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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
14/50

鎌鼬

挿絵(By みてみん)


七月中旬。いつもの石段周りの暗がりで、露草が青い双弁を開く。雑草は誰かが定期的に刈っているようなのだが、毎年露草だけはその誰かが刈り残している。『誰か』はきっと、露草が好きなのだろう。

梅雨もだいぶ前に過ぎたというのに、曇天の日は続く。今年は冷夏になるとニュースでやっていたし、まぁ…暫くこんな日が続くのだろう。有り難い。

玉群へ続く石段が、熱くない。

「曇りとかまじで助かるわ。ついでにあのボケが死んでくれたらまじで助かる」

「……やめてくれ」

「へいへい」

今日も悪夢のように重い段ボールを抱えて、鴫崎は俺の隣を歩いていた。



奉を殺す夢を見た日、きじとらさんに刃物をあてられた。あのまま彼女が刃物を横に薙いだら、俺は死んでいただろう。だが偶然通りすがった鴫崎が俺たちを見つけてくれたのだ。

鴫崎の姿を確認した瞬間、涙がぼろぼろ出てきて止まらなくなった。きじとらさんに実質、振られたことは悲しかったけれどそれより、あの悪夢から日常に戻って来れた安堵感が一番大きかったと思う。

―――お前、疲れたんだよ。精神やられたんだきっと。

泣きじゃくって超聞き取りにくい俺の話を辛抱強く聞きだした鴫崎は、ある提案をしてくれた。



時間を合わせて、一緒に行こう。



奉の祟りを経験している鴫崎は、この荒唐無稽な夢の話を笑わない。それだけでも救われる気分だ。しかも本当に毎日配達時間を知らせてくれる。…というか本当に毎日こんな大量の本を発注しているのかよ…。地味に酷い奴だな。

「まじ話、助かるわ。手伝いがいると全然違うな!」

俺が抱えてる箱には、カップラーメンが入っているらしい。鴫崎に『そのお荷物は、手刀を50回叩きつけた上で石段の最上部から蹴り落とすのがお客様からのオーダーです♪』と聞いているが、多分嘘なのでやめておく。


一心不乱に石段を登りながら考える。…夢は覚えていないけれど、最近俺の思考回路が少しおかしい。こうして石段を登っている時でさえ『奉が死んだなら、俺は石段を登らなくて済むのに…』などと物騒な思考が頭に浮かぶのだ。何かにつけ『奉が死ねば』『奉が居なくなれば』。この間、きじとらさんに投げてしまった言葉も。



―――奉が死んだなら、俺のものになってくれますか。



…最悪!うぅわあもう最悪だ!!よく考えたらこれ告白というより宣戦布告じゃないか。お陰であれ以来きじとらさんには妙に間合いをとられるようになってしまった。俺の内心の葛藤を知ってか知らずか、奉は一切変わらず本の山に埋もれる毎日を送っている。

『俺がお前の前から消えれば、夢と現実の境がなくなる』

奉のこの言葉が間違っていなかったことを、早くも思い知らされることになった。

毎朝起きると少しわざとらしい程に、奉への憎しみを刻み込まれている。それは酷く迂闊な子供の悪戯みたいな、バレバレの洗脳だ。だが毎日やられると酷くこたえる。だから俺は、感情を正しく上書きする為に今日も洞へ向かう。

向かうのだが。



「まーた来たのか。飽きないねぇ。甘味は持ってきたんだろうな」



―――てめぇが毎日来いっつったんだろうが!!!

「お前が毎日毎日馬鹿の一つ覚えみたいにポチるからだろうがこの祟り神が!!これ祟りの続きか!?」

「くっくっく…いい時代になったものだねぇ…」

……あれ?このイラッとくる感じ、本当に夢のせいか?

「おい青島!やっぱりその段ボール50回手刀食らわせて石段の上から蹴り落とせ!!」

「やめやめ。カップヌードル謎肉祭りバージョンだぞ。期間限定でねぇ、駄目にされたらまだ売っているかどうか…」

「まじか!?なに買い占めてんだよ3個もらうぞ!」

お前もジャイアン健在かよ。

「…その足元」

配達員が荷物を荒らして中身を抜き取る…という何処ぞの発展途上国みたいな状況の中、相変わらず本に目を落としていた奉が、ふいに目を上げた。ん?とか呟きながら鴫崎が足元に目を落とすと。

「…あー、またかよぉ」

制服の脛の部分に、粘性の液体がべったりと3か所ついていた。

「ここんとこ、よくこんなのついてるんだよな」

「俺もだねぇ」

暫く、洞の中がしんと静まり返った。

「―――やっぱりお前関連かよ!!」

すい、と濡らしたタオルが横合いから出て来た。俺が持って来た豆大福も盆に乗っている。鴫崎が相好を崩した。

「お…ありがと、きじとらちゃん。今日も可愛いねぇ。俺はもう、君に逢いに来ているんだと思うことにするよ♪」


―――っち。


今日のきじとらさんは、シックな紺色のワンピースにフリルが可愛らしいエプロンを重ねていた。俺も屈託なく『可愛いね』と云いたい。が、刃物を突き付けられるという、あまりにもあんまりな振られ方をして以来、彼女だけではなく俺も少し距離を置いていた。

俺か奉、どちらかが死ぬ。そんなシビアな状況は依然続いているわけだし、彼女はきっとまだ俺の命を狙っているのだ。…やばい、泣きそうだ。

「鎌鼬、だねぇ」

奉が呟くと、きじとらさんが振り返って少し首を傾けた。…やっぱり可愛い。もういっそ殺されるなら彼女がいい。

「かまいたち?アレか?」

鴫崎が、ひゅっと空を手刀で切る真似をする。奉がこくんと頷いた。

「そいつが何で俺のズボンに粘液テロを?」

……粘液テロ……。

「鎌鼬が三位一体の妖であることは知っているか」

「知るかよ。馬鹿か妄想狂が」

―――ひっでぇ。

「…まず最初に先頭の一頭めが風を巻き起こす。二頭めが切り、三頭めが薬を塗って去っていく」

奉は読みかけの本を栞も挟まずに閉じた。続きの頁を正確に開くのは、こいつの特技だ。

「滅多にないことなんだが…最近、ここいらの鎌鼬に異変が生じている」

「ここいらにかまいたちがいるとかもう何云ってんだメンヘラかよって感じだが、どんな異変だよ」

―――ほんとひでぇ。

「離散している」

きじとらさんが差し出した麦茶を呷り、奉は息をついた。

「風、鎌、薬の鎌鼬が離散し、再結合している。薬、風、薬やら、風、鎌、風やら」

「で?俺のズボンをべとべとにしていく奴は?」

「薬、薬、薬」

―――なんだそりゃ。

「じゃ、これ薬かよ?」

「切り傷くらいならすぐ塞がる。とっておくといい」

「ちょっとまてよ。三位一体なら風、鎌、薬の数は同じなんだろう?」

薬役の鎌鼬がつるんで活動している、ってことは。俺は…猛烈に厭な予感がする。

「ここらへん最近、しつこいつむじ風が起こるだろう」

奉は徐に大福に噛みついた。…何だ、しつこいつむじ風って

「風、風、風か、風、風、薬…がいるねぇ」

「あれもお前関連か、玉群!」

「へぇ、遭ったんだねぇ」

「やめさせろよ、荷物運んでるときに危ねぇんだよ」

「俺が飼っているのではないからねぇ…」

「待て、もっとやばい組み合わせがあるだろ」

大福を飲み下しながら、奉はちらりと顔を上げて俺を見た。また、煙色の眼鏡の奥が分からない。

「……それな」

面倒なことになるねぇ…と奉が呟きながら、猫のように体を丸めて机に伏した。

「鎌の、数が足りないんだよねぇ」

「………うっわ」

鴫崎が肩を抱えて震え上がった。こいつは郊外活動の草刈りの時、こっそり持ってきた鎌を振り回して『蟷螂拳!!』とかふざけて二の腕をザックリやって以来、鎌に軽いトラウマがあるそうだ。

「一頭でも『薬』が居れば問題はないが、風、鎌、鎌とか」

肩をすくめて、奉が声を潜める。

「鎌、鎌、鎌…だともう最悪、死人が出るねぇ」

死人…などと物騒なことを云い捨てて、奉は再び本に没頭しだした。今日は『重い本』は紛れていないらしい。やばいねぇ、面倒なことになったねぇ…などと呟きながらページを繰る。考え事をしながら本も読めるのか。

「やべ、配達の途中だった」

カップヌードルを4つ抱えて走る鴫崎を追って、俺も洞を出た。






向日葵咲きそめし玉群の石段を、今日も登る。俺の傍らを歩いているのは、今日は鴫崎ではない。

「…変な石段ね」

飛縁魔が傍らで苦笑する。…あれから2週間、かつては小さく首をもたげていた背の低い向日葵が、石段の両側をびっしりと覆い尽して咲き狂っていた。

「姪っ子の小梅がテレビのCMで向日葵畑を観てね…えらく気に入ったみたいで、奉にねだったんだよ」

「そんな理由で?あの無精者が石段の上から下まで種を蒔いたの?」

折角の居場所を追い出されたせいか、彼女は小梅が少し苦手らしい。というか純粋無垢な幼子全般に、軽いコンプレックスを感じているように見える。彼女が見せる『まやかし』は、女子供には効きが悪いのだ。

「…左側は俺だよ。わざわざ小型の向日葵を探して『小梅は小さいから、同じ背丈の向日葵がいい。よく見えるだろう』と」

一陣のつむじ風が足元を舞った。きゃ、と短い悲鳴が漏れた。

「んもう…」

飛縁魔の白いふくらはぎに、べったりと塗られた『薬』。きめ細かい肌が透ける、透明な粘液が

「…なに、じっと見てるの?」

し、しまった。つい食い入るように見てしまった。俺は咄嗟に目を反らす。飛縁魔は艶を含んだ微笑を浮かべて体をくるりと丸めて屈んだ。ふっくらした胸元から取り出した綺麗なハンカチで、そっと包み込むように『薬』を拭い、また仕舞い込む。



―――今の一連の動作をもう3回見たい。



「いいのか?ちり紙貸したのに」

つい、気遣いっぽい言葉が口をついて出た。

「鎌鼬の軟膏よ。…勿体ないわ」

大事そうに胸元に仕舞い込み、飛縁魔はもう一度、嫣然と微笑んだ。…どうにかなってしまいそうな流し目だ。直視出来ない。

「結貴が怪我したら、塗ってあげようかな」

「………う」

気が遠くなりそうだ。きじとらさんに振られたばかりだというのに、業の深さが嫌になる。俺はほぼ操られるような足取りで、ふらふらと石段を上った。ぼうっとするのは暑さのせいか…。





「頼まれてた件、調べておいたわ」

意外にも事務的な声で、飛縁魔が洞の奥の奉に呼びかける。奉は大儀そうにもそりと身をゆすると、ぱたりと本を閉じた。真夏にも肌寒い洞の奥で、奉は相変わらず古い羽織にくるまっていた。


飛縁魔と奉はどういう関係性なのだろう、と、ぼんやりする頭で考えた。


彼女は、奉に『仕事』を頼まれていたらしい。

「済まないねぇ」

「いいの、取引だもの。…暇だし」

奉から何らかの『報酬』を得ているということだろうか。…それにしても、だるい。眠い。

「…ずいぶんと、あてられたねぇ。一緒に来たのかい」

「んん、ごめんね」

―――成程、このだるさや眠気は、飛縁魔の気配にあてられたらしい。

「麻薬を嗅がされながら階段昇らされたようなもんだ。気にするな、寝ろ」

なにそれ怖い。俺は簡素な寝床に倒れ込んだ。薄れていく意識の中に、二人の会話が流れ込んでくる。



―――確認できている『鎌』は5体


―――被害は出ているけど、騒ぎにならない程度ね


―――うん、聞いた。それも足したら、風と薬は数合ってる。


―――鎌は、合わない。


―――3頭、足りない。



足りない…鎌が、タリナイ…たりない…鎌……は……。






弟の    が、俺に×××××を差し出した。

△△△が、すぐそこまで来ているよ。怖いよ、僕は怖いよ。

大きな瞳を潤ませる    を抱きしめる。薄暮の海岸は、濃い霧に覆われている。弟はこの霧の向こうに△△△が、弟達を再び奪うために黒々とした口を開けて待っている…という。

大丈夫、俺が皆を守るから。なかなか良い×××××を、あつらえてくれた。苦労しただろう、こんなに立派な。

そう云って、    の背を撫でる。あの男…。もう誰一人殺させない。あいつを殺して、その骸を…    に、還す。だってこれはお前のものだもの。大丈夫、大丈夫。腕の中で泣きじゃくる    を抱えて、俺は再び決意する。



今度こそ、あの男をこの手で仕留める。俺は忘れない、丸め込まれない。



目が覚める程の、文字通り目が覚める程の殺意に俺は跳ね起きた。

口元に微笑を湛える飛縁魔が、様子を見るように俺の背後に回り込む。…今は、どうでもいい。俺が起きた気配を察してか、麦茶を運んでくれたきじとらさんは咄嗟に、俺の前に出た。…奉を、守る気なのか。胸の奥にくすぶる、殺意以外の感情がちくりと疼いた。だけどいまはどうでもいい。俺にも大切な者が居る。弟たちが怯えている。

俺は、匕首を構えて喉元に飛びかかってきた彼女の背後に潜り込み、本の壁に叩きつけた。

「…成程ねぇ…」

奉がゆらりと立ち上がり、見たこともないような嗜虐者の貌で俺を覗き込んだ。奉は知らない、弟たちが死ぬ思いで俺にあつらえてくれた×××××を。油断している。今の、奉なら。



俺は『願う』だけで奉を殺せる……!!



――― 一陣の突風に煽られ、目が覚めた。

すとん、と心が軽くなっている自分に気が付いた。俺は、いや『彼ら』は目的を達成したのだ。手に取るように分かる。そして『彼ら』が俺に見せていたまやかしの風景も、全て分かる。

本の陰に身を隠して警戒している飛縁魔、そして悲鳴をあげながら奉に駆け寄るきじとらさん。…俺はさっき、きじとらさんに何をした!?いや…俺は…奉に何をしたんだ!?



切り刻まれた本の壁、その中央に奉が立ち尽くして居た。

煙色の眼鏡が、ひしゃげてカキン、と音を立てて床に転がった。

「ま、奉…」

駆け寄ろうとして、たたらを踏んだ。きじとらさんが、親の仇を見るような目で俺を見ているから。…いや、俺の背後か!?

「私は、馬鹿でした…」

食いしばった歯の奥から絞り出すように、彼女が呟いた。…やめてくれ、その先を俺に聞かせるのは。

「…あの時、ひるんでしまった私は、馬鹿でした!あの時」

す…と右手を差し伸べて奉がきじとらさんを制した。俺は…震えていたのだろう。奉が2重に見えるのだから。奉は、にやりと笑って俺の…背後を指さした。



「そこにいたのか…鎌鼬」



鎌鼬!?

咄嗟に振り向いた俺の背後に渦巻く小さな竜巻。その中央に俺は、蠢く3頭の獣を見た。細く長いそれは竜巻のように絡み合い、俺の背に吸い込まれるように消えた。…これは、俺のか!?俺の×××××…『かまいたち』。『風』の統制を逃れ『薬』を喪い、ただ切り刻むだけの虚ろな獣の塊。

付け焼刃の洗脳、そう侮っていた。その侮りさえも戦略だった。一瞬で良かったんだ。ほんの一瞬、奉が傍に居る状況で、俺が奉に殺意を向ければ『殺害』は成功する。鎌鼬の離散とやらも、俺に『憎むだけで発動する道具』を仕掛けるための、奴らの計略だったのだ。恐らく。



じゃあ、奉は!?



恐る恐る奉に視線を戻したその瞬間…切り刻まれた奉の躰から紅い花弁のように血飛沫が舞い散り…奉が爆ぜた。

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