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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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疫病神

色鮮やかに萌え始めた欅の新緑を、俺と今泉は所在なげに眺めていた。田舎の大学ならではの、無駄に広大なキャンパスが、更に広大に感じている。

人口密度が低いのだ。

「―――休校だってさ」

「そりゃそうだろ。あれだけ病欠がでてればな」

平日の昼間だというのに、友達が多い今泉が外のベンチで俺と二人きりでいるのはそういうわけだ。

お互い、知っている奴がほぼ感染症で全滅しているのだ。

普段から講義をサボり倒している奉はさておき、静流は数日前からコロナを貰って寝付いている。⋯見舞いには行きたいが、お互い実家住まいだし、何より五類の感染症だ。万一のことが起こらないように、LINEのやり取りに留めている。今も39度を超える高熱が治まらないらしい。

コロナだけではない。インフルエンザやマイコプラズマ肺炎など、季節外れの感染症が大流行しているのだ。ヘルパンギーナのような、子供が罹る感染症にすら大人がバカスカ罹患している。我が家でも、親父と榊さんがインフルエンザに罹患してしまったらしく、仲良く市外の病院に駆け込んでいる。

先達の薬袋病院崩落で、この街の医療体制はすこぶる脆弱になっている。その弱り目にこのパンデミックだ。少し離れた総合病院も、地元の開業医もキャパオーバーでパンク状態、市外の病院にまで余波が押し寄せてここ一帯の医療現場はパニック状態だ。

「おかしいんだよなぁ」

LINEの画面をスクロールしながら今泉が首を傾げた。

「こんなパンデミックになってんの、ここら辺だけなんだよ」

ここら辺だけ⋯改めて周囲を見渡してみる。何処かのサークルの溜まり場になっている屋外テーブルにも、カップルが等間隔に並んでいる植え込みのベンチにも、人影はない。

「ここらの住民ってこと?」

「うん⋯ここら辺に下宿してる奴とか。遠距離通学の子は、比較的元気」

確かに、チャリ通学の静流もパンデミック被災者だ。まあ、それを言えば俺も今泉も電車で数駅の距離だ。

「俺らは?」

「そりゃ全員じゃないよ」

それもそうだ。登校はしていないが、奉も感染を免れている。鴫崎も同僚が続々倒れていく中、1人で数人分の配達を担わされている。俺も倒れたい、と毎日のようにボヤいているが、そこは小さい頃から丈夫が取り柄の健康優良児だ。そういう時に限って倒れられない。余りにも不憫なので、奉宛の配達物は石段の麓に投げておいていいぞと勝手に許可した。

「で、ごはん行く?」

今泉に聞かれたが、首を振った。今日は女子高生と昼食の約束があるのだ、と胸を反らせて広言すると、今泉は少し眉を上げて『静流ちゃんに言ってやろ』と揶揄うように笑った。



神社へと続く長い石段に、碧を帯びた木陰が落ちる。神社周りの刈り込みを請け負う親父曰く、眩しすぎない程度に日差しを残した、とか。石段沿いの植え込みには、今年もシャガが青白い花をつけている。あれは親父が植えたやつじゃない。…いや、過去に植えたのかもしれないが、あの花は一度植えると翌年以降も地下茎で無限に増えるのだ。なのでむしろ近年は増えすぎないように、根っこを切って調整していると聞く。

「やった、ミラノサンドだ」

げんなりしたように肩を落とす奉の傍らで、スラリとした両足を軽く組んだ女子高生が手を振っていた。

「甘いものもオマケ」

「やった」

彼女は切れ長の大きな目をキラキラさせて俺の手元を覗き込んできた。『昼食の約束をしている女子高生』、縁ちゃんだ。

玉村の実家の、使用人を含む全員が感染症に倒れたのは二日前。在宅診療だとか看護師だとか臨時のヘルプとか…そういったものを依頼して看病一切を任せ、唯一難を逃れた縁ちゃんは、書の洞に避難している…という一連の事情により、現在書の洞は縁ちゃんの植民地と化している。俺は『大学に行くついでにミラノサンド買ってきて。で、一緒にゴハンにしようよ!』と誘われていた。

静流には申し訳ないが俺は今朝からずっと楽しみにしていたのだ。⋯いや、疚しい意味ではない。実の兄が『あれ』なので、甘い兄は俺の役目なのだ。俺はこの子を一生甘やかす、そう決めた。それだけだ。

「甘味は何を用意した」

奉が不機嫌全開の唸り声をあげた。洞全体に、うっすらと奉の髪の毛が散っているし、髪型が左右非対称にされている。二日前から縁ちゃんが居た事を考えると、何が起こったのかは想像に難くない。

「縁ちゃんが最初に選ぶんだからな」

近場のコージーコーナーで購入したケーキの箱を机に置くと、奥から出てきたきじとらさんが、うやうやしく推し頂いて奥の台所へ戻って行った。薄桃色のワンピースは、さぞ新緑に映えることだろう。

「私、Bサンド貰うね!」

何の衒いもなく、縁ちゃんがサーモン入りのサンドをかっさらった。一瞬、きじとらさんが『あ……』みたいな顔をしたが、俺が目配せで『もう一つあります』と伝えると、一礼して茶を置いた。俺は徐にもう一つのBサンドにマジックで『きじとらさん』と書いておいた。


「全員だもんね、さすがに家には居られないしー、もうずっと学校閉鎖みたいだしー」

コタツがある居室のコンセントは縁ちゃんのゲーム機やスマホ、モバイルバッテリーの充電で埋まっている。珍しく流行りの音楽を流れているな、と音源辺りを振り返ると、白くて可愛いBluetoothのスピーカーが2台、虹色の光源をキラめかせているのが何かケバくて笑ってしまった。何だこれ。奉の洞が女子高生に侵食されて微妙に可愛くなってしまっている。

「―――おいなんだあれは」

「んん、ここ何にもないから持って来た。ちょっと前に買い換えたから、あげるよ」

「要らねぇ」

「あげる」

奉と縁ちゃんの押し問答が始まった。避難期間が終わって持って帰るのが面倒くさいのだろう。面倒臭がりなところは、この兄妹はよく似ている。...思い出した。一応、奉にも共有しておこう。

「鴫崎の職場も、感染で人手不足みたいだ。お前の荷物、石段の下に置いておくように言ったから、今くらいは協力してやってな」

「余計なことを」

奉が小さく舌打ちした。皆が大変な時にも、この祟り神はあくまで自堕落を貫こうとする。⋯祟り神、祟り神か。病院の崩壊を狙い済ましたかのような、疫病の蔓延。まるで祟りのようではないか。目の前に置かれた暖かいお茶に手を伸ばし、洞の奥に通じる暗がりにちらりと目をやる。

「なあ、奉」

「何だ」

Aサンドをつまらなそうに齧りながら、奉が低く唸った。

「今回のパンデミック、どう思う」

「どう⋯かねぇ?」

もしゃもしゃ動く口元が僅かにつり上がった。⋯やはり、奉も今回の件には何か思うところがあるのだな。

「お前はどう思うんだ」

「なんか⋯なんだろう、あんな事があった直後だからかな⋯祟り、というか呪いというか⋯そうだ」


疫病神。思わずそう口走ったのを見届けるように、奉がくくくく⋯と低い笑い声をあげた。


「疫病神ってほど、ウイルス側は大暴れしてねぇだろ」

「いや、それはお前⋯十分大暴れの範疇だろコレは」

この一帯の学校はほぼ閉鎖、医療機関はパンク状態、実家が全滅した縁ちゃんはインチキ神社に逃げ込む始末。大暴れどころか疫病無双だろうこれは。

「この一帯だけの話だねぇ、それは」

くっくっく⋯と明らかに上機嫌な笑い声を上げて食べかけのAサンドを置いた。

「インフルエンザだってな、流行のピークが冬場ってだけで夏には死滅してるというわけではないんだよねぇ。稀にあるだろ、夏のインフルエンザ流行」

「ごく稀にだろ⋯何が言いたいんだよ」

「そうだねぇ⋯まずは結貴。今この一帯で流行っている感染症ってな、何だったっけねぇ」

「色々だ。コロナもインフルエンザも、マイコプラズマ肺炎も、ヘルパンギーナも⋯」

「ヘルパンギーナ!⋯そりゃなんというか」

小学生も罹らない感染症だねぇ。そう言って奉はまた笑った。⋯その笑い声に被さるように、不吉な気配のLINE通知が俺達のスマホに入った。

「あーあ⋯おい縁、変態センセイの健康診断だ」

露骨に嫌そうに、奉が羽織に袖を通した。縁ちゃんも嫌そうに『お兄ちゃんが先に行ってよぅ』とグチグチ呟きながら立ち上がった。

書の洞の更に奥、風穴近くに安置された薬袋の変わり果てた姿を初めて見た時は、縁ちゃんは酷く怯えていた。それがつい数日前の事だ。原因のよく分からない局所的パンデミックを警戒して、念の為⋯本当に念の為、やむを得ず我らが変態センセイに相談をしたのだ。脳髄のみの存在となった薬袋に今出来るのは問診というか健康指導くらいのものだが、それでも予防対策の足しにはなっている。現にここに出入りしている俺たちは、静流以外は感染症にやられていない。

『静流ちゃんは残念だったね』

青い液体に満たされたガラスの円筒が、青白いLEDライトの光を受けて淡く光っている。昨日だか一昨日だか、健康診断に訪れた縁ちゃんが『可愛くない』とクリスマスツリーに巻き付けるLEDライトを巻き付けたのだ。一昨年あたりから出されなくなったツリーの廃品利用⋯というか不用品の押し付けというか。変態センセイはご満悦の様子なので、俺は干渉しない。

「その言い方やめろ、不吉な」

とても腹立たしいことに薬袋は、LINE通話が可能になっていた。死者からLINEが届くだけでもSAN値がゴリゴリに削られるというのに、死者から電話までかかってくるようになってしまったのだ。しかも、金属を静かに引っ掻いたような不快な合成音。実体がないことを差し引いても、生存時を凌駕する不吉さだ。生まれて初めて、携帯の番号変えて逃げたいと熱望している。

『⋯うん、体温も体調も正常だね。引き続き手洗いうがい、乳酸菌を忘れずにね』

まともな医者のようなことを言って変態センセイは『お大事に』スタンプを送り付けてきた。縁ちゃんもスマホをチラ見して嫌な顔をする。⋯縁ちゃんにも届いたらしい。

「⋯先生の方では、何か掴んでますか、その⋯パンデミックの」

『パンデミック?』

金属音に嫌な半笑いが混じった。

『パンデミックゥ?聞いちゃう?そのコト聞いちゃう?』

「また疫病神がどうとか言うのか?」

ばっ⋯てめぇ!!

『疫病神www』

金属をゴリゴリ擦り合わせるような不快な笑い声が洞を満たした。

『疫病神てwww君いい歳して夢カワイイねぇwww」

こいつ腹立つ。

「⋯あんたが『そう』なったのは?地霊の呪いとかいう夢カワイイ原因だろうが。こちとら、これ以上夢カワイイ事象に巻き込まれて被害蒙りたくないんだよ」

『手厳しいいぃぃwww』

ひとしきり不快な笑い声を聞かせたのち、薬袋は突然LINE通話を切った。直後にトークが届いた。何なのだ一体。

『自分の笑い声で耳が痛い』

なにそれ。

『だからトークに切り替えるよ。疫病神だっけwww』

wwwは付けるんかい。

『少なくとも、ウイルス側の問題じゃないよwww』

「じゃあなぜ、この一帯だけ感染症が蔓延しているんだ」

『ねぇぇ、おかしいよね!あの病院周辺だけタイヘンなコトになってるよねぇwww』

「あ!?」

『やべ、言っちゃったwww』

それっきり『てめぇ』『返事しろこら』といくらトークを送っても既読がつかなくなってしまった。

「くっそ、あいつ」

「未読無視かい!あの脳、むかつくから電飾増やしてやろうよ!」

「縁ちゃん、それだ。残りの電飾全部持ってこい。オーナメントも」

少し前までシンプルにきもいと忌避していたのに、女子高生の順応力の高さには驚く。今後凄まじくデコられる宿命の脳髄をぼんやりと眺めながら、先程奴が『うっかり』口を滑らせた『あの病院周辺』という言葉を反芻していた。このパンデミックは、やはりあの病院の崩壊が関係している⋯。

あの病院の周辺で、満遍なく様々な感染症が流行している。定番の感染症から、免疫力が低い乳児が罹るような感染症まで、満遍なく。

「―――免疫力?」

ウイルスが強いのではなく⋯免疫力が下がっている⋯?

「―――免疫力が下がっているのか!?あの病院が崩壊したことで、周辺の住民が受けていた何らかの恩恵が途切れて、結果的に免疫力が下がって」

「あの病院にそんな力はねぇよ」

羽織の前を掻き合わせ、奉が呟いた。⋯息が白い。

「そもそも⋯在るだけで周囲に恩恵を振りまくような存在は、神性にだってそうは居ないんだよねぇ。いわんやたかが人間が拵えた施設をや。だが、惜しい」


免疫力、までは合っている。奉はそう言って足早に脳髄の部屋を後にした。


「疫病神だとか疱瘡神だとか、そういった『病を齎す神』というのは、感染症という不可視の災厄を擬人化したものでねぇ。感染症そのものは、自然災害みたいなものよ。風神や雷神と同レベル」

普段より暑めの炬燵で足を炙る。脳髄が安置される洞の最奥部は、酷く底冷えがするのだ。だから健康診断の後は、きじとらさんが炬燵の設定温度を少し高くしてくれる。俺の手土産のケーキが、緑茶と共に運ばれてきた。⋯うん、全然構わない。緑茶でいい。

「風神雷神とお前の違いが分からん」

「俺らは自然現象の擬人化じゃないんだねぇ。ただ、在るものなんだよ。本来なら、風の一筋すら吹かすこともままならないような存在だ。それを踏まえた上で聞け。⋯病院の崩壊は、この土地の『地霊』に、甚大なダメージを与えた」

―――崩壊は、地霊が起こしたものと解釈していたが⋯本来なら自由自在に地形を変える程の力は持っていないということなのだろうか?

「怒りにまかせて強引に起こした地形変動、薬袋を呪い続けたことで内側に溜めた穢れ。あの男を一人排除するためだけに、割に合わない程の代償を払ったんだよねぇ⋯その代償を何で払ったか、というと」

その地に住まう者共の、命だよ。

そう言って奉は薄めの茶を啜った。

「命て」

「殺して喰らったわけじゃない。ただ少し、ほんの少しずつ、掻き集めたんだろうねぇ」

「オラに元気を分けてくれ、と」

「まぁそうだねぇ、そのイメージが一番、近い。農作物の不作や野生動物の大量死なんかは起こっていないから、選択的に人間から搾取したのだろう。結果、周辺に住まう人間の免疫力が下がり、普段なら罹らないような感染症にガンガン感染しているわけだ。人間の不始末は人間が償え、ということかねぇ」

「⋯変じゃないか」

「そうか?」

「恩恵は齎さないのに、代償は払わせるなんて」

「そりゃそうだろう?何故神性が、頼まれてもいないのに恩恵を齎すのだ?」

上位存在と下位存在の天秤はイコールじゃねぇんだよ、と奉はモンブランの皿を手繰り寄せた。縁ちゃんは既にチョコレートケーキを食べ終えてゲームを始めている。この空間に限っては、上位存在より先にケーキを選ぶ女子高生が居ることに奉は気がついているのだろうか。

「かつてはもっと分かりやすく、生贄を捧げていたようだが、もう時代が違う。人間側の倫理観がそれを許さなくなったからねぇ。⋯家畜のように屠って命を奪うよりか、年貢感覚で均等に命を吸い上げる方が余程良心的だろう?まぁ、あちらのシマは、そういうやり方ってことだねぇ。他所は他所、うちはうち⋯というわけだよ」

「あちらのシマ⋯?」

「忘れたのかい?お前らはあちらのシマから捨てられて、俺のシマに放り込まれた俺の領民じゃねぇか」

―――あ。

「だから俺たちから命を吸い上げることは出来ないし、ほんの数人例外が居たところで、あちらさんとて痛くもかゆくもない。感染にだけ気をつけていれば、俺たちに影響はほぼないだろうねぇ」

「え、静流は」

「そういうの関係なく、普通に貰ったんだろう。⋯あいつ、何でああ鈍臭いんだろうねぇ」

「⋯言うなよ」

鴫崎や今泉、それに縁ちゃんが無事なのも、例外的に免疫力が下がっていないからだったのだ。小梅も、難を逃れてほしいものだが⋯。

「じゃ、こっちのシマは何で年貢をおさめてんの?」

話を聞いていたらしく、縁ちゃんがゲーム機から顔を上げた。

「俺は普通に食って寝て読む。俺は塞の神だが地霊じゃないし、生命力は土地とリンクしていない。その点では、びっくりするほど只の人間なんだよねぇ」

そう言って奉は、炬燵に首まで潜り込んで本を繰り始めた。

俺に神性の摂理は計りようもない。ただ、己の土地に住まう者から命を吸い上げ、糧にするという有り様が神性にとって自然なのであれば、薬袋は『神性に最も近い人間』だったのではないか?とは思う。

薬袋はこの先、神性のような存在になっていくのだろうか。


などと思っていたが後日LINEで、LEDとオーナメントで散々にデコられた自撮りと共に『ひどいよ』と一言送られてきたのを見た時「神は⋯ないな」と思い直した。


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