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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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麒麟

挿絵(By みてみん)


「麒麟を捕らえに行く」



 奉がそんな不思議発言を残し、謎の失踪を遂げて1週間になる。

 初夏と云ってもよい時期を迎え、強めの日差しと石段からの輻射熱でふらふらになりながらも俺が毎日玉群神社に通うのは、憔悴しきったきじとらさんの為だ。あの人は、帰らない奉を洞の書斎でずっと待ち続けている。元々あまり表情が変わらない人だから分かりにくいけれど、間違いなく痩せている。喪服のようにも見える、白衿に漆黒のドレスが痛々しかった。

「簡単なものでいいから、食べてください…」

好物のさば缶を開けると、僅かに反応した。食欲が失せていないのは、せめてもの救いだった。



全ての始まりは、俺の姪が放った不思議発言だった。



「んとね、ようちえんで、春のえんそく、行ったのよ」

奉の膝にちょこんと腰かけて折り紙をたどたどしく捻じ曲げながら、小梅が云った。本人の希望で伸ばしっぱなしの髪を、長い長いおさげに結っているのが可愛らしい。姉が小梅を連れて実家に戻る日は、何処から嗅ぎつけるのか、奉は必ず俺の家を訪れる。風呂に入り、髪に櫛を通してだ。そして本も読まずに日がな一日、小梅を膝に乗せたり背に乗せたりして過ごす。

「遠足。何処に?」

饒舌なわけではない。その辺は普段通りだ。小梅も一方的に喋りたいことを聞いてくれる大人がいるだけで満足なのだろうか、退屈がらずにずっと膝に乗っている。

「どうぶつえん!」

これね、うさぎさん!と、俺には紙屑にしか見えないよれよれの折り紙を嬉しげに奉の鼻先に突き付ける。奉はうやうやしく受け取ると、大事そうに胸のポケットに仕舞い込んだ。

「うさぎが、好きなのかなぁ」

奉がいつもより高い声で問いかける。小梅はぱっとこぼれるような笑顔を浮かべて叫んだ。

「うさぎより、きりんさん!!」

「ほう、麒麟がねぇ」

……奉が不意に険しい表情を浮かべた。奴の表情の変化に全く構わず、小梅はこう言い放った。

「小梅はね、きりんさんに、のりたいの!!」




この後1週間、奉は件の不思議発言を残して姿を消す。




「キリンとか、一個人が捕まえていいものでしょうかね」

なんとなく呟いた俺を、きじとらさんがじっと見つめる。『ちょっと何云ってんのか分からないです』目がそう語っている。

「…なんでもない。忘れて下さい」

きじとらさんが、軽く首を上下に動かした。忘れてくれるらしい。気が付くと、さば缶は空になっていた。彼女は軽く口元を拭くと、俺に熱いお茶を差し出し、自分にぬるめのお茶を淹れた。

「子供の戯言を結び付けて考えること自体、どうかしてますよね」

「…小梅さんは、なんと?」

「キリンに乗りたいと。はは、子供ですからね」

「きりん…ですか」

きじとらさんの表情も、険しくなった。

「……あの、キリンが何なんでしょうかね」

「あの方、滅多なことをしなければよいけれど…」


刹那、きじとらさんが弾かれたように駆け出した。


「えっ!?」

「奉様がお戻りに」

短く云うなりきじとらさんは、敏捷な動きで暗がりに消える。その直後、出口を塞ぐ岩扉がごりごり動く音がした。…俺は気がつきもしなかった。きじとらさんが凄いのか、俺が特別勘が悪いのか。



「手伝え。奴を追い詰めた」

奉は洞に入ってくるなり、俺の袖を掴んで踵を返した。ついて来ていたきじとらさんは、襤褸布に包まれた荷物らしきものを受け取って一礼した。…心なしか、頬に赤みが戻ったようだ。

「奴とは」

この一週間、ろくに風呂にも入らず、髭もあたらなかったのだろう。元々の蓬髪に加えて妙な匂いがする。無精ひげも加わって、ほぼ若年ホームレスの風体だ。

「麒麟だ。この鎮守の杜に追い込み…あれだ、結界?そういうものを張った」

要はこの山から出られない状態にした、と呟き、奉は周囲を見渡した。…結界?ロープでも張ったのか?

「結界?を絞って徐々に範囲を狭くする。近づくぞ」

「いやまて、キリンがそこら辺に居るのか!?今現在の話!?」

聞き捨てならねぇぞさっきから。

「苦労したなぁ」

「苦労したじゃねぇよ!怒られるぞ!?なにお前、そんなに小梅大事!?法律に背いてまであんな幼児の思いつきトークにつきあうのか!?」

「…麒麟に乗る。『あれ』に乗るなんて発想、俺にはなかった!」

心底愉快そうに笑った後、奴は再び油断なく周囲に目を配った。

「……流石、俺の花嫁だ」

「おい!もう聞き捨てならねぇぞ!!」

この野郎、やはり小児性愛者だったか!!

「今のは聞かなかった事にしてやる。だが二度と云うなよ、姉貴はお前こと少し疑っているんだからな?」

「俺がどうこうしたい訳じゃねぇよ。あの子が、大きくなったら奉お兄ちゃんと結婚すると云うからなぁ」

「そんなの俺も云われたよ!!俺の弟も、多分小梅の父さんも!!」

「…重婚ね。可愛い振りしてやるもんだねぇ…」

「結婚も!キリンも!!お前はいちいち子供の云うことを真に受けるな!!」

―――くっそう、キリン何処だ、あんな長い首で雑木林に迷い込んで怪我でもしたら…!!一刻も早く捕獲しなければ。いや、素人がむやみに追い回すのもやばいか!?

「…一回、動物園へ戻って協力を仰ごう。今なら間に合う、俺も一緒に詫びをいれるから」

「誰にだ。麒麟は誰の所有物でもない」

「うん、そうだな、たとえ人でもキリンでも等しく命だ。誰のものでもない。お前の言い分は分かる。でも法律上は動物園の所有ってことになってるの。それを勝手に連れ出すと、物凄い怒られるの。分かるよな、大人だもんな」



「―――動物園、動物園と。お前はさっきから何を云っているのだ?」



奉の言葉が終わった直後、俺たちの周りに物凄く『濃い』空気が立ち込めた。何かが凝縮されたような、息苦しいような。奉の表情も歪んだ。

「…ぐ、思った以上だねぇ…」

どうしようもない空気の重さに反比例するように、何故か空気が澄みわたってきた。透明な蜜の中に閉じ込められたような圧迫感に、俺は立っていられなくなり膝を折った。膝をついたその先に、注連縄のようなものが見えた。

「ちょうどいい。俺が合図をしたらその縄を引け」

「お前…これ神社にあった注連縄…!」

「よし、引け」

俺は反射的に注連縄に飛びつき、引いた。なんだか分からんが、これ以上この空気に晒され続けたら窒息してしまう。苦しい息の下で、思い切り引いた。反対側を、何かが引いている。蜜のような空気の中、『相手』の感情?のようなものが胸に流れ込んで来た。ひたすら、困惑している。何だか分からないが、ここに追い詰められるまでに、奉に色々無礼を働かれたことだろう。なのに奉や俺に敵意を向けるではなく、ひたすら困惑している、優しい存在。抵抗する理由も拒否ではなく、人前に滅多に現れてはいけないという『責任感』の為だ。



…俺も、もう流石に察した。これは俺が思っていた『キリン』ではない。



「小梅の自宅まで走る。そのまま乗れ、結貴!!」

もう何が何だか分からないが、とにかく無我夢中で注連縄をたぐる。…乗れ?

「乗れ!?い、嫌だよ何だよこの生き物!!」

「麒麟だ!あれだけ云ったのに聞いてないのか、呆れた奴だな!」

「どっちにしろ嫌だ、お前1人で行けよ!!」

「俺一人で麒麟に乗って現れたら怪しまれるだろうが!!」



俺が居たって同じだろ、こんな状況で!



「じゃあもういい、その縄を放すなよ」

圧倒的な力で縄を手繰られ、俺は思わず縄の方向に目を向けた。俺が持つ注連縄ががんじがらめにしていたのは、竜のような、牛のような、巨大な聖獣だった。ガラスのように青く透明な鱗に覆われた胴はヘラジカのようにたくましく躍動し、その背を覆う黄金のたてがみに、奉がしがみついていた。



―――本当、何だよこの状況。



「おい…これやばい、捕まえたら罰が当たるタイプのやつだ!」

「大丈夫だ、麒麟は基本的に優しい」

そう言い放つと、奉は口を尖らせ、なにやら『音』を出し始めた。共鳴するように麒麟が『音』を返す。そのやりとりが数回繰り返された後、麒麟は突如俺たちをまとわりつかせたまま走り始めた。…驚くことに、俺がふりおとされないように気を配りながら。



―――小梅に見せに行った結果、『変なものにのらないの!』と怒られた。



奉は必死に『何故。小梅が乗りたがっていた麒麟だ。1週間も探し回ったのだぞ。ほーら、鱗がキラッキラだ』と楽しさをアピールしたが、小梅は

『それ、きりんとちがう!うろこついてるもん!うろこがついているのは、おさかな!おさかなさんは、うみにかえりなさい!!』

と、天下の瑞獣を衝撃的な解釈で海に戻そうとした。

「いやいや、小梅よ。魚とはかぎらない。蛇もトカゲも、鱗はついているだろう」

「へびも、とかげも、のりたくないです」

―――だよねぇ。

「もうすぐ、ママがかえってくるのよ。おさかなも、まつるも、いっしょにおるすばんする?」

と聞き、麒麟の注連縄を手に、奉を無理やり家の外に追い立て、慌てて逃げた。内側からしっかり鍵をかけることを指示してから。




「何故帰る。もう少し小梅と遊びたかったなぁ」

黒い羽織を振り回しながら、奉はとぼとぼ歩く。麒麟にはお帰り頂いたから、帰り道は徒歩だ。

「…ふざけんな。あの状況をどう説明するんだよ姉貴に。麒麟ごとぶっ殺されるぞ」

「それはいかんな。麒麟の死骸を見るのは不吉だというのに」

家をでた直後、麒麟には土下座で謝り、渋る奉を黙らせて縄を解いた。麒麟は燐光を放って消えた。

「あーあ…俺、あれに跨って走ってるの近所の人に見られたよ絶対…」

「大丈夫だ。ああいった場合、彼らは各々の常識に沿った解釈をする」

失うものがない奴は強い。俺は肩を落とした。

「麒麟違い…だったか…」

奉も、しょんぼりを肩を丸めた。

「何で瑞獣の方だと思った。動物園の話してただろ?」

「キリンきもいじゃねぇか。なぜ幼児があんな珍獣を好む。分からないことだらけだ」

麒麟の方が珍しく、かっこいいのに。あれほど苦労したのになぁ…と、口を尖らせながら奉は道中ずっと愚痴り続けていた。後で調べて知ったことだが、麒麟は色々なめでたい『兆し』が揃わないと姿を現さないという。…奴は1週間、何処で何をしていたのだろう。

「……少し疑っている…か。リアルな言い回しだなぁ」

「リアルなんだよ…お前少し自重しろよ!?」

その日は歩き過ぎて腹が減ったのでラーメン食って解散した。




後日。

近所の人は、麒麟に乗った状態の俺を『新型ロディに乗って友達とはしゃぎ回る大学生』と解釈したらしい。『各々の常識に沿った解釈』の結果、俺は馬鹿で浮かれぽんちな学生となった。…警察は呼ばれなかったが、親の知るところとなり、叱られはしなかったが数日間、微妙な目で見られ続けた。



―――俺はひっそりと肩を落とした。

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