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鈍才  作者: 北川 瑞山
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 辺りは増々雑然としてきた。酒が進み、大きな声で怒鳴るように話す客もあちこちに散見された。そんな中、酒も進まず、料理も頼まず、真面目な表情で話をしている私達は浮いた存在だった。

 Hは、料理を頼みたいのを我慢していたのか、始終落ち着かない様子でその話を聞いていた。それでも一応の相槌をうち、その上でこう答えた。

「人と一緒にいないと不安なのはわかるよ。俺も寂しがりやだからね。でも一概にそれが悪かったとは思わないな。今の自分にも満足してるし」

こうしたあまり本質を捉えない講評は、あるいはHなりの婉曲表現であり、気遣いだったのかも知れなかった。一方で、気遣いのできない質である私は、生真面目にもこう答えた。

「それは違うな」

私は市原に向かい、こう言った。

「自分が努力できなかったのは環境のせいだとでも言いたいのか?冗談じゃない。一人っ子に生まれていたって、お前の言う所の空気を読む能力やコミュニケーション能力があったって、努力できる奴はしているよ。要するにお前の能力不足だったというだけで、ある能力を有していたがために他の能力が伸びなかったなんていうトレードオフでは全然ない。いいかい卓巳君、君は自分の能力不足を認めたくないだけなんだ。自我がないだの、底の浅い口先男だのと自分を責める振りをして、本心では心底自惚れているのさ。自分の境遇を嘆く振りをして、俺はこんなに器用なんだ、俺はこんなにモテたんだと自分を慰めたいだけなんだ。俺は不愉快だよ卓巳君。俺は確かに君よりは勉強ができた。だがそれは不器用だったからでもモテなかったからでもない。そういう能力があったからだ。それを君の有している能力を持たなかったがための代用品の様に言わないでくれ。確かに君の能力は人間関係を築く上で、学校でも職場でも、どこへ行っても重要な能力だろうさ。一生を通して大事な能力だよ。君の能力が、俺には羨ましいくらいだ。だが君の能力と、僕に少しだけある能力のどちらが尊いかなんて誰にも分からない。何も自分の能力を蔑む必要もないだろうが、こちらの能力だって能力は能力だよ。今の話だと、自分の能力は生活の役には立ったが実は下らなくて、こちらの能力は大して役に立たなかったが実は本当に大切だった、それに気付くのが遅すぎたと言っているね。そういう自己否定の裏側に、自分の能力を強調して、一方でこちらの能力を小馬鹿にする考えが見え隠れしている。一般的にそうだからこそ、そうでない事に自分は気付いたんだという話が意味を持って現れる訳さ。

 そもそもだ、君に本当にコミュニケーション能力があるのかどうか、それすらも怪しいね。コミュニケーションの能力というのは、周りに同調する能力ではなく、周りから好かれる能力でもなく、周りと打ち解ける能力でもない。自分を周りに理解してもらう能力だ。それが何だ。ここにいる誰一人説得できていないじゃないか。そんな薄っぺらい話を長々と聞かされて、説得できる奴なんていやしない。酔っぱらいの愚痴を聞かされた、管を巻かれた気分だね。そんなものでよくぞ自分の能力をそこまで過信できたものだ。

 君の言葉の端々から、気色悪いナルシシズムを感じるよ。君が自己否定をする度、自分は駄目なんだと語る度、「でもこんな自分が好き」「でもこんな自分が好き」と聞こえるようだね。そのナルシシズムを捨てない限りは、君は本当に満足のいく生活を送る事なんてできないだろう。そうじゃなければ一体何が不満なんだ?君が自分で認めている通り、君は大した努力もせずに正社員の椅子を得ている。しがないサラリーマンだと?結構じゃないか。それにすらなれない人が何人いると思っているんだ。仕事は大変だろうが、人間関係にも恵まれている。それの何が不満だ?君は心のどこかで、俺は本当はこんな所で終わる人間じゃないなんて思っているのだろう。自分を買い被り過ぎてはいけないよ。君のような奴なんて掃いて捨てるほどいる。馴れ合いで結構じゃないか。仲良くやりなよ。

 それから合コンで不振なのが悩みだと言ったな?昔モテたのに、今じゃ相手にもされないなんて言ったな?それは何だ、合コンなんてここ数年行ってもいない、昔モテた経験もない俺への当てつけか?過去の栄光に浸って生きるしかないなんて、浸る栄光もない俺に言われても困るな。そうやって自分より下を見下す事でせめてものプライドを守ろうとしているのだろう。その計略自体も気に食わないが、更に癪に障るのはそういう計略を俺たちが気付かないだろうと踏んでいるところだ。こいつらにはバレないだろうと高をくくっているところだ。自己否定の皮を被せていれば、本心など悟られまいと計算しているところだ。H、俺たちはなめられているんだぞ。分かっているのか?

 生活の方向性がない?自我がない?そんな事あるもんか。そうやって自分を慰めるのが、君の生活の方向性であり、自我なんだよ。全くもって君の言う通り、過去の成功体験を懐かしむ事が君に残された道だよ!いいじゃないか、それだって立派な生活の方向性じゃないか!自戒を込める必要なんてないから、安心しろよ!」

 私は、気の済むまで市原を面罵すると、残りのビールを胃に流し込んだ。呆気にとられる市原の眼前に紙幣を叩き付けると、「帰る」と低く呟き、殷賑な店を後にした。

 結局私は飯を食い損ねたが、腹の中は大いに満足であった。ただ市原からあの時の「鈍才」の意味を聞き出せなかったのは残念に思った。

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