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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
23/57

累<かさね>

挿絵(By みてみん)


その知らせがLINEで届いたのは、夜半過ぎの事だった。



俺や奉は余裕で起きている時間帯だが、早朝出勤の鴫崎から真夜中に連絡が来るなど珍しい。少なくともここ数年はなかったことだ。訝りつつ、俺はLINEを確認した。


それは嫁が産気づいたことを知らせるLINEだった。



晩秋の、しかも夜半の風は冷たい。部屋着に厚手のパーカーを羽織って家を出たが、頬を切るような冷気はパーカーの下まで染み込んでくる。

「さむっ…」

誰に云うでもなく呟いた。

「そんな恰好で晩秋の冷気を凌げるか、馬鹿め」

車の影から低い声が這い寄って来た。内臓がせり上がるほどびびったが、次の瞬間には声の主に思い当たる。

「奉…お前、呼ばれてないだろ」

暗がりに溶け込むように佇んでいた奉は、まるで『知らせ』を予知していたように車庫の鍵を外した。芥子色の襟巻が、顎から鼻を厚く覆っていて、表情はほぼ見えない。

「お前帰れ。普通こういう場合は呼ばれてないのに行かないものだぞ」

奉は襟巻に深く鼻を埋めたまま、くぐもった声で一言、呟いた。




――見届ける、義務があるんだよ。




街灯の灯りを頼りにハンドルを切りながら、ミラー越しに助手席の奉を伺う。奉は殆ど喋らない。

何故、俺の家に居た。

見届ける義務とは何だ。

鴫崎の子に執着する理由は。

聞きたいことは数多あった。だが俺は何一つ口にできず、ただハンドルを切る。フロントライトが浮かび上がらせるボロボロの白線を、淡々と目で追いながら。

病院の駐車場に着いてもなお、奉は喋らず影のように俺の後ろをついてくる。昔、本で読んだ『べとべとさん』を思わせる、静かな下駄の音が、延々ついてくる。眉一つ動かさず、厚めの襟巻に己が身を隠すようにして。




「…鴫崎の実家、色々複雑で。実家からは誰も来ないから、俺が行くことは約束してたんだ」

奉が何も話さないので、仕方なく俺がぽつぽつと話す。

「っつっても、鴫崎は病室に入るから、俺は外で待機しているだけなんだけど」

そう云って、先ほど鴫崎夫妻の為に買ったサンドイッチやおにぎりを持ち直した。奉は相変わらず何も話さない。…聞いているのか、いないのか。こうして黙られてしまうと、如何に俺が自分から話をしない人間だったかと思い知らされる。

仕方なく俺はベンチに腰を下した。『分娩室』と書かれた薄い桃色のドアが、隣にある。中から奥さんの悲鳴のような息遣いと、鴫崎の怒号のような励まし?の声が漏れ聞こえてきていた。俺はLINEに『ドアの外に居る』とだけ送り、スマホを弄る。他に出来ることもないし、何と云っても居たたまれない。奉も、懐から小さな文庫本を取り出して頁を繰り始めた。



「…姉貴のお産を思い出す」

呟くと、奉が一瞬だけ顔を上げた。

「俺は受験で忙しくて病院にすら駆けつけなかったし、あー産まれたか、くらいの感想しかなかったけどな」

あの、ホームドラマとかでよくある、妊婦の腹に頬をあてて『動いてる、動いてる!』とかもやらなかった。当然だ、15歳といえば思春期真っ盛りだ。姉といえど女子の腹に頬ずりとかあり得ない。

「姉貴は腹の中の小梅と、話をしているようだった。…なぁ、人って」

…云いかけて、やめた。人はいつから、魂を宿すのだろう。腹の中の子供を屠り生を受ける奉は、その答えを知っているのかもしれない。だがそれを奉に問うのは、些か無神経な気がした。

「俺が屠った子供たちは、どんな小さな胎児も全て、魂を宿していたねぇ」

俺が呑み込んだ問いに応じるように、奉は呟いた。

「思うに、その形を成す前から宿る魂は決まっているのだろうねぇ。それが運命なのか単なる順番なのかは知らないが」

くくく…と襟巻の奥から奉のくぐもった笑いが漏れた。

「だから俺は、また同じ事を繰り返すだけなのかもしれない」




―――え?




厭な予感がした。

「お前に鎌鼬を預けた『あの子供達』が云っていたねぇ」



△△△が、子供を攫う。子供を、殺す。




「奉…まさか」

「屋敷の子供を導き出し、鴫崎の子に宿す…?」

ははは…と乾いた笑いが響いた。

「それこそ、まさかだねぇ。俺を殺すほど憎むあの子らが、俺の導きに従うとでも?」

俺は『黙認』しただけだ、と奉は呟いた。

「誰が、何の為にそんなことを」

「さてね…」

呟いて、奉は視線を彷徨わせた。その視線の先に何を幻視しているのか、俺には分からない。

「鴫崎の、子供は…」

「勘違いするな、化け物じゃない。…普通の子だ。遠い昔に産まれる事が出来なかった、普通の子。その生まれ変わりだねぇ」



俺が殺した、普通の子だよ。そう呟く奉の横顔には嗜虐とも自虐ともいえぬ表情が浮かんでいた。



やがて、分娩室から細い産声、そして鴫崎の嗚咽とも歓声ともつかぬ叫び声が上がった。咄嗟に立ち上がる俺の隣で、奉はただ静かに、文庫本を繰り続けていた。『累が淵』というタイトルが、視界の端に入った。



「――その本」

「殺された継子を核に繰り広げられる、因果応報の『実話』だ。…継子を殺した男はやがて、自らも子をもうける。しかしその子供は、自ら殺めた継子に生き写しだったのだよ。その子は『るい』と名付けられたが、村人たちは継子の祟りと噂し合い、継子が、かさねて産まれた『かさね』と呼ぶ」

「生まれ変わり…か」

「さてねぇ。本当のところはどうなのやら…とにかく、結局早くに両親を亡くした累は、悪い男に引っかかる。そして殺された継子同様、邪魔者として屠られる。そして累を殺した男は6度、妻を娶るが悉く早世。ようやく産まれた娘は…突如、父の罪を暴き始める。…ある女と、そっくりな顔をして。…結局、継子の祟りは60年に及びその家を、村を苦しめ続けた」

…めでたい現場でなんちゅう本を読むのかお前は。

「恨みを抱えて屠られた魂は、新たな両親の元に生を受け、何百年も渇望した『人生』を謳歌し始めた。…そうだねぇ」

「………」

「全てを手に入れたその魂は、かつて屠った者を果たして…赦すだろうか」

「累をそのままなぞるなら、赦さないんでは」

「……お前なら」

「何百年も、恨み続けるバイタリティがねぇよ。お前如きに面倒くさい」

「……根性なしめ」

くっくっく…と、奉がいつも通りに笑った。

おずおずと、次第に伸びやかに響き始めた産声が奉の声をかき消した。慌ただしく飛び出して来て俺を出産直後の分娩室に引きずり込もうとする鴫崎を必死に拒否りながら、俺は奉が鴫崎の視界に入らないように体の方向を変えた。

ドアの隙間から、こいつの子にしては奇跡的に目鼻立ちが整った、小ぶりな乳幼児が見えた。

落ち着きを取り戻した鴫崎にコンビニ袋を渡して分娩室に送り返し、振り向いたその時には、奉は消えていた。

まるで最初から居なかったように。




……結論から云うと、『屠られた子供』は奉を赦さなかった。




『りんちゃん』と名付けられたその女の子は、まだ小さいのによく笑う、愛嬌たっぷりの子供だった。

だが何故か奉が近寄った時だけ、親の仇を見るような目をして、火が付いたように泣き叫ぶのだ。

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