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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
22/57

ターボ婆さん

挿絵(By みてみん)


白い帯のように街を取り囲むガードレールのカーブに佇み、俺たちは『それ』を待ち構えていた。

この街を取り囲む切り立った山には、峰を繋げるように狭いアスファルトの車道が通り、それは遠くからだと白い帯のように見える。

いつか見ていた夢に似ているな…などと思いながら、俺は離れた峰に続く白い帯を眺める。

「今日は来ないかねぇ…どうだ、見えるか」

だいぶ冷たくなった風が、奉の黒い羽織りを弄るようにして走り過ぎていく。その傍らに申し訳なさそうに佇む眼鏡の少女が、首をすくめて、ゆっくり振った。黒い髪がさらさらと動くのを俺はぼんやり見ていた。

モスグリーンの眼鏡が、初秋の日差しに静かに光っていた。

奉が予言した通りの結果だ。…怖がりなこの人は、それゆえに却って『未来視』を手放せない。

「視えてるものは多分、皆さんと変わらないです…」

俺がぼんやりと静流さんの眼鏡の事を考えている間に、何やら話が進んでいたらしい。

「…ま、限定的のようだしねぇ」



馬鹿馬鹿しい話だが、俺たちはここで『ターボ婆さん』を待ち構えている。



少し前、食堂にて静流さんに声を掛けられた。

船幽霊を退けたという噂を聞いて、自分に降りかかる奇妙な災難を相談しに来たのだった。

結果、彼女は一生、通学に必要な路線バスに乗ることが出来なくなった。そうなると真面目で勤勉な大学生である彼女は、他の交通手段を探さなければならない。その最有力候補が、バス利用に切り替える以前に使っていた自転車なのだが…。

彼女は、自分は自転車がとても遅いと云い張った。おばあさんにも抜かれる程です…と頬を赤らめて云うのだ。

「では試しに乗ってみろ、その婆ぁに抜かれる無様な運転技術を俺たちに晒すがいい」

自分よりヘタレな運動神経の持ち主を愛する奉は、ワクワク顔で自転車を準備した。しかし…



彼女は、決して遅くなかった。



速くもないし、上手くもないが、通学に差し障るほどマズくない。

打ち沈み、呪詛にも似た愚痴をぼそぼそと振り撒く傍らでコップのフチにつける鳥の玩具のように頭を下げる静流さん。その横で俺は、冗談交じりにこんなことを云った。



「静流さんを抜いたのって『ターボ婆さん』だったんじゃね」



「―――ターボ婆さん…100キロ婆さんとも云われる都市伝説の一つだねぇ」

暗い夜道に関する怪談は枚挙に暇がない。と奉が続ける。首なしライダー、白いセダン、幽霊トンネル、テケテケさん…

「けばいねぇ、どうにも。どいつもこいつもキャッチーだねぇ」

「いいバイクで峠越えなんかする奴らのノリを反映してる感じだな」

所謂、リア充ノリというのだろうか。どいつもこいつも、その状況の洒落にならなさに対してネーミングが軽い。

「名付ける者達のノリと妖そのものは、別個のもんよ。名のせいで面白可笑しい現象のように誤解されがちだが」

奉は油断なく道路に目を向けつつ、軽く口の端を歪めた。

「その本質は、なんら変わりはしない…」

「奉、なにか知っているのか。その…ターボ婆さんのこと」

「俺が知るものはそんな名ではなかったがな」

「あ、あの…奉さん…」

「この峠にターボ婆さんの噂があることは知っていたが『あれ』と同じものかどうか、どうでもよかったし考えたこともなかった」

「あの…あの…」

「奴は老婆には見えるが、あれは」

「奉さん…あの」

「なんだ!」

「す、すみません!」

「そういうのいいから、何だというのに」

「えっと…来ました」

「えっ」

「なに!?」

俺たちは同時に叫んだ。



視界の端を掠めた、老婆の影。



静流さんの『来ました』という声と同時に、俺たちと老婆はすれ違った。…だがあまりにも一瞬。ぼんやり老婆らしきことが分かっただけだった。風圧に煽られるように振り向くと、老婆は既に次のカーブに差し掛かっていた。

「―――はっや」

そんな馬鹿のような感想が口をついて出た。奉は不機嫌そうに眼鏡をくい、と指で上げると静流さんを流し見た。

「気が付いたなら速やかに伝えんか。何のための眼鏡だ」

「すみません、すみません!」

―――奉の、静流さんに対する扱いが酷い。

「だが十分だねぇ。…やはり、奴か」

「知り合いか」

「向こうは俺のことは分からねぇよ」

あいつの頭ん中は一つよ。…そう呟いて、奉は老婆が消えていったカーブをぼんやりと眺め続けた。



「あの人が必死な顔して抱えている包み、何でしょうか」



ふいに静流さんが顔を上げた。眼鏡の奥の瞳に、静かなこの人にしては意外な程の好奇心が垣間見えた。

「えっ、何か見えた!?」

俺には残像を目の端にとらえるのが精一杯だった。奉が視線を俺達に戻し、少し眉を上げた。

「ほう、見えたのか」

「奉さんも、見たんですか」

何故か嬉しそうに静流さんは奉を見上げた。

「よくは見えないねぇ…ただ、おおよその検討はつく」



知らない方がいいねぇ…『あれ』のことは。



「…貴様もあんな特殊枠に抜かれたからって『私遅いですぅ~』とか何云ってんだ。相手はターボ婆さんじゃねぇかボケが」

「す、すみません!」

奉の、静流さんに対する毒舌が止まらない。

「…お前、静流さんにちょっと酷過ぎないか」

しょんぼりと肩を落とす静流さんを背後にかばい、まぁ…一応奉を嗜めてみた。…正直、奉の云うことも分からんでもないが。

「まぁ…ターボ婆さん以外問題はなさそうだな。気になるなら遠回りにはなるけど峠を迂回するルートもあるし」




「ご用はお済みでしょうか」




凍てつくような声が、俺の脇を通り抜けて何かに突き刺さった。静流さんがびくりと肩を震わせて俺の影に身を隠す。

「お迎えに、あがりました。奉様」

「………うむ」

どるん、と狂暴な排気音が威嚇的に響く。視線の先には、紺色の袴を翻して大型バイクに跨るきじとらさんがいた。

「えっ…」

意外な交通手段にも驚いたが、俺はバイクの影に垣間見える『アレ』にビビっていた。俺は咄嗟に奉の方を振り向いた。煙色の眼鏡の、その奥は相変わらず伺い知れない。だが奴も密かに途方に暮れていることは見てとれた。

「あの、きじとらさん?」

「………何でしょう」

氷の刃みたいに冷たく鋭利な声が返って来た。…怖い、女の子超怖い。

「その…『ソレ』に奉を乗せて帰る、と、そういうことで…?」

「何か問題でも?」

きじとらさんは、バイクの横に連結された『サイドカー』にポンと手を置いた。

「さ、お乗り下さいませ」

「……お、おう……」

うっわ、カッコ悪っ。

大型バイクに跨る美少女にサイドカーで運ばれる奉を想像すると、つい噴き出しそうになるがぐっとこらえてスマホを取り出した。

「そ、そうかー、きじとらさん意外ー。かっこいいー。ちょ、奉乗れよ早く!一緒に動画撮ってやろう」

あははは奉、ざまぁ!俺は内心、快哉を叫んだ。静流さんを虐めるからだ。お前も偶にはこういう目に遭うがいい。大爆笑を噛み殺し、微妙な半笑いで撮影アプリを立ち上げていると、いつの間にか後ろに回り込んだ奉に肘をぐいと掴まれた。

「―――お前だけ逃げ切れると思うなよ…?」

「えっちょっ厭…」

厭だ乗らねぇよお前だけそのカッコ悪いサイドカーに乗って帰れ、ときじとらさんの前で云えるはずもなく、俺もサイドカーの後ろ側に引きずり込まれた。

「二人乗っても問題ないだろうねぇ」

「結貴さんの分のメット、ございません」

「えっ!?俺だけ顔丸出し!?」

「何か問題でも?」

「………いや」



怖ぇ!!



きじとらさんの背後に瘴気が揺らめいて見える。俺が鎌鼬で奉を傷つけた時とは質が異なる、黒くてネットリしたやつだ。…俺はこういう方が怖い。その瘴気を視線に絡みつかせたまま、きじとらさんはふわり、と静流さんを流し見た。

「御機嫌よう……静流、さん?」

きじとらさんは失神寸前みたいな顔色で、2回程頷いた。…しょっちゅう周りの空気を伺っている彼女は、きじとらさんの意味不明かつ怨念めいた瘴気をガチで受け止めてしまったのだろう。傍に居てやれなくて申し訳ない。きじとらさんは彼女を一人峠に残し、フルフェイスの奉と顔丸出しの俺を乗せて走り始めた。




「正直な話…よろしくはないねぇ」

自分だけフルフェイスの安全圏で、奉は呟いた。本来ならこの狂暴な排気音にかき消されそうな小さな声だが、不思議とそれは俺に届く。俺はなるべく背を丸めて顔を隠すようにして、同じように小さな声で応える。

「……何がだ」

「んん?声が小さいねぇ」

「うるっせえよ。てめぇだけフルフェイスで顔隠しやがって。大声出させて知り合いに顔バレさせる気だな」

美少女が駆る大型バイクの横にサイドカーでもっさい野郎が二人だぞ。俺なら笑い過ぎて写メ撮り忘れるレベルだ。死んでも顔バレなど許されん。

「―――ターボ婆さんよ」

「あぁ。なんか歯切れ悪かったな。あれは結局、何なんだ」



遠い昔、この峠で死んだ女だ。…奉はそう呟いた。



「あれは元々、俺やお前、それにあの弱虫眼鏡のような奴らにしか見えないものだ。何度か『そういう奴ら』の目にとまり、噂になったんであろうねぇ。ターボ婆さんなどというキャッチーな名前を貰って」

「いい加減名前で呼んであげて」

「呼ばなくて結構」

右側から険を含んだ声が刺さった。俺は思わず肩をすくめる。

「あの女は何故、あんなにも死にもの狂いで走るのだろうねぇ」

えぇ…そんなこと聞かれても、その姿をはっきり捉えることすら出来なかった俺には皆目見当がつかない。俺は適当に答えることにした。

「走らないと死ぬんじゃね?」

「正解」

「……は?」

「あれは逃げているんだねぇ……未だに」

遠い昔、この峠に至る程の津波がこの地を襲った。

「津波てんでんこ、と云ってな。津波から逃げる時は、親も子も兄弟も関係なく、それぞれがバラバラに逃散するのが正しいんだよ。だがあの女は禁を犯した」

「どういう…」

「あの女が抱えている包みの中身」



ありゃ、生まれたばかりの赤子だよ。



「えっ……で、でもあの婆さん」

「あれは婆さんじゃねぇよ。痩せこけているのは産後の肥立ちが悪かったから。…老婆のような形相は、恐怖に歪んでいるから。一瞬で黒髪が白髪に変わるような、とてつもない恐怖だ」

「ここらを襲った大津波っつったら…もう300年以上前だぞ!?」

―――なんということだ。それではあの女は。

「今も、逃げ続けているんだねぇ…津波から」

お産直後で思うようにならない体を引きずって、小さな赤子を抱えて。女はどれだけ渇望したことだろう。



もっと速く走れたら。駿馬のように駆け抜けたら。津波も追いつかないくらい。そうできたら子供を守れるのに。



なす術もなく赤子と共に波に呑み込まれた瞬間から『その妖』は誕生したのだ。

「峠を駆けるあの『妖』は、今や駆ける意味すら忘れ去り、渇望のままに駆けるのみだ。…案外『ターボ婆さん』というふざけた名付けは云い得て妙、というやつかもしれないねぇ」

皮肉な笑い声くらいたてそうな奉が、珍しく大人しい。

「…知っている人、だったのか」

「…どうかねぇ」

ただ、『あれ』を眼鏡女が頻繁に目撃しているのであれば、少しまずいかもねぇ。…そう呟いて、奉は顎辺りに手を添えた。

「害があるのか?」

「いや、あれ自体はただ走るだけのものだ。まずいのは、あの眼鏡女が『未来視』の持ち主ってとこよ」



ターボ婆さんは、津波の予兆を捉えているのかもしれないねぇ。



奉は恐ろしい事を云い始めた。

静流さんがターボ婆さんをよく見かけるのは只の霊感ではなく、忌まわしい過去の出来事を鏡に、未来の災いを写し込んでいるのかもしれない、というのだ。

「この間の出来事や『じゅごん』が増えていることも、何らかの災いを奴らが嗅ぎつけているからかもな」

背骨がじんと痺れるような悪寒が走った。俺は顔を隠すことすら忘れ、峠から見下ろせる静かな海を、ただ睨み続けていた。

「この事は、静流には云うな。…びびらせるだけで何も解決しないからねぇ」

奉が聞こえるか聞こえないかの小声で呟いた。…返事はしなかった。



こいつは偶に、優しいところもあるのだ。

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