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私は仕事が時期的に多忙であったのと、元々のものぐさな性格から、Hからの連絡に対して暫く返事をしないでおいた。正直に言って、Hから連絡があったことを全く忘れていたわけではなかったのだが、判断を先延ばしにする私の悪い癖が出て、行くとも行かないとも言わず、ついに三日ほど過ぎた。するとHから「ちゃんと返事を返せ」との催促があった。私はそこで初めて真剣に考え込んだ。
Hや市原と会うのはいい。だが合コンには何としても行きたくなかった。私は合コンが嫌いだった。これまで合コンなるものに何度か参加したが、一度たりとも愉快な気分になったことはないし、かつ芳しい成果も残せなかったからである。そういう類の場において、私は悉く無能力であった。無能力者が無能力なのは、ただ無能力に生まれついたからであって、それ以外特段の理由はない。しかし無能力者には無能力者なりの理屈があって、その理屈がその人物を更に無能力者足らしめているというのはよくある話である。私の場合もご多分に漏れずそうであった。
まず、初対面の人間と、たどたどしく白々しい、何が面白いのか分からない与太話を延々と繰り広げることの意義が、私にはさっぱり理解できなかった。実際に宴席にいるときにも、度々その疑問が私の脳裏を過った。そういうとき、決まって一体この宴席の目的は何なのか、考えざるを得なかった。良き伴侶を見つけるためなら、無駄話で場を繋ぎ、敢えて核心を避け、迂回するよりは、お互いの条件の明らかなお見合いや婚活パーティーの方がまだ合理的であるように思えた(性格や価値観の一致とか、条件以外の要素など長く付き合ってみなければどうせ分からないのだから)。性欲を満たすためならいっその事風俗にでも行った方が手っ取り早いと、乱暴ながら思った。ただ単に異性の知り合いを増やしてはべらかしたいだけというなら、もはやその目的自体に意義を見出せなかった。とにかくどういう目的を持ってこようとも、その会合自体が無意味に思えて仕方がなかった。
尤もこうして目的合理性などという詰まらない概念を持ち出し、合コンそのものを楽しむ事ができないことがもはや私の無能力を物語っているし、こういう正論を吐く癖が一層私を成功体験から遠ざけていることも十分分かっていた。しかしそれでも合コンには行きたくなかった。
そんな私なりに思案した挙げ句、合コンもいいが、まず三人だけで会わないかと提案した。Hはすぐさま快諾したが、市原がどういう反応を示すかは想像しかねた。
市原という男は、意外に思われるかも知れないが、大の合コン好きであった。これは何も先に書いた市原の性質と矛盾する所ではない。先ほども触れたように、Hと私にとって、市原は潤滑油であり、通訳でもあった。そういう人間はある種緩衝剤の様な存在でなければならなかった。彼はいつも自己主張の強いHや私の間に入って、緩衝剤の役割を演じていた。またそれにさして苦痛を感じていないようでもあった。彼は自我というものが薄いように、傍目には見えた。だからどんなに尖った他人の個性も受け入れる事ができ、またそこから発せられるどんなに強く激しい主張も、柔らかく優しい言語に翻訳することができた。一言で言うなら、彼は価値観の違いに寛容だった。こういう性質を持つ人間の常として、男女問わず多くの人間を惹き付けた。また、市原自身も多くの人間と関わりあいながら生きる環境を進んで得ようとした。沢山の人間の中に身を置く事は、彼にとって魚が水の中を泳ぐように自然で、生きるのに必要不可欠な事だっただろう。そんな彼が合コン好きであることには、もはや誰も驚くまい。多くの人間を惹き付けるのは、聖人君子ではなく、人間的な人間好きである。つまりは私の様な人間嫌いとは、全く異なる人種なのである。