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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
45/53

ヨヤマギョウ

――――潮風が強い。


幾重にも連なる朽ちかけた鳥居が、時折みしり、みしりと軋むのを聞きながら今日も石段を踏みしめる。じっとりと潮を含んだ風は強いばかりで爽快感はない。そう海に近い場所でもないはずなのだが、強烈に磯が香っている。

遠くの方から鈴の音が聞こえる⋯気がする。

「今日は食い物なんだな⋯珍しい」

いつもよりは軽めのダンボールを抱えて鴫崎が呟いた。ダンボールの上部に雑に貼られた伝票には「即席麺 他」と書かれている。そういえば昨日はきじとらさんが、せっせと生鮮食品を買い込んでいた。

「物忌なんだと」

「モノイミ?」

「なんか決まった期間、戸締りして家に籠るらしい。『よくないもの』が徘徊するんだとか」

「は、そんなこと言ったら奴は年がら年中モノイミみたいなもんじゃねぇか。あの引きこもりが更に輪をかけて引きこもる言い訳を見つけたってことか生意気な」

「まぁ⋯そうとも言えるんだが」

いつもの引きこもりとは決定的な違いがある。奉から「物忌」の宣言が出ると、玉群の本宅も物忌に入るのだ。物忌の時期はまちまちなのだが、10月あたりが多い。

「モノイミってあれか?10月の終わりくらいに、海に出られなくなる日があるよな。あれみたいな?」

「そうだよ、それ。玉村の物忌はランダムなんだ⋯比較的」

奉の物忌は、10月24日、船出が禁止される『海の物忌』の時期と重なることが多い。こんな初夏に物忌が宣言されたことは⋯無くはないにしても珍しい。

「で、俺らはあいつの巣ごもり需要を満たすために、このくっそ長い石段を何往復もさせられるわけか」

「いや、多分これで最後。暫くは注文もないと思うよ」

物忌の最中は、俺を始めとした友人知人は玉村周辺から遠ざけられる。配達業者も例外ではない。ありがてぇ!暫くといわず永久に物忌してろ!と鴫崎は叫ぶが、さすがにそのような事になったら例外的に配達業者は今まで以上に酷使されるのではないだろうか。

「オルァ引きこもりィ!宅配便様のお通りだぁ!!くそが!!」

慣れた手つきで岩戸をこじ開けて荷物を敢えて手荒に放り込む。未だ嘗てこんな横暴な配達員があっただろうか。

「⋯配達員様?」

暗がりから小走りで現れたきじとらさんが、軽く首を傾げて凝視する。淡い浅葱色のワンピースが、薄い瞳の色に映えて瑞々しい。鴫崎はあっという間に相好を崩してさっき投げた荷物をひょいと持ち上げて手渡す。

「⋯っていう冗談だよ、きじとらさん♪今日も可愛いね、俺は君に逢いに来ているんだと思うことにするよ♪」

てめぇ嫁さんに言いつけるからな。

「奉は留守⋯?」

普段は洞の隅に置かれた文机に座椅子を置いて何か読んでいるのだが、今日は気配すら感じない。

「物忌が始まると、奥の洞に移動なさいます」

「へぇ、物忌が始」


――――物忌が、始まると?


「待って!?物忌、始まったの!?」

「はい、私も急なことで⋯帰りそびれてしまいまして⋯」

表情が乏しい彼女のことで気が付かなかったが、微妙にそわそわしている。彼女も困惑していたのだろう。俺も困惑している。物忌が始まった、ということは。

「お前らも、しばらく、出られんねぇ⋯」

奥の洞から、くぐもった声が響いた。



古木の匂いがする卓袱台を三人の男が囲んで睨み合う。頻繁に洞に通う俺も、滅多に通されたことがない⋯というより奉自身も滅多に使わない、奥の洞に俺たちは移動して来ている。手前の洞より風穴に近いのか、初夏とは思えない冷気に満たされ、尋常じゃないくらい寒い。俺たちはきじとらさんが用意してくれた毛布に包まり、お茶が来るのを待っている。

どういう状況かというと、何の準備もなく俺たちはこの洞に閉じ込められることになったのだ。期限は不明だが、過去の事例を参照すれば三日前後というところだろうか。鴫崎は食料備蓄の中からカップラーメンを引き出して勝手に食い散らかし始めていた。

「―――どうしたもんかねぇ」

奉が唸るように呟いた。煙色の眼鏡の奥は、伺えない。というか手元すら薄暗い。Amazonで購入したという小さなカンテラだけが唯一の光源なのだ。なんだこれは避難訓練か。

「俺の3日分の備蓄が馬鹿の腹に吸い込まれていく⋯」

「嘘だろお前、こんなんで3日もつのか?俺の子ですらもっと食うぞ」

「お前こそ嘘だろ⋯乳児に何食わせてんだよ」

カップラーメン3個で3日分も、カップラーメン3個で1食分の乳児も嘘だろう。いや、そんな事はどうでもいいのだ。この狭い洞で3日前後、男3人、猫娘1人で過ごすことになるとは。


「ほんと⋯とんだとばっちりだぜ。地獄の配送に飽き足らず物忌テロかよ!」

乱暴に割り箸を器に放り込み、片付けもせずゴロリと横になる。この辺はもう、仕方ないがこいつは育ちが悪い。律儀に下げに来るきじとらさんを制し、横になっている鴫崎を叩く。こういうところを何とかしてほしいと嫁さんに頼まれているのだ。鴫崎は渋々ながらも立ち上がり、大義そうに器を持ち上げた。

「大体よぉ⋯物忌なんて迷信みたいなもんだろ?何で今すぐ外出ちゃダメになるんだよ」

俺も詳しくは知らない。今まで物忌だから暫く玉群に近づくなと言われ、その期間は2~3日。ああ、なんか宗教的な意味あいがあるのだろうなぁ⋯と、ぼんやりと思うくらいで、それ以上の疑問を持つことがなかったのだ。⋯俺自身が巻き添えを食らったことがなかったから。

「暦で決まっている物忌とは意味合いが違うんだよねぇ⋯」

きじとらさんが音もなく歩み寄り、温かい緑茶を置いていった。湯呑みの上部を持ち上げて一口啜ると、奉は心底面倒そうに息をついて言葉を続けた。

「台風が来がちな時期は知られているが、何月何日に台風が来ますよと決まっているわけではないだろう。暦上の物忌ってのは、まぁ⋯これを云ってはなんだが『台風記念日』みたいなものでねぇ。俺が云う物忌はな、云わば台風予報なんだよ。俺が物忌を宣言する時ってのは」

―――もう、近くにヤバいのが居る時なんだよねぇ。そう言い終わった刹那、俺たちの居室に『重力』が掛かった⋯ような気がした。息をするにも苦しいくらいに密度の高い空気に満たされ⋯言うなれば、洞が潮で満たされたような。

「来たねぇ⋯」

低く絞り出すように、奉が呟いた。俺が感じているのと同じ圧力が、奉にものし掛かっているのだろうか。時を置かず、鈴のような音が耳朶を満たし始めた。遙か遠くなのか、耳元なのかも分からないような⋯異様な距離感の音色だ。思わず傍らの鴫崎を見上げた。

「おい⋯奉、何が来てるんだよ」

音の方向を見定めるように辺りを睨み回している。⋯さすがに、肝が据わっている。

「知らんよ」

「知らねぇのかよ!?毎回『物忌』とかやってるんだろ!?」

激昂し始めた鴫崎に一瞥もくれず、奉はいつも通り本を繰りはじめた。

「―――ここに漂着したその時から俺はずっと、『あれ』に対しては物忌をしてきたんだよねぇ。それがどういう事か、分からないのかね」

「は!?」



「知らねぇのよ。『あれ』が何なのか、出逢えばどういうことになるのか」



―――知らない?

一瞬、耳を疑った。

「てめぇ、何だか分からないもののために俺を足止めしてんのか!?午後の配達がまだ残ってんだよ!」

「何だか、分からない⋯?」

奉が、ふんと鼻を鳴らした。

「よもやお前、何も分からんとは云わんよな?」

返答に詰まり、鴫崎は目を逸らした。

「あれが何なのか、遭遇すればどんな目に遭うのかは知らんよ。だが『やばい』ってことだけは分かるだろうが」

「―――うるせぇよ!!」

バン、と卓袱台を叩いて立ち上がると、鴫崎は傍らに投げてあった制帽を深く被った。

「社会人はなぁ!『分からんけどヤバいから』なんて理由で職場放棄できねぇんだよ!!」

今更シワシワの配達伝票を奉に押し付け、本の山を蹴り散らかしながら岩戸に歩み寄り、こじ開ける。―――鈴の音が、ひと際大音量で耳朶を打ち、同時に空気の密度がガン上がりした。⋯息が吸えない。まるで水の塊だ。


―――まずい、これ本当にヤバいやつだ、本能的な部分が岩戸の外を拒絶している。


脳髄をかき乱され、グラグラするような圧力に、俺も鴫崎も思わず屈み込んだ⋯が、鴫崎は歯ぎしりと共に立ち上がった。

「⋯時間指定の荷物があんだよこん畜生!!!」

「ぅわ、待て鴫崎⋯」

うまく息が吸えず声が出ない。俺がもたついている隙に岩戸の隙間をすり抜け、鴫崎は『向こう側』へ消えた。

「―――仕方ない、お前も行け」

暗がりから、奉の声が響いた。

「で、『あれ』を呼び出せ」

大福の包みが、転び出てきた。―――ああ、そうか。そうするしかないのか。

俺はそれを掴むと硬い空気を無理やり吸い込み、後ろ手に岩戸を閉めた。




視界が効かない程に濃度を増した空気をこじ開けるように歩いた。丁度、あれだ。何かに追いかけられる夢。まとわりつく空気と執拗に耳朶を打つ鈴の音、頭痛をいや増すように押し寄せるこの世のものではない『何者か』の気配。いや、何者か⋯ではない。個体ではないのだ。空気そのものというか存在というか⋯いや、概念だ。何らかの概念が、この一体を満たしているような。この概念を強いて何かに当てはめるのであれば⋯⋯


―――神、だろうか?


砂利を踏む感覚が途絶え、しっとりとした土を足元に感じた。境内を抜けたようだ。依然として空気は塊のようだ。しかし目と鼻の先に蹲る人影を確認した。⋯物忌なぞしなくても、マトモな感覚の人間は今の玉群神社に寄り付きはしないだろう。ならばこの人影は恐らく。

「鴫崎⋯?」

「⋯おう、結 貴 か 」

苦しい息の下、ようやく絞り出したような声で人影は応じた。

「大丈夫か、息吸えてないんじゃないか?⋯呑み込むんだ、水を呑むみたいに」

「⋯⋯」

肩のあたりがゆっくりと上下している。やがて鴫崎はふらりと揺れ、膝をついた。俺は鴫崎の傍らにしゃがみこむと、膝の近くに大福の包みを置いて手を合わせ、頭を垂れた。

「⋯⋯⋯なにこれ」

「―――お願い、申しあげます⋯島津、清正殿」



―――我が友、鴫崎の危機に⋯お力添えを!



「相承った、青島殿!!」

大音声と共に、鴫崎が立ち上がった。何かに齧り付くように大きく口を開け、塊となった空気を呑み込み、両手を広げた。その手には、



鍛えられた両刃の剣が、握られていた。



ぞくり、と寒気に似た感覚が過ぎった。鴫崎の右手に『形を成した』、いや、可視化された⋯のか?何故俺には今までこの剣が見えていなかったのか、そちらに疑問を覚えるほど自然に、その剣は鴫崎の右手に収まっていたのだ。俺が知っている所謂『日本刀』ではない。両刃の、反りのない真っ直ぐな刀だ。恐らく戦国時代よりずっと前の、洗練されていない刀身。

鍛えられた、と表現したが、鍛冶場で鍛えられたという意味ではない。なんというかこう⋯戦場で幾多の人を斬り、命を刈り取ってきた。そんな刀身だ。

「そりゃ、そうだよなぁ⋯」

千年を超える歳月、斬り続けてきたのだ、この男は。

鴫崎⋯いや、島津は軽く腰を落とすと、水平に構えた刀を横に薙いだ。赤光を帯びた軌跡が島津の周囲を半円に祓う。さらに踏み込み、再度水平に薙ぐ。半円の赤光が2、3条、視界を失いかけている俺にも見えた。

美しい、と場違いな感想が過ぎった。

「―――もう、大丈夫だな」

俺は大丈夫じゃないかもしれない。だがまぁ、奉が俺を送り出したのだ。死ぬようなことはないのだろう。塊のような空気も、締め上げてくるような圧力も、確実に俺の命を蝕んでいるような気がするが、多分、大丈夫だ。



―――やがて視界が完全に消えた。意識が飛びかけた頃、誰かに抱えあげられる気配を感じた。



意識が戻った時、カップラーメンの気配を感じた。寝そべっている体の下側が異様に冷たい。嗅いや寒さを感じているということは、俺は生きているのだろう。重い瞼をこじ開けると、岩の天井が視界を占めていた。

「なぜ」

恐らく島津が俺を運んでくれたのだろう。しかしそれなら何故、そのまま鴫崎のトラックに乗せて玉群界隈から脱出させてくれなかったのだろうか。この感じだと俺はこのまま洞の中に3日くらい閉じ込められる流れになるのだが。

「鴫崎というか島津というか、いずれにせよ俺の敵がお前を洞に戻して去っていった」

「だろうな」

どうせ帰るなら何の為に俺の備蓄を荒らしたんだあいつ許せん、などとブツブツ呟きながらカップラーメンを啜る奉をぼんやり眺めていると、自分が少し腹が減っていることに気がついた。

「⋯俺にもくれ」

「⋯辛いやつなら」

「ふざけんなよ買い占め後も絶対残ってるやつじゃねぇか。備蓄で買うなそんなもん」

「バリエーションが欲しいだろ」

「食わないくせに要らんことばかりするな」

ダンボールの中からシーフードヌードルを抜いて蓋を剥いた。バリエーションとか言っているが、奴はどうせスタンダードな醤油系ばかり食べて、他は賞味期限も消費期限も切れまくるまで残すのだ。

「⋯結局、何だったんだ、あれは」

「知らんよ」

「本当に知らんのかよ」


―――ヨヤマギョウ、という怪異を、知っているか?


奉が箸を置いて頬杖をつき、問いかけてきた。

「何だろうな⋯絶対知らんけど、似たような名前の怪異居なかったか?」

「ヤギョウサンとかヤトウカイのことを言っているな。⋯まぁ、要は知らないんだな」

くく、と低く笑って首をすくめた。

「同じだ。俺もよく知らん」

「お前も知らないのかよ!」

「だってなぁ、名前と前兆と⋯」



『遭ったら死ぬ』ということしか、知られていないんだからねぇ。



「えぇ⋯」

「お前の好きな都市伝説でもあるだろう。午前2時に小学校の階段の鏡に姿を映すと無数の手が現れて引き摺り込まれて誰も帰ってこれない系の雑なミームがねぇ。ならその話はどうして伝わってんだよ、という話な」

「別に都市伝説好きじゃない」

「お前がさっき言ってたヤギョウサンも、遭遇すれば蹴られたり投げ飛ばされたり、まぁまぁ酷い目に遭うが殺されるわけじゃない。なんなら履物を頭に乗せて土下座するだけで許してもらえる。優しいねぇ」

「⋯そうか?」

土下座って相当だぞ。

「本当に危険な怪異になるとな、遭遇した人間は生きちゃいないんだねぇ。チリン、チリンという鈴の音が聞こえた時点で逃げた者は生き延び、逃げずに同じ空気に触れた者は、二度と帰らない」

だから、名前と前兆しか伝わっていないのか。そんな怪異があるのか。

「俺が遭ったやつは、そのヨヤマギョウだったのか」

「そう、とは限らない」

きじとらさんが置いたぬるめの緑茶を一口すすり、彼女の佇む暗がりにちらりと目をやる。彼女はふと気がついたように小皿に大福を乗せて運んできた。

「別のやつかも知れないのか」

「鈴の音と『遭ったら死ぬ』という状況⋯だけは同じだが、それが果たしてヨヤマギョウなのか。そもそもヨヤマギョウってのは何なのか」

大福を小さく齧り取り、数回咀嚼したのち、軽く喉をならして飲み込む。その一連の動作の間、俺も『ヨヤマギョウ』と称される存在について考えていた。

ヤギョウサンに名前が似ている、と俺は思ったが、実際ヤギョウサンを意識して名付けられたのだろう。遭えば酷い目にあう、という共通項から⋯というかその亜種と看做さざるをえなかったのではないか。しかしヤギョウサンのように、

酷い目にあわされた人間が生きていて、その姿を証言したわけじゃない。だから⋯。

「鈴の音と、押し潰されるような空気、のちの死。この状況自体が『ヨヤマギョウ』と呼ばれているが、その背後に在るものは、唯一ではないかもしれないねぇ」

「そうだな⋯唯一の存在と言うよりはなんか、あれは⋯こんなこと言ってもいいのか分からないけど」

神の御渡り⋯のような。俺がそう呟くと、奉が口の端を吊り上げた。

「そう理解しておけばいい。というか、概ねその通りだ。日本は八百万の神の国だからな。人知が及ばないものは『神』として畏れ敬っておくのが無難だ」

「その『神』は玉群だけをピンポイントに狙ってくるのか?この街に20年以上住んでいるが、他の場所でこんなものが通るなんて聞いたことがない」

奉は湯呑みを摘み上げて、緑色の水面に目を落とした。

「―――シンプルな話よ。熊よけの鈴と同じ。⋯鈴の音以前に、あんな不快な気配が近づいてくれば、我知らず回避するだろうねぇ、無意識に。⋯『あれ』が玉群に執着していることは確かだが、それ以外のものを慎重に避けて通っているとか、そんなことはない」

くっくっく、と喉を鳴らすように笑った。

「滅多に居ないが、あの宅配バカのように渦中に突っ込んでいく奴はまぁ⋯死ぬんじゃねぇの?」

「お前恐ろしい事を⋯でも、それならこの界隈で『道端で突然死』って事件が多発するんじゃないのか」

「死体が発見されればね」

例えばその怪異がな⋯と、奉が語り始めた。


気配と音しか知られていないこの怪異が、殺めた者を『消す』もしくは『食う』性質を持っていた場合、遭遇した人間は『失踪』したことになる。まず、この怪異が発する気配を無視して近づいてしまう人間は、通常の神経を持ち合わせていない。恐らく普段から突飛な発言やら無鉄砲な行動やらで悪目立ちしていることだろう。

「⋯ならば突然失踪したとしても『まぁ、あいつだからなぁ』と周囲も納得しちゃって、事件化しないかもねぇ」

「お前それ絶対鴫崎に言うなよ」

超面倒くさいことになるから。⋯鴫崎といえば。

「⋯島津のさ、あの剣術」

「あの時のかい?」

玉群の敷地に封印された『戦場』を奉が一瞬だけ解いた日、島津が俺たちを守る為に奮った、奇妙な剣術⋯忘れてはいまい。奉はその剣術を『滅びていった剣術』と称して見蕩れていた。

「また、見れた」

「へぇ、いいねぇ⋯まぁ、俺が再びその剣術を見る時ってのは、俺自身が斬られる時だろうねぇ」

奉が島津の剣術を見たら死ぬ、ということか。さっき聞いたような話だ。奉は湯気を吹き分けるようにして緑茶をすすっていた。肩が微妙に揺れているのは、笑っているからだろうか。

「⋯伸びてるぞ」

ふと傍らのカップラーメンに目を落とすと、すっかりふやけていた。⋯今も気配を放ち続けている『あれ』は一体何なのか、何故玉群が粘着されているのか、奉すら知らないのでは俺が知る由もない。

唯一判明しているのは、俺はこれから3日間、本しかない殺風景な洞から出られないということだ。


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