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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
15/57

傷痕

挿絵(By みてみん)


今度の塒はエレベーターがあるのだな。

奉はつまらなそうに、電話口で呟いた。



『志ほ瀬屋』の袋を提げて、俺は赤十字病院の受付でもじもじしていた。



―――今、病室にきじとらがいる。



奉からのLINEが、さっき入った。俺は背を丸めてため息をつく。

『鎌鼬』の件以降、きじとらさんは俺を仇を見る目で凝視する。喪ってから気づいたんだ、ちょっと苦手だったあの凝視は、いくばくかの好意を含んでいたのだ。あくまでも知人として、だけど。…あの凝視が懐かしい。

目が潤んでいることに気が付いて慌てて手の甲で拭う。妙に生暖かい気配にふと目を上げると、隣のベンチに座っていた老婦人が、気遣わしげに俺を覗き込んでいた。わ、やべ、病院で半泣きは不用意だった。俺は身の上話を語らされる前に軽く会釈してベンチを離れた。



全身から血を撒き散らして倒れた奉を見た瞬間、『殺してしまった』と思った。

同時に目的を終えた『彼ら』が、俺から抜けていくのも感じた。『鎌鼬』を残してだ。

書棚の陰に潜んでいた飛縁魔は、すぐには動かなかった。ただ、何かを見極めた瞬間、すっと奉に駆け寄って胸元からハンカチを引き出した。

そしてそのハンカチを徐に奉の首筋にあてる。致命傷と思われた首の傷から、すっと血が引いた。

「……なんで?」

俺はさぞかし、間抜けな顔で呟いたのだろう。

「さっき石段でついた、鎌鼬の軟膏よ…きじとらさん、何ぼんやりしているの?」

「………」

「あるんでしょ、この男が貯めておかないわけがないわ」

きじとらさんは小さく『あ』と呟くと、薬箱に飛びついた。そしてもどかしい手つきで小瓶を取り出して瓶を開ける。…そうか、奉もしばしば『薬、薬、薬』の鎌鼬に薬を塗られると云っていた。

「これでも足りないわね…優先順位を考えて塗って。出血の酷い所を中心に」

動顛しているきじとらさんに的確な指示を出しながら、飛縁魔は的確に治療を進める。

「救急車を…」

そう提案するのが精一杯だった。

「そうね、本殿に呼んで。運べる?」

「…警察も」

「要らないわ。貴方は武器を持ってないじゃないの。どう説明するつもり?」

鎌鼬が…などというわけにはいかない。黄色い方の救急車も呼ばれてしまう。俺は119だけ押して応答を待った。



―――あの時、飛縁魔が居なかったら…彼女が軟膏をハンカチに染み込ませていなかったら…考えると肌が粟立つ。

この一件で俺は終始木偶の棒だった。なのに『動顛しないで、よく頑張ったわね…もう怯えなくていいのよ』と、頭をぽんぽんされてしまった。あの瞬間、俺は初めて自分がずっと震えていたことに気が付いた。

飛縁魔に借りを作ってしまった。これはやはり、今後の生活に影響してくるんだろうか…。


ぽーん、とLINEの着信音が響いた。


『きじとら帰った。上がれ』

ムカつく程要件のみのLINE来た。…エレベーターを使うときじとらさんと鉢合わせる可能性がある。俺は結局、非常階段を選んだ。

「毎日『志ほ瀬』が食えるねぇ」

傷だらけの状態で担ぎ込まれ、つい最近まで面会謝絶状態だったというのに、奉はご機嫌だ。どうせ出歩かないのだから、洞でも病室でも変わらないのだろう。入院から1週間程度だというのに、もう傍らに本の山が築かれている。退院時には赤帽でも呼ぶか…。

「ん?なんか疲れてるか?」

「……非常階段から来たんだよ……」

「へぇ…階段好きなぁ」

―――きじとらさんと鉢合わせると今度こそ殺されるからだよ!!と怒鳴りたいのを呑み込み、傍らの椅子に崩れ落ちる。この件で俺はボロボロのパンチドランカーだ。

「うむ…志ほ瀬屋は旨いんだが、どうにも袋が開けにくいねぇ…おい結貴、アレ出しな」

「………お前な………」

小さなテーブルに置かれた栗羊羹の端に意識を集中すると、背中に厭な気配が広がった。そして一陣のつむじ風が巻き起こり、次の瞬間、羊羹はビニールごと、大体6等分にすっぱりと切られていた。

「うまくなったもんだねぇ」

奉は事もなげに切り裂かれたビニールを剥ぎ取り、羊羹をつまみあげた。

「お前よく平気だな、こいつのせいで死にかけたのに」

その神経が分からん。全然分からん。


『彼ら』が奉を殺す為に俺の中に仕掛けた鎌鼬は、目的を遂げて俺から出ていく時に用済みだ、とばかりに置いていかれた。当然、奉が鎌鼬を追い出してくれると高を括っていたが、奉の答えは意外なものだった。



「出さねぇよ」



―――耳を疑った。いやいや何云ってんだ、このまま居着かれたらお前、また切られるぞと抗議した。だが普段であれば嫌々ながらも要求を呑んだり言を左右にして有耶無耶にする奉が、珍しく全く譲らない。

「この状態の鎌鼬を今解放したらどうなる」

…何も言い返せなかった。薬を持っていた奉ですら、絶対安静で入院する羽目になるような妖だ。襲われたが最後…。

「少なくとも今、こいつらはお前の元で落ち着いている。鎌だけで寄せ集めておくと、ほんと主体性がないんだねぇ」

そうかそうか、鎌だけの鎌鼬なんて初めて見るからねぇ…などと呟きながら、奉はほとんど起き上がれない体で無理やり寝返りを打ち、枕元に散らばった本を掴みあげる。

「そんな…こんな怪物、どうすりゃいいんだ?そもそも扱いが分からん」

「慣れれば包丁と同じようなもんだ」

「剥き身の包丁ぶら下げて歩くようなもんだろ。あぶねぇよ!…仲間の元に帰すのはどうだ?離散したのは事故みたいなもんだろ、奴らだって『風、鎌、薬』に戻る方が収まりがいいんじゃないの?」

「それが人間側の勝手な思い込みでねぇ」

点滴の管を煩わしげに払い、奉は本に目を落とした。…頑固なまでにいつも通りだ。

「離散の件で調べて分かったんだが、こいつらにとって『風鎌薬』が揃っていることよりも『3頭揃っている』ことのほうが重要らしいんだよねぇ。今更こんな狂暴な組み合わせを野に放ったところで、元鞘どころか排除されるのがオチかねぇ」

―――狂暴な組み合わせっつったか今。

「どっちもリスクは大きいがねぇ、ノーガードで野に放つよりはお前が抑えておく方が幾らかマシか。『ボス』さえはっきりしていればこいつらは落ち着くんだ。使いこなしてみな」



……そう唆されて、現在特訓中だ。

奉は『包丁と変わらん』と云っていたが、まじでビックリする程、包丁と変わらない。この辺かな、この位切りたいな、と考えて少し集中してからスッと視線を滑らせると、すぱっと切れている。力加減や距離感などはもう少し慣れが必要だが、羊羹くらいなら全く問題ない。俺がシリアルキラーだったら小躍りモノだろう。

「欲を云えば、もう少し真っ直ぐ、均等に切れるといいねぇ」

少し不揃いな栗羊羹を、奉は手掴みでどんどん口に放り込む。

「…糖尿で循環器科に回されるぞ」

「…不便だねぇ、好きなものを好きなだけ食べられもしない。痛覚も余計だねぇ」

まだ、腕を動かしたり身をよじったりする度に顔をしかめる。魂は不滅でも、肉体には限界がある。何となく、こいつは死なないものだと思い込んでいたけれど…。

「―――あれから、夢は見るか」

俺の目を覗き込むように、奉が身を乗り出した。

「あの夢は、見ていない」

「ふぅん…」

唸りながらまだ俺の目を覗き込んでいる。奉はそういう部分、子供並みに遠慮がない。感情が見える分、きじとらさんの凝視とは少し質が違う。

「夢は見るけど、一応聞くか?なんか角が1本しかない赤い牛が紫色の下をべろんべろんさせながら首をかしげて小梅に算数を教えているという」「いらん。訳が分からん」

だよね。

「お前から抜けた連中が次は何処に隠れたのか、手がかりでも残っていればと思ったけどねぇ…」

「俺の夢に残っているかもしれないぞ。一昨日の夢は統合失調症患者の心象風景を再現したテーマパークでガンダムが半分埋もれた砂漠を父さんと歩いているんだがその足跡から血のシミがじわりと広がってヒィって」「いらんて」

だよね。だが変な夢って無性に話したくなる。

「…お前、そんなに頻繁に夢を見る質だったか?」

「最近は頻繁だ。あの件より以前は、ちらほらだったなぁ。見るけど毎日じゃなかったし、ここまで変な夢はあまり…」

「じゃ、そいつは囮だねぇ」

羊羹の残りを手早く片付け、奉は傍らの湯呑に手を伸ばした。きっと、きじとらさんが淹れた茶だ。もう俺はこれを呑めないのだろうか。あの洞に行くたびに、針の筵に座らされる思いをするんだろうか…。

「人の夢をいじくった奴がその痕跡を完全に消すことは、まぁ不可能だね。だから異常な夢を大量に流し込んで上塗りして、存在自体を忘れさせようとしたのかな」

ぶつぶつ呟いていた奉が、ふと目を上げた。替えの眼鏡フレームは、少し縁が太くてしっくりこない。



「あいつら、何が目的なのだろうねぇ」



―――は?

「何がって、お前を殺すことだろ」

「なにそれ、誰得?」

また生まれて来るぞ俺は、と呟き、奉は片頬に嗜虐の微笑を浮かべた。

「新しい『仲間』が増えるだけなんだよ」

「そういうのはどうでもいいのかもよ。ただの、恨みとか」

「そんな直情的な目的にしては、随分と用意周到…というか冷静じゃないかねぇ」

「何故」

「『弟』とかいうのが夢でお前に語った、俺と奴らの関係性。覚えてるか」

「あいつ側の視点で、いいのか」

ならば…仮に彼らを『弟達』とすると、弟達はいつも怯えていた。△△△が、自分たちを奪いに来る。たまに里を訪れて俺にちょっかいをかけてくる奉は、△△△の使いで、食べごろに育っているか見に来ている。△△△は、小さな子供を取る。奉は不吉だ、奉を殺せ。

「…って感じだな」

俺自身も夢の中では、なんの疑いもなくその関係性を信じていた。あたかも生まれた時から弟達と暮らしてきたように、手元に戻ってくる紙飛行機やら双子貝やらを受け入れていた。なんだ双子貝て。

「違うよねぇ」

まだ、覗き込むように俺を見てくる。

「俺は玉群に『降りる』時、生まれた子供の『魂』を追い出し肉体を乗っ取る。追い出された『魂』は屋敷に溜まる」



―――それだ。



仄かにおぼえていた違和感が、今すとんと落ちた。

奉は嬰児の躰を乗っ取るが、屋敷に住み着いた魂にそれ以上の危害は加えない。むしろ年に一度体を貸してやったり、気持ちを逆なでしないように早々に家を出て洞で暮らしたりと、奉なりに便宜を図っているようにすら見える。

少なくとも、屋敷に宿る『子供達』にとって奉は憎しみの対象かもしれないが、畏れの対象ではない。…と思う。

「子供を取る△△△ってのは、誰の事なんだろうねぇ」

冷めた茶を啜りながら、奉はじっと虚空を眺めた。

「―――少し、屋敷に帰ってみるか」





あれから1週間。

奉の入院が思ったより長引きそうだ、という話を、奉の母さんから聞いた。

綺麗に切れている割に治りにくいらしく、一部の傷を除いて(軟膏を塗った傷か?)出血が止まらないとか。見ている限り、いつも通りのテンション低めな奉だが、点滴の量は減っていない。



鎌鼬の傷は鎌鼬の軟膏でないと完全に塞がらないのだろうか。



だから俺はいつもの石段に来た。

鴫崎はこの石段で何度か『薬、薬、薬』の鎌鼬に軟膏を塗られている。ここは鎌鼬の通り道なのかもしれない。鴫崎には勿論、事情を話して僅かな軟膏を貰ったが、全身の傷に塗るには全然足りない。

暮れかけた玉群神社の鳥居の奥。石段の半ばに、白いワンピースに身を包んだきじとらさんが立ち尽くして居た。

淡い夕日に透けるような、軽く薄い布だ。鎌を持った鎌鼬が通るかもしれないというのに。

肌に付けば軟膏を無駄なく集められる。とでも思っているのか。思わず唇を噛んだ。

俺を見つけたきじとらさんに、冷たく見下ろされる。…いいさ、覚悟はして来た。

「…もう少し、上の方へ。俺はこの辺で張ってます」

きじとらさんは一瞬、きょとんとした顔で俺を凝視した。次の瞬間、意図を悟ってか、ワンピースを翻して石段を駆け上った。



―――背中の鎌鼬が、ざわめいた。



「…来るぞ、構えて!!」

風はない。鎌か薬だ。飛縁魔は、事件になるような鎌鼬は居ないと云っていた。それなら、鎌は一頭、薬二頭か。俺は背中に意識を集めて呼びかけるように呟いた。

「……『薬』を奪え」

鎌鼬の動きは凡人の俺には見えない。だからこれは賭けだ。視線や雰囲気だけではなく、言葉での曖昧な指示が通るか。

3頭の影が渦巻き、突風となって俺の背から飛び出す。きじとらさんがびくりと震えた。影は鳥居を貫いて閃く気配に躍りかかり、気配が俺の真横を通り過ぎた瞬間、肩に焼けるような痛みが走った。

「がぁっ…!」

思わず声が出た。その声に重なるように、カツンと音がした。石段途中の広間に、小さな瓶が転がっていた。

「……きじとらさん、あった!!」

きじとらさんは突風のように石段を駆け下りて来た。…俺は瓶を拾うと、きじとらさんに向かって掲げた。

「軟膏、ゲット」



きじとらさんが少し首を傾げて、俺を凝視した。…いつも通りに。

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