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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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たたりもっけ

挿絵(By みてみん)


 鎮守の杜に押し包まれて佇む、玉群の屋敷の前で、俺は途方に暮れていた。



―――嫌な雨だ。




五月に入ったばかりだというのに、長雨が続いていた。こういう5月の雨の頃、俺は『ある用事』で奉に呼ばれる。そういう日はいつも、嫌々門をくぐる。縁ちゃんに会える日だけは少しウキウキするが、今日は確か部活の遠征だとかで遅くなる。ラクロスのチームに入っているのだ。女子高生達がチェックのスカートを翻し、ラケット的なカゴみたいな棒を手に所狭しとグラウンドを駆け抜ける。よく知らないけどそういうリア充っぽい競技だ確か。あー…そっち行きてぇな。

 奉の母さんは親切にしてくれるし、すごい高い菓子が出るし、我ながら何がそんなに嫌なのかさっぱり分からないが、とにかく俺はあの屋敷の空気が凄く嫌なのだ。

 以前その話を奉にしたとき奴は、ほう、と声を出した。

「何だ、その『ほう』は」

「感心したのだ。よく、気が付くものだなぁ」

視える質の人間でも微かに感じるかどうかの幽けき者の気配なんだがなぁ…とぶつぶつ呟きながら、また書を繰るのに夢中になってしまって続きは聞けなかった。一体、何の気配なのやら。



 執事の小諸さんが出てきてしまった。…ベル押したのだから当然だが。

「お話は聞いております。…こちらへ」

相変わらず抑揚に乏しい声で、小諸さんは俺を屋敷の奥へ促した。小諸さんは一見、無表情でそっけなく見えるが実は園芸好きで、俺の親父と仲がいいのだ。

「今年の蔓薔薇、見事に咲きましたね」

「…去年より、少々時期が早いようです」

そっけないようだが、少し声のトーンが高くなる。そして次に来た時には蔓薔薇が妙に念入りに手入れをされているのだ。小諸さんは意外と分かりやすい。

「こちらでお待ち下さいませ」

応接室に通され、菓子を出された。そのまま小諸さんは下がる。…いつも通りの暗黙の了解だ。小諸さんの足音が遠ざかり、消えたのを確認して俺は立ち上がった。




―――ああ、嫌だ。

憂鬱だ。公認とはいえ、こそ泥みたいに他人様の屋敷を嗅ぎまわらなければならないのだから。俺は音を殺してドアを開け、そっと応接室を抜け出した。

 小諸さん以外の住人は、この日は基本的には出払っている。静まり返った玉群家は…否、



無音、ではない。



 ほう、ほう、ほう……ふくろうのような、ため息のような声が静かに、でも圧倒的に屋敷の中を満たす。この屋敷に来る度に俺が感じている気味悪さが、まるで具現化されたかのような。耳朶を満たす梟の声。あぁ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。今すぐ叫んで帰りたいくらいに。

 だが俺はこの音を辿らなければならない。奉に、彼の親父さんに、懇願されている。『役目』は親父さんでもいいらしいのだが……これは確かに、家族がやるには嫌な役回りだ。俺が丁度いい。

 声の強い方向に向かう。ほう、ほう、ほう、ほう、ほう…幾重にも重なる梟の声は『異物』である俺を探るように取り囲む。しかし気にせず進む。

『あれには、具体的な感情や、人を取り殺すような能力はない。気にせず進め』

奉にはそう聞いている。だが…何か、最近少し様子が違うような。

「なんか…『強く』なっているような…」

思わず一人ごちた。空気はねっとりと重くのしかかり、歩みを阻む。…そう、阻まれている。去年までは、こんな指向性は感じなかった。



―――嫌な感じだぞ、これは。



だが進むしかない。広い屋敷とはいえ個人宅だ。今回の『場所』は、すぐ特定できた。来客用の寝室(ということになっているが実際ほとんど使われない)のドアを開くと、彼らはいた。



母の膝を枕に、軽く寝息を立てている奉を見つけた。



「もう、そんな時間なのね」

奉の母さんは、奉が身を起こすと、ため息を呑み込むような顔をした。まだ朦朧としているような奉の表情が、少しずついつもの感じに戻っていく。

「……ご苦労」

そう不躾に言い放ち、傍らの眼鏡を掛けると奉は立ち上がった。

「じゃ、戻るわ。母さん」

振り向きもせず、奉は寝室を後にした。





「今年はどうも、たたりもっけが力を付けているな」

ゆっくりと石段を登りながら、奉が呟いた。参道を囲む新緑は、昨今の長雨ですっかりくすんで見える。露草の青い花弁だけが、妙に映えていた。

「あの、ほうほう云うやつか?」

「間引かれたり、幼くして死んだ子供は梟になるという。たたりもっけ、と呼ばれている」

死んだ、子供?

「お前の兄弟、誰か死んでたか」

「…あれを『子供』と云ってよいものかなぁ…」

奉は考え込むように、視線を落とした。

「俺が玉群の家に『降りる』際、腹の子に宿る」

「あぁ…」

「最初から宿っているわけじゃない。丁度いい時期に玉群の嫁が子を孕むと、その子に強引に宿る」

「…なんだそれは」

「分かりやすく云うと、腹の子の意識を『殺し』、俺が取って代わる」

奉は何も見ていないような目をして、淡々と語る。

「あの家に満ちている気配は、俺が殺し続けて来た、玉群の子供達だ」



―――嫌な気配なわけだ。



「何故話す」

嫌な話だ。聞きたくなかった。

「あいつらが強まっているものなぁ。一応、用心にな」

「…何があったんだ」

溜まり過ぎたのだよ、たたりもっけが。そう云って、麓で買ったラムネ瓶を呷った。

「母親はな、気が付くんだよ。どうも、俺さえ降りなければ生まれる筈だった自分の子が、自分の周りを漂っているらしいことを。その様子に、俺も気が付く。黙殺すればいいんだが、それも…まぁ、寝覚めが悪い。だからたたりもっけの力が強まる季節に、少しだけ『彼』にこの体を返す」


そうか。今日は…年に一度だけ、裂かれた母子が逢える日だったのか。…二重人格みたいなものかと思っていた。


「今回の母親は比較的物分かりがいいが…稀に、本気で子供を奪い返しにかかる母親もいる。お前に迎えを頼むのは、その辺を見越しての保険」

「…そうだな」

だがそれでは奉は、どの母親にとっても憎しみの対象なんじゃないか?それは…辛くはないのか。

「人間がどんな感情を持とうが、俺には関係ないがなぁ」

問う前に答え、奉が酷薄に笑う。

「俺は喚ばれただけだ。それで望まれるように在る。俺との約束を切ろうと思えば、いつでも切れるのに、当主は切ろうとはしないねぇ…」

しゃがの花が、くすんだ緑の中で薄青く浮き上がる。…珍しく、底冷えのする日だ。もう五月だというのに。

「なにか理由があるのか?」

「んー、強いていうなら」

黒い傘を僅かに傾けて、奉は何かを思い出すかのように少し視線を上げた。

「俺が去ると、玉群は消える」

「は!?」

あっさり何云ってんだ?

「玉群のな、家系としての寿命はとうに尽きているのだ。ずっと昔に。俺は絶える家系を延命させるために、無理に喚ばれ、以来この場所にいる」

玉群の子は、俺を降ろす為の贄だねぇ。そう呟いて、再び傘を深く傾けた。俺は何をどう云っていいか分からず、ただ奉の半歩後ろを歩く。…後ろから、雨靴の音がした。こんな日に参拝者がいるのか。こんな偽神社に。なんだか申し訳ない気分でふと後ろを振り返る。

「―――おばさん」

奉の母さんが、雨の中ついて来ていた。ジーンズの裾に雨が跳ねている。走って追って来たのだろう。

「……何?」

こら、お前。そんな云い方があるか。

「着替え。忘れたでしょ。あと実家からもみじ饅頭届いたの。一箱持っていきなさい」

息を切らせながら一気に云うと、奉の母さんは雨に濡れた紙袋を突き出した。奉は、お、おぅ…などと呟きながら紙袋を恐る恐る受け取り、踵を返した。



 降り続く雨は少し和らぎ、雲が薄くなってきた。石段を登り切ると境内の辺りに、えんじ色の袴と矢立の絣に身を包んだきじとらさんが、桃色の傘を手に佇んでいた。

「……お帰りなさい」

久しぶりに聞くきじとらさんの声は、小さいのに凛と響いた。

「……おう」

奉は傘を畳み、背を丸めてきじとらさんの差し出す傘に入った。きじとらさんは俺の方をちらっと見た。

「お前も饅頭を食っていけ」

珍しく、奉が俺に甘味を分けてくれるという。俺も傘を畳んだ。

「―――どいつもこいつも、図り難いわなぁ…」

奉がそんなことを呟いた気がした。

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