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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
20/56

七人同行

挿絵(By みてみん)


―――独り者は、暇だよな?



電話の向こうの綿貫は、強引に独り者の俺を暇と断定し始めた。これは面倒事を押し付ける時の、奴の定石だ。…何で俺の周りは面倒事を押し付けようとする奴ばかりなのだ。

『乗り合いの釣船をチャーターしたいんだけどよ、何故かこの日は予約の人数が足りなくて船が出せないらしいんだよ』

…なんだ、海釣りの誘いか。

ここのところ、気持ちが安らがない日が多かったから、文字通り渡りに船だ。

「おー、行く行く。丁度釣り行きたかったんだ」

『よーし決まり。誰か誘える奴いたら5人でも6人でもOKだからな』

「そんなに人が集まらないの?いい季節なのになぁ」

『なー。逆に入れ食いかもな!』

「はは…いつだよ」

『24日!じゃ、7時出発だから6時半に埠頭に集合な!!』



―――スマホを握りしめたまま、俺は固まった。



よりによって、この日か。…予約が少ないわけだ。

「ふぅん…24日。どういう日か知って、お前は船で出るのかい」

傍らで寝そべって本を繰っていた奉が、俺の顔を覗き込んで来た。洞の奥に溜めてある古い木綿の羽織をごっそり持ち出して、布団代わりにして包まっている。…寒いが布団を出すのは面倒なようだ。

「…一応な。でも」

「只の、言い伝えだからねぇ。若い者が遊びを自粛する理由としては、ちと弱いか」

くくく…と笑いながら、奉は本を閉じた。

「10月24日のことを聞かされていないのか。そいつはよそ者だねぇ」

「県外だ」



もうずっと昔の話。

絶え間なく吹き抜ける潮風と、屏風のようにこの地を囲む切り立った山のせいか、農作物がよく育たなかったこの地では、度々凄惨な『行事』が繰り返された。口減らしか、一種の呪いだったのかは知らない。ただ凄惨な行事…恐らく、弱い者が殺される系の儀式と思われる。

その儀式が行われたとされる日が、10月24日。旧暦か新暦かは知らない。

実は俺は『行事』の詳しい内容を知らない。それは恥ずべき記憶として、漁師達の間で口伝で伝えられる。彼らに聞いてみれば、地元民になら割と話してくれるらしいが、俺はそこまで興味を持ったことはなかった。


―――それと似たような話を、奉から聞いたことがある。


飢饉の際、一家の主婦を『じゅごん』に見立て、食らい沈めた漁民達の禁断の儀式があったという。ただそれは必要に駆られて、罪の意識に苛まれながら行った儀式ではなかったか。当然、日付など決まっているはずがない。

10月24日の儀式は、多分少し違う。はるか古代から連綿と受け継がれてきた、土着信仰のようなものだ。

とにかく地元の漁師は勿論のこと、年寄連中もこの日は物忌みと称して海には近づかない。外出も控えるという。船出なんてもってのほかだ。予約さえ入れば船を出す奴がいることがむしろ、俺には衝撃だった。

「―――そろそろ『そういう連中』が出る頃か、とは思っていたよ」

「どういう…」

「言い伝えを知りながら、ただの昔話と一蹴する若い世代。…当然の、極めて健全な反応だねぇ。他の事であれば、そのまま言い伝えの方が消えていくのを待つのだが…」

だが、これだけはちょいと訳ありでねぇ…と呟き、奉は軽く伸びをした。

「…よし、結貴。八墓村の婆ぁのように不吉な感じで止めてこい」

「あの婆ぁも失敗してただろうがふざけんなよ」

「あーね……俺も行くかねぇ……」

それだけ云って、奉は軽い寝息を立て始めた。きじとらさんが薄手の毛布を運んで来た。近頃は肌寒い日が続くからか、すっかり和装が増えた。今日は山吹色の着物に蝦茶色の袴を合わせている。秋らしい繊細な色使い…だがこれを山寺の野寺坊がチョイスしているのかと思うと、何かもやもやする。

「奉様のうたた寝が増えると、秋という感じがします」

おい、風物詩にされてんぞ。

「すみませんね、この横着者は。…そうだ、きじとらさん。24日、奉を借ります」

「海釣りですか」

ああ、聞いてたのか。

「私も行きます。…皆さんのお弁当、用意しておきますね」

心なしか、きじとらさんの声が弾んでいたような気がする。

魚…そうか、魚。

……頑張ろう。きじとらさんをしょんぼりさせないように。




まだ朝焼けの気配が残る埠頭から漁船が離れたのは、7時過ぎだった。言い出しっぺの綿貫が大幅に遅刻したのだ。

「わり、ほんと最近布団から出れないわ」

他の乗り合い客からの冷たい視線(きじとらさん含む)から避けるように、綿貫は船室に潜り込んだ。…慌てて駆け付けたものだから、まだ何の準備も出来ていないのだろう。外では既に撒き餌が始まっていた。

「俺もう出てるからな」

一声かけて、俺も甲板に出た。

船室のドアを開け放つと、この時期にしては強い潮風が頬を打った。まだ影が長く色濃い甲板を、薄い煙が覆っている。…いや何これ、けむい。


煙の元は、きじとらさんの焚く七輪だった。


乗り合いのおじさんたちが、ざわざわしている。『なんだよあいつら』『気ィ早っ』などと呟く声が聞こえてきた。

―――ごめん、一瞬この人に近付くのをためらってしまった。

きじとらさんは俺の姿を見つけると、練炭を仰ぐ手を止めて、じっと凝視してきた。『ここは、お魚が夢のように釣れる船なのですね』『すぐにお魚、焼けるのですよね』そんな無言のプレッシャーがぐいぐいくる。

「……おい、奉」

気が付かないふりをして奉に声を掛けるが、奴は呑気に一本釣りの仕掛けを始めている。

「……きじとらさん、ものすごい釣れると思ってるぞ。こっちもプロじゃないんだからボウズの場合だってあるって理解してないんじゃないのか」

「さぁねえ。気になるのなら貸そうか、『ものすごく釣れる竿』」

奉がにやりと笑って、いつか『じゅごん』を釣った竿を差し出してきた。…元々は、俺の竿だが。

「―――今日つかうのは、あまりお勧めしないけれどねぇ」

俺は黙って背を向けると、船頭に声を掛けた。



「すみません、さびきの仕掛け、貸してください」



俺と奉は並んで釣り糸を垂れている。俺たちを朝霧にも似た七輪の煙が巻く。…綿貫は既に、俺たちを少し遠巻きにしていた。

―――俺は、何をしているのだ。

「…さびきとか、船出してまでやることかねぇ」

面白いか?それ…と半ばあきれたような顔で奉が呟いた。

「…うるっせぇな…この七輪の煙の中であたるかどうか分からない一本釣りに徹することができるお前の方がどっかおかしいだろ。本来お前の役目だからな、これ」

さびきとは、撒き餌の入った小さい籠を釣り糸の先端につけ、小さい魚を寄せて複数の釣り針で揚げる、ハナから小者狙いの仕掛けである。とりあえず何かが掛かる可能性は、一本釣りよりは高い。

「釣れるといいねぇ、ちっちゃいアジとか」

くくく…と笑いながら、奴は慣れた様子で文庫本を片手で繰った。



―――早速、浮きがとぷりと沈んだ。



そろりそろりとリールを巻くと、今日初めての当たりが揚がってきた。

「……よし」

大きく息が漏れる。うまいこと小アジの群れを引っ掛けたようだ。甲板の隅の方から『ちっさ』とか聞こえるが、何とでも云うがいい。これで最悪の事態からは逃れたのだ。釣り針から外してバケツに放り込んでおいて暫くした頃、背後からじゅわぁあ…と油の音がし始めた。

―――小さいから丸ごと天ぷらにされた…!!

くっそう、七輪で焼く価値ナシか…!軽くショックを受けるやら、釣り船に油とか持ち込んで大丈夫かよと心配になるやらだ。

「密閉式のやつだ、気にするな」

俺の懸念を読んだのか、奉が本から目を離さずに呟く。いや気にするよ!?小さいと揚げられるって重圧がさびき釣りの俺にガッツリのしかかってるよ!?と言いかけた瞬間、二投めの仕掛けが、再びとぷりと海面に沈んだ。…あれ、思ったより当たりが早いな…。俺は、仕掛けについてきた奴を確認した。

「……うそ」



―――何故それが、さびきに掛かる!?



「おぉ、すげぇな青島!」

早くも飽きたのか、綿貫が仕掛けをほったらかしにして俺の背後にぶらりと寄って来た。

「これ何?サバとか…イサキ?ブリ?さびきでよく引っ掛けたなぁ」

「お、おぅ…」

いやに大ぶりな釣果を甲板に落とすと、きじとらさんが目を輝かせて駆け寄って来た。仕掛けから魚を外すのは、任せてもよさそうだ。…やがて、七輪がもうもうと煙を上げ始めた。

「うっわ、すげぇ!」

「引いてる、引いてるぞ!」

時をおかず、甲板のあちこちから歓声があがり始めた。予想外の釣果を得たのは俺だけではなかったらしい。奉の竿にも大きな当たりがあったらしく、竿がしなっていた。…何だこれ、すごいテンション上がってきたぞ。

「………早かったねぇ………」

リールを巻く奉の表情が見えない。こいつが何の為にこの船に乗ったのか、薄々分かっていたはずなのに。

俺は。

仕掛けを一本釣りに戻すことしか頭になかった。





「…あれ、動かない」

船頭の声がした。

皆がクーラーボックスにギッシリ詰まった釣果に満足しきって珈琲を啜り始めた頃。

いつしか、船のエンジン音が途絶えていることに気が付いた。最初は入れ食いスポットに入ったから船頭が投錨してエンジンを切ったのかと思っていた。

「参ったなぁ…バラストに網でも巻き込んだかな」

ぶつぶつ呟きながら海面を覗き込んだ船頭が、ヒッと短く悲鳴を上げた。

「なっ……」

つられて海面を覗き込んだ皆が、息を呑んだ。

海面を覆い尽くす魚の群れ。それはまるで船の進路を阻むようにこの船に押し寄せていた。まるで銀の波だ。無表情な目玉を全て船に振り向けて、大きい魚も小さい魚も、頭を揃えて船を取り囲んでいた。…ぞくり、と背中を悪寒が走り抜ける。俺は愚かにも、この期に及んで今日が10月24日であった事を思い出した。

「奉っ…」

奉はよく焼けたサバを箸でほぐし、口に運びながら呟いた。

「あまり見るな。…『あれ』が、来る」

『あれ』と呟いた瞬間、空気がずしりと重くなった。ヘドロに押し包まれたような不快感に、俺は思わず顔をしかめた。海の果てまで続くかのような魚の群れの上を、七つの人影が歩いているのが見えた。他の釣り人達にも見えているらしく、方々で悲鳴が上がる。綿貫も何かを叫びながら誰かのクーラーボックスを蹴り倒していた。

「なんだ…あれ」

「七人ミサキ…かねぇ」

海で溺れ死んだ者達が七人、寄って成る妖だという。それは現世を彷徨い行きあう者を『八人目』としてその列に引き込む。一人引き込めば、一人成仏できる。…それを永遠に繰り返すから、彼らは永遠に七人で彷徨い続けるのだ。…奉は事もなげに呟いた。

「くくく…業の深い妖だねぇ…」

「じゃ、あいつは」

「10月24日の儀式。あれは、彷徨う七人ミサキに『八人目』を供する儀式よ。海で子を喪った親、夫を喪った妻が、少しでも早く彼らを『成仏』させんがために…目を血走らせて近隣で攫ってきた幼い子や、瀕死の病人を海に放り込むんだよ。ほれ、みてみろ。そこの断崖」

すっと奉が指さす方向には、暗雲の立ち込める昏い崖。

「24日になると、遺族たちの怒号や放り込まれる子供達の泣き叫ぶ声が満ちたものだ。その声に導かれるように崖を取り囲む、七人ミサキの群れ…ぞっとするような眺めだったねぇ…」

「お前…それをただ見ていたのか」

「全ては、人の営みよ。第一、あの集団ヒステリーの真っ只中で俺に何が出来る」

―――冗談じゃない。じゃあ、あいつらは。

「…あいつらは、八人目を手に入れるために?」

「そうだねぇ。…船室にでも潜んでいるといい。誰か一人、取らせれば消える」

「奉!!!」

…冗談だ、と渋々呟きながら、奉が立ち上がった。

「取らせなければ、取りに来るぞ」

しゅ…と、俺のすぐ脇を細長いものが煌めいて飛んだ。反対側の甲板から鋭い悲鳴が聞こえた。

「いってぇ!!ダツだ!!」

鼻の尖った細い魚が、乗り合い客の一人に刺さっていた。

「ダツが!?夜釣りでもないのにか!?」

ダツという魚が、夜釣りの灯りに誘われて飛び込んでくるとは聞いたことがある。矢のように飛んでくる尖った顎は時に釣り人を傷つけ、運が悪いと命を落とすことすらあるという。

「ほら、来たぞ。取りあえず俺をダツから守れ」

「出来るかっ!!」

「出来るじゃねぇか」

「……あぁ」

俺は飛んでくるダツを目で追いながら、背後の鎌鼬を強く意識した。…つむじ風が、大きく膨らんだ。

「きじとらさん、皆を船室に!」

宙を舞う魚の群れは、上空で輪切りとなって落ちた。

甲板に残った俺と奉に目標を絞るように、ダツは次々と飛来する。鎌鼬のつむじ風は、きゅるきゅると旋回しながら次々とダツを切り裂く。やがて甲板はダツの血飛沫と骸で満たされた。それでも、この海域にこんなに居たのかと呆れる程に、ダツは飛来し続ける。

「どうする気だ、奉」

こんなに長い間、鎌鼬を酷使したのは初めてだ。だから気が付かなかったのかも知れない。…酷い頭痛がしてきた。

「考えがあるなら早くしろ、もう持たないぞ」

「そうだねぇ…奴らの、顔は見えるかい」

「顔!?」

魚を踏みながら船に近付く『彼ら』は、もう顔を視認出来る距離まで近づいていた。…何という事だ。先頭の一人を除いて皆、幼い子供だ。親から無理やり引き離され、酷い怒号を浴びせられながら、放り込まれたのだろう。怯えも恨みもそのままに、大きく目を見開いたまま、涙を流している。一瞬怯んだ俺の真横を、ダツが掠めて頬を切り裂いた。

「…反吐が出る光景だねぇ…海の男とやらはその死後も、海に囚われる覚悟をもつべきだとは思わないかい、結貴よ」

その覚悟を年端もいかない子供にお仕着せるとはねぇ…と呟いた奉の表情は、煙色の眼鏡に遮られて見えない。奉は羽織の袂に手を入れると、何か干物のようなものを取り出した。

「八人目が欲しくば、くれてやろう」

奉が干物を放り込む。それはひらりと宙を舞って海に落ちると、とぷりと沈んだ。…そして、すぐに浮かび上がってきた。



―――人の顔をした魚が、ゆらりと泳ぎ出した。



「…お前、あれ」

「じゅごん…だねぇ。干しておいた」

「そこから再生すんの!?あれ何、干しシイタケ!?」

「…あれは七人ミサキとは違う形で、海に囚われたものだ。決定的な違いは」

生を得ている、ことだねぇ。胡散臭い形ではあるが。奉はそう呟いて口の端を吊り上げた。

「生を得てはいるが、人としての記憶はない。そんな虚ろな魂だが、魂には違いない」

やがて七人の亡者はじゅごんを捕らえると、ゆっくりと海に沈めた。…列の後ろに女の姿が現れ、先頭の男が消えた。



―――彼らが船から離れていくに従い、魚の群れはほどけるように消えていった。ダツの輪切りが溢れる甲板に、俺は茫然と立ち尽くしていた。

その後、俺はきじとらさんから『飛来する魚を三枚おろしで切り落とす』という謎の訓練をさせられた。きじとらさんは俺に何をさせるつもりなのだろうか。




…あれから2週間。綿貫は俺に話しかけてこなくなった。その他にも、俺を遠巻きにするようになった友人が数人。理由を追及するつもりはない。…綿貫に怪我がなくて、本当によかった。それで充分だ。



時折俺は思うことがある。

奉が『じゅごん』を集めていた理由だ。

俺は未だに、七人ミサキに捧げられたあの子供達の、恐怖と怒りに満ちた瞳を忘れられない。あの子達を開放してやるためなら、じゅごんを捧げてやっても構わないと素直に思った。…子供達を攫って捧げた『誰かの家族』も、そんな気持ちで子供を攫い、海に放ったのだろう。奉が云う通り、それは人に産まれたが故の『人の営み』に他ならない。

そんな人の営みに少しだけ梃入れ出来るとすれば、犠牲になった子供達の成仏を助けてやること位だろう。

だから俺は、奉の仕事に少しなら手を貸してもいい。



だがさしあたり、少し困った事が起きている。



学内で、俺と奉について『良くない噂』が流れ始めていた。

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