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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
34/57

水虎

校内で再び、死者が出た。




草間の奇妙な死は、俺たちの目の前で起こった。

最近たまにつるむようになった小学校の同級生、今泉の友達として紹介された。ちょっとした世間話なら出来そうだが、根っこの部分は俺とは合わないな、と互いに距離を置いている、そんな程度の知り合いだった。正直、葬式にも行くべきなのか迷っているくらいだ。…正直、行きたくない。別に嫌いだったとかそういうことじゃない。



俺と今泉の目の前で、草間は奇妙な死に方をしたのだ。



その日俺たちは、地元の寒中水泳大会を冷やかしに行った。草間が参加するらしい、と今泉が聞きつけ、男ばかり引き連れて野太い声援を送ろうとしたのだ。ただ流石に『くだらない』『時間の無駄』という意見が多く、最終的には俺と今泉と、知らない奴2~3人位にまで減った。…今泉とつるむようになって分かった事がある。

俺は酷く、人見知りだったのだ。

今泉は基本的に壁を作らず、誰とでも楽しくつるむ。その感じが軽薄な男と勘違いされるのか、嫌っている奴も割と居るが、本人はさほど気にしていないようだ。

『俺バカだから、頭の中は好きな事や好きな人達のことで一杯なの。嫌いな奴の為に使うキャパ残ってないの』

というのが奴の言い分だ。

心底、その性質が羨ましい。

なら俺はいつも井戸の底で蛇やタガメの事で頭を一杯にしてびくびく震える蛙のようだ。そんな事を云うと、今泉は笑った。

「お前さ、今度の寒中水泳、もし来る奴がいっぱいだったら断るつもりだったろ」

素直に頷く。

「俺、お前のそういうとこ好き」

そう云って今泉はまた笑う。こいつは小学生の頃からそうだ。何の衒いもなく『好き』だという。俺など、まだ静流にすら云えていないというのに。

やがて寒中水泳が始まった。準備運動の段階で今泉は素早く草間を見つけ、わざと野太い声援を送って草間に厭そうな、どこか面映ゆそうな顔をされていた。俺は正直、何をどう楽しめばいいのかさっぱり分からないが分からないなりに『水着のねぇちゃん居ないかな』などと別の目的を探して無理矢理楽しんでいた。

そして参加者達が各々、海水の冷たさに悲鳴を上げながら海に飛び込んでいったその刹那、それは起きた。

「うははは、草間、寒さで動けなくなってら」

海に腰まで漬かってまんじりともしない草間を指さしながら、また今泉が笑う。…俺はこの光景に酷い違和感を覚え、眉をしかめた。なんというか、不謹慎な感じがしたのだ。

まるで友人の棺の横で『うはは死んでら、死んでら!』と嬉しそうに大笑いする男を見ているような。

「ははは…動かないなおい」

俺の方に視線を動かした今泉が、妙な顔をした。

「…どした?すげぇ顔してるぞ」

はっとして自分の頬をさすった。違和感が顔に出てしまったようだ。

「具合悪いのか…?」

「いや…」

云うべきなのか、気づくのを待つべきなのか。

「もう、手遅れなんだが」

云うべきか、云わぬべきか。

「草間…は…」

俺は。



「草間は、もう死んでいるぞ」



目を見開いて、非難するように俺を凝視する今泉。瞬間的に『しまった』と思い、弁解の言葉を必死に探ったが出てこない。

遠くで揚がる不吉な水飛沫。

ざわめく海岸線、そしてヒステリックに伝染する悲鳴。

俺と今泉は一瞬睨み合う感じで視線を交わしていたが、悲鳴が聞こえた瞬間、弾かれたように今泉が駆け出した。




海に入り、腰まで漬かり、立ち尽くし、死ぬ。

これだけの事が僅か30秒程度の間に起こった。

数人の有志に引き揚げられた草間の遺体は、不自然な程に白かった事を覚えている。白を通り越してそれは青く、唇は紫色すら宿していなかった。まるで……

「まるで、血の一滴に至るまで全て吸い上げられたみたいだよ」

ふいに現実に引き戻され、俺は頭を振った。

総合病院の、霊安室。枕頭に僅かばかりの白菊を供えられた草間の遺体は、今もやはり白い。…考えたくもないが、変死にはつきものの解剖は、これからだろうか。

変態センセイ…薬袋は、この地域の検死も担当しているらしい。そういや、うちの大学でも法医学の講師をしている。

「血管の中に、血がないんだ。これでよくも、準備運動までして海に入ったね」

「原因とか、分からないんですか」

傍らに居た今泉が、控えめな花束を枕頭にふさりと置いて呟いた。

「原因?死因のこと?そりゃ失血死だよ」

「そうじゃなくて…その」

「あーあー、失血の原因?分からないよそんなの。とにかく僕に分かるのは、死因は失血死、外傷はなしってこと。あとは鑑識とかの仕事なの」

そう云って面倒くさそうに手袋を取る。…どうした、普段から外面だけは完璧な変態センセイが、今日はいやにつっけんどんではないか。

―――あ、いっけねぇ忘れてた。

「……先生、この前はどうも、奉がとんだご迷惑を」

「ん?全然、全く気にしてないよ?だって僕には何も後ろ暗いことはないんだもの」

……怖い。笑顔は完璧だが声に棘が含まれている。

「怒ってないよ、ほんとほんと。今日だって君だから、特別にここに通したんだよ。まだご遺族もいらしてないっていうのに。それもこれも、君が僕の大切な人だからだよ」

傍らの今泉が、ざっと身を引いた気配を感じた。

「……ちょっと待て今泉。その態度はまだ早い。誤解だ。先生は」

「誤解!?誤解って何だい!?大体何だい今更他人行儀に。いつもみたいに変態センセイって呼んでくれよ」

「変態センセイ……!?青島、お前この人と一体……!!」

今泉の顔が、暗がりに青ざめた。…俺の顔はもっと青ざめていたに違いない。

「違うんだ本当に。ちょっとした知り合いだ、別にそんな親しい関係では」

「僕の秘密の嗜好を知っているのは君と奉君だけなのに…?」

「玉群も!?」

今や俺と今泉の距離はゆうに1メートルは開いている。相手が飛びかかって来てもギリ逃げ切れる距離である。

「……分かるよな、一方的に巻き込まれただけなんだ俺は」

「分かってるよ。お前って昔から巻き込まれ型じゃん…むしろ、だからかな。ゴメン!明日学校でな!」

そう云って後ろ手にドアを開けると、今泉は俺達を置いて走って逃げた。




「更なる巻き込まれ防止か。周到じゃねぇか」

俺を置いて躊躇なく逃げた今泉の、忙しない靴音が響いてきた。俺と変態二人きりになった霊安室はいやに静かで、時折少し先のボイラー室から聞こえてくる唸り声にも似た機械音だけが唯一の物音だ。

明らかにやばそうな人物からは私情を排してキッパリ逃げる…なるほど、それがリア充メソッドか。頭悪いから嫌いな奴とは関わらない、というのはあながち嘘じゃない。あれは本能で嗅ぎ分けて逃げてんだ。本当にそれは正しい。しょっちゅう要らん騒動に巻き込まれる俺は、この能力が喉から手が出る程欲しい。

「病理的には原因はさっぱり思いつかないけど、ほんと、どういうことだろうねこれ」

変態センセイは、何もなかったように遺体を検める。

「吸血動物に襲われたとしても、こんなにきれいに血が抜けるなんてことはないよ。空っぽの血管に蝋を流し込んだらそのまま蝋人形にできそうだねぇ…ふふ…」

「うっわもう一挙手一投足に加えて発言までいちいち気持ち悪いなこの人。俺もう帰るわ」

今泉を見習い、早々に距離を置こうとドアに手を掛けると、そのドアを軽く引く者が居る。ご遺族がいらしたのか、と申し訳ない気分で会釈をしながらドアを押す。

「………よう」

薄暗がりに光る、煙色の眼鏡。色あせた黒の羽織。

俺の巻き込まれ体質の原体験というか諸悪の根源が、ドアの向こうに突っ立っていた。





「こりゃ、また……困ったねぇ」

遺体をひと目見るなり、奉は険しい顔をして顎に手を当てた。

「…おい変態センセイ、何でこいつまで呼んだんだ。関係ないだろう」

「さっき云っただろう。病理的な原因が分からないんだから『その道』の専門家の意見を聞きたいじゃない」

「拝み屋ならちゃんと金取って専門的に視てくれる人がいるだろ」

「茂呂さんなら君達が殺しちゃったじゃない」

そう云って薬袋はぷぅと頬を膨らませる。…あの猫鬼使いの爺さんは茂呂というのか。俺は心の中でひっそり合掌する。同じ巻き込まれ体質として、他人事とは思えない。そのうち、俺も同じように理不尽な最期を迎えるかもしれないのだ。

「あれ以来、地元の拝み屋さん達からは門前払いだよ。あんなえげつない殺し方してくれちゃって」

「俺の呪い返しは、呪いをかけた相手のやり口に準じるんだがねぇ…」

それだけ言い捨てて、奉は再び目の前の遺体に顔を近付けて唸り始めた。…こいつも何をノコノコ呼び出されているのやら。

「海の中で突然倒れ、助け上げた頃には血液がなかった。…結貴よ、それで間違いはないんだな」

俺は小さく頷いた。…思い出したくもないが。奉はふいに顔を上げて、診断を下す医者のような口調で呟いた。

「…これ、『水虎』にやられたねぇ」

「すいこ?」



「有体に云ってしまえば『河童』の一種だ」



河童…と聞いて俺の頭をよぎるのは、人間と相撲をとったり集団で馬を水中に引きずり込もうとしたり、畑でキュウリ盗んだりするコケティッシュな連中だが…。

「河童ねぇ…」

人を襲う話も聞くが、少なくとも吸血などというえげつない手段で人を襲う妖だったか、あれは。

「よく知られた妖だけに、河童の中でも色々分類はあるんだが…中でも水虎は最も厄介な手合いでねぇ…」

参ったねぇ…などと呟きながら奉は、草間の遺体の周りをぐるぐると回る。そして、やおら鞄から茶筒のようなものを取り出し、遺体が安置されている台の周りに、中身を撒き始めた。

「ちょっ…なに散らかしてんだ」

「ん?こりゃ、塩かな?」

茶筒の中の白い粉が弧を描き、草間の遺体を丸く囲んだ。白線が囲む寝台に横たわる、死んだ草間。

死んでいる筈なのに。草間は死んでいるのに、死ぬ以上に酷く恐ろしい何かが草間を蝕もうとしているような気配すら…。

「塩も入っているが…麻を白くなるまで焼いた消し炭だねぇ、主に」

煙色の眼鏡を透かして、奉の眼が垣間見えた。…何だろう、微かにだが、焦りのような気配を感じる。俺自身も、ついさっきから奇妙な胸騒ぎに苛まれ始めていた。

「……何か、来るのか」

「……来ているよ」

冷え切った霊安室の空気が、さらに研ぎ澄まされる。どうやら『視る』力はさっぱりなさそうな薬袋ですら、いぶかしげに周囲を見渡し始めた。

「僕、そういう素養は全然ないんだけど、なんていうか…厭だな、この感じ」

奉は口元を少し歪めて笑っているような形を作った。…眼鏡越しに垣間見える眼は、笑っていない。

「だろうねぇ…心配はいらないよ、奴らは年に一度しか、食事をしない」

言葉を切り、油断なく周囲に視線を巡らせる。

「その代わり、徹底的に喰らうんだよねぇ…ときに結貴、この男はお前にとって、何だ?」

「何って…友達…」

という程、彼と親しかっただろうか俺は。おずおずと友達などと口走ってしまったが。…奉は見透かすように小さく息をつくと、ぐいと俺の眼を覗き込んできた。

「水虎が何をしに来たのか教えておこう」

奉が話す『真相』は、その後半年以上に及ぶ悪夢を俺の意識に植え付けることになる。




人を海中に引き込み、精血を吸った水虎はその後、その死体を付け狙う。

死体に宿る魂をも余さず喰らう為に。

河童の一種とは云われるが、水虎は人から身を隠すことが出来る。現に今、俺達には水虎が視えない。視えないが水虎は死体の周りに在り、その魂を狙う。



「……救う手段は、あるのか」

「そこよ」

のしり、のしり…と、白線の周囲をなぞるように踏みしめる『何か』の気配は高まるばかりだ。『それ』は俺達の傍を通りすがる度に、含み笑いに似た鼻息を漏らしてた。…厭な汗が頬を伝う。

「野に麻で草庵を結び、死体を安置する。そして腐り落ちるまで待つのさ。死体の血を体に取り入れた水虎は、死体と共に腐る。そして完全に腐り落ちた時、その姿を現し絶命する」

そして白線を指先で示しながら、呟く。

「こいつは草庵代わりに拵えた、略式の結界だ。一時しのぎにはなるが、あとはねぇ…」

俺は息を呑むしかない。

「腐らせるって…そんなの、今の日本で出来ることじゃないだろう!?」

土葬は禁止されているし、第一、そんな特殊な状況を遺族にどう説明しろというのだ。

「そ、無理なんだよねぇ…今はね」

「へ、変態センセイ!!ドナー希望偽造できないのか!?得意技だろ!?」

「無理だね」

「何でだ!!」

「その子の身元が、しっかりし過ぎてるからだよ。ちゃんとした親も兄弟もいるし。僕は基本的に完全な社会的弱者しか狙わないんだ。それでも結構危ない橋を渡ってるんだからね」

「最低だなこの変態野郎!!」

「ひどいよ」

肝心な時に役に立たない変態センセイだ。じゃあどうすればいい、どうすれば水虎を…。

「方法は、無くはないんだがねぇ」

奉が顎にあてていた手を放して、また俺を覗き込んだ。

「……お前が、犯罪者になればいい」

「は!?」

「つまりお前が死体を盗み、草庵の中で腐らせればいいんだよ」

静かに、思考が停止した。…盗んで、腐らせる?

「お前は窃盗・死体損壊に問われるだろう。この男の家族には一生恨まれ、罵倒されるだろう。刑務所にも入るし、精神鑑定も受けさせられる。お前の一生は恐らく台無しになろうねぇ。だから俺は、問うんだよ」



―――この男は、お前にとって、何だ?



俺は、覚悟を問われていたのだ。

ようやく思考が追いついてきた。草間の魂を救うために俺は、親や姉を生き地獄に落とし、草間の家族から恨まれ続けなければならない。…困惑するしかなかった。そんな根拠に乏しい覚悟を問われても、俺は。

「…否、だよ」

勿論、草間に非はない。俺にだってない。永遠に救われなくなる草間の魂と、俺の大事な人々を天秤に掛けられても…あまりにも重すぎるのだ、片方の天秤が。

選ぶも何も。こんな二択に選ぶ余地なんかあるのか?…俺は只、困惑していたと思う。

「……意地悪をしたねぇ」

奉の言葉が終わるのを待たず、霊安室のドアが勢いよく開き、草間の両親と思しき中年の夫婦が飛び込んで来た。彼らは何かを叫びながら俺達の間をすり抜け



麻の白線を、蹴散らした。



心臓を掴まれたような動悸。周囲を巡っていた鼻息はやおら高まり、嘲るように生臭い臭気を撒き散らすと、すいと遠ざかった。そして号泣に紛れるように…駄目だ、やっぱり、駄目だ、やめろ

「聞くな。嫌な音がするぞ」

奉に二の腕を掴まれ、部屋から引きずり出された。そのまま俺たちは『あの音』から逃げるように早足で階段を駆け上がり、いやに明るい病院のロビーに逃げ込んだ。

俺が覚えているのは、そこまでだった。




『あの音』が、頭を満たす。

耳を塞いでも目を閉じても、あの音が消えない。

一度、ぎゅっと目を閉じてから、俺は再び目を開けた。…煙草の匂いがする。

「思ったより、早かったねぇ」

白い天井が、視界に飛び込んで来た。そして清潔な白いシーツと薄い毛布。状況を把握するのに、30秒ほど掛かった。

俺はどうやらロビーに駆け込んだ後、そのまま昏倒したらしい。

友達が急死したショックで昏倒した、という奉の説明と、変態センセイの計らいで、俺は妙に高級なしつらえの個室で寝かされていたらしい。俺はゆっくり身を起こし、ぼんやりと天井を見上げた。

「大丈夫だ。変態センセイはあれでも医師だからねぇ。忙しいから後で来るってよ」

「……し、診察されたのか!?」

「内臓とか抜かれてなければいいねぇ」

そう云って奉は、ゆっくりと紫煙を吐き出した。厭なわだかまりでも吐き出すように。

「……草間は」

厭な話なのは分かっていたが、聞かないではいられなかった。

「もういいだろ、その話」

「音を聞いたんだ。こう…妙に耳障りな」

奉は暫く、俺をじっと見つめていた。こいつには珍しく、云うべき事と云ってはならない事を選り分けているような顔をしている。俺は奉の中で結論がまとまるのを待つことにした。

「……心を直接、噛み砕かれるような、骨から肉を剥がすような、そんな音だったねぇ」

つまりそういうことよ。…そう云って奉はまた紫煙を吐いた。

「草間は、どうなる?存在とか、それ自体全部なかったことに…」

―――なかったことになるのか。口にするのが怖くて、言葉を濁した。

「その辺はさ…普通に死んだ奴らも、大差ないぜ。魂ってな、所謂ところの人格の素体みたなもんだからねぇ。死んだら記憶やら人格は、ざっくり剥ぎ取られて新しい生に送り出されるんだ。偶にある前世の記憶てな、その剥ぎ忘れだねぇ」

「誰が、剥ぎ取る役目なんだ」

「さぁねぇ…少なくとも人の身であるお前が知っていいことじゃないねぇ」

「冷たいな」

そろそろ笑いながら軽口でも叩き始める頃かと思ったが、奉は姿勢すら崩さず、只紫煙を吐くばかりだ。

「『あれ』も、必要といえば必要な妖らしい。…『食事』は年に一度だ。もう、用心の必要はないよ」

「………そうなのか」

珈琲の空き缶に吸殻を潰し入れ、最後の紫煙をゆっくり吐く。今日の奉は妙に、口調がゆっくりしている。何というか…言葉を慎重に、慎重に選んでいるような気がする。失言の宝庫みたいなこの男が。

「魂ってのが何の為に、どんな風に産まれるのかは俺は知らない。ただ一つ…消せないんだよねぇ、これらは」

擦り切れて消滅することはある。だが、故意に消す方法は『あれ』を始めとする、魂を食う連中しか知らない。どうも奴らは、なんらかの意図で作られた『システム』のようにも思われる…そんな意味の言葉を途切れ途切れに綴ると、奉は黙り込んだ。

「―――それにしても、だ」

沈黙に耐え切れず、俺から軽口を叩き始める。

「俺の枕頭に、家族の一人も集わないというのはどういう事だろう。お前、ちゃんと家族に連絡してくれたんだろうな」

「連絡なら」

「したのか」

「きじとらに」

「何で!?お前が迎えに来てもらってどうすんの!?倒れたの、俺だよね!?」

「……うるさいねぇ。どれ、鴫崎でも呼ぶか」

「集荷!?集荷みたいな扱い!?」

「……鴫崎といえば」

「……何だ」

「今日の配達、3時に時間指定していた…ような」

「まじか…今4時じゃん、無意味にあの石段昇らせたの!?鬼なの!?こんなことして病院にまで呼びつけたらガン切れ位じゃ済まないぞ!!」

ようやくいつも通り云い合いが始まった頃、きじとらさんがひっそりとドアの隙間から滑り込んで来た。…相変わらず、気配を感じさせない動作だ。クリーム色に柔らかい緑のラインが入ったコートが、清楚な早春の花のようで似合っている。

「奉様、お迎えに」

「おう」

それだけ云うと、奉は挨拶もなしに踵を返した。ただ一言、妙な言葉を残して。



―――大人げない、事をしたねぇ。



「―――奉様は、少し拗ねておいでです」

奉が部屋から遠ざかるのを見計らって、きじとらさんがそう囁いた。

「……え?なんで?」

「彼女が出来て、友達も増えて、最近あまり、洞においでにならないから…」

きじとらさんが猫の目で凝視してくる。…俺は、やっぱりこの人の凝視が少し苦手だ。居たたまれない。

「うむ…どうでもいい用事が増えただけなんだけど…」

なるべく不自然じゃないように目を反らし、息を呑みながらそう返した。それにしても…俺が居ても居なくても本ばかり読んでだらだらしているだけのあいつが、俺が来ないから拗ねる?…馬鹿な。

「馴染みの置物に勝手に遠征されたような、そんな寂しさを抱えていらっしゃいます」

「イヤ酷いな普通に」

「だからつい、結貴さんに酷な上に不必要な二択を迫ってしまったと、気にされていて。意地悪をしてしまったと」

不必要な二択…。たしかにそうだ。結局どうにもならない上に、俺に危険がないのであれば、俺に『水虎』の事を教える必要はなかったはずだ。ひょっとしたら。

これまでにも、俺の気が付かない怪異を、奉は黙ってやり過ごしていたのだろうか。

意地悪をされたことよりも、俺はそっちの方が気になった。きじとらさんなら知っているかもしれないが、何故かそれを聞きだす気にはなれない。…奉が話す必要がないと思ったのなら、それでいい。

「結貴が元のボッチに戻ればいいのにと、しょっちゅう呟いていらっしゃいます」

「いつ俺がボッチだったよ!!ていうか一時的にボッチポジションに堕ちるのは全部あいつのせいだろ!?むしろ今!!今俺は本来のリア充な俺に戻ってんの!!ていうか祟り神が俺のボッチ復活を願うのやめてくれない!?」

「そのように申し伝えます」

「…ごめん、やめて下さい。今のナシ」

―――あっぶねぇ、危うくあの堕落神を見直しかけていた。

遠くからパンプスで駆ける足音が聞こえてきた。それは病室の前で止まり、小さく息を切らしながらドアを押し開ける。

「結貴さん!…倒れたって…」

駅からずっと走って来たのだろう。静流は苦しそうに肩を上下させて、俺を見上げた。吐く息が白くない。もう春だな…と俺は場違いな感想を覚えた。

「走ると…暑い…もう春ですね…」

ふらふらしながら近づいて来た静流の腕を取り、引き寄せた。知らないシャンプーの匂いが鼻をくすぐった。…済まない、奉。俺は誤解をしていた。お前はやはり、見直されるべき男だ…。病院の一室に彼女と二人きり、これはもう、何か進展がなければ逆におかしい、そんなシチュエーションだろう。…少しだけ、縁ちゃんの事が頭をよぎったが。

「ただの貧血だよ。…ねぇ、このあと」



「ゆーうーきーく―――ん!!おみまいに、きたのです!!」



ばほばほばほ、という激しくも不思議な足音と共にドアに衝撃が走った。俺が静流の腰に手を回したまま硬直していると、ゴガチャっみたいな轟音と共にドアが開け放たれ、小梅が弾丸のように飛び込んで来た。

「あ―――!!出たなメガネせいじん!!まだこりないのか、ゆうきお兄ちゃんは、小梅とけっこんするんです!!」

小梅の頭突きを脇腹に食らい「あふぅ」みたいな声を出して吹っ飛ぶ静流。彼女が俺の家に遊びに来るようになって以来、小梅は静流を『メガネせいじん』と呼び敵対視しているのだ。…奉も眼鏡なんだが、そっちはメガネせいじんじゃないのか。

「あらあらあら…ごめんねぇ?うちの子が邪魔しちゃった?…うっふふふ、歴代彼女で一番カワイイじゃん」

少し遅れて姉貴がニヤニヤしながら入って来た。

「――まーだ二人目だけどねー!!」

「うるせぇな何しに来たんだよ!一人で帰るよ!!」

「私は…なんでいつも嫌われるのでしょうか…」

執拗に静流の脇腹に頭突きをいれる小梅。

半泣きで逃げ惑う静流。

大爆笑しながら動画を撮る姉貴。

俺の病室は瞬時にして、修羅の巷と化した。奉絶対許さん!と憤る反面、俺は妙にほっとしていた。魂ごと消滅してしまった草間には、大変に済まないのだが。喧噪の中、俺は密かに思い出していた。

奉が云っていたように水虎が『システム』なのだとしたら、喰らう魂を選ぶ基準というのはあるのだろうか。

…いや、きっと基準なんてないのだろう。『選ばれる』とか『選ばれない』とか、そんな発想に至る時点でそれは人間の傲慢なのだ。基準があったとしたら『一番近くにいたから』とか、そんなしょうもない理由なのだろう。そして人の葬り方が法律で定められてしまった昨今、水虎に対抗する手段は俺達にはない。来年『選ばれる』のは、俺か、それとも…。



そして2日後。

結局俺は今、黒いスーツを着て今泉と一緒に、焼香の列に並んでいる。あの香をつまんで落とす動作は正式には何回やるものなのか、などと他愛無い話をしながら、ぼんやりと魂不在の葬列に加わる、俺。結局俺は2回、今泉は3回、香を落として葬列から離れた。献花まではまだ時間がありそうなので、俺達は斎場のロビーに落ち着いた。…献花まで居なくても、誰も気が付かないかもしれない。なにしろ人が多い。

「…ひい爺さんの葬式に出たんだよね、ちょっと前に。このスーツ、そのとき買ったんだけど」

今泉が、ぽつりと呟いた。

「もう90過ぎてたし、十分大往生だろってみんなどこか明るくてさ。…葬式なのにな」

「年寄の葬儀ってなそんなもんだろ」

「厭だよな、若い奴の葬儀って。…救いがなくて。親とか彼女とか…めっちゃ泣いてて」

「あぁ……」

「あのさ、青島」

今泉の屈託のない眼が、俺の視線を捉えた。

「お前あの時、何で草間が死んでるって分かったの?」

「うぅん…そうだなぁ…」

密かに困惑しながら、俺は言葉を探して視線を彷徨わせた。『死人の気配』など、どう怪しまれずに説明すればいいのか。今泉は少し笑うと、ごめん、やっぱいいやと一方的に打ち切った。

「話変わるんだけどさ、相談があるんだよね俺」



夜、草間によく似た頭がさ、窓の外にさ…。



俺は相槌も忘れて、今泉を凝視していた。焼香の回数の話と何ら変わらないテンションで、今泉はぽつりと呟いた。

「玉群の噂、全部本当ではないけど、全部嘘でもないんだろ」

白い梅の花弁が、まつわりつくように落ちた。

(続く)

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