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霊群の杜  作者: 柘植 芳年
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野寺坊

挿絵(By みてみん)


とある金曜日の午前11時近く。俺は地元から少し離れたスタバでコーヒーを啜りながら時間を潰していた。

このロケーション、この曜日と時間帯がとても大事なのだ。

間違っても地元で借りる訳にはいかない。知り合いがバイトに入っていないことは調査済みだ。そして午前中であることが何より重要だ。待ち時間は最短で済ませたい。かといって店内に人が少なすぎるのも悪目立ちしてしまう。込み過ぎず、かと言って全く人がいないわけでもない。そんな時間帯が最も好ましい。

11時。時間だ。



俺は席を立ち、向かいのツタヤに飛び込んだ。



濃い青色の垂れ幕をさっとまくり18禁エリアに入り込む。俺以外にも2~3人程度いるようだ。よしよし、非常に丁度いい込み具合だ。俺は入口から比較的近い制服モノコーナーを物色する……これは……前に借りたし……こっちの女優はもう制服無理っぽいトウの立ち方してるし……うむ……これだ。2本まとめて籠に放り込む。



「成程、お前そういうジャンルか」



心臓が飛び上がるほどビビった。大きく息を吸い込んで悲鳴を上げそうになった瞬間、声の主は俺の前に回り込んで指を口元にあてて所謂『静かに』のポーズをとった。

「……お前っ」

云われんでも大声など出さん。代わりに俺は、声の主を睨み付けた。

「何だお前は、こんな所まで」

「気にするな、物色を続けろ」

「無理だ」

奉は俺の手元の籠にちらりと目を落とすと、ふいと顔を上げた。

「また制服ものか。高校生に興味深々か」

「うるせぇな」

「縁に手を出すと、俺と姻戚関係になるねぇ」



ぎくり。



「おー…この女優、どことなく足の感じが縁に」

「俺のことはいいだろ、お前なにしに来た…こら、変なの入れるなっ」

奉が放り込んできた『パイパニック』と『アーンイヤーンマン』を棚に戻す。…なんでコイツは変な企画ものばかり。どうせ面白いのはタイトルだけだぞこんなの。

「おいすげぇぞこれ、『デブワゴン』よく集めたなこんな似たような女優」

「色んな需要があるんだろ……だから入れるなというのに!」

「ついでに」

「観たければ自分のカードで借りろよ」

「このタイトルを借りた履歴が俺につくのが嫌過ぎる」

「俺だって嫌だよ!」

再び奉が、口元に指をあてる。…この野郎。

「……で?お前こそなにしに来たんだこんな遠くのツタヤまで」

どうせ目的は同じだろうがこのムッツリ野郎が。

「あれを見ろ」

奉に促され、棚の向こう側をひょいと覗き込んだ瞬間、全身が凍りつきそうになった。



清楚な水色のワンピースと、白い鍔広ハットのきじとらさんが、AVコーナーを物色していた。



「今まで気にもしなかったが、こいついつも俺の洞に入り浸っているのに生活はどうしているのだろうか、と急に気になってな。直接聞いても埒があかないので、こうして調査に乗り出した」

「い、いつから」

「さっき始めたばかりだ」

奉が、ごくりと喉を鳴らした。

「初っ端からこんなドラマチックな展開とは…飛ばしてくるねぇ」

「え?え?」

次から次に繰り出される『非常事態』に脳がついていかない。オロオロする俺は奉に『きじとらが動くぞ、早く借りてこい』と促され、慌ててレジに走る。レジで『デブワゴン』が入りっ放しだったことに気がつくがもう遅い。バイト店員に『えっデブもいけるんすか??』みたいな目で見られる。お前も客の好みを一々覚えるんじゃない。



「…大変なことになったねぇ」

一言文句を、と思って奉の所に戻ると、奴は若干青ざめた顔で棚の隅で小さくなっていた。

「どうした?」

「あいつキ○ガイ★チンポハンター3借りてったぞ」



―――は??



「なんだそれ」

奉が無言でスマホを取り出し、何かを検索して俺の前にかざした。……乳丸出しのレオタードの女優が白目剥いて腿にスルメの干した奴を括りつけ、チンポ的な何かを握りしめて『マンセー』とか叫んでいるへんなジャケットが表示されていた。……初見の感想は『女優さん、大変だなぁ…』という、憐憫に似た何かだった。

「こ、こんな…よりによってこんな特殊なやつを…!」

「2012年、伊藤あずさ・細川まり出演。39歳の冴えないサラリーマンが毎晩のように『チンポハンター』とかいう女性の変質者に襲われる、という、悪夢っぽい内容のAVだ。いや、AVというか衝撃映像というか…」

しかし詳しいなこいつ。借りた事あるだろう。

「『3』まで出ているねぇ…」

「そんなに需要あるのか!?こ、こんなので抜く奴」

「きじとら、店出るぞ」

そうだ、チンポハンターに気を取られている場合ではない。何というかこう…大変なことになっている気がする。俺たちは十分距離があいたのを確認してから店を出た。





きじとらさんはゆっくりとした足取りで、駅前のスーパーに入っていった。あの空色のカバンに入っている『もの』の事を考えると、頭を掻き乱したくなるが堪えた。

「あいつ、平然と借りたねぇ…スーパーで大根選ぶのとちっとも変わらない感覚で借りたねぇ…」

菓子棚の陰から青果コーナーのきじとらさんを眺めつつ、奉が呟いた。珍しく、羽織りを脱いで鞄に押し込んでいる。尾行に向かない出で立ちであることは自覚しているのだなぁ。

「あんな大人しそうな顔をして、とんでもない変態女かもしれないねぇ…」

小さい声で『それもアリだねぇ…』と呟いたのを俺は聞き逃さなった。

「アリじゃねぇよ…ちょっとしたアブノーマル行為ならギャップの範疇だが、よりにもよってチンポハンターだぞお前。身内にそんなアグレッシブな変態がいていいのか」

いつもいつもこいつは…コトの重大さが分かっているのか。

「…冗談、冗談。変態以外の可能性としては…そうだねぇ」

それだよ、俺が聞きたかった推論は!!

「何処かの変態に騙されて借りさせられている、というところか」



―――うわぁ。最悪の推論きた。



ただ、確かに俺は前から気になっていたことがあった。

「きじとらさんの服装ってさ…正直、マニア好みだな」

「うむ。…俺じゃないぞ」

「そこよ」

彼女にあの服を選ばせ、着せている『誰か』の存在を、俺は前から疑ってはいた。ただ世間から半歩程ずれた彼女は、特に苦痛を感じていない。そしてそれは……

「何も分かっていない彼女を…」

「性欲のはけ口にしている誰かがいる、と?」

奉が俺の顔を覗き込んだ。煙色の眼鏡は、いつも肝心な時にその表情を隠してしまう。

「AVの観すぎだねぇ」

「人聞き悪いな」

俺たちが馬鹿な話をしているうちに、彼女は野菜と『さんまを2尾』買って店を出た。






「きじとらさん、買い物してたな」

彼女は自由になるお金を持っている立場なのか、という問いを込めて口を出してみた。

「玉群の本宅が、いくらか渡しているらしい」

「やっぱり雇ってるの?」

「いや。だが玉群はそういう事にしておきたいんだろうねぇ」

独り暮らしの男の家に年頃の女が入り浸りというのは外聞が悪いからねぇ…と奉が呟いた。何か分かる気がする。奉の母さんは、奉の身の回りの世話をする人が居ないことを密かに気にしている。放って置けば倒れるまで本ばかり読んでいるような男だ。古い馴染みだからといって、俺にばかりそのお鉢を回すのも、まぁ、気がひけるようだし…。

「生活が成り立つ程ではないが。まぁ、小遣い程度よ。通いだし」

「通い!?」

「泊まる日もあるが」

「聞きたくない」

「何処かへ帰っていく日もある。…庇護者の存在は、俺も気が付いていた」

きじとらさんは、徐々に人気もまばらな郊外へ向かう。俺は奉を見た。喉仏がぐびり、と動くのが見えた。…こいつも人並みに、心配などするのだろうか。

やがて、街灯すら引かれない山へ続く小道へ入り込む。まだ日は高いが、夜ともなればほぼ完全な暗がりだろう。

「こりゃ…そうとう夜目が利かなけりゃ無理だな」

「問題ないねぇ、きじとらには」

へぇ、夜目が利くのか。

「そろそろ話しは終わりだ。…人気がなすぎて、尾行も限界になってきた」

そう云って奉は足を止めた。

「ここから先は一本道だろ。時間を見て、周囲を探ろう」

俺は返事をせず、首を縦に振った。新緑の深みに水色のワンピースが消えていくのを、ただぼんやりと眺めていた。




「こりゃあ、寺だねぇ」

崩れ落ちそうな寺門を眺めて、奉が呟いた。俺はさっきから開いていたグーグルマップを確認するが、寺のマークなどない。寺を囲む雑木の群れが、いやに禍々しく揺れた。

「嘘だ」

「嘘、か。とんだ野寺坊がいやがるねぇ」

小さな寺だ。境内は掃き清められているし、荒れ果てたというほどではないが、所々荒れている。例えば…女の手が届かない、屋根の瓦とか。

「野寺坊?」

「寺のないはずの場所から、鐘を衝く音が聞こえる、読経の声が聞こえる…ま、そんな妖よ」




「だれがアヤカシか。失敬な」




心臓がぐりんと動いたかと思われた。弾かれたように振り返ると、背後に頭髪もまばらな老人が、ぼさっと立ち尽くしていた。

「野寺坊」

「妖怪扱いか、玉群んとこの坊」

奉と老人は寺門の前で睨み合った。……うわ、これ修羅場ってやつか?

「―――坊、あんた、ヒトじゃぁねぇな」

「―――妙なこと云うねぇ」

奉は老人から目を離さず、羽織りを再び肩に掛けた。老人は眼光も鋭く、尚も奉を睨み続ける。一陣の風が、老人の袈裟を揺らした。廃寺の野寺坊は、ふいに口の端を吊り上げた。

「あの子を『ヒト』にしたのは、あんたかい?」

―――ん??

「請われたら叶える。そしてあの子には、『資格』があった」




「20年生きた猫は、望めばヒトになれる」




訳知り顔でにやりと笑い合う二人の間で、俺はただ茫然としていた。





「あの子は元々、うちの飼い猫さね」

怪老人に見えた老人は、居間に通されて茶を呑みながら向かい合うと、只のじじいだった。居間も意外と整頓されているし、こまめに箒をかけているようにみえる。きじとらさんは、こっちでも働き者だ。

「それがまぁ、ある日妙にピッチピチのうっふっふになって帰ってくるじゃないの♪」

……只の、助平じじいだった。

「何をいう、あれは元々、うちの境内に居着いた猫だ」

「ちがいますー、わしが20年、子猫の頃から大事に育てた家猫ですー」

混ぜっ返すな、話が進まない。睨み合う二人の間に割って入り、俺はじじいに向き直った。

「きじとらさんはどこなんです!?あんたはきじとらさんとどういう関係なんですか!?」

「玉なら今頃上で寝ておる。あいつは夜うるさいんだ」

「タマだと!?猫の話じゃない、俺はきじとらさんの」「猫の名前が本宅と別宅とで違うのは常識だろう」「そうだぞ結貴、わきまえろ」

そこは意見が一致するのかよ!!

「それに俺たちはさっきから猫の話をしている」




―――は??




「物分かりの悪い…さっきも云っただろう。きじとらは、俺がヒトにしてやった猫だ」

「そうだ。以来、玉は時折、坊の家にも寄り猫するようになったようだな」

「ほぼうちに入り浸りだろうが」

何だろう、反りが合わないのか、いつも飄々としている奉が、妙にこのじじいには突っかかる。

「何を!はした金でうちの子をこき使いおって。衣食住の面倒を見ているのはわしだということは忘れるな!」

「衣というのはあのコスプレ衣装のことか。20年我が子同然に育てた愛猫が少女になったとたんに己の劣情を爆発させて浅ましいことこの上ないねぇ…」

「いいじゃんそれくらい!カワイイじゃん!他に何もしてないじゃん!!」



「きじとらさんは何処だ!!」



一喝すると、じじいはきょとんとした顔で俺の方を向いた。

「だから、上で寝ておると云っておろうが」

「信用出来るか!大体、俺はあの人が元々猫とかいう戯言も」「待て待て」

さっきまでじじいと云い合っていた奉が、突如俺を宥めてじじいに向き合った。

「―――きじとらは、よく寝ているのか?」

じじいは少し顔を緩ませて、ちゃぶ台の中央に置きっぱなしになっていた煙草の箱を取った。

「おう、じじいの前じゃ寝てばっかだ。あいつが寝ているときだけ、煙草解禁だ。吸わせろ」

やがて紫煙が部屋を満たし始めた。奉も一本箱からくすねて暫く煙をくゆらせると、すっと立ち上がった。

「…邪魔したねぇ、ご老人」

「…おう、帰れ帰れ、玉が起きんうちにな」

何でだ、俺はまだきじとらさんの無事を確認していない!そう訴えて少し抵抗したが、奉はさっさと出て行ってしまった。俺はまだ文句を云おうとじじいに向き直り、その背後に目をやった瞬間…静かに、居間を出ることに決めた。



じじいの背後にあった仏壇。大事そうに飾られた遺影の中に、きじとらさんそっくりな少女が居た。





少し茶菓子を入れたら、逆に腹が減ったねぇ。などと呟きながら、奉はとぼとぼと山道を辿る。俺は何も云わなかった。云う資格は、俺にはない。

「―――きじとらは、俺の洞では眠ったことがない」

「え?だって泊り…」

「ないんだ」

押し殺したような声で、奉はぼそりと呟いた。

「…それでも、安心して眠れる場所はあったんだねぇ」

インチキ寺にえせ神社か。どうにも住処に恵まれない、きじとらさんだ。猫変化とかいうのは眉つばだが。…しかし。

「だが、いいのか」

「いいんだ。このままで」

「本当にいいのか?チンポハンター観るの多分あのじじいだぞ」



奉の歩みが、ぴたりと止まった。



「あ」

あ、じゃねぇよ。忘れてたなお前。

「それだけはシメとかないとなあのじじいめ」

俺たちは山道をとって返してじじいを襲撃したが、どこに隠れたのか、じじいはどんなに家探ししても見つからなかった。

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