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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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あらはばき

挿絵(By みてみん)


とある学生街の、甘味処の奥の席。

薄暗い一角で、仏頂面をしてクリームあんみつを頬張る男がいる。

煙色の眼鏡にクリームを飛ばして一心不乱にあんみつを平らげたかと思いきや、すっと手を上げて言葉少なにお代わりを頼む。甘味処の娘さんは、阿吽の呼吸で注文を通す。



俺はまつるに、期末試験を受験させるという最難関ミッションを完了して、茶で一服していた。



本当に苦労した。3日前から奴の洞に泊まり込み、逃亡を阻止するために周囲に鳴子を張り巡らせ、試験後のあんみつで釣り出し、ようやく試験を受けさせることに成功するのだ。受けさえすれば、落とすことはない。なにせ、一度覚えたことは忘れないのだから。

「きじとら」

奉が短く声を掛けると、横に控えるきじとらさんが綺麗なハンカチで奉の眼鏡を拭く。

「こんなぽんこつ眼鏡、雑巾で拭いときゃいいんですよ。勿体ない」

きじとらさんは少し首をかしげて俺を凝視すると、すっとハンカチをひいた。…彼女に凝視される度に、俺はどぎまぎする。釣り目がちな切れ長の双眸は、良く知っている何かに似ている。

 わざわざ聞いてみた事はないが、きじとらさんがどういう素性で、何の為に奉に仕えているのか俺は知らない。名前だって、奉が『きじとら』と呼んでいるから、それに『さん』を付けているだけで、それが名なのか苗字なのか知らないのだ。神社の麓にある玉群の本宅には出入りしないので、正式なメイドとかではないのだろう。

 一度、きじとらさんが席を外した際に彼女が何者なのか聞いてみた事がある。



『―――俺の子を成そうとしているらしい』



と、奉に事もなげに言われて以来、この件について掘り下げるのは止めた。地雷臭が半端な過ぎる。

「あぁ迷惑だ。こんな都心まで引っ張り出されて書き物させられて。あんみつ二杯じゃ割に合わない」

「……その台詞、そっくりそのまま返すからな」

奉は嫌そうに身をよじる。俺が毎回、云わずに呑み込んでいる言葉を何だかんだで敏感に感じ取っているのだ。

『お前の親に頼まれている』

何故大卒にこだわるのか全然分からないが、とりあえず大学だけは卒業させてやって欲しい、と奉の母さんに頼まれている。…申し訳なさそうに。

「会社勤めをする訳でもないのに。俺に学歴が必要か?嫌な世の中になったものだ」

「……不審者として拘束されたときに少しでも覚えが違うんだろ」

「俺がそんなへまをするか」

「はは…勉強しないと立派なアラハバキになれないぞ」

玉群神社の奉神という建前になっている奴を持ち出して茶化してやると、奴はふんと鼻を鳴らした。

「アラハバキって云っておくのが一番面倒がないんだよ」

「面倒……」

「俺にとってはちょっと立派な玄関くらいのものだが、一応神社の体をなしているとな、民族学者やら宗教学者やらが要らぬことを聞きまわることがちょいちょいあるのよ」

「要らぬこと……」

「名の知れた神を祀っていると、由来だのこの地域の古い信仰との関連だのと、面倒なことを聞かれるんだよ。場合によっては襤褸が出る」

襤褸って言ったか今。

「そういうとき『うちはアラハバキなんですよ、よく分からないんですけどねー』と云っておけば、奴らは大抵、半笑いで帰っていくんだ」

「何故」

「色々よく分かってない、とても古い神だからなぁ…」

言葉を切って、少し黙ったあと、ぼそりと呟いた。

「そして何より、重要じゃない。掘り下げるほどの価値がない」

「よく分かっていないんなら、知りたがるんじゃないのか」

「古すぎるんだよ。…日本に来たのが縄文後期あたりだぞ。奉ってた連中にとっても、アラハバキの性質もドグマも色々とグダグダだったろうなぁ」

そう云って、新たに注いでもらった茶を一啜りする。傍らのきじとらさんは、冷茶の器を掌でもてあそぶ。彼女は旨い茶を淹れてくれるが、決して自分では熱い茶は飲まない。

「そこに現れた、輪郭のはっきりした別の神格。そりゃまぁ、細かい設定考えるの面倒な古代人なら『あー、それ!アラハバキもそれで!』ってなるだろ」

「なるの!?」

「なるよ。つまり、アラハバキは混じりやすく、曲がりやすい神だ」

奉は、くぐもった笑い声を漏らして伸びをした。煙色の眼鏡が少しずれた。

「加えて渡来神…客人神だ。益々、重要性薄いだろ。ちょっとくらい設定がグダグダでも誰も気にしないのさ」

…良くは分からないが、俺は少し嫌な予感がしていた。混じりやすく、曲がりやすいのだろう?だが、敢えて何も云わなかった。起こっていない事にやきもきしても仕方がない。





 試験が終わり、色々と落ち着いた頃。俺は奉の両親に託された着替えを提げ、玉群神社の石段を登っていた。すっかり緑が濃くなった参道の木陰に、しゃがの花がひっそり咲いている。純白の楚々としたこの花が咲き始めると、参道が殺人的に暑くなり、しんどい季節がやってくる。苦しい息と共に、ため息が漏れた。

  やっとの思いで石段を登り切り、ふと目を上げる。その時、異様な物が俺の視界に飛び込んで来た。



―――人形?



 境内を囲むように置かれた、土塊をこねたような人形の中心に、奉が途方に暮れたように突っ立っていた。

「おい、なんだこの状況」

「俺が聞きたい」

近くで見ると、これはあれだ。…土偶。肩や腰が妙に張っていて、極端に胴がくびれているこの独特のフォルムと、細く水平に穿たれた双眸は、遮光式土偶だ。社会の教科書で見たことがある。

「……奉神を変えたのか?」

「何に変えたら土偶で境内を囲むんだ」

奉は心底面倒くさそうに、一番軽そうな土偶を持ち上げた。お前も手伝えと無言で促され、渋々手近なやつを持ち上げ、社の裏側に運ぶ。

「どうしたんだこれ。そしてどうすんだこれ」

「起きてきたらこうなっていた。…一番いいやつを一つ貰って、あとはヤフオクに出す」

「貰うのか」



結論から云って、俺の懸念が当たっていた。



 混じりやすく、曲がりやすいということは、誤解を受けやすいということだ。俺はアラハバキが出てくるゲームや漫画を知っている。その中では何故かアラハバキは、遮光式土偶の形で表現されている。『東北で信仰されていた』『縄文時代に渡来した』この唯一はっきりしている2点をものすごく曲解された結果らしいのだ。何しろどんな神だったのか、ほとんど資料が残っていないのだから、考えてみれば創作し放題じゃないか。今や『謎の神』として、民俗学にほとんど関心がないゲームマニアから熱い視線を浴びている。

 なんという皮肉か。隠れ蓑がむしろ注目を集めてしまうとは。

「……マハジオンガは、そこそこ使えるんだがなぁ」

お前もやってたんかい。

「アラハバキ=遮光式土偶の図式を作った犯人は『東日流外三郡誌』とかいうオモシロ古文書の作者、和田喜八郎だ」

「オモシロ!?」

「…まぁ、ラノベだと思え。そいつが著書の中でアラハバキの似姿として遮光式土器を使ったのが、すっかり定着してしまった。…あの時点で、何かに気づくべきだったなぁ」

あー、面倒くさいなぁ…奉神変えようかなぁ…などとぶつぶつ云いながら2個目の土偶を抱えた。

「君に決めた」

「本当に貰うのかよ」

「あとは砕いて境内の砂利にでも使うか?」

「嫌だよ呪われそうだよ」

「砕くこと自体は、本来の目的から外れてはいないんだがなぁ…」

奉はぶつぶつ呟きながら、2番目の土偶を抱えて洞に引っ込んだ。俺は残った土偶を洞の横に立てかけて置いた。ヤフオクに出すってんなら洞の傍が良かろう。洞の中から声がした。

「創作物の影響…これだけで終わるだろうか」

「あー…スマホアプリにでもなったりしたら積みだな、どうするんだ、奉」

「アナタはどの神と恋をする!?ちはやぶる神との恋物語!ちはやぶるで検索、検索ゥ!」

「……ありそうなこと言うんじゃねぇよ縁起でもない」

ふざけてる場合か。お前の庭だろうが。

「そんなことになったら聖地化だな。土偶ストラップとか売るか」

何をちょっとワクワクしているのだ。

「そうなったらアラハバキなんて完全なネタキャラだからな…期待するなよ」

「いや意外といけるだろ。あれだぞ、こんな。…この謎の仮面の裏側…お前にだけ魅せてやる」

煙色の眼鏡をくいと押し上げ、イケメンボイスを充て始めた。…死ぬまでやってろボケが。



………この懸念は後日、的中してえらい事になるが、それはまた別の話。




数日後。

また同じようなことがあると面倒なので、俺の独断で境内に貼り紙をしておくことにした。



『当神社の奉神は、遮光式土偶とは何の関わりもありません。今後、境内への土偶放置を禁止いたします。放置された土偶はヤフオクに出品いたします』




貼り紙の効果か、出品した土偶は完売した。

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