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鈍才  作者: 北川 瑞山
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 案内された席は、店の奥の方にある四人がけのテーブル席だった。テーブルの上座側にHと市原が、下手側に私が座り、私と市原が向かい合うような形になった。私の隣の席は荷物置き場になった。テーブルの中央には魚や貝などを焼く網とそれを乗せたガスコンロが置かれていたので、自然私達はそれを取り囲むようにして座った。店の照明は魚市場さながらに明るく、壁にはおすすめのメニューや「よろこんで!」等と威勢良く書かれた張り紙が無造作に貼られていた。

 おすすめのメニューには目もくれず、

「とりあえずビールを三つ」と市原が言った。Hと私はそれに同調した。注文を受けた店員は「ハイ、よろこんで!」と言って奥に引っ込んだ。

 店の雰囲気が気取っていない所は良かった。いつもHと飲みに行く時には、ホテルの最上階のバーだのラウンジだの、とにかく高級な店に連れて行かれた。私もそれほどそういうところが嫌いだった訳ではないが、やはり出費が嵩んだ。Hと違って高給サラリーマンではない私には、その出費が痛かった。そこを何とかHに合わせようと、無理をして背伸びをする自分を発見する事は出費よりも更に痛かった。私にもHと張り合う気持ちが頑然とあった。負けを認めるのが嫌だった。しかしそれは無駄な抵抗で、自分の負けを自分自身が誰よりもよく知っていた。そこでせめて自分の負けを自分自身が知悉していることをHに悟られたくはなかった。あたかもそんな事はまるで意識していないような、平然とした顔で、一杯二千いくらもする酒を飲み干した。私がHとの付き合いをやめない理由は、案外そんな所にあった。負け犬が尻尾巻いて逃げたと思われたくなかった。本音を言えば、そんな負け戦は一刻も早く放り出したかった。それができないことは苦痛であった。

 その店にはそんな苦痛がなさそうに思えた。私達は一杯二百五十円のビールで乾杯した。その時、市原の手が心成しか震えているように見えた。痩せて骨張ったその手が、ビールの中ジョッキの重みに耐えかね、軋んでいるかに見えた。

 乾杯したはいいが、話題が何一つ出てこなかった。私は、自分でこの飲み会を提案した手前、話題提供をしなければならないと思った。特に市原に対して。

「最近、Hと飲んだんだけど、いやこれが女の話ばかりで。俺にはさっぱり付いていけんよ」

本音を隠すために敢えて本音を語るのは、私がよく使う手段であった。本音は隠そうと思うからばれるし、余計にリアルになる。

 だがそんな目論見を見透かすかのように、市原は言い放った。

「そりゃそうだろうよ。Aは女も何も欲してないんだよ。良く言えばミステリアス、悪く言えば」

市原は煙草に火をつけ、煙を吹き出してから言った。

「何を考えているか分からない」

先にも述べたように、私はこの手のお説教が大の苦手だった。こんな大層な事を言われると、大抵黙ってしまう。他人に面と向かってこのようなお説教を垂れる人間は、一体どれほどご立派なのかと思ってしまう。

 市原は、果たしてこんな説教臭い人間だっただろうか?あるいは、そうだったかも知れない。訳の分からない文脈で私を鈍才呼ばわりした市原は、昔から他人にレッテルを貼って、上から非難する癖のある人間であったかもしれない。あの時だって、機転の利いたフォローができない私に対する当て付けだったのかも知れないのだから。

 そう思うと、今までHと私の通訳だと解釈していた彼の対応にも俄に疑念が湧いてきた。潤滑油だの緩衝剤だの言ったって、それは単に、傍から見れば幼稚な程我の強いHや私を、上から窘めていただけかもしれないのである。

 市原は話頭を変えて、Hに話を振った。

「Hはどこでそんなに女の子と知り合ってんのよ?それが知りたいわ」

私は、余計にうんざりした。またいつもと同じ話を聞かされる。

「まあ、そういうパーティーがあってね。そこのVIPルームを貸し切って…」

私はその場から逃げ出したくなった。思わず目を逸らして、ビールを傾けた。するとそれを見逃さなかったか、市原は

「どうでもいいわ」と、自分から引き出した話を切った。

「A、どうしてそんなに興味なさそうなんだ?」

「そんなことないよ」

「普段何して過ごしてるんだ?」

「何って、別に…。それこそどうでもいいじゃないか」

「どうでもいいことはない。なぜ三十にもなって自分の生活の方向性が定まらないんだ?Hはまだ分かる。若い女が好きなんだろう。それはそれでいいさ。犯罪さえ犯さなきゃな。だがお前は何が好きで、何を目指して生活しているのか全く見えてこない。だからかける言葉も見つからない」

旧知の仲とは言え、これだけ久しぶりに会ってこれだけの説教を受けるとは、私も心外であった。

「お前に俺の何が分かるんだ?五年も会っていなかった俺の何が分かるんだ?」

「ねえ、そろそろ料理も頼もうよ」

Hは空気を読んだのか、読めないのか、市原と私の間に割り込んできた。私は構わずに語気を強めて畳み掛けた。

「じゃあお前はどうなんだ?生活の方向性とやらを持っているのか?」

すると市原は煙草の火を消し、痩せた腕を組んで言った。

「そうなんだ、俺だってさっぱり分からない。俺だって人の事を言えないんだ。いや、俺の方こそ問題の根が深いな。でも俺の場合は生まれ持ったものだから、仕方がない。宿命ってやつかもな。大げさに言えば」

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