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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
29/57

輪入道 後編

≪前編へ≫


「暴れちゃダメだよ?苦しい時間が長くなるからねぇ」

注射を厭がる子供を宥めるような口調だ。…うんざりする。こいつが云う通り、暴れても無駄なのだろう。この恐怖や苦しみを味わうのが小梅じゃなかったのは、良かった。…何て絶望感だろう。蛍光灯に煌々と照らされているというのに、寒気が止まらない。

こんな状況だというのに、俺は余計な考え事をしていた。



俺はこの『状況』をよく知ってる気がするのだ。



動機は違えど、数多の子供達の魂を屠り続けて来た『祟り神』がいる。

屠られた子供たちは屋敷に囚われ、仲間を増やし、何代にも亘って『祟り神』を恨み続けていたのではないか。

彼らは密かに群れ集い、祟り神に気づかれないように、ひっそりと刃を研ぎ続け、やがてその刃は『祟り神』の喉笛を切り裂いた…かに、思われた。

彼らとて、水槽の母子と同じように呪い方など知らないのだろう。だがその闇雲というか、がむしゃらな呪詛は俺の中に隠れ里を作り、鎌鼬を使役し、『祟り神』の隙を突いた。

―――俺はずっと、疑問に思っていたことがある。

隠れ里を拵えて敵の喉元に忍び寄り、その意識に手を加えて刺客に改造し、鎌鼬で仕留めさせるなどという手段を、彼らは本当に自分たちだけで思いついたのだろうか。



ひょっとしたら彼らもこの母子と同様、ただひたすら、恨み、呪い、喚び続けてきただけなのではないか。



そしてその呪詛は数百年の歳月を経て『何か』を呼び寄せた。

それは多分、様々な偶然を経て、ピタゴラスイッチのように、彼らの元に転がり込んだのではないか。

水槽の母子もまた、俺や奉や小梅までも巻き込み、それらは互いに作用し合い。



―――何か、洒落にならないものを呼び込みつつあるのだ。



俺は確信した。

だって聞こえるのだ。これは多分だが…あの『音』だ。俺は初めて聞くが間違いないだろう。

「最後に、聞きたいことがある」

子供のふりをかなぐり捨て、俺は医師の目を真っ直ぐ見つめた。奴は軽く目を細めて、首をかしげた。

「何でも、聞いていいよ?」

「輪入道を使役する拝み屋なんてのがいるのか」

奴は更に深く、首を傾げる。

「僕は詳しい事は知らない。ただ今回の計画に必要だったのは『呪殺』ではなく『神隠し』だったんだよね。…苦労したよ、こっちの正体を知られずに子供を攫える拝み屋を探すのはねぇ」

ふふ…と、初めて笑い声を上げた。

「もう云っちゃうけど、『儒教』を源流とした呪い師なんだ!珍しいだろ」

「…儒教?あれって孔子とかそんなのが弟子集めて仁だか礼だかについて語り合うやつだろ。呪いなんてできるのか」

話を聞いているうちに、俺は少し落ち着いてきた。

こいつは基本的に、誰かと話をするのが好きなのだ。

話をさせておけばいい。もう少しで、助けは来るのだ。

「ははは…ないよ。呪いなんて。ただね…自然に対する信仰みたいなものはある。だから地霊を祀る祭礼だとか、儀式みたいなものはあるんだよね」

「それだって呪いじゃないじゃん、儀式じゃん」

…あの『音』は近付きつつある。こいつは何故気が付かないんだ。聞こえてないのか?

「儀式…ってさ、何の為にあるんだと思う?」

ずい、と顔を近づけて、医師は俺の目を覗き込んだ。

「地霊を鎮めて、安寧を得るためだ。…説明は要らないね。僕はもう君を子ども扱いはしないよ?」

「…ふん」

「ふふ…つまり人間の都合で、人ならざるものの思惑を捻じ曲げる『術』なんだよ。呪い師の受け売りだけどね。それを『使役』のレベルまで高め、その術に特化した『宗派』があるんだ。…当然、本家には何百年も前に破門されてるらしいよ」

だって敬うべき地霊を下位の人間が『使役』とか、完っ全に教義に反してるもんね。と、奴はおかしそうに笑った。

「…そっか。じゃあ」



―――ドアの外から、車輪が軋る音がするのは何故だ?



「………え?」

医師の表情が、すっと真顔に戻った。

「ずっと聞こえてただろ。あんた、本当に気が付かなかったの」

「……話が違う。何故、輪入道がここに」

奴は俺の腕をそっと離すと、ドアを細く開けて廊下を覗いた。

「―――覗いたな」

白衣の背中が、びくりと震えた。今も尚高まりつつある車輪の軋りは、その細い悲鳴を呑み込んだ。

蛍光灯の強い白光が照らし出す30余りの母子の亡骸と、禍々しい車輪の軋り。…ここは、何処だ。俺は地獄にでも来たのか。

「俺の友達に神様がいてさ」

もうこの時点で心臓がバクバクいっていたが、あえて世間話風に軽い口調で呟く。あいつが聞いているのかどうかは、割とどうでもいい。ただ口に出していると少しだけ落ち着いた。

「我儘で、身勝手で、怠け者で、気紛れで。神とか地霊ってのは、そういったもんだろう」

だが、だからこそ。

己の我儘を全力でぶつけられる俺を、奉は絶対に死なせない。

「だから感覚的に、なんとなく分かるんだ」

「………」

「使役出来てるなんて思うのは、人間側の勘違いなんだよ。その宗派とやらが遠い昔に破門された理由はそれだ」



―――汝が、吾子を見よ―――



車輪の軋りに似た声が、俺にもはっきりと聞こえた。それは確かに人ならざるものの呟きで…ずしり、と肺を押しつぶすように胸元を圧迫される。なんて声だ。俺に向けられた声ではないことは分かっているのに、震えが止まらない。

―――吾子?

「……あああああああああ!!!!」

その箍の外れたような医師の悲鳴に、俺はようやく我に返った。

「なっ…どうした!?」

「あっ……ああぁああぁあ……」

話にならない。だが医師は俺の背後を凝視している気がした。俺はひゅっと小さく息を吸い込み、覚悟を決めて振り返った。

俺の横を慌ただしくすり抜け、医師は部屋の一番奥…一番綺麗な水槽にしがみつき、何故、何故…と。



水槽を漂う臍の緒は無残に切り裂かれ……その先の胎児は跡形もなく消えていた。…一人残らず。




「小梅!?」



よく聞き慣れた声が階上から聞こえた。

少し先の階段の方からせわしい足音が数人分、聞こえてくる。俺はドアノブに飛び付いてモタモタとドアを開けると声の方に向かってダッシュした。…くそ、冷え切った小さい体がもどかしい。

「まちなさい、小梅ちゃん。そんなに急ぐと危ないよ」

全ての胎児を失って精神的打撃を受けていた筈の医師が、何食わぬ笑顔で俺を追って来た。…なんてメンタルの強さだ。俺は密かに舌を巻いた。だけど俺は勝った。あの変態センセイの魔の手から小梅の体を守ってのけたのだ。いいぞ俺。最高だ俺。



あとはこの変態センセイに、人生最悪の一日をプレゼントして俺の大仕事はお仕舞いだ。



30人以上の母子を殺し、小梅を攫おうとした報いだ。お前の人生ごと台無しにしてやる。この町に居る限り一生、後ろ指を指され続けるようなとんでもない爆弾を投下してやるからな。幼女の俺ならいとも簡単にそれが出来るのだ。俺は大きく息を吸い込み、驚愕の表情で階段から駆け下りて来た姉貴と旦那、その他に向けて大声で叫んだ。



「パパ、ママー!!あのお兄ちゃんが、小梅のパンツ脱がそうとしたのー!!」



力の限り叫んだ俺は、皆の反応を確認するためにそっと顔を上げた。…ざまみろ変態センセイ、お前の輝かしいキャリア終焉の瞬間だ…………

「―――へ?」

俺の野太い声が反響する薄暗がり。

そこは俺がさっきまで居た、書の洞だった。



そして傍らには、爆笑しながら崩れ落ちる奉の姿があった。





「―――大変だったのです。あのあと小梅ちゃんが目を覚ましてしまって」

子供が遊んで楽しいおもちゃはないし、奉さんが相手をするしか…そう、呟くように云って、きじとらさんが目を反らした。傍らの奉は、ぐったりと座椅子に体をもたれさせている。俺と目を合わせようともしない。

「ほら、体が大きいものですから…お馬さんごっことか、特に大変で…」

「トラウマ級の重さだったねぇ…」

……やめろ。

「大きな声で、幼稚園で習った歌と踊りの発表会も…」

「大声は洞に響き渡り谺し…可哀想に、最深部に棲む蝙蝠がぽとりぽとり落ちていたねぇ…」

「まだ、ぐったりしています。…可哀想」

……やめろってば。

「奉様のお膝に…ちょこん、いえ、どすんと座って、ほっぺをスリスリ…いえ、ジョリジョリさせながら」

リアルに云い替えるのやめてくれますか、きじとらさん。

「小梅ね、奉くんと結婚してあげるー!…貴様、赦さんからな…」

歯の間から絞り出すような低い声で奉が呟いた。

「それ俺のせい!?その瞬間俺がどんな目に遭ってたか知ってる!?」

「あの時はちょっと、奉様の瞳が赤みを帯びかけて…あら、結貴さんが呪われるわ、って…」

「危害を加えられたとみなしたの!?」

ああぁぁ…夜中の2時に叩き起こされてからずっと酷い目に遭い続けているというのに今度は呪われるのかよ。

「それらをも凌ぐ一番のハイライトは、やっぱり…アレでしょうか…突如パンツを下げながら」

「なにもうその時点で最悪の事態だし、続きを聞きたくないんだけど!?なかったことに出来ない!?」

「えー!?みてみて!?小梅、ちんちんがはえたよ!?ちんちんだよ!?ねえ奉くん見て!?ほらちんちん!!ちんちんだねぇ!!……あの時はもう…こいつもう死んだ方がいいんじゃないか、と……」

ぽぅ…と奉の瞳の中心に赤い光が点った。

「なんで呪うの!?今回の件で一番理不尽に危害を加えられてんの俺だからな!?」

今度こそ、温かい茶と軽い朝食を振る舞われながら二人がかりで身に覚えのない俺の『蛮行』を語られ続ける早朝。

あの変態センセイを陥れるつもりが、俺こそ人生最悪の一日がスタートしていた。人を呪わば穴二つ、というやつか。



先程、姉貴から小梅を無事保護したとの連絡を受けた。『親切なお医者さん』が、小梅と遊んでくれていたみたいで、小梅はちっとも怖い思いはしていなかったのよ、と、心底ほっとした声で告げられた。

小梅と遊んでいたのは奉ではなく、変態センセイということになったらしい。

つくづく、怖ろしいほどに運のいい男だ。

「どうかねぇ…運がいいとは云えないかもしれないよ」

食後の汁粉をすすりながら、奉がぽつりと云った。

「そうか?重大犯罪を誤魔化しおおせたのに」

「さっき結貴が云った通りだよ。…地霊を使役だ?とんでもねぇよ。そんなこと俺だって出来やしない。使役出来てると思ってんのは、そいつの思い上がりだねぇ」

「それは…そうだな。結局、大事な標本は台無しにされたし」

「標本というか…子供だねぇ。輪入道も、そのつもりで奪っているよ」

「それでも一般人に混じって生き永らえるなんて運がいいだろうよ。津山33人殺しのざっくり2倍だぞ胎児込みだと」

「長生きは出来んよ、あれは」

「どうかね、悪い奴程よく眠るっていうじゃんよ」

「や、そういうことじゃない」

ありゃ、輪入道に目をつけられたねぇ…そう云って奉は空になった湯呑を置いた。

「実際のところ、輪入道がどういう妖なのか、俺にもよく分からねぇんだよ。だがねぇ…」

そう前置きして、奉は語り始めた。


輪入道を退ける札というのが存在する。

≪此所 勝母の里≫と書かれた札を戸口に貼ると、輪入道はそれを嫌って近寄らなくなるという。その理由はよく分かっていないが、孔子の逸話に似たような話が残っている。

孔子の高弟である曾子は、≪勝母の里≫という名の土地に、母に勝つという字面を嫌って近寄らなかったという。それは曾子の頑ななまでの孝の心を示す逸話である。

それが曾子の成れの果てである…とまで極端なことを云うつもりはないが、この妖は、儒教に端を発する何かであることは確かなのであろう。

「つまり…何というのかねぇ。儒教の概念がおかしな具合に凝り固まり、妖の姿を借りたようなものなのかねぇ…」

「お前ですら、そんな曖昧にしか捉えてないのか」

「曖昧だが、在るには在る。そして儒教亜流のいかがわしい拝み屋が、儒教の祭礼の形式を、教義部分を完全無視して利用したんだろうねぇ。だが、そいつは致命的な失敗をやらかしたんだよ」

「失敗?思う通りに働いてくれなかったことか?」

「あんなふざけたナリで意外にも、こいつは非常に潔癖で、人間的な常識を持つ妖なんだよ」

母子殺し隠ぺいの片棒を担がされたことを理解した輪入道は、どう感じただろう。何しろ儒教的概念の塊だ。≪勝母の里≫と書かれただけで近寄れなくなるような潔癖な妖なのである。…その憤怒は想像に難くない。

「……それはそれは、屈辱に怒り狂っただろうねぇ。変態センセイが目にした輪入道の姿は、お前の姉貴が見たそれよりも数段恐ろしいものだったろうよ。その怒りの矛先が拝み屋に向かったのやら、変態センセイに向かったのやら…俺は輪入道じゃないから知らんけどねぇ。…結貴よ、お前ならどっちに向ける?」

「どっちもだよ決まってんだろ、人さらいの相談に乗る拝み屋も、変態センセイも。ただ拝み屋の方は拳骨三発、変態センセイは晒し首だ。量刑的にはな」

「じゃ、輪入道もそうだろうねぇ」

「適当だな本当に」

「そうでもねぇよ。…あれは人間が作り出した教義が凝り固まった妖だ。俺よりお前の方が、より感覚が近いんだよ」

きじとらさんが剥いてくれたみかんを頬張りながら、奉はにやりと笑った。

「―――だから、変態センセイはろくな死に方しねぇよ」




それから一月もしない位の土曜日。

俺達と『彼』は、意外な所で鉢合わせることになる。



期末試験に向けて過去問を掻き集め、嫌がる奉をいつものように大学に引きずり出し、ひと段落ついたところで偶然行きあった静流さんと学食で遅めの昼食を摂っていた時のこと。

奉が、ため息と共にいつもの『静流さんに関する愚痴』を吐き出した。

「全く…試験直前に見ず知らずのパーリーピーポーに参考書ばりにキレイに真面目にとってた授業のノートをノリで奪われた上に『友達の友達の友達の友達の友達』にまで回されて現在地すら不明とは…」

「…友達の友達の友達の友達、です…」

「馬鹿めが。そろそろ友達の友達の友達の友達の友達の友達の友達辺りまで回ってんだよこのヘタレが」

「すみません…」

「もうよせよ奉」

俺もどうなのか、とは思うが。

「結貴もだぞ。ヘタレ眼鏡のノート死守はお前の2学期の最優先事項だろうが」

「もっと優先な事項ないか!?」

「すみません…」

「…大丈夫だから。あと、たりない科目ある?」

静流さんはもじもじしながら、あとは何とかなります…と小さく答えた。相変わらずあまり目を合わせてくれないけど、今日は少しだけ上目遣いにこっちをみて、笑ってくれた。

「よかった。…そっちの学科の友達もいるから、足りないのがあったら遠慮なく云ってね」

のぼせ上がりかけていた俺の表情が、かちりと固まった。



俺たちの正面の席で、にこやかに手を振る『彼』を見た瞬間に。



―――何故、こいつがこんなとこにいるんだ。

『安定の不味さ』だというB定食をつついていた奉が、片手を上げて応じた。

「おぅ、変態センセイ。生きてるか」

「おかげさまで。そっちの席、いいかな?」

「厭だ」

「ははははは」

奴は人の話をろくに聞かず、強引に奉の隣に腰かけた。その人の良さそうな笑顔を崩さないまま。俺も、多分奉も、怒りや嫌悪を通り越して『困惑』していた。…こいつの間合いが全く分からない。何というか…全般的に、近いのだ。こちらの都合は全く斟酌していない、というか歯牙にもかけていない近さだ。

「何で変態センセイが教育機関に出入りしているんだ。…おい結貴、警察呼んどけ」

………俺に振るな。もう絶対に関わり合いにならないと決めたのだ俺は。

「ははは、関係者だからに決まってるじゃないですか」

「ほぅ、OBか?…おい結貴、退学届け取って来い。変態が感染る」

「あはあはあは、おかしいなぁ玉群君は。僕を誰だと思っているんですか。こんなど田舎の二流大学で何を学べと。医学は日進月歩なのですよ。仮にも総合病院を継ぐならば東京の医大は必須でしょ?」

………ど田舎の二流大学生で悪かったな。

「ならば猶更怪しいねぇ。OBでないなら何しに来た?」

「法医学の講義ですよ。僕、一応講師もやってるんです」

まじか。

「週に一コマだけど、割と人気でねぇ。僕の授業は教室じゃなくて大講堂なんですよ…どうです?君達なら選択すれば顔パスで単位あげちゃいます」

―――ぐぬぬ。

「小梅ちゃんは、元気かな?」

軽く指先を組んで顎を乗せ、医師はくすりと笑う。

「玉群君…の方ではないね、『あの時の小梅ちゃん』は」

奴はしきりに、俺の方を見る。俺は絶対に目を合わさないと決めて、12月限定のけんちん饂飩をすすり続けた。折角売り切れ前にゲットできたというのに、味がしない。……何なのこの状況。こいつ、小梅殺そうとした自覚あんの。

「…つれないねぇ、青島君」

つれないねぇ、だと。通報されないだけでもありがたく思え。

「お子さんは残念なことになりましたねぇ」

つい言葉のチョイスにも、語気にも険が混じった。事情を知らない奴が聞いたら、俺は相当厭な奴と思われるだろう。

「青島くん…?」

不穏な空気を感じ取ったのか、静流さんが身を寄せて来た。花のようなコロンの香りが、尖った気持ちを少しだけ和らげた。

落ち着け俺。こいつを社会的に裁く手段は今のところはないのだ。

「えぇ…困ったもので。今、総力を挙げて捜索中なんだけどね」

眉を八の字にして、心底心配そうに首を傾げる。

「メンタル強いねぇ、変態センセイは」

奉が感心したように目を見開き、ほうと小さく息をついた。…お前もなに親しげに話してんだ。

「だけどアレ、もう駄目だと思うよ」

「ふぅん…」

悲しんでいるのか、途方に暮れているのか、感情が見えない困り顔で医師が相槌を打つ。…短い沈黙の後、奉が続けた。

「一番奥にいた奇形の子…あれ、山の神の眷属だねぇ」

「…………」

「徹底的に、気配が消えているんだよねぇ。どう探しても見つからない。あれはもう、余程の大物が匿っているね」

「……大物?」

「例えば山の神…あの子の父親なんてのはどうだ」

「……そう。可哀想に」

悄然と肩を落として、小さく息を吐く。…心底気持ち悪い男だ。

「お母さんから強引に引き離されて、皆どうしているのだろうね。きっと泣いているね」

「本心から云っているのが恐ろしいな、この変態センセイは」

つい、思った事を口走ってしまった。うわっしまった、と軽く歯を食いしばり、正面に座っている医師をチラリと見る。

「ふぅん…ねぇ、君たちが時折云う『変態センセイ』というのは、僕の仇名…なのかい?」

「………いや」

「嬉しいなぁ」

―――は?

変態センセイと呼ばれて嬉しいだと?おい待て、ちょっと業が深すぎてついていけない。

俺は思わず顔を上げて医師を凝視してしまった。



奴は、目を輝かせて俺の方に身を乗り出して来ていた。



「うっわ何?…気持ち悪っ」

さっきから、思ったことがポンポン口から出てくる。常識人の俺としたことが。これだけ邪険にしているのに、医師は尚も嬉しそうに距離を縮めてくる。

「僕、ちょっと友達とか出来にくいタイプみたいで、仇名がついたことってないんだよ」

……普通、妊婦の死体を地下室に溜めこむような変質者に友達は出来ない。

「僕の生涯、初めての友達かもしれない」

「ちょっ…やめてもらえますか」

「LINE、交換しようか」

「何故なのでしょうか俺はあなたに姪を殺されかけています」

「うん♪なら僕の甥を殺していいよ。これでおあいこだよね?」

「何云ってんのか分からないし、それ俺が犯罪者として一生を棒に振るだけです」

思わず敬語で心理的防御壁を作るが、変態センセイは一切気に留めず、俺のパーソナルスペースにズカズカ入り込んでくる。傍らで阿呆のように口を開けて成りゆきを見守っている奉に、激しく目配せをする。…おい、お前が変なのに関わった結果がこれだ。助けろ早急に。

「―――良かったな変態センセイ。二人の邪魔をするのも野暮だしねぇ。俺、先帰るわ」

奉てめぇ!!!

「君も友達だよ、玉群くん」

席を立ちかけた奉の肩を正面から半ば強引に掴み、医師は笑顔で椅子に押し下げた。…奉も素直に座る。お前もお前で、どこまで力の勝負に弱いのだ。

「君も『変態センセイ』と呼んでくれたでしょう。それに僕に、青いニット帽をプレゼントしてくれた。そうだね、親友」

駄目押しのように、奉の肩をぐっと椅子の背もたれに押し付けるようにしてから、奴はニコリと笑った。…またしてもざわつく学食、突き刺さる視線。囁き交わす言葉の中に『変態』という単語が混ざり始めた時点で、俺は平穏なキャンパスライフを諦めた。



―――所詮俺の周りには、やばい連中しか集まって来ないのだ。



後日。

『変態を傍で監視して周囲の人間に危害を及ぼさないためだ。我慢しろ』と奉に説き伏せられ、結局LINE交換に応じることになった。偶々その場にいただけの静流さんも、巻き添えで交換させられた。女の子なのに60人以上を殺害したサイコパスに連絡先を掴まれるとか、この人どこまで運がないんだろう。もう気の毒通り越してちょっと面白い。


でだ。

何故か俺と奉と静流さんがグループLINEに招待された。

「……グループ名『変態センセイ』だとよ」

「……これ拒否しちゃダメ?」

「……我慢しろ、仕方ないだろ」

そう云う奉の瞳の中心に赤い光がちらつき始めた。…危害を加えられたとみなしているらしい。

基本的には変態センセイの糞トークが昼夜を問わず流れてきて俺と奉が既読無視する、という鬱グループなのだが、今日、括目のとんでもねぇ地雷トークが流れて来た。



『お茶会開催予告!みんな、僕の地下室へおいでよ!美味しいスコーンも用意するよ』



「地下室って…あの地下室か?」

胎児を失った母親の死体が円筒型の水槽にぷかぷか浮かぶ地下室で、妙に明るい蛍光灯に照らされながら、紅茶やらスコーンやら振る舞われる…そんな飛び起きる系の悪夢みたいなお茶会を想像して気が遠くなる。

「まず男が3人も雁首揃えて『お茶会』って発想からしてもう、如何にも友達いない奴だねぇ」

「あそこで酒盛りのほうが、より業が深そうな感じになるだろう…うっかり泥酔したらどうなっちゃうんだよ」

「ホルマリン漬けが3体増えるんじゃないかねぇ」



というわけで俺たちの命の危機が再び訪れつつあるんだが、LINE交換で、あいつの苗字が『薬袋』であることが判明した。


挿絵(By みてみん)

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