんな事言ってんのかねぇ」

何かぶちぶち言っていたが、その直後寝落ちたので覚えていない。


結論として、俺の漠然とした懸念は的中した。


トラブルに見舞われた大学一のコミュ力お化けを『拝み屋コンビ』の片割れが奪還したという一報は大学内を駆け巡り、名声が爆上がりした反面、俺のマトモな就職は恐らく、遠のいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ